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2025/03/04

茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 訳者茅野蕭々に拠るリルケ論「ライネル・マリア・リルケ」 「三」

 

      

 

 『人生に沿ひゆく』は詩集『家神奉幣』に現はれて居るやうなリルケの素質を語つて居る點で興味のある短篇又はスケツチ集であるが、彼が無偏無黨に周圍の事物、出來事を受入れ、それを理解し、愛さうとする態度は寧ろ一層鮮明に現はれて居る。此點では『プラアク二話』も同樣であるが、技能の上から見ると末熟の跡の蔽ふ可からざるものがある。彼が一八九九年の序文に「自分は今日だつたら斯うは書かなかつたであらう。隨つて槪して書かずにしまつたらう」と云つて居るのも肯かれる。ただ其中にも優しい軟い愛情が、燒くやうな强さでは勿論ないが、稍感傷的に、しかし眞底から各の作品に溢れて居る。最初は貧しい者、疲れたもの、悲み惱むものに對する同情となつて―例へば一八九三年の作といわれる『子の基督』に於けるやうに―現はれ、後には一般の事物や人間に對する愛として出て居る。短篇『白い幸福』の如きは藝術的に最も成功して居るものであらうし、スケッチ『聲』は事件、出來事を描寫しないで、物それ自體の本質に滲透しやうとするリルケの大きな特性を裏切つて居る作であらう。ゲオルグ・ヘヒトが之等の作品を通ずる精神はホレエショの叡智 Aurea mediocritas 卽ち黃金の中正道であると云つて居るのは當らずと雖も遠くない批判であらう。

[やぶちゃん注:「ゲオルグ・ヘヒト」不詳。

Aurea mediocritas」ラテン語。音写「アウレア・メディオクリタース」。サイト「山下太郎のラテン語入門」のこちらに拠れば、古代ローマ時代の南イタリアの詩人クィントゥス・ホラティウス・フラックス(ラテン語:Quintus Horatius Flaccus 紀元前六五年~紀元前八年)『の言葉です』(「詩集」2.10.5)。『日頃「心のバランス」という言葉を耳にすることがあります。キケローも「人生を通じて心のバランスを保つことは素晴らしい。いつも変わらぬ表情と顔つきをしていられることもまた素晴らしい」と言っています。ローマの格言をいろいろ見ていると、心の激しい浮き沈みを戒める言葉がたいへん多いです』。『「心のバランス」と言えば、ホラーティウスの「黄金の中庸」(アウレア・メディオクリタース)がもっとも有名です。「なにごともほどほどが一番」というくらいの意味です。「過ぎたるはなお及ばざるが如し」とも言われるように、何事にせよバランスを取るのは大切です』。『ホラーティウスは、逃れられない死の定めについて、また人生の無常について、繰り返し詩の中で語っています。権力や富への過度の欲望にとらわれるべきでないこと、今ある質素な暮らしに満足し、「今日この日を楽しめ」と歌います。「Carpe diem. カルペ・ディエム」の詩でも有名ですね』。『英語でも「中庸」のことをゴールデン・ミーンと言いますが、ホラーティウスの「アウレア・メディオクリタース」に遡ると考えられます。アクセントは「アウ」と「オ」に落ちます。二語から成る言葉なので覚えやすく、それでいて重みのある言葉なので、座右の銘にお勧めです』。『ホラーティウスは、死という逃れられない定めについて、また人生の無常について、繰り返し説いています。そこから、権力や富への過度の欲望にとらわれるべきでないこと、今ある質素な暮らしに満足し、「今日この日を楽しめ」と歌うのです』。『ある意味で、エピクロス派の幸福観を想わせます』。『ホラーティウスは、中庸の徳を大切にした人です』として、以下に詩篇が示されてある。]

 しかしリルケの自己摸索の有樣を示し、詩人的自覺の内容を語るものは、小說『最終の人々』と、戲曲『日常生活』であると思ふ。

 小說『最終の人々』の主人公ハラルトはリルケと等しく古い貴族の末裔である。彼の祖先には將軍あり、國王もあり、僧正もあつた。ハラルトは之等祖先の基礎の上に立つてゐる。彼の背後に橫はつて居る數百年の發達は彼の上に悉く其影を落して居る。それ故の彼の戀人マリイの語を借りて云へば、「何人も氣づかぬ程の人生の出來事でも彼を見れば直ぐ解る。彼の言葉も、眼眸も、身振も、直ちに一つの出來事を意味する」のである。斯うしたリルケの考へ方を見ると、彼もまた自然主義の人生觀と等しく、自我又は個人の中に幾多の祖先が嚴然として生存して居ることを信じてゐるやうである。遺傳の事實を否定しない一人であるらしく思はれる。そして外的生活で嘗て支配者であつた祖先のことを屢その詩作の中で語ることは、フリイトリッヒ・ニイチエが自分の祖先をポオランドの貴族として一種の誇を禁じ得なかつたことと思ひ合せると中々面白い。しかしながらリルケと自然主義者との相違は、其遺傳の力に全然屈伏するか、それを凌いでそれ以上に出るかにある。『旗手クリストオフ・フォン・リルケ』等を見れば、彼が自我を訊ねて祖先へ遡ることは祖先によっての決定を信ずる悲觀的定命論者とは異つて、嘗てあったものが滅びないことを證明しようとし、引いては可死者に永遠の命を與へる樂觀者であり、變轉と發達とを信ずる理想主義の面影を持つてゐることがわかる。彼が祖先の中に見るものは決して單なる物的肉體的のものではなく、其の中に籠つてゐる靈性であり、變轉と發達とを信ずる理想主義の面影を持つてゐることがわかる。彼が祖先に中に見るもの決して單なる物的肉體的のものではなく、其の中に籠つてゐる靈性であり、力であることは、リルケが物に卽しながら其の形骸と物理的機械的作用にみ捕へられなかつたと同樣であつた。此點は特に注意して置かなくてはならない處である。

 さて主人公ハラルトは社會改良事業の爲に日夜營々として、種々の困難に遭遇しながら奮鬪を續けて數年を經た。そして彼の爲には最後の一滴の血まで惜むまいと思つてゐるマリイの助けをも得た。しかしやがて彼は自己の努力の無益なことを覺醒した。世人は蒙昧、偏見、貪婪等あらゆる罪惡の中に浸つてゐて、却つてそれに執著している。過去の羈絆[やぶちゃん注:「きはん」。「牛馬をつなぐ」の意から、「足手纏(まと)いとなる身辺の物事」の意。]に捕へられて之を脫する努力を缺いてゐる。不治愚鈍な怠慢である。彼は自己の生活を顧みて、其の效果は老母が沈默の間に編み上げた一枚の卓布にも及ばないことを感じた。彼の生活は愛の浪費に過ぎなかった。

「私は愛を熟させなかつた。私は餓ゑて居る人々に靑い果物を投げ與へた。」

 彼は斯うした悔恨を抱いて重い病の床に橫はつた。ハラルトの此告白が我々に告げる處は、外面的物的生活の革新は先づ我々の内面生活の充實を得て後でなくてはならないとの意味である。内にある愛を熟さしめる、その考は實に大戰後の獨逸文檀に澎湃として潮のやうに高まつたものであつたが、それに先立つこと二十年、末だ一種の夢想家の如く思かれてゐた靑年詩人リルケによつて道破せられたところであつた。そして其內なる愛を養ふには何うしたらよいか。ハラルトは死に隣つてゐる病床にゐて少年時代を回顧する。

「私は最う一度子供時代から始める。子供時代は全く總べてのものから獨立した國である。國王たちの住む唯一の國である。我々は何故其處から追放されるのだらう。何故あの國で年を重ねて成熟しないのだらう。何故他人の信ずるものに自分を馴らさなくてはならないのだらう。それが純一な子供心に信じてゐたものよりは、幾分でも多い眞理を含むでゐる故であらうか。私は今でも思ひ出すことが出來る。……あの頃には一々のものが特殊の意味を持つてゐた。そして無數のものがあつた。何れも價値は同じであつた。それ等のものの上には公平があった。各のものが唯一つに見えた。運命であり得た。」

 彼は斯うして「全く手本のない生活」をし、あらゆる因襲から得て來た知識を自分に應用せずに、「始めて人間として生れて來たやうに振舞はう」と思つた。其處には「無數のものが同價値であり、個々の物が唯一つに見え」なくてはならなかつた。短篇『一致』の主人公が「十年の努力は唯全く生れた元のところへ歸つて來る爲に費されたのです」と叫んでゐるのも同じ心持に外ならない。それ故リルケにあっては自我の探求は殆ど自我の解體であり消滅であつた。否な自我の本質、總べての原始への復歸であつた。根本的に最初から、始めて人間として生れて來たやうに、感じ、味ひ、愛し、考へ、表現する。其處に眞の藝術の母胎がある。此覺醒からリルケは主人公ハラルトをして、外面生活の支配者であつた種族の「最終人」として、人間の內部生活にたづさわる詩人としての任務を決定的に負はせたのであつた。云はば自傳小說とも云ふべき此作で、リルケは自己の詩人としての覺醒を語ると共に、その詩作の如何なるものである可きかを規定してゐるやうに思はれる。「我々は多くの藝術を持つてゐるが、實は一つも持つてゐない。多くの憧憬はある。そして一つの充足もない。」何故といふと「世界のあることを知るのは藝術では無くして、それは一つの世界を作ることで無くてはならない。見出すものを破壞することではなくして、「單に未完成なもの」を見つけることにある。可能性のみ、願望のみ。そして突如として滿足があり、夏があり、太陽を持つ……」其處に藝術の不可思議があるのである。在來の總べてのものは唯神へまで導いたに過ぎなかつた。「常に惟神へ迄至つて、それを越えたことが無い。恰も神が岩ででもあるやうに。」しかし其處に新しいものが覗はれなくてはならない。神は越え難い岩ではない。「彼は花園であり、海であり、非常に大きな森である。」――「人は神の罷む處、疲れたところから始めなくてはならない。其處で進入しなくてはならない。」その能力あるものが、その惠まれたものが卽ち藝術家である。リルケが神を如何に考へたかは後章の說明に讓るとして、彼れがかうした永遠と生命との交感とも云ふ可き藝術創作の刹那の感激的禮讃は、戲曲『日常生活』にも見ることが出來る。

 此戱曲の女圭人公ヘレエネは戀愛と藝術的靈感とを同樣であるとして、戀愛から結婚に進もうとする靑年畫家に告げて云ふ。「近代の藝術家は、一つ一つの閱歷にそれ相當の調子を與へて、それを一つ一つの完全なものにし、一つ一つの生活にし」なくてはならない。斯くの如き人にして始めて「一生の間に千萬の生活を閱し、千萬の死を死しながら千萬の死を凌ぐ」ことが出來る。此異常事を爲遂げる素質と能力とを持つてゐるものが眞の藝術家であつて、藝術家が靈感に打たれてゐる一時間は決して唯の一時間ではない。彼の過去未來に於ける數千百日が此一時間に折り重なつてゐるのである。云ふベくんば彼の永劫さへ此一時一刻に縮まつてゐる。而もその一刻は規則と便宜とに支配されてる世界の眞中で、又此の高い交合と受胎とを見ることも感ずることも出來ない人々の眞中で、突如として詩人を襲ふこと、戀愛が電のやうに人の頭上に落ちるに似てゐるのである。そしてかういふ燃燒の時間は譬へ數時間繼續するにしても、其後に來る時間に比すると眞に瞬間である。後に來る時間とは卽ち日常生活であり、期待であり、勞作であり、無理な行爲であり、敬虔であり、謙遜であり、困難な始めであると。

 どうされます神樣、私が死んだら、

 私はあなたの瓶、(若し私が碎けたら、)

 私はあなたの飮物、(若し私が腐つたら、)

 あなたの著物だ、あなたの蝶鉸(てふつがひ)だ。

 私と共にあなたの意味は失はれる。

 

 私の後には、近い暖い言葉で

 あなたに話しかける家もないでせう。

 あなたの疲れた足からは天鷲絨の鞋(サンダアル)が落ちる。私はそれだ。

 又リルケは或る詩で「我は神の口だ」とも云つて居る。斯ういふ瞬間の體驗から、彼は萬物の後に活らゐて[やぶちゃん注:「はたらゐて」。]ゐる永遠者の存在の信念へ導かれた。主觀的ではなくて客觀的であり、個性的だといふよりは卽物的であつた彼としては、明かに一つの神祕的飛躍である。今やリルケに取つて眞に人生的意義のあるものは、萬物の深い心であつた。ものそれ自身であつた。その名や形等外面的なものではなくて、其の本體であつた。彼が自己の周圍のみを照らして截然[やぶちゃん注:「せつぜん」。]たる區別を敢てする小さな光よりは、總べてのものの一樣に溶け入つて區々の差異から脫出する闇と夕暮とを喜んだのも其爲であろう。「私は人間の語を恐れる。人々は皆これは犬、彼は家、此處に始があり、彼處に終があると」いふ、しかし名は例へば牆壁である。

 言葉はただ牆壁、

 その背後の常磐の山にこそ深い心は輝くのだ。

 詩人が其常磐の山に突入する「未聞の異常事を爲す」瞬間を持ち、「本來沈默としてのみ考へらるる或事を語り、」「恰もその言葉無くしては餓死せずにはゐられない數千の人々が眼前に立つてゐるかの如く、熱して、聲髙く、息もつがずに呼ば」ずにはゐられない者であることを體驗し、其れを藝術の本義であるとした事は、リルケを知る上に於て重大な點であつて、彼のあらゆる詩作を解く鍵であるが、更にまた彼が「日常生活」と呼ぶところの、その燃燒的境地に對する憧憬と期待、準備と勞作、敬虔と祈禱こそ、一層人としてのリルケの特性を示すものであるやうに思はれる。

 

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