茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版「形象篇」「第一卷」 「少女の憂鬱」
少女の憂鬱
古い格言のやうに、
若い騎士が思ひだされる。
騎士は來た。森の中では、折々あんなやうに
大嵐が來てお前を包む。
騎士は去つた。時あつて祈禱の最中に、
大きな鐘の祝福が……
あんなやうにお前をひとり殘してゆく。
そんな時お前は靜けさの中へ叫ばうとするが、
でも唯〻全く小聲に
冷たい手巾に深く泣き入る。
武裝をつけて遠くゆく
若い騎士が思ひだされる。
その微笑の軟かさ、こまやかさは、
ふるい象牙の上の輝きのやうだ、
懷鄕の憂のやうだ、うす暗い村落の
クリスマスの雪降りのやうだ、
眞珠のみに取圍まれる土耳古石のやうだ、
好もしい書物の上の
月の光のやうだ。
[やぶちゃん注:「手巾」同時代人の芥川龍之介(と言っても、茅野の方が九歳年上だが)の「手巾(ハンケチ)」(大正五(一九一六)年初出。茅野の、この詩集は昭和二(一九二七)年刊)に倣って、そう読んでおく。
「土耳古石」「トルコいし」。ドイツ語では、“Türkis”(音写「チャキーズ」)。当該ウィキによれば、『英語では turquoise (ターコイズ)と言い、フランス語の pierre turquoise (トルコの石)に由来する。』とあり、『純度の高いものは鮮やかな青色だが、不純物に鉄を含むと緑色に近くなる。青色のものほど上級とされるが、チベットでは緑色のトルコ石が珍重される』らしい。騎士の色なら、青だろう。]
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