阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「飛神」
[やぶちゃん注:底本はここ。句読点・記号・段落を追加・変更した。]
「飛神《とびかみ》」 安倍郡府中、御在城の時にあり。「駿府政事錄」云《いはく》、『慶長二十年三月卅日、太神宮《たいじんぐう》、飛給《とびたまふ》由。禰宜《ねぎ》ト號《なづく》ル者、唐人《たうじん》ニ賴ミ、花火ヲ飛《とばす》ス。云云《うんぬん》』。
是、同十八年八月三日、唐人某《なにがし》、花火の功者《こうしや》たるに依《より》、召《めし》て、上覽の事、あり。此人、賴《たよら》れて、所々に火を飛《とば》して、「太神宮」と僞りたるか。
又、文化五年、府中御城內、大六天、飛《とび》て、二加番《にかばん》の町塲《まちば》、杜仲(まゆみ)のもとに留止《とめとどま》り玉ふ事、あり。其所《そこ》に幣《ぬさ》を建《たて》、石を、た﹅み、諸人《しよにん》、參詣して立願《りうぐわん》するに、しるしあり。今は、社《やしろ》も建ちて、奉納の幟《のぼり》、許多《あまた》あり。
[やぶちゃん注:「駿府政事錄」「奇火」の注を参照されたい。
「慶長二十年三月卅日」グレゴリオ暦一六一五年四月二十七日。なお、この慶長二十年七月十三日に、「元和」に改元している。
「太神宮」天照大御神であろう。
「同十八年八月三日」グレゴリオ暦一六一三年九月十七日。
「文化五年」一八〇九年。徳川家斉の治世。
「府中御城內、大六天」欲界六天の最高の第六の天界の名。他化自在天(たけじざいてん)。小学館「日本国語大辞典」に拠れば、『この天に生まれたものは他の作りだした楽事を受けて自由に自分の楽とするという。また』、『この天の髙所には別に』『魔王の住所があるとされた。』ともある。この神社は現存しない。
「二加番の町塲」サイト「静岡県歴史観光案内所」内の「静岡市: 二加番稲荷神社」に、『二加番稲荷神社は静岡県静岡市葵区西草深町に鎮座している神社です。この地は江戸時代、駿府城の城外守衛として設置された二加番屋敷があった場所です。稲荷神社は』、『その加番屋敷の守護神として勧請されたもので』、『歴代加番によって崇敬庇護されました。明治』四(一八七一)年『に廃藩置県が行われると』、『庇護者を失いますが、以後、西草深町の産土神として存続が認められました』。『二加番稲荷神社の祭神は豊受昆賣命』(とようけびめ)、『猿田彦命、天鈿女命』(あめのうずめのみこと)『の』三『柱で、当時』、『安倍川のほとりに鷹が集まった森があった事から』、『鷹森稲荷とも称しています。拝殿は木造平屋建て、切妻、桟瓦葺き、平入、桁行』二『間、張間』二『間、正面』一『間向拝付き、外壁は真壁造板張り。本殿は一間社神明造風。銅板葺き。境内には天保』一五(一八四四)年『に奉納された石灯篭があるなど』、『歴史が感じられます』とあるのがそれで、この「鷹乃森二加番稲荷神社」(グーグル・マップ・データ)が、それ。
「杜仲(まゆみ)」双子葉植物綱ニシキギ目ニシキギ科ニシキギ属マサキ Euonymus japonicusの古名。私の『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 杜仲』を見られたいが、本来の漢方の「杜仲」の基原植物は、トチュウ目トチュウ科トチュウ属トチュウ Eucommia ulmoides であって、日本には自生しない。]
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