阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「雨灰」
[やぶちゃん注:底本はここ。訓点をかく再現した。読点を一部に打った。]
富 士 郡
「雨灰」 富士郡《ふじのこほり》富士山下にあり。「續日本紀」云《いはく》、『光仁天皇天應元年秋七月癸亥《みづのとゐ》、駿河國言《まう》ス、富士山ノ下(フモト)、雨(フレ)リㇾ灰之所ㇾ及、木葉、彫萎《ほれ しぼむ》。云云。
[やぶちゃん注:「富士郡」当該ウィキによれば、『富士山の名は富士郡から来るという平安前期』九『世紀の詩がある』。『富士郡は歴史的に潤井川』(うるいがわ:ここ。グーグル・マップ・データ)『右岸の富士上方』『と潤井川左岸の富士下方』『とに分けられていた。富士郡の、特に富士上方と称された地域を富士氏が長きにわたって支配し続けていた。また、室町時代後期に今川氏親を後見した伊勢盛時(北条早雲)は富士下方を与えられたが、後に盛時が伊豆国を得て子孫が今川氏より自立して北条氏と称すると、この地域の支配権を巡って今川氏と北条氏の争いの一因となった』とある。
「光仁天皇天應元年秋七月癸亥」七月六日。ユリウス暦七八一年七月三十一日。グレゴリオ暦換算八月四日。これは、恐らく、公式の記録に載る、富士山の小噴火(降灰のみ)を記す最古の記録のようである。]
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