和漢三才圖會卷第第九十一 水果類 烏芋
くろくわゐ 鳬茈 鳬茨
葧臍 黑三稜
烏芋
地栗
芍【音撓】
【俗云黑久和井】
用田烏子三字
本綱烏芋生淺水田中其苗三四月出土一莖直上無枝
葉狀如龍鬚肥田栽者粗近葱蒲髙二三尺其根白蒻秋
後結顆大如山査栗子而臍有聚毛累累下生入泥底野
生者黒而小食之多滓種出者紫而大食之多毛沃田種
之三月下種霜後苗枯冬春掘收爲果生食煮食皆良
根【甘微寒滑】 消黃疸療五種膈氣消宿食飯後宜食之【先有冷氣
人不可食令人腹脹氣滿】善毀銅合銅錢嚼之則錢化可見其爲消
堅削積之物故能化五種膈疾而消宿食治誤呑銅也
△按烏芋其根形味似慈姑而有黑白之異故謂之黒久
和井葉似石龍芻葉也又烏芋【生食佳】慈姑【煑食佳】
顯仲
堀川百首たなつ物みそのに蒔しいさ子共外面の小田にくわゐひろはん
*
くろくわゐ 鳬茈《ふし》 鳬茨《ふし》
葧臍《ぼつせい》 黑三稜
烏芋
地栗《ちりつ》
芍《しやく》【音「撓」《ジヤウ》。】
【俗、云ふ、「黑久和井」。】
「田烏子《くろくわゐ》」の三字を用ふ。
「本綱」に曰はく、『烏芋《ウウ》は、淺≪き≫水田≪の≫中《なか》に生ず。其《その》苗《なへ》、三、四月、土を出《いで》て、一莖、直《す》ぐに上《のぼ》りて、枝葉、無く、狀《かた》ち、龍鬚《りゆうのひげ》のごとし。肥≪えたる≫田に栽《うう》る者、粗(ふと)く、葱《ねぎ》・蒲《がま》に近《ちか》し。髙さ、二、三尺。其《その》根、白≪き≫蒻《ジヤク/ニヤク》[やぶちゃん注:これは、状況から、「ハスの茎の水の中に入っている部分に似たもの」、或いは、「蒟蒻(こんにゃく)の球状の茎のようなもの」の意と解しておく。個人的には前者の漢語の意がしっくりくる。]あり。秋≪の≫後《のち》、顆《くわ》を結《むすび》て、大《おほ》いさ、山査《さんさ》・栗の子《み》のごとくにして、臍(ほぞ)に、聚毛《じゆうもう》、有り。累累《るいるい》として、下に生(は)≪え≫[やぶちゃん注:原本では、「生」の右下に「ニハ」の送り仮名があるが(国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版でも、そう打ってある)、それでは判読で出来ないので、かく、した。]、泥の底に、入る。野生の者は、黒《くろく》して、小《しやう》なり。之《これ》を食ふに、滓(かす)、多し。種(う)へ[やぶちゃん注:ママ。]出《いだ》す者は、紫にして、大なり。之を食ふに、毛《け》、多し。沃(こへ[やぶちゃん注:ママ。])たる田に、之を、種《う》ふ。三月に種を下《おろ》し、霜《しも》の後《のち》、苗《なへ》、枯《か》る。冬・春、掘收《ほりをさめ》て、果《くわ》と爲《なす》。生《なま》にして食《くひ》、煮て食ふ。皆、良し。』≪と≫。
『根【甘、微寒。滑《カツ》。】』『黃疸を消し、五種の膈氣《かくき》を療《りやう》し、宿食《しゆくしよく》[やぶちゃん注:食べ過ぎ。]を消す。飯《めし》≪の≫後《のち》、宜しく之≪を≫食ふべし【≪根の≫先、冷氣、有れば、人、食ふべからず。人をして、腹、脹《はり》、氣、滿たしむ。】善《よ》く、銅を毀《こぼ》つ。銅錢に合《あは》して、之を嚼(か)めば、則《すなはち》、錢、化《くは》す。見つべし、其《それ》、堅《かたき》を消(け)し、積《しやく》を削《けづ》るの物《もの》爲《な》ることを[やぶちゃん注:この部分、訓点全体に不全がある。国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版の当該部の訓点が、躓かずに読めるので、それに拠った。]。故《ゆゑ》、能《よ》く、五種の膈疾《かくしつ》を化《くわ》して、宿食を消し、誤《あやまり》て銅を呑むを治すなり。』≪と≫。
△按ずるに、烏芋《くろくわゐ》、其根の形・味、慈姑(くわゐ)に似て、黑・白の異《い》、有る。故《ゆゑ》に、之《これ》を「黒久和井《くろくわゐ》」と謂ふ。葉は、「石龍芻(つくも)」の葉に似たり。又、烏芋は【生《なま》にて食《くひ》て、佳し。】。慈姑は【煑て食て、佳し。】。
「堀川百首」
たなつ物
みそのに蒔《まき》し
いざ子共《こども》
外面《そとも》の小田《おだ》に
くわゐひろはん 顯仲
[やぶちゃん注:判っている人には恐縮だが、植物に弱い私自身が、何十回も記事で注しながら、しっかりと記憶していなかったので、私の暗記力の減衰を叱咤するために、順に示す。
まず、我々が、御節(おせち)料理で知っている、ほろ苦の「くわい」は、
単子葉植物綱オモダカ亜綱オモダカ目オモダカ科オモダカ属オモダカ品種クワイ Sagittaria trifolia ' Caerulea '
である。まず、これを押さえて頂きたい。
ところが、この本項の「くろくわゐ」というのは、全く異なる、
◎単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ科ハリイ属クログワイ Eleocharis kuroguwai
或いは、
◎単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ科ハリイ属オオクログワイ(或いは、シナクログワイ)Eleocharis dulcis var. tuberosa
なのである(後者は東洋文庫訳で比定同定してあるもの。詳しくは、後のウィキの引用を参照されたい)。
さて、実は、本項の次の項、本巻第九十一の掉尾に配されてある「をもたか しろくわゐ 慈姑」(「をもたか」はママ)があるのだが、この和名の読みに、まず、「をもたか」とあり、次に「しろくわゐ」とある。而して、それは、実は、オモダカではなく、
○単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ科ハリイ属シログワイ Eleocharis dulcis
なのであって、良安が、次の「慈姑」という項目の和名ルビに一番に「をもたか」と振っているのは、
✕単子葉植物綱オモダカ亜綱オモダカ目オモダカ科オモダカ属オモダカ Sagittaria trifolia
を指していることになり、
――完全アウト――
なのである。
そこで、読者諸君は、
「じゃあ、肝心の真正の『オモダカ』は、「和漢三才圖會」のどこにあるんじゃい!?!」
とツッコミを入れられるに違いない。しかし、
――「和漢三才圖會」には、現行のオモダカに当たる項目は――この次の「慈姑」の項以外にはない――
のである!
フライングになるが、次の「をもたか しろくはゐ 慈姑」の良安の評言の冒頭で(特異的に訓点を附して、次項と差別化して示す)、
*
△按慈姑其苗ヲ俗名二於毛太加ト一其根ヲ名ク二白久和井ト一開ク二單葉ノ
小白花ヲ一 近頃有リ一千葉ノ者一花大サ如ク二指ノ頭ノ團ク白以テ爲ㇾ珍ト其
紅ナル者モ亦希ニ有リㇾ之栽テ二盆中ニ一賞ス二其花ヲ一
*
とあり、以下、根を食用にすることが語られているのだが(品種であるシログワイ・クログワイが食用にされる以外に、私でも、本来のオモダカ――私は少年期に母の郷里である鹿児島県岩川の水田で親しく実見している――が食用になることは知っている。食べたことはないが、TVで見たことがあり、ネット上でも見かける。ネットのものは次項で示す)、問題は、以上の記載の花と葉である!
✕これは――シログワイの花や葉ではあり得ない――
からである! 而して、フライングするが、良安が掲げた、次項「慈姑」の図を見られるがいい!
これは、先ほど、幾つものシログワイの画像を見たが(ウィキの「シログワイ」の、ボタニカル・アートの図を見よ)、
✕――こんな花も葉も――シログワイには認められない――のである!
◎――ド素人の私でも――この図は――間違いなく――私が実見し、知っているところの――オモダカの花と葉――なのである!
知らない人のために、画像のあるサイト「GKZ 植物事典」の真正の「オモダカ」のページの画像を見られたい!(因みに、オトロシケない(富山方言)のだが、「オモダカ」の「別名・異名」の中には――なんと!――「ハナグワイ」「クログワイ」が載っているゾッツ!!!)――
実は、この誤認は、良安が、次項の項目のヘッド部分に(早稲田大学図書館「古典総合データベース」の当該画像を見よ)、
*
をもだか 籍姑《せきこ》°白地栗《はくちりつ》
しろくわゐ 水萍《すいひやう》°河鳬茈《かふし》
慈姑
苗《なへ》を「剪刀草《せんたうさう》」
と名づく。
箭搭草《せんたうさう》°
槎丫草《さあさう》
ツウ タウ 燕尾草《えんびさう》
[やぶちゃん注:「をもたか」はママ。]
*
「慈姑」の二つ目の和訓を「しろくわゐ」と、やらかしてしまったこと、評言の冒頭で、
*
△按ずるに、慈姑《くわゐ》、其《その》苗を、俗、「於毛太加《おもだか》」と名≪とづく≫。其の根を、「白久和井《しろくわゐ》」と名《なづ》く。單-葉《ひとへ》の小≪さき≫白花を開く。
*
――オモダカをクワイの苗の呼称――その根を「しろくわゐ」と言うという採集結果を無批判に載せてしまったこと、所謂、「於毛太加」(オモダカ)・「慈姑」(クワイ)と「クログワイ」「シログワイ」を同一種群とゴッチャにして書くという致命的な誤りに起因しているのである!
この部分は、次の項で子細に検証する。
以下、ウィキの「クログワイ」を引く(注記号はカットした)。『クログワイ(黒慈姑、荸薺、Eleocharis kuroguwai Ohwi)は、単子葉植物カヤツリグサ科ハリイ属に所属する草本である。細長い花茎だけを伸ばす植物で、湿地にはえる。本項では、この種を含め、ハリイ属の中でも大柄な種を解説する』。『湿地に生育する植物で、泥の中に地下茎を長く這わせる。あちこちからそれぞれ少数ずつの花茎を出し、それが真っすぐに上に伸びるので、全体としては一面に花茎が立ち並ぶ群落を作る。花茎は高さ』四十~八十センチメートル(同ウィキの「塊茎から発芽した個体」の写真をリンクしておく)、『緑色でつやがあり、断面は円形、先端まで』殆んど『太さは変わらない。花茎の内部は中空になっていて、所々に』仕切り『の壁(隔壁)が入っている。花茎を乾燥させると、それが外側からも見て取れるようになる。葉は根元の鞘として存在するだけで、葉身はない。鞘は赤褐色に色づく』。『小穂は茎の先端に出る。太さは茎と同じで、間がくびれたりしないので、花茎から連続しているように見え、ちょっと見るとあるのが分からないこともある。小穂は多数の花からなり、外側は螺旋に並んだ鱗片に包まれる。鱗片は楕円形で先端が円く、濃い緑色。中には雌しべと雄しべ、それに糸状附属物が並ぶ。果実は熟すると』、『明るい褐色で倒卵形、先端に雌しべ花柱の基部の膨らんだ部分が乗る』。『日本では関東、北陸以西の本州から九州に分布し、海外では朝鮮南部に分布がある』(実は、同種は中国には分布しない。事実、「維基百科」には同種のページはない。では、「本草綱目」のそれは何かというと、以下に出るシログワイ Eleocharis dulcis 、或いは、同変種E. dulcis var. tuberosa 、又は、ミスミイ E. fistulosa であろうと推定される。「維基百科」には、前者シログワイ相当のページ「荸荠」(臺灣正體「荸薺」)があり、別名に「乌芋」(同前「烏芋」)がある)。『浅い池などに生育するが、水田に生育することも多く、水田雑草としても定着している』。『初夏から秋にかけてよく繁茂し、秋の終わりには匍匐枝の先端に小さな黒っぽい芋(塊茎)をつける。この芋の形がクワイに似ているので、この名がある』。『水田雑草である。根も深く塊茎で繁殖するため、難防除雑草として扱われる』。『万葉集では「えぐ」の名で登場する』。
*
これは正しくは「ゑぐ」である。講談社文庫の『「万葉集」全訳注原文付』の「別巻」である「万葉集事典」(昭和六〇(一九八五)年刊(初版))の「植物一覧」に、『ゑぐ』として、『くろくわい[やぶちゃん注:ママ。]か。沼沢に群生。泥の中の塊茎は中が白く食用。女たちは雪消(ゆきげ)の頃からその若芽をつむ。他に芹の異名とも。』とある。以下の二首に出る(表記は同書を参考に漢字を正字化した)。
*
君がため
山田(やまだ)の澤(さは)に
惠具(ゑぐ)採むと
雪消(ゆきげ)の水に
裳(も)の裾(すそ)濡れぬ
(「卷第十」一八三九番)
*
あしひきの
山澤惠具を採みに
行かむ日だにも
逢はせ母は責(せ)むとも
(「卷第十一」二七六〇番)
*
引用に戻す。
*
『沢などに自生する山菜として、多くの古典では食用として収穫されている姿が描かれている』。『救荒植物としての一面を持ち、江戸時代には』、『栽培すら』、『されていた地域もある。水田の近くに自生するのはかつて「植えられていた」名残である可能性もあるが、塊茎は小さく、より大きな栽培品種が存在する現在では』、『単なる雑草である』。『クログワイの名で食用とされているものがあるが、実は近縁な別種である。中華料理で黒慈姑(くろぐわい)と言われるものは、和名をオオクログワイ(またはシナクログワイ E. dulcis var. tuberosa (Roxb.) T.Koyama )といい、日本にも九州などに稀に分布するシログワイの栽培品である。台湾、中国南部からインドシナやタイ方面では、その芋を目的に水田で栽培される。野菜』(脚注の注釈に『ナシのような食感で缶詰にもされる』とある)、『あるいはデンプン源として利用されるほか、漢方薬としては解熱、利尿作用があるとされる』。
以下、「近似種」の項。『前述の食用とされる種の基本変種はシログワイ(別名イヌクログワイ)( E. dulcis (Burm. fil.)Trinius )という。クログワイに似るが』、『より大型で』一メートル『を越える。また、穂が白っぽくなる。日本南西部や中国南部から太平洋諸島、オーストラリアまで、またマレーシア、インドを経て』、『アフリカにまで産する。日本では本州南岸の一部から九州、琉球列島に産するが、栽培からの逸出であるとも言われる。栽培種であるオオクログワイは芋が大きくて直径』二~三センチメートル『に達する』。『ミスミイ( E. fistulosa (Poiret)Link et Sprengel )は、これらに似て、水中の泥に匍匐枝を伸ばし、花茎を多数立てる植物で、小穂が花茎の先端に、滑らかにつながって生じる点も』、『よく似ている。はっきりと異なるのは、花茎の断面が三角形をしていることである。また、花茎は中空でない。本州では』、『日本南西部、中国から、インド、オーストラリアにまで分布し』、『特に日本では愛知県と紀伊半島の一部、それ以南、九州から琉球列島に分布する。本土ではごく珍しいものである』。『なお、ヌマハリイ類もこれらと同様に、水中の泥に匍匐枝を伸ばし、花茎を多数立て、一面に花茎の並んだ群落を作る。花茎の先端の小穂の基部がはっきりとくびれて、小穂は楕円形で花茎よりはっきりと太い点が異なる』。とある。
なお、本項の引用は「漢籍リポジトリ」の「卷三十三」の「果之五【蓏類九種内附一種】」の「烏芋」([081-32b]以下)のパッチワークである。
「五種の隔氣」東洋文庫訳の後注に、『思隔・耐隔・喜隔・怒隔・悲隔の五種があり、それぞれの過度の感情に反応して隔気の働きが不調になる症状。』とある。
「堀川百首」「たなつ物みそのに蒔《まき》しいざ子共《こども》外面《そとも》の小田《おだ》にくわゐひろはん」「顯仲」「堀川百首」は平安後期の百首歌。「堀川百首」「堀河院百首」。「堀河院御時百首和歌」他の呼称がある。康和四(一一〇二)年から翌年頃にかえて詠まれた複数の歌人の和歌を纏めて長治元(一一〇四)年頃に堀河天皇に献詠したものか。源俊頼・藤原基俊ら当時の歌人十四名の百首歌を収めている(やや異なった人選のものも伝わる)。「顯仲」藤原顕仲。日文研の「和歌データベース」の「堀河百首」で確認したが、そこでは(ガイド・ナンバー01498)、
*
たなつもの−みそのにまきつ−いさことも−そとものをたに−くわゐひろはむ
*
となっている。これは、良安の転写の誤りである。「たなつ物」は、「たな」(種)+上代の格助詞「つ」 + 「もの」(物)で、漢字で「穀」で、「田からと穫れる穀物」「稲」の意。]
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