茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 「新詩集」「橙園の階段 ヹルサイユ」
橙園の階段
ヹルサイユ
結局は殆ど目標もなく、
ただをりをり、兩側に
頭を下げる人々に見せる爲め、
マントの孤獨につつまれて步む王たちのやうに――
既に初から屈(かが)むでゐる
欄干の間をひとり
階段は登つて行く。徐に
また神の惠で天へと眞すぐに。
まるで總べての供の者等に
止まれと命じたやうに、――皆な
遠くから敢て後を逐ふものもなく、
重い裳裙を持つことを許された者もない。
[やぶちゃん注:原詩は、ドイツ語の「Wikisource」のここで、原詩が電子化されてある。
*
DIE TREPPE DER ORANGERIE
VERSAILLES
Wie Könige die schließlich nur noch schreiten
fast ohne Ziel, nur um von Zeit zu Zeit
sich den Verneigenden auf beiden Seiten
zu zeigen in des Mantels Einsamkeit —:
so steigt, allein zwischen den Balustraden,
die sich verneigen schon seit Anbeginn,
die Treppe: langsam und von Gottes Gnaden
und auf den Himmel zu und nirgends hin;
als ob sie allen Folgenden befahl
zurückzubleiben, — so daß sie nicht wagen
von ferne nachzugehen; nicht einmal
die schwere Schleppe durfte einer tragen.
*
茅野は詩題を「橙園」(「たうゑん」であろう)と訳し、あたかも、インド・ヒマラヤ原産で本邦でもお馴染みの、双子葉植物綱ムクロジ目ミカン科ミカン属ダイダイ Citrus aurantium を育てている温室庭園のように読めてしまうが、“ORANGERIE”(“Orangerie”:音写「オランジェリー」)というのは、平凡社「世界大百科事典」の「温室」の解説によれば(コンマを読点に代えた)、『ローマ時代にすでに雲母板でふたをした温床を用いて皇帝ティベリウスに四季を通じてキュウリを献じたという故事があるが、これは移動式の小型のものであった。一般に温室は固定式の恒久的な建築を意味し、』十八『世紀ヨーロッパに多く建てられたオランジェリー orangery(フランス語ではオランジュリー orangerie )を源流とする。その構造は北側を壁にし、南側に大きなアーチ形の窓を並べ、スレートあるいは瓦葺の屋根を架けたもので、オレンジや地中海の果樹を育てた』とあり、ウィキの「オレンジェリー」によれば、オレンジェリー、オランジェリー、またはオランジュリー(orangeryまたはorangerie)は』十七『世紀から』『十九世紀にかけて、東方からの植物として珍重されたシトロン』(ミカン属シトロン Citrus medica )『やオレンジ』(ミカン属オレンジ Citrus sinensis )『などの果物が実る樹木を、寒い季節の間養成するためにつくられた温室やコンサバトリー』(英語:conservatory:建物から庭に張り出すように作られたサンルーム。本来は植物を栽培する温室の意で、語源はConserve(保存する)に由来し、特にイギリスで植物のための温室として発展し、やがて生活空間の中に取り入れられるようになった)。『非常に大規模な形態や、ファッショナブルな住宅の敷地内に建つ専用建物と化した』と冒頭にあり、「ヨーロッパ大陸の例」の項の「フランス」には、『ヴェルサイユ宮殿の庭園にあるヴェルサイユ・オランジュリー』・『ストラスブール、オランジェリーの公園』・『チュイルリー:パリのチュイルリー庭園にある。オランジュリー美術館』の三つを掲げてある。当時のリルケはパリ在中であったから、パリの、現在は印象派とポスト印象派の美術館であるオランジュリー美術館( Musée de l'Orangerie )にあったそれであろう。ウィキの「オランジュリー美術館」によれば、パリ一『区のコンコルド広場の隣』りの『テュイルリー公園内にセーヌ川に面して建っている』。同美術館は、『もともとはテュイルリー宮殿のオレンジ温室(オランジュリー』『)だったが』、一九二七『年、モネの』「睡蓮」(‘ Les Nymphéas ’)『の連作を収めるために美術館として整備された』とある。このウィキで、『オレンジ温室』と訳されており、その方が躓かずに、しっくりくる。多くの現代の訳では、「オランジュリーの階段」というのが多いが、私などは、「オランジュリーの階段」では半可通であるから、せめても「柑橘園」ぐらいにして欲しいところである。なお、この詩篇の茅野氏の訳は、やや佶屈聱牙の感が強い。正直、掲げた原詩を機械翻訳――最終行で「重い列車」というの致命的誤訳を除いて――したものの方が、映像として、よく理解出来るように感じた。
「裳裙」「もすそ」。]
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