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2025/07/18

和漢三才圖會卷第九十 菰果類 甘𬞈

 

Satoukibi

 

[やぶちゃん字注:標題以下、本文中の「𬞈」は「蔗」の異体字。]

 

さたうの木  竿𬞈《かんしや》 藷【音遮】

かんしや

 

甘𬞈     沙糖

 

カン チヱ﹅

 

本綱甘𬞈江東浙江閩廣湖南四川皆有之而四川及嶺

南者爲勝皆畦種叢生最困地力莖似竹而內實大者圍

數寸長六七尺根下節宻以漸而疎抽葉如蘆葉而大長

三四尺扶踈四埀八九月收莖可留凡草皆正生嫡出惟

𬞈側種根上𬞈出故字從庻有四種

杜𬞈 【一名竹𬞈】其莖粗而長皮薄味極醇厚用可作餹霜

荻𬞈 【一名芳𬞈又名蠟𬞈】其莖細短而節疎亦可作沙餹

紅𬞈 【一名紫𬞈崑崙𬞈也】止可生啖不堪作餹

西𬞈 作糖霜色淺

 凡𬞈搾漿飮固佳又不若咀嚼之味雋永也至北地者

 荻𬞈多而竹𬞈少也

𬞈漿【甘寒】下氣助脾氣利大小腸消痰止渴解酒毒

 煎鍊成餹則甘温助酒爲熱是生熟之異也

 甘草遇火則熱 麻油遇火則冷 甘𬞈煎飴則熱

 水成湯則冷 如此物性之異醫者可不知乎

 

    *

 

さたうの木  竿𬞈《かんしや》 藷【音「遮」。】

かんしや

 

甘𬞈    沙糖

 

カン チヱ﹅

 

「本綱」に曰はく、『甘𬞈《かんしや》は江東・浙江・閩廣《びんくわう》[やぶちゃん注:閩南と広東。現在の福建省南部及び広西チワン族自治区と、広東省の広域に当たる。]・湖南・四川、皆、之《これ》、有《あり》て、四川、及《および》、嶺南[やぶちゃん注:現在の広東・広西省。]の者、勝れりと爲《なす》。皆、畦(うね)を種(つ)くりて、叢生す。最《もつとも》、地力を困《つかれ》しむ。莖は、竹に似て、內實《ないじつ》す[やぶちゃん注:茎の部分は内部が詰まった竹のような髓(ずい)になっていることを指す。]。大なる者、圍《めぐり》、數寸、長さ、六、七尺。根の下の節《ふし》、宻(こまや)かにして、≪上へ向ひて≫、以《もつて》、漸(そろそろ)として、疎(うと)く[やぶちゃん注:茎の先の方の髓が疎らになって細くなっており。]、≪その先より、≫葉を抽《ぬきんで》て、蘆(あし)の葉のごとくにして、大《だい》なり。長さ、三、四尺。扶踈《ふそ》[やぶちゃん注:枝葉が広がること。]して、四《よ》もに[やぶちゃん注:四方に。]埀《た》る。八、九月に、莖を收《をさめ》て、留《とりをさ》む。凡そ、≪通常なる≫草は、皆、≪根の≫正≪しき所より≫生じて、嫡出《てきしゆつ》す[やぶちゃん注:ちゃんと生えるてくる。]。≪而れども、≫惟《た》だ、𬞈は、側《かたはら》の種《より延びたる》根の上に庻出《しよしゆつ》す[やぶちゃん注:もうお分かりと思うが、ヒトの嫡出子と庶子の違いで、この場合は、「正しい根からではなく、その脇の横に出た根(実際には総て地下茎)から生える」ということを言っているのである。]。故に、字、「庻」に從ふ。四種、有り。』≪と≫。

『杜𬞈《としや》』『【一名、「竹𬞈《ちくしや》」。】其《その》莖、粗《そ》にして、長し。皮、薄く、味、極《きはめ》て、醇厚《じゆんこう》[やぶちゃん注:味わいが、混じりけがなく、コクがある。香りがよく、芳醇である。]。用《もちひ》て、「餹霜《たうさう/しろざたう》」を作るべし。

『荻𬞈《てきしや》』『【一名、「芳𬞈」。又、「蠟𬞈」と名づく[やぶちゃん注:後者は返り点はないが、返して読んだ。]。】其《その》莖、細く短くして、節、疎《まばら》なり。亦、「沙餹」に作るべし。』≪と≫。

『紅𬞈』『【一名、「紫𬞈《ししや》」・「崑崙𬞈《こんろんしや》」なり。】止《た》だ、生《なま》にて啖《く》ふべし。餹《あめ》に作るに、堪へず。』≪と≫。

『西𬞈《さいしや》』『糖霜に作にて《✕→にす≪るも≫、》色、淺《あさ》し。』≪と≫。

 『凡そ、𬞈、漿(しる)を搾(しぼ)りて、飮む。固(もと)より、佳し《✕→佳けれども》、又、之を、咀-嚼(か)みて≪食ふに≫。味、雋永《せんえい》[やぶちゃん注:元は「肥えて旨い肉」の意から、「意味深長で味のあること」を言う語。「しょうえい」(現代仮名遣)とも読む。]なるに、若《し》かざるなり。北≪の≫地に至《いたり》ては、「荻𬞈《てきしや》」、多《おほく》して、「竹𬞈」、少《すくな》し。』≪と≫。

『𬞈漿《しやしやう》【甘、寒。】氣を下し、脾の氣を助け、大・小腸を利し、痰を消し、渴《かはき》を止め、酒毒を解す。』≪と≫。

 『煎鍊《せんれん》[やぶちゃん注:煎って練(ね)ること。]して、餹《あめ》と成る。則《すなはち》、甘、温にして、酒を助け、熱を爲《な》す。是れ、生《わかき》≪と≫熟《じゆくせる》の異《ちがひ》なり。

 『甘草は、火《ひ》に遇へば、則《すなはち》、熱《ねつ》≪と≫なり』、『麻油《あさあぶら》は、火に遇へば、則、冷《れい》≪となる≫』。『甘𬞈≪は≫、飴に煎ずれば、則、熱なり』。『水《みづ》は、湯と成さば、則、冷なり』。『此《かく》のごとく、物性の異、醫者、知らずんば、あるべけんや。』≪と≫。

 

[やぶちゃん注:これは、日中ともに、

単子葉植物綱イネ目イネ科サトウキビ属サトウキビ Saccharum officinarum

である。「維基百科」の同種は「秀貴甘蔗」の標題だが、冒頭に『甘蔗(學名:Saccharum officinarum)又名紅甘蔗』とある(記載は至って貧弱である)。本邦の当該ウィキを引く(注記号はカットした。太字・下線は私が附した)。『砂糖の原料になる。可食部となる茎は中身の詰まった竹のような見た目である』。『日本語の別名は甘蔗(かんしゃ、かんしょ)である。ただし、「かんしょ」は「甘藷」(サツマイモ)』(双子葉植物綱ナス目ヒルガオ科サツマイモ属サツマイモ Ipomoea batatas )『と同じ読みであり、サトウキビの産地とサツマイモの産地が重複していることもあって、紛らわしいため』、『あまり使われない。中国語では甘蔗(拼音: gānzhè ガンジョー)と呼ぶ』。『サトウキビから取れる蔗糖(スクロース)を甘蔗糖 (cane sugar)』(caneは音写「ケイン」で、「(籐(とう)・竹・棕櫚(シュロ)・サトウキビなど節(ふし)のある)茎・(キイチゴの)茎・用材としての籐類・籐製のステッキ・」軽い細身の)ステッキ・処罰用の鞭(むち)の意)『と呼ぶ』。『種子島では』、『おうぎ』、『奄美群島の徳之島では』、『うぎ』、沖縄方言では』、『ウージ』『と呼ばれている。これらはオギ(荻)が訛ったものであるが、オギはイネ科ススキ属であり』、『属が異なる植物である。産地では新聞の見出しなどでは、単に「キビ」と書かれることもある(同音のイネ科穀物については「キビ」参照)』。『学名の』『 Saccharum officinarum 』『は「薬局の砂糖」を意味する。製糖が伝播し』、『栽培が行われていた、カナリア諸島(大西洋上のスペイン領)などの』十五『世紀のヨーロッパで、薬局が砂糖を甘味料や薬として扱っていたことに由来する』。『テンサイ』(甜菜:双子葉植物綱ナデシコ目ヒユ科フダンソウ属テンサイ変亜種テンサイ Beta vulgaris ssp. vulgaris var. altissima)『と並んで砂糖(蔗糖)の原料となる農作物である。栽培種の起源はニューギニア島とその近くの島々と言われ、世界各地の熱帯、亜熱帯地域で広く栽培される』。『茎は竹のように木化し、節がある。茎の節間の内部は竹とは異なり空洞ではなく、糖分を含んだ髄となっている。茎は高さ』三メートル『にもなる。葉はトウモロコシのように幅広い線形である。秋には茎の先端からススキのような穂を出す』。『かつてはサトウキビ発祥の地は、現在のニューギニア島あたりで、紀元前』六千『年前後に現在のインド、さらに東南アジアに広まったといわれている。また、インドを原産とする文献もある。古代サンスクリット語による古文書の記載から、砂糖の精製は北インドが発祥ではないかとされている』。二〇〇二年『時点の世界生産量は』十二『億』九千『万トンという膨大な量に及び、世界の農作物で最も多い(小麦は同年』五『億』七千『万トン)。ブラジル』二十八・〇%、『インド』二十一・七%、『中国』六・四%『の順であるが、地域別に集計するとアジア州』が四十三・五%で、以下、『南アメリカ州、北アメリカ州の順となる』。『サトウキビは』C4型光合成(詳しくはリンク先のウィキを参照されたい)『と呼ばれるタイプの光合成を行う植物であり、栽培には十分な日照と、豊富な水源が必要である』。『日本での栽培地域は、南西諸島が特に多く沖縄県と奄美群島(鹿児島県)が大部分を占める。近代史の中では、薩摩藩の蓄財を南西諸島の島々のサトウキビが支えてきたとされる。その歴史から「維新を適」(かな)『えた」との評価も、沖縄・奄美諸島への厳しい支配・徴税との評価もともに見る必要がある』。『黒砂糖#歴史の「黒糖地獄」を参照』とある。『また、大隅諸島などの南九州、四国地方の高知県(黒潮町など)や愛媛県(四国中央市など)でも広く栽培されている。香川県(東かがわ市など)や徳島県(上板町など)では、和三盆という砂糖の原料として竹糖(ちくとう、たけとう)と呼ばれる茎が細いサトウキビが栽培されている。現在の日本国内におけるサトウキビの商業栽培の最北限は、四国から伝播した本州の遠州横須賀地区(静岡県掛川市南西部)』(この附近。グーグル・マップ・データ)『とみられるが、昭和』三十『年代までは南房総地域でサトウキビが栽培されていた歴史がある。ここで生産される砂糖は「横須賀白」』(よこすかしろ)『と称され、第二次世界大戦後に衰退したが』、一九八九『年から復活され、年』二十『トン程度つくられている。江戸時代、横須賀藩の武士が身分を隠して四国へ渡り、秘密扱いされていた製糖技術と苗を持ち帰ったのが起源と伝承されている』。『ただし、竹糖はシネンセ種( S. sinense )である』ため』『一般的なオフィシナルム種( S. officinarum )を使って和三盆と同じ製法で砂糖を製造しても』、『同じ味にはならない』。『九州・四国等の温帯地域で栽培されるサトウキビは、製糖の歩留まりが低い』ため、『農研機構は早生』(わせ)『系のサトウキビの品種改良を行って』二〇一一年『に本土向けサトウキビ育成品種として「黒海道(くろかいどう)」を発表している』。『作型は』、『春に植えて』、『その年の冬に収穫する春植え栽培と、夏に植えて』、『翌年の冬に収穫する夏植え栽培、そして収穫後の地下株から再び出る芽から栽培し収穫する株出し栽培がある。海外では植え付けを行うと、刈り入れまで』、『ほとんど』、『人手が入らないが、日本国内では植付けから収穫までの間は、雑草防除や発根を促進し地上部の倒伏を防ぎ養水分の吸収を盛んにする』ため、一~二『回』、『培土を行う。収穫の際は、まず』、『斧に似た農具で』、『生え際で切り倒し、別人が鎌を用いて茎に巻き付いている枯れ葉を除去し』、『先端部分を切り離す(先端部分は苗として利用する)。茎は適当に集めて置いておき、作業の終わり頃に搬送に適した量に結わえ付けて運搬車に載せる。そこまでは』、『ほとんど』、『人力で行われる。台湾・キューバ・ブラジルなど規模の大きい外国の生産地では専用の大型収穫機が使われるが、日本でも小型の収穫機械による収穫が広まっている。

以下、「利用」の項。『茎の髄を生食したり、搾った汁を製糖その他食品化学工業や工業用エタノール製造の原料とするなど多様な利用方法がある。沖縄県などで作られる黒糖のほか、四国地方で作られる白下糖』(しろしたとう:但し、この名で沖縄・鹿児島でも作られている)『と呼ばれる粗糖や、それを精製した上質の砂糖(和三盆)の原料もサトウキビである』。二十一『世紀初頭の原油価格高騰時は、燃料用バイオマスエタノール』(Biomass Ethanol)『の需要急増で、砂糖も高騰傾向にあった』。『生産地では茎の髄をそのまま噛んで食べたり、機械で汁を搾って飲んだりする(サトウキビジュース)。食べる時は外側の硬い皮を歯で剥き、中の白く糖分に富んだ部分(髄)を咬んで汁を啜り、カスを吐き出す』(私は、担任として行った沖縄修学旅行で、教え子の男子生徒がナマのサトウキビを食べていたので、「旨いか?」と聴いたところ、「先生も好きなだけ、かじっていいよ。」と言って呉れたので、食したが、実に爽やかな甘さだった。)『汁を搾って飲む場合は、同様に皮を剥いたあと手動や電動の搾汁機に差し込んで汁を搾る。搾ったままの汁はやや青臭いが、冷やしたりレモン汁やクエン酸を加えたりすると、より美味しくなる。東南アジアからインドにかけてのメジャーな清涼飲料である』。『ベトナム料理などでは、茎の皮を剥いた髄に、エビなどの練り物を付けて揚げたり焼いたりした料理がある』。『中国の四川料理には、サトウキビの髄を細く切り、魚などと共に辛い汁で煮る料理がある』。

以下、「燃料などへの加工」の項。『砂糖やラム製造時にサトウキビの絞りかす(バガス)』(フランス語:Bagasse)『が濃縮・蒸留の燃料としても利用されてきたが、廃糖蜜や搾りかすを原料にバイオ燃料開発も行われている。サトウキビを絞った汁から砂糖を取除いた液体は「廃糖蜜」(モラセス)』(英語:Molasses)『と呼ばれ、これを発酵させて』、『いわゆるバイオマスエタノールを取り出し、自動車燃料の一部として使う研究が行われている』。『また』、『廃糖蜜を原料に発酵させてグルタミン酸ナトリウムなどのアミノ酸を生産している。そのグルタミン酸を使いやすいように粉状にしたものが「味の素」等に代表されるうまみ調味料である』。『ブラジルでは』一九八〇『年代から自動車燃料等のアルコールへの転換が政府主導で進められており、燃料用のサトウキビを政府が一定価格で買い上げるため、それまで栽培されなかった地方でも栽培が増えている』。『日本でもバイオマスの一つとして、アサヒビールが研究を行い、品種改良された「モンスターケーン」と呼ばれる分蘖(ぶんげつ)』(イネ科などの植物の根元附近から新芽が伸びて株分かれすること)『数が多く』、『従来の』二『倍の収穫量があるとされているサトウキビの栽培が行われ、小規模のアルコール製造工場を沖縄に建設し、試験生産と自動車への試験運用を行っている』。『現在の日本では法令上、自動車燃料での利用はガソリンに』三%『という混合が限界であり、それ以上の混合率やアルコール単体の自動車での利用が認められていないが、宮古島市、伊江村においてバイオマス燃料に対する実証実験が行われており、この実験結果次第で自動車用燃料におけるアルコール比率の規制緩和が期待される』。他に、独立したウィキの「砂糖の歴史」も参考になる。しかし、もう、ダラダラと引用するのには、飽きたので(以上の引用との重複部も多い)、ご自身で読まれたい。

以下、「酒類原料」の項。『絞り汁や廃糖蜜が蒸留酒の原料として用いられる。世界的にはカリブ海周辺諸国発祥のラム酒が著名であり、原料を糖蜜とする蒸留酒をラム酒と総称することもある。他にはブラジルのカシャッサ(ピンガ)、タイのタイ・ウイスキー、日本の黒糖焼酎(奄美群島限定生産)や焼酎甲類の原料として用いられる。フィリピンでは、醸造酒のバシの原料として用いられる。ケニアでは絞り汁をソーセージノキの実と共に発酵させて造るムラチナ(Muratina)が知られている』。『サトウキビの絞りかすをバガス(英語:bagasse)という。製糖、蒸留の燃料にされる他、バガスからは、製紙用パルプ、フルフラール』(furfural:C5H4O2。芳香族アルデヒドの一種。石油化学においてジエン類を抽出する溶剤となり、炭化水素から合成ゴムを作る原料などに使われる)『の製造原料としての工業利用がなされているほか、蝋(サトウキビロウ)を採ることができ、オクタコサノール』(1-Octacosanol:植物の葉や、リンゴ・ブドウなどの果物の皮から発見されたアルコールの一種)『の分離も行われている。キクラゲ類の栽培用培地の原料として使用する場合も』ある、とあった。

  なお、「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「卷三十三」の「果之五【蓏類九種内附一種】」の「蘡薁」([081-12a]以下)のパッチワークである。

「杜𬞈《としや》」「竹𬞈《ちくしや》」中文の「百度教育」の「竹蔗」を見るに、そこには、按王灼の「糖霜譜」から引いて、「茎が緑色で、皮が薄く、非常にまろやかな味で、白砂糖精製するためにのみ使用される」と言った内容が書かれてある。しかし、以下の「荻𬞈《てきしや》」=「芳𬞈」=「蠟𬞈」

「紅𬞈」=「紫𬞈《ししや》」=「崑崙𬞈《こんろんしや》」

「西𬞈《さいしや》」

も、これらは、茎の色や、精製される砂糖の質等の個体的変異か、或いは、現行の品種に相当するものかも知れないとは思ったが、私が試しに探した限りでは、複数の中文サイトでは、現行の品種を同定する記載はなかった。

 諦めようと思った矢先、再度、本邦の記事を検索してみたところが、二つの興味深いページを発見した。一つは、

★「独立行政法人 農畜産業振興機構(エーリック 農畜産機構)」の「砂糖」の中の「内外の伝統的な砂糖製造法(4)」

であった。以下、後半部を引用させて戴く。著作者(発信元)は、『農畜産業振興機構 調査情報部 (担当:企画情報グループ)』とある。

   《引用開始》

『仰高録(ぎょうこうろ)』という史料に、享保12(1727)年に、薩摩藩の家臣である落合孫右衛門という人物が、さとうきびの植え方などのことを申し出て、幕府が管理している浜御殿(現在の浜離宮)でさとうきびを作ったとある。

 この落合孫右衛門という名前が、薩摩藩から奄美大島へ派遣された黍検者のなかにないかと探してみたが、見つからなかった。そこで、薩摩藩士名簿の類に名前がでてこないかと探した。名簿ではないが、かつて江戸の芝、皿子町にあった大円寺所蔵の過去帳の中に、落合孫右衛門の名を見つけた。「薩陽過去牒」は、主として明暦3(1657)年の振袖火事以後の薩摩藩出身者の過去帳である。

 過去帳なので、日付順で、その日付の中では、年号が若い順に、順次書き加えられている。三日のところに、「天明六丙午八月 中小姓 落合孫右衛門 證道祖卯居士」と、落合孫右衛門の名前が見える。天明六年は1786年であるので、享保12年に浜御殿で試植したとされる59年後であり、長寿であったとすれば年代的にはこの人物こそが、薩摩藩から幕府へ、さとうきびの植え付けを指導した人物であると考えられる。しかも、役職が「中小姓」であったことがわかる。以上のことから、江戸時代の日本でいち早く砂糖生産に成功をおさめた薩摩藩の藩士である落合孫右衛門という人物が実在していて、薩摩藩が幕府に手を貸したという事実が裏付けられたといえるだろう。

 薩摩藩というと、黒糖製造の独占販売というイメージがあるが、まだこの頃は、薬草や砂糖の「日本国を挙げて」の国産化へ向けて、協力する姿勢があったのではないだろうか。

 では、薩摩藩から浜御殿へもたらされたさとうきびの品種はどのようなものであったのか?

 さとうきびという植物は、米と同じイネ科であるが、苗作りのように籾を種として蒔くわけではない。「種」というと、丸みを帯びた形状の実をイメージするが、さとうきびの場合は、棒状の茎が「種」である(写真1)。また、根株も「種」になる。

 享保7(1722)年には幕府の医官となり、薬草の調査・研究を行っていた丹羽正伯は、享保20(1735)年に各藩の江戸留守居を呼び寄せ、各領内の産物の調査を要請し、絵図付きの『産物帳』を3年間で提出するように通達した。各領4から5冊として、200~300領からとすると、優に1000冊を超える日本初の産物帳である。しかし、幕府の文書を引き継いだ国会図書館や内閣文庫には、この一大『産物帳』が納められていないという。どこへ消えたかは謎である。しかし、提出する藩は、控えをとっているはずなので、それが、部分的に残っている藩もある。

 そこで、薩摩藩の産物帳に、さとうきびが描かれていないかと考えた。

 このころ薩摩藩は、日向国、大隅国、薩摩国を領しており、それらの国の産物帳の控えの一部が伝存している。

 砂糖生産に成功していた奄美大島、喜界島、徳之島などは、薩摩国領だったので、さとうきびが描かれていても不思議ではないのだが、残念ながら、薩摩国の分は、本文を欠いており絵図だけが残っているものの、落丁があるので、幕府へ提出した産物帳にさとうきびが載せられていたのか否かわからない。

 しかし、産物帳を作成するにあたって、薩摩藩の江戸留守居が、丹羽正伯に伺いをたてた時の記録が残っている。それによると、琉球の産物は除外していいこと、また琉球から渡来して領内で生育している産物も除外していいとの返答であった。したがって、奄美諸島に琉球から移植されたさとうきびは、そもそも描かれていなかった可能性が高い。

 この産物帳の提出から約30年後の明和5(1768)年、薩摩藩主島津重豪は、薩南諸島の動・植物の標本の採取と提出を求めた。2年後の明和7年に、集められた植物の標本は、本草学者で医師の坂上登(田村元雄)へ渡され、漢名との同定や解説が田村に依頼された。同年、『琉球産物志』として、彩色図と注記付きの15巻附録3巻の計18巻としてまとめられた。「琉球」と題するものの、主な産地は奄美大島(琉球大島)とされ、他に硫黄島、トカラ島、薩摩などで、約730品所収の薩南諸島の植物誌である。このなかに、さとうきびがあったのだ。「荻蔗」と「崑崙蔗(こんろんしょ)」という名前で、2種類が描かれている(写真2)(写真3)。

 「荻蔗」の注記には、「登按、茎高八九尺、其葉長三尺計、?茎汁煎錬為沙?有術 琉球土名沙?絵岐昆」とあり、茎を搾って汁を煎じて砂糖にする方法があるとしている。

 一方「崑崙蔗」の注記には、「本草載蔗有赤色者名崑崙蔗、登按比荻蔗其茎葉寛大而赤色多節 琉球土名真荻、薩州種島方言紫黍草」とあり、中国の薬学書である『本草綱目』に、赤い色があるのは崑崙蔗と名があることが紹介され、荻蔗よりも茎と葉が大きく、節に赤色が多いという特徴が記されている。

 享保年間に浜御殿へ試植されたのは、両種のさとうきび、あるいは一方のさとうきびではなかったか!?

 当時のさとうきびが現存していない今、彩色図によって、江戸へ試植されたさとうきびの姿を想像するしか術はないが、それでも描かれたものが残っていてよかった。

 この頃の薬草・本草・産物学を推進、研究された先人らへ、頭が下がる思いである。

   《引用終了》

画像があるので、是非、見られたい。

 さて、今一つは、

★「日本ローカーボ食研究会」の「砂糖についてのあれこれ(その3) 砂糖の歴史(中国編)」(安井医院・安井廣迪氏記)

である。全文を引用したい欲求に強く駆られるが、著作権を侵害するので、後半部を引かさせて戴く。

   《引用開始》

いずれにせよ、中国でも南のほうに産出したもののようです。また、これより後、サトウキビには、いくつかの種類があることが知られていきます。先に出てきた荻蔗もそうですが、そのほかに、竹蔗、西蔗、崑崙蔗などがあります。

『新修本草』の約50年後に、孟詵(621-713)が『食療本草』(710頃)という本を書いています。これは、食物を医学的に見てその効能を説いたもので、今で言う食事療法本のはしりと言えましょう。この本の中で、彼は次のように言っています。「甘蔗は、薬性は温で冷やさない。多く食べると心痛をおこし,長虫を生じ、体は痩せ歯を損ない,疳の虫を発する」。

孟詵は、医家であったばかりでなく、食事療法の専門家でもありましたので、食物の持つ特性を、通常の医者よりはるかに良く知っていたと思われます。この記載の中で、食べ過ぎると発症する疾患としてあげている「心痛」は冠動脈疾患かもしれませんし、「体は痩せ」は進行した糖尿病のようでもあります。何よりも「歯を損ない」は虫歯のこととしか考えられません。

食療本草の更に約50年後に書かれた (675-755)の『外台秘要』には、「口が渇いて水を多く飲み、小便も多く、脂がなく麸片に似ていて甘い味のするのは消渇である」と、糖尿病と思われる症候が記されていますが、砂糖との関係は述べられておらず、治療に甘蔗を用いる例として、「小便が赤く渋るものには、甘蔗を取り、皮を去り、汁を咀嚼し、これを咽にいれる。四絞り汁でもよい」と書いてあるだけです。

☆             ☆

 これらの本草書や医学書の記載は、その後の本草書に受け継がれ、図も添付されるようになりました。

時代は下り、宋の時代になって、1116年(政和6)に曹孝忠らが刊行した『政和新修経史証類備用本草』(通称『政和本草』)には、甘蔗の形をよくとらえた絵が掲載されています。

[やぶちゃん注:ここに「『政和新修経史証類備用本草』より甘蔗の図」というキャプションを添えた画像がある。]

 明代になり、1596年に刊行が開始された李時珍(1518-1593)の『本草綱目』は、『神農本草経』や『新修本草』や、それ以降の本草書の記載をほとんど全て取り入れて増補し、それまでの経験を踏まえた総合的な記載を行っています。

たとえば、「甘蔗は脾の果である。その漿(搾り汁)の味は甘く性質は寒で、(体の中の)熱を冷ますことができる。煎じて練り固めて糖にすると、性質が温になって体の中の湿熱を助長する。古くから、甘蔗の搾り汁は、口渇をいやし酒の毒を解すると言われている。」と書かれています、ただ、「昔、孟詵は酒と一緒に食べると痰が体内に生じると言ったが、酒の毒を消し熱を除く効果があることを知らなかったはずは無い」と、ここでは孟詵の意見に疑問を投げかけている部分も見られます。

清代になると、臨床的に簡便に利用される本草書がいくつも書かれました。それれらは、ほとんどが『本草綱目』の内容のダイジェスト版で、新しいことはほんのわずかしかありません。たとえば、1757年に呉儀洛によって書かれた『本草従新』も同じようなものですが、この本には、白沙糖のほかに紫沙糖(絞り汁を煎じて紫黒色になるまで錬ったもの)の項が設けられ、ここには「血を和す」作用があると述べられています。具体的には、「産後に服用すると血が和し、悪露が自然にめぐる」と書いてあります。

☆             ☆

 砂糖はその原植物の甘蔗を含めて、『神農本草経』以来、近世まで一貫して薬物として取り扱われてきました。しかし、薬品としてもそれほど使われたわけではなく、食品としても、家庭での食材の1つとして、蜂蜜や椰子糖と同じように用いられていただけのようです。

現在の中国では、砂糖を薬物として考えることは、ほとんどなくなっています。中医薬大学で使用される教科書には、甘蔗も沙糖も掲載されておりません。

砂糖は、近世において、西洋世界では世界史を動かすほどの世界的商品であったのですが、中国はその動きには無頓着でした。中国の伝統菓子に甘いものがほとんど無いのが、それを物語っています。

甘い砂糖よりもっと良いものがあったということでしょうか。

   《引用終了》

安井氏は、冒頭で、『中国には、砂糖の原料となる甘蔗(サトウキビ)は古代から存在しました。中国に生育している甘蔗は、世界中で栽培されている』 Saccahrum officinalis 『ではなく、ほとんどがシネンセ種』 Saccarum sinensis 『というやや茎の細い種です(一部は』 Saccarum spontaneum 『の可能性あり)。やはりインドから伝わったようです』。『中国において現存する最も古い薬物書である』「神農本草經」『(紀元200年頃までに成立)には、甘蔗がすでに記載されていました』とあった。

 以上の二篇の引用から、中国では、遙か古い時代に、サトウキビの品種として、時珍が記した四種が認識されており、確かに、現代の「品種」相当のものであることが判る。もし、これらの時珍の示したそれらの「品種」のうち、現代の学名種に相当するものが存在することを御存知の方は、是非とも御教授されたい。]

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