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2025/01/15

和漢三才圖會卷第八十七 山果類 乳柑

 

Kuenbo

 

くねんぽ  木加

       【俗云九年母】

乳柑

 

 

[やぶちゃん注:「ぽ」はママ。訓読では濁点にした。異名の「木加」は引用の誤りである。国立国会図書館デジタルコレクションの胡承竜版(万暦一八(一五九〇) 序)の当該部を見たところ、「柑」(この上欄外に旧蔵者が朱で、「柑」に『○』して、その右に『和ク子ンホ』と記しているのが嬉しいね!)の「釋名」に『木奴』とある。訓読文では訂した。

 

本綱乳柑樹無異于橘伹剌少耳其子大于橘而瓣味甘

伹未經霜時猶酸霜後甚甜故名柑子其皮比橘紋粗色

黃而厚內多白膜其味不苦而辛甘橘可久留柑易腐敗

柑樹畏氷雪橘樹畧可此柑橘之異

韓彥直橘譜云乳柑其木婆娑其葉纖長其花香韻其實

[やぶちゃん注:「纖」は、原本では、「織」の「日」が「月」になり、その上部も「甘」のようになっており、こんな漢字は存在しない。「漢籍リポジトリ」が作動していないので、「維基文庫」のこちらで、確認したところ、「果之二」の「柑」の「集解」の第五段落の一行目に『其葉纖長』と確認出来たので、特異的に訂した(初めは、国立国会図書館デジタルコレクションの胡承竜版(万暦一八(一五九〇) 序)の当該部を見たが、劣化がひどく、拡大しても、肝心の中央の字体が見えなかった)。

正圓膚理如澤蠟其大六七寸其皮薄而味珍脉不粘瓣

食不留滓一顆僅一三核亦有全無者擘之香霧噀人爲

柑中絕品【其皮辛甘寒橘皮苦辛溫】今人以乳柑皮僞爲橘皮可擇

凡柑類有八種

生枝柑形不圓色青膚粗味帶微酸留之枝間可耐久俟

味變甘乃帶葉折○海紅柑樹小而顆極大有圍及尺者

皮厚色紅可久藏○洞庭柑皮細味美其熟最早○甜柑

類洞庭而大毎顆必八瓣不待霜而黃也○木柑類洞庭

膚粗頑瓣大而少液○朱柑類洞庭而大色絕嫣紅其味

酸人不重之○饅頭柑近蒂起如饅顛尖味皆美也

△按乳柑俗云九年母也而未知所以其名蓋橘柑並總

 名而各有其種類惟曰橘者乃斥𮔉柑曰柑者是九年

 母也雖有八種而所有于本朝者不多蓋九年母形狀

 皆如上說伹葉似橙而長有淺粗刻耳

 

   *

 

くねんぼ  木奴

       【俗、云ふ、「九年母」。】

乳柑

 

 

「本綱」に曰はく、『乳柑《にゆうかん》の樹、橘《きつ》に異《ことなる》こと、無《なし》。伹《ただし》、剌《とげ》、少きのみ。其の子《み》、橘より、大にして、瓣《なかご》、味、甘し。伹《ただし》、未だ、霜を經ざる時、猶を[やぶちゃん注:ママ。]、酸《すつぱ》きがごとし。霜の後《のち》、甚だ、甜《あまし》。故に、「柑子《かうじ》」と名づく。其の皮、橘に比ぶれば、紋、粗く、色、黃にして、厚く、內に、白≪き≫膜《わた》、多く、其の味、苦からずして、辛く、甘し[やぶちゃん注:「辛甘(からあま)い」。]。橘(みかん)は、久《ひさし》く、留《とど》む[やぶちゃん注:永く保存出来る。]≪るに對し、≫柑(くねんぼ)は、腐敗≪し≫易し。柑の樹は、氷雪《ひようせつ》を畏《おそ》る。橘の樹は、畧《ちと》、可《か》なり。此《これ》、柑・橘の異なり。』≪と≫。

[やぶちゃん注:「柑の樹は、氷雪《ひようせつ》を畏《おそ》る。橘の樹は、畧《ちと》、可《か》なり」東洋文庫訳では、この「柑」に、『(南地産ミカン)』、「橘」に、『北地産ミカン』』と割注している。既にこれらの見解は私の先行する項で、分布の棲み分け理論を示してあるので、そちらを見られたいが、この割注は、なかなかに、珍しく、的を射た添え文であるとは思う。

『韓彥直が「橘譜」[やぶちゃん注:既に前項「包橘」で注した通り、時珍の誤認で、「橘錄」が正しい。]に云はく、『乳柑は、其≪の≫木、婆娑《ばさ》たり[やぶちゃん注:舞う人の衣服の袖が美しく翻るさまの原義を、梢が風に揺れるさまを喩えた語。]。其の葉、纖長(ほそ《なが》)く、其の花、香韻《かういん》あり[やぶちゃん注:香りに余韻がある。]。其の實、正圓、膚理《ひり》、澤蠟《たくらう》のごとし[やぶちゃん注:艶やかで蠟(ろう)のようである。]。其の大いさ、六、七寸。其の皮、薄くして、味、珍《めづら》し。脉《すぢ》、瓣《わた》、粘《つ》がず、食ふに、≪口中に≫滓《かす》を留めず。一顆、僅《わづか》に一《いつ》、三《みつ》≪の≫核《さね》≪有るばかり≫、亦、全く無き者≪も≫、有り。之れを擘《さ》くに、香《かをり》≪の≫霧《きり》、人を《✕→に》、噀《ふ》≪きかせしむ≫[やぶちゃん注:この「噀」(音「ソン」)は「水などを噴き出す・吐く」の意であるから、かく使役形で読まないと、正常な文が成立しない。]。柑中の絕品なり【其の皮は、辛甘《しんかん》、寒。橘の皮は、苦辛《くしん》、溫。】。今≪の≫人、乳柑の皮を以《もつて》、僞《いつはり》て、「橘皮」と爲《なす》。≪宜しく≫擇《えら》ぶべし。』≪と≫。』≪と≫。『凡そ、柑類、八種、有り。』≪と≫。

[やぶちゃん注:以下、各個の解説であるので、改行し、最初の「」にも頭に「○」を附した。引用の「≪と≫」は五月蠅くなるだけなので、最後の総評部を除いて、附さなかった。但し、子細に調べてみると、前文の「韓彥直」の「橘錄」の引用は、実は、良安と同じく、時珍がパッチワークで記し、以下の各類の記載もまた、同書からのパッチワークである上に、前文も以下も、一部は時珍が表記を換えたり、勝手に彼の言葉を添えていることが、判った。極めて細部に亙るので、それを煩瑣なので指摘はしないが、「漢籍リポジトリ」にある「橘錄」の「卷上」の「真柑」以下、「生枝柑」・「海紅柑」・「洞庭柑」・「朱柑」をと、「本草綱目」の記載を見ると、「橘錄」にはない単語やフレーズが随所にあることが判るのである。是非、比較されたい。

『○「生枝柑《しやうしかん》」は、形、圓《まろ》からず、色、青く、膚《はだへ》、粗《そにして、》味、微《やや》酸《さん》を帶ぶ。之れを、留《とどめ》[やぶちゃん注:採果せずに(そのまま置いておけば)。]、枝≪の≫間《あひだ》に、久しく耐ふべ≪ければ≫、味、甘きに變《かは》るを俟《まち》て、乃《すなはち》、葉を帶《おび》て《✕→た儘(まま)に》、折る。』。

○『「海紅柑《かいこうかん》」は、樹、小にして、顆《くわ》、極《きはめ》て大にして、圍《めぐり》、尺に及≪ぶ≫[やぶちゃん注:返り点はないが、返して読んだ。]者、有り。皮、厚《あつく》、色、紅《くれなゐ》にして、久《ひさし》く藏《をさ》むべし。』。

○『「洞庭柑《どうていかん》」は、皮、細《こまか》にして、味、美なり。其《それ》、熟すること、最《もつとも》早し。』。

○『「甜柑《てんかん》」≪は≫、「洞庭」に類《るゐ》して、大なり。顆毎《ごと》≪に≫[やぶちゃん注:返り点はないが、返して読んだ。]、必《かならず》、八瓣《やつふさ》≪有り≫。霜を待たずして、黃≪となる≫なり。』≪と≫。

○『「木柑」≪は≫、「洞庭」に類《るゐ》して、膚《はだへ》、粗《あらく》、頑《ぐわん》なり[やぶちゃん注:ゴツゴツとしている。]。瓣《わた》、大。而《れども》、液、少し。』≪と≫。

○『「朱柑」は、「洞庭」に類《るゐ》して、大なり。色、絕嫣《ぜつえん》≪たる≫[やぶちゃん注:極めて美しい。]紅《くれなゐ》なり。≪然(しか)れども≫、其《その》味、酸《すつぱ》く、人、之れを重んぜず。』。

○『「饅頭柑(まんぢう《かん》)」は、蒂《へた》近《ちかく》に、起《おこり》≪有り≫て、饅顛の尖《さき》のごとし。』。

『味、皆、美なり。』≪と≫。

△按ずるに、乳柑は、俗に云ふ、「九年母《くねんぼ》」なり。而≪れども≫、未だ、其《その》名の所以《ゆゑん》を知らず。蓋し、「橘」・「柑」≪は≫、並《ならび》に、總名にして、各《おのおの》、其の種類、有り。惟《た》だ、「橘」と曰ふ者は、乃《すなはち》、「𮔉柑《みかん》」を斥《さ》す[やぶちゃん注:「指す」と同義。]。「柑」と曰ふ者は、是れ、「九年母」なり。『八種、有る。』と雖も、本朝《ほんてう》に有る所の者≪は≫、多《おほか》らず。蓋し、九年母、の形狀《けいじやう》、皆、上の說のごとし。伹《ただし》、葉≪は≫橙《だいだい》に似て、而《しかも》、長く、淺-粗(あさ《く、あ》ら)き刻(きざみ)、有るのみ。

 

[やぶちゃん注:「乳柑」は冒頭から、困難が窺えた。「維基百科」で調べると、「黃巖蜜橘」の品種に「乳橘」が挙がっている。これは、現行の中文の「橘」は、ミカン属マンダリンオレンジ Citrus reticulata であるから、マンダリンオレンジの品種のように思われるが、同ウィキの『浙江台州黃巖蜜橘「早橘」品種』の写真を見ると、これ、マンダリンオレンジの品種というより(但し、以下の引用に拠れば、近縁種、或いは、栽培品種ではあるようである)、本邦のミカンにクリソツなのだ!

そこで、仕切り直し、「百度百科」で「乳柑」を見たところが、これ、バッチ、グー! だぜ!

『乳柑,是一个汉语词汇,拼音rǔ ɡān释义为温州蜜柑,柑的良种之一』

とある。そうだ! 少なくとも、現在の中国語では、本邦の「みかん」の総代表種である、

双子葉植物綱ムクロジ目ミカン科ミカン属ウンシュウミカン(温州蜜柑) Citrus unshiu

を指すのだ!

既に引用しているが、再掲すると、当該ウィキによれば(注記号はカットした)、『現代において「みかん」は、通常』、『ウンシュウミカンを指す。和名ウンシュウミカンの名称は、温州(』「三国志演義」『などで蜜柑の産地とされる中国浙江省の温州市)から入った種子を日本で蒔いてできた品種であるとの俗説があることに由来するが、本種の原産地は日本の薩摩地方(現在の鹿児島県)の長島であると考えられており、温州から伝来したというわけではない。ウンシュウミカンの名は江戸時代の後半に名付けられたが、九州では古くは仲島ミカンと呼ばれていた』。『中国浙江省の温州にあっては』、『昔からミカンで有名な地方で、温州の名をつけたアイデアは功をなし、学名(種小名)までも unshiu と名付けられている』。『「みかん」が専らウンシュウミカンを指すようになったのは明治以後である。江戸時代には種無しであることから不吉として広まらず、普及していたのは本種より小型の種がある小ミカン(紀州蜜柑)Citrus kinokuniであり、「みかん」を代表していたのは小ミカンであった』。『南宋の韓彦直が』一一七八『年に記した柑橘類の専門書』「橘錄」『には、柑橘は各地で産出されるが「みな温州のものの上と為すに如かざるなり」と記している。日本でも』、「和漢三才圖會」『に「温州橘は蜜柑である。温州とは浙江の南にあって柑橘の産地である」とあり、岡村尚謙』「桂園橘譜」(弘化五・嘉永元(一八四八)年刊)『も「温州橘」の美味は「蜜柑に優れる」と記す。温州は上質で甘い柑橘の産地と認識されていた。古典に通じた人物が、甘みに優れた本種に「温州」と名付けたという推測は成り立つが、確証といえるものはない』。「和漢三才圖會」『には「蜜柑」の品種として「紅蜜柑」「夏蜜柑」「温州橘」「無核蜜柑」「唐蜜柑」の』五『品種を挙げている。「温州橘」「無核蜜柑」は今日のウンシュウミカンの可能性があるが、ここで触れられている「温州橘」は特徴として「皮厚実絶酸芳芬」と書かれており、同一種か断定は難しい。「雲州蜜柑」という表記も見られ』、十九『世紀半ば以降成立の』「增訂豆州志稿」『には』「雲州蜜柑ト稱スル者、味、殊ニ美ナリ」『とあって、これは今日のウンシュウミカンとみられ』ている。明治七(一八七四)年『より全国規模の生産統計が取られるようになった』。『当初は、地域ごとに様々であった柑橘類の名称を統一しないまま統計がとられたが、名称を統一する過程で、小蜜柑などと呼ばれていた種が「普通蜜柑」、李夫人などと呼ばれていた種が「温州蜜柑」となったという。明治中期以降、温州蜜柑が全国的に普及し、他の柑橘類に卓越するようになる。安部熊之輔』「日本の蜜柑」』明治三七(一九〇四)年『は、蜜柑の種類として「紀州蜜柑」「温州蜜柑」「柑子蜜柑」の』三『種類が挙げられている』『英語では「satsuma mandarin」(サツママンダリン)と呼ばれ、欧米では「Satsuma」「Mikan」などの名称が一般的である』。『"satsuma" という名称は』明治九(一八七六)年、『本種が鹿児島県薩摩地方からアメリカ合衆国フロリダに導入されたことによる。なお、その後、愛知県尾張地方の種苗産地からアメリカに本種が渡り、"Owari satsuma" という名称で呼ばれるようにもなった』。『タンジェリン(Tangerine)・マンダリンオレンジ(Mandarin orange)と近縁であり、そこから派生した栽培種である(学名は共に Citrus reticulata )』(太字下線は私が附した)とあった。

 こうなると、「くねんぼ」と、少なくとも、中国で古くに称する「乳柑」「乳橘」の二つは、それぞれ、微妙に異なった種を指していると言ってよいように思われる。

 ともかくも、本邦の名誉のために、

ミカン属マンダリンオレンジ品種クネンボ(九年母)Citrus reticulata 'Kunenbo'

当該ウィキを引かねばならぬ(注記号はカットし、太字下線は私が附した)。『クネンボ』『は』『沖縄県ではクニブ、クニブーと呼ばれる』。『東南アジア原産の品種といわれ、日本には室町時代後半に琉球王国を経由しもたらされた。皮が厚く、独特の匂い(松脂臭、テレピン油臭)がある。果実の大きさから、江戸時代にキシュウミカンが広まるまでには日本の関東地方まで広まっていた。沖縄の主要産品の一つだったが』、一九一九『年にミカンコミバエ』(蜜柑小実蠅:双翅(ハエ)目短角亜(ハエ)亜目ハエ下目ミバエ上科ミバエ科 Bactrocera 属ミカンコミバエ Bactrocera dorsalis のミカンコミバエ種群(Bactrocera dorsalis species complex )『の侵入で移出禁止措置がとられてからは、生産量が激減し、さらに1982年に柑橘類の移出が解禁されてからは、ほとんどウンシュウミカンやタンカンなどが栽培されるようになった。現在は沖縄各地に数本ずつ残っており、伝統的な砂糖菓子の桔餅や皮の厚さと香りを利用したマーマレードなどに利用されている』。『クネンボは日本の柑橘類の祖先の一つとなっている。自家不和合性の遺伝子の研究により、ウンシュウミカンとハッサクはクネンボの雑種である事が示唆された。この事からクネンボが日本在来品種の成立に大きく関与している事が明らかになった』。二〇一六年『には、農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)果樹茶業研究部門が、DNA型鑑定により、ウンシュウミカンの種子親はキシュウミカン、花粉親はクネンボであることが分かったと発表した』。以下、最後の「落語」の項。『古典落語に』「九年母」『という噺がある。九年母をもらった商家でそれを土産として丁稚に持って行かせる。丁稚は九年母を知らず、不思議に思って袋の中を見ると』、『入っているのはミカンにしか見えない。その数がたまたま』九『個であったので勝手に納得し、その』一『つを懐に入れ、「八年母を持ってまいりました」。向こうの旦那が怪しんで』、『袋を覗き』、『「これは九年母ではないか」と問うと、猫ばばがばれたと思い』、『慌てて懐の』一『つを取り出して』、「残りの一年母は、ここに、御座います。」『と下げる』とある。

 「本草綱目」の引用は、「卷三十」の「果之二」の「柑」の項(「漢籍リポジトリ」のここ[075-35b]以降)の「集解」のパッチワークである。

「生枝柑《しやうしかん》」不詳。因みに、本邦の「河内晩柑」(カワチバンカン Citrus kawachiensis は、別名を「美生柑」(みしょうかん)とも言うと、検索に勝手にAIがしゃしゃり出たので添えておく当該ウィキによれば、『河内晩柑は、昭和』一〇(一九三五)『年に熊本県飽託郡河内村(現・熊本市西区河内町』(かわちまち:ここ。グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)『)で発見された』固有『自生種で、ザボン(ブンタン)』(「朱欒・香欒・謝文」/「文旦」=ザボン Citrus maxima )『の血を引いていると考えられていたが、近年のゲノム解析により』、『弓削瓢柑』(ゆげひょうかん:「みすゞ飴本舗 飯島商店」公式サイトの「弓削瓢柑」(ジャム製品)に拠れば、『瀬戸内海の瀬戸田で収穫される柑橘で、昭和初期頃に、台湾より移入したものであると伝わっています。名前の由来は不明ですが、瀬戸内海の島のひとつである「弓削島」にちなんだものだと思われます』とある。瀬戸田は広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田地区で「生口島」(いくちじま)の大半を占める、「弓削島」(ゆげしま)は生口島の東南東のここ)『の変種である説が最有力となった』。学名不詳だが、「瓢柑」なら、Citrus ampullaceal ではあるものの、それの近縁種かどうかは不明。

「海紅柑《かいこうかん》」「維基百科」の「甌柑」に、

Citrus tangerina 或いは、Citrus suavissima

とし「歴史」の項に、『晉唐時代溫州柑桔一直列為貢品。在宋代,甌柑又稱海紅柑,南宋韓彥直在』「橘錄」『中有詳細記載』、『「海紅柑顆極大。有及尺以上圍者。皮厚而色紅。藏之久而味愈甘。木高二三尺。有生數十顆者。枝重委地亦可愛。是柑可以致遠。今都下堆積道旁者。多此種。初音近海。故以海紅得名。」』とあるので、この種としてよいだろう。Citrus tangerina ならば、既に「橘」で注した通り、オオベニミカン(大紅蜜柑) Citrus tangerina (インドに分布し、中国経由で日本に渡来した常緑高木で、本邦では、古くに奄美大島での栽培が知られ、後、九州・四国・和歌山県でも栽培されている。果期は十一月から十二月で、果皮から採れる精油は、化粧品などに利用されていることが検索で判った。因みに、種小名に注意されたい。これ、今やお馴染みのTangerine(タンジェリン:アフリカや米国で栽培されるミカンの一種。皮は薄く剥き易い。名はモロッコの都市タンジールに由来)で、英文の「Tangerine」のウィキでは、マンダリン・オレンジ(Mandarin orange:ミカン属マンダリンオレンジ Citrus reticulata )の雑種として、学名をCitrus × tangerina としてあるのである)に「維基百科」の「柑」では、比定している。

「洞庭柑《どうていかん》」これは、インド・ヒマラヤ原産のダイダイ Citrus aurantium であろう。

「甜柑《てんかん》」これは、中国南部・インド北東部・ミャンマーを含む地域を発祥とする、アマダイダイ(甘橙)Citrus sinensis =オレンジのことである。

「木柑」不詳。

「朱柑」これは、冒頭で出したウンシュウミカンの優良品種である。「黃巖蜜橘」の中国品種である。そこに、その品種の中でも、『「朱紅橘」・「大紅袍」とも呼ばれるものは、古くは「朱柑」と称され、「乳橘」とともに栽培の歴史は約千三百年である。果実は扁円形で、上部が僅かに凹んでいる。果肉は鮮黄色で柔らかく、ほどよい甘味と酸味があり、毎年、十月中旬に市場に出回るとある。

「饅頭柑(まんぢう《かん》)」不詳。]

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