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2025/03/03

茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 訳者茅野蕭々に拠るリルケ論「ライネル・マリア・リルケ」 「二」

 

      

 

 ライネル・マリア・リルケの人及び藝術家としての素質、その發達成熟の迹を知ろうとするには、彼の作品を點檢するに越した方法は無いやうに思はれる。彼は外面的の運動や社會的活動を事とする人ではなくて、一心に内面生活の開拓と、詩作の完成とに沒入している純粹の詩人であるからである。

 彼の第一の詩集『人生と小曲』及びその以前に知人の間に配つたという小册子『きくぢしや草』は末だ見る機會に接しない故、それに就いて何も云う事は出來ない。しかし『家神奉幣』といい、『人生に沿い行く』といい、獨立した藝術的價値から判斷して、勿論取立てて論ずる程のものでは無いようである。しかし最も正直に最もあらわに彼の性情が流露している點に於て、後のリルケを知つているものに取つては、少からぬ興味を牽くものがある。彼の精細な語感、母音の音樂、特殊な手法象徵、淸新な感覺等、後年の作品で顯著になるものが既に此處に芽ぐんで居るばかりではなく、後の進路を規定する重要な素質が可なり純粹な形で現はれてゐる。それは虔ましい愛と安靜の心とである。末だ二十歲にも足りない血氣の靑年には珍しい客觀性である。個性的(ベルゼヨエンリツヒ)でなくて著しく物的(デイングリツヒ)なことである。恰も『プラアクの話』の中のボフシュ王のように、他人の重大な或ものを知るに滿足して、それ以上何等の要求を持たない處である。斯ういふ風に不羈奔放な空想に驅られ勝ちな少年期からして、主として自己の直接經驗に觸れたもののみを歌ひ描くという實證的な行き方は、消極的な客觀性を尊重したその當時の時代精神に負ふ處があつたにしても、またリルケの受動的な所謂婦人魂の根ざしの深いことを語るものであつて、彼が自己を高潮し、個性を周圍の世界に光被[やぶちゃん注:「くわうひ」。光を広く行き亙らせること。]せしめようとするよりは、靜につつましく事象を感受し、理解し、愛し、其內の生命に觸れずには止まない傾向が、彼の素質の奧底に橫はつてゐる事を證明するものではないか。「視は愛である」と云ひ、「觀察は祈禱である」と言つて居るリルケの信條は、全く後天的の努力精神からのみ生れたものではないと思はれる。

[やぶちゃん注:「きくぢしや草」エンダイブ(ドイツ語:Endivie)。双子葉植物綱キク目キク科タンポポ亜科キクニガナ属エンダイブ Cichorium endivia のこと。和名「菊萵苣」(キクジシャ)・「苦萵苣」(ニガヂシャ)。但し、この名の「小册子」なるものは、ドイツ語のリルケのウィキにも記載はなく、不詳。

「『プラアクの話』の中のボフシュ王」(「二つのプラークの物語」:‘ Zwei Prager Geschichten ’:一八九九年)は散文。その第一の物語「ボーフシュ王」を指す。未見だが、「八戸工業大学学術リポジトリ」の水沼和夫氏の論文「リルケとプラーク(その2)」PDFで入手可能)が参考になる。]

 詩集『家神奉幣』は、古い獨逸風の遺跡と、スラヴ風によつて破られた近代風との混淆してゐる故鄕プラアク市を歌つたものである。古風と新樣との烈しい矛盾は、世間を怖れる保守的な靑年詩人の心に强い感銘を與へたやうであるが、彼は固結した記念的な過去に對しても、嵐のやうに逼迫する近代文明の殺風景に對しても、同じように穩やか愛を注いで、その何れにも偏してはゐない。家、殿堂、僧院、禮拜處、祭の行列、聖者の像、「硝子の背後にあるような街路」、そこに住む人々、晝夜、風景が主要な材題であつて、其間に往々民謠の響がきかれる。丁度パステルの色を以て畫かれた繪のやうな詩である。上品に美しいけれども、氣息のやうに消えさうな心もとなさが無いでもない。

 物的であり客觀的であつたリルケを自己に眼ざめさしたものは女性と時代思潮との力であつた。詩集『冠せられた夢』は卷頭の一篇『王の歌』を除いては全卷五十扁悉く夢と戀愛とをうたつたものである。しかし作者の夢は軟かでほのかなものが多く、其の戀は單一で純粹である。素直に來るものを受人れ、靜に自分の性情の發達に從つて居る樣を見ることが出來る。しかし一方彼が諸處の大學に聽講し、ミュンヒェンに行きベルリンに出た頃の文壇の風潮は如何であつたらう。さしもに隆盛を極めた自然主義も漸くその氣勢を挫かれて、フィスマン[やぶちゃん注:不詳。]の反旗、イブセン、ストリンドベルクの變化は云ふまでもなく、自我に還れの聲は獨逸國內に於ても既に諸處に聞かれたのである。バアルの『自然主義脫却論』の出た翌年、卽ち一八九二年の四月にはミュンヒェンで出る『ゲゼルシャフト』誌上にデエメルは長論文を揭げて自我の權威を提唱した。腐爛した汚物の中から靑い花の咲く日が來た。荒い生活の浪に觸れることを好まなかつたリルケも、此新思潮の敎ふる處を最も嚴肅に受入れたやうに見える。

 自我とは何であるか。リルケは先づそれを知らうと思つた。自我を以て肉體的個人と考えた人々は遂に鄕土藝術へ赴いた。感覺の微妙な魔術に捕へられたものはホオフマンスタアル等のやうに「美の僧院」に遁世して、新しい夢に沒入して行つた。リルケも暫く之等幾多の方向の間に彷徨した。詩集『基督降誕節』は明にこの間の消息を示すものである。『父』、『ペエタア・イャコプセン』、『ペエタア・アルテンペルグ』、『ハンス・トオマ』、『リリエンクロオン』、『リヒャルト・デエメル』等への獻詩を持つてゐる此の詩集は、詩想の上に於て種々多樣なものの混入を裏切つて居るのみではなく、また調子の上でも『家神奉幣』の純一を破つて、他人から幾多の影響をうけたことを語つて居る。

 何か花園の中へ入つて來た、

 栅は軋(きし)る音もしなかつたが、

 總べての花檀の中の薔薇は

 それが居るので戰いでゐる。

[やぶちゃん注:「戰いで」。「そよいで」。]

 斯ういう隱喩も用ひられる。またハイネ風の律動も屢目立つ上に、ほのかに優しかつたものが、聲高く叫びをあげる心の逼迫に襲はれる。「お前達の中にちろちろと啼くお前達は魂と云ふのか。……私には永遠の一片を胸の中に擔つてゐるやうに思はれる。それは放蕩し叫喚する。……これこそは魂だ。」

 當時のことを囘顧したのであらう。彼は時禱篇の中で歌つてゐる。

 私は蒔き散らされました。敵によつて

 私の自我は片々に分たれました。

 ああ、神よ、凡ての笑ふ者は私を笑ひ、

 あらゆる飮むものは私を飮みました。

 ………………

 私は火事の後の一軒家でした。

 そこには殺人者だけがをりをり、

 飢餓の罰に追はれて

 外へ出てゆくまで眠つてゐました。

 また疫病の迫つて來た

 海邊の町のやうでした。……

 總べての自己を求める者の苦しみが彼の上に來たのである。そして事物の凝視者であつた彼はまた自己の分裂崩潰をも凝視するの外はなかつた。その一つ一つの異つた姿を深く極めて、其奧底に唯一普遍なものを求めようとするのが彼の戰であつた。自作の聖像の悉くが皆な異つた容貌を持つて居るのに慊らずして[やぶちゃん注:「あきたらずして」。]、「一つの中に總べて」を收めようとして、終に忘我の中に我と我が肉體を鑿[やぶちゃん注:「のみ」。]で刻む短篇『彫刻家』の主人公ヱルネルは、實に當時のリルケ其人であつたらう。彼はこれ迄自我として賴つてゐたものが、多くは他人によつて作られた因襲であり槪念であることを學んだ。そしてそれ等一切を斥けて眞の自我を建てようとするのが、彼の切なる願であつた。

 これが私の爭だ。

 憧憬に身をささげて、

 每日を步み過ぎる。

 それから、强く廣く、

 數千の根の條で

 深く人生に摑み入る――

 惱みを經て

 遠く人生の外に熟す。

 時代の外に。

 詩集『基督降誕節』の基調はそれ故に著しく憂鬱であつた。上には重く暗い雲が懸つており、下には暴い吹雪が狂つていた。しかし降誕祭を飾る若い樅は既に森の片隅に來るべき目の輝きを待つてゐた。それは詩想の上のみについてではなかつた。此詩集によつて、リルケの詩人的才能、辭句を練り、諧調を驅使し、律動を與へる手腕が、同時代者の間に交つて遜色なきことが證明され、近づく祭日が期待されたのであつた。そして其期待に答えたものが次ぎの詩集『我が祝に』であつた。實に此集は上述のやうな意味で眞のリルケの第一詩集であると云つてもよい。『冠せられた夢』や『基督降誕節』の中にあつた、種々の不純なものが今や一掃されて、再び此處には眞にリルケ的なもののみが新しい光を發してゐる。しかし此處には末だ『少女の歌』、『マリアヘ少女の祈禱』等の示すやうな、目標のない寂しさがあつた。

[やぶちゃん注:「來るべき目の輝きを待つてゐた」は、底本では、「來るべき目の輝きを待つたゐた」である。誤植。岩波文庫版で特異的に訂した。]

 お前たち少女は四月の夕の

 花園のやうだ。

 春は數多の路の上にあるが

 なほ何處と目あてもない。

 という『少女の歌』の序詩は、ただ少女の本質を的確に表現してゐるばかりではなく、同時にまたリルケが當時の僞らない心境の表白ではなからうか。「遠く人生の外、時の外に」永遠を求めて「成熟しよう」とするリルケの憧憬には、既に目的があつて末だどの路を選む可きかといふ定かな目標がなかつたのである。永遠は虛無にもある、死にもある、愛にもある、神にもある。

 みそなはせ、私等の日はこんなに狹く、

 夜の室は氣づかはしい。

 私等は皆な倦みたわまず、

 紅い薔薇を願つてゐます。

 

 マリアよ、あなたは私等にやさしくしなくてはなりませぬ。

 私たちはあなたの血から花咲いたのです。

 また憧憬のどんなに痛いかは

 あなただけが知ることが出來まする。

 

 實に魂の少女の痛みを

 あなたはみづから知つてゐられます。

 魂はクリスマスの雪の如く感じながら、

 それで全く燃えてゐる。……

 「赤い薔薇を願ふ」憧憬の悲しさには、「平な國では待ちもうけてゐた、一度も來なかつた客をば」といふ哀音さへ時に交つて居るが、全體に於てリルケの中の詩人が自覺に到達して、

 ……生命を求めて打ちふるひ、

 また高い處へ行かうと思つてゐる。

 歌のやうに光耀のやうに。

 といふ明るさに充ちて居ることは蔽はれない。云はばリルケは此集によつて詩人としての自己の降誕を祝つてゐるらしく思はれる。『我が祝に』といふ命名も恐らくその心持であらう。その邊の消息を一層明瞭に知る爲に、我々の視線を暫く彼の小說戲曲の方へ向けてみたい。

[やぶちゃん注:『我が祝に』底本では、『我の祝に』であるが、前記の標題指示に従い、特異的に訂した。再版「詩集」でも茅野は訂正している。]

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