和漢三才圖會卷第八十八 夷果類 (序)・目録・荔枝
和漢三才圖會卷第八十八目録
卷之八十八
夷果類
五雜組云歷考史傳所載果木如都念猪肉子猩猩果人
靣樹者今皆不可得見而今之果木又多出於紀載之外
者豈古今風氣不同或昔有而今無或未顯於昔而蕃行
於今也至佛手柑羅漢果之類不見紀載而山谷中可𭀚
口實而人不及知者益多矣
[やぶちゃん注:「𭀚」は「充」の異体字。]
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和漢三才圖會卷第八十八目録
卷之八十八
夷果類
「五雜組」に云はく、『史傳に載する所の果木を歷考するに、都念・猪肉子・猩猩果・人靣樹《にんめんじゆ》と云《いふ》者≪の≫ごとき、今、皆、得て見るべからず。而今《じこん》[やぶちゃん注:現在只今。]の果木、又、紀載の外《ほか》に出《いづ》る者、多し。豈に、古今、風氣、同《おなじ》からず、或いは、昔、有《あり》て、今は、無く、或いは、未だ、昔に顯はれざるして、今に蕃-行(はびこ)り≪たるものある≫や。』。『佛手柑(ぶしゆかん)・羅漢果の類《るゐ》に至《いたり》ては、紀載に見へずして、山谷の中《なか》≪にて≫、口實《こうじつ》[やぶちゃん注:実を口にすること。]に𭀚《ある》るべくして、人、知るに及ばざる者、益《ますます》[やぶちゃん注:「益」には、送り仮名で踊り字「〱」が打たれてある。]多し。』≪と≫。
[やぶちゃん注:「五雜組」複数回既出既注。初回の「柏」の注を見られたい。以下は「卷十」の「物部二」の一節。「中國哲學書電子化計劃」から省略部(下線部)も含めて如何に示す(一部の漢字を正字に代え、コンマは読点に代えた。一部に字空けを施した)。
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歷考史傳所載果木、如所云都念豬肉子、猩猩果、人面樹者、今皆不可得見、而今之果木又多出於紀載之外者。豈古今風氣不同、或昔有而今無、或未顯於昔而蕃衍於今也? 今閩中有無花果、淸香而味亦佳、此卽「倦游錄」所謂木饅頭者。又有一種、甚似皂莢、而實若蒸慄、土人謂之肥皂果、或云卽菩提果。至於佛手柑、羅漢果之類、皆不見紀載。山谷中、可充口實、而人不及知者、益多矣。
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「都念」本巻に「都念子」として立項する。そこで子細に考証するが、まず、これは、私の好きな、双子葉植物綱キントラノオ目フクギ科フクギ属マンゴスチン Garcinia mangostana を指す。
「猪肉子」不詳。考証を続ける。
「猩猩果」不詳。考証を続ける。
「人靣樹」本巻に「都念子」として立項する。そこで子細に考証するが、これは、ムクロジ目ウルシ科の中国やヴェトナムに自生する、和名未定の Dracontomelon 属の、中文名「人面子」(レンミャンスイ)Dracontomelon duperreanum である。当該ウィキがあるが、そこには、『人面子の名前の由来は、実の窪みには柔らかい棘が入っていて』、『成熟すると抜け落ち、実の窪み部分の中身が入っていない場合、頭蓋骨の目の部分のように大きな穴が』一『つの方向から見て』五『つ見えていて、見る方向によっては、この実の窪みが苦悶した人面に見える事がある事から「人面子」と中国では呼ばれる』とある。いろいろ探したが、「中国科学院华南植物园」の「做“鬼脸”的水果—人面子」にある画像(キャプション「人面子果核」がよい。
「佛手柑(ぶしゆかん)」先行する「佛手柑」を見られよ。
「羅漢果」ウリ目ウリ科ラカンカ属ラカンカ Siraitia grosvenorii 。広西チワン族自治区を原産地とする多年生蔓植物。当該ウィキがあるが、そこに『産地において、特殊な薬効をもつ実であることから、仏教の聖人賢者である羅漢のようだということで名付けられたとも、まん丸の実が剃髪した羅漢の頭に見えるからとも言われる。薬効を発見した清朝の医師の名にちなむともいう』とある。]
[やぶちゃん注:原本では、以下、「卷之第八十九」の「味果類」、「卷之九十」の「蓏果類」、「卷之九十一」の「水果類」の目録が続いて出るが、それは、それぞれの後の巻の冒頭で示す。ルビの読みは、原本そのまま(歴史的仮名遣の誤りもママ)で、丸括弧で下に示す。]
荔枝(れいし)
龍眼肉(りうがんにく)
橄欖(かんらん)
木威子(もくれいし)
菴摩勒(あんまろく)
語斂子(ごれんし)
榧(かや)
海松子(かいしやうし)
㯽榔子(ひんろうし)
大腹子(たいふくし)
大腹皮(たいふくひ)
[やぶちゃん注:後の本文では、この間に「山檳榔(やまひんらう)」(読みは当該原文のママ)があるので、目録落ちである。]
椰子(やしほ)
無漏子(むろし)
桄榔子(たがやさん)
䔋木麪(さもめん)
波羅宻(はらみつ)
無果花(いちじゆく)
文光果(ぶんくわうくは)
天仙果(てんせんくは)
古度子(ことし)
阿勃勒(なんばんさいかし)
都念子(とねんし)
馬㯽榔(むまびんろう)
枳椇(けんぽのなし)
人靣子(にんめんし)
霸王樹(さゝらさつほう)
畨蕉(そてつ)
和漢三才圖會卷第八十八
攝陽 城醫法橋寺島良安尙順編
夷果類
れいし 離枝 丹荔
荔枝
唐音
リイ ツウ
本綱荔枝南方多有之以閩中爲第一蜀中次之嶺南爲
下其木髙二三𠀋自徑尺至于合抱木形團團如帷葢葉
如冬靑四時不凋性最畏寒甚耐久有經數百年猶結實
者花青白如橘花其實喜雙初青漸紅狀如初生松毬殼
有皺紋如羅其肉生時白乾時紅漿液甘酸如醴酪其核
黃黑色似半熟蓮子精者核如雞舌香瓤肉潔白如氷雪
凡實熟時人未采則百蟲不敢近人纔采之烏烏蝙蝠之
類無不傷殘之也故采荔枝者必日中而衆采之若離本
枝一日而色變二日而香變三日而味變四五日而外色
香味盡去矣五六月盛熟時人燕會其下以賞之取啖最
忌麝香觸之花實盡落也此樹炎方之果故不産於寒國
也凡此木結實時枝弱而蔕牢不可摘取必以刀斧劙取
其枝也性至堅勁取其根作阮咸槽及彈碁局
實【甘酸】止渴益人顏色通神益智治瘰癧多食則醉以
殼浸水飮之卽解此卽食物不消還以本物消之之意
[やぶちゃん注:原本では、最終行の頭の部分は、ご覧の通り、一字分が空白になっており、その空白の左下にレ点がある。脱字かと思ったが、国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版を見ると、この部分は詰めてあり、訓読も全くおかしくないので、誤った空白(誤刻)であることが判明したので、訓読文では、詰めた。]
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れいし 離枝 丹荔
荔枝
唐音
リイ ツウ
「本綱」に曰はく、荔枝は、南方に、多《おほく》、之れ、有り。閩中《びんちゆう》[やぶちゃん注:現在の福建省。]を以《もつて》、第一と爲す。蜀中[やぶちゃん注:四川省。]、之れに次ぐ。嶺南[やぶちゃん注:広東省・広西省。]、下と爲《なす》。其の木、髙さ、二、三𠀋、徑《わた》り、尺より、合-抱(ひとがかへ)に至る。木の形、團團《まろまろ》として、帷葢(いがい)[やぶちゃん注:日傘。]のごとく、葉は、冬靑(まさき)のごとく、四時、凋(しぼ)まず。性、最も、寒を畏《おそ》る。《✕→るるも、》甚だ、久《なが》きに耐へ、數百年を經て、猶を[やぶちゃん注:ママ。]、實を結ぶ者、有り。花、青白にして、橘《きつ》の花のごとく、其の實、喜《よろこび》て、雙《なら》ぶ。初《はじめ》は、青く、漸《やうや》く、紅《くれなゐ》なり。狀《かたち》、初生の松毬(ちゝり)[やぶちゃん注:出来始めの松ぼっくり。]のごとく、殼(から)に皺紋(しは《もん》)、有り、羅《あみ》のごとく、其の肉、生《なま》なる時は、白く、乾ける時は、紅なり。漿-液(しる)、甘酸《かんさん》にして、醴酪《れいらく》[やぶちゃん注:甘酒や乳酪。]のごとく、其の核《さね》、黃黑色《きぐろ》にして、半熟の蓮《はす》の子《み》に似たり。精《よ》き者、核、「雞舌香(つやうじ《かう》)」のごとく、瓤肉《うるわたのにく》、潔白にして、水雪《みづゆき》のごとし。凡そ、實、熟する時、人、未だ采らざれば、則《すなはち》、百蟲、敢て近づかず。人、纔《わづか》に之れを采れば、烏-烏(からす)・蝙蝠(かはもり)の類、之れを傷殘《くらひのこ》さずと云《いふ》と[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]。故《ゆゑ》、荔枝を采る者、必《かならず》、日中にして、衆《あまね》く、之れを、采る。若《も》し、本枝《もとえだ》を離《はなる》る時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、一日にして、色、變じ、二日にして、香《かをり》、變じ、三日にして、味、變じ、四、五日にして、外《そと》の色・香味、盡く、去る。五、六月≪の≫盛りに、熟する時、人、其の下に燕-會(さかもり)して、以つて、之れを、賞す。取-啖(《とり》くら)ふ。最も、麝香《じやかう》を忌む。之に觸《ふる》る時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、花・實、盡く、落《おつ》るなり。此の樹、炎方の果なる故、寒國に産せざるなり。凡そ、此の木、實を結ぶ時、枝、弱《よはく》して、蔕《へた》、牢《かたく》、摘取(むしり《と》)るべからず。必《かならず》、刀斧《たうふ》を以つて、其の枝を、劙-取《きりとる》なり。性、至《いたつ》て、堅《かたく》、勁《つよ》≪ければ≫、其の根を取《とり》、作「阮咸《げんかん》」の槽《さう》、及び彈碁《だんぎ》の局《きよく》[やぶちゃん注:古式の中国の碁盤。]
實【甘酸。】渴《かはき》を止め、人の顏色を益し、神を通し、智を益し、瘰癧《るいれき》を治す。多食すれば、則《すなはち》、醉ふ。≪剝いた荔枝の≫殼(から)を以《もつて》、水に浸し、之れを飮めば、卽ち、解す。此《これ》、卽ち、食物、消せざれば、還《かへつ》て、本物《もとのもの》を以つて、之れを、消《しゃう》するの意なり[やぶちゃん注:これは、私は、所謂、フレイザーの言う共感呪術であると思う。]。
[やぶちゃん注:「荔枝」は、一属一種の、
双子葉植物綱ムクロジ目ムクロジ科レイシ属レイシ Litchi chinensis
である。当該ウィキを引く(注記号や一部の項はカットした)。『特にその果実はライチと呼ばれる。中国の嶺南地方原産』。『バンレイシ』(蕃茘枝:モクレン目バンレイシ科 Annonaceaeバンレイシ亜科バンレイシ連バンレイシ属バンレイシ Annona squamosa )『およびバンレイシ科は目レベルより上で異なる別種である』。『常緑高木で、葉は偶数羽状複葉』『で互生する。花は黄緑色で春に咲く。果実は夏に熟し、表面は赤くうろこ状(新鮮な物ほどトゲが鋭い)、果皮をむくと食用になる白色半透明で多汁の果肉(正確には仮種皮)があり、その中に大きい種子が』一『個ある』。『中国においては紀元前から南方の温暖な地域において栽培されていた果樹で、上品な甘さと香りから中国では古来より珍重されたが、保存がきかず「ライチは枝を離れるや、』一『日で色が変わり』、二『日にして香りが失せ』、三『日後には色も香りも味わいもことごとく尽きてしまう」と伝えられる。唐の楊貴妃がこれを大変に好み、華南から都長安まで早馬で運ばせた話は有名である』。『中国語(普通話)での発音はリーヂー(拼音: Lìzhī』『)で、属名もこれに由来する。英語の“lychee”は、広東語/閩南語風にライチーと発音することも、普通話風にリーチーと発音することもある』。『弱酸性で水はけ、水持ちの良い土を好む。生育期は沢山の水を必要とする。冬はやや乾かしぎみに育て、カイガラムシやハダニを防ぐ為に、葉水を霧吹きで与える。越冬可能な温度は』摂氏〇『度以上であるが、確実に越冬させるには年最低気温が』五~十『度以上の環境で育てる必要がある。また、積雪や結氷、霜に非常に弱い為に、直植えできる地域は限られており、寒い地域で栽培する際は、鉢植えかつ室内で温度管理をするのが主流である。日向で栽培することが望ましいが、小さな苗の場合は盛夏時は半日陰で育てる方が良い。成木の場合』、二『月から』四『月に開花する。自然界ではハチやアリなどが受粉するが、栽培では人工的な受粉を行う』。十『度以下に殆ど下がることのない地域でも結実するが、品種によっては、厳冬時に』五~十『度の環境に』百~二百『時間程度当てる必要がある』。『大規模な商業的な栽培は、生育期の春から夏に高温多湿で多雨でありながら短い冬が存在し、無霜地帯で年最低気温が氷点下に下がらない事が条件となる。その為、栽培に適しているのは、熱帯に属する地域のうち丘陵、高原地帯と、温帯夏雨気候、温暖湿潤気候の地域のうちそれぞれ亜熱帯気候のみとなる。この気候条件を満たす中国南部の華南から四川省南部、雲南省にかけての地域、台湾、タイやベトナムなどの東南アジア、オーストラリア北部、フロリダ、ハワイ、レユニオン、マダガスカルで商業的な栽培が行われている。日本国内では沖縄県、鹿児島県、宮崎県などで小規模であるが栽培されている』。「毒性」の項。『未熟果が含有するヒポグリシン』(hypoglycin:アミノ酸の一種)『は、ヒトの糖新生を阻害して低血糖症の要因となる。インドの貧困層で幼児が未熟なライチで空腹を満たし、低血糖から脳炎に至り』、『死亡する事件が頻発している。これは症状が感染症に酷似することから、かつては未知の病原菌による風土病と考えられていた』とある。
なお、「本草綱目」の引用は、「卷三十一」の冒頭の「荔枝」からのパッチワークである。「漢籍リポジトリ」が作動していないので、「維基文庫」でリンクしておく。
「阮咸《げんかん》」中国のリュート属の撥弦楽器。中国語では「ルアンシエン」。かの「竹林の七賢」の一人であった阮咸に因んだ呼称。古くは「秦琵琶(チンピーパー)と呼ばれた。四弦で二弦ずつ同音に調律する。長い棹を持ち、共鳴胴は円形。明・清代には棹の短いものが出現して「月琴」と呼ばれたが、唐代の伝統を受け継いだものも残り、共鳴胴がやや小さい八角形のものも出現した。合奏や独奏に用いられる。日本には、唐代のものが奈良時代に伝来したが、すぐにすたれた。後に清楽用の阮咸が伝わったが、これは八角形の共鳴胴と長い棹を持つ(以上は平凡社「百科事典マイペディア」に拠った。ここで言う「槽」はその共鳴胴を指す。
「瘰癧」結核性頸部リンパ節(腺)炎の俗称。咽頭や扁桃などの初期感染巣からリンパ行性を経て、或いは、肺初期感染巣から血行性を経ることで感染する。頸部リンパ腺は、多数の腫脹を呈し、数珠状・腫瘤状・瘤状に連なる。慢性へと経過するが、初期の活動性の時期には、発熱やリンパ節の圧痛などが著しく、状況によっては次第に悪化し、膿を持ち、終には破れて膿汁を分泌する場合もある。]
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