阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「龍落爪爲山名」
[やぶちゃん注:底本はここ。記号を附加した。]
「龍落爪爲山名《りゆう つめを おとし さんめいと なす》」 庵原郡平山村、龍爪山にあり。「駿河誌」云、『龍爪山の嶽に龍爪權現の社あり。其嶺に徃昔の夏、雲靉《たなびき》て一龍くだり、あやまりて木の枝に爪を落せり。野叟(やさう)拾ひとりてより、此山を龍爪山《りゆうさうさん》と號《なづけ》たり。或說に、此山を時雨匝(しうさう)[やぶちゃん注:珍しい底本のルビである。後も同じ。]山と云。時雨《しぐれ》いつも山の巓《いただき》を匝(めぐる)が故、この名あり。宗長法師《さうちやうほふし》の「龍ある峯」と讀《よみ》しも、此山の事也。云云。宗長の歌、未見當らず、追て加ふべし。此山、常に雲深く、實《げ》に時雨の名、據《よりどころ》あり。權現の神異は近頃の事にして、古くは有《あり》とも聞へず。』。
[やぶちゃん注:「庵原郡平山村、龍爪山」現在の静岡県静岡市葵区平山にある龍爪山(りゅうそうざん:グーグル・マップ・データ)。現在、竜爪山静岡穂積神社がある。サイト「BODHI SVAHA」の「穂積神社(ほづみじんじゃ)竜爪山 静岡穂積神社」によれば、『恵水(龍)の他、弓矢の時代より矢、弾除けの神社として広く知られております』。『山そのものが信仰の対象だった竜爪山』の項に、『遠足やハイキングで、登ったことがある人も多いはずの「竜爪山(りゅうそうざん)」』は、『標高』千『メートルを越す文珠山と薬師山の両方を合わせて呼ばれているその山頂近くに、この地に逃れた武田軍の残党により、慶長』一四(一六〇九)『年に祀られたという「穂積神社(昔の呼称は竜爪権現)」が鎮座しています』。『「落人の一人、望月権兵衛がある時真っ白な鹿を撃ち殺し、その夜から病の床に就くようになった。ある日』、『夢枕に一人の老人が立ち、『お前が以前撃った鹿はわが使いのものである。お前が竜爪山に社を建て、われを祀るなら、その病気を治してやろう』と伝えた』。『言われた通り、早速社を建て竜爪権現と崇め、自ら神主となった」。以上が通説とされていますが、神社総代の古本万吉さんは、空海が作らせたと思われる経文が発見されていることから、平安時代以降の歴史があるのでは…と考えています。また高野山と同じく、山そのものを権現とする山岳宗教という点からも、空海や真言宗との関わりが深いと考えられています。このように徳川期までは神仏二道が慣習でしたが、明治の神仏分離令で、竜爪権現は仏教色が払拭され、現在の穂積神社の誕生となりました。古本さんは』二十五『年にわたり』、『竜爪のことを調べていて、本当の歴史を伝えていきたいと研究を続けています』。『権兵衛が鹿を撃った伝説や、竜爪山が恰好の猟場だったことに起因しているそうですが、武田家の残党が密かに鉄砲の練習をする際、音が響いても言い訳できるよう、祭りとして認めてもらったとも。諸説紛々の竜爪山と穂積神社、山登り以外にも魅力が盛りだくさんです』とあった。本引用の最後の「權現の神異は近頃の事にして、古くは有《あり》とも聞へず。」というのとは、齟齬がある。]
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