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2025/02/16

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「彌陀佛苗植」

 

 「彌陀佛苗植《みだぶつ なへうゑ》」  傳云《つたへいふ》。有渡郡南安東村《うどのこほりみなみあんどうむら》福聚山無量寺【普化】にあり。徃昔《わうじやく》戰國の時、安倍郡某村農夫の家に、行基僧正一刀三禮鉈作《なたづくり》の彌陀あり。年頃《としごろ》家《いへ》貧して、農行《のうかう》をなすあたはず。或夜、主《あるじ》の田に人《ひと》來りて、多く苗を植《うう》る者あり。奇《あやし》とし思《おもひし》に、誰《たれ》と云《いふ》を知らず。其朝、佛檀の本尊を拜すれば、佛體泥に染《そめ》れり。此佛、農事をいとなみて、貧を助けし事を感じ、是より「早乙女《さをとめ》の彌陀」と號《がう》す。其後《そののち》、靈夢に依《より》て、當寺に納《をさめ》て安置す。云云。農夫の淸貧を助《たすけ》しならん。

 

[やぶちゃん注:「有渡郡南安東村」平凡社「日本歴史地名大系」に、『南安東村』『みなみあんどうむら』とし、『静岡県』『静岡市旧有渡郡・庵原郡地区南安東村』で『現在地名』を、『静岡市東町(あずまちょう)・太田町(おおたまち)・音羽町(おとわちょう)・森下町(もりしたちょう)・曲金(まがりかね)一丁目・春日(かすが)一』~『三丁目・春日町・瓦場町(かわらばちょう)・豊原町(とよはらちょう)・南町(みなみちょう)・黒金町(くろがねちょう)・日出町(ひのでちょう)・大和(やまと)一』~『二丁目・さつき町(ちょう)』とあって、『谷津(やつ)山の南、八幡(やはた)山の北に位置し、西は駿府城下の東端、南は稲川(いながわ)村・八幡村に接する。村の北東端を東海道が通る。地名は阿倍(あべ)市の東西を安東・安西(あんざい)といい、その南にあるとする説や(』「駿河志料」『)、安倍川の東に位置していることから』、『安東の地名が生じ、さらに南北二ヵ村に分れたとする説がある(』本「駿國雜志」『)。永正六』(一五〇九)年『九月六日の今川氏親判物写(』「駿河志料」『)によると、氏親の家臣斎藤安元の窪道場屋敷が宝樹(ほうじゅ)院に安堵されており、その割書に「南安東之内三御前二段、小西地替」とある』とあった。現在は、静岡県静岡市葵区内で、「ひなたGPS」の戦前の地図、及び、現在の国土地理院図で確認出来る。駿府城の東の『谷津(やつ)山の南、八幡(やはた)山の北』とある山名もある。

「福聚山無量寺」現存しない。跡地は、葵区音羽町の「清水山公園」である。但し、遺物が、この公園内に半ば放置してあることが、kataha氏のブログ「コムジョの虚無ろぐ」の「静岡の虚無僧寺 無量寺☆『探墓行』🐾其の一」、及び、「静岡の虚無僧寺 無量寺☆『探墓行』👣其の二」で判った。この二ページは写真豊富な上に、諸資料が活字になっており、是非、見られたい(この方のこの二篇を読むと、およそ私の貧困な注の及ぶところでないほど素晴らしいのである!)。本「駿國雜志」の別な箇所の同寺の記載が電子化されてある(但し、新字)。その正字正仮名版は、国立国会図書館デジタルコレクションの昭和一〇(一九三五)年に本底本と同じ吉見書店(靜岡)刊の「附・地誌目錄 卷之四十六至四十九」のここの「無量寺」で視認出来る。

「普化」私の『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 虛無僧御定』ウィキの「普化宗」の引用を参照されたい。]

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