阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「村神忌縨」
[やぶちゃん注:底本はここ。]
「村神忌縨《むらのかみ ほろを いむ》」 有渡郡國吉田村《うどのこほりくによしだむら》にあり。「駿州古蹟畧」云。『吉田村に、栗島明神の社《やしろ》あり。民俗の說に、「此神の嫌玉《きらひたまふ》ふ」とて、此村五月の縨をたてず。云云。』粟島の神縨を嫌玉ふ神慮いかにぞや。
[やぶちゃん注:「有渡郡國吉田村」平凡社「日本歴史地名大系」に、『静岡県』『静岡市旧有渡郡・庵原郡』(いはらぐん:呼称「いほはらのこほり」『地区』の『国吉田村』で、『現在地名』は『静岡市国吉田一』~『六丁目・国吉田・中吉田(なかよしだ)・栗原(くりはら)』とし、『有度山(うどさん)丘陵北西麓に位置し、西は聖一色(ひじりいっしき)村・栗原村など。東海道が通る。寛永九』(一六三二)年)、『幕府領、宝永二』(一七〇五)年、『一部が旗本桜井領となり』、『幕末に至る』(「寬政重修諸家譜」等)。「元祿鄕帳」『では高』五百三十『石余。旧高旧領取調帳では幕府領』三百二十八『石余・桜井領』百九十二『・桃源(とうげん)寺領八石余、津島八幡社除地七石余・護国寺除地』(じよち/よけち)『二石余』とある。
「栗島明神」は、現在は表記が変わって、「中吉田津嶋神社」となっている。現行の住所は静岡県静岡市駿河区中吉田で、ここ(グーグル・マップ・データ)である。「ひなたGPS」の戦前の地図では、神社記号は見当たらない(但し、国土地理院図にはある)。グーグル・マップ・データのサイド・パネルの平成七(一九九五)年に建立された「神社誌」の碑に拠れば、才神は『素戔嗚尊(スサノオノミコト)』とある(歴史的仮名遣では「すさのをのみこと」である)。
「縨」狭義には、南北朝時代以降の軍陣で背に背負う大形の布帛(ふはく)(実戦上、矢を防ぐ目的で鎧の上に掛けた)を指し、別に「母衣・保侶」と書く(詳しくはウィキの「母衣」を見られたい)。一般には「風雨を防ぐための乗り物の覆い」を謂い、この漢字は国字である。何故、忌避するかは、よく判らないが、或いは、例の、高天原(たかまがはら)で素戔嗚尊が暴虐を行い、「天(あま)の斑馬(ふちこま)」を尾の方から逆に皮を剥いだものを機織り小屋に落とし入れた結果、「天の機織女(はたおりめ)」が驚き、オサ(筬・梭:機織りで横糸を通す尖った道具)で「ほと」(陰部)を突いて死んだ結果、天照大神(あまてらすおおみかみ)が遂にキレて、天の岩戸に入ってしまったこととの関連を私は想起した。]
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