阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「大宮神木發煙」
[やぶちゃん注:底本はここ。訓点をかく再現した。読点・記号を一部に打った。]
「大宮神木發煙」 富士郡富士山大宮淺間《ふじさんおおみやせんげん》境內にあり。傳云《つたへいふ》、「天正七年春、富士大宮の神木老杉《おいすぎ》の梢より、煙立《けふりたつ》事、連日にして止《やま》ず。武田四郞勝賴、吉田守警齋《よしだしゆけいさい》を呼《よび》て、吉凶を占はしむ。守警齋、『不吉。』の由を述《のべ》て、いましむ。勝賴、聞《きか》ず。人、以て、武田家滅亡の前表《ぜんへう》とす。」
[やぶちゃん注:このシークエンスは、pip-erekiban氏のブログ「武田勝頼激闘録」の「甲相手切(六)」から、次の「湖畔の巨城(一)」に詳しい。
「富士山大宮淺間」現在の富士山本宮浅間大社の起源となる山宮淺間神社(やまみやせんげんじんじゃ:グーグル・マップ・データ)であろう。富士宮市観光協会公式サイト内のここによれば、一九〇〇『年以上の歴史を誇り、富士山をご神体として祀っています。社殿が存在せず、遙拝所から富士山を臨む参拝形式で、古の富士山信仰を今に伝える神社です。日本武命により』、『この地に移されたともいわれています』とある。
「天正七年」一五七九年。
「吉田守警齋」国立国会図書館デジタルコレクションの『日本秀歌 十二』の「戦国武将歌」(川田順・昭和三二(一九五七)年春秋社刊)のここに、『易の博士とのみ、他は不明』とある。]
« 阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「雨灰」 | トップページ | 阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「獵師殺鬼」 »