和漢三才圖會卷第八十九 味果類 畢澄茄
[やぶちゃん注:本種は蔓性植物であるため、支えの支柱二本が描かれてある。]
ひてうきや 毗陵茄子
【皆番語也】
畢澄茄
[やぶちゃん注:「てう」はママ。歴史的仮名遣は「ちよう」でよい。]
本綱畢澄茄海南諸畨皆有之蔓生春開白花夏結黒實
與胡椒一類二種【大腹子與㯽榔相近耳】
實【辛温】下氣消食暖脾胃止嘔吐噦逆治痘瘡入目羞明
生瞖者【畢澄茄末吹少許入鼻中三五次効】
やまこせう
山胡椒
本綱山胡椒似胡椒而色黒顆粒大如黒豆味辛大熱破
滯氣主心腹冷痛
*
ひてうきや 毗陵茄子《ひりやうかし》
【皆、番語《ばんご》なり。】
畢澄茄
[やぶちゃん注:「畨語」は「蠻語」に同じ。]
「本綱」に曰はく、『畢澄茄《ひつちやうか》は海南の諸畨、皆、之れ、有り。蔓生して、春、白≪き≫花を開き、夏、黒≪き≫實を結ぶ。胡椒と一類二種なり【「大腹子《だいふくし》」と「㯽榔《びんらう》」と相ひ近きのみ。】。』≪と≫。
『實【辛、温。】』『氣を下し、食を消《しやう》≪し≫、脾胃を暖め、嘔吐・噦逆《えつぎやく/しやくり》を止め、痘瘡≪の≫目に入《いり》て、明を羞(は)ぢ、瞖(かゝりもの)を生ずる者を治す【畢澄茄の末《まつ》を、少しばかり、鼻の中へ吹き入れ、三、五次《じ》[やぶちゃん注:三回から五回ほどその処理をすると。]、効《かう》あり。】。』≪と≫。
やまこせう
山胡椒
「本綱」に曰はく、『山胡椒《さんこせう》は、胡椒に似て、色、黒く、顆-粒(つぶ)の大いさ、黒豆のごとく、味、辛《しん》≪にして≫、大熱。滯氣《たいき》を破り、心腹≪の≫冷痛を主《つかさ》どる。』≪と≫。
[やぶちゃん注:この「畢澄茄」は、
双子葉植物綱モクレン亜綱コショウ目コショウ科コショウ属ヒッチョウカ Piper cubeba
である。私は全く知らない種であった。さればこそ、当該ウィキを念入りに引く(注記号はカットした)。『ヒッチョウカ(畢澄茄』『)またはクベバは、コショウ属植物の』一『種である。またその乾燥果実の生薬名。その果実と精油のために栽培される。主にジャワ島とスマトラ島で育てられ、そのためにジャワ長胡椒と呼ばれることがある。果実は成熟前に摘み取られ、注意深く乾燥される。商品のヒッチョウカは乾燥したベリーから成る。見た目はコショウと似ているが、柄が付いており、英名の "tailed pepper" の由来となっている。乾燥した果皮は』皺『が寄り、その色は灰色がかった茶色から黒まで多岐にわたる。種子は硬く、白色で油分が多い。ヒッチョウカの香りは心地よく、香りが良いとされ、味は刺激的な辛さで、鼻を突き、わずかに苦く、持続性がある。オールスパイスあるいはオールスパイスとコショウを足して』二『で割ったような味とされている』。『ヒチョウカはアラブとの交易により』、『インドを介してヨーロッパへ伝わった。「Cubeb」という名称はアラビア語のkabāba』『由来であり、古フランス語のquibibesを経由している。ヒッチョウカはそのアラビア語名で錬金術の書籍で言及されている。ジョン・パーキンソン』(John Parkinson:一五六七年~一六五〇年:イギリスの偉大な薬剤師であり、植物学者・博物学者・造園家。詳しくは当該ウィキを見られたい)『は著書』「植物の世界」(‘ Theatrum Botanicum ’)『において』、一六四〇『年頃にポルトガル王がクロコショウ( Piper nigrum )を奨励するためにヒッチョウカの販売を禁止した、と述べている。医学的使用のために』十九『世紀のヨーロッパで』、『しばらく復活したが、以後のヨーロッパの市場からは実質的に消えている。西洋ではジンおよび紙巻きたばこのための香料として、インドネシアでは食品の香辛料として使われ続けている』。『紀元前』四『世紀、テオプラストス』(ラテン文字転写:Theόphrastos:紀元前三七一年~紀元前二八七年:古代ギリシアのレスボス島生まれの哲学者・博物学者・植物学者。当該ウィキによれば、『植物研究における先駆的な功績から「植物学の祖」と呼ばれる。アリストテレスの同僚』にして『友人で、逍遙学派の主要人物の一人であった。アリストテレスの次に、リュケイオンの学頭を務めた』とある)『はkomakonに言及し、シナモンとカシアと共に芳香菓子の原料に含めた。ギヨーム・ビュデとクラディウス・サルマシウス(英語版)はkomakonをcubebと同一視した。これはおそらくcubebのジャワ語名kumukusとの類似性からである。これは、テオプラストスの時代よりも前の時代のジャワとギリシャの貿易の奇妙な証拠として見られている。ジャワ人の栽培者らは、実を熱湯処理して殺菌することで』、『この』蔓『植物を他の場所では栽培できないようにして、交易の独占を守っていたため、ギリシア人が他の場所から入手したとは考えにくい』。中国の『唐』の『時代に、ヒッチョウカはシュリーヴィジャヤ王国』(インドネシア・マレー半島・フィリピンに大きな影響を与えたスマトラ島のマレー系海上交易国家。漢音写では「室利佛逝」とする。また、アラブの資料では「ザバック」「サバイ」「スブリサ」の名でみられる。王国の起源ははっきりしないが、七世紀にはマラッカ海峡を支配して東西貿易で重要な位置を占めるようになった。位置は、参照した当該ウィキを見られたい)『から中国へもたらされた。インドでは、kabab chini、すなわち「中国のcubeb」と呼ばれるようになった。これはおそらく中国人がその交易に一枚かんでいたためであるが、中国との交易において重要な物品であったためである可能性がよりありえそうである。中国では、同じ語源のサンスクリット語のvilengaやvidangaと呼ばれた』。医薬学書「海樂本草」『の作者である李珣』(りしゅん:八八一年頃~九三〇年頃:唐末期に生まれた前蜀の薬学者・文学者)『はクロコショウと同じ木に生』え『ると考えた。唐の医者は、食欲増進、祛邪、髪色を濃くする、身体を芳香で満たすためにヒッチョウカを処方した。しかしながら、ヒッチョウカが中国で調味料として使われたことを示す証拠は存在しない』。九『世紀に編纂された』「千夜一夜物語」『は、不妊のための治療薬としてヒッチョウカに言及している。これはアラブでは既に医療目的のために使われていたことが示している。ヒッチョウカは』十『世紀頃にアラブ料理に取り入れられた』。十三『世紀末に書かれた』かのマルコ・ポーロの「東方見聞録」『はヒッチョウカや他の価値のある香辛料の生産地とジャワを説明している』。十四『世紀、ヒッチョウカは』フランスの『ルーアンと』ドイツの『リッペの商人によってコショウの名前で穀物海岸からヨーロッパへと輸入された』。アラゴン連合王国の『フランシスコ修道会の作家フランセスク・アシメニス』(Francesc Eiximenis:『による暴食の実例を挙げた道徳物語は、世俗的な聖職者の食生活を描いたもので、入浴後に卵の黄身にシナモンとヒッチョウカを加えた奇妙な調合物をおそらく媚薬として摂取している』。『ヒッチョウカは、中国の人々によって』、『そうであったように、ヨーロッパの人々によって』、『悪魔を退けると考えられていた』。十七『世紀末にエクソシスム』(ラテン語:exorcismus。「悪魔祓い」・「悪霊払い」・「祓魔(ふつま)」)『の方法について書いたカトリック司祭ルドヴィコ・マリア・シニストラリは、インキュバス(夢魔)を追い払うための香の材料にヒッチョウカを含めた。今日でも』イタリアのフランシスコ会司祭で著作家のルドヴィコ・マリア・シニストラリ(Ludovico Maria Sinistrari:一六二二年~一七〇一年)の記した『香の調合法は』、『ネオペイガニズム』(当該ウィキによれば、(英語:neopaganism/neo-paganism)で、「復興異教主義」と訳される『多種多様な現代の宗教的な運動』を指し、『特にヨーロッパにキリスト教が布教され、信仰される以前の土着の宗教や自然崇拝的なペイガニズム』(『古典ラテン語:pāgānus:「田舎」・「素朴」、後に「民間人」の意。四世紀の初期キリスト教徒が、ローマ帝国で多神教やユダヤ教以外の(一神教を含む)宗教を信仰していた人々に対して初めて使った言葉で、多神教や異教徒の一神教の信仰を広く包括して指し、その信条によって影響されたものに用いられる包括的な用語である)『作家らによって引用され、これらの作家の一部はヒッチョウカを恋の小袋や呪文で使うことができると主張している』。『販売が禁止された後、ヒッチョウカの料理での使用はヨーロッパで劇的に減少し、医学的な応用のみが』十九『世紀まで続いた』。二十『世紀初頭、ヒッチョウカはインドネシアからヨーロッパとアメリカ合衆国へ定期的に出荷されていた。交易は次第に年間』百三十五『トン』『まで減少し』、一九四〇『年より後に実質的な意味において終わっ』ている。
以下、「化学成分」の項。『乾燥したヒッチョウカの果実は、モノテルペン類』、『セスキテルペン類』等、『ならびにクベボール』『から構成される精油を含む』。『揮発性油のおよそ』十五%『は水と一緒にヒッチョウカを蒸留することによって得られる。液体成分のクベベンは化学式C15H24を持ち、α-クベベンとβ-クベベンがある。これらはアルケン部分の位置のみが異なっており、二重結合が環内(』五『員環部分)にあるのがα-クベベン、環外にあるのがβ-クベベンである。薄い緑色の粘性のある液体で暖まる木のような、わずかに樟脳様の芳香を持つ。水と共に精留後、あるいは保存中、ヒッチョウカの樟脳の菱形結晶が沈殿する』。『クベビン(C20H20O6)はヒッチョウカ中に存在する結晶性固体であり』、一八三九『年』『に』『発見された。これはクベベンから、あるいは精油を蒸留後に残った果肉から調製されるかもしれない。この薬物は、ガム』、『脂肪油、リンゴ酸のマグネシウムおよびカルシウム塩と共に、およそ』一『%のクベブ酸(cubebic acid)とおよそ』六『%の樹脂を含む』。
以下、「使用」の項。『民間療法における歴史』では、『中世のアラブの薬草医は大抵錬金術を熟知しており、ヒッチョウカはal butmの水を調製する時にkababaという名前で使われた。イングランドにおけるヒッチョウカの近代の使用は淋病の治療のためであり、その殺菌作用は大いに価値があった。ウィリアム・ワイヤット・スクワイア(William Wyatt Squire)は』一九〇八『年に、ヒッチョウカの果実が「泌尿生殖器の粘膜に対して特異的に作用する。淋病の全ての段階に与えられる」と書い』ている。一九二一『年に印刷された』イングランドの‘ The National Botanic Pharmacopoeia ’(「国立植物薬局方」)『は、ヒッチョウカが「flour albus』(「白帯下(しろたいげ)」:女性の膣から分泌される「おりもの」のこと)『のための素晴らしい治療薬」であったと記した』。以下、「料理」の記載。『ヨーロッパでは、ヒッチョウカは中世期に高価な香辛料の』一『つであった。肉の香り付け』『として粉にされたり、ソースで使われたりした。中世のレシピはアーモンドミルクと数種類の香辛料からなる「sauce sarcenes」』(サラセン人のソース)『を作るのにヒッチョウカを含めている。芳香菓子類として、ヒッチョウカは砂糖漬けにされたり丸ごと食べられたりした。ヒッチョウカ、クミン、およびニンニクを浸出させた酢であるOcet Kubebowyは』十四『世紀のポーランドにおいて肉のマリネのために使われた。ヒッチョウカは香りの良いスープの風味を増すために使うことができる』。『ヒッチョウカはアラブを経由してアフリカに到達した。モロッコ料理では、ヒッチョウカは香りの良い料理や』、一種の『パン菓子で使われる。また、名高い混合香辛料ラスエルハヌート』(Ras el hanout:チュニジア・アルジェリア・モロッコを含むマグリブで見られるミックス・スパイス。名前はアラビア語で「店頭」を意味し、「店が提供する最良のスパイス」であることを意味する。肉や魚に擦り込んだり、クスクス・パスタ・コメ等に混ぜて料理に用いる。ここは当該ウィキに拠った。モロッコで実際に使ったが、なかなかに美味かった)『の原料の一覧で見られることがある。インドネシア料理、特にインドネシアのグライ』『(カレー)では、ヒッチョウカが頻繁に使用される』。
以下、「紙巻きたばこと酒」の記載。『ヒッチョウカは喘息、慢性咽頭痛、および花粉症のための紙巻きたばこの一種で頻繁に使用された。クベブたばこを好んだ』SFや冒険小説で知られるアメリカの小説家『エドガー・ライス・バローズ』(Edgar Rice Burroughs:一八七五年~一九五〇年)『は』、「もし、これほど多くのクベブを吸っていなかったとしたら、「ターザン」は存在していなかったもしれない。」『とおどけて述べた。Marshall's Prepared Cubeb Cigarettesが人気のあるブランドで、第二次世界大戦中まで製造されるだけの売り上げがあった』。二〇〇〇『年、クベバ油はノースカロライナ州健康福祉局のタバコ予防管理部局によって発表されたたばこの添加物の一覧に含められた』。『ボンベイ・サファイア・ジンはヒッチョウカやギニアショウガを含む植物で風味付けされる。このブランドは』一九八七『年に始められたが、その製造者はこれが』一七六一『年に遡る秘密のレシピに基づいていると主張している。辛くてヒリヒリする味を持つウクライナのコショウ風味の焦げ茶色のホリルカであるペルツォフカは』、『ヒッチョウカとトウガラシを付け込んで作られる』。また、『ヒッチョウカはパチョリ』(英語:patchouli:: 双子葉植物綱シソ目シソ科ミズトラノオ属パチョリ Pogostemon cablin :ハーブの一種で、インド原産。主に精油(パチョリ油)に加工されて利用される。古くから香や香水に用いられている。その名前はタミル語で「緑の葉」を意味する「パッチャイ・イライ」に由来する。「パチュリ」「パチュリー」とも音訳され、漢方ではパチョリの全草を乾燥させたものを「霍香」(カッコウ)と称し、「霍香正気散」などの漢方薬に用いる。以上は当該ウィキに拠った)『の精油の混ぜ物』『として使われることがあり、パチョリの使用者は注意が必要である。同様に、ヒッチョウカは同属の別種 Piper baccatumや Piper caninum で混ぜ物をされる』とあった。
なお、以上の引用本文は、「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の「卷三十二」の「果之四」「味類一十三種内附四種」の「畢澄茄」(ガイド・ナンバー[079-13a]以下)のパッチワークである。
「大腹子《だいふくし》」時珍は「大腹子」を独立種としているが、これは、並置する「㯽榔《びんらう》」の果皮を製した漢方名である。それは、先行する「卷第八十八 夷果類 檳榔子」で考証してあるので見られたい。
「痘瘡≪の≫目に入《いり》て、明を羞(は)ぢ、瞖(かゝりもの)を生ずる者」これは、天然痘の病原体が眼に侵入し、瞼が激しく腫れて開けることが出来ない状態や、目は開いているが、視野に「瞖(かゝりもの)」=カスミが生じている病態を指す。
「山胡椒(やまこせう)」「《さんこせう》」これはコショウとは縁のない、爪楊枝で知られるところのクロモジの近縁種である、モクレン亜綱クスノキ(樟・楠)目クスノキ科ハマビワ(浜枇杷)属アオモジ(青文字) Litsea cubeba である。当該ウィキによれば、『果実にはレモンのような芳香と辛味があり、ショウガノキやコショウノキともよばれる。南アジアから日本(本州南部から南西諸島)を含む東アジア南部、東南アジアに分布する。精油を多く含み、中国では精油生産のために栽培され、また果実や種子は生薬や香辛料として利用される』とあり、『バングラデシュ、チベット、中国南部、本州西部、九州西南部、南西諸島、台湾、インドシナ半島、マレー半島、スマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島に分布する』。『本州では岡山県、山口県に分布していたが、近年では西日本(愛知県以西)の都市部周辺を中心に分布を広げている』。『成長速度が極めて速く、明るい場所で生育し、先駆樹の性質をもつ』。『若い個体でも実をつけ、また萌芽更新しやすく再生力が強い』。『果実からは重量比』三~七『%ほどの精油が抽出され、精油の主成分はゲラニアール』。『ネラール』・『D-リモネン』・『で』、『この精油は食品や化粧品の香料、アロマオイル、ビタミンA、E、Kの原料などとして利用されている』。『これらの用途のため栽培されており、中国ではアオモジ精油の年間生産量は』二千『トンに達』する。『乾燥した果実は、漢方において駆風薬、利尿薬、去痰薬、刺激薬、健胃薬、鎮静薬として利用される』。『果実以外にも、樹皮、葉、根を民間薬に用いることもある』。『種子』『にはレモンのような柑橘系の香りとほのかな辛み・渋みがあり、台湾原住民であるタイヤル族は馬告(マーガオ)とよんで古くから香辛料として利用している』。『また、未熟な果実は、サラダやピクルスに利用されることがある』。『材には芳香があり、爪楊枝などの材料とされる』。『また、早春の花の少ない時期の生花として、広く利用されている』。『「アオモジ」の名は、幹や枝の緑色であり、近縁種のクロモジのように黒くならないためとされる』。『中国名は山雞椒、山胡椒』(☜)、『山蒼樹など』とある。「維基百科」の同種も見られたい。]
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