河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 始動 / (献辞)・緖言・凡例・目次
[やぶちゃん注:現在、超大物のオリジナル電子化注として、ブログ・カテゴリ『「和漢三才圖會」植物部』を進行中であるが(現在、凡そ三分の一強まで達している)、私は本来、植物に弱く、正直、最近は作業に精神的に苦痛を感ずることが多くなってきた。それは、私がフリークである海産生物に、このところ、全く御無沙汰していることが原因であることは明らかである。されば、新たに、極めて私向けの(まさに垂涎モノなのだ!)「淸國輸出日本水產圖說 上・下卷」(明治一九(一八八六)年刊)のオリジナル電子化注を新たに開始することに決した。これは私の今の鬱的状況の打破のためである。従って、開始時に三年ほどで完成させ得ると踏んだ当該「植物部」は、今よりも公開がスローになることを、ここに報告しておく。
底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの「淸國輸出日本水產圖說」(河原田盛美 著・出版者/農商務省水產局・明一九(一八八六)年四月五日刻・同書奥書に拠る)を使用する。これは、『ログインなしで閲覧可能』であり、『インターネット公開(保護期間満了)』であるからして、画像を含め、何らの著作権は終わっており、総て、使用制限はない。なお、加工データとして、所持する平凡社『東洋文庫』版「沖縄物産志――跗・清国輸出日本水産図説」(河原田盛美著・編者増田昭子・高江洲昌哉(たかえす まさや)・中野泰(やすし)・中林広一/二〇一五年第一刷)を使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
「淸國輸出日本水產圖說」は、当時の中国に輸出した主な水産物を解説したもので、詳しい手書き図と、キャプション(印字)が記されてある。上記東洋文庫版の編者四名が記した「解説――河原田盛美と実業の世界」の『四 『清国輸出日本水産図説』』、及び、その他の信頼出来るネット記事に拠れば、『明治一六(一八八三)年』の『第一回水産博覧会を挟んで』、河原田が『三種の水産書を』纏めた内の一書であり、明治一九(一八八六)年に、『農商省初代の水産局長であった奥青輔』(サイト「一般社団法人霞関会」の元駐シンガポール大使の竹内春久氏の「【資料】欧州各地にある幕末・明治初期日本人の墓について」他によれば、読みは「おく せいすけ」で、弘化三(一八四六)年生まれで、明治二〇(一八八七)年に『ベルリンで死亡し』、『奥の墓所は明らかになっていない』。『奥は鹿児島の人』で、『農商務省初代水産局長を務め、漁業法制の整備に功があった。奥は』明治一九(一八八六)『年から谷干城』((たに たてき/かんじょう 天保八(一八三七)年~明治四四(一九一一)年:本書の「扉」の後に彼の手書きの献辞が載る。なお、彼の詳しい事績は当該ウィキを見られたい)『農商務大臣の欧米視察に同行していた』とある。この「奥靑輔」は本書の本文印字部の最初にある「緖言」を識字されておられる)『の命により、河原田が編纂したものである』とあり、『編纂趣旨は、「本邦の水産物現今清国に輸出する処の水産動植物」の「改良進歩を目的とし、将来日清両国の貿易を旺盛ならしめんとする」ことであった。明治政府による漁業関係の法整備が長期に渡っている間、各種の博覧会が開催され』、『勧業の振興に意が注がれていた時代である』とある。以下、本書の構成が示され、本書の三点の特徴が整理されてあるので、是非、当該書で見られたい。
著者である河原田盛美(かわらだもりはる/もりよし 天保一三年十月五日(一八四二年十一月七日)~大正三(一九一四)年八月十五日)は当該ウィキによれば、『幕末・明治の農学者。一時、会津藩や内務省・農商務省に出仕していた』。『陸奥国会津郡宮沢村(現在の福島県南会津町)の天領名主の子に生まれ』た。『若い頃から農学を研究して、養蚕の改良に務め』た。『彼の指導の下で生産された生糸は、横浜にて』、『大いに売れたという。後に会津藩に召され』、「戊辰戰爭」では、『農兵隊を率いて国境警備などに』当たった。明治二(一八六九)年に『たる。会津藩に出仕して生産局の役人となり、明治』六(一八七三)年、『大蔵省に出仕した。明治』八年『には』「琉球藩內務省出張所」『に出向して』、「琉球處分」『の後始末を行うとともに』、『物産の研究に』当『たった。その後、近衛家に仕えたり、農商務省に出仕して水産担当となり、日本の水産学の興隆に尽くした』。明治二四(一八九一)年『に郷土』南会津『に帰』り、農事に従事しつつ、以後、『地元の農業・水産業の新興に務め、農業・水産・琉球関係の著作を多く著した』。明治三六(一九〇三)年『には福島県会議員となった』とある。恐らく、最も詳細な事績は東洋文庫版の当該書の「解説――河原田盛美と実業の世界」の冒頭にある編者四名の「一 河原田盛美について」が最も詳しいものと思われるので、見られたい。
なお、ひらがなの崩し字(カタカナ様のものなど)は普通のひらがなで示した。若い読者が読みに迷う可能性がある箇所には、《 》でひらがなで読みを歴史的仮名遣で附した。難読語と見做したものは、割注した。丸括弧はルビである。字のポイントは、微妙に各所で異なるが、完全な再現ではないので、注意されたい。割注は【 】で示した。]
[やぶちゃん注:以下、扉。]
明治十九年四月十五日内務省贈付
[やぶちゃん注:ここ以下は、画像でご覧の通り、三列の飾り罫内にある。]
水 産 局 編 纂
清國
日 本 産 圖 說
輸出
版權
農 商 務 省 藏 版
所有
[やぶちゃん注:以下、ここと、ここ。谷干城による漢文手書き芼筆の六行の献辞(落款二種有り)。]
採製水產以
殖利民之資
交易物寫而
弘富國之術
明治十九年三月
従四位子爵谷干城
【落款】 【落款】
[やぶちゃん注:推定訓読すると、
*
水產を採りて製すは、以つて、民(たみ)の資(し)を利して殖(ふや)し、交易して、物を寫(うつ)して、弘(ひろ)く、國を富ますの術なり。
*
意味は、
「水産物を採取し、加工品に製することは、それを交易することで、相互に物を商品として取り引きすることで、広く、国を豊かにするところの技術である。」
か。
*]
[やぶちゃん注:以下、奥靑輔による識(印刷)。ここから。ここでは、句読点や濁点はないが、若い読者や、私の愛読者の中にネイティヴでない読者(中国語圏の研究者の方が多い)が複数人おられるので、濁音のみ、濁点を附し、当該字を太字で濁音化した。なお、私の割注は、総て私のオリジナルなものである。]
淸國
日本水產圖說緖言
輸出
淸國ノ我ニ通商スルヤ尙《ひさ》シ德川氏ノ初メテ長崎港ヲ開キシヨリ已ニ數百年其間時ニ盛衰隆替アリト雖𪜈[やぶちゃん注:「ども」の約物。]然レ𪜈彼我[やぶちゃん注:「かが」。]久シク通商ニ熟スル歐米諸洲ノ近ロ[やぶちゃん注:「ちかごろ」。]來て[やぶちゃん注:「きたりて」。]貿易ヲ興セシ者ト日ヲ同クシテ[やぶちゃん注:「おなじくして」。]語ルベカラザルナリ。而シテ當初ハ諭入槪《おほむ》ネ輸出ニ超過シ每《つね[やぶちゃん注:以下の文脈から、これは「ごと」ではない。]》ニ其平衡ヲ失ヒシガ水產製品ノ輸出アルニ及ビ初メテ出入《しゆつにふ》相當《あひあた》ルヲ得タリ是ヲ以テ德川氏常ニ其保護奬勵ヲ懈《おこた》ラズ沿海各地ヲシテ其製產額ヲ定メ之ヲ長崎俵物役所《ながさきひやうものやくしよ》ニ輸《ゆ》サシメ其大小品質ニ隨ヒ逐次等《とう》ヲ分チ付スルニ記號ヲ以テシ又其貨裝[やぶちゃん注:貨物としての梱包基準。]ヲ定ム是ニ於テ乎《や》其製造粗濫ノ弊アルナク常ニ信《しん》ヲ貿易市場ニ得タリ然ルニ當時國是《こくぜ》ノ在ル所一《いつ》ニ鎻國ニ存シ貿易ノ利源政府獨リ之ヲ權《けん》シ[やぶちゃん注:東洋文庫版では『権(かく)し』とするが、「權」には「かく」という読みはない。「そうした全資格・全権利を一方的に占有し」の意で「けん」と読んだ。]、國民之ニ與《あづかる》ヲ得ズ而シテ淸國商舶ノ我ニ來航スルモノ限ルニ定數ヲ以テシ其利益ノ及ブ所狹隘《きやうあい》[やぶちゃん注:「ニ而」(にして)が欲しい。]斟少《はなはだすくなく》竟《つひ》に我富源ヲ殖スル能ハズ豈《あに》亦遺憾ナラズヤ維新以後日淸兩國通商條規ヲ訂結《ていけつ》[やぶちゃん注:定めて双方が了解すること。]シ互《たがひの》市《いち》ノ地長崎一港ニ止《とどま》ラズ彼《か》ノ埠頭亦十有六ノ多キニ至ル是ニ於テ市况《いちきやう》[やぶちゃん注:各交易港の活況。]丕《おほい》ニ變ジ貿易頓《とみ》ニ旺《わう》スル[やぶちゃん注:盛んになる。]固《もと》ヨリ其所ナリ然《しか》ルニ方今[やぶちゃん注:「はうこん」。「現今」に同じ。]一歲《ひととせ》輸出ノ額尙未ダ三百萬圓ニ及バズ是レ我邦商估《しやうこ》[やぶちゃん注:商人。]ノ彼《か》ノ事情ニ暗クシテ製產者ハ舊來ノ慣行ヲ委棄《いき》[やぶちゃん注:物や権利を移譲して他人の自由に任せる(委せる)こと。]シ以テ貿易ノ不利ヲ招クニ由ルナリ豫嘗テ官命ヲ奉ジ淸國ニ航スル前後二次水產製品ノ市况ヲ觀察スル每ニ未ダ嘗テ我邦商勢ノ不振ヲ歎《なげ》セズンバアラズ夫《ソ》レ我《わが》輸出品中彼《か》ニ產セズシテ特ニ供給ヲ我ニ仰グモノアリト雖モ其南海ニ產スル所ノ者亦頗ル多ク而シテ我品位價格ハ一籌《いつちゆう》ヲ彼《か》ニ輸《ゆ/しゆ》セザルモノ莫《な》シ[やぶちゃん注:「一籌」は「(品質が)引けをとること」を言い、「引けをとる物品であるために輸出しなかったものは一品もない」の意。]是《これ》《けだ》シ邦人ノ彼市况ヲ詳《つまびら》ニセズ忘想[やぶちゃん注:「妄想」に同じ。]臆斷ヲ以テ製造販賣ニ從事スルニ由ルノミ然ラズンバ兩國互市《たがひのいち》既ニ數百年ヲ經《へ》其地纔《わづか》ニ一衣帶水《いちいたいすい》[やぶちゃん注:一筋の帯のような幅の狭い川や海を隔てて隣り合っていること。]ヲ阻《へだ》テ而シテ其貿易ノ萎靡《いび》振ハザル[やぶちゃん注:「萎靡」は「衰えて元気のなくなること」を指す。]コト反《かへり》テ蒼溟萬里《さうめいばんり》[やぶちゃん注:「蒼溟」は大海原の意。]歐米諸洲ノ下《した》ニ居《を》ルノ理《ことはり》アランヤ予夙《つと》ニ此《これ》ニ慨《がい》シ局員ニ命ジ淸國輸出製品ヲ圖シ加フルニ解說ヲ以テシ題シテ日本水產圖說ト曰ヒ又附スルニ販路圖及ビ輸出表ヲ以テシ明《あきらか》ニ銷路《しやうろ》[やぶちゃん注:中国語で「販路・受け入れる市場」を指す。]ノ廣狹《かうきやう》、輸出ノ增減ヲ擧《あげ》テ詳《つまびらか》ニ其得失ノ由ル所ヲ述ベ讀者ヲシテ一目瞭然タラシム其意盖《けだ》シ我當業者ヲシテ水產ノ利源ヲ擴張セシメント欲スルニ在ルノミ若《も》シ夫《そ》レ製造販賣ニ從事スル者深ク中外古今ノ事情ヲ察シ益々製法ヲ精良ニシ信ヲ貿易市場ニ失ハズ以テ漸次其銷路ヲ增サバ則《すなはち》將來日淸貿易ノ運《うん》日ニ旺盛ニ赳ク啻《ただ》ニ往時長崎貿易ノ比ノミニアラズ將ニ進ンデ歐米諸洲ノ貿易ニ凌駕スル所アラントス若シ其然ラズ製法ノ良否ヲ顧ミズ漫《みだり》ニ輸出ヲ增加シ以テ奇利ヲ一時ニ博セント欲セバ獨リ自ラ失敗ヲ招クノミナラズ必ズ我邦貿易ノ進步ヲ遮斷スルヤ明《あきら》ケシ是レ當業者ノ宜シク注意戒心スベキ所ナリ因《より》テ此書ヲ編スルノ由ヲ叙シ以テ卷首ニ弁ズ
明治十九年三月 水產局長奥靑輔識
[やぶちゃん注:以上の識辞、十一年前、教員を退職して、久々に買った新刊本で読んだ際には(教員時代は一ヶ月に三~五万円の書籍を買っていたが、仕事を辞めて以降は、半分も読んでいない蔵書を読むことにして以来、実に、本は殆んど買わなくなった。欠かさず買うのは星野之宣の宗像教授シリーズの新刊ばかりである)、『お前が書いたわけじゃないのに、イヤな感ジ。』だと思ったが、今、考えてみると、この奥靑輔の命令があってこそ、この著述は日の目をみたのであればこそであることが、欧米に対抗する日本ファースト丸出しではあるものの、彼が、そう命じなければ、この素晴らしい書は存在しなかったことは、まず、間違いないことであることに今更に気づいた。執筆者河原田盛美とともに、新たに顕彰されるべき人物である。「東洋文庫」版の前掲書の注に拠れば、弘化三(一八四六)年生まれで、明治二〇(一八八七)年没とあり、『明治一八年(一八八五)に農商務省に水産局が設置された際の初代局長』とあり、「日淸物產畧誌 淸國必需」(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクションの原本)『(農商務省編、明治一八年)の編纂』、「日本水產誌」(不詳)『編纂事業の企画等、農商務省水産局長時代における日本水産業を、短時間であったが、総合的に牽引した。明治一九年、農省務大臣谷干城』(冒頭注で注済み)『らとともに欧州の視察に赴き、この出張中、ベルリンで病死した。』とある。因みに、彼のウィキペディアは、ない。誰か、作るべきである。]
[やぶちゃん注:以下、「凡例」。ここから。各項は「一」の後、二行目以降は一字下げであるが、引き上げてあるが再現していない。読点の後は半角の空隙もないが、現行の一字分に配した。句点は以下の本文を通じて、存在しない。濁点は、あるものもあるが(崩し字で示してあるケースもある)、それ以外にないものもある。そこは、同前と同じく、濁点を打って、太字とした。なお、繰り返し記号「ヽ」も用いているので、見間違いのないように注意されたい。★なお、「するめ」の漢字「鰑」は「鯣」の異体字である。]
淸國
日本水產圖說
輸出
凡例
一此書は本邦の水產物中現今淸國に輸出する處の水產動値物五拾餘品の名稱、洽革、種類、採收、製造、產地、產額、需用、輸出、販路及び將來の目的等に係る要旨を選著す而して其編纂の旨趣は改良進步を目的とし、將來日淸兩國の貿易を旺盛ならしめんとするにあり
一編中を分て拾編とす則ち第一鰑《するめ》、第二昆布、第三乾鮑《ほしあはび》、第四煎海鼠《いりこ》、第五寒天、第六鱶鰭《ふかひれ》、第七乾海老《ほしえび》、第八乾貝《ほしがひ》并《ならび》に貝柱《かひばしら》、第九乾魚《ほしうを》并に鹽魚、第ト海藻なり、[やぶちゃん注:最後の読点はママ。]
一目次は輸出額の大なるものを先きにすると雖ども數品併せて一となるものヽ如きは之を次位に置き、又乾鮑を乾貝中に加へず寒天を海藻中に加へざるは他の雜品と同視すべからざるによる
一輸出品目中乾貝、乾魚、鹽魚の三は開港地に於て或は今年幾許《いくばく》を輸出して翌年に輸出せざるもの等ありて品目一定しがたし故に明治十七年各港稅關の輸出調《しらべ》と橫濱賣込商人の調とによる
一本篇に揭げたる各種の圖は實物を購求して寫生すと雖ども間々《まま》在來の寫生圖を縮寫せしものもあり
一引用書數百部に涉り其行文《ぎやうぶん》雅俗難易錯雜體裁一《いつ》ならざるものありと雖ども原義を存せしむ
一引用書中原本の漢文に係るものは送り假名に改め其他も可成《かなり》平易を旨とすと雖ども字義の止むを得ざるものは間々二字語を用ふるものあり
一品名は本邦通俗に用ふる所のものを本体とし倭名漢名淸俗名等は本文中に鮮示す[やぶちゃん注:「鮮示」は「せんじ」で、手書きで示したことを言うか。]
一平假名を附し文字を平易にすと雖ども西洋語支那語等の如きは片假名を付したるものあり
一物品中淸俗名には唐音にて假名を付す其音は官話を以てす[やぶちゃん注:「宋音」とも言う。小学館「日本大百科全書」に拠れば、『平安末期以後に伝来したもので、宋・元代の南方系の中国音が』、『おもに禅僧によって将来されたものと、明(みん)・清(しん)代の南方系の中国音が禅僧や貿易によって将来されたものとの』二『層が区別されるが、その境界は』、『かならずしも明確ではない。この系統の字音は、日本語への影響や定着度という点からは、禅宗での読経(諷経(ふぎん))のほかでは、「行燈(アンドン)」「椅子(イス)」「提灯(チヤウチン)」「胡乱(ウロン)」「和尚(ヲシヤウ)」「普請(フシン)」など特定語彙』『を支えているにすぎないものである」とある。]
一淸國の地名に付したる假名は漢音を以て邦人の訓讀に便《べん》すと雖ども香港(ホンコン)、上海(シヤンハイ)、廣東(カントン)、漢口(ハンカウ[やぶちゃん注:中国の「漢口語」では“xan˧˥kʰəu˦˨”であるから、音写として正しい。])、天津(テンシン)等の如きは普通の稱呼に從ふ
一此編輯たる本年大日本水產會にて開設する水產共進會に出陳して普《あまね》く當業者に示さんが爲め脫稿印刷共に甚だ急ぎしより文字等の誤謬なきを保《ほ》し難《がた》し尙後日之が訂正を加ふべし
一此書は奧水產局長の命により御用掛河原田盛美の撰著せるものにして田中元老院議官の閱正を乞ひ訂正せり議官の勞尤多きに居《を》れり
一本編の附錄として我が海產物の淸國販路圖及び我が輸出表を加へたるは物產の消長と需用の景况を示さんがためなり、
一 淸國販路圖は一等屬石渡正敏七等屬山本勝次輸出表は八等屬高髙田正行の調査する所に係れり
明治十九年三月
[やぶちゃん注:「水產共進會」「東洋文庫」版の前掲書の注に拠れば、『明治一九』(一八八六)『年三月二五日から四月二五日までの一カ月間、水産業に関わる漁業者、製造者、』及び、『販売者の利益を図り、国力を培養する目的で、東京上野公園内にて開催された。第一回水産博覧会(明治一六年)ののち、関心は海外貿易、特に清国貿易に配慮がなされていた。共進会を主催した大日本水産会は、明治一五年に設立され、大集会や小集会を開催し、水産業の振興に関わる活動を行っていた。会頭は小松宮彰仁親王、初代幹事長は品川弥二郎であり、勧業、水産業に関わる官僚が多く会員であった。』とある。なお、この会の折り、農商務省農務局が出品した「水產俗字集」を、『大日本水產會』が願い出て、許可を得て、出版したものが、サイト「中央水研」の「 図書資料館」の中の「デジタルアーカイブ」でJpeg版によって、全文を画像で見られる。興味深いものなので、是非、見られたい。
「田中元老院議官」田中芳男(天保九(一八三八)年~大正五(一九一六)年)は、博物学者で殖産功労者。長野県飯田生まれ。嘉永四(一八五一)年、名古屋に出て、知られた博物学者伊藤圭介(享和三(一八〇三)年~明治三四(一九〇一)年)に師事し、蘭学・本草学を学び、文久元(一八六一)年に、師とともに、江戸に移り、翌年、蕃書調所(ばんしょしらべしょ)に採用された。慶応二(一八六六)年、自ら採集した昆虫標本五十六箱を持参して、パリの万国博覧会に参加し、約十ヶ月、パリに滞在して、各地の博物館などを視察し、帰国、開成所を経て、文部省博物局に出仕し、ここを本拠として博物館の開設・博覧会の開催を推進指導し、また、リンネと、オーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドール(Augustin Pyramus de Candolle / Augustin Pyrame de Candolle:一七七八年~一八四一年:スイスの植物学者でイギリスの王立協会外国人会員。植物分類学の研究に貢献した。詳しくは、当該ウィキを見られたい)の分類学の紹介、「動物学」の編訳など、大学創立前の西欧生物学の導入・普及に寄与した。明治三一(一八九八)年には植物病理研究所の設立を建議している。牧野富太郎の師としても知られる(以上は小学館「日本大百科全書」を主文にした)。
「石渡正敏」神奈川出身。明治五(一八七二)年に三浦郡桜山村戸長となり、翌年、神奈川県権少属、同年に神奈川県十二等に出仕し、後、順調に昇格し、明治十九年から二十三年にかけて農商務省水産局製造課課長・試験課長となっており、明治七年に「神奈川縣管內之圖」(編纂者)、明治八年に「續神奈川縣地誌畧」及び「神奈川縣地名地引」の校訂を行っている(「神奈川県史料」等に拠る)。
「山本勝次」ある論文に拠って、東京水産大学の前身である水産伝習所第一期生(明治二三(一八九〇)年祖卒業)で、後に水産調査所技手となり、また、同伝習所の「製造大意」の科目の教職員になっていることが判った。また、国立国会図書館デジタルコレクションの「農商務省職員錄」(明治二七(一八九四)年五月現在)の「第三部」の「係員」の筆頭に『農商務技手』とあり、出身地を『東京府 士族』とする。]
[やぶちゃん注:以下、「目次」。ここから。一部、ブラウザでの不具合を考えて、字間を詰め、行を分けた箇所がある。]
淸國
日本水產圖說
輸出
目 次
上 卷
(一) 鰑《するめ》 の 說
同 各 種 の 圖
(二) 昆 布 の 說
同 各 種 の 圖
(三) 煎 海 鼠《いりこ》 の 說
同 各 種 の 圖
(四) 乾 鮑《ほしあはび》 の 說
同 各 種 の 圖
中 卷
(五) 鱶 鰭《ふかひれ》 の 說
同 各 種 の 圖
(六) 寒 天 の 說
同 圖
(七) 乾 蝦《ほしえび》 の 說
同 各 種 の 圖
(八) 乾 貝《ほしがひ》 幷《ならびに》 貝 柱 の 說
同 各 種 の 圖
下 卷
(九) 乾 魚《ほしうを》 幷 鹽 魚《しほうを》 の 說
同 各 種 の 圖
(十) 海 藻 の 說
同 圖
附錄
水產物輸出諸表
從明治元年
水 產 物 輸 出 比 較 表
至仝十七年
昆布、刻《きざみ》昆布、鯛、乾鮑、
海參《なまこ》、寒天、鱶鰭、乾蝦、
鮑殼《あはびがら》
明治十六年
水 產 物 輸 出 月 別 比 較 表
仝 十七年
昆布、刻昆布、鰑、乾鮑《ほしあはび》、
海參、寒天、鱶鰭、乾蝦《ほしえび》、
貝柱、淡菜《いがひ》、鹽鮭及鱈、田作、
魚油《ぎよゆ》、鮑殼
水 產 物 輸 出 人 價 格 比 較 表
水 產 物 仕 向 先《しむけさき》 港 別 價 格 比 較 表
輸 出 水 產 物 價 格 國 別 比 較 表
內 國 重 要 港 水 產 物 輸 出 比 較 表
橫 濱 港 神 戶 港 長 崎 港
全 國 鰑 產 地 圖 表
全 國 乾 鮑 產 地 圖 表
全 國 乾 蝦 產 地 圖 表
全 國 海 參 產 地 圖 表
全 國 石 花 菜 產 地 圖 表
全 國 乾 魚《ほしうを》 類 產 地 圖 表
[やぶちゃん注:「石花菜」は「せつかさい(現代仮名遣:せっかさい)」で、「天草」(テングサ)のこと。
アーケプラスチダ界 Archaeplastida 紅色植物門紅藻綱テングサ目テングサ科 Gelidiaceae
の多くの複数の種を含む。]

