阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「小龍爲佛身」
[やぶちゃん注:底本はここ。記号(変更を含む)添え、段落・改行を成形した。]
「小龍爲佛身《しやうりゆう ぶつしんと なる》」 駿東郡某の村にあり。
「風土記」云《いはく》、
『駿河郡古家靑龍寺、寄田二十七束二畝半二毛田、朱鳥元年丙戌十月、役小角點二小龍一而爲二佛躰一、故曰二靑龍寺一云云。』。
古家は鄕名《がいめい》也。按《あんず》るに、人、信じても、得難きは佛果《ぶつくわ》也。然《しか》るを、小角いか成《なる》法力《はふりき》の有《あり》てか、小龍をたやすく佛《ほとけ》とはなしたる、實《げ》に奇と云《いふ》べし。
[やぶちゃん注:「風土記」の漢文部を推定訓読しておく。これは、通常の「駿河風土記」である。
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駿河郡《するがのこほり》古家《ふるいへ》靑龍寺《せいりゆうじ》、寄田《よりだ》二十七束《そく》二畝半《ほはん》二毛田《にもうだ》、朱鳥(しゆてう/すてう/あかみとり)元年丙戌(ひのえいぬ)十月、役小角《えんのおづぬ》、小龍を點《てん》じ、而して佛躰《ぶつたい》と爲《な》す。故《ゆゑ》、「靑龍寺」と曰ふ。云云《うんぬん》。
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「駿東郡某の村にあり」「駿河郡古家靑龍寺」当初、「富士宮市」公式サイト内の「柚野の地名について」(「柚野」は「ゆの」と読む)に、『古代の富士郡の地名を記したものとして』「倭名類聚抄」『という平安時代中期に作られた漢和・百科事典があります』。『これによれば、富士郡は当時「島田(しまだ)・小坂(おさか)・古家(ふるいえ)・蒲原(かんばら)・馬家(うまや)・大井(おおい)・久武(くに)・姫名(ひな)・神戸(かんべ)」の』九『つの郷と呼ばれる地域にわかれていました。ただ』、『具体的にどの郷が現在のどこにあたるのかは書かれていません』とあり、同定は難しいかと思ったのだが、「青龍寺」で調べると、御殿場市に現存する寺が確認出来たため、「御殿場静岡 役行者 龍 仏身 青龍寺 御殿場」で調べたところ、「静岡県:歴史・観光・見所」の「御殿場市: 青竜寺」のページに、『青竜寺(御殿場市)概要:』『護法山青龍寺は静岡県御殿場市増田に境内を構えている臨済宗建長寺派の寺院です。青竜寺の境内に作庭された池に浮ぶ蓮青竜寺境内に植樹された大木と石碑青龍寺の創建は飛鳥時代に修験道の祖とされる役行者(役小角)によって開かれたのが始まりとされます。総門は切妻、本瓦葺き、一間一戸、四脚門。本堂は木造平屋建て、入母屋、銅瓦棒葺き、平入、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。山門は宝形屋根、銅板葺き、上層部鐘撞堂、外壁は柱のみの吹き放し、高欄付き、下層部は袴腰、外壁は下見板張り縦押縁押え、鐘楼門形式。落ち着いた境内には苔むした石段があり正面には珍しい袴腰造の鐘楼門が建っています。山号:護法山。宗派:臨済宗建長寺派。本尊:阿弥陀如来。』とあったので、役行者所縁の寺は静岡に複数あるようだが、まず、ここがそれと断定してよいと思われる。現在の静岡県御殿場市増田(ましだ)のここにある(グーグル・マップ・データ)。
「寄田」これは「寄るところの寺領持ちの田圃」の意味でとっておく。
さて、調べたところ、国立国会図書館デジタルコレクションの「駿河國新風土記 富士山、附錄、第九」「第十輯」(扉標題(活字印刷)・駿河/新庄道雄著・出雲/足立鍬太郞訂・昭和九(一九三四)年志豆波多會刊・但し、本文はガリ版刷(但し、一部は印字が薄いが、かなり読み易い)の、ここから書かれてある「役小角」(左丁七行目冒頭に四角で「役小角」とある)の長い記載の、ここの右丁の二行目以降に、「風土記」の記事が記され、さらに次のコマまで書かれてあるので見られたい。活字に起こすことも考えたが、これと言って、この底本の電子化については、注に相当な時間と労力をかけている割には、読者のエールも極めて少ないので、やらない。悪しからず。]
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