阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「禿榎」
[やぶちゃん注:底本はここ。段落を成形した。句読点・記号を追加した。]
「禿榎《かむろえのき》」 安倍郡府中御城內にあり。傳云《つたへいふ》、
「大西小屋の前、大六天《だいろくてん》の社《やしろ》の玉垣のもとに、榎、二本、あり。往昔《わうじやく》、此《この》木のもとより、美麗の禿、出現す。故に『禿榎』と云《いへ》り。又、此木の根に跌《つまず》けば、必《かならず》、三年の內に死す。故に『三年榎』共《とも》云《いふ》也。」。
[やぶちゃん注:この榎は現存しないようである。
「大西小屋」何らかの武家の組組織の詰め所らしく思われる。
「大六天の社」「第六天」であろう。欲界六天の最高の第六の天界の名。他化自在天(たけじざいてん)。小学館「日本国語大辞典」に拠れば、『この天に生まれたものは他の作りだした楽事を受けて自由に自分の楽とするという。また』、『この天の髙所には別に』『魔王の住所があるとされた。』ともある。現存しない。
「禿」小学館「日本大百科全書」に拠れば、『かぶろともいう。廓(くるわ)ことば。遊里で一人前の遊女になるための修業をしている』六、七『歳から』十三、十四『歳までの少女たちのこと。これを過ぎると』、『吉原では振袖新造(ふりそでしんぞう)から番頭新造となり、さらに太夫(たゆう)となった。禿は髪を額のところで切り、残りを』、『肩のあたりまで垂らして切りそろえたので』、『切り禿ともいう。江戸末期の禿の服装は、桃色縮緬(ちりめん)か絖(ぬめ)』(生糸を用いて繻子織(しゅすおり)にして精練した絹織物。生地が薄く、滑らかで光沢があり、日本画用の絵絹や造花などに用いられる。天正年間(一五七三年~一五九二年)に、中国から京都西陣に伝来した。日本でも織られた。以上は「デジタル大辞泉」に拠った)『の無地の表着に花魁(おいらん)の定紋を』五ヶ『所』、『つけ、帯はビロード、袖は広袖。浮世絵では花かんざしの華麗な服装で描かれている。太夫の道中では、女郎の格により』、『お伴(とも)の禿も』三『人』、二『人』、一『人の区別があった。桃山時代以来、一般婦女にも』、『切り禿の髪がみられる』とある。]
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