阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「菊女爲祟」
[やぶちゃん注:底本はここ。]
「菊女爲祟《きくぢよ たたりを なす》」 庵原郡高橋村、東の路傍にあり。傳云、「當村の路傍に一小塚あり。上に石の祠を建《たて》て、稻荷を祭れり。里俗、『於菊稻荷』と云《いへ》り【是、菊が鎭守共《とも》、靈を祭る共云也《いふなり》。】。是、往昔、此地往還《わうくわん》たりし時、菊と云《いふ》女《をんな》、和會物《あへもの》【壺なり。】を賣《うり》て渡世とす。或時、旅行の士某、いか成《なる》謂《いはれ》有《あり》てか、菊を殺す。其後《そののち》、菊が靈、旅客に祟りをなす事、止《やま》ず。故に、祭りて、祠《ほこら》を建つ。里人《さとびと》、『あひなんじやう』と號す。諸人、願《ぐわん》を祈るに、和會物を苞《つと》にして賽《まつり》するは、此緣也。今に此所《このところ》を『和會物所《あへものどころ》』と云り。云云」。
[やぶちゃん注:「庵原郡高橋村」郡から推して、現在の静岡県静岡市清水区高橋と思われる(グーグル・マップ・データ)。「ひなたGIS」の戦前の地図を見ると、集落があるものの、周囲は田圃と桑畑である。東海道の内側であるが、近く、また側道の北海道が高橋を横切っている。本文では、「往昔、此地往還たりし時」とあることから、これは、江戸時代より前か、東海道が整備されるごく初期の殺害事件であったと読むべきであろう。但し、現行では、「於菊稻荷」は見当たらず、ネット検索でも、ヒットしない。
「和會物《あへもの》【壺なり。】」「あへもの」は「近世民間異聞怪談集成」のルビに拠ったが、所持する小学館「日本国語大辞典」でもこの「壺」の意味は載らない。識者の御教授を乞う。
「あひなんじやう」不詳。「會難場」か。]