小泉八雲「若返りの泉」(『ちりめん本』原英文+藪野直史拙訳)――これを以って、私のブログ・カテゴリ「小泉八雲」は、唯一の来日以後の全作品の電子化訳を完遂した。――
[やぶちゃん注:本作が第一書房版「小泉八雲全集」に収録されていないことは、既に述べた。なお、今回、調べた結果、この謎を孕んだ作品について、優れた考証を展開しておられる石井花氏の論文「 小泉八雲とちりめん本――『若返りの泉』の成立過程を中心に――」(『ヘルン研究』第四号・富山大学ヘルン(小泉八雲)研究会・二〇一九年三月刊・「富山大学学術情報リポジトリ」のここでPDFで入手可能・論文+資料編)を、まず読まれるにしくはない、ことが判ったので、是非、読まれたい。従って、原拠探索や、死後に刊行された経緯等も、そちらに詳しい。石井氏の骨折りに敬意を表し、ここでは、そうした背景への注は、一切、行わない。
以下、サイト「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)作品集」のこちらのラベル「富山大学蔵書」蔵書番号「1230124737」の画像、及び、そこにリンクされた二番目のもの英文を参考底本とし、英語嫌いな私の拙訳を添えた。一切の他者の訳したものを参考にすることなく、完全にオリジナルなものである。]
[やぶちゃん注:表紙。]
JAPANESE FAIRY TALE
THE FOUNTAIN
OF YOUTH
Rendered into English
by Lafcadio Hearn
[やぶちゃん注:裏表紙。奥附相当ページ。邦文は縦書。紙質の関係上、字のように見えるところもあるが、判読出来ず、本来の意味を想到出来ないので、空欄とした箇所があり、また、旧字か新字か判読出来ない場合は、旧字を採用した。]
All Rights Reserved
Hasegawa,
Tokyo
著作權所有
大正十一年十二月十日 㐧一版發行
同十四年十一月十日 㐧二版印刷
英 譯 者
故 ラフカヂオ ヘルン
編輯幷発行者
長谷川武次郞
印 刷 者
西 宫 與 作
右同所
[やぶちゃん注:以下、本文。“Readered”のミス・スペルはママ。本文冒頭の“L”は原本では二行目にかけて配された特大活字である。]
THE FOUNTAIN OF YOUTH
Readered into English by
LAFCADIO HEARN
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LONG, long ago there lived somewhere among the mountains of Japan a poor woodcutter and his wife. They were very old, and had no children. Every day the husband went, alone to the forest to cut wood, while the wife sat weaving at home.
One day the old man went further into the forest than was his custom, to seek a certain kind of wood; and he suddenly found himself at the edge of a little spring he had never seen before. The water was strangely clear and cold, and he was thirsty; for the day was hot, and he had been working hard. So he doffed his huge straw-hat, knelt down, and took a long drink.
That water seemed to refresh him in a most extraordinary way. Then he caught sight of his own face in the spring, and started back. It was certainly his own face, but not at all as he was accustomed' to see it in the bronze mirror at home. It was the face of a very young man! He could not believe his eyes. He put up both hands to his head which had been quite bald only a moment before, when he had wiped it with the little blue towel he always carried with him. But now it was covered with thick black hair. And his face had become smooth as a boy's: every wrinkle was gone. At the same moment he discovered himself full of new strength. He stared in astonishment at the limbs that had been so long withered by age: they were now shapely and hard with dense young muscle. Unknowingly he had drunk of the Fountain of Youth; and that draught had transformed him.
First he leaped high and shouted for joy; ― then he ran home faster than he had ever run before in his life. When he entered his house his wife was frightened; ― because she took him for a stranger; and when he told her the wonder, she could not at once believe him. But after a long time he was able to convince her that the young man she now saw before her was really her husband; and he told her where the spring was, and asked her to go there with him.
Then she said: ― "You have become so handsome and so young that you cannot continue to love an old woman; ― so I must drink some of that water immediately. But it will never do for both of us to be away from the house at the same time. Do you wait here, while I go." And she ran to the woods all by herself.
She found the spring and knelt down, and began to drink. Oh! how cool and sweet that water was! She drank and drank and drank, and stopped for breath only to begin again.
Her husband waited for her impatiently; ― he expected to see her come back changed into a pretty slender girl. But she did not come back at all. He got anxious, shut up the house, and went to look for her.
When he reached the spring, he could not see her. He was just on the point of returning when he heard a little wail in the high grass near the spring. He searched there and discovered his wife's clothes and a baby, ― a very small baby, perhaps six months old.
For the old woman had drunk too deeply of the magical water; she had drunk herself far back beyond the time of youth into the period of speechless infancy.
He took up the child in his arms. It looked at him in a sad wondering way. He carried it home,―murmuring to it, ― thinking strange melancholy thoughts.
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[やぶちゃん注:この後には、“JAPANESE FAIRY TALE SERIES.”(「日本の妖精譚シリーズ」)“ENGLISH EDITTION”(「英語版」)と標題し、“ON CRLPE PAPER WITH ILASTRAYTIONS IN COLOURS.”(「カラー版挿絵附きの『縮緬(ちりめん)本』」)という添え辞を持った“1”番から“22”番までのリストが載るが、それは電子化しない。
次が、原本の裏表紙で、鉞(まさかり)に海石榴の花枝を結び付けた挿絵が中央にあり、右手下に絵師の署名があるが、私には読めない。私の書道に堪能な教え子同士の御夫婦に判読を依頼してあるので、それを待って、捜索してみようと思っている。
以下、私の拙訳であるが、本邦を舞台としたおとぎ話の形式であることを鑑みて、本邦の同型の語彙や文体に似せたものにしてある。無論、読者は子どもであることを考えて、全体のコンセプトは、小泉八雲の訳したワン・フレーズには束縛さない形で読点を入れたり、時に文を切り、敬体の近代的な口語型とした(翻案にはならないように細心の注意はした積りであるが、英文はシチュエーションを、子どもたちに判るようには十全に叙述していないので、私がその部分を添えておいた。いや、今や、小学生でも英文の方がよく読めてしまうのだろうが)。子どもが読むことを考慮して、読みを大幅に入れ、シチュエーションが判るように一部の表現を附加した(間接表現を直接表現にして改行した箇所もある)。実際、展開上、中には、一段落でなく、段落を新たにした方がいいと強く思う箇所もあったが、それは、八雲先生の呼吸として、厳に守った。但し、本ブログ・カテゴリ「小泉八雲」で電子化したものに合わせ、漢字は正字を用い、歴史的仮名遣を用いた。なお、本文の冒頭にあるものは、表紙と同じものであるので、カットした。]
◆藪野直史オリジナル譯
日本(につぽん)のおとぎばなし集(しゆう)
若返(わかがへ)りの泉(いづみ)
ラフカディオ・ハーン による
英語譯(えいごやく)
昔々(むかしむかし)、日本の山の奥(おく)に、貧(まづ)しい樵(きこ)りと、そのおかみさんが住んでゐました。彼ら二人は、たいさう年老(お)いてをり、子どもも、をりませんでした。おぢいさんは、每日、おばあさんが家で機織(はたお)りをしてゐる間(あひだ)、獨(ひと)りで、森へ、木を伐(き)りに行きました。
或(あ)る日のことです。おぢいさんは、とある木を探(さが)すため、何時(いつも)より更(さら)に森の奥深(おくぶか)くまで行きました。すると、突然(とつぜん)、今まで見たこともない、小さな泉(いづみ)に辿(たど)り着(つ)きました。
そこの泉の水は、不思議なほど澄(す)んでゐて、冷たいのです。おぢいさんは喉(のど)が渇いてゐました。暑(あつ)い日でしたし、一所懸命(いつしよけんめい)に働いてゐたからです。そこで、おぢいさんは大きな麥藁帽子(むぎわらばうし)を脫(ぬ)ぎ、跪(ひざまづ)いて、一氣(いつき)に水を飮みました。
その水は、おぢいさんが吃驚(びつく)りするほど、元氣づけて吳(く)れたやうでした。
ところが、その時、おぢいさんは、泉に、ちらと映(うつ)つた自分の顏(かほ)を見て、思わず、泉のたもとに引き返しました。それは、確(たし)かに自分の顏ではあつたのですが、家の銅(あかがね)で出來た鏡(かがみ)で見慣(みな)れてゐる顏とは、これ、全(まつた)く違(ちが)つてゐたからです。それは、とても若い男(をとこ)の顔だつたのです! おぢいさんは、自分の目が信じられませんでした。おぢいさんは兩(りやう)の手で、頭を押さえてみました。ほんの少し前までは、何時(いつ)も持ち步(ある)いてゐる小さな手拭(てぬぐ)ひを頭を覆(おほ)つたばかりで、すつかり禿(は)げ上がつてゐたはずだつたからなのです。しかし、今は、何んと、濃(こ)い黑髮(くろかみ)に覆(おほ)はれてゐたのです。そして、おぢいさんの顏はといふと、少年のやうに滑(なめ)らかになつてゐて、皺(しは)は消えてゐたのでした。同時に、おぢいさんは、自分が新しい力(ちから)に滿(み)ち滿ちてゐることにも氣づきました。おぢいさんは、嘗(か)つては、あんなに堅(かた)くて不自由だつた手足を、驚(おど)いて見つめてゐました。年を取つたことで、すつかりしなびてゐた腕(うで)は、今や、若く張(は)りのある筋肉(きんにく)の形(かたち)を見せて、がつしりしてゐるのでした。おぢいさんは、知らず知らずのうちに、「若返りの泉」を飮んでゐたのです。そして、その、水のわづかな一杯(いつぱい)が、おぢいさんの姿を、すつかり變(かへ)たのでした。
まづ、おぢいさん――もう、「おぢいさん」ではないので、「彼(かれ)」と言ひませうね。――彼は、高く飛(と)び上がり、よろこびの叫び聲(ごゑ)を擧(あ)げました。――それから、生まれてこの方(かた)、そんな速(はや)さで走つたことのない驚くべき速さで、家まで走つて歸つたのです。家に入(はひ)ると、おばあさんは、彼を『見知らぬ他所者(よそもの)ぢや。』と思ひ、怯(おび)えました。彼が、自分が感じた驚(おどろ)きを話しても、おばあさんは、直(す)ぐには信じられませんでした。しかし、長い時間をかけて、彼は、おばあさんに、今、目の前にゐる若い男が、本當(ほんたう)におばあさんの夫(をつと)であるおぢいさんだ、といふことを納得(なつとく)させることが出來ました。さうして、泉の場所を敎へ、
「一緖(いつしよ)に行かう。」
と誘(さそ)ひました。
すると、おばあさんは言ひました。
「あなたはすつかり若く美しくなられましたから、この年老いたばあさんを愛し續(つづ)けることは出來ません。だから、私は、すぐ、その水を飮まなければなりません。でも、私たち二人(ふたり)が一緖(いつしよ)に家を離れるのは物騷(ぶつさう)で出來ません。私が行つて歸つて來るまで、ここで待つてゐて下(くだ)さいな。」
さうして、おばあさんは、獨りで森へ走つて行きました。
おばあさんは、彼(か)の泉を見つけると、跪(ひざまづ)いて、水を飮み始めました。
「ああつ、この水は、なんて冷たく、甘いのでせう!」
と、おばあさんは、飮み、そして、飮み、ひたすら、飮み、息をつくための一度(ひとたび)の休みさへ、もどかしさうに、再(ふたた)び、飮み始めたのでした。
さて、彼女の夫は、彼女が歸つて來るのを、待ち焦がれてゐました。――『きつと、美しい、細(ほつ)そりとした娘になつて、戾ってくる。』と待ちに待つてゐました。しかし、幾(いく)ら待つてゐても、彼女は一向(いつかう)に戾(もど)つて來ないのでした。夫は心配になつて、しつかりと家の戶締(とづ)まりをして、彼女を探しに出かけました。
泉に辿(たど)り着いた時、彼女の姿は見えませんでした。立つたまま、何處(どこ)を見渡(みわた)して見ても、見えません。仕方(しかた)なく、彼が丁度(ちやうど)、家に戾(もど)ろうとしたその時、泉の近くの背の高い叢(くさむら)の中から、小さな泣き聲が聽(き)こえて來ました。彼が、其處(そこ)を探して見たところが、おばあさんの着てゐた衣服(いふく)と、赤(あか)ん坊(ばう)を見つけました。――それはそれは、とても小さな赤ん坊で、生まれて六ヶ月くらいの赤ん坊だつたのです。
さうです、おばあさんは、泉の魔法(まはう)の水を飮(の)み過ぎてしまつたのでした。若い頃を遙(はるか)に越え、喋(しやべ)ることも出來ない赤ん坊の時間に到(いた)る時まで、彼女は、すつかり醉(よ)ひ痴(し)れてしまつてゐたのでした。
彼は赤ん坊を腕に抱き上げました。赤ん坊は悲しさうに、不思議そうに、彼を見詰(みつ)めてゐました。彼は赤ん坊に何かを囁(ささや)きつつ、奇妙で、もの哀(がな)しい思ひを巡(めぐ)らせながら、家へと、連れて歸つたのでした。
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