阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「人穴奇怪」
[やぶちゃん注:底本はここ。やや長いので、段落を成形し、句読点(変更を含む)・記号を附加した。]
「人穴奇怪」 富士郡富士山の麓にあり。「北條九代記」云《いはく》、
『建仁二年三日、將軍賴家卿、駿河國富士の狩倉に赴《おもむき》給ふ。山の麓に、又、大なる穴あり。世の人、是を、「富士の人穴」とぞ、名付けける。此穴の奧を見極めさせられんが爲、仁田四郞忠常を召《めし》て、劍を賜り、
「汝、此穴の中に入《いり》て、奥を極めて來《きた》るべし。」
との上意なり。
忠常、畏《かしこまり》て、御劔を賜り、御前を罷り立《たち》て、主從六人、穴の內にぞ入りにける。
次の日、四日の已の尅《こく》[やぶちゃん注:午前十時頃。]に、四郞忠常、人穴より出でて歸り來《きた》る。往還、すでに一日一夜を經たり。
將軍家、御前に召《めい》て聞《きこ》し召す。
忠常、申しけるやう、
「この洞《ほら》、甚《はなはだ》狹くして、踵《きびす》を巡《めぐら》す事、叶《かない》がたし。纔《わづか》に一人通るべくして、心の如くに進み行《ゆか》れず。又、暗き事、云《いふ》ばかりなし。
主從、手每《てごと》に松明をともし、互に聲を合せて行《ゆく》程に、路《みち》の間《あひだ》は、水、流れて、足をひたす。
蝙蝠《かうもり》、幾等《いくら》と云ふ限《かぎり》なく、火の光に驚《おどろき》て飛《とび》かけり、其行先に滿《みち》ふさがれり。色黑き物は世の常にあり、白き蝙蝠も又、少《すくな》からず。
水の流《ながれ》に隨《したがひ》て、ちひさき蛇の、足に當り、纏付《まとひつく》事、隙《ひま》なし。刀を拔《ぬき》て、切流《きりなが》し、切流し、進み行《ゆく》に、或《あるひ》は腥《なまぐさ》き匂《にほ》ひ、鼻を衝《つき》て嘔噦《おゑつ》せしむる時もあり。或は芳《かうば》しき薰《かをり》來りて、心を凉やかになす事もあり。
奥は、漸々(ぜんぜん)、廣くして、上の方に、何やらん、色、透《すき》通りて、靑き氷柱の如くなる物、ひしと見えたり。
郞從の中に、物に心得たるが申しけるは、
『是は「鐘乳」とて石藥《せきやく》也。仙人、是を取《とり》て不老長生の藥を煉《ね》ると傳聞《つたへきき》し。』
と語り候。
又、步み行く足の下、俄《にはか》に雷《いかづち》のはためく音して、千人計《ばか》り、一同に鬨《とき》を作ると聞《きこへ》しは、是は定めて「修羅窟《しゆらくつ》」の音なるべし。凄(すさまし)[やぶちゃん注:珍しい底本のルビ。]き事に存《ぞんじ》て候。
猶、行先、彌《いよいよ》暗く、松明をともし續け、すこし廣き所に出《いで》たり。四方は黑暗幽々《こくあんいういう》として、遠近《をちこち》には、時々、人の聲、聞ゆ。
心細き事、さながら、迷途《めいど》[やぶちゃん注:「冥途」に同じ。]の旅路《たびぢ》に向ひ、たどり行く心地ぞする。
かゝる所に、一《ひとつ》の大河に行《ゆき》かヽる。
事問《とふ》べき都鳥も見えず、漲《みなぎ》り落《おつ》る水音は、其深さ、淵瀨《ふちせ》もさだかならず。
逆卷く水に、足をひたし入《いれ》たりければ、水の早き事、矢の如く、冷《ひやや》かなる事、極寒の水に增《ませ》れり。「紅蓮《ぐれん》」・「大紅蓮」の地獄の氷は、是成《なる》べし。川向ひ、其遠さ、七、八十間も有《ある》べし。
其中に、松明の如くなる物、向ひに見えて、光、さながら、火の色にもあらず。
光の內を見れば、奇異の御姿《おんすがた》、あたりを拂《はらつ》て立ち給ふ。
郞從四人は、其儘《そのまま》、倒《たふれ》て、死す。
忠常、かの御靈《ごりやう》を拜禮するに、御聲《みこゑ》、幽《かすか》に敎へさせ給ふ御事《おんこと》有《あり》て、則《すなはち》、下し給はりし御劔《ぎよけん》を其《その》川に投入《なげいれ》ければ、御姿はかくれ給ひ、忠常は、命、助《たすか》りて、歸り出《いで》候也。」
と、申す。
賴家卿、聞しめし、
「尙、其奥は、定めて、天地の外の世界なるべし、重ねて渡し舟を造らせ、人數《にんず》多く遣《つかは》して、見屆くべし。」
とぞ、仰せられける。
古老の人々は、是を聞《きき》て、
「この穴は『淺間(せんげん)大菩薩の住所なり』と申傳《まふしつた》へ、昔より、『遂に其內を見る事、能はず。』と聞傳《ききつた》ふ。只今、かやうに事を破り給ふには、將軍家の御身に取《とり》て、御愼《おんつつしみ》無きに非ず。恐ろ)しく。」
とぞ、私語(さゝやき)[やぶちゃん注:珍しい底本のルビ。]ける。云云。
[やぶちゃん注:「富士の人穴」は、本書に既に先行する「人穴の怪」があるが、その第二弾である。而して、その注でも示した通り、これは、私の、二〇一三年に五年半かけて完成したオリジナル電子化注ブログ・カテゴリ「北條九代記」の「伊東崎大洞 竝 仁田四郞富士人穴に入る」の後半部「仁田四郞富士人穴に入る」を引いたものである。子細に対照検証したが、細部の表記に問題のない異同が認められるだけである。引用としては、極めて良質なものである。リンク先で詳細な注を附してあるので、そちらを見られたい。]
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