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2025/01/29

茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 「巡禮の歌」(一九〇一年) (彼の氣遣は我々には夢魔のやうで、……)

 

 

彼の氣遣は我々には夢魔のやうで、

彼の聲は我々には石のやうだ。――

我々は彼の話を聞きたいが、

言葉は半ば聞えるのみだ。

彼と我々との間の大きな戲曲は、

互に理解するには騷がし過ぎる。

我々は綴(つづり)が落ちて消えてゆく、

彼の口の形を見るばかり。

斯うして我々は彼に遠く、遙に更に遠い、

愛が尙ほ遠く我々を組合せても。

彼が此星の上で死ななくてはならぬ時、

初て我々は彼が此星に生きてゐたことを見るのだ。

 

これは我々には父だ。そして私は、――私は

お前を父と云はなくてはならぬのか。

それが私を千倍もお前から距てることになるだらう。

――お前は私の子だ、私はお前を見知るだらう。

大人になり、老人になつても尙ほ

人がただ一人の子を見知るやうに。

 

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