茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 訳者茅野蕭々に拠るリルケ論「ライネル・マリア・リルケ」 「四」
四
私は詩集『我の祝に』にもう一度立歸りたい。それは初めて生れたもの、待つてゐるものとしてのリルケの姿が極めて明瞭に覗はれると思ふからである。『日常生活』や『最終の人々』で語つて居るやうな瞬間的な神の啓示に至る迄のリルケが此集に於て最も直接に出てゐると見られるからである。
[やぶちゃん注:初行の「にもう」は、底本では「に」がないが、おかしい。脱字か誤植であろう。再版「詩集」で「に」が補われたことが、岩波文庫の校注で判明したので、補った。]
彼が自我探求の結果、原始への復歸を必要とし、其處に先づ切實な憧憬の念を見出したことは前に說いた。『少女の歌』、『マリアヘ少女の祈禱』等はそれであるが、更にまたリルケは鋭敏な感覺と、微妙な直覺とを根本的なものと見た。
傾聽と、驚きのみで、靜かであれ、
私の深い深い生命よ。
風が欲することを、
白樺もふるへぬ先に知るために。
そして若し沈默がお前に語つたら
お前の官能にうち勝たせろ。
凡ての氣息に身を與へろ、從へ。
氣息はお前を愛し搖るだらう。
さうしたらまた私の魂よ、廣くなれ、廣くなれ、
お前に人生が成功するやうに。
晴著のやうにひろげろ、
ものを思ふ事物の上へ。
感覺を銳利にし、直覺を精細にするだけでは彼には十分ではなかつた。それと同時に自己の心を鏡のやうな靜寂な境地に置いて、外物によつて蕩搖攬亂されないやうにしなくてはならなかつた。彼の知らうとする處は、變化する事物の外形ではない。紛糾を極める生活の諸相ではない。あらゆる屬性を離脫した本質的のものである。そして其の本質的なものは事物そのものの持つてゐる魔力にあり、決して封鎖されない變轉性にあり、名狀し難い處にある。事物は例へば願へる絃である。それを荒い手で摑めば其の音は消え、生命は失はれる。「離れ居よ。私は物の歌ふをきくを好む」といい、「人生を理解しようとするな。すると人生は祭のやうになる」と歌ひ、落花の下を行きながら、その花片を集め貯へることをせずして、徐に髮にかかる葩[やぶちゃん注:「はなびら」。]を拂つて、更に新しいものに兩手を差出す子供を禮讃して居るのも蓋し同じ心である。事物そのものでなくして、事物を繞る騷がしいもの、事物の置かれて居る環境に心を勞することはリルケの性情に適しない處である。進んで複雜な人世の大河に飛入つて、自から社會の波をあげ、事業の嵐を呼ぶことを斷念して、事物の奧底に橫たはる生命を念とする詩人としての自覺に至つた彼は、事物その物をも成るべく簡素單一な姿のものを愛したのである。それ故にリルケは又好んで追放された者、斥けられたもの、貧しい者、瀕死の者等に對して無限の同感と、周密な注意とを持つて居る。地位財產階級門地等、複雜な外面的裝飾に支配されない之等の人々に、赤裸の人性の發露を見たからである。そしてリルケが其處に見たものは人間と動物とを等しなみに壓迫してゐる物理的機制の力ではなくして、その正反對の精神の世界、生命の世界であつた。この卑しきもの、貧しき者、惱める者の禮讃についてはなほ詳しく後章に述べたいと思ふが、シュテファン・ゲオルゲが好んで壯麗豪奢を歌つたのと面白い對象を爲すものであつて、彼が騷擾と紛雜とを囘避するのは決して貴族的な態度でもなく、また「藝術册子」一派の美の僧院への遁世でもなくて、物それ自體を重んずる根本的詩想の上に立つものであることを立證してゐると云へるであらう。
[やぶちゃん注:『「藝術册子」一派』見当外れであるなら指摘されたいが、これは、ドイツ詩に於ける象徴主義を代表する詩人シュテファン・アントン・ゲオルゲ(Stefan Anton George 一八六八年~一九三三年)が、一九〇二年に芸術至上主義の『芸術草紙』を創刊し、そこに集ったフーゴ・ラウレンツ・アウグスト・ホーフマン・フォン・ホーフマンスタール(Hugo Laurenz August Hofmann von Hofmannsthal)を筆頭とする所謂、「ゲオルゲ派」のことを指すように思われる。]
思ふに少女のやうに銳感な神經と纖細な感覺とを重んじ、蕪雜な現實から脫出し、軟いもの、さだかならぬもの、夕ぐれと夜とを愛するのは獨逸新浪漫派の精神であつて、その點に於てリルケもまた傾向を同じくして居る。しかしザムエル・ルブリンスキイが『近代の末路』で論じてゐるやうに、新浪漫派の病弊は感受性の過重である。彼等は早計にも銳敏な神經を以て既に新主觀であり新世界であると信じて居る。その爲め高潮された其內部生命といふものも、實質が甚だしく空疎無力であつて、單なる美、單なる感覺の滿足、形式上の修飾以外に出でない憾みが多い。之に反してリルケにあつては感覺の世界、神經の世界が決して總べてではない。彼はそれによつて大きな生命を感得しようとし、永遠の神を招來しようとしてゐる。云はば手段に過ぎない。隨つて彼の藝術は單なる美を求めて居るのではない。各〻の對象の中に藏されてる永遠を啓示するにある。その事は彼の著『ダルプスヱエデ』の中にも明言されている處である。
私の筆は思はず滑つて、また既に說いたリルケの藝術の本質に歸つて來たが、詩集『我が祝に』に見られるリルケは、生れた許りのやうな新鮮で精細な感受性を持つて、尙「常に待ちつつある人」である。「人生の外に立つ人」である。そして沙門のやうな虔(つつまし)さと、少女のやうな憧憬を以て、將に來らんとするものの前に震へ戰いてゐる。『少女の歌』はその象徵とも見られるであらうが、「私は一つの園でありたい。」「私は晝と夢との間に往む」等の詩は最もよく彼の姿を現はすものである。
詩集『我が祝に』はまた其用語と手法と形式と音律とに於て、漸く因襲的なもの、學習によつて得たものを離れて、自己獨得なものを示して居る。强いて範を先蹤に求めればノヷアリスと一味の通ずるものが無いではないが、それも勿論決定的に云はる可き程では無い。「リルケの比喩形象は神祕化された肉感から滴つてゐる。典型化された(卽ち束縛された)欲望ではなくして、芽ぐみつつある、羞らつて震へて居る欲望である」とツェッヒの評して居るのは、稍〻穿ち過ぎて居る觀がないではないが、リルケの淸新で豐冨な感覺の處女性をよく指摘して居る言であらう。彼の視點は全く在來の詩人とは異つた處に向けられて居る。其の感情の方向は末だ嘗て一度も觸れられなかつた處を指して居る。しかも決して我々に未知のものでもなく、奇異なものでもない。彼れは使い古され、塵まみれになつて居る言葉に數千種の新しい美を見出し、その本來の意義を再生させてゐる。
日常の中に滅びたあはれな言葉、
眼だたぬ言葉を私は愛する。
私の宴から私がそれに色を與へると、
言葉は微笑むで、徐に喜びだす。
彼等が臆病に內へ押入れた本性が
はつきりと新たになつて、誰にでも見えてくる。
一度もまだ歌の中で步まなかつたのが、
震へながら私の小曲の中で步いてゐる。
此詩集以後のリルケの詩を讀む者は、何人と雖も彼の此言を其儘受入れざるを得ないであらう。そして彼の新しい用語例は其後の靑年詩人に著しい影響を與えて、その恩澤に浴しないものは殆どないと云つても過言ではない位である。
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