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2025/06/02

和漢三才圖會卷第八十八 夷果類 畨蕉 / 卷第八十八 夷果類~了

 

Sotetu

 

[やぶちゃん注:右上に、「花初生」とキャプションした添書きがある。]

 

そてつ    華人呼曰鐵樹

        倭云蘇鐵

畨蕉

      【桄榔木亦名鐵樹同名異品也】

 

ハン ソヤ゚ウ

[やぶちゃん注:」は「番」の古い字体。東洋文庫訳では、総て「蕃」に書き変えてある。その方が確かに躓かずに読めるが、しかし、以下の「五雜組」の原本でも「」である以上、それで通す。「卷第八十四 灌木類 巵子」では、「蕃」の誤字として書き変えたのであるが、これには別に問題があるのである。それは現行では、台湾で「蕃蕉」と書いてバナナを意味するからである。

 

五雜組云相傳此樹從琉球來云種之能辟火患其葉似

鳳尾蕉而小其木麄巨葉宻比如魚刺將枯時以鐵屑糞

之或以䥫丁釘其根則復活蓋此樹水性金能生水也植

盆中不甚長一年纔落一下葉計長不能以寸亦不甚作

花余家畜二本三十年中僅見兩度花耳其花亦似芭蕉

而色黃不實

△按畨者外夷之稱其狀似鳳尾蕉故名畨蕉將枯者釘

 其根則活故倭曰蘇鐵【蘇者回生之義】原出於琉球而薩州多

 有之今𠙚𠙚植庭園及盆中貴重之大小皆可愛大者

 髙𠀋余徑尺余而皮有鱗甲如老松皮頂上生葉如桄

 榔椶櫚之軰其葉長二三尺深刻比比似魚刺兒樹生

 於根下大如拳亦鱗皮如本木然稍長至五六寸則生

 葉有一株七八子者性最畏寒濕冬月以藁包藏之四

 月將生新葉之前宜苅舊葉如中濕則朽急斫去朽𠙚

 宜栽之如輪切而無根亦能活一異也雖大木其根細

 如絲樹中心有白麫以作餠食亦如桄榔莎木麫之白

 麫可救饑

○琉球久米島之產葉細小宻比爲上大島爺山島之產

 葉粗大不宻爲次

○開花者希有之有花者不實有實者不花其花初無柎

 而木頂上脹起白色帶微青彷彿盛佛飯狀既長則花

 瓣厚硬至一二尺者似土筆菜綻者而不落花若生花

 宜急剪去否則新葉遲生

○結實者希有之其實生葉下有幕𮈔而連着之狀大小

 如栗有皺紋色如土朱𣾰而肉白中有仁乾則極堅

○冬月其根傍避尺許爲溝可漑鮮魚洗汁或糞汁古法

 培鐵屑釘鐵丁者如今不用

 泉州堺妙國寺有大木一株十七莖髙一𠀋五六尺同

 𠙚祥雲寺畨蕉亦次之他無比之者唯云薩州地如此

 者不乏近年土佐亦名木多


深山崖石上有加牟曾久草其莖葉畧似番蕉而株大似

 畨蕉椶櫚之軰僞以爲畨蕉嫩木然栽人家不活【出于石草】

 

   *

 

そてつ    華人、呼《よん》で曰ふ、「鐵樹《てつじゆ》」。

        倭、云ふ、「蘇鐵」。

畨蕉

      【桄榔木(たがやさん)、亦、「鐵樹」と名づく。

       同名異品なり。】

ハン ソヤ゚ウ

 

「五雜組」に云《いはく》、『相傳《あひつた》ふ、「此《この》樹、琉球より來《きた》る。」と。云《いは》く、之《これ》、種《うゑ》て、能《よく》、火患《くわかん》を辟《さ》く。」と。其の葉、「鳳尾蕉《ほうびせう》」≪と≫似て、小《ちさ》し。其《その》木、麄《あら》く、巨葉、宻(こまか)に比(なら)びて、魚(いを)の刺(えら)のごとく、將《まさ》に枯《かれ》んとする時、鐵屑《てつくづ》を以《もつ》て、之れに糞(こえ)し、或《あるい》は、䥫-丁(くぎ)を以て、其《その》根に釘(う)てば、則《すなはち》、復《また》、活《かつ》す。蓋し、此《この》樹、水性なり。金《きん》、能《よく》、水《すい》を生《せい》すればなり[やぶちゃん注:言わずもがなであるが、「五行相生」に基づく謂い。]。盆中に植《うゑ》、甚だ≪は≫長せず。一年、纔《わづか》に一≪枚の≫下葉《したば》を落《おとす》≪のみなり≫。計《はか》るに、長《ちやう》ずること、≪ただ≫≪一≫寸を以《もつて》すること≪のみにて≫、亦、甚《はなはだ》≪には≫花を作《なさ》ず。余[やぶちゃん注:著者である謝肇淛(しゃちょうせい)自身を指す。]が家に、二本を畜《つちか》ふ≪も≫、三十年中、僅《わづか》に兩度《りやうど》の花を見るのみ[やぶちゃん注:三十年の間、たった二度だけ、花をつけたに過ぎなかった。]。其《その》花、亦、芭蕉に似て、色、黃にして、實(《み》の)らず。』≪と≫。

△按ずるに、「畨」とは、外夷の稱《しやう》なり。其《その》狀《かたち》、「鳳尾蕉《ほうびせう》」に似たり。故《ゆゑ》、「畨蕉」と名《なづ》く。將に枯《かれ》んとする者、其《その》根に釘《くぎう》てば、則《すなはち》、活す。故、倭に、「蘇鐵」と曰ふ【「蘇」は、回生の義。】。原(もと)、琉球より出《いで》て、薩州に、多《おほく》、之《これ》、有り。今、𠙚𠙚《ところどころ》、庭園、及《および》、盆中に植ふ[やぶちゃん注:ママ。]。之《これ》を貴重≪と≫す。大小、皆、愛すべし。大なる者、髙さ、𠀋余。徑(わたり)、尺余≪に≫して、皮に、鱗甲、有《あり》て、老松≪の≫皮のごとく、頂上に葉を生じ、桄榔(たがやさん)・椶櫚(しゆろ)の軰《はい》≪の≫ごとし。其《その》葉、長《ながさ》、二、三尺。深き刻(きざみ)、比比《ひひ》として[やぶちゃん注:「並び連なっており」。]、魚刺(えら[やぶちゃん注:魚類の鰭の棘(とげ)ではなく、「鰓」の意。])に似たり。兒(こ)≪の≫樹、根の下《もと》に生ず。大いさ、拳(こぶし)のごとく、亦、鱗皮《うろこがは》、本木《ほんぼく》のごとく、然《しか》り[やぶちゃん注:「親の木の鱗のような木肌とそっくりである」の意。]。稍《やや》、長《ちやう》じて、五、六寸に至れば、則《すなはち》、葉を生《しやうず》。一株、七、八子の者、有り。性、最も寒・濕を畏《おそ》る。冬月、藁を以《もつて》、之れを包-藏《つつみかく》す。四月、將に新葉を生《しやうぜ》んとするの前、宜《よろ》しく、舊葉を苅るべし。如《も》し、濕に中《あた》れば、則《すなはち》、朽《くつ》る。≪其の時は≫急《きふ》に、朽《くち》たる𠙚を斫(はつ)り去《さる》。宜しく、之れを栽ふべし。輪切《わぎりのごとくにして》、根、無きも、亦、能《よく》活す。一異《いちい》なり[やぶちゃん注:一つの不思議である。]。大木と雖《いへども》、其の根、細く、絲《いと》のごとし。樹の中心に、白≪き≫麫《こな[やぶちゃん注:「粉」。]》、有り、以《もつて》、餠に作《つくり》て、食ふ。亦、桄榔・莎木麫《さもめん》の白≪き≫麫《こな》のごとく、饑《うへ》を救《すくふ》。

○琉球久米島の產、葉、細《ほそく》、小《ちさく》、宻比《みつひ》[やぶちゃん注:しっかりと密(みつ)に固まってあること。]≪にして≫、上と爲《なす》。大島[やぶちゃん注:奄美大島であろう。]・爺山(やゝま)島[やぶちゃん注:東洋文庫訳の割注では、『(八重山列島か)』とする。妥当であろう。]の產、葉、粗大にして宻ならず、次《つぎ》と爲《なす》。

○花を開く者、希《まれ》に、之れ、有り。≪然れども≫、花有る者、實(《み》の)らず、實の有る者は、花(《はな》さ)かず。其《その》花、初め、柎(がく)[やぶちゃん注:「萼」に同じい。]、無く、木の頂上、脹-起《ふくれおき》、白色にして、微青を帶《おぶ》。佛飯《ぶつぱん》を盛る狀《かたち》に彷-彿(さもに)たり。既に長ずれば、則《すなはち》、花瓣、厚く、硬く、一。二尺に至《いたり》ては、土--菜(つくし)の綻(ほころ)びたる者に似て、落花せず。若《も》し、花を生《しやうず》れば、宜《よろしく》、急ぎ剪-去《きりさる》べし。否-則(しからざる)時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、新葉、遲く生ず。

○實を結ぶ者、希《まれ》に、之れ、有り。其《その》實、葉下《はのした》に生じ、幕𮈔《まくいと》、有りて、連《つらな》り着くの狀《かたち》、大・小≪の≫栗《くり》のごとく、皺紋《しはのもん》、有り。色、「土朱𣾰(《どしゆ》ぬり)」のごとくにして、肉、白し。中に、仁《にん》、有り、乾《かは》く時は、則《すなはち》、極《きはめ》て堅し。

[やぶちゃん注:「土朱𣾰(《どしゆ》ぬり)」恐らく、「絵具屋三吉」公式サイト内の「[水干] 朱土」のページに、色合い画像を添えて、『「水」で精製し、「干」し上げてつくることから、水干絵具と呼んでいます。胡粉や黄土などに顔料で着色した、きめ細かい粒度の絵具です』とあるのが、それであろうと思われる。]

○冬月《とうげつ》、其《その》根の傍《かたはら》、尺許《ばかり》を避《さけ》て、溝を爲《つくり》、鮮魚の洗汁《あらひじる》、或《あるい》は、糞-汁《こやし[やぶちゃん注:そのまま読みたくないので、東洋文庫訳のルビを採用した。]》を漑《そそ》ぐべし。古法に「鐵屑《てつくづ》を培《つちかひ》、鐵丁《えつくぎ》を釘(う)つ」と≪あれども≫、如今《ぢよこん》は、用《もちひ》ず。

 泉州堺《さかひ》≪の≫妙國寺に、大木、有り。一株十七莖、髙さ一𠀋五、六尺。同𠙚《どうしよ》、祥雲寺の畨蕉も亦、之《これ》≪に≫次ぐ。他《ほか》≪には≫、之《これ》に比《ひし》たる者、無し。唯《ただ》、云《いふ》、薩州の地は、此《かく》のごとき者、乏(とぼ)し≪から≫ず≪と≫。近年は、土佐にも亦、名木、多し。


深山≪の≫崖石《がけいし》の上に、「加牟曾久(がんそく)」と云《いふ》[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]草、有り。其《その》莖・葉、畧《ほぼ》、番蕉に似て、株、大《おほき》く、畨蕉・椶櫚の軰に似《にる》。僞《いつはり》て、以《もつて》、「畨蕉の嫩木(わか《ぎ》)」と爲《なす》。然《しかれども》、人家に栽《うゑ》て≪も≫、活(つ)かず【「石草」に出《いだ》す。[やぶちゃん注:これは、十巻後の「卷九十八」の「石草類」の「崖椶」である。取り敢えず、国立国会図書館デジタルコレクションの当該項をリンクさせておく。因みに、東洋文庫訳では、本項訳文内割注で、『(カヤツリグサ科スゲ属タガネソウか)』と推定されてある(本巻と同じ竹島淳夫氏訳である)。これは単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ科スゲ属タガネソウ(鏨草) Carex siderosticta である(本邦のウィキをリンクさせておく)。確かに、「維基百科」の同種を見ると、「別名」の項に『崖棕』とはあった。この「棕」は「棕櫚」を表わす漢語である。ところが、その訳本文の最後で、竹島氏は割注で、『(良安がここに掲げた図は、オシダ科クサソテツのように見える)』としているのである(実は、リンク先のこの割注の前の本文の終りで、良安は、「蘇頌の図(「圖經本草」)は大いに異なり、本文と合わないので、図を改変した」と言っているのである)。しかもこの「クサソテツ」は、シダ植物門シダ綱コウヤワラビ科クサソテツ属クサソテツ(草蘇鉄) Matteuccia struthiopteris なのである! しかも、当該ウィキによれば、さらに、正直、厭だったけれど、ちょっと気になってしょうがないので、さらに少し調べてみると、小学館「日本国語大辞典」の『いと‐すげ【糸菅】』の項に、『カヤツリグサ科の多年草。各地の山中の半陰地に群生する。茎は高さ』十~二十『センチメートルほどの細い三角柱状。葉は柔らかく長さ』十~十五『センチメートルの糸状で、先が次第にとがり、下部はさやとなる。初夏、茎の頂に柄のある黄緑色の雄花穂を直立し、その下に一、二個の雌花穂を側生する。漢名は崖椶』(☜)とあるのを見出した。この「いとすげ」(糸菅)というのは、スゲ属イトスゲ Carex fernaldiana である(本邦のウィキをリンクさせておくが、そこには、正に『別名ガンソク』とあったのだ!!!)。まあ、「崖棕」から前者でいいとも言えるのだが、断定は出来ない。何より、「石草類」の「崖椶」に至るには、数年後になるが、そこで再度、考証してみる。……う~~、数年後の憂鬱が早くも見えてきたわい……。]】。

 

[やぶちゃん注:これは、

裸子植物門ソテツ綱ソテツ目ソテツ科ソテツ属ソテツ Cycas revoluta

である。当該ウィキを引く(注記号は一部を除き、カットしたが、一部では勝手に同ウィキの画像をリンクした)。『ソテツ(蘇鉄、蘓鉄』『)は』『常緑樹の』一『種である。幹の頂端に大きな葉が多数密生する。外観はヤシ』(単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科 Arecaceae)『や木生シダ』(現在のシダ植物は基本的に草本で、茎は地面を這うか、ごく短く立ち上がるが、「木生シダ」は、外見上、太い「幹」状のものがあり、ある程度の高さまで直立して育つものを指す。現生種はシダ植物門 Pteridophytaシダ綱 Pteridopsidaの内、ヘゴ目ヘゴ科ヘゴ属 Cyathea に属する種のみを指す)『に似ているが、系統的には全く遠縁であり、この類似性は他人の』空似『である。幹は、枯れ落ちた葉の基部が残って』鱗『状に覆われている。雌雄異株であり、雄株は細長い円柱状の小胞子嚢穂("雄花")を、雌株は大胞子葉が密生したドーム状の構造("雌花")を、それぞれ茎頂に形成する(図1)。大胞子葉について成熟した種子("")は赤朱色になる。根には窒素固定能をもつシアノバクテリア(藍藻)』(細菌 Bacteriaシアノバクテリア門 Cyanobacteria)『が共生しており、貧栄養地でも生育できる。九州南部から南西諸島、台湾、中国南部に分布する。ソテツを含めてソテツ類は、中生代』(約二億五一九〇万年前から約六六〇〇万年前)『から形態的にあまり変わっていないため、「生きている化石」ともよばれる』。『ソテツは、ソテツ類の中では、耐寒性があるため』、『鑑賞用に最も広く用いられており、世界中で植栽されている。その種子や幹には多量のデンプンが含まれるため、これを抽出して粥や味噌(蘇鉄味噌)など食用とすることがある。ただし、ソテツは』致死性の神経症状を齎すことがある『サイカシン』(Cycasin)『や』興奮毒性が疑わられ細胞損傷を惹起する『BMAA』(β-メチルアミノ-L-アラニン(β-Methylamino-L-alanine)『などの毒を含むため、食用とする際には』、『これを除く処理が必要となる』。『幹が柱状の常緑樹であり、高さ』一・五~八『メートル』、『幹の直径』二十~九十五『センチメートル』、『ふつう分枝しないが(図2a)、ときに多少分岐する(図2b, c)。ときに幹や根元から不定芽が生じる(図2d)。成長は遅いが』、五十『年で』四・五メートル『ほどになる。幹は、枯死した葉柄の基部が残って灰黒色のうろこ状に覆われている』(図e)。『他のソテツ類と同様、地表に特殊化した根(サンゴ状根)を形成し(図2f)、その中に窒素固定(窒素分子を植物が利用可能なアンモニアに変換する)を行うシアノバクテリア(藍藻)』(細菌 Bacteria シアノバクテリア門 Cyanobacteria )『が共生している』。四十~百『枚以上の葉が、茎頂にらせん状に密生している。葉は長さ』七十センチメートルから二メートルで、『幅』は二十~三十センチメートル、一『回』する『羽状複葉であり、葉軸に線形の小葉が多数(』六十~百五十『対)互生し、断面ではV字状につく』(図3a3b3c)。『葉柄は長さ』十~二十センチメートル、『両側に』六~十八『本のトゲがある(図5a)。葉柄と裏面には褐色の綿毛が密生する(3b)。複葉を構成する個々の小葉は長さ』八~二十センチメートル、『幅』四~八『ミリメートル』、『先端は尖り(触れると痛い)、全縁で縁は裏側(背軸側)に多少反り、表面は深緑色で光沢があり、裏面は淡緑色で軟毛がある』。『小葉の葉脈は中軸に』一『本のみあり、表面で窪み、裏面で隆起する。本州では、』六『月ごろと』九~十『月』頃の二『回』、『新葉が生じる』。『雌雄異株であり』、花期は五~八『月。ソテツでは』『雄花』・『雌花』『ともに、発熱することが報告されている(下記参照)』『雄花』『(小胞子嚢穂、雄性胞子嚢穂、雄錐、花粉錐)は茎頂に直立し、淡黄緑色、円柱状紡錘形、長さ』三十~七十センチメートル、『直径』八~十五センチメートル、『軸に』螺旋『状に配列した多数の鱗片(小胞子葉、雄性胞子葉、』、『雄しべ』)からなる(図4a, b)。小胞子葉は』三・五~六『×』一・七~二・五センチメートル、『三角形状』の楔『形で先端側が広がり、裏面(背軸面)に』三~四『個ずつ集まった花粉嚢が多数密生する(図4c)。花粉は楕円形、幅広い発芽溝がある。花粉放出後に』『雄花』『は枯れ、そのわきに新芽が生じて成長を再開する(仮軸成長)』。『雌花』『(種子錐)は、茎頂に密生した多数の大胞子葉(雌性胞子葉)からなる(図5a)。大胞子葉は黄色から淡褐色、褐色毛が密生してビロード状』で、『長さ』十四~二十二センチメートル、『先は羽裂し、柄に』二~八『個の直生胚珠が互生する(図5b, c)。風媒または虫媒(下記参照)。胚珠の珠孔から分泌された受粉滴に花粉が付着し、受粉滴とともに胚珠に取り込まれ、花粉管を伸ばして数』ヶ『月後に』螺旋『状に配列した』、『多数の鞭毛をもつ精子を放出する。この精子は』、明治二九(一八九六)『年、当時』の『東京農科大学(現』在の『東京大学農学部)の助教授であった池野成一郎』(せいいちろう)『によって、裸子植物ではイチョウに続く』二『例目として報告された(下記参照)。胚珠内には』、普通は二『個、ときに』三~五『個の造卵器が形成され』、十~十一『月に受精が起こる。受粉が終わると』、『大胞子葉』同士『が密着し、胚珠は外部から保護される。種子はやや扁平な卵形、およそ』四✕三センチメートル、『種皮外層は赤朱色で多肉質、中層は硬く石質、内層は薄く膜質(図5d』(これは種子であって、果実ではない)『)。結実後は』、『雌花』『の中心から成長を再開し(単軸成長)、普通葉または再び大胞子葉をつける。染色体数は 2n = 22』。『ソテツは、有毒な配糖体であるサイカシン(cycasin)やネオサイカシン(neocycasin)、マクロザミン(macrozamin)、および神経毒となる非リボソームペプチドであるβ-Nメチルアミノ-L-アラニン(β-methylamino-L-alanine, BMAA)を全体に含む。そのため、ソテツを食用とする場合は、これらの物質を除去する必要がある(下記参照)』。『サイカシンは、メチルアゾキシメタノール(methylazoxymethanol; MAM)とグルコースから合成される。摂取されるとMAMが遊離し、これがホルムアルデヒドとジアゾメタンへと分解され、急性中毒症状を起こし、また発癌性を示す。BMAAは興奮毒性を示し、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の原因になると考えられている』。『これらの物質の合成には、共生シアノバクテリアが関与していると考えられている』が、『ソテツは無菌状態でも BMAA を合成可能であることが報告されている』(以下の太字・下線は私が附した)。『ソテツは、ソテツ目』Cycadales『の中で日本に自生する唯一の種である。九州南部から南西諸島、台湾、中国南部(福建省)に分布する』(図7a,7b:前者は沖縄本島国頭村、後者は沖縄本島国頭村辺戸岬)『。中国南部では、かつては多く生育していたが』一九六〇『年代以降の生育環境の破壊や商業的採取によって大幅に減少し、現在では自生のものの有無は確かではないとされる。宮崎県串間市都井岬(図7c)が自生地北限とされるが、長崎県五島列島福江島のものも自生とする説がある。鹿児島県や宮崎県のソテツ自生地は、国の天然記念物に指定されている(下記参照)』。『主に海岸の風衝地や崖、原野などに生育し、特に石灰岩地に多い。根に窒素固定能をもつシアノバクテリアが共生しており、貧栄養の土地でも生育できる』。『ソテツは、風または昆虫によって花粉媒介される。ただし、風による花粉の散布能は低く、雄株から半径 』二メートル『以上では浮遊花粉は著しく減少し、また』雌花『を網かけして』、『昆虫を排除すると』、『雄の近傍にある個体以外では結実率が著しく低下する。送粉者である可能性がある昆虫として、与那国島では』ケシキスイムシ(「罌粟木吸」か)科Nitidulidae『の甲虫が報告されているが、ソテツ類のもう』一『つの科であるザミア科』Zamiaceae『で報告されているような送粉者の高い特異性は見られない。ソテツは』『雄花』、『雌花』『とも』、『強い臭気(揮発性物質であるエストラゴール』(Estragole)『などによる)を発し、これによって甲虫が誘引されると考えられている。また、ソテツは甲虫に対する報酬として食物(受粉滴、大胞子葉など)や繁殖場所を提供していると考えられている。ソテツの』『雄花』、『雌花』『は発熱し、それぞれ最大で外気温よりも』摂氏十一・五度、及び、八・三度『高くなることが知られており、これが臭気を強化していると考えられている。ザミア科では、強すぎる臭気や熱によって、花粉をつけた昆虫を高温の』『雄花』、『から追い出してより低温の』『雌花』『へ行くように仕向けるために』『雄花』『が』、『より』、『高温に発熱すると考えられている』。『ハシブトガラスやネズミによる種子散布が報告されている』。『熱帯アジア原産の蝶の』一『種であるクロマダラソテツシジミ(』黒斑蘇鉄小灰蝶:鱗翅目アゲハチョウ上科シジミチョウ科ヒメシジミ亜科ヒメシジミ族 Luthrodes属クロマダラソテツシジミ Luthrodes pandava 図8a)はソテツを含むソテツ類を食樹とするが、近年、南西諸島に定着し、ソテツを食害して問題となっており、また越冬はできないが』、『毎年』、『関東地方まで侵入している。また、東南アジア原産のカイガラムシ』(半翅(カメムシ)目同翅(ヨコバイ)亜目カイガラムシ上科 Coccoidea)『であるソテツシロカイガラムシ( Aulacaspis yasumatsui ; cycad aulacaspis scale, CAS図8b, c)は台湾においてソテツに大きな被害を与え、さらに』二〇二二『年には奄美大島で』、二〇二三『年には沖縄本島で生育が確認されている。また』、『このカイガラムシは、フロリダに植栽されているソテツにも被害を与えている』。『国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストでは』、二〇〇三『年版で近危急種に評価され、その後』、二〇〇九『年版で低危険種に変更された。日本では、ソテツは絶滅危惧等に指定されていないが、分布北限とされる宮崎県では保護上重要な種に指定されている』。『ソテツを含むソテツ類の全種は』、一九七七『にワシントン条約附属書II類に指定された(チャボソテツ Cycas beddomei のみは輸出入により制限がある附属書I類)。ただし、日本では承認を受ければ』、『ソテツを輸出することが可能である』。『日本では、国や自治体によって天然記念物等に指定されている自生ソテツや植栽されたソテツが多く、国指定の天然記念物としては、』二〇二三『年現在』、『以下のものがある(ソテツを含む植物群落全体の指定を除く)』(以下、リストは「保全状況評価」を参照されたい)。『南国情緒のある樹形や丈夫さ、高い環境適応能のため、ソテツ類の中では最も広く栽培されている。乾燥、潮風、大気汚染には強いが、寒さにはやや弱い。水はけが良い土質、日当たりと風通しが良い場所を好み、施肥や水やりをほとんど必要としない。日照不足や水のやりすぎは、根腐れを起こすことがある。小葉の先端が鋭く尖っているため、また人を含む動物に対して有毒であるため、植栽場所を考慮する必要がある。また、鉢植えや盆栽に利用されることもある』。『実生または幹から生じた不定芽を用いて殖やす。種子は播種後に発芽するまで乾かないように管理するが、発芽には少なくとも』二~三『ヶ月かかる。不定芽は、こぶし大になったものを幹から切り離して挿し木にして植える。植え付けは』五『月以降に行い、植え付けた際に水を充分に与える。定期的に剪定して古い葉は取り除く。病虫害は少ないが、上記のように、クロマダラソテツシジミやソテツシロカイガラムシが害を与えることがある』。『自生地である九州南部・南西諸島では、ソテツが多く植えられている』(写真有り)。『下記のように食用として利用され、また防風、防潮、侵食防止、畑の境界木、緑肥、燃料などの用途にも利用され、高度成長期以前には現在よりも多かった。自生地以外でも、世界中の暖温帯から亜熱帯域で主に観賞用に広く植栽されている』。『日本でも、関東以西では野外に植栽可能であり、各地の寺社、庭園、公園、学校、官公庁などに植えられている』。『やや寒冷な地では、冬になると』『防寒用に薦(こも)を巻いたり、新芽を残して葉を落とし、ワラで全体を覆うこともある』。『奄美大島などからは、観賞用や緑化用のソテツの種子が輸出されている』。『主にコスタリカやホンジュラスへ輸出されて苗木に仕立てられ、鉢植えや街路樹としてヨーロッパなどへ、砂漠緑化用にアフリカやオーストラリアへ再度輸出される』。『日本では、安土桃山時代以降に自生地以外でも庭園樹に使われてきたといわれ、島根県日御碕の福性寺境内にある大ソテツなど、天然記念物に指定されてきたものも少なくない』。『静岡県静岡市清水区の龍華寺』、『静岡県吉田町の能満寺』、『大阪府堺市の妙国寺のソテツ』『は、日本の三大ソテツとよばれる。妙国寺のソテツは織田信長によって安土城に移植されたが、妙國寺に帰りたいと夜泣きしたため、寺に戻されたという伝説がある』。『また』、「太閤記」『は、妙国寺のソテツは一度枯れかかったが、法華経を読んだことによって蘇ったという話を記している』(写真有り)。

 以下、「食用」の項。『ソテツは幹や種子にデンプンを多く貯めるため、南西諸島では古くから食用に利用されていた。しかし上記のようにソテツは全体にサイカシンやBMAAなどの毒を含むため、食用とする際には毒抜きが必要となる。毒抜きは非常に手間がかかり、表層を剥いだ幹や種子の胚乳を砕き、これを何度も何度も水にさらして有毒成分を分離する。また、茎を砕いてカビつけをし、むしろで覆って発酵させたのちに前記のようにデンプンを抽出することもあった。毒抜きが不完全であると、嘔吐や下痢などの中毒症状を示し、ときに意識不明、場合によっては死に至る。近年でも』、一九九九『年に愛媛県の中学校でソテツ種子を食して生徒が中毒になる事故が起きた』。『ソテツから抽出されたデンプンは、粥にしたり、団子、菓子、餅などに利用された。また、味噌(蘇鉄味噌; 下記)や醤油、焼酎の原料ともされた』。二十一『世紀現在では珍しい食材となっているが、第二次大戦後の高度成長期までは南西諸島において比較的一般的に利用されていた』。『幹よりも種子からの方が、デンプン抽出が容易であるため、幹を食用とする際には、種子をつくる雌株を避け、雄株が用いられていた』『また』、『花期』『には』、『雄花』『を持って』、『雌花』『につけて人工授粉を行って種子の増収を図ることもある(人工授粉の有無で収量は約)五『倍違うといわれる)。幹の食用利用は現在ではほとんど行われていないが、種子のデンプンは利用されることがある。奄美地方ではソテツの種子は「ナリ」とよばれるため、ソテツの種子を用いた粥は「ナリガユ」や「ナリガイ」、味噌は「ナリ味噌」とよばれる。またソテツの幹の芯の部分を用いた粥は「シンガイ」とよばれる』。『ソテツは味噌(蘇鉄味噌、ナリ味噌)の原料として利用されてきたが』、二〇二〇『年現在でも商業的な生産が行われている』。普通、『種子を二つ割りにして日乾し、種皮を除いて水洗したものを砕き、塩、麹とともに大豆、甘薯、米麦等を加えて発酵、熟成する。この過程でサイカシンなどソテツの毒は分解されるため、原料のソテツ種子の処理には上記のような毒抜きは行わないことがある。ソテツ味噌は』一『ヶ月ほどで食べ頃となり、味噌汁やお茶請けとされる』。『南西諸島では、古くから救荒食としてソテツが植栽されてきた』一七三四(享保一九)『年』(なお、琉球王国は中国の元号を使っていたので、正しくは清の雍正十二年である)『には、救荒植物としてソテツの植樹を奨励する琉球王府による布告があり、またその調理法も伝えられた。また』、十二『世紀の薩摩藩による奄美侵攻以来、奄美群島は薩摩藩の直接支配を受け、やがてサトウキビの栽培を強制されたため』、『しばしば日常的な食糧にも事欠くようになり、ソテツに対する依存度が高かった。そのため奄美群島ではソテツと深く関わった文化が見られ、「ソテツ文化」ともよばれる。そのようなソテツとの関わりは現代でも続いており、沖縄ではソテツが少なくなっているが』、二〇一二『年現在でも奄美大島ではソテツ畑の手入れに補助金が出ており、ソテツの利用や管理が続けられている』。『南西諸島では、飢饉の際にソテツを救荒食としていたが、正しい加工処理をせずに食べたことで食中毒により死亡する者もいた。特に、大正末期から昭和初期にかけて、農業や経済的状況、戦争関連恐慌、干魃や不作などにより』、『一部地方では重度の貧困と食糧不足に見舞われ、ソテツ食中毒で死者を出すほどの悲惨な状況にまで陥り、これを指して「ソテツ地獄」と呼ばれるようになった』。『ただし、「ソテツ地獄」は沖縄救済を訴えるジャーナリズムによる誇張を含む表現であり、上記のようにソテツは比較的身近な食材であったともされる』(この最後の部分は私は微妙に留保したい。因みに、ウィキの「ソテツ地獄」も、必ず、読まれたい)。『奄美大島では、珍しい食材として地域おこしに活用するため、』二〇一九『年現在』、『ソテツのデンプンを用いたうどん、天ぷら、餅、煎餅が製造されている』。『ソテツの種子は蘇鉄子(そてつし)や蘇鉄実(そてつじつ)とよばれる生薬となり、鎮咳、通経、健胃に用いられることがあったが、有毒であり、現在では利用されない。大正期には種子が薬用になるとして本土の大都市で販売されたが、誤った製法を用いたため中毒事故を起こす事もあった。また自生地では、民間薬として種子をつぶして外用薬としたり、除毒したものを内服薬とすることがあったが、その根拠となる成分は明らかではない』。『ソテツの葉は窒素など栄養分に富むため、水稲などの肥料として用いられていた。ただし、ソテツの使用量が多すぎると』、『根腐れやいもち病の原因になるとされ、耕耘も不便になることから』、『使用が避けられることもあった』。『乾燥させた種皮は、肥料としたり、魚を燻製する燃料とされたり、燃やした煙を蚊除けにしたりした』。『与論島、沖永良部島、喜界島など山林がない島では、ソテツの枯葉は重要な燃料であった』。『大島紬の泥染では、染まりが悪いと』、『ソテツの葉を入れて化学的作用を強くする場合がある。また、大島紬の代表的な柄である「龍郷柄(たつごうがら)」は、ソテツ(またはアダン』(単子葉植物綱タコノキ目タコノキ科タコノキ属アダン Pandanus odorifer )『)をモチーフとしている』。『虫かごやまり、笛など子供の遊具の材料とされたこともあった』。『ソテツの葉は生花や装飾用としても利用されており、ヨーロッパではソテツの乾燥葉を漂白したものに染色して降誕祭や復活祭の飾りや花輪に利用している。奄美地方では』、明治二八(一八九五)年『から戦後にかけてヨーロッパにソテツの葉を輸出していた』。二〇〇〇『年現在では』、『千葉県の南房総地方でソテツが多く栽培され(おそらく大正時代に南西諸島から購入)ソテツの葉の出荷組合が存在し、主に東北地方以北に向け出荷されている』。『ソテツは南西諸島における民謡や、短歌、俳句に取り上げられ、また、島尾敏雄の』「ソテツ島の慈父」、『新崎恭太郎の』「蘇鉄の村」、『笹沢左保の』「赦免花は散った」、『南條範夫の』「鹿児島の蘇鉄」『など』、『ソテツを扱った小説もある。「蘇鉄」は、夏の季語である』。

 以下、「精子の発見」の項。『陸上植物における雄性配偶子は、コケ植物やシダ植物では鞭毛をもつ精子であるが、ほとんどの種子植物は鞭毛をもたない精細胞である。しかし、種子植物の中で、ソテツ類とイチョウのみは鞭毛をもつ精子を形成する』。明治三九(一八九六)年九月九日、『帝国大学農科大学(現 東京大学農学部)の助手であった平瀬作五郎によって、イチョウの精子が発見されたが、同大学の助教授であった池野成一郎はその重要性を直ちに理解し、これを発信したといわれる。また、池野自身はそれ以前からソテツに注目して鹿児島へ赴き研究を行っていたが、同』『年に、固定して東京へ持ち帰った試料から、ソテツの精子を発見した。イチョウおよびソテツにおける精子の発見は世界的に大きな反響を呼び』、明治四五・大正元年(一九一二)『年に』、『この功績に対して平瀬、池野両名に第』二『回学士院恩賜賞が授与された。当初、学士院は池野のみを候補者としていたが、池野が「平瀬がもらえないのであれば自分ももらうわけにはいかない」としたため、両名受賞となったと伝えられている』。『池野成一郎によるソテツ精子発見の際に用いられたソテツの株は、鹿児島県立博物館前に現存しており(鹿児島県指定天然記念物』『)、これから分譲された株が』、『小石川植物園の正門近くに植栽されている』。また、『平瀬作五郎がイチョウ精子発見に用いた木も、小石川植物園内に現存する』。

 以下、「名称」の項。『ソテツの樹勢が衰えたときには、鉄釘を打ち込んだり、根元に鉄くずを施すと蘇生するとの伝承があり、これが「ソテツ(蘇鉄)」の名の由来とされることが多い。ただし、下記の南西諸島での名称から派生した可能性も示唆されている。「蘇鉄」や「ソテツ」の表記は、古いものでは』「沖永良部島代官系圖」(一六八二年:清の康熙二一年/本邦の天和二年)、「大和本草」(宝永六(一七〇九)年)、「首里王府評定所條文」(一七三二年:清 の雍正一〇年/享保一七年)『などに見られる。鉄によってソテツの樹勢が回復するという記述は中国の書にも見られるが、中国でのこの植物の名は』「鐵樹」・「鐵蕉」・『「鳳尾蕉」などであり、古い文献に』「蘇鐵」『は見られないという。中国名の』「鐵樹」・「鐵蕉」『は、材が固いことに由来するとする説や、成長が極めて遅いことに由来するとする説がある。後者と関連して、念願が叶うことを「千年の鉄樹が開花する」と例えることがある』。『南西諸島においてソテツは極めて身近な植物であり』、『地域によってさまざまな呼称がある。同一市町村であっても、集落によって異なることが多い。「ヒトゥチ」には、「ヒトゥ(デンプン)の木」の意味があるとされる』(以下、各南西諸島での呼称が、多数、列記されるが、カットする)。『外観がヤシ(palm)に似ており、またデンプン(木から得られる食用デンプンはマレー語でサゴ(sago)とよばれる)が得られるため、英名では “sago palm”、“king sago palm”、“Japanese sago palm” などとよばれる。商業的に利用されているサゴの原料はほとんどサゴヤシ(ヤシ科)であり、サゴヤシも “sago palm” とよばれるが、特に “true sago palm” としてソテツとは区別することもある』。『学名である Cycas revoluta のうち属名の Cycas は、ギリシア語でドームヤシ』(ヤシ科Hyphaene Hyphaene coriacea )『を意味する koikas から変化した kykas に由来する。種小名の revoluta は、葉の小葉の縁が裏側に巻き込むことに由来する』。『台湾の個体群は、タイワンソテツ( Cycas taitungensis )としてソテツとは別種とされることがある(図14)。形態的には、小葉がより大きく、小葉間隔が広いこと、大胞子葉がより短く、種子がより大型である点で異なるとされる。しかし、分子形質、形態形質を用いた詳細な解析からは、同種とすべきことが提唱されている』『ソテツ属はいくつかの属内分類群に分けられるが、ソテツは』、一『種のみ(上記のタイワンソテツを分ける場合は』二『種)で Asiorientales 節(Cycas section Asiorientales J. Schuster (1932))に分類される』。『Asiorientales 節は、Panzhihuaenses 節(中国中南部に分布する Cycas panzhihuaensis のみを含む)とともに、ソテツ属内で最初に他と別れた系統であることが分子系統学的研究から示されている』とある。

「桄榔木(たがやさん)」この良安の読みはアウトである。「桄榔木」は、

〇単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科クロツグ(中文名:桄榔・桄榔子)属サトウヤシ Arenga pinnata (シノニム:Arenga saccharifera

で、和名に「たがやさん」としてあるが、

双子葉植物綱マメ目マメ科ジャケツイバラ(蛇結茨)亜科センナ属タガヤサン Senna siamea

ではないからである。

「鐵樹」は、先行する「卷第八十八 夷果類 桄榔子」で私が考証したように、『「桄榔は、卽ち、鐵樹《てつじゆ》なり」良安が、サトウヤシを知っていたとは、到底、思われない。異名に「木」=「鐵木」があるから、良安は本邦で「鐵」の字がつく「樹」である「鉄楓」を、それと同種であると勘違いしたのではないか?』として示した、

バラ亜綱ムクロジ目ムクロジ科カエデ属テツカエデ  Acer nipponicum

であると思われる。

『「五雜組」に云《いはく》、……』同書は複数回既出既注。初回の「柏」の注を見られたい。以下は「卷十」の「物部二」の一節である。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同書ここの左丁の七行目から、ここの右丁部分に当たる記述をパッチワークしたものである。以下に訓点を参考に、私が訓読したものを電子化して示す。一部で正字化し、記号を加えた。

   

「南州異物志」に載す「蕉」に、『三種、有り、最も甘好(かんこう)なる者、「羊角蕉」と爲す。其一は雞卵のごとく、其一は藕(はす)の子(み)のごとし。」と。此れ、皆、芭蕉のみ。今、閩(びん)、「廣蕉」、尙ほ、數種、有り。「美人蕉」、有り。樹・葉、皆、芭蕉に似て、稍(やや)なり。花を開くこと、殷紅、鮮麗、千葉にして、槌(つち)のごとく。數月を經て、凋謝(てうしや)せず[やぶちゃん注:花がしぼんで落ちることがない。]。摘(つみ)て瓶の中に置き、水を以つて、之れを漬(つ)ければ、亦、一兩月を經(ふ)べきなり。此の蕉、最も佳なり。書齋の中に、多く、之れを植う。「鳳尾蕉」、有り。其の木、麄(あら)く、巨(きよ)にして、葉の長さ、四、五尺、密(こま)かに比(なら)びて、魚の刺(えら)のごとく然(しか)り。髙き者、亦、丈餘。又、「番蕉」、有り。「鳳尾」に似て、小さく、相ひ傳ふ、「流求[やぶちゃん注:「琉球」に同じ。]より來たれる者なり。」と。云はく、「之れを種(う)うれば、能く火患(くわかん)を辟(さ)く。」と。

 「美人蕉」は、華(はなさ)きて、實(みの)らず。吳・越の中(うち)、此の種、無し。顧道行(こだうぎやう)先生、數本を移して、家園に至りて、之れを植う。花の時、朋親識(ひんほうしんしき)、賞(しやう)する者の雲のごとく、以-爲(おもへら)く、『從來、未だ、始めより見ざる。』と。先生、喜ぶこと、甚し。「美蕉」を以つて、其の軒(けん)に名づく[やぶちゃん注:自身の邸宅の名とした。]。今、復た、二十餘年、知らず、何如(いかん)となることを[やぶちゃん注:ここは送り仮名が上手く読めない。]。「番蕉」は、云はく、「是れ、水精なり。故に、能く火を辟(さ)く。」と。將に枯れんとする時、鐵屑を以つて、之れを糞(つちか)ひ、或いは、以つて、鐵丁(てつくぎ)を釘(う)てば、其の根、則ち、復(また)、活(い)く。蓋し、「金」、能く、「水」を生ずればなり。物性(ぶつしやう)の奇、此(か)くのごとき者、有り。盆中に植ゑ、甚だしくは長(ちやう)せず、一年、纔(わづか)に一つの下葉(したば)を落すのみ。計(はか)るに、長ずること、不寸(すん)を以つてすること、能(あた)はざるなり。亦、甚だしくは、花を作(な)さず。余(よ)が家に、二本を畜(つちか)ふ。三十年の中(うち)に、僅かに兩度(りやうど)の花を見るのみ。花も亦、芭蕉に似て、色、黃にして、實(みの)らず。

   

・「南州異物志」は三国時代の呉(二二二年~二八〇年)の万震が書いたものだが、原本は存在せず、後の宋の叢書「太平御覽」に佚文で残る。

・「美人蕉」単子葉植物綱ショウガ目バショウ科バショウ属ヒメバショウ(姫芭蕉) Musa coccinea 。異名を「美人芭蕉」・「花芭蕉」とする。分布は中国・ヴェトナム。サイト「GKZ 植物事典」の同種のページを見られたい。

・「顧道行先生」は、「維基文庫」の「送顧道行副憲山東六首 作者:李化龍 明」の注によれば、『顧大典,字道行,隆慶二年(1568年)進士。』とあり、彼が進士に登第した年は、謝肇淛が生まれた翌年である。

・「賔」は「賓」の異体字で「賓朋親識」は「客人が来て親しく御覧(御観賞)になられること」の意であろうと推定される。

   *

「鳳尾蕉《ほうびせう》」単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ナツメヤシ属ナツメヤシ Phoenix dactylifera「卷第八十八 夷果類 無漏子」を参照されたい。

「桄榔(たがやさん)」ここはタガヤサンでよい。

「椶櫚(しゆろ)」単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科シュロ属シュロ Trachycarpus fortunei 'Wagnerianus'(シノニム:Trachycarpus wagnerianus )。「卷第八十三 喬木類 椶櫚」を参照のこと。

「莎木麫《さもめん》」「サゴヤシ(沙穀椰子)」の異名。ウィキの「サゴヤシ」によれば、『サゴヤシ(マレー語・インドネシア語 sagu・英語 sago + 椰子)とは、樹幹からサゴ(サクサク(食品))という食用デンプンが採れるヤシ科やソテツ目の植物の総称。サゴヤシ澱粉(サゴ)は東南アジアなどで食用とするほかソースの原料にもなる』とある。

「泉州堺《さかひ》≪の≫妙國寺に、大木、有り」大阪府堺市堺区にある日蓮宗広普山(こうふさん)妙國寺(グーグル・マップ・データ)に現存する。この寺は、幕末に起こった堺事件所縁の寺として知られる。寺に就いては、ウィキの「妙国寺」がよい。そこに、「霊木・大蘇鉄の伝説」があり、『境内の大蘇鉄は国指定の天然記念物である。樹齢』千百『年余といい、次のような伝説が残っている』。『織田信長はその権力を以って天正』七(一五七九)年、『この蘇鉄を安土城に移植させた。ある時、夜更けの安土城で一人、天下を獲る想を練っていた信長は庭先で妙な声を聞き、森成利(蘭丸)に探らせたところ、庭の蘇鉄が「堺妙國寺に帰ろう、帰ろう」とつぶやいていた。この怪しげな声に、信長は激怒し』、『士卒に命じ』、『蘇鉄の切り倒しを命じた。しかし』、『家来が刀や斧で蘇鉄を切りつけたところ』、皆、『血を吐いて倒れ、さしもの信長も祟りを怖れ』、『即座に妙國寺に返還した。しかし、もとの場所に戻った蘇鉄は日々に弱り、枯れかけてきた。哀れに思った日珖』(本寺の開山僧)『が蘇生のための法華経一千部を読誦したところ、満願の日に蘇鉄から宇賀徳正龍神が現れ、「鉄分のものを与え、仏法の加護で蘇生すれば、報恩のため、男の険難と女の安産を守ろう」と告げた。そこで日珖が早速門前の鍛冶屋に命じて鉄屑を根元に埋めさせたところ、見事に蘇った。これにより徳正殿を建て、寺の守護神として宇賀徳正龍神を祀ることとした。爾来、これを信じる善男善女たちが安産を念じ、折れた針や鉄屑をこの蘇鉄の根元に埋める姿が絶えないという』とあった。なお、独立した「妙国寺のソテツ」のウィキもあるので見られたい。孰れにも、天然記念物のソテツの画像が載る。そちらによれば、『日本国内の植栽されたソテツの中でも最大規模のもので、幹が大小取り混ぜ』て、「十七莖」どころではない、『約』百二十『本もある巨大な株であ』る、とある。

「同𠙚《どうしよ》、祥雲寺」ここにある(グーグル・マップ・データ)臨済宗龍谷山祥雲寺。同寺のウィキの現在の「庭園」の画像の右手に、ソテツが見える。]

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