茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版「時禱篇」(私の生活は、私が急いでゐる……)
私の生活は、私が急いでゐる
この嶮しい時間ではない。
私は私の背景の前の一本の樹、
私の澤山の口のただ一つ、
而も一番早く閉ざされるあの口だ。
私は、死の音が高まらうとするので――
拙いながら互に馴れ合ふ
二音の間の休息(やすみ)だ。
しかし暗いこの間𨻶(インタアヷル)の中に、
慄へながら二つの音は和解する。
そして歌は美しい。
[やぶちゃん注:「拙い」「つたない」。
「間𨻶(インタアヷル)」ドイツ語でも“Intervall”。英語のスペルは“interval”。]
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