茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版「第一詩集」「家神奉幣」(一八九五年) 「中部ビョエメンの風景」
中部ビョエメンの風景
遠くに霞む浪打つ森の
蔭になつた緣(へり)。
そして此處彼處に立木が、
高い麥の穗畑の
乳酪色の平面を破つてゐる。
煌然たる光の中に
馬鈴薯が芽ぐみ、それから
少し彼方には大麥、樅の木が
畫面を限る處まで。
若木の森の上に高く
金色に輝く寺の塔の十字。
松柏の中からは番人小屋の建物が聳え、
それから其上に
大空が被さる、ぴかぴかと碧く。
[やぶちゃん注:「中部ビョエメンの風景」ドイツ語の「Wikisource」のここで、原詩が電子化されてあるが、その題名は、“ MITTELBÖHMISCHE LANDSCHAFT ”である。この“ MITTELBÖHMISCHE”は、ドイツ語ウィキの「Středočeský kraj」(チェコ語綴り)で、これは、日本語のウィキの「中央ボヘミア州」に当たる。それによれば、『チェコのボヘミア地方にある同国最大の州。州のほぼ中心にプラハが位置し、行政府も同市内に置かれているが、プラハは首都として独立した行政区分となっているため、中央ボヘミア州には含まれない。主要都市はクラドノ』とあった。既に注で示した通り、彼はプラハ生まれであるから、彼にとっては、生地の広大な辺縁地方を指すことになる。
「乳酪色」実は、底本では、ここは、「酪」の(へん)が「酉」ではなく、「月」になっている。この漢字は異体字にもないので、「※」にせざるを得なかったところなのだが、岩波文庫の校注で、茅野氏は再版「詩集」で、これを誤記、或いは、誤植であると気づかれて、訂正しておられるので、ここは特異的に修正した。
「煌然」「くわうぜん」(現代仮名遣「こうぜん」)で、「光り輝くさま・煌煌(こうこう)」の意である。
「松柏」原詩では、“Fichten”(フィヒテン)は、ドイツ語で「トウヒの葉・松葉」を意味します。また、“Fichte”(フィヒテ)は「トウヒ属・ドイツトウヒ・トウヒ材」を意味するから、裸子植物門マツ綱マツ目マツ科トウヒ属 Picea となるが、特に、ドイツトウヒ(独逸唐檜)Picea abies が相当する。なお、当該ウィキによれば、『ヨーロッパ原産でヨーロッパの固有種』で、『北はノルウェーから』、『南はバルカン半島まで』、『北欧全土と中欧・南欧の山岳地帯に分布する』。『北極圏の森の中の平地など寒冷な高地に分布する』。『アルプスなどの山岳地帯や、スカンジナビア半島の北方針葉樹林の主要樹種である。ピレネー山脈や地中海のコルシカ島にも分布している』。『日当たりを好み、乾燥を嫌う。日本では、公園や庭園に植えられている』。『日本語ではドイツトウヒ』が『標準和名』で『あるが、自然分布としては、ドイツでは』、『シュヴァルツヴァルトなど』、『南部の標高の高い一部地域に分布するに過ぎず、英語名 Norway Spruce(ノーウェイ・スプルース)が示す通り、本種の本来の分布の中心は、東ヨーロッパ』、及び、『北ヨーロッパにある』。『ドイツにおけるものは、ほとんどが人為的に植林されたものである』ともあった。因みに、本邦の近縁種を見ると、北海道及び北東アジアに広く分布する、トウヒ属エゾマツ変種トウヒ(唐檜) Picea jezoensis var. hondoensis となろう。訳の「松柏」は、中国と本邦では、マツ科 Pinaceaeのマツ類(日本では科マツ属 Pinus でいいが、中国ではアウトである。詳しくは、私の『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 松』を見られたい)と、コノテガシワ(「児の手柏」・「児手柏」・「側柏」(中文名は最後のそれ):マツ綱ヒノキ目ヒノキ科ヒノキ亜科コノテガシワ属コノテガシワ Platycladus orientalis )を指すから、訳としては、厳密には誤訳となる。
「番人小屋」原文“ Hegerhütte ”。鳥獣保護員の待機するヒュッテ。
「碧く」「あをく」。]
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