和漢三才圖會卷第八十八 夷果類 椰子
[やぶちゃん注:樹の頂上に描かれている左(奥)と右の椰子の実は勝手な想像で、ヤシの実としてはアウトだ。中央のクラゲみたようなそれは、群花の形状としては、少しばかり、ヤシ・ナツメヤシのそれに似ているようには見えなくはないが、やっぱり、ちゃうで!……。]
やしを 越王頭
胥餘
椰子
俗云夜之保
ヤアアツウ
本綱椰子嶺南有之果中之大者其樹初栽時用鹽置根
下則昜發木至斗大方結實大者三四圍髙五六𠀋木似
桄榔㯽榔之屬通身無枝其葉在木頂長四五尺直聳指
天狀如棕櫚勢如鳳尾二月開花成穗出於葉閒長二三
尺大如五斗噐仍連着實一穗數枚小者如栝樓大者如
寒瓜長七八寸徑四五寸懸着樹端六七月熟有粗皮包
之皮內有核圓而黒潤甚堅硬厚二三分殼內有白肉瓤
如凝雪味甘美如牛乳瓤肉空𠙚有漿數合鑚蔕傾出清
美如酒若久者則混濁不佳矣其殻磨光有斑纈㸃紋橫
破之可作壺爵縱破之可作瓢杓如酒中有毒則酒沸起
或此噐裂破者𣾰其裏卽失用椰子之意【林邑王與越王有怨使刺客乘其醉取其首懸于樹化爲椰子其核猶有兩眼が故俗謂之越王頭而其漿猶如酒也此說雖謬而俗傳以爲口實】
*
やしを 越王頭《えつわうとう》
胥餘《しよよ》
椰子
俗、云ふ、「夜之保《やしほ》」。
ヤアアツウ
「本綱」に曰はく、『椰子は嶺南[やぶちゃん注:広東省・広西省。]に、之れ、有り。果中《くわちゆう》の大なる者なり。其の樹、初《はじめて》、栽《うう》る時、鹽《しほ》を用《もちひ》て、根の下に置けば、則《すなはち》、發し昜《やす》し。木、斗《とます》[やぶちゃん注:斗枡。]の大さ《✕→太さ》に至《いたり》て、方《まさ》に、實を結ぶ。大なる者、三、四圍《めぐり》、髙さ、五、六𠀋。木、桄榔《くわうらう》・㯽榔《びんらう》の屬に似て、通身、枝、無し。其の葉、木の頂《いただき》に在り。長さ、四、五尺。直《ちよく》に聳《そびへ》て、天を指す。狀《かたち》、棕櫚(しゆろ)のごとく、勢《いきおひ》、鳳《ほう》の尾のごとし。二月、花を開き、穗を成して、葉≪の≫閒より出づ。長さ、二、三尺。大いさ、五斗の噐《うつは》のごとし。仍《よつ》て、實を連(つら)ね着(つ)く。一穗、數枚。小なる者、栝樓《からう》のごとく、大なる者、寒瓜《かんか》のごとく、長さ、七、八寸。徑《わた》り、四、五寸。懸《かけ》て、樹の端に着(つ)く。六、七月、熟す。粗≪き≫皮、有《あり》て、之≪れを≫包《つつむ》。皮の內に、核《さね》、有《あり》、圓《まろく》して、黒く、潤≪ひて≫、甚だ堅硬なり。厚さ、二、三分。殼の內に、白≪き≫肉、有り。瓤《うりわた》、凝(こほ)れる雪のごとく、味、甘美にして、牛乳のごとし。瓤≪の≫肉、空なる𠙚に、漿(しる)、數合、有り。蒂《へた》を鑚(き)りて、傾《かたぶ》け、出《いだ》す。清美にして、酒のごとし。若《も》し、久《ひさし》き者は、則《すなはち》、混濁して佳ならず。其の殻(から)、磨(す)り《✕→れば》、光≪りありて≫、斑纈㸃《まだらのしぼり》≪の≫紋、有り。橫に、之れを破りて、壺・爵(さかづき)に作るべし。縱(たて)に、之れを破り、瓢杓《ひさごのしやくし》に作《な》すべし。酒≪の≫中に、毒、有る時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則《すなはち》、酒、沸(わ)き起《おこ》る。或いは、此の噐《うつは》、裂破する者≪なり≫。其《その》裏を𣾰(うる《し》)≪せ≫ば、卽ち、椰子を用《もちひ》るの意、失《しつ》す【林邑王《りんぱわう》、越王と、怨み、有り。刺客をして、其の醉《ゑひ》に乘じて、其の首を取《とり》て《✕→しめて》、樹に懸《かけ》たり。化《け》して、椰子と爲る。其の核、猶ほ、兩眼、有るがごとし。故に、俗、之れを「越王頭」と謂へり。而して、其の漿《しる》、猶を[やぶちゃん注:ママ。]、酒のごときなり≪と≫。此の說、謬《あやまり》と雖も、俗傳、以つて、口實《こうじつ》[やぶちゃん注:語り草。]と爲す。】』≪と≫。
[やぶちゃん注:東洋文庫訳では、訳文の本文冒頭の『椰子(やし)』の割注に、『(ヤシ科ヤシまたはココヤシ)』とする。「ヤシ」という種は存在しないので、
単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科 Arecaceae
であり、「ココヤシ」は、
ヤシ科ココヤシ属ココヤシ Cocos nucifera
を指す。ココヤシには品種があるが、例えば、英語“Macapuno”(マカプノ)或いは、“coconut sport”という、胚乳の異常な発達を示す自然発生のココヤシの栽培品種があるが(英文の“Macapuno”のウィキを参照した)、正式な科学記載は一九三一年であるから(探してみたが、学名は見当たらない)、ここでは候補にならない。所持する第二版「世界大百科事典」の、まず、「ヤシ(椰子)」「ヤシ palm」の項を引く(コンマを読点に代えた)。『木本性の単子葉植物。日本では従来,ココヤシ』『を単にヤシと呼んでいたが,近年ではヤシ科の植物を総称してヤシ』と呼ぶ。『【ヤシ科 Palmae(palm family)】』『木本性の単子葉植物として、イネ科のタケ類とともに特異的な存在であるヤシ科の植物は、ほとんどの場合、幹は分枝せず』、『二次肥大生長もしないうえに、大きな葉を幹の頂端部に群がりつけ、熱帯の景観を特徴づける。いわゆるヤシ形の生活形になる。約』二百二十『属』二千五百『種を有し、それらの大部分は熱帯や亜熱帯に分布し、シュロのようなごく少数の種が暖温帯に生育する。また、この多数の属や種の多くは限定された狭い地域にのみ分布するという、固有性の強い植物群でもある』。『幹(茎)は単一で直立するものが多いが、シュロチクのように株立ちになるもの、トウのようにつる性のもの、あるいはニッパヤシ』『のように地表を横走するものもある。葉は葉比(ようしよう)、葉柄、葉身の三つの部分に分化しており、しばしば大型となり、ニッパヤシのように』十メートル『をこえることもある。葉比基部は』、『しっかりと茎を抱き、新葉と芽を包む。この葉比部の維管束が残ったのが、シュロのシュロ毛である。葉身は扇状の単葉から扇状あるいは羽状に切れ込んだ複葉まで、さまざまである。各小葉は、発生のときに単一の折りたたまれた葉身の折目の部分が切り離されるというヤシ科に特有の形態形成過程を経て、つくられる。またこの折りたたまれた下側の折目で切れるか、上側の折目で切れるかで、ヤシ科は大きく』二『群に分けられる。花は単性あるいは両性で小さく、黄色から黄緑色で目立たないが、多数が花軸の上に密集して肉穂花序を作り、それが大きな苞(仏索苞(ぶつえんほう))に包まれ、基本的には虫媒花である。開花期には多数のハナバチ類や甲虫などが集まる。葉腋(ようえき)あるいは茎頂から出る肉穂花序は、単純な棒状からシュロのように多数分枝するもの、あるいは短縮して球形(ニッパヤシ)になるものとさまざまである。花被は内・外それぞれ』三『枚の花被片からなり、両者にそれほど違いはない。おしべは通常』六『本、めしべの子房は』一『室または』三『室で、各室に』一『個の胚珠がある。果実は液果、核果あるいは堅果などで、大きさはさまざまであるが、比較的大型のものが多い。種子はよく発達した胚乳を有するが、その胚乳は油脂あるいはヘミセルロースであることが多い。前者の場合は油料植物として重要になるし、後者の場合は硬質で、ゾウゲヤシのように細工物に利用されることがある』。『ヤシ科は肉穂花序を有する点からサトイモ科に近縁と考えられたり、木質の幹や花序の形からタコノキ科に近いとされたりするが、すでに中生代から化石の出る古い植物群で、単子葉植物のなかでは独自に進化した系統群であろう』。『ヤシはそのエキゾチックな樹形からフェニックス、シュロ』、『カンノンチク、シュロチク、ビロウなど暖地で観賞用に栽植されるものも多いが、熱帯ではその他に多数のヤシ類が街路、庭園、公園の植栽に利用されている。木質化した幹は硬質で割裂しやすく、耐腐性があるものは建築材をはじめ細工物に、またトウのように柔軟なつる性のものではかごやマットあるいは結束料に多用される。大きな葉も、ニッパハウス(ニッパヤシの葉を編んで屋根や壁にした家)で代表されるように、屋根ふきや壁に利用される。シュロの葉比やココヤシの果実の殻のように、繊維を取り出して利用することも多い』。『食用植物としてのヤシの利用も多面的である。葉比につつまれた新芽は柔らかく、東南アジア・マレーシア地域には野菜として利用される種が多数ある。若い花序を切ると糖液を分泌する種(サトウヤシが代表的)では、糖みつを採取したり、アルコール飲料を作るのに用いられる。果実が食用あるいは油脂源とされるものは多いが、なかでもココヤシ、アブラヤシ、ナツメヤシ』『の』三『種が有名で、熱帯の重要な栽培作物となっている。サゴヤシ』『は幹からデンプンが採取され、サラッカは果実が果物になることで有名である。また』、『つや出しワックスで有名なカルナウバ駐(ろう)carnauba wax は南アメリカ産のカルナウバヤシ Copernicia cerifera の葉から採取される。アレカヤシ(ビンロウ)のように果実にアルカロイドを含有し、興奮性の嗜好料に使われるものもある。ヤシ類は工業社会の影響を受ける前の熱帯域では、それぞれの地方に特産するさまざまな種類が、その地域の人間の生活に深く結びついて利用されていた。現在でもアブラヤシやココヤシのように、工業原料としての油脂源植物として大規模なプランテーション栽培が行われている重要な作物を含む植物群である』とある。
以下、同事典の「ココ椰子 」「ココヤシ coconut palm」の項。『 世界各地の熱帯の海浜や河口地域に栽培される代表的なヤシ科の高木』。『ココナッツともいう。栽培の歴史は古く,原産地や伝播(でんぱ)の歴史はつまびらかでない。インドへは』三千『年前にすでに渡来していたといわれる。中国の記録によると』、二九〇年~三〇七年頃(西普後末期)から、『中国南方やアンナンで栽培されていた。樹高』三十メートル『に達し、通常は単幹で直立する。頂部に長さ』五~七メートル『の壮大な羽状葉を群生し、幹上には輪状の葉痕を残す。葉腋』『から花序を出し、分枝した花穂の基部に』一個から『数個の雌花を、上部に多数の雄花をつける。おしべは』六『本、子房は』三『室からなり、通常そのうちの』一『室のみが成熟する。果実は直径』十~三十五センチメートル、『成熟につれ』、『緑、黄、橙黄から灰褐色となるが、品種により色調の変化は異なる。中果皮は繊維状、内果皮は堅く厚い殻となり』、三『個の発芽孔がある。繁殖は実生による』。三~六ヶ『月で発芽し』、七~八『年から収穫』、一『樹当り年間』四十~八十『個が得られる。品種が多くあり、セイロン島のキングヤシは早生で樹高が』二メートル『ほどの低さで、結実するので有名である』。『ココヤシの果実は、その成熟の過程でいろいろに利用されている。若いものは利用されることはほとんどないが、大きくなった半成熟果の胚乳は液状の胚乳液と内果皮に接した部分のゼラチン状の脂肪層とに分化し、胚乳液は飲用に、脂肪層は食用にされる。成熟果になると脂肪層は硬くなる。これを削り具でけずり、しぼったのがココナッツミルク coconut milk で、あらゆる食物の調味料として熱帯では多用される。また、この脂肪層をはぎ取って乾燥したのが、工業的な脂肪原料として重要なコプラ copra である。コプラはマーガリン、セッケン、ろうそく、ダイナマイトなどを作る油脂原料となる。なお、半成熟果の胚乳液は植物生長物質に富むため、植物の組織培養実験にしばしば用いられる。この場合にもココナッツミルクの呼称が用いられるので注意を要する。発芽が始まると、胚乳液の部分は油脂分に富むスポンジ状に変化し、これもやはり食用になる。花房を切り、切口からしみ出る甘い樹液は飲用とされる。またそれを発酵させたものはヤシ酒や酢となる。ヤシ酒はとくにミクロネシアで重要な嗜好品である。食物として以外にも、中果皮の繊維はヤシロープや燃料に、内果皮の殻はスプーン、飾りなどの日用品になる。葉は編料となり、籠、敷物、屋根ふきや壁材となる。若芽の柔らかい部分はココナットキャベツと呼ばれ野菜にされることがある』。『フィリピン、インドネシア、オセアニア地域で大規模なプランテーション栽培がおこなわれていて、重要な現金収入源となっている。このように原住民の生活に重要なココヤシは、コプラが商品化されることもあって個人の所有とされることが多い』とあった。邦文のウィキの「ヤシ」、及び、「ココヤシ」もリンクさせておく。
なお、引用は、前項と同じで、「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の「卷三十一」の「果之三」「夷果類」の「椰子」([077-21a]以下)のパッチワークである。
「棕櫚(しゆろ)」先行する「椶櫚」の私の注の冒頭部の考証を参照されたい。
「栝樓《からう》」双子葉植物綱スミレ目ウリ科カラスウリ属 Trichosanthes kirilowii 変種キカラスウリ(黄烏瓜) Trichosanthes kirilowii var. japonica 。日中同じ。中文名は「日本栝樓」。なお、本邦でお馴染みの私の好きなカラスウリは、Trichosanthes cucumeroides で中国にも分布し、中文名は「王瓜」。
「寒瓜《かんか》」中国語ではスイカ(ウリ目ウリ科スイカ属スイカ Citrullus lanatus )を指す。本邦ではトウガン(冬瓜:ウリ科トウガン属 Benincasa pruriens 品種トウガン Benincasa pruriens f. hispida )を指し、現行の中文名は「冬瓜」。
「林邑王《りんぱわう》、越王と、怨み、有り。刺客をして、其の醉《ゑひ》に乘じて、其の首を取《とり》て《✕→しめて》、樹に懸《かけ》たり。化《け》して、椰子と爲る。其の核、猶ほ、兩眼、有るがごとし」昔、漢籍で、よくお世話になったサイトだが、HPが開けないので、お名前を示せない。とこかくも、このページに記されてある。そこでサイト主が、最後に『なるほどなあ。勉強になった』。『と思ったところ、明の李時珍が、「だまされてはいけませんなあ」と腕組みしておっしゃるのであった』。『「この「越王頭説話」は
『南人称其君長為爺、則椰名蓋取于爺之義也』。
『南人その君長を称して爺(ヤ)と為せば、すなわち「椰」の名は蓋し「爺」の義に取るなり』。
『南方のひとは、その首長のことを「爺」(ヤ)と呼んでおります。ただしこれは「年長者」の意じゃ。「椰」の「ヤ」を「爺」であろうと考えて作ったお話でしかないのですからな。」』。『なるほどなあ。勉強になりました。こんなのに騙されているようでは、「悲しき熱帯」を百回ぐらい読んで暗誦するぐらい勉強しないといけませんね』。『なお、前漢の時代には既にチュウゴク本土に知られており、「胥余」(ショヨ)あるいは「胥爺」(ショヤ)と呼ばれていたそうである』とあった。]
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