和漢三才圖會卷第八十八 夷果類 人靣子
にんめんし
人靣子
本綱人靣子出廣中【廣東廣西廣南之中】樹似含桃春花夏實秋熟
其子大如梅李無味𮔉煎可食【甘酸】其核兩邊似人靣口目
鼻皆具
△按人靣子南方外國之產其種未入中𬜻乎五雜組云
猩猩果人靣樹不得見之而已
大豆及虹豆亦有如人頭者皆似日本黧民當世風俗
頭髮而口目鼻不精而已
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にんめんし
人靣子
「本綱」に曰はく、『人靣子は廣中《こうちゆう》【廣東・廣西・廣南の中《うち》。】に出づ。樹、「含桃《がんたう/からみざくら》」に似て、春、花(《はな》さ)き、夏、實(《み》の)り、秋、熟す。其の子《み》、大いさ、梅・李《すもも》のごとく、味、無《なし》。𮔉煎《みつせん》≪して≫食《くふ》べし【甘、酸。】。其の核《さね》、兩邊、人靣《にんめん》に似て、口・目・鼻、皆、具《そな》はる。』≪と≫。
△按ずるに、人靣子は、南方外國の產。其の種、未だ中𬜻に入らざるか。「五雜組」に云はく、『猩猩果・人靣樹、見ることを得ざるのみ。』と。
大豆、及び、虹豆(さゝげ)にも亦、人頭のごとくなる者、有り。皆、日本の黧民《りみん》[やぶちゃん注:これは原義は「顔の肌が黒ずんだ老人」の意。ここでは、「農作業で黒ずんだ頭・髪の農民」の意で採る。因みに、東洋文庫訳では何の説明もなくして、『農民』と訳してしまっている。]≪の≫當世の風俗≪たる≫頭髮に似て、口・目・鼻は精(くは)しからざるのみ。
[やぶちゃん注:これは、現行では和名がないらしい、
双子葉植物綱ムクロジ(無患子)目ウルシ科イボモモノキ(ダオ/人面子)属人面子(レンミャンスイ:拼音: rén miàn zǐ) Dracontomelon duperreanum
である。以上の生物学分類は、「維基百科」の「人面子」、及び、属名は、サイト「木の情報発信基地」の「樹木」の「平井信二先生の樹木研究」の「イボモモノキ属の樹木」に拠った。「維基百科」の「人面子」によれば(太字下線は私が附した)、『高さ二十メートルに達する、支柱根を持つ常緑樹である。奇数羽状複葉で、十一~十五枚の長楕円形の小葉が交互に現れる。春、円錐花序に小さな青白色の鐘形の花が咲き、花は両性花である。果実は。平らな球形の黄色の核果で、中心は凹んでおり、縁には五つの楕円形の窪みと小さな穴があり、人の顔のような形をしている。ベトナム・中国本土の広東省・広西チワン族自治区・雲南省などに分布している。標高九十三〜三百五十メートルの地域に植生する。森林に生育することが多く、栽培のために人工的に導入されたことはない』とある。そもそも、本文を見ても、「本草綱目」の記述と、良安の評言、中国には「人面子」が存在していないのであろうか? という「五雜組」の記載由来の謂いが矛盾していることが明らかである。後注で考証する。
以下、植物学的には甚だ杜撰な邦文当該ウィキ「人面子」を引く(同ウィキには、当然あって然るべき「生物学分類」が存在しない)注記号はカットした)。『人面子(レンミャンスイ、学名:Dracontomelon duperreanum 、ピンイン rén miàn zǐ :英語:dracontomelon fruit)は、中国やベトナムに自生する樹木。中国語を由来とする』。『『人面子』の表記が日本の古文書に現れるのは、博物学や漢方薬の研究を盛んに行っていた「山本読書室」が定期的に行っていた「山本読書室物産会」に出品された品目一覧名に含まれる』(この「山本読書室」は当該ウィキによれば、『山本読書室』『は、儒医山本封山(やまもと・ほうざん)が江戸時代後期に京都・油小路五条上ルに開いた私塾。平安読書室とも称される。日本博物学の西日本の拠点でもあった』とあり、以下、解説が続く。詳しくは、そちらを見られたいが、その『3.読書室物産会』には、天明四(一七八四)年から慶応三(一八六七)年までの八十三『年間の入門者は』千六百『名余。塾の特色をなす博物研究会「読書室物産会」は』、文化五(一八〇八)年『から』慶応三『年まで』六十『年間に通算』五十一『回開催された』。『読書室物産会に出入りした画工土田乙三郎(英章)は顕微鏡を用いて微生物を模写し、山本榕室がこれを「微虫図」と名付けて解説を加え、銅版師岡田春燈斎義房が銅版図に仕上げ、刊行された(嘉永元年』六『月)』とある)『現代の日本においても、ほとんど知られていない「人面子」などの多くの博物学品目名が「山本読書室物産会」出品品目一覧名に含まれている。実の部分は、甘酸っぱく、中国や東南アジアではジュースのようにして飲まれている。実は生のまま食べられ、漬け物にもする』。『人面子の名前の由来は、実の窪みには柔らかい棘が入っていて』、『成熟すると抜け落ち、実の窪み部分の中身が入っていない場合、頭蓋骨の目の部分のように大きな穴が』一『つの方向から見て』五『つ見えていて、見る方向によっては、この実の窪みが苦悶した人面に見える事がある事から「人面子」と中国では呼ばれる。実の窪み部分が埋まっている実の場合には、窪みにしわが多く、同じ系統の「ドラコントメロン・ダオ( Dracontomelon dao )」の実は』、一『つの方向から見た時に、しわの多い』五『つの窪みが見え、各窪みの中に』一『つずつ仏像が埋まっているように見える事もある事から、タイやラオスでは』、英語で『「Five Buddhas」と呼ぶ事がある』。『漢方薬として利用される。実、葉、根の皮など部位によって薬効が違い、主として、解毒、胃の働きの活発化、食欲不振の治療、小児のてんかん治療、酔い覚ましがある。代表的な漢方薬としては、人面子叶(人面子の葉の漢方薬(「叶 yè」は「葉」の簡体字)。解毒し』、『痛みを抑える)、人面子根皮(人面子の根の皮の漢方薬』で『癰』『を取り除く解毒作用』を持つ)、『人面果(実。食欲不振、消化不良に効く。褥瘡(床擦れ)の治療)などがある』とあった。
なお、以上の本文は、「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の「卷三十三」の「果之五」「蓏類九種內附一種」の「人面子」([081-36b] 以下)からの抄録である。ごく短いので以下に、手を入れて示す。
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人面子【又曰草木狀云出南海樹似含桃子如桃實無味以蜜漬可食其核正如人面可玩祝穆 方輿勝覽云出廣中大如梅李春花夏實秋熟蜜煎甘酸可食其核兩邊似人面口目鼻皆具】
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「含桃《がんたう/からみざくら》」これは、バラ目バラ科サクラ属カラミザクラ Cerasus pseudo-cerasus である。先行する「第八十七 山果類 櫻桃」の私の注を見られたい。
に似て、春、花(《はな》さ)き、夏、實(《み》の)り、秋、熟す。其の子《み》、大いさ、梅・李《すもも》のごとく、味、無《なし》。𮔉煎《みつせん》≪して≫食《くふ》べし【甘、酸。】。其の核《さね》、兩邊、人靣《にんめん》に似て、口・目・鼻、皆、具《そな》はる。』≪と≫。
『按ずるに、人靣子は、南方外國の產。其の種、未だ中𬜻に入らざるか。「五雜組」に云はく、『猩猩果・人靣樹、見ることを得ざるのみ。』と』「中國哲學書電子化計劃」の「五雜爼」(「組」は「爼」とも表記する)の「卷十」の「物部二」の以下である(コンマ・ピリオドは句読点に代え、一部の表記を代えた)。
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歷考史傳所載果木、如所云都念豬肉子、猩猩果、人面樹者、今皆不可得見、而今之果木又多出於紀載之外者。豈古今風氣不同、或昔有而今無、或未顯於昔而蕃衍於今也? 今閩中有無花果、淸香而味亦佳、此卽「倦游錄」所謂木饅頭者。又有一種、甚似皂莢、而實若蒸慄、土人謂之肥皂果、或云卽菩提果。至於佛手柑、羅漢果之類、皆不見紀載。山谷中、可充口實、而人不及知者、益多矣。
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これ、実は、本パートの「和漢三才圖會卷第八十八 夷果類 (序)」で良安が引用しているものである。今回、本腰を入れて、幾つかの機械翻訳を参考に、私が暴虎馮河で補助を加えて訳してみると(後日、中国語の堪能な教え子に見て貰い、修正を加えた)
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歴史書・史伝の記載される果実や樹木が伝えるところでは、言うところの「猪肉子」・「猩猩果」・「人面樹」といった物は、現今では、皆、実物を見ることが出来ぬ、現在知られている果実や樹木などには、記録されていないものが、多くある。古今の気候風土の状態が異なることによるものか、或いは、昔はあったが、今はないのか、或いは、過去には目立たずに認識されていなかったものが、現在は、多くの人によく知られているようになったものがあるということだろうか?
例えば、福建省には現在、香りがよく風味のよい無花果(イチジク)の一種があり、これは「倦游錄」に出ているところの「木饅頭(もくまんとう)」である。
また、皂莢(ムクロジ)によく似た別の種類もあるが、その果実は蒸した栗のようで、地元の人民は「肥皂果」、或いは、「菩提果」と呼称している。
それに反し、「佛手柑」・「羅漢果」の類は、皆、歴史的記載には見出せないのである。
辺地の山谷では、腹を満たすに足る果樹があるのに、しかし、それらを知らない者が、甚だ多いのである。
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先の「序」では、カットされているので、注していないが、ここに出る「倦游錄」というのは北宋の官人であった張師正が書いた「倦游雜錄」のことである。原本は散帙したが、「說郛」に節録されている。但し、一説では同じ北宋の官人魏泰が書いた偽書ともされる。
さて、良安の疑問を解明してくれるヒントは、拙訳の最後の下線にあると言えよう。何度も述べている通り、李時珍は郷里から殆んど出ずに「本草綱目」を書いた。まさに、奇体なテーブル推理の「隅の老人」(The Old Man in the Corner)みたようなものなのである。海産生物の記載にトンデモ記載があるのは、実際のそれらを実は全く見ていないからなのである。辺地・北方・南方及び中国外の生物は「見たように物を言い」式のものであり、多くの古書や他の記録・聴書等が、その情報元であった。既に何度も注した「五雜組」の作者である明の文人官人謝肇淛は、それでも、湖州府推官・東昌府推官・南京刑部主事・兵部郎中・工部屯田司員外郎を経て、広西按察使に任ぜられている(後には西右布政使に至っている)から、時珍より、フィールド範囲が遙かに広かったものの、本草学者ではないし、本業も忙しかったであろうから、かく最後の感懐が真をよく伝えていると言えると私は思う。
「大豆」マメ目マメ科マメ亜科ダイズ属ダイズ Glycine max 。
「虹豆(さゝげ)」マメ科ササゲ属ササゲ亜属ササゲ Vigna unguiculata 。豆類の「臍(へそ)」「お歯黒(おはぐろ)」と呼ばれる、豆と莢(さや)を結びつけていた部分で、非常に目立つ。これは、一点なので、一つでは、顔を思い浮かべる「シミュラクラ現象」(英語:simulacra)とは言えないものの、本来はそこに存在しないにも拘わらず。心に別に何かを思い浮かべる「パレイドリア現象」(英語:Pareidolia)現象にはもってこいのものだ。というより、日常的には、豆一つを見ることより、複数の豆を持った笊なり、お椀に盛ったものを見るのが一般的であり、そこでは、この「へそ」が三つ、位置を相応にあったならば、容易に「シミュラクラ」を引き起こす。その証拠に、私は少年期、台所の豆のそれを、気持ちが悪いものに感じていた。まさにそれだったのだ!]