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2025/01/18

茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版「舊詩集」 「少女の歌」 (序詩)・(今彼等はもうみんな人妻、……)・(女王だ、お前らは富むでゐる。……)・(波はお前らに默つてはゐなかつた。……)・(少女らは見てゐる、小舟らが……)・(お前ら少女は小舟のやうだ。……)

 

 

 少女の歌

 

お前たち少女は四月の夕の

花園のやうだ。

春は數多の路の上にあるが、

なほ何處とめあてもない。

 

[やぶちゃん注:岩波文庫の校注に、『『詩抄』では「少女の歌」のタイトルを付し、活字も「少女の歌」という一篇の詩であるかのように普通の大きさで組まれていたが、『詩集』では「少女の歌」は以下の詩全体のタイトルであるため、扉として立てられ、ここは序詩として然(しか)るべく小さな活字で組み直された』とある。以下、無題の五篇を三行空けで示した。

「數多」「あまた」。]

 

 

 

今彼等はもうみんな人妻、

子供を持つて夢を失つた。

子供を生むだ、

子供を生むだ、

それから知つてゐる、これ等の門の中で

我々は皆な悲みに髮が白むのを。

 

彼等のものは皆家の中にある。

ただアヹ・マリアの鐘の音だけ

彼等の心になほ或る意味を持つ。

それで疲れながらも戶外へ出る。

 

路々(みちみち)が大きくなり始め、

靑白い花園から冷たい風がふくと、

昔の自分たちの微笑を思ひだす

古歌のやうに……

 

 

 

女王だ、お前らは富むでゐる。

花の咲いてる樹々よりも

歌だけ餘分に富むでゐる。

 

ねえ、あの見知らぬ人は蒼白い。

しかし更に更に蒼白いのは

あの人の好きな夢で、

池の中の薔薇のやうだ。

 

それをお前らは直ぐ感じた、

女王だお前らは、富むでゐる。

 

 

 

波はお前らに默つてはゐなかつた。

お前らも亦た靜ではなく

波のやうに歌つてる。

お前が心に深く思ふことは

諧調になる。

 

お前等の中にその響を生むのは

美の羞恥(はぢらひ)であつたか、

うら若い少女の悲みがそれを眼覺したのか――

誰の爲に。

 

歌は憧れのやうに來た。

そして徐に花聟と一緖に

消えるだらう……

 

[やぶちゃん注:この詩篇は、再版「詩集」では、茅野は、かなり、手を入れている。岩波文庫の校注に従って、以下に全体を示す。

   *

 

波はお前らに默つてはゐなかつた。

お前らも亦た靜ではなく

波のやうに歌つてる。

お前らが心に深く思ふことは

諧調になる。

 

お前らの中にその響を美の羞恥(はぢらひ)が

起こしたのか、

うら若い少女の悲みがそれを眼ざましたのか――

誰の爲に。

 

歌は憧れのやうに來た。

そして徐に花聟とともに

消えるだらう……

 

   *]

 

 

 

少女らは見てゐる、小舟らが

遠くから港に入るのを。

また臆病に寄添ひながら、

白い水の重くなるを眺めてゐる。

氣づかはしさのやうであるのは

夕暮のためしだから。

 

それにこんな歸港もないものだ。

疲れた大海から

舟は黑く大きく空虛(そら)で來る。

船旗一つなびかない。

總べてを何人かが

征服したやうに。

 

[やぶちゃん注:「船旗」「ふなばた」と訓じておく。]

 

 

 

お前ら少女は小舟のやうだ。

時間の岸に

いつも繫がれてゐる――

それ故そんなに蒼白い。

お前らは考へもせず

風に身を任せようと思ふ。

お前らの夢は池だ。

をりをり渚の風がお前らを連れて行つて

鎖は張りつめる、

するとお前等は風を愛する。

 姉妹よ、私らは今白鵠だ、

 黃金の紐で

 童話(めるひえん)の貝殼を曳いてゐる。

 

[やぶちゃん注:「白鵠」恐らく「はくてう」と読んでいると踏んだが(「鵠」は古文和語で「くぐひ」(現在仮名遣「くぐい」)と読み、「白鳥」の古称だからである)、原詩に当たらないと不安であった。ドイツ語が出来ないので、探すのに、かなり苦労したが、“Lieder der Madchen Rilke Märchen”のフーレズ検索で、やっと、ここで、見つけた。そこでは、“Schwäne”(音写「シュヴェーネ」)であった。確かに「白鳥」である。

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