和漢三才圖會卷第九十 菰果類 目録・(前書)・甜瓜
[やぶちゃん注:かなり前に、既に述べておいたが、「和漢三才圖會」の「瓜」は「𤓰」という「爪」と見紛う字体を用いている。混乱を避けるために、この「𤓰」は、総て「瓜」に代えてある。]
卷第九十
菰果類
甜瓜(まくは) 附《ツケタ》リ 韓瓜 阿古陀瓜
瓜蔕(くはたい)
西瓜(すいくは) 楊溪瓜
萄萄(ぶだう)
蘡薁(くさぶだう)
獼猴桃(さるもゝ)
甘庶(さたうの木)[やぶちゃん注:「木」はママ。]
紫餹(くろさたう)
氷餹(こほりさたう)
餹霜(しろさたう) 石𮔉《せきみつ》
草(くさみつ)
和漢三才圖會卷第九十
攝陽 城醫法橋寺島良安尚順編
蓏果類
瓜類不同其用有二供果者甜瓜西瓜供菜者胡瓜越瓜
凡實在木曰果在地曰蓏大曰瓜小瓞【和名多知布宇里】其子
曰㼓【音廉】其肉曰𤬞【曰㼕𤬞俗奈加古】其跗曰環謂脫花𠙚也【俗云豆
[やぶちゃん字注:「𤬞」は、原文では(つくり)と(へん)が逆になっている字体だが、表示出来ないので、これとした。]
之猶人頭之旋毛】其蔕曰疐【一名瓜丁】謂繫蔓𠙚也
[やぶちゃん字注:「疐」は、原文では中央の「田」の上に「口」が入っている字体だが、表示出来ないので、これとした。東洋文庫も、この「疐」を用いている。]
*
蓏果類《らかるゐ》
瓜《うり》の類、同じからず。其《その》用、二《ふたつ》、有り。果《くわ》を供《きやう》する者は、「甜瓜(まくは)」・「西瓜(すいか)」。菜《な》を供する者は、「胡瓜(きうり)」・「越瓜(しろうり)」。凡《すべ》て、實(み)、木に在るを、「果」と曰ふ。地に在るを、「蓏《ら》」と曰ふ。大なるを「瓜」と曰《いひ》、小なるを「瓞《てつ》」【和名、「多知布宇里《たちふうり》」。】其の子(さね)を「㼓《れん》」と曰《いふ》【音「廉」。】。其《その》肉を「𤬞(なかご)」と曰《いふ》【「㼕𤬞《うりわた[やぶちゃん注:読みは東洋文庫訳のそれを採用した。]。俗、云ふ、「奈加古」。】。其《その》跗《ふ》を「環《くわん》」と曰ふ。「花を脫(を)とす[やぶちゃん注:ママ。]𠙚」を謂《いふ》なり【俗、云ふ、「豆之」(《ず》し)。猶を[やぶちゃん注:ママ。]、人の頭《かしら》の旋毛《つむじ》のごとし。】其《その》蔕《へた》、「疐《ち》」と曰《いふ》【一名「瓜丁《カテイ》」。】。謂《いはゆ》る蔓を繫ぐ𠙚《ところ》なり。
[やぶちゃん注:ここでは、挙げられている名前は、以下の冒頭の「甜瓜」からして、本邦の種と同一種ではないことが判ったので、ここでは、各項に譲り、注は打たない。]
まくは 甘瓜 果瓜
甜【甛同音簞甘也】
【阿末宇里】
甜瓜
熟蔕落者
【和名保曽知】
唐音 今云眞桑瓜
ラン クハア﹅
本綱甜瓜味甜于諸瓜故名二三月下種延蔓而生葉大
數寸五六月花開黃色六七月瓜熟其類最繁有團有長
有尖有扁大或徑尺或小或一捻其稜或有或無其色青
或綠或黃班糝班或白路黃路其瓤或白或紅其子或黃
或赤或白或黒凡瓜最畏麝香觸之卽至一蔕不收
瓜瓤【甘寒滑有小毒】 止渴除煩熱解暑氣【有兩蔕兩鼻者殺人五月瓜沉水者食之
得冷病終身不瘥反胃脚氣人食之病永不除也】
用熟瓜除瓤食之不害人瓜性最寒曝而食之尤冷凡
瓜寒於曝油冷於煎此物性之異也
凡食瓜過多伹飮酒及水則消又食之入水自漬便消食
鹽亦良
くはたい
瓜丁 苦丁香
瓜蔕 【甜瓜之蔕】
本綱瓜蔕【苦寒有毒】 甜瓜蔕自然落在蔓上采得風吹乾用
之病如桂枝證頭不痛項不強寸脉微浮胸中痞哽氣
上衝咽喉不得息者此爲胸中有寒【當吐之】太陽中𣎅神
熱疼重而脉微弱此夏月傷冷水水行皮中也【宜吐之】
少陽病頭痛發寒熱脉緊不大是膈上有痰也【宜吐之】
胸上諸實鬱匕而痛不能食欲人按之而反有濁唾下
利日十餘行寸口脉微弦者【宜吐之】懊憹煩躁不得眠未
經汗下者謂之實煩【當吐之】宿食在上管者【當吐之】並宜以
瓜蔕散主之【凡胃弱人及病後產後不宜用此也】
夫木山城の鳥羽に通て見てしかな瓜作りける人の垣ねを
△按甜瓜出於濃州眞桑村者良故總名稱真桑武州川
越尾州青鷺洛之東寺爲上駿州府中羽州七浦攝州
氷野泉州堺舳松皆得名參州銀甜瓜白色而有銀筯
加州田中和州梵田白色也凡下種前一日用沙糖及
白柹肉漬水浸瓜子於其水一宿取出種之則生美味
其苗至蔓稍長鋪藁䅌於根邊宜使瓜在藁上也甚延
長則宜斷蔓末否則莖蔓不肥也凡摘熟瓜經一兩宿
者味美也摘經久者瓤爛味不美狐及鴉喜竊食之
一種有韓瓜【似甜瓜而大皮不濃味劣】 一種有阿古陀瓜【宛似南瓜今人不好】
有鹽味誤瓜汁着刀劔則忽生鏽
瓜蔓晒乾者如鐵線截之難斷名天久須用之爲釣𮈔漁
家最重之自中𬜻來天蝅𮈔與此一類乎
[やぶちゃん字注:「蝅」は原本では「天」は孰れも「夫」になったものだが、表示出来ないので、この「蠶」の異体字で示した。]
*
まくは 甘瓜《かんくわ》 果瓜《くわくわ》
甜《テン》【「甛」と同じ。音「簞《エン》」。
「甘《あま》き」なり。】
【「阿末宇里《あまうり》」。】
甜瓜
熟して、蔕《へた》落《おつ》る者を、
【和名、「保曽知《ほそち》」。】
唐音 今、云《いふ》、「眞桑瓜(まくは《うり》)」。
ラン クハア﹅
本綱に曰はく、『甜瓜《てんくわ》は、味、諸《もろもろ》≪の≫瓜《うり》より甜《あま》き故、名づく。二、三月、種を下《おろ》す。蔓を延《ひ》いて生ず。葉の大≪いさ≫、數寸。五、六月、花、開く。黃色。六、七月に、瓜、熟す。其《その》類《るゐ》、最も繁し。團《まろき》、有り、長き、有り、尖《とが》れる、有り、扁《ひらた》き、有り。大《だい》なるは、或《あるい》は、徑《わた》り、尺。或《あるいは》、小なるは、或《あるいは》、一捻《ひとひねり》。其《その》稜(かど)、或は、有り、或は、無く、其色、青く、或は、綠(《みど》り)、或は、黃班《きまだら》・糝班《つぶつぶまだら》、或は、白路《しろすぢ》・黃路《きすぢ》。其瓤《なかご》、或は、白く、或《あるいは》、紅《くれなゐ》なり。其子《み》、或は、黃、或は、赤く、或は白く、或《あるいは》、黒し。凡そ、瓜、最《もつとも》麝香《じやかう》を畏《おそ》る。之に觸るれば、卽《すなはち》、一蔕《ひとへた》[やぶちゃん注:ここは実を指す。]收めざるに至る。』≪と≫。
『瓜瓤《うりわた》【甘、寒。滑。小毒、有り。】』『渴《かはき》を止め、煩《わずらはしき》熱を除き、暑氣を解《かい》す【兩《ふた》つ蔕《へた》、兩《ふたつ》鼻≪の≫者、有り、人を殺す。五月、瓜、水に沉《しづ》む者、之れを食へば、冷病《れいびやう》を得て、終身《しゆうしん》、瘥《い》えず。反胃《はんい》[やぶちゃん注:東洋文庫訳の後注に、『朝』、『たべたものを』、『夕方』、『吐き、夕方』、『たべたものを翌朝に吐く。食物をうけつけない症。』とある。]・脚氣《かつけ》の人、之れを食へば、病《やまひ》、永く、除《のぞけ》ざるなり。】』≪と≫。
『熟≪せる≫瓜≪を≫用《もちひ》て、瓤《わた》を除《のぞく》に、之≪を≫食へば、人に、害《がい》、あらず。瓜の性、最も「寒《かん》」なり。曝《さら》して、之≪を≫食へば、尤《もつとも》「冷《れい》」なり。凡《およそ》、瓜は曝《さらす》に、「寒」なり。油は煎《せん》ずるに、「冷」なり。此《これ》、物性の異《い》なり。』≪と≫。
『凡そ、瓜を食ふ≪に≫、過多《かた》なれば、伹《ただ》、酒及び水を飮めば、則ち、消《きゆ》る。又、之≪を≫食《くひ》て、≪其の人≫水に入《はひ》る≪べし≫。自《おのづか》ら、漬(つか)れば、便《すなは》ち、消《しやう》す。鹽を食《くひ》ても亦、良し。』≪と≫。
くはたい
瓜丁《かてい》 苦丁香《くていかう》
瓜蔕 【甜瓜の蔕(へた)。】
「本綱」に曰はく、『瓜蔕【苦、寒。毒、有り。】 甜瓜の蔕、自然に落《おち》て、蔓の上に在るを、采り得て、風に、吹《ふき》乾《ほ》して、之≪を≫用《もち》ふ。病《やまひ》、桂枝の證《しやう》のごとく≪と雖も≫[やぶちゃん注:東洋文庫訳では、『病が桂枝を投薬すべき証のようであるが、』とあり、後注で、『桂枝は発汗・解熱・鎮痛作用があり、また健胃・通腸にもよいとされる。』とする。「桂枝」については、「卷第八十二 木部 香木類 肉桂」の本文の「桂枝」、及び、私の注を見られたい。]、頭《かしら》、痛まず、項《うなじ》、強(こは)らず、寸脉《すんみやく》[やぶちゃん注:東洋文庫訳の後注に、『寸口』(すんこう)『寸口の脈。寸口とは手首で、さらにこれを寸・関・尺の三部分に分ける。医者は人指し指を寸に、中指を関に、薬指を尺の部分にあてて脈をみる。』とある。]、微《やや》浮《うき》、胸中《きやうちゆう》、痞(つか)へ哽《つまり》[やぶちゃん注:飲み物が飲み下せず、喉が詰まり。]、氣、上《のぼ》≪りて≫、咽喉に衝《つき》[やぶちゃん注:この部分、原文は、国立国会図書館デジタルコレクションの当該部の返り点(一・二点)であるが、これでは、うまく読めないので、東洋文庫訳を参考にして、独自に訓読した。]、息(いきす)ること、得ざる者は、此れ、「胸中≪に≫、寒《かん》、有り。」と爲《す》るなり【當《まさに》之れを吐かすべし。】。「太陽」≪の病ひにて≫[やぶちゃん注:東洋文庫訳の後注に、『身体の表層部におこる病。発熱・悪寒が太陽経脈をしばる。』とある。]、中𣎅《ちゆうえつ》[やぶちゃん注:東洋文庫訳の割注に、『(日射病のような症状)』とある。]・神熱≪して≫[やぶちゃん注:東洋文庫訳では、この『神熱』の右に『ママ』注記があり、正しい字は「身熱」とする。★「本草綱目」原文(「漢籍リポジトリ」の「卷三十三」の「果之五【蓏類九種内附一種】」の冒頭の「甜𤓰」)で確認した。[081-4a]の一行目である。]、疼《うづき》、重《おもく》して、脉、微弱なるは、此の夏月、冷水に傷《そこなは》れて、水、皮中《ひちゆう》を行くなり【宜しく、之れを吐くべし。】。[やぶちゃん注:この箇所、原文では、見られた通りで、一字分空いているが、「本草綱目」では、「發明」の一節で([081-4a]の一行目)、完全に繋がっている。一字だけが行末に来るのを嫌った仕儀であることが判ったので、繋げた。但し、国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版では、改行してある。]少陽の病《やまひ》[やぶちゃん注:東洋文庫訳の後注に、『太陽の表証と陽明の裏証の中間の証。少陽経脈は胸脇部を走っているので、胸の圧迫感やめまい・はきけ・耳なりがおこる。』とある。]、頭痛し、寒熱を發し、脉、緊《しまり》、大ならず。是れ、膈上《かくじやう》に、痰、有るなり【宜しく、之れを吐くべし。】[やぶちゃん注:「本草綱目」を見たところ、前注と全く同じ仕儀である([081-4a]の一行目)ことが判ったので、詰めた。但し、中近堂版は、やはり改行している。]胸上≪の≫諸實、鬱鬱[やぶちゃん注:原文は「鬱匕」であるが、同じく「本草綱目」を見たところ、「鬱鬱」とあるので([081-4a]の二行目)、それに変えた。恐らく繰り返しの踊り字を誤刻したものと思われる。]として、痛み、食すること、能はず、人、之れを按《あん》ずる[やぶちゃん注:痛みをとるために、さすって貰う。]ことを欲《ほつす》れども、反《かへり》て、濁唾下利《だくすいげり》[やぶちゃん注:東洋文庫訳の割注に、『(濁った唾液をたれ流す)』こととある。]≪すること≫、日《ひにひ[やぶちゃん注:日の送り仮名には踊り字「〱」と「ニ」が打たれてある]》に十餘行、寸口の脉、微弦《びげん》なる者≪は≫【宜しく、之れを吐くべし。】。懊憹(をうのう[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣は「あうなう」が正しい。意味は「煩悶」に同じ。])煩躁《はんさう》[やぶちゃん注:胸中に熱感があり、気分が落ち着かず、じっとしておられず、手足を頻りに動かし落ち着かないことを言う。]して、眠《ねむる》ことを得ず、未(いま)だ汗≪の≫下《くだる》を經《へざる》者、之を「實煩《じつはん》」と謂ふ【當《まさ》に、之れを吐くべし。】。宿食《しゆくしよく》[やぶちゃん注:前夜に食したもの。]、上管《じやうくわん》[やぶちゃん注:東洋文庫訳の割注に、『(胃の上部か)』とある。]に在る者は【當に、之れを吐くべし。】。並《ならびに》、宜《よろしく》、「瓜蔕散」を以《もつて》、之《これを》主《つかさ》どる【凡そ、胃、弱き人、及《および》、病後・產後≪の者は≫、宜《よろし》く此を用ふべからざるなり。】。』≪と≫
「夫木」
山城の
鳥羽に通《かよひ》て
見てしがな
瓜作りける
人の垣ねを
△按ずるに、甜瓜《まくは》、濃州《みの》眞桑村より出《いづ》る者、良し。故に、總名を「真桑」と稱す。武州《むさし》の川越(《かは》ごへ[やぶちゃん注:ママ。])・尾州《をはり》の青鷺(あをさぎ)・洛《きやう》の東寺を、上と爲《なす》。駿州《するが》の府中・羽州《うしう》の七浦(なゝ《うら》)・攝州《せつつ》の氷野(ひの)・泉州《いづみ》堺《さかひ》の舳(へ)の松《まつ》、皆、名を得たり。參州の「銀甜瓜(ぎんまくわ)」は、白色にして、銀≪の≫筯、有り。加州《かが》の田中・和州《やまと》の梵田《ぼんでん》は、白色なり。凡そ、種を下《くだ》す前、一日《ひとひ》、沙糖、及《および》、白柹(つるしがき)の肉を用《もちひ》て、水に漬け、瓜の子《み》を其《その》水の浸《ひた》し、一宿して、取出《とりいだ》して、之を種(ま)けば、則《すなはち》、美味を生ず。其《その》苗、蔓、稍《やや》長ずるに至《いたり》て、藁䅌《わらしべ》を根の邊《あたり》に鋪《しき》、宜しく、瓜をして藁の上に在《あ》らしむるべきなり。甚だ、延長すれば、則《すなはち》、宜しく、蔓の末《すゑ》を斷(た)つべし。否《いな》ざれば、則《すなはち》、莖・蔓、肥えざるなり。凡《およそ》、熟瓜を摘(むし)りて、一兩宿うぃ經る者、味、美なり。摘《つみとり》て、久(ながき)を經る者、瓤《わた》、爛《ただ》れ、味、美ならず。狐《きつね》、及《および》、鴉《からす》、喜んで、之れを竊(ぬす)み食ふ。
一種、「韓瓜《からうり》」、有り【甜瓜に似て、大《おほき》く、皮、濃《こ》からず、味、劣れり。】 一種、「阿古陀瓜(あこだ《うり》)」、有り【宛(さなが)ら、「南瓜(ぼうぶら)」[やぶちゃん注:カボチャ。]に似たり。今の人、好まず。】。鹽味《しほみ》、有り。誤《あやまり》え、瓜の汁を刀劔≪に≫着《つ》けば、則《すなはち》、忽ち、鏽(さび)を生ず。
瓜≪の≫蔓、晒乾《さらしほ》す者、鐵線(はりがね)のごとく、之≪を≫截《き》るに、斷《き》れ難し。「天久須《てぐす》」と名づく。之を用《もちひ》て、釣𮈔《つりいと》と爲《なす》。漁家、最《もつとも》、之≪を≫重んず。中𬜻より來《きた》る「天蝅𮈔(てぐす)」、此《これ》と一類か。
[やぶちゃん注:まず、良安は「まくは」とし、評言の内容は、明らかに、私らの世代までは至って馴染み深い、「真桑瓜」、
双子葉植物綱スミレ目ウリ科キュウリ属メロン変種マクワウリ Cucumis melo var. makuwa
として語っている。しかし、本邦のウィキの「マクワウリ」の右上の「言語版」の「中国語」を選ぶと、「維基百科」の「香瓜」へリンクするのだが、そこでは、『香瓜(Cucumis melo Makuwa Group)』とし、中文異名として『甘瓜、果瓜、梨瓜、东亚甜瓜、东方甜瓜、真桑瓜、美浓瓜』を掲げた後に、『これは主に東アジアで生産される「短毛メロン」(皮が薄いメロン)の栽培種群』であるという記載が続く。さらに、右の種表には、
『種』を『甜瓜 Cucumis melo 』
『亜種』を『短毛甜瓜 C. m. subsp. agrestis 』
『栽培群』を『Makuwa Group』
と記しており、添えられた標題画像は、これである。而して、下方にある「圖庫」(写真)には、
『日本的香瓜』とキャプションするこれである(但し、これは、アドレスを見れば判る通り、実は、ウィキの「マウワウリ」にある、主に富山県で古くから栽培されている「マウワウリ」の品種である「ギンセンマクワ」(銀泉まくわ(甜瓜))の写真と同一である)
同じく『日本的香瓜』とキャプションするこれ
そして『韓國的香瓜』とキャプションするこれ
これらを見ると、中国・日本・韓国では、見た目が既にして微妙に違うように、私には、見える。まあ、品種だから問題にするまでもないのだが、問題なのは、「維基百科」の「香瓜」には、どこにも「甜瓜」の漢名が記されていないことなのである。ところが、「維基百科」には、実は、独立した列記とした「甜瓜」のページがあるのである。而して、そこには学名として、
甜瓜(学名:Cucumis melo )
と記されてあるのである。則ち、
「本草綱目」の「甜瓜」は双子葉植物綱スミレ目ウリ科キュウリ属メロンを指す
のである。
従って、まずは、ウィキの「メロン」を必要と考える部分だけを引く(注記号はカットした太字・下線は私が附した)。メロン(甜瓜』、『和名:メロン、英: melon、学名:Cucumis melo)は、果実を食用にするウリ科の一年生草本植物である。また、その果物・果実のこと。漢字では甜瓜(てんか)と呼び、これはメロンを指すと同時にマクワウリをも含む表記である』。『メロンは園芸分野では果菜(実を食用とする野菜)とされるが、青果市場での取り扱いや、栄養学上の分類では』、『果物あるいは果実と分類される』。『インド原産で、中近東を経てヨーロッパに渡った西洋系品種と、中国で広まった東洋系品種があり、各地で栽培されている。現在メロンとよばれる果実は、甘味や香りが強い西洋系メロンが主流で、甘味や香りがない東洋系メロンはウリとよばれている。果皮は緑色や黄色、白色などがあり、無地のほかネットメロンとよばれる網目模様のものや、縦縞模様が入るメロンもある。栄養的にはビタミンCやカリウムが豊富なのが特徴』。『北アフリカや中近東地方の原産地と推定されたが』、二〇一〇『年に発表された植物学者スザンヌ・レナーとミュンヘン大学の研究者らの遺伝子研究によれば、インドが原産地と裏付けられた。インドのインダス渓谷で紀元前』二三〇〇『年』から『 同』一六〇〇『年ごろのメロンが、インド中西部で紀元前』一六〇〇『年ごろのものが発見されている。古代インドのアーリア人が、原住民のムンダ族がメロンに名づけていた複数の言葉を借用して、サンスクリット語でチャルバター(carbhatah)やキルビタ(cirbhita)などと呼んでいたが、これがウリ科植物やメロンの仲間を表すラテン語のククルビット(cucurbit)の語源となった』。『メロンはごく早い時代にインドから西方のイラン(ペルシア)へ広がったとみられており、紀元前』三〇〇〇『年ごろのメロンの種子がイラン南東部の古代遺跡シャフリ・ソフタから発見されている。紀元前』七『世紀の古代メソポタミアでは、粘土板に書かれた楔形文字から、バビロニアの王、メロダク・バルアダン』Ⅱ『世の菜園でメロンと解釈できる植物が栽培されていたとみられている。紀元前』二〇〇〇『年ごろの古代エジプトでは、エジプトメロンやヘビウリが食べられていたともいわれている。古代ギリシアにおいて、メロンの仲間についての記述として現れる最も古いものは、紀元前』四『世紀のヒポクラテスによるもので、科学者の多くはこれがメロンであるとみている。古代ローマでも、同様にメロンが食べられていたとみられているが、古代のメロンは現代のような甘いメロンではなかったと考えられている』。『メロンがインドから東方の中国へ到達した時期は不明であるが、中国浙江省では紀元前』三〇〇〇『年ごろのメロン種子が発掘されている。このメロン種子は甘くないメロンだった可能性もあるが、植物学者のテレンス・W・ウォルターズによれば西周時代(紀元前)一一〇〇『年』~『同』七七一『年)における中国では、マスクメロンと野菜用メロンは重要な果菜であったという。漢代(紀元前』二〇六『年』~『紀元』二二〇『年)にはメロンは中国で一般に食べられていた』。『その後、甘いメロンが作られるまで数世紀に及ぶ改良の努力が行われた。研究者の多くは、中世の終わり(』十五『世紀末)になって、ようやく現代と同じ甘いメロンがアルメニアからイタリアへと入ってきて、その後ヨーロッパ全土に広がったと考えている。中世ヨーロッパではメロンは甘いものということは知られており、甘くて食味の良いメロンも作られていたとみられているが、一方では栽培技術が未熟であったため、メロンは味気ないものという評価もなされていた。ルネサンスのころに南フランスでカンタルー種のような甘い品種が作られるようになり、メロンは野菜の仲間ではなくなっていった』。『近東と中央アジアなどのシルクロード沿いのオアシスでは、栽培環境が整った上に最高品質のメロンが採れ、その種を取引する市場となっていた』。十『世紀にアラビア語による最古の料理書を編纂したアル=ワッラークは、多様なメロンについて執筆しており、中でも中国産メロンについて「蜂蜜のように甘く、麝香のような芳香を持つ」と評している』。六『世紀の中国で書かれた農書にはメロンの栽培法について解説されており』「西遊記」『の三蔵法師で知られる』七『世紀唐代の仏僧・玄奘は、旅先のインド滞在記にメロンについても記録を残している』。十三『世紀』に『モンゴル帝国のシルクロードを旅したマルコ・ポーロは、ペルシアやアフガニスタンで栽培・日干し保存加工されている甘いメロンについて最高のものだと書き、メロンの評判を呼んでいた』。十四『世紀後半に中央アジアを支配したティムールを訪問したスペイン使節団は、中央アジアで食べたメロンの味に魅了され「すばらしく非常に美味しい」と評した』とある。
次いで、本邦の「マクワウリ」のウィキを、最低、必要と感ずる部分のみを引く(注記号はカットした。太字・下線は私が附した)。『マクワウリ(真桑瓜、英名:Oriental melon、学名:Cucumis melo var. makuwa )は、ウリ科キュウリ属のつる性一年草、雌雄同株の植物。メロンの一変種で果実は食用する。南アジア原産。季語は夏。日本では西洋メロンの導入以前より多数の農家で生産されて来た安価な庶民のメロンで、自然な甘味と歯触りが良いのが特徴である。マクワウリのことを「ウリ」とも言う』。『メロンの亜種で糖度は低いが、甘い瓜である。大量生産が容易で、市場では普段使いの野菜として安価に取り引きされ、昭和までは手頃な甘味として親しまれていた。平成以降は生産技術の向上でネット系メロンが安価になり、農家の減少も重なり、一般的には販売される代替品のマクワウリを食べる機会は少なくなっている。種としてのメロン ( Cucumis melo ) は北アフリカや中近東地方の原産であり、紀元前』二〇〇〇『年頃に栽培が始まった。そのうち、特に西方に伝わった品種群をメロンと呼び、東方に伝わった品種群を瓜(ウリ)と呼ぶ。マクワウリもその一つで南アジア原産とされる。日本で古くから栽培されているマクワウリは、オリエンタルメロンと呼ばれる小型メロンの仲間である。この系統のウリが日本列島に渡来したのは古く、縄文時代早期の遺跡(唐古・鍵遺跡)から種子が発見されている』。『日本におけるマクワウリの栽培史は』二十『世紀初頭に導入されたメロンより遥かに長く』、二『世紀頃から美濃国(岐阜県南部)真桑村(のちの真正町、現:本巣市)が良品の産地であった。マクワウリの名前は名産地の真桑村に由来する。奈良時代末期に成立されたという』「万葉集」『にも登場し、歌に詠まれている』。『古くから日本で食用にされ、古くは「うり」と言えばマクワウリを指すものだった。現在の甘い「メロン」が一般的になる昭和中期までは、マクワウリのことを「メロン」と呼んでいた。他、アジウリ(味瓜)、ボンテンウリ(梵天瓜)、ミヤコウリ(都瓜)、アマウリ(甘瓜)、カンロ(甘露)、テンカ(甜瓜)、カラウリ(唐瓜)、ナシウリ(梨瓜)といった様々な名称で呼ばれる』。『品種が多く、果実も様々な色や形のものがある。代表的なものはアメリカンフットボールのような形』である。
以下、「マクワウリと西洋メロン」の項。『ネット系の西洋メロンが日本の市場に流通するのは』大正一四(一九二五)年『以降、マスクメロン』(アールスフェボリット(Earl's Favourite)=アールスフェボリットメロン(アールスメロン:網メロンの代表品種である。略してアールスメロンとも呼ばれる。詳しくはウィキの「マスクメロン」の見られたい)『の温室栽培に成功してからである。しかし』、『当初は一般家庭には手の届かない高級品であり、庶民はもっぱら安いマクワウリを食べていた。マクワウリに続いて導入された、ハネデューメロンやホームランメロン等のノーネットメロンは美しい網目の形成が不要で大量生産を行いやすいため安価に流通する傾向にあり、庶民の家庭では普段使い用に重宝されている』。
以下、「利用」と「栽培」の項。マクワウリは、『食用とする果実は香りが良く、果肉がややかための食感で、さっぱりした甘味がある。食材としての主な旬は』七~九『月とされ、全体に色が均一で重みのあるものが市場価値の高い良品とされる。放射状に切って先割れスプーンなどですくったり、そのままかぶりついたりして食べるが、大型のネットメロンほどの甘味は無い。浅漬けや糠漬けにもされ』、『お盆のお供えとしてよく使われる』。『カリウムが他の果物に比べて特に豊富に含まれおり、利尿作用により体内水分のバランスを整えるほか、高血圧や動脈硬化、糖尿病の予防に効果が期待できるといわれている。その他、ビタミンCや、貧血予防に役立つといわれる葉酸も比較的多く含まれている』。『栽培難度は』普通『で、栽培期間は』五~八『月、苗の植え付けは晩春(』五『月中旬)に行い、夏期(』六『月下旬 』から八『月上旬)に収穫する。寒さに弱い高温性植物で、栽培適温は』摂氏二十五~三十『度とされる。連作障害があるため、ウリ科作物を』二~三『年作っていない畑で栽培する。家庭菜園や植物の解説ではメロンに準じて扱われる』。『畑は元肥を入れて良く耕しておき、高さ』五~十『センチメートル、幅』一『メートルの畝を作り、十分に暖かくなった晩春に苗を植え付ける。定植時の株間は』一『メートル程度とし、根浅性のため深植は厳禁とされる。初夏から夏期にかけては生長期で、つるが伸びたら本葉』五、六『枚で親づるを摘芯して、小づるを』三『本』、『伸ばすようにする。さらに小づるが伸びて本葉が』十五~二十『枚の』頃『に摘芯して、孫づるに実をつけるようにする。果実がつき始めたら、早めに摘果を行って』、一『株あたり』六~八『個の果実が残るように育てられる。追肥は』、二『週間に』一『度の間隔で行われる。夏期に実が十分に膨らんで大きくなったら』、『収穫の目安となり、開花後』四十~五十『日目で果実は成熟する』。
以下、「品種」及び「交配種」の項であるが、前者冒頭の「銀泉まくわ」のみを引く。江戸中期に遡れるかどうかが、記載からは、判らないからで、いちいち、調べて検証する気は私には、ない。悪しからず。『多くの品種があり、色や形はさまざまである。果実の形は俵形をしているものが多く、果皮の色については黄色系・緑色系・白色系の』三『色の系統があり、代表的なものは果皮が黄色系で果肉が白色である。品種改良が進み、糖度の高いものも市場に流通しており、他種との交配で作出されたプリンスメロンがよく知られている』とある。
「韓瓜《からうり》」現行では、韓国で本種マクワウリを指す。或いは、比較的古くに伝来した古い個体群か。
「阿古陀瓜(あこだ《うり》)」小学館「日本国語大辞典」によれば、『ウリ科の蔓性一年草。茎、葉、花はカボチャによく似ているが』、『果実はやや小さく、長さ約』十八『センチメートル、円形あるいは長楕円形。果皮は光沢のある赤色で条紋がない。味は淡泊で食用に適しない。あこだ。金南瓜(きんとうが)。』とあり、初出例には「狭衣物語」(平安中期末成立か)を引く。学名は、ウリ科カボチャ属ペポカボチャ Cucurbita pepo var.kintogwa 。参考した「内外植物wiki」の「キントウガ」に(画像(手書き絵)が二葉有り)、『ヨーロッパより渡来した品種で』、『トウナス』=カボチャ『と同樣』、『畑地に栽培する蔓性の一年生草本である。形はトウナスに似ているが』、『果実は長楕円形で赤褐色に成熟し』、『其の表面はトウナスと比較して滑らかで光澤が有り、見た目が良いので、食料とするよりは』、『寧ろ』、『多くは果物店の装飾となるものである。ナタウリ』『の近縁種で、日本には江戸時代末期に渡来していることが「大和本草」や「本草図譜」で確認できる』。『近縁種に形態』・『大小』、『種々の變種があり、カザリカボチャやオモチャカボチャと呼ばれるものもある。その中には全く装飾品として愛玩するに留まり』、『食用にできないものもある』。『果実が球形のものはアコダウリと呼ばれ、こちらも観賞用にされる。ぼんぼりや甲冑などの日本の美術工芸品で』、『丸みを帯びて縦溝が入るものを阿古陀(あこだ)と称するが』、『この植物の果実の形状にちなむ』ものであるとある。
他の各個注は、今回は訓読内に割注・後注で示したので、これを以って、私の注は終わりとする。]
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