本カテゴリ「小泉八雲」で電子化していない日本で書かれた一篇である小泉八雲の「若返りの泉」について視認可能とした事
私は、『小泉八雲 ちん・ちん・こばかま (稻垣巖譯) / 底本「日本お伽噺」~了』の冒頭注で以下のように述べた。
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日本で長谷川武次郎によって刊行された「ちりめん本」の欧文和装の日本の御伽話の叢書“ Japanese fairy tale series ”の中の一篇である。同シリーズの第一期(英語で言うなら「First (Original) Series」)の№25(明治三六(一九〇三)年三月十五日刊)で(但し、同シリーズは第一期を完結せずに続けつつ、別に第二期を開始しているために、第二期の一部よりも後の刊行になる作品が出てきており、本編もその一つである)、編集・発行者は「長谷川武次郞」。小泉八雲は当該シリーズに五作品が寄せている。以下、同シリーズや長谷川武次郎氏及び訳者稲垣巌氏については『小泉八雲 化け蜘蛛 (稻垣巖譯)/「日本お伽噺」所収の小泉八雲英訳作品 始動』の私の冒頭注を参照されたいが、そこで書いたように、今一篇の、同シリーズに載った“ The Fountain of Youth ”(「若返りの泉」)は以下の底本には載らない。何故これが除かれているかは不明である(一部のネット記載を見ると、これは小泉八雲の創作とされているとあり、それと関係するものか? にしても、解せない)サイト「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)作品集」のこちらで“ The Fountain of Youth ”の「ちりめん本」の画像と活字化されたそれを読むことが出来る。なお、これは後日、私自身が和訳を試みたいと考えている。[やぶちゃん注:中略。]本篇は、サイト「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)作品集」のこちらが画像と活字化した本文を併置していて、接続も容易で、使い勝手もよい。“Internet Archive”のこちらでも、全篇を視認出来る。また、アメリカのアラモゴードの蒐集家George C. Baxley氏のサイト内のこちら(長谷川武次郎の「ちりめん本」の強力な書誌を附した現物リスト)の、Chin Chin Kobakama Japanese Fairy Tale No. 25 1903も必見である。
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この“ The Fountain of Youth ”(「若返りの泉」)は、平易な英語であり、自身で和訳することは容易なのだが、現在、全体の正字不全とミス・タイプ、及び、オリジナル注釈検証作業を行っており、それを終わらない限り、それに着手しないと決めている(恐らくは、この夏には、それを終えることが出来ると思う)。しかし、この一作だけが本ブログで欠けていることには、甚だ不満を持っている。
★但し、実は、『ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)作品集「東の國から」(正字正仮名版)始動/ 献辞・田部隆次譯「夏の日の夢」』の最終章に、この話は、同一原文ではないが、相同のシノプシスで書かれては、ある。
而して、本日、国立国会図書館デジタルコレクションで調べたところ、
「ちんちん小袴」(中央公論社『ともだち文庫』23・小泉八雲作・光吉夏彌譯・初山滋 裝幀/揷絵[やぶちゃん注:表記はママ。]:昭和二三(一〇四八)年)のここから、本作の訳が視認出来る
ことが判った(但し、国立国会図書館に「本登録」をしないと見られない)。しかし、光吉夏彌氏は著作権継続であり(当該ウィキを参照されたい)、これを電子化することは出来ない。
なお、同書の末尾の光吉氏の後書き「小泉八雲について」の中で、『「若返りの泉」は大正十一』(一九二二)『年に』出版された、とあった。小泉八雲の逝去から七年後のことであった。このことから、第一書房の元版「小泉八雲全集」は大正十五年から初刊刊行であるため、訳者の方々が、四年前に出版された本作を確認することを怠った結果、所収されなかったものと推定されるのである。
そこで、私が拙訳するまで、こちらで、視認されるよう、お願い申し上げる。これによって、
―――私のブログで広義の意味で――小泉八雲の本邦で書かれた作品を総て視認出来る――とすることが出来た。
と正面切って言えることとなった。