和漢三才圖會卷第八十七 山果類 包橘
たちはな 太知波奈
包橘
本綱載宋韓彥直橘譜云橘有十四品之內包橘外薄內
盈其脉瓣隔皮可數
△按太知波奈者橘類之總名而今稱之者乃包橘也其
樹葉花無異于𮔉柑其實皮薄小而似金柑之大者瓣
形自脹于外可數恐田道閒守所得來橘此矣於今歳
始嘉祝必用之果也又甘美而盛所用之橘乃𮔉柑也
凡包橘葉似金橘葉而畧柔也因葉異品見于後
𮔉柑 金柑 柚 乳柑 橙
葉品 包橘
*
たちばな 太知波奈
包橘
「本綱」に曰はく、宋の韓彥直《かんげんちよく》が「橘譜」を載《のせ》て、云はく、『橘、十四品、有り。之《この》內《うち》、「包橘《はうきつ》」≪は≫、外、薄≪く≫、內、盈《みてり》。其の脉《すぢ》・瓣《なかご》[やぶちゃん注:この場合は、蜜柑類の果肉の部分全体を指す。]、皮を隔《はなれ》て、數《かぞ》ふべし[やぶちゃん注:数えることが出来る。]。』≪と≫。
△按ずるに、「太知波奈」は、橘類《きつるゐ》の總名にして、今、之れを稱(なの)る者は、乃《すなはち》、「包橘《はうきつ/たちばな》」なり。其の樹・葉・花、𮔉柑に異なること、無く、其の實・皮、薄く小≪に≫して、「金柑」の大なる者に似たり。瓣《なかご》の形、自《おのづか》ら外に脹《ふく》れて、數へつべし。恐らくは、田道閒守(たぢのまもり)、得て來《きた》る所の橘(たちばな)、此《これ》ならん。今に於いて、歳始《としはじめ》の嘉祝に、必ず、之れを用《もちひ》る果《くわ》なり。又、甘美にして、盛んに用る所の橘、乃《すなはち》、𮔉柑(みかん)なり。凡《およそ》、包橘の葉、「金橘(きんかん)」に似て、葉、畧(ちと)、柔かなり。因《より》て、葉の異品、後《あと》に見る。
𮔉柑(みかん) 金柑 柚(ゆ) 乳柑(くねんぼ) 橙(だいだい)
葉品(はのしなじな) 包橘《たちばな》
[やぶちゃん注:よく判らないが、日本固有種である、永らくルーツ不明であった、
双子葉植物綱バラ亜綱ムクロジ目ミカン科ミカン亜科ミカン連ミカン亜連ミカン属タチバナ(橘) Citrus tachibana
は、当該ウィキによれば(下線は私が附した)、二〇二一『年、タチバナは沖縄原産のタニブター( C. ryukyuensis )とアジア大陸産の詳細不明の種との交配により誕生したこと、日向夏』(ヒュウガナツ Citrus tamurana )、『黄金柑』(キミカン Citrus flaviculpus :通称「おうごんかん」)『などの日本産柑橘のルーツであることが』、『沖縄科学技術大学院大学などの研究により明らかとなった』とあるので、この『アジア大陸産の詳細不明の種』が、李時珍の言う「包橘《はうきつ》」がそれである可能性は高いのかも知れない。
『宋の韓彥直《かんげんちよく》が「橘譜」』この書名「橘譜」は、時珍の誤記で、「橘錄」が正しい。「韓彥直」(一一三一年~?)は「百度百科」の彼の記載によれば、南宋の著名な農業家・政治家で、一一四八年に進士に登第し、要職を歴任し、温州の知事となり、優れた農業政策を実施した。彼は、中国で初めて柑橘類を「柑」・「橘」・「橙」に三分類した人物であり、古代中国の柑橘類栽培技術に於いて、大きな功績を残しており、この「橘錄」は、まさに彼の農業思想が凝縮されたものであるとし、『この本は、古代中国の柑橘類の品種と栽培技術を説明した最古の単行本であり、ヨーロッパの果樹学者フェレッリによって書かれた「柑橘類」よりも 四百六十九年も前の、世界最古の柑橘類に関する総合的著書でもある。』といったことが書かれてあった。
「橘、十四品、有り」「百度百科」の「橘录」に、同書の内容が、子細に記されてあるが、そこに、十四種は(一部に手を加えた)、
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黃橘・塌橘・包橘・綿橘・沙橘・荔枝橘・軟条穿橘・油橘・綠橘・乳橘・金橘(可能属金柑属)・自然橘(可能是指橘的實生苗)・早黄橘・凍橘;還有橙(一作「棖」)属五種:橙・朱栾(可能是酸橙的變種)・香栾(可能是酸橙)・香圓・枸橘。
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とあり、古今の本草書にありがちな、名指すことだけではなく、驚くべきことに、『品種ごとに、樹冠の形、枝や葉の生長状況、果実の大きさや形、果実の熟れ方、果皮の色、厚さ、光沢などを記載してある。皮の剥がし難さ、瓤嚢(じょうのう:柑橘の果肉を包む)の大きさ・数や、皮の剥がし易さ、果実の風味、種(芯)の数など、及び、各品種の名前の根拠と、その品種が適応する地域についても説明している。』と書かれてあるである。
「本草綱目」の引用は、「卷三十」の「果之二」の「橘」の長い項(「漢籍リポジトリ」のここの[075-28a]以降)の「集解」ののパッチワークである。
なお、先行項で既に注したものは、再掲しない。そこまで、私はお目出度くないし、残された時間も、限られているからな…………]
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