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2025/05/25

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「富士沼水鳥の怪」

[やぶちゃん注:底本はここから。やや長いので、段落を成形し、句読点(変更を含む)・記号を附加した。但し、後半の「東鑑」は、そのままで前後に二十鍵括弧で括った。]

 

 「富士沼水鳥の怪」 富士郡富士沼にあり。

 「平家物語」治承四年十月富士川條《の でう》云《いはく》、

『去《さる》程に、同じき二十四日卯の刻に、ふじ川にて源平の「矢あはせ」とぞ、さだめける。二十三日の夜に入《いり》て、平家の兵共、源氏の陣を見わたせば、伊豆・駿河の人民《にんみん》・百姓ら、いくさにおそれて、或《あるひ》は野に入《いり》、山にかくれ、或は舟にとり乘《のつ》て、海河《うみかは》にうかみたるが、いとなみの火[やぶちゃん注:その人民百姓の炊事の煮炊きの火。]、見へけるを、

「あな、をびたゞし[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、

「源氏の陣の、遠火《とほび》のおほさよ、げに、野も山も海も河も、皆、むしやで有《あり》けり、いかゞせん。」

とぞ、あきれける。

 其夜の夜半ばかり、富士沼に、いくらも有《あり》ける水鳥共が、何かは、をどろき[やぶちゃん注:ママ。]たりけん、一どに、

「ばつ」

と、立《たち》ける羽音の、いかづち・大風《おほかぜ》などのやうに聞へければ、平家の兵共、

「あはや、源氏の大勢《おほぜい》のむかふたるは、きのふ、齋藤別當[やぶちゃん注:實盛。]が申《まうし》つるやうに、甲斐・信濃の源氏ら、ふじのすそより、からめて[やぶちゃん注:背後。]へや、まはり候らん、かたき[やぶちゃん注:「敵」。]なん、十萬ぎ[やぶちゃん注:「騎」。]か有《ある》らん。取《とり》こめられては、叶《かなふ》まじ。爰《ここ》をば落《おち》て、をはり川[やぶちゃん注:ママ。尾張河(おはりがは)。木曾川の古名。]。すのまた[やぶちゃん注:「洲㑨」。「墨㑨」とも作る。木曾川下流の地。木曾川は「又洲㑨川」とも呼んだ。]を、ふせげや。」

とて、取《とる》物も取《とり》あへず、我先に、我先に、とぞ、落行《おちゆき》ける【中畧。】。兵衞佐[やぶちゃん注:賴朝。]、いそぎ、馬よりおり、甲《かぶと》をぬぎ、手水《てうづ》・うがひして、王城の方を、ふしおがみ、

「是は、まつたく、賴朝がわたくしの高名には、あらず。ひとヘに八幡大菩薩の御はからひ。」

とぞ宣《のたま》ひける。云云。』。

『其時の「らく書《しよ》」に、

  ふし河の、せヽの岩こす、水よりも、早くも落つる、伊勢平氏哉。』。

[やぶちゃん注:この「伊勢平氏」の「へいし」は「瓶子」に掛けてある。瓶子は御神酒を入れるための徳利のような形の器であり、これが、川面に浮かぶそれが、ふらふらと早く流れて行く為体を洒落たものである。]

 大將軍惟盛をはじめ、七万餘騎の軍兵《ぐんぴやう》、水鳥の羽音に驚《おどろき》て、迯歸《にげかへ》るは、實《げ》に八幡宮の御はからひか、天凶をしめす處か、彼《かれ》といひ、是《これ》といひ、また、奇怪ならずや。

 「東鑑」云《いはく》、

『治承四年十月二十日、武衞令ㇾ到駿河國賀島給。又左中將惟盛・薩摩守忠度・三河守知度等、陣于富士河西岸一、而ルニ及テ半更武田太郞信義、廻ラシ兵略、潜ニ襲件ノ陣ノ後面之處、所ㇾ集于富士沼之水鳥等、群カリ。其羽音偏軍勢之粧、依テㇾ之、平氏等驚、爰次將上總介忠淸等相談云、東國士卒、悉武衞、吾等怒 憖出洛陽、於中途、已難ㇾ遁ㇾ圍、速ハヤク歸洛可ㇾ搆於外云云。』。

 

[やぶちゃん注:本文の訓点は不全であるから、「東鑑」(=「吾妻鏡」)をカット部分を補塡して、当日分記事の原本を訓読して示しておく。読み易くするため、段落を成形した。

   *

治承四年十月小廿日[やぶちゃん注:ユリウス暦一一八〇年十一月九日。グレゴリオ暦換算一一八〇年十一月十六日。]己亥。武衞、駿河國賀島[やぶちゃん注:現在の静岡県富士市加島町(かしまちょう:グーグル・マップ・データ)。]に到らしめ給ふ。

 又、左少將惟盛、薩摩守忠度、參河守知度等、富士河西岸に陣す。

 而るに、半更(はんかう)[やぶちゃん注:冬なので、午前一時頃から午前三時頃まで。]に及び、武田太郞信義、兵略を𢌞(めぐ)らし、潛(ひそ)かに件(くだん)の陣[やぶちゃん注:平家側の陣を指す。]の後面を襲ふの處、富士沼[やぶちゃん注:現在しない広域の複数の沼沢を含む湿地帯。「浮島沼」或いは「浮島原」。「ひなたGIS」の戦前の地図のこの辺りを中心とする。]に集まる所の水鳥等、群れ立(だ)つ。其の羽音、偏(ひとへ)に軍勢の粧(よそほ)ひを成す。

 之れに依つて、平氏等、驚き騷ぐ。

 爰(ここ)に次將の上總介忠淸[やぶちゃん注:平家譜代の有力家人(けにん)藤原忠清。]等、相(あひ)談じて云はく、

「東國の士卒は、悉く、前(さき)の武衞に屬す。吾等、憖(なまじひ)に洛陽[やぶちゃん注:京。]を出でて、中途に於いて、已に圍(かこ)みを遁(のが)れ難し。速かに歸洛せしめ、謀(はかりごと)を外に搆(かま)ふべし。」

と云々。

 羽林[やぶちゃん注:平維盛。]已下、其の詞(ことば)に任(まか)せて、天(てん)の曙(あ)くるを待たず、俄かに以つて、歸洛し畢(をはん)ぬ。

 時に飯田五郎家義・同じき子息等、河を渡りて、平氏の從軍を追奔(ついほん)するの間(あひだ)、伊勢國住人伊藤武者次郞、返し合せて相ひ戰ひ、飯田太郞、忽ちに討ち取らる。家義、又、伊藤を討つと云々。

 印東次郞常義[やぶちゃん注:「常義」は「常茂」の誤判読と見られる。上総介広常の兄であったが、平家方に就いた。討ち取られたのは、三日後。]は鮫嶋(さめがしま)[やぶちゃん注:ここ(グーグル・マップ・データ)。]に於いて誅せらると云々。

   *

う~ん……しかし、これ……怪談じゃあ……ないね。]

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