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2025/03/25

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「牛化石」

[やぶちゃん注:底本はここ。]

 

 「牛化石《うし いしと かす》」  庵原郡牛か谷村にあり。「駿府近在巡見集」云。『牛が谷村梶原山【大內山の續き也】の登り口に牛石と云石あり。是正治年中、梶原景時等一類の墓墳を建《たつ》る時、其石を牽《ひき》たる牛、爰に弊《たふれ》て石となる處也。云云』。

 

[やぶちゃん注:「庵原郡牛か谷村」「近世民間異聞怪談集成」には村名は『牛が村』とある。いろいろ調べてみたが、ここに出る「梶原山」「大內山」とセットで調べたところ、まず、間違いなく、この「ひなたGIS」の戦前の地図の中央にある「牛谷」(表記は右から左)がそこであり、「梶原山」は国土地理院図の西南西にあるピーク「216.1」がそれであり、北西のピーク「304.2」が「大內山」である。現在の静岡県静岡市清水区と葵区に跨る。而して、この「牛石」は、現存することも判った。こちらの「レコの館(やかた)」氏の記事『梶原景時(2/5)「終焉の地」』に観光マップ(南北が逆になったもの)を添えられて、『付近には墓や供養塔に加え、「鬢水石」「駒喰い笹」「牛石」』(!☜!)『「ウナリ地蔵」など「梶原33士」の関連史跡がある。関連史跡の多さからは、梶原景時がビッグネームである事や、地元民に慕われている事が分かる』とあった。さらに、個人ブログ「神が宿るところ」の「牛石」に、『牛石(うしいし)』『場所:曹洞宗「牛谷山 桃林寺」(静岡市清水区大内788)の裏の農道を少し上った路傍。「鷲峰山 霊山寺」』『南、約600mのところにあるが、「桃林寺」も「霊山寺」と同じように「北街道」から北に谷川を遡った場所』とされ、「牛石」の写真も添えられてある。但し、そこには、『僧侶の身で女性に焦がれ死にしたために牛に化してしまったという話だが、相手の女性が住んでいた竜爪山の西麓を「牛妻」と名づけたということになっている』。『この話には、更に続きがある。この牛が悔悟して死んだ後、師の道白禅師縁の清水・有東坂の「補陀山 楞厳院」に葬るために鳥坂村まで運んできたとき、死体が急に重くなったので路傍に下ろしたところ、石になっていたという。この石が「牛石」』『で、石工が鑿を当てたところ、石が血を流したという話もある。言われてみれば、牛が伏せたような形の石で、石の傍らに石祠が祀られており、祭神は牛頭天王であるという。また、近くの「桃林寺」という寺の名は、中国の故事で、周の武王が戦争に用いた牛を「桃林の野」に放したことから、戦備を解除する喩えを「桃林に牛を放つ」ということに因んだものともいわれる。また、一説に、静岡市清水区梅ヶ谷にある臨済宗「神谷山 牛欄寺」の裏山にも「牛石」があり、こちらが雄牛で、「桃林寺」裏の石が雌牛であるともいう』。『ところで、「桃林寺」などがある瀬名丘陵(梶原山、牛谷山などともいう。)には、尾根などに多数の古墳があることが知られており、「瀬名古墳群」と呼ばれている。5~7世紀にかけての古墳(地方豪族の墓)で、確認されているのは7基の前方後円墳、円墳、方墳だそうである』と詳しく書かれてあるのだが、梶原絡みの話は、ない。或いは、別に梶原の「牛石」があるか、或いは、こうした別伝承があるのかは、判らない。しかし、この桃林寺はここ(グーグル・マップ・データ)で、モロ、「牛谷」のそばで、正に「梶原山の登り口」だぜ!!!

「駿府近在巡見集」本書には盛んに出るが、詳細書誌不詳。

「正治年中」一一九九年から一二〇一年までの期間を指す。]

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