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2025/07/13

和漢三才圖會卷第九十 菰果類 西瓜

 

Suika

 

すいくは    寒瓜

 

西瓜

        俗云須以久波

        唐音之訛也

スユイ クハア﹅

 

本綱五代之先瓜種已入浙東伹無西瓜五代時胡嶠征

回紇得此種始入中國名曰西瓜北地多有之今則南北

皆有而南方者味稍不及也二月下種以牛糞覆而種之

蔓生花葉皆如甜瓜七八月實熟有圍及徑尺者長至二

尺者其稜或有或無其色或青或綠其瓤或白或紅紅者

味尤勝其子或黃或紅或黒或白白者味更劣其味有甘

有淡有酸酸者爲下以瓜劃破曝日中少頃食卽冷如水

也得酒氣近糯米卽昜爛貓踏之卽昜沙食西瓜後食其

子卽不噫瓜氣

西瓜瓤【甘淡寒】 止煩渴解暑熱利小水治血痢解酒毒有

 天生白虎湯號然亦不宜多食【多食昜至霍亂冷病終身胃弱者不可食】西

 瓜油餠同食損脾

西瓜子【甘寒】 曝裂取仁生食炒熟俱佳皮不堪食亦

 可𮔉煎醬藏口舌唇內生瘡者西瓜燒硏噙之

△按西瓜慶安中黃檗隱元入朝時擕西瓜扁豆等之種

[やぶちゃん注:「擕」原文では、(てへん)を除去した「グリフウィキ」のこれであるが、表示出来ないので、この異体字を採った。]

 來始種於長崎然亦惡青臭氣或瓤汁赤色以爲似血

 肉兒女特不食今則𠙚𠙚多有之貴賤老幼皆嗜之而

 武陽之產最良攝州鳴尾亦美瓤赤𤬓黑者爲上其瓤

 近皮𠙚白色而味淡故不堪食乃連皮藏糟爲香物或

 煮食亦佳凡熟者敲之音和如中虛未熟者音硬如中

 實也

一種正圓而稍小瓤正赤味甚甜其皮及白肉薄近頃出

 之俗呼曰韓西瓜然瓤沙而不如常西瓜之柔潤

西爪與蕎麥同食傷人至死者亦多【詳于蕎麥下】

古今醫統云西瓜懸髙𠙚收之不壞若當掃帚風則壞也

 東瓜亦然


やうけいくは

楊溪瓜

本綱楊溪瓜秋生冬熟形畧長扁而大瓤色如臙脂味勝

可留至次年

 

   *

 

すいくは    寒瓜

 

西瓜

        俗、云ふ、「須以久波」。

        唐音の訛《なまり》なり。

スユイ クハア﹅

 

「本綱」に曰はく、『五代の先《さき》に、瓜の種《たね》は、已《すで》に浙東《せつとう》に入《いり》て、伹《ただ》、西瓜、無し。五代[やぶちゃん注:唐朝滅亡の九〇七年から。後の宋朝が興った九六〇年までの間、「中原」の広域に限って興亡した後梁・後唐・後晋・後漢・後周の五つの王朝の時代を指す。]の時に、胡嶠《こきやう》、回紇《かいこつ/ウイグル》を征《せい》して、此の種《たね》を得て、始《はじめ》て中國に入り、名《なづけ》て「西瓜」と曰ふ。北地《ほくち》に多《おほく》、之れ、有り。今は、則ち、南北、皆、有りて、南方の者は、味、稍《やや》、及ばざるなり。二月、種を下《くだ》し、牛糞《ぎゆうふん》を以て、覆《おほひ》て、之《これを》種《うう》。蔓、生ず。花・葉、皆、甜瓜《てんくは》のごとく、七、八月、實、熟す。圍《めぐり》、及《および》、徑《わた》り、尺なる者、長《た》け、二尺に至る者、有り。其《それ》、稜《かど》、或《あるいは》、有り、或≪は≫、無く、其《その》色、或は、青、或≪は≫綠り。其≪の≫瓤《なかご》、或≪は≫白く、或≪は≫紅《くれなゐ》なり。紅なる者、味、尤《もつとも》、勝《まされ》り。其《その》子《み》、或は黃、或≪は≫紅、或≪は≫黒く、或は白し。白き者、味、更《さらに》、劣れり。其≪の≫味、甘≪き≫有《あり》、淡《あはき》有り、酸《しつぱき》有り。酸き者を下と爲す。瓜を以《もつて》、劃-破《わりやぶり》、日中《になか》に曝《さら》し、少-頃(しばらくあ)りて、食へば、卽《すなはち》、冷《ひえ》て、水のごときなり。酒氣を得《え》、糯米《もちごめ》に近《ちかづ》くれば、卽《すなはち》、爛れ昜し。貓《ねこ》、之≪れを≫踏めば、卽≪すなはち≫、沙(じやきつ)き昜し。西瓜を食《くひ》て後《のち》、其《その》子《たね》を食へば、卽≪すなはち≫、瓜の氣(かざ)を噫(をくび[やぶちゃん注:ママ。])せず[やぶちゃん注:瓜の匂いの「げっぷ」をしないで済む。]。』≪と≫。

『西瓜の瓤(なかご)【甘、淡、寒。】』『煩渴《はんかつ》[やぶちゃん注:激しい渇(かわ)き。]を止め、暑熱を解し、小水を利し、血痢[やぶちゃん注:便に血が混じって出る症状。一般に赤痢を指す。]を治し、酒毒を解し、「天生白虎湯《てんせいびやくこたう》」の號《がう》、有り。然れども亦、多食、宜《よろ》しからず【多く食へば、霍亂に至り昜し。冷病≪となり≫、身を終はる。胃弱の者、食ふべからず。】西瓜と油餠と、同じく食ずれば、脾を損ず。』≪と≫。

『西瓜の子(み)【甘、寒。】』『曝《さら》し裂《さき》て、仁《にん》を取り、生《なま》にて食ふ。炒《いり》熟して、俱《とも》に佳なり。皮≪は≫、食ふに堪へず。亦、𮔉煎《みついり》・醬藏《しやうざう》[やぶちゃん注:醤油漬け。]にす。口・舌・唇の內に、瘡《かさ》、生ずる者、西瓜の皮≪を≫燒《やく》硏《けん》して、之≪を≫噙(ふく)む≪と、よし≫。』≪と≫。

△按ずるに、西瓜は、慶安[やぶちゃん注:良安の誤認。禅僧隱元隆琦の来日(当時は明末)は、慶安ではなく、次の年号である承応三(一六五四)年七月五日夜に長崎へ来港している。来日の経緯や宗派・事績は当該ウィキを参照されたい。]中《ちゆう》に、黃檗《わうばく》の、隱元、入朝の時、西瓜・扁豆(いんげん)等の種、擕(たづさ)へて來り、始《はじめ》て、長崎に種《う》う。然れども、亦、青臭き氣《かざ》を惡(にく)み、或は、瓤《なかご》≪の≫汁、赤色にて、以《もつて》、「血肉に似たり」と爲《な》して、兒女、特(と《く》)に[やぶちゃん注:原本は送り仮名が『トニ』である。国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版の当該部でも、その通りになっているが、「特」に「とくとに」と読みを振るのは、どう考えてもおかしいので、かくした。]食はず。今は、則《すなはち》、𠙚𠙚《しよしよ》に≪於いて≫、多《おほく》、之《これ》、有《あり》て、貴賤老幼、皆、之《これ》≪を≫、嗜(す)く。而《しかして》、武陽《ぶやう》[やぶちゃん注:江戸。]の產、最も良し。攝州鳴尾(《な》るを)、亦、美なり。瓤、赤く、𤬓(さね)、黑き者、上と爲《なす》。其《その》瓤、皮に近き𠙚《ところ》、白色≪に≫して、味、淡(みづくさ)に故《✕→みづくさき故に》、食ふに堪へず。乃《すなはち》、皮を連《つらね》て、糟《ぬか》に藏《おさめ》、香《かう》の物と爲《なし》、或《あるいは》、煮≪え≫食《くひ》ても亦、佳し。凡そ、熟する者は、之≪を≫敲(たゝ)くに、音(をと[やぶちゃん注:ママ。])和《やはらか》にして、中《なか》、虛《うつろ》なるがごとし。未だ熟ぜざる者、音、硬く、中實《ちゆうじつ》なり。

一種、正圓(まんまろ)にして、稍《やや》、小《ちさ》く、瓤、正赤《せいせき》。味、甚だ、甜《あま》く、其皮、及《および》、白≪き≫肉、薄し。近頃、之れを出≪だす≫。俗、呼《よん》で、「韓西瓜(から《すいか》」と曰《いふ》。然《しかれ》ども、瓤。沙(じやきつ)きて[やぶちゃん注:ジャリジャリとして。]、常《つね》の西瓜の柔潤《じふじゆん》なるの如《し》かず。

西爪と蕎麥と、同《おなじ》く食へば、人を傷《そこな》≪ひ≫、死に至る者、亦、多し【「蕎麥」の下《もと》に詳《くは》し。】。

「古今醫統」に云はく、『西瓜、髙き𠙚に懸《かけ》て、之≪を≫收《をさむ》れば、壞(そこ)ねず、若《も》し、掃帚(はゝき)の風に當《あた》れば、則《すなはち》、壞《こは》るなり。「東瓜《とうくわ》」も亦、然(《し》か)り。』≪と≫。


やうけいくは

楊溪瓜

「本綱」に曰はく、『楊溪瓜あり。秋、生じ、冬、熟す。形、畧《ほぼ》、長く扁《ひらた》にして、大なり。瓤、色、臙脂のごとく、味、勝れり。留《とどめ》て、次年に至るべし[やぶちゃん注:「採果して適切な保存をすると、次の年まで持つ」、或いは、「採果せずに、冬を越えても、翌年まで持つ」という意味のようである。後注参照。]。

 

[やぶちゃん注:西瓜は、日中ともに、

双子葉植物綱ウリ目ウリ科スイカ属スイカ Citrullus lanatus

である。当該ウィキを引く(注記号はカットし、必要を認めないものは、指示なしで省略した)。『原産は、熱帯アフリカのサバンナ地帯や砂漠地帯で、紀元前』四〇〇〇『年代には既に栽培されていたとされる。西瓜の漢字は中国語の西瓜(北京語:シーグァ xīguā)に由来する。日本語のスイカは「西瓜」の唐音である。中国の西方(中央アジア)から伝来した瓜とされるため』、『この名称が付いた』。『夏に球形または楕円形の甘味を持つ果実を付け、緑に黒の縞模様のほか、縞がないものや深緑のものなどさまざまな品種がある。果実は園芸分野では果菜(野菜)とされるが、青果市場での取り扱いや、栄養学上の分類では果実的野菜に分類される』。『原産地は熱帯アフリカで、南アフリカ中央部カラハリ砂漠と周辺サバンナともいわれている。現代において世界各地で主に栽培されているスイカ』『の原種は、アフリカ北東部コルドファン地方(スーダン)産』『である可能性が高い。他にアフリカ北東部原産のCitrullus lanatus var. colocynthoides、西アフリカ原産のエグシメロン』 Citrullus colocynthis 『など』、『様々な説が存在する。紀元前』四〇〇〇『年代にはすでに栽培されていたとみられている。リビアでは』五千『年前の集落の遺跡よりスイカの種が見つかっていることから、それよりも以前から品種改良が行われていたことが判明している』。『古代エジプトの』四千『年前の壁画にスイカが描かれているが、当時は』実ではなく『種子の』方『を食べていたとみられている。ツタンカーメンの墳墓等』、四千『年以上前の遺跡から種が発見されており、各種壁画にも原種の球形ではなく』、『栽培種特有の楕円形をしたスイカが描かれている』。『また』、『この頃、アフリカ南部のカラハリ砂漠で栽培されるシトロンメロン』(citron melon Citrullus amarus ))『が発明された。スイカの学名』『の』種小名『 lanatus はラテン語で「毛の多い」を意味しており、本来はシトロンメロンを指すものであった。このシトロンメロンがスイカの祖先であったという意見もある』。『紀元前』五〇〇『年頃には地中海を通じヨーロッパ南部へ伝来。地中海の乾燥地帯での栽培が続けられるうちに果実を食べる植物として発達した。ヒポクラテスやディオスコリデスは医薬品としてスイカについて言及している。古代ローマでは大プリニウスが』「博物誌」『で強力な解熱効果がある食品としてスイカを紹介している。古代イスラエルでは「アヴァッティヒム(avattihim)」という名で貢税対象として扱われ、さらに紀元後』二〇〇『年頃に書かれた文献の中でイチジク、ブドウ、ザクロと同じ仲間に分類されていることから、既に甘味嗜好品として品種改良に成功していたことが窺える。もっとも、地中海世界で普及したスイカは』、『黒皮または無地皮のものが一般的だった。また』、『この頃の文献では「熟したスイカの果肉は黄色」と記述されており』、四二五『年頃のイスラエルのモザイク画にもオレンジがかったスイカの断面が描かれており、こちらもやはりオレンジがかった黄色い果肉が描かれている。スイカは糖度を決定する遺伝子と果肉を赤くする遺伝子とがペアになっているため、まだ現代品種ほど甘くはなかったことが推察される。果肉が赤いスイカが描かれた最初期の資料は』十四『世紀のイタリア語版』「健康全書」『であり、楕円形で緑色の筋の入ったスイカが収穫される様子や』、『赤い断面を晒して販売されるスイカの図が描かれている』。

以下、本邦への渡来について。『日本に伝わった時期は定かでないが、西方から中国(唐)に伝わったスイカが、平安時代に日本に渡った』(☜)『といわれている』。しかし、『天正』七(一五七九)『年』に、『ポルトガル人が長崎にカボチャとスイカの種を持ち込んだ説や』、本文にある通り、『隠元禅師が清から種を持ち込んだ説がある』。宮崎安貞著になる出版された日本最古の農書「農業全書」(元禄一〇(一六九七)年刊)『では』、「西瓜ハ昔ハ日本になし、寬永の末初(はじめ)て其種子來り、其後やうやく諸州にひろまる。」『と記されている』。『一方』、「和漢三才圖會」『では』、『慶安年間』(一六四八年~一六五二年)『に隠元禅師が中国大陸から持ち帰った説をとっている』(ウィキの執筆者は良安の誤りを、そのままに引用してしまっている)。しかし、『平安時代末期から鎌倉時代初期に成立したとされる国宝』「鳥獸人物戱畫」『には、僧侶の装束をまとったサルのもとにウサギが縞模様をした作物を運んでいる姿が描かれた図絵があり、これが確認できる日本最古のスイカらしきものと言われている』(☜ウィキの「鳥獣人物戯画・甲巻:法要と僧供の場面」の画像を最大にして左中央。しかし、これ、マクワウリと比定同定してもおかしくない。寧ろ、二つのスイカらしく見えるものの真ん中にあるのは、明らかに白・黄のマクワウリではないか!。『江戸時代初期には栽培が広がりを見せ』、先の「農業全書」』には、『「肉赤く味勝れたり」と記述された。初期のスイカは黒皮系の品種で』、『江戸時代にはすでに販売されていた。日本全国に広まったのは江戸時代後期である』とある。

 なお、「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「卷三十三」の「果之五【蓏類九種内附一種】」の「西𤓰」([081-6b]以下)のパッチワークである。

「胡嶠」(生没年未詳)五代の後晋時代の華陽(現在の安徽省鶏西市華陽鎮)の人。後金の時代には通州河陽県(現在の陝西省河陽市)の県令を務めた。九四七年、胡嶠は宣武軍太守蕭寒の書記を務め、軍に従って、契丹に入り、スイカを食べた。これは漢人がスイカを食べた最初の記録である。蕭寒が殺害された後、胡喬は、七年間、契丹に住み、九五三年に中原に戻った。著書に「捕虜記」・「梁朝名畫錄」がある(以上は「維基百科」の彼の記載に従った)。

「古今醫統」複数回既出既注だが、再掲すると、明の医家徐春甫(一五二〇年~一五九六)によって編纂された一種の以下百科事典。全百巻。「東邦大学」の「額田記念東邦大学資料室」公式サイト内のこちらによれば、『歴代の医聖の事跡の紹介からはじまり、漢方、鍼灸、易学、気学、薬物療法などを解説。巻末に疾病の予防や日常の養生法を述べている。分類された病名のもとに、病理、治療法、薬物処方という構成になっている』。『対象は、内科、外科、小児科、産婦人科、精神医学、眼科、耳鼻咽喉科、口腔・歯科など広範囲にわたる』とある。

「楊溪瓜」中文の百科三種でも掛かってこない。東洋文庫後注には、『冬瓜のことか。また台湾の西瓜を東瓜という、ともいう。台湾では西瓜は秋に種え』、『十月に採り入れて十二月の廟祭に供する。台湾は中国の海東にあるので、この西瓜を東瓜という。』とあった。これは、

ウリ科トウガン属トウガン品種トウガン Benincasa pruriens f. hispida

である。当該ウィキを引く(注記号はカットした。太字は私が附した)。『ウリ科のつる性一年草、雌雄同株の植物。果実を食用する夏野菜。秋の季語。実は夏に収穫され、冬まで貯蔵することができるため』、『冬瓜とよばれる。果肉はやわらかく、淡泊な味わいで』、『煮物料理などに使われる』。『和名トウガンの由来は、夏季が旬の野菜であるが、丸(玉)のまま保存すれば冬まで日持ちすることから「冬瓜」(とうが)の名がつき、それが転訛して「とうがん」とよばれるようになった』。『別名、トウガ、カモウリ(氈瓜・加茂瓜・賀茂瓜)とも呼び、石川県、富山県ではカモリ、沖縄県ではシブイと言う。英名はホワイト・ゴード(white gourd)、あるいはウインター・メロン(winter melon)といい、仏名は、クルジュ・シルーズ(courge cireuse)、中国植物名は冬瓜(とうが、拼音: dōngguā、ドォングゥア)という』。『原産は熱帯アジア、インド、東南アジアといわれる。日本には、古代中国から渡来し、畑で栽培されていた。日本での栽培は平安時代成立の『本草和名』に「カモウリ」として記載があり、同時代に入っていたが』、『渡来詳細は明らかになっていない。主産地は宮崎県、茨城県、愛知県』。『一年生のつる植物で、茎は地面を這って長く伸びて、無色の毛が生えていて、巻きひげがある』。『葉は大型の浅く』五~七『裂した丸形で、掌状になっている』。『花期は夏』八~九月頃『で、葉腋に直径』七・五~十『センチメートル』『 のヘチマに似た黄色い花を咲かせる。同株異花で、雄花と雌花があり、雌花に果実がつく。果実は偏球形または』三十~五十センチメートル『ほどの長楕円形で、はじめは触ると痛いほどの白い毛で覆われているが、熟すころになると毛は落ちて、ブルームが析出して白い粉が被ったようになる』。七~九『月に収穫し、実は大きいもので短径』三十センチメートル、『長径』八十センチメートル『程度にもなる』。『完熟後皮が硬くなり、貯蔵性に優れる』。『完全に熟したトウガンは約半年』、『品質を保つという』。『栽培品種は、丸みのある球型の「マルトウガン(丸冬瓜)」と、長さや俵のような長楕円形の「ナガトウガン(長冬瓜)」に大別される。大きさは』十キログラム『を超える巨大果から』、二『キログラムから』三『キログラムの手頃なミニサイズまで幅広い。また』、『特徴的な品種に完熟しても白粉をおびない「オキナワトウガン(沖縄冬瓜)」がある』。以下、「品種」の項であるが、省略する。以下、「栽培」の項。『早春に種をまき、晩春に苗を植え付け、夏に実を収穫する果菜で、ウリ科野菜の中では生育期間が長い方である。高温性で、生育適温は』摂氏二十五~三十『度、夜間』十八『度以上で、温暖な地域が栽培の適地である。耐暑や耐寒は強い方である。土質に対する適応性も広く、強健であるため』、『栽培はしやすい』。『苗を作る場合、種皮がかたいため種をまく前に』十『時間ほど水につけて吸水させてから育苗ポットにまき、保温しながら本葉』四~五『枚の苗に仕上げる。畑は幅』六十センチメートル『ほどの畝をつくり、植え付け』、二『週間くらい前に元肥をすき込んで』、『よく耕しておく。トウガンは低温を嫌うため、畝にマルチングして地温を上げておいた上で苗を定植し、生育初期はホットキャップなどで保温する。親づるが伸びて』四~五『節で摘芯し、子づるを』四『本ほど伸ばして敷き藁を行い、過繁茂になりやすいため』、『整枝を入念に行う。雌花のつきは少ない方なので、混み合う孫づるは掻き取って、茎葉が茂りすぎないように肥料を控えめに育てていく。トウガンは雌雄異花の虫媒花のため、人工授粉を行って確実な着果を行う。果実がつき始めたら、実を太らせるために』、『畝の両側に化成肥料で追肥を行って土寄せをする。トウガンは収穫できる期間が長く、好みの時期に収穫できる野菜である。果実を若取りするときは開花後』二十五~三十『日、完熟取りするときは開花後』四十五~五十『日ぐらいが収穫の目安になる。果実は表面に産毛がある品種とない品種があるが、産毛がある品種では肥大が終わって』、『果実表面の産毛が落ち』、『果実に重みが出てきてから収穫する。完熟果は貯蔵性が高く』、十『度くらいの日陰に置いておくだけで、冬から春にかけて利用することができる』。以下、「栄養素」だが、カットするが、最後の『果実に含まれるウリ科特有の苦味成分ククルビタシンは、飲食すると吐き気を催す作用がある』は示しておく。『果実は主に食用され、成分的には』九十五『%以上が水分で栄養価の面ではあまり評価されていないが』、百グラム『あたり』十六キロカロリー『と低カロリーとなっており、食べ応えもあることからダイエット向きの食材といわれている。食材としての旬は夏(』七~九『月)で、果皮に傷がなく、全体に白い粉状のもの(ブルーム)が吹いていて、重量感があるものが良品とされる。中国では、体温を下げて利尿効果がある野菜として、薬膳料理において、よい効果が期待できるとされている』。『類似のユウガオよりやや果肉は硬め、味は控えめでクセがないので、煮物、汁物、漬物、酢の物、和え物、あんかけ、など様々な具に用いる。トウガンは果皮がかたく、皮を剥いて種を除いて果肉の軟らかい食感を楽しむ。見栄えをよくするときや』、『煮崩れを防ぐ場合では、皮の緑が少し残るぐらいに薄く皮を剥いて調理すると翡翠のような美しい緑色に仕上がる。このとき、重曹をまぶして下茹でしておくと口当たりがよくなる』。『果実を丸のまま長期保存する場合は、ヘタを上にして立てて、風通しのよい日陰の場所においておくと数か月はもつ。切り口を入れた場合は、切り口をラップなどで密着して包み、冷蔵庫に保管すれば』一『日程度は持つ』。『代表的な料理は煮込みとスープで、煮ると透き通るような色合いになり、淡泊な味わいをもつため、旨味の出る出汁や動物性素材と合わせた料理に向いている。日本料理では大きく切って風呂吹きに使う。広東料理では大きいまま、中をくりぬいて刻んだ魚介類、中国ハム、シイタケなどの具とスープを入れ、全体を蒸した「冬瓜盅(トンクワチョン)」(zh:冬瓜盅)という宴会料理がある。台湾では果実を砂糖を加えた水で煮込んだものを「冬瓜茶」として、茶(茶外茶)の一種として飲む。缶入り飲料もある』。『料理以外でも砂糖漬けにしたり、シロップで煮た後砂糖をからめて菓子にしたりする』。『果実以外にも、果皮をユウガオの代用食材としてかんぴょうに用いる。また若葉・柔らかい蔓は、炒め物などに用いることができる』。以下、「薬用」の項。『初霜が降りたころが採集期で、完熟果の外皮を除いて、内皮を薄切りにして日干しした冬瓜皮(とうがんひ、とうがひ)や、種子を水洗いしてから日干しした冬瓜子(とうがんし、とうがし)と称されるものが生薬になり、薬用にされる。漢方では、冬瓜子を緩下、利尿、消炎の目的で、大黄牡丹皮湯(だいおうぼたんぴとう)などの処方に配剤している。果実に含まれるカリウムは、体内の余分なナトリウムを排出する働きがあり、血圧上昇をコントロールして、高血圧症予防に役立つといわれ、浮腫の解消にも効果的である』。『民間療法では、腫れ物や浮腫取りに、冬瓜子は』一『日量』五~十『グラムを、冬瓜皮の場合では』一『日量』十『グラムほどを、約』六百『ccの水で半量になるまで煎じて』、一『日』三『回に分けて服用する用法が知られている。そばかす取りに、冬瓜子と白桃花(はくとうか)の粉末を、それぞれ同量の割合で蜂蜜でクリーム状に練ってつけるとよいといわれている』。『身体を冷やす作用があり』、『冷え症の人は服用禁忌とされ、加えて排泄作用が強いため下痢や頻尿の起きやすい人は食べ過ぎに注意が必要である。逆に』、『のぼせ症や膀胱炎の解消、手足の浮腫を改善させる効果がある』とある。]

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