和漢三才圖會卷第八十七 山果類 橡
[やぶちゃん注:左下方に実の殻斗(ドングリの基部についているもの。いわゆる「皿」、「椀」「帽子」などと呼ばれる部分)を持つ「どんぐり」が一個、描いてある。これは、実の丸さと殼斗を見ても、百%、双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属 Cerris 亜属Cerris節クヌギ Quercus acutissimaのそれであり、絶対に、良安が以下で頻りに記している「トチ」と呼んでいるムクロジ目ムクロジ科トチノキ属トチノキ Aesculus turbinataの実ではない。]
とち 皂斗 櫟梂
柞子【音作】杼【茅同】
橡【様同】 栩【音許】
【和名止知】
ヤン 【俗用栃字】
[やぶちゃん注:標題下の割注にある「様」は「樣」と同じで、実は、「樣」という字は異体字「橡」の正字であり、「樣」の第一義は「橡實」=「どんぐり」=「クヌギ(の実)」を指すのである(大修館書店「廣漢和辭典」に拠る)。]
本綱有二種一種不結實其木心赤名之曰棫結實者曰
栩其實爲橡盛實之房爲梂【音求】二者樹小則聳枝大則偃
蹇其葉如櫧葉而文理皆斜勾四五月開花如栗花黃色
結實如荔枝核而有尖其蒂有斗包其半截其仁如老蓮
肉山人儉歳拾采以爲飯或擣浸取粉食其木髙二三𠀋
堅實而重有班文㸃㸃大者可作柱棟小者可爲薪炭他
木皆不及其實之壳煑汁可染皂也若曾經雨水者其色
[やぶちゃん注:「壳」は「殼」の異体字。]
淡其嫩葉可𤋎飮代茶也
橡子【苦微温】止瀉痢厚膓胃浸水淘去澀味蒸極熟食之
西行
山家山深み岩にせかるる水ためんかつかつ落るとちひろふほと
[やぶちゃん注:以上の一首は「岩にせかるる」は「岩にした(だ)るる」が正しい。訓読文では訂した。]
△按栩葉大者可七八寸有蹙縮實大於栗其様裹半亦
竒也木心亦有蹙縮橒美而膚濃用作飯盌及箱案之
類不減於欅也
凡櫧槲櫟之屬皆有梂其狀似飯盌之蓋盞殊櫟之梂
大而包半故立櫟梂之名然倭名抄以櫟爲甜櫧之訓
者訛必焉
*
とち 皂斗《さうと》 櫟梂《れききう》
柞子《さくし》【音「作」。】
杼《しよ》【「茅」に同じ。】
橡【「様」と同じ。】
栩《く》【音「許」。】
【和名、「止知《とち》」。】
ヤン 【俗、「栃」の字を用ふ。】
[やぶちゃん注:標題下の割注にある「様」は「樣」と同じで、実は、「樣」という字は異体字「橡」の正字であり、「樣」の第一義は「橡實」=「どんぐり」=「クヌギ(の実)」を指すのである(大修館書店「廣漢和辭典」に拠る)。]
「本綱」に曰はく、『《橡實は》二種、有り。一種は實を結ばず、其の木の心《しん》[やぶちゃん注:「芯」に同じ。]、赤し。之れを名づけて、「棫《ヨク》」と曰ふ。實を結ぶ者を「栩《ク》」と曰ふ。其の實を「橡(とちのみ)」と爲《なす》、實を盛《も》るの房[やぶちゃん注:「殻斗(かくと)」。既に述べた「どんぐりの帽子」のこと。]を、「梂(かさ)」と爲す。【音、「求」。】二《ふたつ》の者≪、ともに≫、樹、小なる時は[やぶちゃん注:「時は」は、国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版の送り仮名で補った。]、則《すなはち》、枝を聳ゆ。大なる時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則《すなはち》、偃蹇《えんけん》≪たり≫[やぶちゃん注:(木自体の幹が)高く聳える。]。其の葉、櫧(かし)の葉のごとくにして、文理《すぢめ》、皆、斜(なゝめ)に勾(まが)る。四、五月、花を開《ひらき》、栗の花にごとく、黃色≪なり≫。實を結ぶ。≪それ、≫荔枝《れいし》の核《さね》のごとくにして、尖り、有り。其の蒂《へた》に、「斗《と》」[やぶちゃん注:前掲の「殻斗」。]、有りて、其の半《なかば》を包む。其の仁《にん》を截《き》れば、老≪いたる≫蓮肉《れんにく》[やぶちゃん注:ハスの種子を乾燥させた生薬。]のごとし。山人、儉(きゝん[やぶちゃん注:飢饉。])の歳(とし)には、拾ひ采《とり》て、以《もつて》、飯と爲《なす》。或いは、擣《つき》、≪水に≫浸《ひたして》、粉を取《とり》て、食ふ。其の木の髙さ、二、三𠀋。堅實にして、重く、班文《はんもん》の㸃、有り。㸃、大なる者、柱《はしら》・棟《むね》に作るべし。小なる者、薪《たきぎ》・炭《すみ》と爲すべし。他木《たぼく》、皆、及ばず。其の實の壳《から》、汁に煑て、皂(くろ)きを染《そむべし》。若《も》し、曾《かつ》て、雨水≪を≫經《へ》る者は、其の色、淡し。其の嫩葉《わかば》、𤋎《せん》じ、飮(の)みて、茶に代《か》ふなり。』≪と≫。
橡子《しやうし》【苦、微温。】瀉痢を止《とめ》、膓胃《ちやうい》を厚《あつくす》。水に浸《ひたし》、澀味《しぶみ》を淘去《よなぎさりて》[やぶちゃん注:水洗いをして、不純物を去って。]、蒸《むし》、極《ごく》、熟≪さして≫、之れを食ふ。
「山家」
山深み
岩にしだるる
水ためん
かつがつ落《おつ》る
とちひろふほど 西行
△按ずるに、「栩《きよ》」の葉、大なる者、七、八寸ばかり。蹙-縮(しゞら)[やぶちゃん注:縮まって変形していること。]、有り。實は、栗《くり》より大なり。其の様(なり)、半《なかば》を裹《つつ》むも亦、竒なり。木の心にも、亦、蹙縮、有り。橒(もくめ)、美(うつく)しく、膚(はだ)、濃(こまや)かなり。用《もちひ》て、飯盌(めしわん)、及び箱(はこ)・案(つくえ[やぶちゃん注:ママ。机。])の類《るゐ》に作《つくる》。欅(けやき)に減(をと[やぶちゃん注:ママ。])らざるなり。
凡《およそ》、櫧(かし)・槲(どんぐり)・櫟(とち)の屬、皆、梂(かさ)、有《あり》。其の狀《かたち》、飯-盌(わん[やぶちゃん注:二字へのルビ。])の蓋-盞(かさ[やぶちゃん注:二字へのルビ。])に似たり。殊に、櫟《とし》の梂《かさ》、大にして、半《なかば》を包む。故に、「櫟梂《とちのかさ》」の名を立つ。然《しか》るに、「倭名抄」、櫟を以て、「甜櫧(いちひ)」の訓を爲すは、訛《あやまり》、必《ひつ》せり[やぶちゃん注:絶対的に誤謬であることは、最早、明白である!]。
[やぶちゃん注:特異的に判読に苦しみ、更に、良安が「橡」に和名を「とち」と読みを振っておき――しかも、評言の冒頭では、一番馴染みのない「栩《きよ》」を名として挙げやがって――そのくせ、挿絵にはクヌギの実を堂々と確信犯で描いている――見事に「どうするヤブちゃん?」状態に追い込んで呉れたわい!……他の作業に忙しく、暫く、更新を怠っていた「祟り」ってカ? さて、まずは、珍しく、東洋文庫訳の後注が、要めとしての一つの示唆を与えてくれていたので、引用しておく。
《引用開始》
注一 和名は止知 中国の橡はブナ科のクヌギ。日本のトチはトチノキ科である。良安は中国の橡(櫟・栩・杼・柞も同じ)をトチとしているが、和名はクヌギである。ただし、わが国ではトチにも橡の字を充当している。例えば『原色牧野植物大図鑑』(北隆館)のクヌギの項には、漢名は櫟・橡とあり、トチノキの項には、栃・橡は俗字とある。混同のおこるゆえんである。
《引用終了》
ここで、訳者竹島淳夫氏は、中国で――「橡」――という漢字は、
○双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属 Cerris 亜属 Cerris 節クヌギ Quercus acutissima
に同定比定され、一方、本邦で一般に「トチ」と呼び、漢字表記では「橡」及び「栃」で表記するところの、
✕ムクロジ目ムクロジ科トチノキ属トチノキ Aesculus turbinata
ではないと断定されていたである。一方、私は、それ以前に、原本の冒頭の挿絵で、そこいに描いた実を、見た瞬間。間違いなく
「こりゃあ、トチノキの実ではなくって、――クヌギの実だゼ!?!」
と口に出して独語し、既に断定してはいたのである。ここで、細かな私個人の考証過程をここに示す精力は、もう六十八になった老いぼれには、ない。まんず、
と
✕ウィキの「トチノキ」にある「実」の写真(そもそもが、私個人は、それを「どんぐり」と呼んだことはなく、私は枝の先にキンタマのみたようにブラ下がるエゲつない蒴果を――「殻斗=「どんぐりの帽子」のない「そ奴」を――死んで生き変わったとしても――決して――「どんぐり」とは、呼ばない!)
を比較されたい。今回は、精神的に疲弊したので、ウィキの「クヌギ」の引用はカットする。前記のリンクで見られたい。
なお、「本草綱目」の記載は、「漢籍リポジトリ」の「卷三十」の「果之二」の「橡實」([075-56b]以下)のパッチワークである。
『栩《く》【音「許」。】』「許」には「ク」の音がある。さらに言えば、現行の中国語では「栩」も「許」も、「xǔ」(シュィー)で同音である。
「《橡實は》二種、有り。一種は實を結ばず」「橡實」という項名なのに、実がならないのは「名にし負わぬ」謂いであり、おかしいだろ! 時珍!
「棫《ヨク》」「廣漢和辭典」によれば、第一義を、たらのき・『とりとまらず』とする。これは、天ぷらやみそ和えにして美味い、セリ目ウコギ科タラノキ属タラノキAralia elata である。異名は幹・枝・葉に鋭い棘(とげ)が密にあるからであろう。而して、第二義を「ほお」・「くぬぎ」とする。前者は、モクレン目モクレン科モクレン属ホオノキ(朴の木)節ホオノキ Magnolia obovata である。
「大なる者、柱《はしら》・棟《むね》に作るべし。小なる者、薪《たきぎ》・炭《すみ》と爲すべし。他木《たぼく》、皆、及ばず」特にウィキの「クヌギ」の「木材」を引く。『材質は硬く、材は建築材や器具材、家具材、車両、船舶に使われるほか、伐採しても萌芽再生力により繰り返し収穫できるところが重宝されて薪や薪炭、シイタケの原木栽培の榾木(ほだぎ)として用いられる』。『落葉は腐葉土として作物の肥料に利用される。クヌギは成長が早く植林から』十『年ほどで木材として利用でき、木材生産には効率がよいとされてきた』。『病気も少なく、手入れをしなくても育つので人気があったが、もっぱら薪や炭用の利用が多かったため、その後はだんだんと植える人も減っていった』とある。その前にある「燃料」も引こう。『薪炭材としては落葉ブナ科樹木、いわゆるナラ類の中でも別格で非常に評価が高い。特に木炭に加工される場合、殆ど黒炭に加工される。燃焼時のにおいが少なく、火持ちがいいことの他にも、断面に菊の花の模様が現れ見た目もよく「菊炭」などと呼ばれ』、『茶の湯用の高級木炭である。大阪府北部の能勢・池田地域が代表的な産地であったことから』、『産地を採って「池田炭」とも呼ばれる。別名「一庫炭」とも呼ばれる』とあった。
「其の實の壳《から》、汁に煑て、皂(くろ)きを染《そむべし》。若《も》し、曾《かつ》て、雨水≪を≫經《へ》る者は、其の色、淡し」同じく「クヌギ」より引く。『樹皮やドングリの殻は、つるばみ染め(橡染め)の染料として用いられる』。『つるばみ染めは、実の煮汁をそのまま使うと黄褐色が得られ、灰汁を媒染剤とすると黄色が強くなってこれがツルバミ色とよんでいる』。『さらに媒染材に鉄を加えると、染め上がりは黒から紺色になる』とある。
「其の嫩葉《わかば》、𤋎《せん》じ、飮(の)みて、茶に代《か》ふなり」ネットを管見したが、見当たらない。但し、クヌギの葉には「タンニン鉄」が含まれているとは、あったから、或いは、地方では、残っているのかも知れない。
「山家」「山深み岩にしだるる水ためんかつがつ落《おつ》るとちひろふほど」「西行」「山家集」下の「雜」(一二〇二番)、
*
山深み
岩に垂(しだ)るる
水溜めん
かつがつ落つる
橡拾ふ程
*
先行する「栗」で詳しく記した、寂然との歌のやり取りに出た。見られたい。なお、lasciatesperanza氏のブログ記事「西行の足跡14」で、この一首を示され、『高野山は間が深いので、秋が深まるのも早い。凍ってしまう前に岩から滴り落ちる水をためておこう。早くも落ち始めた橡の実を冬の食料として拾ったりするこの時期の内に。』と解釈を示しておられる。
『然《しか》るに、「倭名抄」、櫟を以て、「甜櫧(いちひ)」の訓を爲すは、訛《あやまり》、必《ひつ》せり』
「和名類聚鈔」の「卷第十七」の「菓蓏部第二十六」の「菓類第二百二十一」にある。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年板本を参考に訓読する。
*
櫟子(いちひ) 崔禹錫「食經」に云はく、櫟子(いちひ)【上の音「歷」。和名「以知比」。】。相ひ似て、椎子《しひ》より大なる者なり。
*
……でもさ、良安先生、これって――裸子植物門イチイ(一位)綱イチイ目イチイ科イチイ属イチイ Taxus cuspidata でイチイ――じゃないんだぜ? 判かってますか?
双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属イチイガシ(一位樫:歴史的仮名遣「いちゐがし」)Quercus gilva
だぜ。当たらずとも遠からず――「どんぐり」の仲間だからね――、というよりさ、「訛、必せり」は、御自身の今までのブイブイ「明後日カン違い」を棚上げしておいて(先行する「鉤栗」の私の注を参照されたい)、それは、ネエでげショウ!!!]
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