茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 「巡禮の歌」(一九〇一年) (彼の氣遣は我々には夢魔のやうで、……)
彼の氣遣は我々には夢魔のやうで、
彼の聲は我々には石のやうだ。――
我々は彼の話を聞きたいが、
言葉は半ば聞えるのみだ。
彼と我々との間の大きな戲曲は、
互に理解するには騷がし過ぎる。
我々は綴(つづり)が落ちて消えてゆく、
彼の口の形を見るばかり。
斯うして我々は彼に遠く、遙に更に遠い、
愛が尙ほ遠く我々を組合せても。
彼が此星の上で死ななくてはならぬ時、
初て我々は彼が此星に生きてゐたことを見るのだ。
これは我々には父だ。そして私は、――私は
お前を父と云はなくてはならぬのか。
それが私を千倍もお前から距てることになるだらう。
――お前は私の子だ、私はお前を見知るだらう。
大人になり、老人になつても尙ほ
人がただ一人の子を見知るやうに。
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