阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「志豆機山奇瑞」
[やぶちゃん注:底本はここから。記号(変更も含む)を添え、段落・改行を成形した。]
「志豆機山奇瑞《しづはたやま きずい》」 安倍郡志豆機山にあり。
「類聚國史」云《いはく》、
『仁德天皇四十年壬子冬、令下三紀角宿禰一、狩二駿河國安弁郡、志豆旗山上、及二夕陽一非常之光輝出二山上ニ一、列卒爲ス二怪異ト一、于ㇾ時神殿鳴動シ、而鳥獸逢フ二失害ニ一以テㇾ百數フㇾ之、有二赤翼之雉一而不ㇾ動、集テ二紀角宿禰屯帳ヲ一、捕テㇾ之奏スㇾ之、終ニ有二百濟之役一。云云。又云。嵯峨天皇、弘仁三年壬辰正月十五日、駿河國安弁郡志豆波多山、椎根山、連綿而鳴動スルヿ二時計、自二惣社神殿一一流ノ淸光、至二虛冥一、其彩色如二紅霓一、暫時光暉皈二神殿一。四月五日、渤海之朝使入貢、未二曾有一之貢也。故從四位下直、請二三善孰兼一卜ㇾ之、惣社之瑞光如ㇾ合スルカㇾ符ヲ、故六月十五日、叙二正一位一寄ラル二安弁郡、益頭郡之兩郡ヲ一、神官神戶、賜ㇾ祿各有ㇾ差。云云。』。
「落照露言抄」云、
『永祿十一年十二月十七日、志豆機山、鳴動して、流光、充滿する事、東西、恰《あたか》も幾行《いくぎやう》の紅霓《こうげい》の如し。國、擧《あげ》て、怪異とす。云云。』。社記に見えたり。
[やぶちゃん注:「志豆機山」現在の賤機山(しずはたやま)。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「神殿」現在の静岡浅間(しずおかあさま)神社(グーグル・マップ・データ)。当該ウィキによれば、『鎮座地の賤機山(しずはたやま)は、静岡の地名発祥の地として知られ、古代より神聖な神奈備山としてこの地方の人々の精神的支柱とされてきた。6世紀のこの地方の豪族の墳墓であるとされている賤機山古墳(国の史跡)も、当社の境内にある。また、静岡市内には秦氏の氏寺である建穂寺、秦久能建立と伝えられる久能寺など当社の別当寺とされる寺院があり、その秦氏の祖神を賤機山に祀ったのが当社の発祥であるともいわれている』とある。
まず、「類聚國史」(編年体である六国史の記事を中国の類書に倣って分類再編集した歴史書。菅原道真の編纂により、寛平四(八九二)年に完成)の漢文部を推定訓読する。一部は訓点無き箇所を返って読み、送り仮名・読みも勝手に新たに添え、また、句読点にも大幅に変更を加え(明らかにおかしな箇所がある)、改行・段落を成形した。
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仁德天皇四十年壬子(みづのえね/じんし)冬[やぶちゃん注:機械換算西暦三六二~一三六三年。]、紀角宿禰(きのつののすくね)[やぶちゃん注:当該ウィキによれば、『武内宿禰の子で、紀朝臣(皇別の紀氏)およびその同族の伝説上の祖とされる。対朝鮮外交で活躍した人物である』とある。]をして、駿河國(するがのくに)安弁郡(あべのこほり)[やぶちゃん注:安倍郡に同じ。]、志豆旗山(しづはたやま)に狩りせしむ。
夕陽(ゆうやう)に及び、常に非ざる光輝(くわうき)、山上(さんじやう)に出で、列卒(れつそつ)、
「怪異。」
と爲(な)す。
時に、神殿、鳴動し、而して、鳥獸、失害(しつがい)に逢ふ。百(ひやく)を以(もつ)て、之れを數(かぞ)ふ。
赤き翼(つばさ)の雉(きぎす)有りて、動かず。
紀角宿禰、屯-帳(とねり)を集めて、之れを捕へて、之れを奏(そう)す。
終(つひ)に「百濟(くだら)の役(えき)」[やぶちゃん注:一般には「白村江(はくすきのえ)の戦い」を指すが、時代がずっと後で、合わない。]、有り。云云(うんぬん)。
又、云ふ。
嵯峨天皇、弘仁三年壬辰(みづのえたつ/じんしん)正月十五日[やぶちゃん注:ユリウス暦八一二年三月一日。グレゴリオ暦換算三月五日。]、駿河國安弁郡志豆波多山、椎根山(しいねやま)、連綿として鳴動すること、二時(ふたとき)ばかり、惣社(そうしや)の神殿より、一流(いちりう)の淸光(せいくわう)、虛冥(きよめい)に至る。其の彩色、紅霓(こうげい)のごとく、暫時にして、光暉、神殿に皈(かへ)る。
四月五日、渤海の朝使(てうし)、入貢(にふこう)、未だ曾つて有らざるの貢なり。
故(かれ)[やぶちゃん注:「故に」と同義。]、從四位下、直ちに、三善孰兼[やぶちゃん注:読み不詳。陰陽師である。「孰」の字は怪しい。「敦」か? 仮にそうだとするなら、「みよしのあつかね」か。しかし、そのフル・ネームの陰陽師は見当たらない。]に請(こ)ひ、之れを卜(ぼく)すに、惣社の瑞光、符(ふ)を合(がつ)するがごとし。
故(かれ)、六月十五日、正一位に叙し[やぶちゃん注:先の「惣社」に対して官位を与えたことを指す。]、安弁郡・益頭郡(ましずのこほり)[やぶちゃん注:後者は古代から駿河国の西部南端に位置した郡。]の兩郡(りやうこほり)を寄(よ)せらる。神官・神戶(かんべ)、祿を賜(たまは)ること、各(おのおの)、差(つかは)し、有り。云云。
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「落照露言抄」江戸時代に書かれた軍記物「浪合記」(「並合記」とも)の別名。南北朝時代の尹良(ゆきよし)親王と、その子良王の二人を主人公としたもの。]
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