阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四上」「富士山奇景」
[やぶちゃん注:底本はここから。段落・改行を成形し、読点を補った。]
「富士山奇景」 富士郡不二山に有り。
文政某の年六月、武州四谷𪉩町《よつやしほちやう》の住《ぢゆう》、刀屋彌六と云《いふ》者、不二に登山す。或夜、小屋を出《いで》て用便す。山中、悉く海の如く、其廣き事、限《かぎり》を知らず、見る內《うち》、所々に樓閣の形ち、顯《あらは》せり。奇として、內に入、又、出て、四方を見るに、雲、晴、月、明《あきらか》か也。云云。
蜃氣等の登れるにや。
富士郡吉原《よしわら》驛本陣、長谷川八郞兵衞貞秀云《いはく》、
「當郡印野村は山極《やまぎは》の根付也。此地に九十餘歲の老人、有り。此事を尋《たづね》しに、
『もや立《たち》、或《あるい》は、雨を催《もよほす》べき天氣には、霧、または、白雲《はくうん》の、海の如く見えぬるは、折節は、見及《みおよび》たりしが、樓閣の形など顯する事は、聞《きく》も及《およば》ず。すべて、不二山は、見る內、風景、種々に替るが故に、むかしより、畫人、多く眞寫を慾《ほつす》れども、終《つほ》に、かき得る者、なし。」
と云《いへ》り。
樓閣の形を顯《あらは》するは、最《もつとも》稀世《きせい》の奇景也。云云。
[やぶちゃん注:「文政某の年六月」「六月」があるのは、文政元(一八一八)年(文化一五年四月二十二日(グレゴリオ暦一八一八年五月二十六日)改元)から、天保に改元する(陰暦十二月十日:グレゴリオ暦一八三一年一月))文政十三(一八三一)年まで。
「武州四谷𪉩町」江戸切絵図で確認した結果、グーグル・マップ・データの、この「新宿通り」の南北の道際に東西にあった。
「吉原驛本陣」ここ(グーグル・マップ・データ)。同宿駅の吉原宿下本陣(長谷川本陣)跡。
「長谷川八郞兵衞貞秀」「富士市立博物館」公式サイト内の「吉原宿の問屋役および年寄役の変遷について」によれば、文政五(一八二二)年の条に『八郎兵衛(長谷川)』とあり、そこに『これより天保』四(一八三三)年『まで勤続している記録がある』とあるのが、彼である。
「印野村」現在の静岡県御殿場市印野。「ひなたGIS」のここ。別に、グーグル・マップ・データ航空写真も添えておく。富士山の東南の裾野に当たる。]
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