阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「臺所町無井」
[やぶちゃん注:底本はここ。]
「臺所町無井《だいどころまち ゐ なし》」 有渡郡府中臺所町にあり。傳云《つたへいふ》。府中臺所町は絕《たえ》て井戶なし。徃昔《わうじやく》、弘法大師東遊の時、玆《ここ》に來《きたり》て水を乞ふ。農夫、其形《かた》ちの寠《やつる》を見て、賤《いや》しめ謾《あなど》りて云《いふ》。乞食《こじき》賣僧《まいす》にあたふる水更になし、早くゆけ云。大師忿怒《いかり》[やぶちゃん注:「忿怒」二字で読む。]て曰《いはく》、「後《のち》必《かならず》思ひ知る事あらん」と詈《ののしり》て去玉《さりたま》ふ。是よりして今に至《いたる》迄、井を堀《ほる》[やぶちゃん注:「堀」はママ。]に水なし。只《ただ》田間《でんかん》の水を引《ひき》て井とし、日用とす。云云。大師の事、詳《つまびらか》ならず。此地水脈無《なき》に據《よる》のみ。
[やぶちゃん注:弘法大師の伝承として各地に見える、法力に拠って、以降、呪われるという伝承である。
「有渡郡府中臺所町」平凡社「日本歴史地名大系」に、『台所町』『だいどころまち』と立項し、『静岡県』『静岡市駿府城下台所町』、『現在地名』を『静岡市伝馬町(てんまちょう)・相生町(あいおいちょう)一丁目・横田町(よこたまち)』とし、『鋳物師(いものし)町から北に延びる小路の入口にある両側』の『町。御台所町』(みだいどころちょう)『ともいう(以上、「町方繪圖」)。『元亀四』(一五七三)年『八月』二十七『日の武田家朱印状(中村文書)は宛所を欠くが、旧規のように魚座役代官を命じている。これは当地の中村家に対してのもので、同家は寛文年間(一六六一』~一六七三)年『まで当町にあったといい(「駿河志料」など)、往古は横田魚(よこたうお)町と称した』(「駿河記」)とあった。現在は、冒頭のそれは、静岡県静岡市葵区伝馬町で、ここ(グーグル・マップ・データ)。この地域は駿府城の東南直近に当たる。NPO法人「静岡市観光ボランティアガイド」作成になる「駿府ウエイブ」のここに、町名碑の設置を報知(写真有り)する中に、「台所町」の碑『(つつじ通り・スギ薬局前)』として、『台所町は駿府城の台所門(横内門)に通じるところにあったことに由来すると言われています。昔は横田魚町ともいわれ元亀年間』(一五七〇年~一五七三年)、『武田家より魚座』(うおざ)『を免許され』、『魚座があったという。また』、『当町は井戸を掘っても水が出ないとされ、そのいわれは、昔』、『弘法大師が諸国巡錫中』、『ここを訪れて水を所望したが、みすぼらしい姿をしていたために土地の者が断ったためという』と載っている。碑はここ(葵区相生町:グーグル・マップ・データ)で、「ストリートビュー」でもここで、見ることが出来る。]
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