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2025/03/27

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「布疊」

[やぶちゃん注:底本はここから。段落を成形し、記号も附した。]

 

 「布疊《ぬのたたみ》」  庵原郡興津驛の海底にあり。「海道記」云《いはく》、

『關屋の邊りに、「布たゝみ」と云《いふ》所は、むかし、關守の布をとりたるが、積《つも》りて、石と成《なり》たるとかや。云云。』。

 里人、云《いふ》、

「今も潮の引《ひき》たる時、それと覺しき岩、海底にあり。云云。」。

 「遊方名所略」云《いはく》。

『布疊邑《ぬのたたみむら》、庵原郡淸見關守、往昔奪取村民之布以爲課役、年々多、一夜變爲ㇾ石、故云爾。云云。』

 按るに、雀、海中に入《いり》て蛤《はまぐり》となり、薯蕷《やまいも》、化《け》して、鰻鱺《うなぎ》となる。共に奇成《きなり》といへども、口碑に傳《つたへ》て、「往々あり。」とす。故に、人、怪《あやしま》ず。布、海中に落入《おちいり》て、石に化す、實《げ》に奇ならずや。

 

[やぶちゃん注:「興津驛」現在の静岡県静岡市清水区興津清見寺町(おきつせいけんじちょう)のこの附近(グーグル・マップ・データ。以下無指示は同じ)。流石に、「布疊」「石」は影も形も、旧跡も残っていない。

「海道記」作者未詳。貞応二(一二二三)年頃の成立。貞応二(一二二三)年四月四日に白河の侘士なる者が、京都から鎌倉に下向、同月十七日に鎌倉着、善光寺参りの予定をやめて、帰京するまでを描く。嘗つては、鴨長明説があったが、全否定されている「東關紀行」「十六夜日記」と合わせて、中世三大紀行文の一つである。当該箇所は、私の所持する朝日新聞社昭和二十六(一九五一)年刊の『日本古典全書』版玉井耕助校注「海道記」の、玉井氏が仮に附した「十二 手越より蒲原」の中の一節である。当該箇所のみを引く。なお、丸括弧の部分(ポイント落ち)は、凡例にないのだが、恐らくは、割注である。後の私の注は、同書の頭注を参考にした。《 》は私が附した読み。

   *

 淸見《きよみ》が關を見れば、西南は天と海と高低一つに眼(まなこ)を迷はし、北東は山と磯と嶮難同じく足をつまづく。磐(いは)の下には浪の花、風に開きて春の定めなく、岸の上には松の色、翠を含みて秋に恐れず。浮天《ふてん》の浪は雲を汀(みぎは)にて、月のみふね、夜出でて漕ぎ、沈陸《ちんりく》の磯は磐(いは)を路にて、風の便脚(びんきやく)、あしたに過ぐ。名を得たる處、必ずしも興を得ず、耳に耽る處、必ずしも目に耽らず、耳目の感、二つながら絕えたるはこの浦にあり。波に洗はれてぬれぬれ行けば、濁る心も今ここに澄めり。むべなるかな、ここを淸見と名づけたる。關屋に跡をとへば松風むなしく答ふ。岸脚(がんきやく)に苔を尋ぬれば橦花(とうくわ)變じて石あり。(關屋のほとりに布たたみといふ處あり。むかし關守の布をとりおきたるが、積りて石になりたるといへり)

   吹きよせよ淸見浦風わすれ貝

        拾ふなごりの名にしおはめや

   語らばや今日みるばかり淸見潟

        おぼえし袖にかかる淚は

    *

「淸見が關」現在の清見寺(せいけんじ)のある場所。但し、後で語るように、この時、既に廃されていた。

「春の定めなく」春に限らず、何時も花を咲かすことをいう。

「浮天」空。空を海に見立てた表現。

「沈陸」「浮天」で比喩に対する対語。

「風の便脚(びんきやく)」前で月を浮舟に喩えたことから、風を飛脚・走り使いに比喩したもの。

「あした」朝。

「名を得たる處、必ずしも興を得ず、耳に耽る處、必ずしも目に耽らず、耳目の感、二つながら絕えたるはこの浦にあり」玉井の頭注に、『名所が必ずしも美景でなく、評判に聞いてゐた所が必ずしも見て感心しないこともあるが、ここだけは名所の何そむかない。』「岸脚(がんきやく)に苔を尋ぬれば橦花(とうくわ)變じて石あり。」同前で、『苔むした岸下をたづねると、布が變じたのだといふ傳說の石がある。橦花は布。橦の花で絲をつむぎ布を織る。』とある。「橦」は花を織布に出来る樹木を指す語。

吹きよせよ淸見浦風わすれ貝拾ふなごりの名にしおはめや」玉井氏の頭注の訳。『淸見の浦風よ、今日のなごり(記念)に吹きよせてくれ、忘れ貝を拾ったからとて、ここを忘れるやうなことがあらうか。私には、ここの興趣は忘れることができない。』。

「語らばや今日みるばかり淸見潟おぼえし袖にかかる淚は」同前。『今日初めて見た淸見潟、感興に堪へずして袖をぬらしたことをば、語り草にしよう。』で、『淚は浪にかけてある』とある。

   *

「遊方名所略」「漢文遊方名所略」か。元禄一〇(一六九七)年刊。詳細書誌不詳。

「雀、海中に入《いり》て蛤《はまぐり》となり、薯蕷《やまいも》、化《け》して、鰻鱺《うなぎ》となる」最も知られた化生(けしょう)説として、よく知られる。前者は、私の「和漢三才圖會第四十二 原禽類 雀 (スズメ・ニュウナイスズメ)」を、後者の「薯蕷」は、ユリ目ヤマノイモ科ヤマノイモ Dioscorea japonica を指す。私の「和漢三才圖會 卷第五十 魚類 河湖無鱗魚  寺島良安」の「鰻鱺」を見られたい。消極的にだが、珍しく、良安は、この化生については否定的なニュアンスで語っている。好ましい。ちょっと脱線だが、ウナギには鱗はある。ユダヤ人は鱗のない魚は食べてはならないとされている。若い頃、関内で若いユダヤ人と親しくなったので、生物学的に鱗があることを説明したが、本気にせず、ニヤニヤしていただけだった。まあ、彼らにとっては、クジラも「魚」だから、説得しても、ムダだったわい。]

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