和漢三才圖會卷第八十九 味果類 鹽麩子
ふし 五倍子 鹽膚子
鹽梅子 天鹽
鹽麩子
鹽梂子 酸桶
叛奴鹽 木鹽
俗云奴留天
ぬるて
本綱鹽麩子東南山原甚多木狀如椿其葉兩兩對生長
而有齒靣青背白有細毛味酸正葉之下節節兩邊有直
葉貼莖如箭羽狀五六月開花青黃色成穗一枝纍纍七
月結子大如細豆而扁生青熟微紫色其核淡緑狀如腎
形核外薄皮上有薄鹽鹽生樹上者卽是也小兒食之
五倍子 葉上有虫結成五倍子八月采之【詳于蟲部】
△按鹽麩子【上畧名布之】其樹名沼留天西北及中國𠙚𠙚皆
有之信州之產爲良其花碎小成穗結實有小蟲吸汁
而結小毬於葉閒大小不均狀如菱青綠色久則黃其
殻堅脆中空有細蟲十月采之蒸殼否則腐敗其葉深
秋紅美【倭名抄以樗訓奴天奴天者奴留天乎然樗者椿之屬非五倍子樹則誤也】
仲正
家集あまのすむ磯の浦邊を見渡せは浪にぬるての紅葉しにけり
*
ふし 五倍子 鹽膚子《えんひし》
鹽梅子 天鹽
鹽麩子
鹽梂子《えんきうし》 酸桶《さんとう》
叛奴鹽《はんどえん》 木鹽
俗、云ふ、「奴留天《ぬるで》」。
ぬるで
「本綱」に曰はく、『鹽麩子《えんふし》は、東南≪の≫山原《やまはら》に、甚だ、多し。木の狀《かたち》、椿(チヤンチン)のごとく、其の葉、兩兩《りやうりやう》、對生し[やぶちゃん注:一対ずつ対生し。]、長《ながく》して、齒、有り。靣《おもて》、青く、背、白く、細毛有《あり》て、味、酸《すつぱ》し。正葉《せいえふ》の下に、節節《ふしぶし》、兩邊に直《す》ぐなる葉、有《あり》て、莖に貼(つ)いて、箭羽(やばつ[やぶちゃん注:ママ。])の狀《かたち》のごとし。五、六月、花を開く。青黃色≪にして≫、穗を成し、一枝、纍纍《るいるい》たり。七月、子《み》を結《むすぶ》。大いさ、細≪き≫豆のごとくにして、扁《ひら》たく、生《わかき》は青く、熟《じゆくせ》ば、微《やや》紫色。其《その》核《さね》、淡≪き≫緑りにして、狀、腎《じん》[やぶちゃん注:腎臓。]の形≪の≫ごとし。核の外の薄皮《うすかは》の上に、薄鹽《うすじほ》、有り。「鹽、樹の上に生ず。」と云《いふ》は[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]、卽ち、是《これ》なり。小兒、之≪れを≫食ふ。』≪と≫。
『五倍子は』『葉の上に、虫、有《あり》て、結《けつ》して「五倍子」と成り、八月、之≪れを≫采る【「蟲部」に詳《つまびら》かなり。】。』≪と≫。
△按ずるに、「鹽麩子」【上畧して、「布之」と名づく。】≪は≫、其の樹を「沼留天」と名づく。≪倭の≫西北、及び、中國、𠙚𠙚《しよしよ》、皆、之れ、有り。信州の產、良と爲《なす》。其《その》花、碎《くだ》け、小《ちさく》、穗を成し、實を結ぶ。小き蟲、有《あり》て、汁を吸《すい》て、小≪さき≫毬《まり》を、葉の閒《あひだ》に結ぶ。大小、均(ひと)しからず、狀、菱《ひし》のごとく、青綠色。久《ひさし》き時は、則《すなはち》、黃(きば)み、其《その》殻《から》、堅く、脆(もろ)く、中空にして、細≪かなる≫蟲、有り。十月、之《これを》采りて、殼を蒸す。否《いなせらぜば》、則《すなはち》、腐敗≪す≫。其《その》葉、深秋に、紅《くれなゐ》、美なり【「倭名抄」は、「樗《ちよ》」を以つて、「奴天」と訓ず。「奴天」とは、「奴留天」か。然れども、「樗」は「椿《チヤンチン》」の屬にして、「五倍子の樹」に非《あら》ず。則ち、誤りなり。】。
仲正
「家集《いへのしふ》」
あまのすむ
磯の浦邊を
見渡せば
浪にぬるでの
紅葉《もみぢ》しにけり
[やぶちゃん注:これは、日中ともに、
双子葉植物綱ムクロジ目ウルシ科ヌルデ属ヌルデ変種ヌルデ(広義)Rhus javanica /(標準)Rhus javanica var. chinensis
である。但し、「維基百科」の同種「盐肤木」(=「鹽膚木」)では、広義のシノニムの、
Rhus chinensis
として、「異名」で本邦の異名に挙げてある Rhus javanica とRhus semialata が掲げられてある。しかし、気になるのは、「維基百科」には同種の「変種」として、独立項で、
滨(=浜)盐肤木 Rhus chinensis var. roxburghii
があり、そこには、分布として『中国大陸・台湾・韓国・インドシナ半島・インドに分布する。生育範囲は海抜千二百メートルから二千百メートルで、果実は十二月から翌年一月にかけて成熟する。台湾全土の低標高から、中標高の山岳地帯の下草や湿地によく見られる』とあること、変種名の“ roxburghii ”が本邦のウィキの記載にはないこと、以上の引用から、日本に分布しないヌルデとして、「本草綱目」の記載には、それが含まれなければならないと考えた。ただ、ちょっと気になったことがあって、それは、「滨盐肤木」の写真が「盐肤木」の写真と同じであることであったのだ! しかもだ! よくねえよな、中国のウィキペディアンさんよ、孔子が泣くぜ! この写真、大阪府で撮られた写真だぜ!? しかもライセンスは日本だ! その写真を違う種に掲げちまうのは、まさに「お里が知れる」杜撰が二重にアウトだろうが!)。されば、いつも通り、最も信頼出来る「跡見群芳譜」の「樹木譜」の「ぬるで(白膠木・塩麩子)」で調べたところ、やはり、流石であって、そこに、
タイワンフシノキ(タイワンヌルデ・ハネナシヌルデ)Rhus chinensis var. javanica(シノニム:Rhus chinensis var. toyohashiensis・Rhus chinensis var. roxburghii )
とあった! 而して調べてみるもんだ! この種は、
絶滅危惧IA類(CR・環境省RedList2020)
に載っており(注目すべきは、日本の「環境省」リストであることである!)、そこには、タイワンフシノキの分布について、
『本州東海地方・琉球』(!☜!)・『臺灣・朝鮮・漢土(南部)・インドシナ・ヒマラヤ・インドネシアに産』する
とあったのである! 「危ない、危ない!」(「用心棒」の城代家老睦田弥兵衛(伊藤雄之助・演)の台詞で)、この種は本邦にも分布するのだ! そして、本邦のウィキが杜撰であるのも露呈したのだ! その「ヌルデ属」の項に、こいつは、
タイワンフシノキ Rhus javanica var. javanica
というシノニムで、シラっと何の解説もなく、学名だけが載ってる始末だ! こういう杜撰が、「ウィキペディアは危ない」という風評の元凶だぜ!
しかも、「跡見」の記載によって、他に、本邦に植生しないヌルデ別種があることも判明した。以下にリストしておく。総てではないが、調べてみて、日本にも分布することが判ったものは省いた。
ウラジロハゼ Rhus hypoleuca(『白背麩楊 báibèi fūyáng』:『臺灣・福建・湖南・廣東産』:本種は台湾原産である)
Rhus potaninii(シノニム:Rhus henryi:『靑麩楊・倍子樹・烏倍子』)
Rhus punjabensis var. punjabensis(『旁遮普 pangzhepu 麸楊』)
Rhus punjabensis var. sinica(シノニム: Rhus sinica:『紅麩楊・漆倍子・早倍子樹』)
Rhus teniana(『滇麩楊』・『雲南産』)
Rhus wilsonii(『川麩楊』・『四川・雲南産』)
ともかくも、ウィキの「ヌルデ」を引く(注記号はカットした。最後の役立たずの「ヌルデ属」は引用しなかった)。ヌルデ(白膠木・塩膚木』『)は、ウルシ科ヌルデ属の落葉小高木。山野の林縁などに生える。ウルシほどではないが、まれにかぶれる人もいる。別名フシノキ、カチノキ(カツノキ)。葉にできた虫えい』(虫癭:「虫瘤(むしこぶ)」とも呼ぶ)『を五倍子(ごばいし/ふし)という。お歯黒の材料にしたり、材は細工物や護摩を焚くのに使われる』。『和名「ヌルデ」の由来については、諸説ある』。『枝を折ると粘液が出るところから』。『かつて幹を傷つけて白い樹液を採り、漆のように器物の塗料として使ったことから「塗る手」となり転訛した』。『ウルシ科の植物であり、樹液(粘液)が塗料(ヌテ)に使われたことから』。『別名「フシノキ」は、後述する生薬の付子がとれる木の意である。「カチノキ」(勝の木)は、聖徳太子が蘇我馬子と物部守屋の戦いに際し、ヌルデの木で仏像を作り、馬子の戦勝を祈願したとの伝承から。またの別名に「シオノキ」や「天塩木」があり、果実に白い塩のような物質で覆われることから名付けられたものである』。『中国名は、「鹽麩木」「五倍子樹」。虫こぶの「五倍子」は中国での呼び名で、「五倍樹」や「五去風」という名は五倍子を採る樹という意味で名付けられたものである。英名は、中国から日本、台湾まで分布が見られるものにもかかわらず、japanese sumac(ジャパニーズ・スマック)ともいう』。『雌雄異株。落葉広葉樹の低木から小高木で、樹高は』三~八『メートル』『ほどであるが』十メートル『以上の大木になることもある。一年枝は赤褐色で無毛か毛が残り、割れ目形の楕円の皮目が多くできる。若木の樹皮は緑褐色で皮目があり、次第に緑色が抜けて、成木は灰褐色になる。樹液は皮膚につくとかぶれやすい』。『葉は互生し』七~十三『枚(』三~六『対)の小葉からなる奇数羽状複葉で』、『葉軸に翼があるのが大きな特徴である』(附属するこの画像を見よ)。『小葉は』五~十二『センチメートル』『の長楕円形で』、『同じウルシ科のハゼノキ』(ウルシ属ハゼノキ Toxicodendron succedaneum )『やヤマウルシ』(ウルシ属ヤマウルシ Toxicodendron trichocarpum )『と葉の形は似ているが、葉縁の鋸歯が目立ち、毛が多くザラザラしており、葉軸に翼があるのが特徴である。ヌルデの葉にはヌルデシロアブラムシ(ヌルデノミミフシアブラムシ』:『学名:Schlechtendalia chinensis )が寄生し、袋のような虫こぶ(虫癭)を作ることがある。葉は秋に紅葉し、野山を彩る。紅葉はハゼノキやヤマウルシほど赤色は濃くならないが、赤・橙・黄・茶色などが混在することもある。生育条件がよい個体や若木では鮮やかな赤色に紅葉するが、葉の表面に粒状の虫こぶや病気が発生して痛んでいることが多く、やや汚れた橙色に紅葉している個体が多く見られる。新芽も赤く染まる。ウルシの仲間のヌルデのウルシ成分(ウルシオール』(Urushiol)『)は少なく、かぶれる虞はほとんどなく、中には葉でかぶれる人もいるが』、『劇症にはならない』。『花期は晩夏から初秋』の八~九月で、『枝先に円錐花序を出して、黄白色から白色の小さな花を多数咲かせる。花は数ミリメートル』『程度で』、五『つの花弁がある。雌花には』三『つに枝分かれした雌しべがある。雄花には』五『本の雄しべがあり、花弁は反り返っている。花序は枝の先端から上に出るが、何となく垂れ下がることが多い。果実ができると』、『さらに垂れ下がる』。『果期は秋(』十~十一『月)で』、『直径』四ミリメートル『ほどの扁平な球形をした果実を、かたまって多数つける。果実は熟すと赤色に色づく。果実の表面にあらわれる白い粉のようなものはリンゴ酸カルシウム』(Calcium malate: C8H10CaO10)『の結晶であり、熟した果実を口に含むと酸味が感じられる。雌株の枝先にできた果序が冬でも残る。雄株は、枯れた雄花序の軸が冬でも残ることもある』。『冬芽は半球形で黄褐色の毛が密生し、枝に埋もれるようにつく。枝先の仮頂芽と枝の上部の側芽はほぼ同じ大きさで、側芽は枝に互生する。葉痕はU字形やV字形で、維管束痕が多数並ぶ』。
以下、「分布と生育環境」の項。『日本、朝鮮半島、中国、ヒマラヤ、台湾などの東南アジア各地に自生する。日本では北海道・本州・四国・九州から琉球列島まで、ほぼ全域で見られる。低地や山地に分布し、日当たりのよい山野、林縁、ヤブ、道路沿いの斜面、河原などにふつうに生える。植えられることは稀である』。『典型的な陽樹で、明るい場所を好み、山火事の跡、川原、新しい崖崩れ、崖錐などに』、『しばしば真っ先に現れる、いわゆる先駆植物(パイオニア植物)のひとつに数えられる。日本南部ではクサギ』(シソ目シソ科キランソウ亜科クサギ(臭木)属クサギClerodendrum trichotomum、或いは変種クサギ Clerodendrum trichotomum var. trichotomum )・『アカメガシワ』(赤芽槲・赤芽柏:キントラノオ目トウダイグサ(燈台草・沢漆・漆柳)科エノキグサ(榎草)亜科エノキグサ連アカメガシワ属アカメガシワMallotus japonicus )『などとともに、低木として道路脇の空き地などに真っ先に出現するものである。伐採など森林が攪乱を受けた場合にも出現する。種子は土中で長期間休眠することが知られている。伐採などにより』、『自身の成育に適した環境になると』、『芽を出すという適応であり、パイオニア植物にはよく見られる性質である』。『古来から日本の村里の人々の生活と深く関わり合いがある。葉にヌルデシロアブラムシ』( Schlectendalia chinensis )『が寄生すると』、『大きな虫癭』『ができ、中には黒紫色のアブラムシが多数詰まっている。この虫癭は五倍子(ごばいし)、または付子(ふし)といってタンニンが豊富に含まれており、これが腫れ物・歯痛の薬、皮なめしに用いられたり、黒色染料の原料になる。染め物では空五倍子色とよばれる伝統的な色をつくりだす。またインキや白髪染の原料になるほか、かつては既婚女性および』十八『歳以上の未婚女性の習慣であった』「お歯黒」『にも用いられた』。『ヌルデの果実は塩麩子(えんぶし)といい、下痢や咳の薬として用いられた。この実はイカル』(スズメ目アトリ科イカル属イカル Eophona personata :私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 桑鳲(まめどり・まめうまし・いかるが) (イカル)」を見られたい)『などの鳥が好んで食べる』。『木材は色が白く材質が柔らかいことから、木彫の材料、木札、木箱などの細工物に利用される。地方により、ヌルデ材は呪力を持った木として尊ばれ、病気や災い除けの護符の材として多く使われる』。『日本ではふつう食用に用いないが、朝鮮では、春に出た若い葉を摘んで食用にするという。果実は表面に酸味のある白い粉がついていて、秋遅くになると酸味が増し、信州』『では』、『昔』、『これを煮て』、『塩の代用にしたと言うが、塩分は含まれていない』。『ヌルデの葉からは五倍子(ごばいし)あるいは付子(ふし)を得ることができた。五倍子はヌルデの稚芽や葉柄がヌルデシロアブラムシにより刺激され、こぶ状に肥大化した虫癭(虫こぶ)である。中華人民共和国での生産量が最大で、インドでも採取される。日本では瀬戸内海沿岸が多く、工業用のタンニン酸製造の原料として』、昭和一三(一九三八)『年頃には』、『山口県、三重県、兵庫県などを中心に』二百トンも『の五倍子が生産されていた。戦後は、中華人民共和国からの輸入品が急増して生産は激減している。主成分はペンタ-m-ジガロイル-β-グルコース』(Pentagalloyl glucose,penta galloyl glucose :C41H32O26 · xH2O)『という物質である。大きさはさまざまであるが、多くは長さ』六~八『センチメートルほどで、不揃いに分枝した黄色を帯びた灰色の袋状の形をしている。中にはアブラムシの死骸が残っていることもあり、これを取り除いて製品にする』。『虫こぶは黒い染料に使われていて、白髪染めや』、『お歯黒、腫れ物、歯痛などに用いられた』。『岡山県備前市の香登(かがと)地区は高級お歯黒の生産地であった。香登のお歯黒は五倍子とローハ(』(緑礬(りょくばん)『硫酸鉄』(IronII) sulfate)『)と貝灰を混合して作られたものである。岡山県成羽町吹屋地区は日本最初のローハ生産地であり、これと関連した産業であったと推測されている』。『江戸時代の家庭の医学書である』「救民醫學書」『には「五倍子が疱瘡の薬」と記されており、疱瘡(天然痘)の治療に用いられた』。『ただし、猛毒のあるトリカブトの根「附子」も「付子」と書かれることがあるので、混同しないよう注意を要する』。『ヌルデは』「万葉集」『に詠まれた歌がある』とする。これは、「卷十四」の「相模國の譬喩歌三首」(詠人知らず)の二首目(三四三二番)、
*
足柄(あしがり)の
吾(わ)を可鷄山(かけやま)の
穀(かづ)の木の
吾(わ)をかづさねも
穀割(かづさ)かずとも
*
所持する中西進「全訳注原文付 万葉集(三)」(講談社文庫・昭和五六(一九八一)年刊)によれば、『足柄の、私を心にかける可鶏山の穀の木のように、私を誘ってほしいよ。そんなに穀の皮を割いてばかりいなくったって――。』とある。「可鷄山」は『矢倉嶽のことか』とし(現在の神奈川県南足柄市矢倉沢(やぐらさわ)にあるピーク「矢倉岳」(やぐらだけ:標高八百七十メートル:グーグル・マップ・データ)、「穀(かづ)の木」は『カジの木。』(クワ科コウゾ属カジノキ Broussonetia papyrifera )『またヌルデの木ともいう。以上の「吾を…かづ」が下句に接続』するとし、「かづさねも」については、『「かづす」はカトフ(誘)と同意か。「ね」も「も」は助詞』とする。「ね」は上代の終助詞で、他に対してあつらえ望む意を表わし、「も」は係助詞で、最小限の希望を意味する。歌の最終部について、『下に「よし」など』が『省略。穀の皮をはいで白木綿(ゆう)を作る。』とあり、最後に、『比喩歌として、カケ・カヅス・カヅサクに類似の内容の寓意あるか。未詳。』とある。
なお、以上の引用本文は、「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の「卷三十二」の「果之四」「味類一十三種内附四種」の「鹽麩子」(ガイド・ナンバー[079-22a]以下)の記載のパッチワークである。
「椿(チヤンチン)」何度も出たツバキとは縁のない、双子葉植物綱ムクロジ目センダン科Toona属チャンチン Toona sinensis 。「卷第八十三 喬木類 椿」を見よ。
「『五倍子は』『葉の上に、虫、有《あり》て、結《けつ》して「五倍子」と成り、八月、之≪れを≫采る【「蟲部」に詳《つまびら》かなり。】。』」これは「本草綱目」で時珍が割注したもので、同書の「卷五十二」「卵生類」の「五倍子」を指す。「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の「卷三十九」の「蟲之一」「卵生類上二十三種」の「五倍子」(ガイド・ナンバー[094-20b]以下)の膨大な記載を指す。なお、東洋文庫訳では、とんでもない誤りを犯している。校注者竹島邦夫氏は、訳で『〔虫部に詳しく載せてある(巻五十二卵生類五倍子)〕』としてしまっているのである。この「巻五十二」というのは、良安の「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部」を指してしまっているからである。なお、竹島氏のそれは、「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 五倍子 附 百藥煎」がそれに当たるので、見られたい。
『「倭名抄」は、「樗《ちよ》」を以つて、「奴天」と訓ず。「奴天」とは、「奴留天」か。然れども、「樗」は「椿《チヤンチン》」の屬にして、「五倍子の樹」に非《あら》ず。則ち、誤りなり。』これは「和名類聚鈔」「卷二十」の「草木部第三十二」「木類第二百四十八」の以下であるが、良安は引用を誤っている。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年版を参考に訓読して見ると、
*
樗(ぬで) 陸詞が「切韻」に云《いはく》、『樗《チヨ》【「勅」・「居」の反。「和名本草」に云はく、『沼天《ぬで》』。】は惡木なり。』≪と≫。「弁色立成」に云はく、『白膠木は【和名、上に同じ。】』≪と≫。
*
である。ところが、この「樗」の字は、現代にあっても、甚だ混乱の中にある漢字なのである。所持する大修館書店「廣漢和辭典」では、漢語としての第一義で、『木の名。ぬるで。ごんずい。みつばうつぎ科の落葉小高木。樹皮あらくて漆に似、とげがある。葉は羽状複葉で臭気があり。材はやはらかで用途がない。』とクるのである。これは、「ぬるで」以外は、明らかに、クロッソソマ目 Crossosomatalesミツバウツギ科ミツバウツギ属ゴンズイ(権萃) Staphylea japonica である。ところが、日本の国語としては、『おうち。せんだん。暖地に自生する高木。=楝(レン)』とあるのである。辞書類でも、この部分は概ね、「センダンの古名」とあるのである。これはもう、ムクロジ目センダン科センダン属センダン Melia azedarach var. subtripinnata である。ところが、東洋文庫訳では、この「樗」の後に編者の割注で、ドーンと、『(臭椿)』とあるのである。これは、さても、ムクロジ目ニガキ科ニワウルシ属ニワウルシ Ailanthus altissima である。しかし、これはチャンチン Toona sinensis が属するムクロジ目センダン科Toona属ではない、のである。従って、この良安の「誤り」とする根拠も、並行して無効なのである。
「家集」「あまのすむ磯の浦邊を見渡せば浪にぬるでの紅葉《もみぢ》しにけり」「仲正」「仲正」は源仲正(生没年不詳)平安末期の武士で歌人。清和源氏。三河守源頼綱と中納言君(小一条院敦明親王の娘)の子。六位の蔵人より下総、下野の国司を経て、兵庫頭に至った。父より歌才を受け継ぎ、「金葉和歌集」以下の勅撰集に十五首が入集している。「家集」は東洋文庫訳の巻末の書名注に、『家集(いえのしゅう)(仲正)』として、『『仲正家集』。平安後期の家人源仲正の歌集。仲正は頼綱の子で、兵庫頭従五位下。『金葉集』などに一五首入集。古風平明なものから絵画的なもの、俳諧的なものまで作風は広い。家集は散佚し、現在の『仲正家集』は江戸中期頃に編纂されたものという。』とある。一応、国立国会図書館デジタルコレクションの検索により、ここで同一首を印刷物で確認出来たので示しておく。]
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