阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「三角白鹿」
[やぶちゃん注:底本はここ。]
「三角白鹿《みつつののはくしか》」 庵原郡杉山村杉山にあり。「類聚國史」云《いはく》。『欽明天皇二十五年甲申冬、令乄下二蘇我稻目ヲ一狩中蕣河國ノ庵原郡杉山ニ上、得テ二三角白鹿ヲ一献ㇾ官、終ニ連歲有二洪水ノ之災一。云云』。謂《いひ》は山の神の類《たぐゐ》にや。杉山、今、猶村、名、存《そん》せり。
[やぶちゃん注:まず、訓読しておく。
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欽明天皇二十五年甲申《かうしん》冬、蘇我稻目《そがのいなめ》をして、蕣河國《しゆんがのくに》の庵原郡《いほはらのこほり/いはらのこほり》杉山《すぎやま》に狩《かり》、「三角白鹿」を得て、官に献《けんず》、終《つひ》に、連歲《れんさい》、洪水の災《わざはひ》、有り。云云《うんぬん》。
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「連歲」「年を続けて」の意。
「庵原郡杉山村杉山」現在の静岡市清水区杉山(グーグル・マップ・データ)。
「類聚國史」(るゐじゆこくし/るゐじゆうこくし)は編年体である「六國史」(りっこくし)の記事を、中国の「類書」に倣って、分類・再編集した歴史書。菅原道真の編纂になるもので、寛平四(八九二)年に完成した。但し、参照した当該ウィキによれば、『宇多天皇の勅令を受けて、菅原道真が編纂した書籍であ』るが、「日本三代實錄」『部分については』、『後世の加筆とされる』。『編纂の目的は政治での運用とされる』。『仁和寺書籍目録によれば、もとは本文』二百『巻、目録』二『巻、系図』三『巻の計』二百五『巻であったが』「応仁の乱」『以降』、『散逸し、現存するのは』六十一『巻のみである』。『現存分は神祇、帝王、後宮、人、歳時、音楽、賞宴、奉献、政理、刑法、職官、文、田地、祥瑞、災異、仏道、風俗、殊俗という』十八『の分類(類聚)ごとにまとめられている。特筆すべきは』、『検索を容易にし、先例を調べる便宜を図っていること、原文主義をとって』、『余計な文章の改変を一切排していることである。たとえば、神祇部の巻』一と『巻』二『は』、「日本書紀」『をそのまま転載している』。『また』、「日本後紀」『の多くが失われているため、復元する資料としても貴重である』。『中国の唐代では、詩文の作成や知識の整理のために、古典の中から必要な箇所を抜き書きして分類編纂することが広く行われ、これを』「類書」『と称した』。『この書も類書の形態を踏襲しており、日本における類書の一つと言える』とある。
「欽明天皇二十五年」ユリウス暦五六四年。
「蘇我稻目」(?~五七〇年)は飛鳥時代の豪族。「崇仏派」の中心となり、物部(もののべ)・中臣(なかとみ)氏らと対立した。皇室と姻戚関係を結び、蘇我氏全盛の礎を作った人物である(「デジタル大辞泉」に拠った)。
まんず、この三つの角を持った白鹿は、山の神であったか、或いは、その使者であったということであろう。]