和漢三才圖會卷第八十七 山果類 石榴
ざくろ 安石榴 丹若
金罌
石榴
【本出於西域漢張
鶱使西域得安石
國榴之種以歸故
名安石榴】
本綱石榴木不甚高大枝柯附榦自地便生作叢極昜種
[やぶちゃん注:「榦」は「幹」の異体字。]
折其條盤土中便生也五月開花有黃赤白三色實有甘
酸若三種甘者可食酸者入藥【若者山石榴】子大如盃赤色有
[やぶちゃん字注:「若」は「若い」のそれではなく、「苦」の異体字である。紛らわしいので、訓読文では「苦」とした。]
黑班㸃皮中如蜂窠有黃膜隔之中子如人齒淡紅色亦
有潔白如雪者經霜則自柝裂千房同膜千子如一也單
葉者結實千葉者不結實或亦無子
河陰石榴名三十八者其中子只有三十八子也 有四
季榴四時開花秋月結實實方綻隨復開花 有火石榴
赤色如火 海石榴高一二尺卽結實皆異種也
甘石榴【甘酸溫濇】 多食損人肺損齒令黑
酸石榴【酸溫濇】 治赤白痢腹痛【連子擣汁頓服神効】 治久瀉久
痢治名黑神散【取一箇煆煙盡出火毒一夜研末仍以酸榴一塊𤋎湯服神効無比】
古今醫統云取其直枝大如拇指長尺許栽土中出枝頭
二寸水澆之卽生有叢生者傍枝攀倒他以土壓之來年
生根截分別栽又云截枝用火燒二寸揷入土卽生
藏石榴法連枝摘下用新瓦鑵安排在內用紙十餘重宻
封之又法取未裂者以米泔煑沸煠過數枚逐枚排籃中
勿用相俟挂當風𠙚可經夏
六帖足引の山さくろ咲や峯こしにしかまつ君かいはひ待かも
[やぶちゃん注:この和歌、調べたところ、第三句「峯こしに」は「峯こえし」の誤りであることが判った。訓読文では、訂した。]
△按石榴樹初叢生既長則有大木周二尺餘者凡花色
鮮紅者莫如楉榴者鮮紫者無如燕子花者矣河州河
內郡往生院之石榴大者周過於尺味最佳凡柘榴花
紅者多黃白二種希有之千葉也黃者亦非正黃伹淡
赤帶黃也耳
根【酸石榴東引者佳】 治寸白蚘蟲【水煎五更溫服至明取下虫大團永絕根本食粥補之佳】
石榴皮(せきりうひ)
[やぶちゃん注:以下の二文は、上の小項目の下に二字空けで、二行で記されてあるが、ブラウザの不具合を考え、以下のように引き上げた。]
凡使之勿犯鐵不計乾濕皆以漿
水浸一夜取出用其水如墨汁
[やぶちゃん字注:「犯」は、原本では、「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、通用字で示した。]
止下痢下血脫肚崩漏帶下又治脚肛生瘡【初起如粟搔漸開黃水浸滛痒痛潰爛遂致遶脛而成痼疾者癒】用酸榴皮𤋎湯冷定日日掃之
[やぶちゃん字注:「搔」は、原本では、(つくり)の頭の部分が(はつがしら:「癶」)になっている字体だが、このような異体字はない(敢えて言うなら、「グリフウィキ」のこれに近い)ので、通用字にした。]
△按布帛黑茶染法下用藍染其上用石榴皮五倍子二
味煎汁染漬砥水一宿成
*
ざくろ 安石榴《あんせきりう》
丹若《たんじやく》
金罌《きんあう》
石榴
【本《もと》は、西域に出づ。漢の
張鶱《ちやうけん》西域に使《つ
か》ひして、安石國《あんせきこ
く》の「榴《りう》」の種《たね》
を得《え》、以つて、歸る。故、
「安石榴《あんせきりう》」と名づ
く。】
[やぶちゃん注:「張鶱」(?~紀元前一一四年)は前漢の軍人・外交官。本貫は漢中郡城固県。小学館「日本国語大辞典」に、『武帝の時、匈奴を牽制するため』、紀元前一三九年頃、『大月氏と同盟を結ぼうと出発』、『同盟は不成立だったが、大宛、大月氏、大夏などをまわり、のちに烏孫にも使』い『して、西域への交通路と知識を中国にもたらした。また、その間、匈奴征伐に従って功をたて、博望侯に封ぜられた』(その翌年に没した)とある。当該ウィキが詳しい。]
「本綱」に曰はく、『石榴《せきりう》≪の≫木、甚だ≪しくは≫、高大ならず。枝-柯《えだ》、榦《みき》に附《つき》、地より、便《すなは》ち生ず。叢《むら》を作《なす》。極《きはめ》て、種ゑ昜《やす》し。其の條《えだ》を折《をり》て、≪又、折らずに≫土中へ盤《まげて》≪揷し入れても≫、便ち、生ずるなり。五月、花を開≪き≫、黃・赤・白、三色、有り。實≪にも≫、甘・酸・苦の三種、有り。甘≪き≫者は、食ふべし。酸《すぱ》き者は、藥に入《いるる》【苦き者は、「山石榴《さんせきりう/やまざくろ》」なり。】。子《み》の大いさ、盃《さかづき》のごとくして、赤色≪に≫黑《くろき》班㸃、有り。皮の中、蜂の窠《す》のごとく、黃≪なる≫膜《まく》、有り、之れを隔《へだ》つ。中《なか》の子《さね》は人の齒のごとくして、淡紅色。亦、潔白にして、雪のごとき者、有り。霜を經《へ》≪れば≫、自《おのづか》ら、柝-裂《さけ、さく》る。千房《すべてのふさ》、同≪じき≫膜≪に有り≫、千子《すべてのさね》、一《ひとつ》のごときなり。單葉《ひとへ》の者、實を結ぶ。千葉《やへ》の者、實を結ばず、或いは亦、≪實を結びても、≫子《さね》、無し。』≪と≫。
[やぶちゃん注:以下、「異種」とするものが列挙されるので、各個改行した。引用の「と」は五月蠅いので附さなかった。]
『河陰《かいん》[やぶちゃん注:黄河の南。また、現在の河南省洛陽市附近(グーグル・マップ・データ)。]の石榴、「三十八《さんじふはち》」と名づくは、其の中≪の≫子《さね》、只《ただ》、三十八の子、有り《✕→れば》なり。』。
『「四季榴《しきりう》」、有り。四時、花を開く。秋月、實を結ぶ。實、方《まさ》に、綻(ほころ)びて、《其れに》隨《したがひ》て、復た、花を開く。』。
『「火石榴《くわせきりう》」、有り。赤色にして、火のごとし。』。
『「海石榴《かいせきりう》」、≪有りて、≫高さ、一、二尺。卽《すなはち》、實を結ぶ。』。
≪以上は≫『皆、異種なり。』≪と≫。
『甘石榴(あま《ざくろ》)【甘酸、溫、濇《しぶし》。】』、『多食≪すれば≫、人の肺を損ず。≪又、≫齒を損じて、黑からしむ。』≪と≫。
『酸石榴《さんせきりう》【酸、溫、濇《しぶし》。】』、『赤白痢《せきはくり》・腹痛を治す【子《さね》も連《つら》ねて[やぶちゃん注:実と一緒にして。]、擣《つ》き、汁となして、頓服《とんぷく》とす。神効あり。】。』。『久瀉《きうしや》・久痢《きうり》を治す。「黑神散《こくしんさん》」と名づく【≪實≫一箇を取り、煆《やき》て、煙《けぶら》≪せ≫盡《つくし》、火《くわ》の毒を出《いだ》すこと一夜、研《けん》し、末《まつ》と《成し》、仍《よ》つて、≪別に、又、≫酸≪石≫榴一塊を以つて、《共に》湯にて𤋎《せん》じ、服す。神効、比ぶるもの無し。】。』≪と≫。
[やぶちゃん注:「赤白痢」東洋文庫訳の後注に、『湿熱の毒のため腸内に気が滞り、また腸絡が傷つけられ、白い粘液質や血膿のまじった下痢をする症。』とある。「頓服」定期的に内服するのではなく、症状に応じて自在に服用すること。「久瀉・久痢」慢性化した吐瀉と下痢。]
「古今醫統」に云はく、『其の直《すぐなる》枝、大《✕→太《ふ》》とさ、拇指《おやゆび》のごときなるを、長さ、尺許《ばかり》、取《とり》て、土の中に栽う。枝の頭、二寸、出《いだす》。水に《✕→を》、之れに澆《そそ》げば、卽ち、生ず。叢生《さうせい》の者、有≪れば≫、傍《かたはら》≪の≫枝を攀(よ)ぢて[やぶちゃん注:強く引っ張って捩(ね)じ曲げ。]、他《✕→地》に倒《たふし》、土《つち》を以つて、之れを、壓《おさへ》≪覆(おほ)ふ≫。來年、根を生《しやうず》。≪其れを≫、截《き》り分《け》て、別に、栽ふ[やぶちゃん注:ママ。]。又、云ふ、枝を截り、火を用《もちひて》、燒≪こと≫二寸、土に揷-入《さしい》れば、卽ち、生《しやうず》。』≪と≫。
[やぶちゃん注:以上の「✕」で変更したもののうち、確実に原漢籍からの引用を誤っているのは、「地」である。「中醫笈成」の「古今醫統大全」の電子化の、「花木類第二」の「石榴」を見よ。]
『石榴を藏(たば)ふ法[やぶちゃん注:「たばふ」は「庇ふ・貯ふ」等の漢字表記もあり、第一義が「大切にしまって置く・貯える」である。]。枝を連ねて、摘(むし)り下《おろ》し、新しき瓦-鑵《かめ》を用ひて、安-排(ならべ)て、內《うち》に在《あ》らしめて、紙を用ひて、十餘、重《かさねて》、宻《みつ》に、之れを封ず。又≪の≫法。未だ裂けざる者を取≪り≫、米≪の≫泔《ゆする》[やぶちゃん注:米の研ぎ汁。]を以つて、煑沸《しやふつ》し、煠《ゆで》過《すぐ》して、數枚《すまい》≪づつ≫、枚《まい》を逐《つづけ》[やぶちゃん注:返り点はないが、ここは明らかに、「一枚ずつ、順次、整然と」(=「逐」)」の意であるので、返って読んだ。]、籃《かご》の中に排《なら》≪ぶるなり≫。用て《✕→ふるに》、相《あひ》俟《うつ》こと、勿《なか》れ[やぶちゃん注:並べたそれぞれが、決して触れ合ってはいけない。]。風に當《あたる》𠙚に挂《か》けて、夏を經《ふる》べし。』≪と≫。
「六帖」
足引《あしびき》の
山ざくろ咲《さく》や
峯《みね》ごえし
しかまつ君が
いはひ待《まつ》かも
[やぶちゃん注:「六帖」は、平安中期に成立した類題和歌集「古今和歌六帖」のこと。全六巻。編者・成立年ともに未詳。「万葉集」・「古今集」・「後撰集」などの歌約四千五百首を、歳時・天象・地儀・人事・動植物などの二十五項・五百十六題に分類したもの。「第六 木」に所収する。]
△按ずるに、石-榴《ざくろ》の樹、初《はじめ》は、叢生して、既に長ずる時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則《すなはち》、大木≪となり≫、周《めぐ》り二尺餘の者、有り。凡そ、花の色、鮮≪かな≫紅《くれなゐ》なる者、楉-榴《ざくろ》[やぶちゃん注:「石榴」「柘榴」の日中共通の別漢字。]のごときなる者は莫《な》く、鮮≪かな≫紫の者は、燕-子《かきつばた》の花の者のごとくなる者、無し。河州《かしう》河內郡往生院《わうじやうゐん》の石榴、大なる者、周り、尺に過ぐ。味、最≪も≫佳《よ》し、凡そ、柘榴の花、紅なる者、多≪く≫、黃《わう》・白《はく》の二種は、希《ま》れに之れ、有り。千葉《やへ》なり。「黃《き》なる者」≪と云へども≫、亦、正黃《せいかう》に非ず、伹《ただ》、淡《あはき》赤に、黃《き》を帶ぶる耳(のみ)。
根【酸。石榴の東に引く者、佳《よ》し。】 寸白《すばく》・蚘蟲《くわいちゆう》[やぶちゃん注:この辺りは、注のウィキの「ザクロ」の引用に挟み込んだ私の二つの記事を参照されたい。]を治す【水に煎じて、五更[やぶちゃん注:午前三時から五時。暁。]に、溫め、服す。明けに至りて、下せる虫の大きなる團《かたまり》を取れば、永く、根本を絕《た》てり。《後(あと)には》粥を食し、之れを補へば、佳し。】
石榴皮(せきりうひ)
[やぶちゃん注:以下の二文は、上の小項目の下に二字空けで、二行で記されてあるが、ブラウザの不具合を考え、以下のように引き上げた。]
凡そ、之れを使ふに、鐵《てつ》を犯《おか》≪す≫勿《なか》れ。乾・濕に計《かかは》らず、皆、漿水《しやうすい》を以つて浸《ひた》し、一夜にして、取≪り≫出《いだ》し、用《もち》ふ。其の水、墨の汁のごとし。
[やぶちゃん字注:「犯」は、原本では、「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、通用字で示した。]
下痢・下血・脫肛・崩漏《はうらう》[やぶちゃん注:子宮の不正出血。]・帶下《こしけ》を止む。又、脚・肚《はら》≪に≫瘡《かさ》を生≪ずるを≫治す【初め、起こるに、粟《あは》のごとく、搔《か》けば、漸《ぜんぜん》に開き、黃≪なる≫水、浸《しみい》で、滛《あふ》れ、痒く、痛く、潰れ、爛《ただ》れ、遂に、脛《はぎ》を遶《めぐ》るに致りて、痼疾《こしつ》と成る者を癒やす。】。「酸榴皮《さんりうひ》」の𤋎《せん》≪じ≫湯を用《もちひ》て、冷《さま》し定め、日日《ひにひに》、之れ≪を以つて≫、掃《はらふ》[やぶちゃん注:患部を綺麗に拭う。]。
△按ずるに、布帛《ふはく》、黑茶に染≪むる≫法≪は≫、下《した》[やぶちゃん注:下地。]を、藍を用《もちひ》て染《そめ》、其の上を、「石榴皮《せきりうひ》」・「五倍子《ふし》」≪の≫二味《にみ》の煎汁《せんじじる》を用て、染≪め≫、砥水(とみづ)に漬《つけ》て、一宿《いつしゆく》にして、成る。[やぶちゃん注:「漿水」東洋文庫訳の後注に、『炊いた熱い粟米を冷水中に五、六日つける。すると酢味となる。この水を漿水という。はやす。』とある。]
[やぶちゃん注:本項では、異名漢字表記が、複数、登場するが、日中のタイプ種は、
双子葉植物綱フトモモ(蒲桃)目Myrtalesミソハギ(禊萩)科Lythraceaeザクロ属ザクロ Punica granatum
である。なお、ザクロ属には二種あるが、今一つの種、
ザクロ属ソコトラザクロ Punica protopunica
は、東アフリカ沖のソコトラ島(英語:Socotra:イエメンのソコトラ県に属するインド洋上の島)に自然自生する原始的なザクロの一種にして同島のみの固有種である。その果実は、ザクロより小さく、種子は苦く、刺激性があり、舌に痛みを引き起こすとされ、未熟な果実の皮は非常に酸っぱく、人間の食用にはならない(以上は英文の同種のウィキの記載を参照した)。
本邦のウィキの「ザクロ」を引く(注記号はカットした。今回は、樹も果実も私が大好きな種なので、不要と思われる箇所除き、かなりしっかり引用する。下線は私が附した)。本邦の漢字表記は『石榴・柘榴・若榴』・楉榴。中文では「安石榴」もよく使われる。「維基百科」の「石榴」を参照されたい。『英名:pomegranate』(音写「パムグラァナト」)。『落葉小高木、また、その果実のこと。庭木などの観賞用に栽培される。最も古くから栽培された果樹の一つで、果実は食用になる』。『Koehne (1881, 1903) は、下位に卵形の果実をつける』三『属、ザクロ属・ハマザクロ属 Sonneratia ・ドゥアバンガ属 Duabanga をミソハギ科と区別し、それぞれ単型科とした。すなわち、ザクロ属は単型のザクロ科 Punicaceae とした。しかし Johnson and Briggs (1984) などにより、それらが系統的にミソハギ科に含まれることが明らかになった』(このため、シノニムが多い)。『ザクロは果実の色などから』、二『つの亜種に分けられる』。
ザクロ亜種 Punica granatum subsp. chlorocarpa(和名はない。南コーカサス(アゼルバイジャン・アルメニア・ジョージアの三国の総称)産)
ザクロ亜種Punica granatum subsp. porphyrocarpa(和名はない。中央アジア産)
また、栽培品種として、
品種ヒメザクロ(姫石榴) Punica granatum 'Nana'(「矮性変種」とする記載もある)
がある。実際には、世界的には、栽培品種が多くあることが、以下に記されてある。『高さは』五~十二『メートルになる。木の寿命は』長く、二百『年ほどである。樹皮は灰褐色から褐色で、生長するとともに黒っぽくなって、細かく鱗片状に剥がれる。一年枝は』四『稜があり、短枝の先は』、『とげ状になる。葉は対生で楕円形から長楕円形で、深緑色をしており、なめらかで光沢がある』。『花期は初夏』(六月)。『漏斗状の硬い萼から、赤朱色の花弁を出して花をつける。花は子房下位で、萼と花弁は』六『枚、雄蕊は多数ある。花弁は薄くて』、『しわがある』。『果期は秋』(九~十月)で、『果実は花托の発達したもので、球状を呈する。果実の色はさまざまで、桃色がかった黄色から光沢のあるバラ色や葡萄色、茶色まである。大きさは直径』六~十『センチメートル』、『重さは』百~三百『グラム』『ほどある。果皮は厚く、秋に熟すと赤く硬い外皮が不規則に裂け、スポンジ状の薄膜の中に赤く透明な多汁性の果肉(仮種皮)の粒が数百個現れる。果肉』一『粒ずつの中心に種子が存在する』。『冬芽は対生し、芽鱗は』四~六『枚ある。冬芽は小さく、枝先の仮頂芽はあまり発達しない。落葉後の葉痕は、半円形で維管束痕は』一『個ある』。『ザクロには多くの品種や変種があり、一般的な赤身ザクロのほか、白い水晶ザクロや果肉が黒いザクロなどがあり、アメリカ合衆国ではワンダフル、ルビーレッドなど、中国では水晶石榴、剛石榴、大紅石榴などの品種が多く栽培されている』とある。ここで、「維基百科」の「石榴」を見ると、「品種」として、
◎突尼斯軟籽石榴(チュニジア共和国原産。一九八六年に同品種の苗木六本が中国に送られ、栽培化されて中国大陸各地に植えられている、とある)
◎黃里石榴(安徽省淮北市象山区の本品種は二千年以上の歴史があり、明代の嘉靖(一五二二年~一五六六年)時代の大夫であった吳夢騫の記した「隋年」に『黃里石榴は、容貌、美にして、氣・味、芬芳(ふんはう)として、粒、大きく、柔らかく、汁、甘くし、濃やか……』書いている。清代には宮廷への貢物とされ、国内でも珍しい果物の一つであった。 一九五八 年、安徽省林業局により、省内で「最高のザクロ」と認定され、二〇〇一 年から 二〇一一年にかけて、全国の主要なザクロ生産地で、本種は「高品質の佳品」として繰り返し、評価されている。「二〇〇七年中国安徽省優農産物交易会」に於いて、省・市の指導者及び農業専門家から好評を博した。黄色い種子を持つ本種は、脾胃を健やかにし、津(しん:漢方で体液を指す)を活性し、消化を促し、咳を止め、痰を鎮め、カルシウムを補給する働きがあり、消化を助ける良い果物である。明と清の時代には 二千エーカー(東京ドーム京ドーム約百七十四個分)以上の石榴園があり、長年の改善と拡大を経て、現在の植栽規模は一万エーカー(四十・四七平方キロメートル=千二百二十四万坪=東京ドーム八百六十五個分)に達した。主な品種には、「黃里軟籽一號」・同「二號」・「冰糖籽」・「瑪瑙籽」・「青皮糙」・「珍珠紅」等、数十種類の品種がある、とある)
◎懷遠石榴(安徽省淮源県産のザクロ品種「白花翡翠種子」は、柔らかい芯、高い甘み、白い花、薄緑色の果実、明るい翡翠のような種子で知られる、とある)
本邦ウィキの引用に戻る。『日本に輸入されて店頭にしばしば並ぶのは、イラン産やカリフォルニア州産が多く、輸入品は日本産の果実より大きい』。
以下、「分布・生育地」の項。『主に西南アジアや中東の原産といわれるが、原産地については諸説あり、トルコあるいはイランから北インドのヒマラヤ山地にいたる西南アジアとする説、南ヨーロッパ原産とする説』、及び、『カルタゴなど北アフリカ原産とする説などがある』。『世界各地で栽培されており、トルコから中東にかけては特にポピュラーである。原産地は乾燥した丘陵地であることから、今日の栽培品種も日中の暑さと』、『夜間の涼しさを好む。日本における植栽範囲は東北地方南部から沖縄までである。日当たりが良い場所を好む。増やし方には、挿し木、取り木、種まきがある。若木は、果実がつくまでに』十『年程度を要する場合もある。病虫害には強いが、カイガラムシ』(半翅(カメムシ)目同翅(ヨコバイ)亜目カイガラムシ上科 Coccoidea)『がつくと』、『スス病』(サイト「For your LIFE」のこちらに詳しい)『を併発する場合がある』。
以下、「歴史」の項。『ザクロは古代から栽培され、イラン付近の原産地から中国やヨーロッパへと広まったといわれる。祖先植物は、数千年前にイランとインド北部の間の乾燥した丘陵地に自生していた木とされる。新王国時代にエジプトに伝わり、ギリシア時代にはヨーロッパに広く伝わったとされる。ザクロは、古代エジプトや古代ギリシャの文書、旧約聖書、バビロニア・タルムード、コーランにも頻繁に登場する。東方への伝来は、前漢の武帝の命を受けた張騫が西域から帰国した際に、パルティアからザクロ(安石榴あるいは塗林)を持ち帰ったとする記述が』、「証類本草」(一〇九一年~一〇九三年:但し、平凡社「世界大百科事典」によれば、本来は北宋末の一〇九〇年頃、成都の医師唐慎微が「嘉祐本草」と「圖經本草」を合はせ、それに約六百六十種の薬と、多くの医書・本草書からの引用文を加えて作った「經史証類備急本草」の通称であるものの、「証類本草」の語は、未刊のまま終わったらしい唐慎微の書に、一一〇八年に艾晟(がいせい)がそれに多少の手を加えたものの刊本である「大觀本草」と、さらに一一一六年に曹孝忠らがそれを校正して刊行した「政和本草」を加えた、内容的に、殆んど同一の三書の総称として用いられることの方が多い。千七百四十余の薬物について記載した書で、前代の書の内容をそのまま伝えているということもあって、宋以前の薬物を研究する時には欠くことの出来ないものである、とあった)『以降の書物に見られるため、紀元前』二『世紀の伝来であるとの説があるが、今日では』三『世紀頃の伝来であると考えられている。日本には平安時代に渡ったとされ』、延長元(九二三)年『に中国から渡来した(』九『世紀の伝来説、朝鮮半島経由の伝来説もある)』。
以下、「人間との関わり」の項。『属名の Punica は「フェニキアの」を意味する Poeni に由来する。これは古代ローマの博物学者プリニウスが』「博物誌」『を著した当時、ザクロは「カルタゴのマルス」』( mālus pūnica )『としてカルタゴ周辺が原産地と考えていたためである。種小名の granatum は「種の」や「粒の」を意味し、英名の pomegranate(粒の多いリンゴ)は中世ラテン語の pōmum grānātum、pōma grānāta(種の多いリンゴ)に由来する』。『中国語名の「石榴」および「安石榴」は、パルティアの王朝アルサケス(アルシャク:Arshak)を張騫が「安石」や「安息」と音訳したものであり、パルティアを意味する「安息国」に由来する。また、塗林と呼称した時代もあるが、これはサンスクリットでザクロを意味する darim、darima の音訳である。「榴」は実が瘤に似ていることに由来するという』。『日本語の「ザクロ」は、石榴、柘榴の字音からと考えられており、呉音では「ジャク・ル」、漢音では「セキ・リュウ」となる』。「本草和名」(ほんぞうわみょう:醍醐天皇に侍医・権医博士として仕えた深根輔仁(ふかねのすけひと:生没年未詳)により、延喜一八(九一八)年に編纂された本草書で、唐の「新修本草」を範に取り、その他、漢籍医学・薬学書に書かれた薬物に倭名を当てはめ、日本での産出の有無及び産地を記した、日本現存最古の薬物辞典である)『では「安石榴、別名 塗林・若榴、和名 佐久呂」とされている。また、古代イランと中国の文化交流を研究したベルトルト・ラウファー』(Berthold Laufer:一八七四年~一九三四年:ドイツ生まれのアメリカの人類学者・東洋学者)『は、若榴の中国語読みの「zak-lau」に由来するとの説を唱えている。また、有力な原産地のひとつと考えられるティグリス川およびペルシア湾の東方にそれに平行してザグロス山脈がある。ザクロの呼称は、ザグロス山脈を現地音に近い「石榴」の字で音訳したともいわれている』。
以下、「観賞用」の項。『花木として愛でられ、果実が熟して割れる美しさが好まれる。日本では庭木や盆栽など観賞用に栽培されることが多く、矮性のヒメザクロ(鉢植えにできる)や八重咲きなど多くの栽培品種がある。ただし、果実が結実するのは一重の花である。江戸時代の園芸書である』「花壇地錦抄」(かだんじきんしょう:伊藤伊兵衛著・元禄八(一六九五)年刊。本「和漢三才圖會」の成立は正徳二(一七一二)年である)『などに記載の見られる古典園芸植物のひとつでもある。縁起のよい木として昔から庭に植えられ、熟した果実に多数の赤い種子が入っていることから、子孫繁栄の意味をもち、世界的にも子宝のシンボルとされる』。
以下、「食用」の項。『食材としての旬の時期は』九~十一『月ごろで、果実の皮の赤色が濃くて割れていないものが市場価値のある良品とされる。可食部は果実の中にある赤い粒(種子)の多汁な外種皮で覆っている種衣の部分で、生食される。汁気の多い肉質種皮の味は甘酸っぱく、かすかに渋みがある』。『ザクロは地中海西岸から中東のイラン、南アジアにかけての広い地域で親しまれており、日本では米国カリフォルニア産の輸入品が多い。生で食べるだけでなく』、『加工にも適しており、果汁をジュースとしたり』、『清涼飲料水のグレナディンの原料とするほか』、『料理などに用いられる。ザクロ文化を大切にするイランでは、さまざまな品種のザクロジュースが専門の屋台で売られている』。『ザクロの可食部に含まれる栄養』『成分は』『カリウムが比較的多く含まれるほか、抗酸化作用があるアントシアニンなどのポリフェノール類が含まれていて、肌を美しく保ったり』、『生活習慣病予防によいといわれている』。『また、煮詰めた果汁は褐色の糖蜜となり、イランなどで調味料として使用され、鶏肉とクルミのシチュー「ホレシュテ・フェセンジャン」を作る』。以下、「薬用」の項。『ザクロは健康に良いとされ、古くから下痢や赤痢の治療や虫下しに利用されている』(☜本文にも詳細な記載がある☞)。『果皮、根皮ともに駆虫作用があり、細菌性、アメーバ性腸炎の下痢、条虫や回虫』(「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蚘(ひとのむし)」を参照されたい)『の虫下しに用いる。果皮には止血作用があり、性器出血や脱肛に用いる。ただし根皮、樹皮には毒性があり、めまいや震えなどの副作用が起こるため』、『最近は使用されない。口内炎や虫歯などには果皮の煎液でうがいする』。『なお、以下の利用方法・治療方法は特記しない場合、過去の歴史的な治療法であり、科学的に効果が証明されたものであることを示すものではない』。『乾燥させた樹皮または根皮は、生薬名として「石榴皮」(ザクロヒまたはセキリュウヒ:Granati Cortex)または「石榴根皮」(セキリュウコンピ)といい、古くから条虫(特に有鉤条虫)』(「生物學講話 丘淺次郞 四 寄生と共棲 四 成功の近道~(1)」の私の注を参照されたい)『の駆虫薬として用いられてきた。ディオスコリデス』(ラテン語転写:Pedanius Dioscorides 四〇年頃~九〇年)ローマ帝国期のギリシア語著述家で、医者・薬理学者・植物学者)『の』「薬物誌」(全五巻。百年後の紀元二世紀の終わりには、ローマ世界に広く浸透した名著である。彼のウィキに詳しい)『でも樹皮が駆虫薬として用いられている記述が見られる。近代になり』、一八八四年、『Schröder』(調べたが、人物不詳。以下、面倒なので、人物名だけのものは調べるのをやめた)『によって駆虫薬としての有効性が科学的に証明され、過去にはイギリスやアメリカ合衆国の薬局方にも収載されていた。日本薬局方には初版より「石榴根皮」として収載され(後にザクロヒ)、第』七『改正まで収載されていた』(以下、石榴皮の主成分が載るが、カットした)。『通常、駆虫には乾燥させた樹皮または根皮』を用いるが、『多量に服用すると』、『中毒を起こす場合がある』。『また』、(☞)「和漢三才圖會」『では下痢、下血、脱肛、崩漏、帯下を止めるのに用いるとの記述がある。さらに、口内炎や扁桃炎のうがい薬にも用いられたという』。『漢方薬としては、石榴根皮、苦楝皮(クレンピ)、檳榔子からなる「石榴根湯」(せきりゅうこんとう)があり、駆虫に用いられる』。『果皮を乾燥させたもの(石榴果皮:せきりゅうかひ)も樹皮や根皮と同様の目的で用いられることが多く、中国やヨーロッパでは駆虫薬として用いた。ただし、根皮に比べ揮発性アルカロイドの含有量は低く効果も劣る。また、回虫の駆除に用いられたこともあった』が、『犬回虫を用いた実験では強い活性はみられなかった』。『日本や中国では、下痢、下血に対して果皮の煎剤を内服し、口内炎や扁桃炎のうがい薬にも用いられた。プリニウスは、果皮を利尿に用いるとしている。熱がある人には服用は禁忌とされる』。『粉末にした花(石榴花)は、出血性の傷に用いられた』。種子は、一九六四年『Sharaf らが種子油(酸石榴)にエストロゲン』(ドイツ語:Estrogene:所謂、「女性ホルモン」である)『活性があることをマウスを用いた実験で見出し』、一九六六年、『 Hefumann らによってこの活性がエストロンによることが示され、乾燥種子』百グラム『中に』一ミリグラム『のエストロンが含まれることが』、一九八八年、『Moneam らによって報告され、更年期障害や乳癌などに対する効果が期待されたが、エストロンの含有量が微量であること、経口摂取ではエストロンは肝臓で速やかに代謝されること、また、エストロンの生理活性はエストラジオールの』十分の一『程度であることなどから実質的な効果は疑問視されている』。『果汁にエストロゲンが含まれるとして』一九九九『年から』二〇〇〇『年頃にブームとなったが、流通しているザクロジュースやエキス錠剤等』十『銘柄を用いた国民生活センターの分析では、いずれもエストロゲンは検出されなかった』。
以下、「その他の利用」の項。まず、冒頭は「石榴口(ざくろぐち)つき銭湯」について。『ザクロの実は、銅鏡の曇りを防止するために磨く材料として用いられた。江戸時代の銭湯は湯船の熱気を逃さないよう、背の低い出入口を設けていた。この出入口は「石榴口」と呼ばれていたが、これは「屈み入る」と「鏡鋳る」(鏡を磨くこと)とを掛けたものともいう』。『古代ローマでは、ザクロの果皮は皮革をなめすのに用いられた』。『木質は硬く、床柱や装飾用の柱に用いられる』。
以下、「文化」の項(私にとって興味深いものに限った)。『初夏に鮮紅色の花を咲かせ、他の樹木が緑の中で目立つため』、『中国の詩人王安石は』、『萬綠叢中紅一點』(「咏石榴詩」。但し、詩の全篇は残っていない)『と詩に詠んだ』。『日本の一部の地域では、凶事を招くとして忌み嫌われる場合もあるが、種子が多いことから豊穣や子宝に恵まれる吉木とされる国や地域が多い。トルコでは、新婚のとき新郎がザクロを地面に投げて割り、飛散した種子の数で、その夫婦のあいだに生まれる子どもの数を占った』。『古代ローマでは、婚姻と財富を象徴する女神ジュノーの好物とされていた』。『色が似ている』宝石の『ガーネット』(garnet)『を柘榴石と呼』ぶが、これは『中世ラテン語の grānātum(種の多い)に由来する』。『スペインのグラナダ(Granada)の地名は、ザクロの木が多く植えられていたことに由来する。スペインの国章の下部のザクロも過去のグラナダ王国を表』わす。『火薬と金属破片を内蔵し、爆発とともに破片を散らして敵を殺傷する爆弾の事を榴弾』「グレネード」『(英語:Grenade)と呼』ぶが、『この語はザクロに由来する(和訳も同じ)。球形の弾体が裂けて破片をこぼす様をザクロに見立てている』。
以下、「神話」の項。『ギリシャでは、新年に玄関前でザクロを床や玄関に叩きつけ、その年の幸運と繁栄を祈る風習がある』。『エジプト神話では、戦場で敵を皆殺しにするセクメトに対し、太陽神ラーは』七千『の水差しにザクロの果汁で魔法の薬を作った。セクメトはこれを血と思い込んで飲み、酩酊して殺戮を止めたという』。『ギリシア神話の女神ペルセポネーは、冥王ハーデースに攫われ』、六『つのザクロを口にしたことで』、六ヶ『月間を冥界で過』ご『すこととなり、母』『デーメーテール』が、『その期間』、『嘆き悲しむことで冬となり、穀物が全く育たなかったが、ペルセポネーが戻ると』、『花が咲き、木々には実がついたという。このため、多産と豊穣の象徴とされている』。『ローマ神話では、地上の女神プロセルピナと冥界の神プルトンとの結婚の逸話にザクロが登場する。プロセルピナの父、太陽神ユピテルは、プロセルピナをプルトンの妻に決めた。ユピテルの妻で豊穣の女神であるケレースは』、『それが気に入らず、地上に降りてしまう。プロセルピナも悲しみのあまり』、『食べ物を口にしなくなった。困惑したユピテルは、プルトンに』「結婚を諦めてくれ。」『と頼んだ。しかし、プルトンは一計を案じ、プロセルピナにザクロを一粒食べさせることができた。そして、結婚に成功。プロセルピナは』一『年の半分をオリュンポスで、残りの半分を冥界で暮らさなければならなくなった。ざくろは、「地獄の果実」とも呼ばれている』。
以下、「宗教」の項。『キリスト教では「聖母子像」でイエスがザクロを持っている図像もあり、後のキリストの受難を表』わす。『ユダヤ教では、虫がつかない唯一の果物として神殿の至聖所』(しせいじょ)『に持ち込むことを許された』。『釈迦が、子供を食う鬼神「可梨帝母」』(かりていも)『に柘榴の実を与え、人肉を食べないように約束させた。以後、可梨帝母は鬼子母神として子育ての神になった。柘榴が人肉の味に似ているという俗説も、この伝説より生まれた』とある。
「本草綱目」の引用は、「卷三十」の「果之二」の「安石榴」の項(「漢籍リポジトリ」のここの[075-24a]以降)のパッチワークである。
「山石榴《さんせきりう/やまざくろ》」これは、ザクロ類とは、全く異なる、
リンドウ(竜胆)目アカネ(茜)科クチナシ(梔子・山梔子)連ハリザクロ(針石榴)Catunaregam spinosa
である。「跡見群芳譜」の「野草譜」の「あかね(茜)」によれば、『臺灣・兩廣・雲南・インドシナ・マラヤ・インド・スリランカ・パキスタン産』とある。別名「ハリクチナシ」・「サボンノキ」。ウィキの「アカネ科」によれば、ハリザクロ属は『熱帯および南部アフリカ、熱帯および亜熱帯アフリカに』十四『種が分布』するとある。東洋文庫訳は、この事実(ザクロと無縁なこと)を全く注していない。
『河陰《かいん》の石榴』「拼音百科」の「河阴石榴」(「阴」は「陰」の簡体字)を見るに、ザクロの古名である。この「三十八の子、有ればなり。」の話も、そこに載っている。
『「四季榴《しきりう》」樹木名としては、中文サイトには見当たらない。
『「火石榴《くわせきりう》」、有り。赤色にして、火のごとし。』「百度百科」に「火石榴」があるが、例によって学名はない。しかし、花の画像を見た瞬間に、私は、これは、ヒメザクロ(姫石榴) Punica granatum 'Nana' 或いは、ごく近縁の種であると直感したのであった。グーグル画像検索「Punica granatum 'Nana'」をリンクさせておくので、見比べて見られたい。
『「海石榴《かいせきりう》」これは、少なくとも、現在の中国では、ザクロ Punica granatum の別名である。多くの近世までの日中の本草学者は、漢字表記の異なるものを、別種としてしまう古い博物学の轍を踏むことが多い。なお、現行のツバキの漢字と同じだからと言っても、ツバキとザクロを見間違える者は、素人衆にも、おらんでショウ!
「甘石榴(あま《ざくろ》)」これも、ザクロ Punica granatum の別名と思われる。「百度百科」に「金罂」(=「金罌」)があるが、これは、ザクロの別名であることが記され、そこの「主要価値」の項に、甘いタイプの果実の効能を記して、『甘石榴:咽喉燥渴,杀虫。』とあるからである。
「酸石榴《さんせきりう》」これも、前掲の「百度百科」に「金罂」(=「金罌」)の、同じく「主要価値」の項に、酸っぱいタイプの果実の効能を記して、『酸石榴』の「1」に、『肠滑久痢。有石榴一个,煅烟尽,出火毒一夜,研为末,以酸榴一块煎汤送下,神效无比。此方名:“黑神散”。』2に、『久泻不止。治方同上。』、3に、『小便不禁。用酸石榴烧存性,无石榴时,可用枝烧灰代替。每服二钱,用柏白皮切、焙四钱,煎激发一碗,加入榴灰再煎至八成,空心温服。晚上再服一次。』とあるのは、実に、良安が引用した「本草綱目」の以下の内容と、全く以ってクリソツなのである。
「古今醫統」複数回、既出既注。
「河州《かしう》河內郡往生院《わうじやうゐん》」現在の大阪府東大阪市六万寺町(ろくまんじちょう)にある臨済宗岩瀧山往生院(グーグル・マップ・データ)。但し、驚愕的な興亡(特に近代のそれは凄絶!)を持つ寺院で(当該ウィキを見られたい)、戦後にやっと復興されており、当然、往年のザクロの木は、ない。
「五倍子《ふし》」白膠木(ぬるで:ムクロジ目ウルシ科ヌルデ属ヌルデ変種ヌルデ Rhus javanica var. chinensis の虫癭(ちゅうえい)。当該ウィキに、『葉にできた虫』癭『を五倍子(ごばいし/ふし)という。お歯黒の材料にしたり、材は細工物や護摩を焚くのに使われる』とある。グーグル画像検索「ヌルデの虫癭」をリンクしておく。]
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