阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「釜領の怪」
[やぶちゃん注:底本はここ。]
「釜領の怪」 有渡郡上原村にあり。「草枕」云。『上原に釜領といへる所あり。「爰にて馬いばゆれば、乘れる人も馬も、共に必《かならず》死する也けり」と、所の人の語りにける。いか成故にか有けん、いと覺束なし、云云』。今《いま》釜の段と云所の事成べし。
[やぶちゃん注:「有渡郡上原村」「釜の段」現在の清水区上原(うわはら:グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。調べたところ、「大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ」というサイトの「家康公の史話と伝説とエピソードを訪ねて」のページの、『草薙神社』の項に、『清水区の草薙神社の道筋には、大御所時代に「御茶小屋」と呼ばれる小屋があった。近くには「釜の段」』(☜!)『の地名も残っているという。ここは将軍が上洛の折に立ち寄り、御茶を献上したともいう。また松並木もあったという(「駿国雑志」)。』と、本書からの引用があった。草薙神社はここで、現行の上原からは直線で一・四キロメートル弱で、一東海道を下って道路で実測すると、二キロメートル強離れるが、まあ、近いと言えるかと思ったが、さらに別に、rai-trout氏のブログ「れいんぼうの部屋」の『駿河の国で寄り道(37)「草薙 天皇原」(ヤマトタケルその7)』に、『「お茶小屋と釜の段」有度一里山新田にあり村の西はずれ南側の石鳥居は、式内草薙神社への道筋で「お茶小屋」という所あり寛永年中、将軍家上洛の時、お茶を差し上げた所で、松並木の内に有り。釜の段に茶臼塚という塚有り、この所に釜を据えて、お茶を立てお茶小屋にて将軍家に差し上げたと言われる。(現在は、第7中学の校庭になっている)』とあった。ここにある静岡市立清水第七中学校は、ここで、まさに東海道沿いにあって、上原からは、下ること、約八百メートルであるから、ここで決まりだ! 「釜領」というのは、将軍家所縁なる御料地の意で納得である!]
« 阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「狐唄謠」 | トップページ | 茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 訳者茅野蕭々に拠るリルケ論「ライネル・マリア・リルケ」 「六」 »