河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(一)鰑の說(その7) / 「鰑」パート~了
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。
前項と同じく、『河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 上卷(一)鰑の說(その5)――総て図版画像附・全キャプション電子化注附』の私の注で考証したものが、多数含まれるので、そちらを見られたい。
今回は、「鰑の說」の最後の三段落を一気に電子化注して終りとする。実際には、底本では、この後に図版が続くが、本回に先だって「(その5)」で、その電子化注は既に終えてある。]
越前丹生郡《にふのこほり》菜﨑浦《なさきうら》の於多福鰑《おたふくするめ》は柔魚の濶大《くわつだい》[やぶちゃん注:広く大きいさま。]なるものにして、前《ぜん》[やぶちゃん注:格助詞「の」が欲しい。]、能登產と畧《ほ》ぼ似たり。同國同郡(どうぐん)淸水谷浦《しみずうら》の龜甲鰑《きつかうするめ》は、竹笊(たけざる)の痕(あと)ありて、龜甲(かめのかう)に似たるに因る。但し、「和漢三才圖會」に載する所(ところ)、『龜甲烏賊』とは、同じからず。出雲の白鰑(しろするめ)は、皮を剝ぎたる劍先鰑(けんさきするめ)の尾鰭(をひれ)を飜(ひるがへ)したるものにして、長門・周防等(とう)にも此(この)製、あり。此他(このた)、脚根(きやくこん)[やぶちゃん注:生物学上のイカの頭部下方を指す。]を麻骨(あさがら)[やぶちゃん注:「麻殼」に同じ。]にて張りたるあり。串を貫きし孔(あな)あるあり。簀(す)の痕(あと)あるあり。竹を以て張りたるあり。糸を以て吊りたるあり。重壓(おもし)を置き、或(あるひ)は手足を以て皺を伸ばしたるあり。色澤(しよくたく)[やぶちゃん注:色艶(いろつや)。「しきたく」とも読む]・形狀、各々(おのおの)、同じからず。一目(いちもく)して其の產地を知るに足れり。而して之を束(つか)ぬるには、二枚・三枚・五枚・十枚・廿枚を以て一把(いちわ[やぶちゃん注:ママ。])となす。又、形狀の美なるも、味の劣る、あり。伊豆鰑(いづするめ)の如きは、色澤、美なること、無比なるも、肉、薄く、味、佳ならず。故に、淸國輸出に適せずと雖ども、從來、東京市中(しちう)には槪ね此ものを鬻賣(いくばい)[やぶちゃん注:鬻(ひさ)ぐこと。売ること。]せり。元來、鰑は、乾燥の良否に關するものなれば、是に注意するを專要(せんよう[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣は「せんえう」が正しい。最も大事なこと。])とす。然(しか)れども、從來、陰雨(いんう)[やぶちゃん注:陽が照らず、長雨が続くこと。]に際し、之(これ)か[やぶちゃん注:濁音の誤植。]豫防をなすものなく、爲(ため)に盛漁多獲(せいぎよたくわく)の幸(さいはひ)あるも、空しく腐敗せしむること、あり。近年、各地に於て火力を以て乾燥し、或は乾燥室を造りしことありと雖ども、其法、良全(りようぜん)ならずして世の賛稱(さんしやう)を得るに至らず、實に遺憾なりとす。
[やぶちゃん注:『「和漢三才圖會」に載する所、『龜甲烏賊』とは、同じからず』私のサイト版「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚 寺島良安」の「いか 烏賊魚」には載らず、その次の「たちいか するめいか 柔魚」に、
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龜甲烏賊 背隆而肉厚故名之
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とあり、訓読すると、
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龜甲烏賊 背、隆(たか)くして、肉厚、故に、之れを名づく。
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である。私は、それに以下の注を附した。
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・「龜甲烏賊」(キッコウイカ)このような呼称は現在、生き残っていない。市場での和名と形状から類推するしかないが、形態と呼称の類似からは、まず、「モンゴウイカ」という通称の方が有名なコウイカ目コウイカ科コウイカ属 Acanthosepion 亜属カミナリイカSepia (Acanthosepion) lycidas が念頭に登る。文句なしの巨大種であり、英名 Kisslip cuttlefish が示す通り、胴(外套膜背面部)に「キス・マーク」のような紋がある(「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページの二枚目の写真を参照されたい)。これを「亀甲紋」ととったとしても、それほど違和感はない。これが同定候補一番であろうが、私は、もう一種、挙げておきたい欲求にかられる。ツツイカ目開眼亜目の大型種で、極めて特徴的な幅広の亀甲型(と私には見えないことはない)形態を持つソデイカ科ソデイカ属ソデイカ Thysanoteuthis rhombus は如何だろうか? ソデイカは地方名・市場名で「タルイカ」・「オオトビイカ」・「セイイカ」、はたまた「ロケット」等という名も拝名している(「セイイカ」の「セイ」は「勢」で男性の生殖器のことであろう。「背、隆くして、肉厚」と称してもグッときちゃうゼ!)。グーグル画像検索「ソデイカ」を見られたいが、胴体部がカメの甲羅と言っても、おかしくないからである。
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とした。そもそも、石川県で鯣にするのは、普通のスルメイカであり、後の図のそれを見ても(図版の二行目の「亀甲鰑」。なお、「(その5)」で注した通り「越中、丹尾郡清水谷浦産」、の「越中」は「越前」の誤りである)、およそ、乾燥させたとしても、カミナリイカとは思われない、普通のスルメイカである。河原田氏の疑問は尤もである。]
抑(そもそも)我邦に產する鰑の收額(しゆうかく[やぶちゃん注:ママ。誤植。以下、同じルビなので、省略する。])は素(もと)より僅少(きんしやう)のものにあらず。若(も)し製造を改良し、一分(いちぶ)の價(あたひ)を增すも、幾許(いくきよ[やぶちゃん注:「ここだ」と読みたいところ。副詞で「程度の甚だしいさま」を表わす語。])、萬金(まんきん)に至るべし。今、農務局の調査に依れば、明治十四年、全國の收額は二百四十五萬八千五百八十六斤[やぶちゃん注:本邦の「斤」(きん)は一斤で約六百グラムであるから、二千四百五十八・五八六トン。]あり。又、淸國に輸出するもの、明治元年は六十四萬二千百二十四斤[やぶちゃん注:三十八・五三四トン。]、其價(そのあたひ)、十二萬五千八百五十三圓にして、逐年(ちくねん)、其額を增し、十八年に至りては、七百五十三萬二千二百八十斤[やぶちゃん注:四百五十一・九三七トン。]、其價、九十八萬六百十壹圓の多きに至れり。而して此販路は淸國內部に、漸次、進及(しんきう)するの勢(いきおひ)あるのみならず、米國其他(そのた)、淸國人の移住する邦國(はうこく)[やぶちゃん注:ここは「諸国」の意。]に輸出するに至るべし。然(しか)れば、將來、販路の益(ますます)廣大に赳くは疑(うたがひ)を容れざる所なり。故(かるがゆへ[やぶちゃん注:ママ。])に、我邦の水產家は、勉(つと)めて、之か[やぶちゃん注:ママ。「が」の誤植。]計畫をなさゞるべからず。夫(そ)れ、烏賊(うぞく)・柔魚(じうぎよ)の類(るい)は、一尾四萬許(きよ[やぶちゃん注:ママ。「ばかり」。])の卵子(らんし)を生むものなれば、宜しく、烏賊麁朶(いかそだ)・烏賊藻(いかも)・烏賊巢(いかす)等(とう)を作りて、繁殖を圖(はか)り、漁具・漁法を改良して捕獲を多からしめ、製造を精好(せいこう[やぶちゃん注:ママ。「せいがう」が正しい。細かいところまで良く出来ていること。])にして、品位を貴(たつと)くし、販路を開通して、國益を增加せんことを。
[やぶちゃん注:「九十八萬六百十壹圓」容易には、現在価値に換算は出来ないが、試みに、国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」の「明治時代の1円は現在いくらか。単純な答えが欲しい。」の回答例の三つの内、最も手っ取り早い『・給与(警察官の初任給)から考えると(⑦⑧⑨参照)、明治19年の1円は令和5年の2万~4万の価値がある。』(まさに本書の刊行は明治一九(一八八六)年である)を元にするなら、実に十九億七千二百二十万円から三十九億四千四百四十万円となる。
「一尾四萬許」島根県水産試験場の安達二朗氏の研究発表の「スルメイカの産卵様式と産卵数の推定」(昭和五九(一九八一)年度「イカ類資源・漁海況検討会議」・第十五回「イカ類資源研究連絡協議会」・PDF・このページからもダウンロード可能)に拠れば、驚くべきことに、『1回の産卵数の範囲は、30,000~310,000粒と推定され、平均的に100,000粒が産卵されると推定される』とあった。]
本邦產の劍先鰑は、廣東(カントン)地方へ輸出するものにして、廣東省にも亦、劍先腸を產せり。故に、二番鰑(にばんするめ)は該(がい)地方にて用ゆることなく、重(おも)に上海(シヤンハイ)より漢口(ハンカウ)・九江(きうこう)・鎭江(ちんかう)等の市塲(しじやう)を經て、諸方に散布せり。其割合は、四川省(しせんせう[やぶちゃん注:ママ。「せう」ではなく「しやう」が正しい。])に二分(にぶ)、湖北省(こほくせう)に三分、江西省(こうさいせう[やぶちゃん注:ママ。現行では「こうせい」である。])に二分、天津(てんしん)に二分、江南(こうなん)に一分なり、と。元來、我(わが)二番鰑は、寧波府(ねいはふ)近海產の甲烏賊(かういか)と比較するに、其品位、三等の上に出でず。此(この)甲付烏賊(かうつきいか)は、寧波近海より、一ヶ年に、三百萬斤を產し、福建省、並(ならび)に、揚子江等(とう)の地方に分輸(ぶにゅ)し、其販路、甚(はなはだ)廣く、且(かつ)、價(あたへ[やぶちゃん注:ママ。])も、本邦產出の品(しな)、百斤(ひやくきん)拾兩(じゆうりやう/デール[やぶちゃん注:「デール」は「兩」のみに左ルビ。後も同じ。])の時、彼(か)れは七兩(しちりやう/デール)にして、三兩(さんりやう)の差異あり。本邦にても、近年、肥前島原、及び、筑前地方にて、製し、輸出すれども、產額(さんがく[やぶちゃん注:ここのみ、正しく濁点がある。])僅少(きんせう)なり。福建(ふくけん)、及び、揚子江(やうすこう)等(とう)にては、我(わが)一番鰑をも、需用(じゆやう)せず。是れ、前記の寧波產出(さんしゆつ)の品(しな)を、數百年、需用し來(きた)り。他(た)に求むることなきによれり。
[やぶちゃん注:「寧波府」当該ウィキによれば、『中国にかつて存在した府。明代から民国初年にかけて、現在の浙江省寧波市一帯に設置された』。一三八一年に『明によ』って、『明州府は寧波府と改称された。寧波府は浙江省に属し、鄞』(ぎん)『・奉化・慈谿』(じけい)『・定海』(ていかい)『・象山』(ぞうざん)『の』五『県を管轄した』。『清の』時、『寧波府は浙江省に属し、鄞・奉化・慈谿・鎮海・象山・定海・南田庁・石浦庁の』二『庁』六『県を管轄した』。一九一三『年、中華民国により』、『寧波府は廃止された』とある。現在の寧波市(ニンボーし/ねいはし)はここ(グーグル・マップ・データ)。
「兩(りやう/デール)」白水社「中国語辞典」の、『两(兩)』『ピンイン』で『liǎng』とし、『清末から中華人民共和国成立以前の、いわゆる』、『旧社会の言葉』で、『銀の重量単位』で、『テール』とあった。「デジタル大辞泉」で確認したところ、『テール【tael】』と見出しし、『中国の重量単位および旧制通貨単位の「両(リャン)」の英語名』とあった。
最後に、本来ならば、「鰑の說」の冒頭で示すべきであったが、今更、既記事の「その1」に追加するのも、上手くないので(学名を、さんざん注で出してしまっている関係上、全体の体裁が面白くなくなるためである)、ここに、諸辞書の「するめ」の記載を拾っておく。
まず、一番、フラットにしっくりくる、小学館「日本大百科全書」を引くと(金田尚志執筆)、『イカの素干し。ケンサキイカ、ヤリイカ、アオリイカ、モンゴウイカ、スルメイカなどを用いるが、生産量の大部分はスルメイカで占められる。原料イカの種類により一番するめ、二番するめ、甲付(こうつき)するめ、袋するめなどに分けられるが、このほか』、『それぞれの製法や土地により』、『いろいろの名がつけられている。一番するめはケンサキイカを用いてつくるが、とくに上等のものは一番磨(みがき)するめとよび、長崎県五島産のものが名高い。こうした名称は江戸時代、するめを中国へ輸出する際に等級を示すためにつけたもので、当時、最高のものは磨(みが)き上々番(じょうじょうばん)といわれた。現在も昔の呼び名が』、『そのまま使われている』。次いで、『製法』の項。『一番磨するめは、新鮮で大形のケンサキイカの腹を裂き、内臓、眼球、ひれをとり、水洗』『後、外皮を八分どおり剥(は)ぎ、日干しする。半乾きとなったものを乾燥室に入れて八分乾きとし、ローラーを転がして伸ばし、形を整えたのち、さらに日干しする。小形のケンサキイカは』、『ひれや』、『皮を除かず』、『そのまま日干しする。二番するめはスルメイカの胴を裂き、内臓、眼球を除き水洗後、くちばしは』、『つけたままで』、『縄や竹竿』『などにかけて日干しする。乾燥後、藁』『で覆うと白い粉がふく。二番するめは一番するめに比べて品質が劣る。北海道、三陸、島根などで多くつくられる。甲付するめは甲をもったコウイカ類からつくる。中国、四国地方が産地。袋するめはアオリイカ、ミズイカの胴部のみを用い、胴は切らずに裏返して乾燥する。九州でつくられる』。以下、『成分と利用』の項。『表面の白い粉は主として含硫アミノ酸』(がんりゅうアミノさん:英語:sulfur containing amino acid:構造に硫黄原子を有するアミノ酸の一種)『のタウリン』(taurine:但し、参照したウィキの「含硫アミノ酸」によれば、『タウリンは生化学の分野では厳密にはカルボキシル基を持たないため』、『アミノ酸ではない(アミノエチルスルホン酸)が、栄養学の分野ではアミノ酸として扱うことがある』とあった)『が析出したもの。するめのタンパク質は良質だが、硬いので』、『なまのものに比べ』、『消化されにくい。そのまま焼いたり、水にもどし』、『数の子といっしょに』醬油『に漬けたり、油で揚げるほか、裂きいか、のしいか、刻みするめにしたり、いか徳利をつくる』とあった。
次に、平凡社「世界大百科事典」(初版)の「するめ」(平野 雄一郎・鈴木 晋一執筆。コンマを読点に代えた)。『イカを開いて干したもの。〈鯣〉〈鰑〉の字を使うが、「和漢三才圖會」『が』、『いうように、これらは本来はウナギのことであり、するめの意味はない。するめの語を見るのは室町中期』頃『からで、語源については〈すみむれ(墨群)〉の約転などとする説がある。江戸時代には中国への重要輸出品で、当時』、『等級を示すために用いられた〈一番するめ〉〈二番するめ〉の呼称は、現在も用いられている。一番するめはケンサキイカを原料とする優良品で、五島するめとも呼ぶように、九州諸県や山口県を主産地とする。二番するめはスルメイカでつくるもので、生産量は最も多く、北海道や三陸が主産地である。ほかに、磨きするめと称するものがある。これはケンサキイカとヤリイカを用い、皮をむいて干したもので、一番するめの中での高級品とされる。さらに、ヤリイカの体長』三十八センチメートル『以上のものを使った磨きするめは〈磨上々番(みがきじようじようばん)〉と呼ばれ、極上品とされている。また、二番するめの中には』、『胴を横に引きのばして円形に干し上げた〈お多福するめ〉などもある。以上、いずれも』、『あぶって』、『酒のさかなとするほか、小さく切ってコンブなどとともに調味した』醬油『に漬けて松前漬にするが、江戸時代には〈水あえ〉〈巻きするめ〉などの料理が行われていた。前者は適宜に切ったものを匙酒(いりざけ)に酢を加えてあえたもの、後者は洗ったするめに損粉(くずこ)を振りかけて巻き、熱灰』(あつばい)『に埋めるか、ゆでるものであった。なお、するめを祝儀に用いるが』「料理早指南(りやうりはやしなん)」第三編・醍醐山人著・享和二(一八〇二)年刊『に』、『式肴(しきざかな)として使うとあるなどが』、『その例である』とある。なお、「するめ」の語は以上の通りだが、「ブリタニカ国際大百科事典」では、製品自体は『平安時代より生産されている』としてある。
因みに、「世界大百科事典」にある、「和漢三才圖會」『が』、『いうように、これらは本来はウナギのことであり、するめの意味はない』というのは、同書の「卷十五」の「藝才」の中の項目『倭字《わじ》【大畧《だいりやく》】』の中にあるもので、国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版(項目名はここで、当該部分はここ)で示し、所持する原本から字起こしし(解説部(二行)は改行して一行にした)、推定訓読したものを以下に示す。なお、原本の送り仮名「ニ」であるべきところが、『三明鹿』になっているのは、誤刻と断じ、以下の通りとした。
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鰑
鰑【音陽】鯣【音六】共鱺也倭以鰑爲鮝鱡者誤也
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鰑(スルメ)
鰑【音「陽《ヤウ》」。】は鯣【音「六《ロク》」。】。共《とも》に「鱺《おほなまづ》」なり。倭《わ》に、「鰑」を以《もつて》、「鮝-鱡(するめ)」と爲《なす》は誤《あやまり》なり。
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この、「鱺《おほなまづ》」は「廣漢和辭典」では漢語の意で掲げてあり、そして、国字としては「するめ」とある。]
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