いちじゆく 映日果 阿駔
たうがき 優曇鉢
無花果
俗云一熟
又唐柹
ウヽ ハアヽ コウ
本綱無花果出揚州及雲南𠙚𠙚南海折枝揷成枝柯如
枇杷樹三月生葉有丫如蓖麻樹髙𠀋餘五月內不花而
實實出枝間狀如木饅頭其內虛軟采以鹽漬壓令扁日
乾𭀚果食熟則紫色軟爛甘味如柹而無核一月而熟
[やぶちゃん字注:「𭀚」は「充」の異体字。]
實【甘平】 開胃止洩痢治五痔咽喉痛
葉【甘微辛有小毒】 治五痔腫痛煎湯頻𤋱洗之
△按無花果其實似柹而本窄俗曰唐柹一月而熟故名
一熟其樹雖似批杷不然枝柯婆娑葉似箆麻而小背
色淡潤文理隆明人識治五痔不知治魚毒如食魚醉
遍身赤腫發熱者立愈無葉時用枝亦可也有二種
一種其實初青熟則紫黑色內白有脂虛軟絲屑中無
子味淡甘不美謂之黑一熟
一種初青熟則白色帶微紫色內淡赤虛軟如絲屑中有
軟小子味甘美謂之白一熟二種共八月熟
涅槃經曰佛出世難如優曇花蓋譬無花果之開花猶白
烏馬⻆之類俗傳優曇花者一千年一開花甚妄談也
安藝
久安百首 玉椿光をみかく君か代に百かへりさくうとんけの花
ふんくわうくは
文光果
本綱文光果出景州形如無花果肉味如栗五月熟
*
いちじゆく 映日果《えいじちくわ》 阿駔《あそ》
たうがき 優曇鉢《うどんばつ》
無花果
俗、云ふ、「一熟《いちじゆく》」。
又、「唐柹《たうがき》」。
ウヽ ハアヽ コウ
「本綱」に曰はく、『無花果は揚州[やぶちゃん注:揚子江南方一帯。]及び雲南、𠙚𠙚《ところどころ》、≪と、≫南海に出づ。枝を折《をり》て、揷し、成す。枝-柯《えだ》、枇杷《びは》の樹のごとし。三月、葉を生ず。丫《ふたまた》、有《あり》て、蓖麻(たうごま)のごとし。樹の髙さ、𠀋餘。五月の內、花(《はな》さ)かずして、實(みの)る。實、枝≪の≫間に出づ。狀《かたち》、「木饅頭《きまんぢゆう》」のごとし。其の內、虛《うつろ》≪にして≫軟≪かなり≫。采《とり》て、鹽を以つて、漬《つけ》、壓(を[やぶちゃん注:ママ。])して、扁《たひら》ならしめて、日≪に≫乾《ほし》、果に𭀚《あて》て食《くふ》。熟ずる時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、紫色≪となり≫、軟かに爛《ただ》る。甘き味、柹のごとくして、核《さね》、無し。一月《ひとつき》にして、熟す。』≪と≫。
『實【甘、平。】』『胃を開き、洩痢《えいり》[やぶちゃん注:下痢。]を止め、五痔・咽喉の痛《いたみ》を治す。』≪と≫。
『葉【甘、微辛。小毒、有り。】』『五痔・腫痛を治し、湯に煎≪じ≫、頻りに𤋱《くんじ》、之れを洗ふ。』≪と≫。
△按ずるに、無花果、其の實、柹《かき》に似て、本《もと》、窄(すぼ)し。俗、「唐柹《たうがき》」と曰ふ。一月《ひとつき》にして、熟す。故、「一熟」と名づく。其の樹、「批杷」に似たりと雖《いへども》、然《し》からず。枝-柯《えだ》、婆娑《ばさ》として、葉、箆麻《たうごま》に似て、而《れども》、小《ちさ》く、背《うら》、色、淡く潤《うるほひ》、文理《もんり/すぢめ》、隆(たか)く、明《めい》なり。人、五痔を治することを識りて、魚毒を治することを、知らず。如《も》し、魚を食《くひ》て、醉《ゑひ》、遍身[やぶちゃん注:全身。]、赤く腫れ、發熱する者、立処《たちどころ》に[やぶちゃん注:「処」は送り仮名にある。]愈《いゆ》。葉、無《なき》時は、枝を用ても、亦、可なり。≪無花果には≫二種、有り。
一種は、其《その》實、初《はじめ》、青く、熟ずれば、則《すなはち》、紫黑色。內、白く、脂《あぶら》、有り。虛≪ろに≫軟かに、絲屑のごとく、中に、子《たね》、無し。味、淡《あはく》、甘く、美ならず。之れを「黑一熟《くろいちじゆく》」と謂ふ。
一種≪は≫、初、青く、熟すれば、則、白色≪に≫微《やや》紫色を帶ぶ。內、淡《あはく》赤く、虛≪ろに≫軟かに、絲屑《いとくづ》のごとく、中に、軟《やはらか》なる小≪き≫子、有り。味、甘く、美なり。之れを「白一熟」と謂ふ。二種共、八月、熟す。
「涅槃經」に曰《いはく》、『佛《ぶつ》、出世[やぶちゃん注:顕現すること。]、難きこと、「優曇花(うどんげ)」のごとし。』≪と≫。蓋し、無花果の花を開くに譬《たと》ふ。猶を[やぶちゃん注:ママ。]、白鳥《しろきからす》・馬⻆《むまのつの》の≪稀れなるの≫類《たぐひ》のごとし。俗、傳ふ、「優曇花と云《いふ》[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]者、一千年にして、一たび、花を開く。」と云《いふ》は[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]、甚だ、妄談なり。
「久安百首」
玉椿
光をみがく
君が代に
百《もも》かへりさく
うどんげの花 安藝
ぶんくわうくは
文光果
「本綱」に曰はく、『文光果は、景州[やぶちゃん注:現在の河北省。]に出づ。形、無花果のごとく、肉味、栗のごとし。五月に熟す。』≪と≫。
[やぶちゃん注:これは、日中ともに、
双子葉植物綱バラ目クワ科イチジク属イチジク Ficus carica
である。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『イチジク(無花果』『、映日果、一熟』『西アジア原産。果樹として世界中で広く栽培されている。小さな花が多数入った花嚢をつけ、雌雄異株で、雌株の花嚢が果嚢になる。これがいわゆるイチジクの果実とよばれており、古くから食用にされている。「南蛮柿」などの別名もある』。『「無花果」の字は、花を咲かせずに実をつけるように見えることに由来する、中国で名付けられた漢語で、日本語ではこれに「イチジク」という熟字訓を与えている。中国では「映日果」を、無花果に対する別名とされた』。『「映日果」(インリークオ)は、イチジクが』十三『世紀頃にイラン(ペルシア)、インド地方から中国に伝わったときに、中世ペルシア語「アンジール」(anjīr)を当時の中国語で音写した「映日」に「果」を補足したもの。通説として、日本語名「イチジク」は』十七『世紀初めに日本に渡来したとき、映日果を唐音読みで「エイジツカ」とし、それが転訛したものとされている。中国の古語では他に「阿駔」「阿驛」などとも音写され、「底珍樹」「天仙果」などの別名もある』。『日本には中国を経て来たという説と、西南洋から伝わった種子を長崎に植えたという説とがある』。『伝来当時の日本では、はじめ「唐柿(からがき、とうがき)」、ほかに「蓬莱柿(ほうらいし)」「南蛮柿(なんばんがき)」「唐枇杷(とうびわ)」などと呼ばれた。いずれも“異国の果物”といった含みを当時の言葉で表現したものである』。『学名の属名 Ficus(フィカス、ficus)はイチジクを意味するラテン語である。イタリア語:fico、フランス語:figue、スペイン語:higo、英語:fig、ドイツ語:Feigeなど、ヨーロッパの多くの言語の「イチジク」はこの語に由来するものである』。『落葉広葉樹の小高木。日本では成長してもせいぜい樹高』三~五『メートルほどの樹であるが、条件が良ければ高さ』二十『メートル、幹径』一『メートル以上にもなる落葉高木である。根を深く下ろして水を探す能力が優れており、砂漠地の果樹園でも栽培されている。樹皮は灰色で皮目があり、ほぼ滑らかで、年を経てもあまり変わらない。枝は横に広がり、一年枝は太く、紫褐色や緑褐色で短い毛がある。小枝には横長で筋状の托葉痕があり、しばしば枝を一周する』。『葉は大型の』三『裂または』五『裂する掌状で互生し、独特の匂いを発する。日本では、浅く』三『裂するものは江戸時代に日本に移入された品種で、深く』五『裂して裂片の先端が丸みを帯びるものは明治以降に渡来したものである。葉の裏には荒い毛が密生する。葉や茎を切ると白乳汁が出る。冬になると落葉し、晩春に葉が出てくる』。『花期は』六~九月で、『新枝が伸びだすと』、『葉腋に花を入れた多肉質の袋である花嚢(かのう)がつく。下のものから順に育ち、花嚢は果嚢となって肥大化する。花嚢は倒卵状球形で、厚い肉質の壁に囲まれ、初夏に、花嚢の内面に無数の花(小果)をつける。このような花のつき方をイチジク状花序、または隠頭花序(いんとうかじょ)という。雌雄異花であるが、イチジク属には雌雄同株で同一の花嚢に両方花をつける種と』、『雌雄異株で雄株には同一の花嚢に雌雄両方の花、雌株には雌花のみを形成する種がある』。『栽培イチジクの栽培品種は、結実に雌雄両株が必要な品種群が原産地近辺の地中海沿岸や西アジアでは古くから栽培されてきたが、受粉して雌花に稔性のある種子が形成されていなくても花嚢が肥大成長して熟果となる品種もあり、原産地から離れた日本などでは』、『こうした品種が普及している。雌雄異花のイチジク属の植物は、花嚢内部に体長数ミリメートルのイチジクコバチ(英語版)などのイチジクコバチ属 Blastophaga spp. の蜂が共生しており、受粉を助けてもらっている。日本で栽培されているイチジクのほとんどが、果実肥大にイチジクコバチによる受粉を必要としない単為結果性品種の雌株である』。『果期は』八~十『月。ほとんどの種類の果嚢(いわゆる果実と呼んでいるもの)は秋に熟すと』、『濃い紫色になり、下位の部分から収穫することができる。甘みのある食用とする部分は果肉ではなく小果と花托である』。『冬芽は小枝に互生する。頂芽は尖った円錐形で』、二『枚の芽鱗に包まれた鱗芽で無毛。側芽は丸く、横に副芽が並ぶ。葉痕は円形で大きく、維管束痕が多数あり』、『輪状に並ぶ』。
以下、「系統と受粉のメカニズム」の項。『果樹としてのイチジクは』一『種しかないが、花と実のつき方により、スミルナ系、カプリ系、普通系などの種類がある。一般に食用にするスミルナ系には雌花だけが咲き、甘くて汁気のある果実がなる。これに対するカプリ系には雄花と雌花が咲き、乾燥した実がなるが、これを食べるのはヤギぐらいである。雌花しか咲かないスミルナ系の果実が実るためには、カプリ系の雄花の花嚢の中にある花粉をイチジクコバチによって運んでもらい受粉する必要がある。普通系は、品種改良により受粉せずに実がなる単為結実が可能になった系統で、イチジクコバチがいない日本でも栽培されている。スミルナ系に由来する米国カリフォルニアのカリミルナ系も、果実がなるにはイチジクコバチによる受粉を必要とする』。『大抵の樹木に咲く花は、風の媒介によって受粉する風媒花か、派手な花や花密で送粉者を引きつけて雌蕊に直接花粉を運んでもらう虫媒花である。ところがイチジクでは、特定の種のイチジクコバチと共生することで受粉を助けてもらっている』。『食用されるスミルナ系(雌花のみ)に受粉するのはイチジクコバチのメスである。カプリ系(雌雄異花)のイチジクの雄花の中でイチジクコバチは孵化するが、孵化する前の雄果嚢の中でオスとメスが交尾すると、そのオスは花嚢に出口となる穴を空けてそのまま力尽きて死んでしまう。この段階でイチジクの雄花は花粉を作り、メスが花嚢の中でしばらく過ごした後、体中に花粉をつけてオスが開けていった穴から脱出する。外に出たメスは、匂いを頼りに別の若い花嚢のへそにある小さな穴から中に入り、その際に羽と触角を失う。カプリ系のイチジクの雄花嚢に入ったメスは、花に卵を産み付けることができ、それが孵化して同じサイクルが繰り返えされる』。『一方、スミルナ系(雌花のみ)に入ったイチジクコバチは、花嚢の中で花から花へと移動して花粉をつけていくが、体の構造上スミルナ系の雌花に卵を産み付けることができない。スミルナ系イチジクは受粉によって肥大し』、『小さな種子ができるが、産卵できなかったメスは果嚢の中で死に、死骸はイチジクが分泌する酵素によって消化されてしまう。スミルナ系イチジクの種子を撒布する役目をするのはコウモリや鳥、あるいは人間であり、肥大して甘くなった果嚢が食べられると』、『緩下作用で排泄されて種子の撒布に寄与されることになる』。
以下、「歴史」の項。『中東のアラビア半島が原産地と言われており、現在では世界中に広がり栽培されている。イチジクはブドウとともに紀元前から栽培されていた果物で、エジプトのピラミッドなどの遺跡の壁画に表わされたり』、「旧約聖書」の『中でアダムとイブの話にも登場する話題豊富な果物である。原産地はアラビア南部や、南西アジアといわれている。中近東では』四千『年以上前から栽培されていたことが知られている。地中海世界でも古くから知られ、エジプトでは』紀元前二七〇〇『年という早い時代に栽培果樹として扱われていたとされ、ギリシアなどでも紀元前から栽培されていた。古代ローマでは最もありふれた果物のひとつであり、甘味源としても重要であった。最近の研究では、ヨルダン渓谷に位置する新石器時代の遺跡から』一万一『千年以上前の炭化した実が出土し、イチジクが世界最古の栽培品種化された植物であった可能性が示唆されている』。『アメリカには』十六『世紀末にスペインの移住者によって導入された。現在、カリフォルニア州はアメリカのドライフルーツ産業の中心である。中国には』八『世紀にインド、またはペルシャから伝わったとされるが、異説もあり』、『中国に伝来した年代は明らかでない』。『日本へのイチジクの伝来は、江戸時代の寛永年間』(一六二四年~一六四四年)『中国を経て渡来したという説と、ペルシャから中国を経て長崎に伝来した説がある。日本には江戸時代初期に、日本に古く渡来した在来種とは別で、のちに果樹として洋種が栽培されている』。『イエズス会のポルトガル人宣教師で長崎コレジオの院長、ディオゴ・デ・メスキータ神父がマニラのコレジオ院長、ファン・デ・リベラ神父にあてた』一五九九年十月二十八日(慶長四年九月四日『付けの書簡によると、ポルトガル航路(リスボン〜ゴア〜マカオ〜長崎)で日本に白イチジクの品種ブリゲソテスの株が運ばれ、日本には現在、それが豊富にあるとの記述がある。この史料から白イチジク』( Casta blanca )『の西洋種』ブリゲソテス( Higos brigesotes )『が苗木の形で日本(長崎)に到達し、後に長崎のイエズス会の住居の庭に植えられたことが分かった』。『また、キリシタン史研究家で元立教大教授の海老沢有道はイチジクの伝来についてメスキータ神父の同書簡から、天正遣欧少年使節に随行し、ポルトガルから長崎港に着いた時、すなわち「イチジクの伝来は」(天正一八(一五九〇)年)『年として誤りないものと考える」「長崎帰朝後』、『早速』、『長崎の修院か教会に移植したであろう」とした』。『しかし白イチジクの品種、ブリゲソテスはスミルナ系もしくはサンペドロ系だった可能性があり、日本にはイチジクコバチがいないため、苗は挿し木で増えたものの、結実しなかったのではないかと考えられ』、『結局、普及せず、後に伝来した受粉を必要としない品種(単為結果性)の蓬莱柿(ほうらいし・中国原産)』( Ficus carica 'Houraishi' )『や桝井ドーフィン(アメリカ原産)』( Ficus carica 'Masui Dauphine' )『に取って代わったのではないかと考えられている』。『当初は薬樹としてもたらされたというが、やがて果実を生食して甘味を楽しむようになり、挿し木で容易にふやせることも手伝って、手間のかからない果樹として家庭の庭などにもひろく植えられるに至っている。明治時代に多数の品種が主として米国より導入されたが、明治時代のイチジクは散在果樹の域を出ず、イチジクの経済栽培は大正時代に入ってからである。イチジクは風味と食味を出すために樹上で完熟させる必要があり、熟果は痛みやすく店持ちが悪く、鮮度も要求されるという特有の性質がある。このため』、『イチジクの経済栽培は消費地に近い都市近郊に限られていた。今日は予冷など鮮度保持技術の開発により、中山間地・遠隔地から大市場への出荷も可能になり、また栽培技術の進歩により』、『生産・流通の形態が多様化し、水田転作やミカンの園地転換の作目として、また地域おこしの品目として各地でイチジクが見直されている』。
イチジクは『庭木や果樹として栽培される』。以下、「食用」の項。『果実は生食するほかに乾燥イチジク(ドライフィグ)として多く流通する。欧米では生食は極めて少なく、大部分は乾果として利用されている。果実の赤い部分の食感は、花の部分によるものである。食材としての旬は』八~十一『月とされ、果実がふっくらと丸みがあり、果皮に張りと弾力があるものが』、『商品価値が高い良品とされる』。『生果・乾燥品ともに、パン、ケーキ、ビスケットなどに練りこんだり、ジャムやコンポートにしたり、スープやソースの材料として、またワインや酢の醸造用など、さまざまな用途をもつ。ほかにペースト、濃縮果汁、パウダー、冷凍品などの中間製品も流通している。日本国内では甘露煮にする地方もある。特に宮城県では甘露煮を前提に加工用の種が主に栽培されている。また、いちじくの天ぷらもある』。『果実には果糖、ブドウ糖、蛋白質、ビタミン類、カリウム、カルシウム、ペクチンなどが含まれている。クエン酸が少量含まれるが、糖分の方が多いので、甘い味がする。食物繊維は、不溶性と水溶性の両方が豊富に含まれている』。
以下、「民間療法」の項。『熟した果実、葉を乾燥したものは、それぞれ無花果(ムカカ)、無花果葉(ムカカヨウ)と呼ばれ、伝統的に生薬として利用されてきた』。六~七『月頃に採取して日干しにした果実(無花果)には、水分約』二十~三十『%、転化糖約』二十~五十『%、蛋白質約』四~八『%、油脂約』一~二『%が含まれ、ビタミンCやミネラルも含まれる。民間療法では、果実の持つ緩下作用や整腸作用が注目され、食物繊維の一種であるペクチンが腸の働きを活性化し、便秘解消に役立つとされてきた』。『干した果実』三~五『個を』六百『ミリリットルの水で煮詰めたり煎じたりして服用する方法や、生の果実をそのまま食べる方法が知られており、便秘の緩下剤に用いられた』。『便秘のほかにも滋養目的で利用されたり、痰の多い咳や』、『のどの痛みに用いられてきたという記録がある』。七~九『月頃に採取した成熟した葉を日干しした無花果葉は、入浴剤として用いる方法が知られており、冷え性や肌荒れなどに利用されてきた』。『果肉や葉から出る白い乳液については、ゴムに近い樹脂分が含まれるが、民間薬として、疣(いぼ)への塗布や、駆虫薬として利用された記録がある。ただし、正常な肌につくと』、『かぶれや』、『かゆみを引き起こす可能性がある』。『またイチジクの樹液にはフィシンという酵素が含まれており、日本の既存添加物名簿に収載され、食品添加物の原料として使用が認められている。ほかにイチジク葉抽出物は製造用剤などの用途でかつて同名簿に掲載されていたが、近年販売実績がないため』二〇〇五『年に削除された』。
以下、「栽培」の項。『挿し木やつぎ木で繁殖させ、主に庭や畑で栽培される。日光を好むので、日当たり良好な場所に植えつける。浅根性で、夏季の乾燥する時期は潅水を行って水を与える。高温、多湿を好み、寒気、乾燥を嫌う。カミキリムシの害虫被害に遭うことがある。カミキリムシの幼虫は、枝や幹に食い入って枝または木全体を枯らす』。『剪定は』十二~二『月に行う。秋果は』、『その年の春から伸びた枝に着果するので、前年枝をどこで切り詰めても問題はないが、夏果は前年枝の枝先につくため、枝を切り詰めると着果しない。着果させたい枝は切り詰めないことが大切で、特に夏果専用品種の剪定には注意を要する』。『摘心、芽かきは』、五『月中旬以降に行い、わき芽や側芽、新芽、新梢などを摘み取る』。『アメリカでは並木仕立てにしている場合もある。品種も数多く作出されていて、地中海沿岸地方やカリフォルニア地方などでは重要な産物になっている』。以下、「品種」「特産地」の項があるが、カットする。
以下、「文化とエピソード」の項。「旧約聖書」の「創世記」(第三章七節)に『「エデンの園で禁断の果実を食べたアダムとイヴは、自分たちが裸であることに気づいて、いちじくの葉で作った腰ミノを身につけた」と記されている』。「ゼカリヤ書」(第三章)『では、「その日にあなたたちは互いに呼びかけて葡萄とイチジクの木陰に招き合う」という大きな葉の描写がある』。「列王記」(下・第二十章)で、『イザヤが「干しイチジクを取ってくるように」と命じ、人々が病気になったヒゼキヤ王の患部にそれを当てると回復したとある』。また、「新約聖書」の「ルカによる福音書」第十三章第六~九節)で、『キリストは、実がならないイチジクの木を切り倒すのではなく、実るように世話をし』、『肥料を与えて育てるというたとえ話を語っている(実のならないいちじくの木のたとえ)。一方で』、「マルコによる福音書」(第十一章第十二節以下)では、『旅の途中』、『イチジクの木を見つけた空腹のキリストが』、『その木にまだ実がなっていないのに腹を立て、呪いの言葉を述べると』、『翌日』、『その木が枯れていたというエピソードがある』。『その他にもイチジクは聖書の中でイスラエル、または、再臨・終末のたとえと関連して』、『しばしば登場する』。『イチジクは』、『バラモン教ではヴィシュヌ神、古代ギリシャではディオニュソスへの供物であり、ローマ建国神話のロムルスとレムスはイチジクの木陰で生まれたとされている。他の民族でもイチジクは生命力や知識、自然の再生、豊かさなどの象徴とされている。イチジクを摘むと』、『花柄からラテックス』(latex)『と呼ばれる樹液が滴る。この樹液は母乳や精液になぞらえられ、アフリカの女性の間では不妊治療や乳汁分泌の促進に効果がある塗油として使われてきた』。『古代ローマの政治家大カトは、第一次・第二次ポエニ戦争を戦った敵であるカルタゴを滅ぼす必要性を説くため、演説の中でカルタゴ産のイチジクの実を用いたと伝えられる。イチジクの流通は乾燥品が中心であった当時において、カルタゴから運ばれたイチジクが生食できるほど新鮮であることを示し、カルタゴの脅威が身近にあることをアピールしたのだという』。「旧約聖書」の「創世記」の『エピソードから転じて、英語などで「イチジクの葉」(fig leaf)が「隠したいことを覆い隠すもの」という比喩表現として用いられる。また、中世には、彫刻や絵画で性器が露出されている部分をイチジクの葉で覆い隠す「イチジクの葉運動」が行われた』とある。なお、「その他」の項に、『イチジクの天然香料は毒性が強いために化粧品などには使用されない』とあった。調べたところ、が、感作性及び光毒性(皮膚への接触によってアレルギー反応を誘発したり、肌に附着した状態で紫外線が当たると、皮膚にダメージを与えてしまう)があるため、現在は使用禁止となっていることが判った。
なお、引用は「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の「卷三十一」の「果之三」「夷果類」の「無花果」([077-27a]以下)のパッチワークである。ALSで十四年前に亡くなった母テレジア聖子がイチジクが好きだったから、短いので、全文を手を加えて、以下に示す。
*
無花果【食物】
釋名 映日果【便民圖纂】優曇鉢【廣州志】阿駔【音楚果時珍曰無花 凡數種此乃映日果也卽廣中所謂優曇鉢及波斯所謂阿駔也】
集解【時珍曰無花果出揚州及雲南今吳楚閩越人家亦或折枝揷成枝柯如枇杷樹三月發葉如花構葉五月內不花而實實出枝間狀如木饅頭其內虛軟采以鹽漬壓實令扁日乾充果食熟則紫色軟爛甘味如柹而無核也按方輿志云廣西優曇鉢不花而實狀如枇杷又段成式酉陽雜俎云阿駔出波斯拂林人呼爲底珍樹長丈餘枝葉繁茂有丫如蓖麻無花而實色赤類椑柹一月而熟味亦如柹二書所說皆卽此果也又有文光果天仙果古度子皆無花之果也並附於左】
附錄 文光果【出景州形如無花果肉味如栗五月成熟】天仙果【出泗州樹高八九尺葉似荔枝而小無花而實子如櫻桃纍纍綴枝間六七月熟其味至甘宋祁方物賛云有子孫枝不花而實薄言采之味埒蜂蜜古度子出交廣諸州樹葉如栗不花而實枝柯間生子大如石榴及樝子而色赤味醋煮以爲粽食之若數日不煮則化作飛蟻穿皮飛去也】
實 氣味甘平無毒主治開胃止洩痢【汪頴】治五痔咽喉痛【時珍】
葉 氣味甘微辛平有小毒主治五痔腫痛煎湯頻熏洗之取效【震亨】
*
「蓖麻(たうごま)」トウダイグサ目トウダイグサ科トウゴマ(唐胡麻)Ricinus communis 。詳しくは、「卷第八十三 喬木類 相思子」の私の注を参照されたい。
「木饅頭《きまんぢゆう》」イチジク属ツルイチジク Ficus sarmentosa var. nipponica(シノニム:Ficus nipponica :中文名「白背爬藤榕」)の異名。Katou氏のサイト「三河の植物観察」の「イタビカズラ」のページを見られたい。
「五痔」先行する「丁子」で既出既注。
「優曇花(うどんげ)」私の「北條九代記 卷第六 優曇花の說 付 下部女房三子を生む」を読まれたい。
「久安百首」「玉椿光をみがく君が代に百《もも》かへりさくうどんげの花」「安藝」「久安百首」は、当該ウィキによれば、平安後期、『崇徳院の命により』十四『名の歌人が久安』六(一一五〇)年『までに詠進した百首歌』集。「久安六年御百首」・「崇德院御百首」『とも称される』。『歌人別に歌が並ぶ非部類本』『と、藤原俊成が部類した部類本』『の』二『種類がある』。『崇徳院は生涯に少なくとも』三『度』、『百首歌を主催したが、全容が明らかなのは「久安百首」のみである。初度百首は在位中〔永治元』(一一四一)『年)』十『月以前〕に「堀河百首」』の『題で召したもので、藤原教長や源行宗の家集に片鱗が見える。譲位後に召した第二度百首が「久安百首」であり』、『第三度百首(句題百首)は藤原教長・藤原公重ら近臣の家集に残る』とある。作者「安藝」は藤原忠俊の娘「郁芳門院安藝」(生没年未詳)。白河天皇の皇女媞子(ていし)内親王(郁芳門院)に仕え、寛治七(一〇九三)年の「郁芳門院根合(ねあはせ)」嘉保二年の「鳥羽殿前栽合(せんざいあはせ)」などに出席している。作品は「金葉和歌集」等におさめられている。「待賢門院安藝」(父は皇太后宮少進橘俊宗とされる。初め、待賢門院(一一〇一年~一一四五年)に、後、上西門院に仕える。歌は「詞花和歌集」「千載和歌集」「新古今和歌集」などに見える。家集に「郁芳門院安芸集」)と同一人物ともされる。日文研の「和歌データベース」で確認した。ガイド・ナンバー[01283]を見られたい。
「文光果」「百度百科」の「文冠果」を見ると、別名に『文冠樹・木瓜・文冠花・崖木瓜・文光果等』(太字は私が附した)とあったことで、これは、
ムクロジ目ムクロジ科ブンカンカ亜科ブンカンカ属ブンカンカ Xanthoceras sorbifolium
であることが判明した。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『漢字では文冠果と表記する。本種』一『種でブンカンカ属を構成する。学名から、キサントセラス・ソルビフォリウムと呼ばれる』。『中国北東部、中国南部、モンゴル東部、朝鮮半島全域にかけて自生する樹高』八メートル『ほどの落葉中木である。上へ向かって伸びる穂状花序で、花は白色。中心部は黄色をしている。花弁数は五枚で花弁は一枚ごとに離れている。開花して暫く経つ(凡そ』二~三『日)と中心部の黄色の部分は薄紅色に変化していく。花が終わると』四~六センチメートル『の蒴果が出来て、中には直径』一センチメートル『ほどの黒色の種子ができる。この種子は非常に硬いが、原産地の中国では、搾油され、石鹸に利用されたり、未熟な白色の種子は食用にされたりする。葉は羽状複葉で、小葉は粗目の鋸歯を持ち、ニワウルシや、サンショウ、ナナカマドに似る。葉は展開しきっても比較的柔らかい』(見たところ、イチジクには全く似ていない)。『前述の通り、種子は搾油や食用の目的で採取される場合がある。また、樹皮や新芽は煮詰められたり、煎じて内服されたりして生薬となる。関節炎やリウマチに効用があるとされている』。『耐乾性、耐寒性、耐暑性に優れ、乾燥した黄土地帯でも成育が可能であり、極めて剛健な性質を示す。ただし、成育速度はかなり遅い。日本での花期は』四~五『月頃であり、剪定は生育期の夏頃~秋頃に行う。施肥は』二ヶ『月に一回ほど有機質肥料を施肥する。顕著な病気には罹患しないが、トチノキヒメヨコバイ、クスサンの幼虫やテッポウムシの食害を幹や葉に受けることがある。日本では流通する事は稀で、植物園等でしか見られない』(☜)。『属名のXanthoceras は、Xantho(黄色)+Ceras(角)の合成語であり、「黄色い角」という意味になる。花弁の間に見られる黄色い線状の突起に由来する。和名の由来は本種の漢名の「文冠果‐ブンカンカ」に由来する。別名「文灯果」とも呼ばれる。種小名の Sorbifolium は、「ナナカマド属』(バラ目バラ科サクラ亜科ナナカマド属 Sorbus )『の葉に似た」という意味がある』とある。]