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2025/09/27

和漢三才圖會卷第九十二之本 草類 藥品(4) 有南北土地之異

 

 有南北土地之異

 

朝廷進御常有不時之花然皆藏土窖中四周以火逼之

 故隆冬時卽有牡丹花計其工力一本至十數金此以

 難得爲貴耳其不時之物非天地之正也北方花木過

 九月霜降後卽掘坑塹深四尺寘花於其中周以草秸

 宻墐之春分後發不然卽槁死矣

南方攜入北地者如梅桂梔子之屬尤難過臘至茉莉則

 百無一存矣南方閩廣卽茉莉薔薇酴醿山茶之屬皆

 以編籬以語西北之人未必信也

有𪾶草却𪾶之草 醉草醒醉之草 宵明草晝暗之草

 夜合草夜舒之草物性相反有如此者

 

   *

 

 南北、土地の異(かは)り、有り。

 

朝廷(みかど)へ進-御(たてまつ)るに、常に、不時《ふじ》の花、有り。然《しか》れども、皆、土窖(あなぐら)の中に藏(をさ)め、四-周(めぐり)に、火を以《もつて》、之を逼(せ)むる。故《ゆゑ》に、隆冬《りゆうとう》の時《とき》に、卽ち、牡丹の花、有り。其《その》工力《こうりよく》を計《はか》るに、一本、十數金《じふすうきん》に至る。此《これ》、得難《うがたき》を以《もつて》、貴《とほとき》と爲《す》るのみ。其《それ》、不時の物は、天地の正《せい》に非《あら》ず。北方の花木《くわぼく》は、九月を過ぎ、霜《しも》、降《ふり》て後《のち》、卽ち、坑-塹(あなほり)を掘(ほ)ること、深さ、四尺。花を其《その》中に寘(を[やぶちゃん注:ママ。])き、周(めぐ)りに草-秸(わら)を以《もつて》、宻《みつ》に、之《これを》、墐(ぬりふさ)ぐ。春分の後《のち》に、發(ひら)く。然らざれば、卽《すなはち》、槁-死(か)れぬ。

南方より攜(たづさ)へて、北≪の≫地に入《い》る者、梅・桂《けい》・梔子《くちなし》の屬、尤《もつとも》、臘(しはす)[やぶちゃん注:師走。陰暦の十二月の別称。]を過ぎ難《がた》し。茉莉《まつりくわ》に至《いたり》ては、則《すなはち》、百《ひやく》に一つも、存(そだ)つこと、無《なし》。南方、閩《びん》・廣《くわう》には、卽ち、茉莉・薔薇《しやうび》・酴醿《とび》・山茶(さつき)の屬、皆、以《もつて》、籬(まがき)に編(あ)み、以《もつて》、西《せい》・北《ほく》の人に語るに、未だ、必ず、信ぜざりなり。

𪾶草《ねむりぐさ》と却𪾶《めむりざまし》の草、醉草《ゑひぐさ》と醒醉《ゑひざまし》の草、宵明草《よひあけぐさ》と晝暗《ひるくらし》の草、夜合草《よるあひぐさ》と夜舒《よるひらき》の草、有り。物性《ぶつしやう》の相-反《あひはん》すること、此《かく》のごとき者、有《あり》。

 

[やぶちゃん注:以上は、最終段に字空けがあるところから、調べたところ、「五雜組」(複数回既出既注。初回の「柏」の注を見られたい)の「卷十」の「物部二」の一節であることが判った。「中國哲學書電子化計劃」のここの、ガイド・ナンバー「79」から「82」までの、抄録である。但し、そこの電子化文は、表記に問題があるので、それを参考に、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の板本(訓点附き)のページ(ここと、ここと、ここ)で修正を加えて、訓読文(訓点に従えない箇所が多くあるので、結果的に私のオリジナル訓読となっている)で以下に示す。冒頭の尊敬の字空けは再現した。

   *

今 朝廷の進御(しんぎよ)、常に、不時(ふじ)の花、有り。然(しか)して、皆、土窖(どかう)の中に藏(ざう)し、四周(ししう)、火(くわ)を以つて、之れに逼(せま)る。故(ゆゑ)に隆冬(りゆうとう)の時、卽ち、牡丹花(ぼたんくわ)有り。計るに、其の工力(こうりよく)、一本、十數金(じふすうきん)に至る。此れ、得難きを以つて、貴きと爲すのみ。其の實(じつ)は、不時の物は、天地(てんち)の正(せい)に非ざるなり。大率(おほむ)ね、北方の花木(くわぼく)、九月、霜降(しもふり)を過(す)ぎて後(のち)は、卽ち、坑塹(こうざん)[やぶちゃん注:地表に掘られた溝や深い穴。]を掘る。深(ふか)さ、四尺、花を其の中に寘(お)き[やぶちゃん注:入れ置き。]、周(めぐ)らすに、草秸(さうきつ)[やぶちゃん注:稲や麦などから、穂や葉をとり去った藁(わら)。]を以(もつ)てして、密(みつ)に、之れを墐(ぬりふさ)ぐ。春分に、乃(すなは)ち、發(はつ)す。然(しか)らざれば、卽ち、槁死(かうし)す。南方より攜(たづさ)へて、北に入る者、梅(うめ)・桂(けい)[やぶちゃん注:これは「かつら」と訓じてはいけない。「卷第八十二 木部 香木類 桂」の私の注を、必ず、見られたい。]・梔子(くちなし)[やぶちゃん注:双子葉植物綱リンドウ目アカネ科サンタンカ亜科クチナシ連クチナシ属クチナシ品種クチナシ Gardenia jasminoides f. grandiflora (以上は狭義。広義には Gardenia jasminoides )。]の屬、尤(もつと)も臘(らう)を過ぎ難(がた)し。茉莉(まつりくわ)に至りては、則ち、百(ひやく)に一(いつ)も、存すること、無し。

 凡そ、花、六出(りくしゆつ)[やぶちゃん注:「雪」の美称。結晶が六弁の花の形に似るところから。]に咲く[やぶちゃん注:送り仮名の二番目を、私が、崩し字として「咲」と掟破りで判読したもの。]者、少(すく)なし。獨り、梔子の花、六出に咲き[やぶちゃん注:前の訓読を勝手に応用した。送り仮名は存在しない。]、其の色・香、亦(また)、皆、殊絕(しゆぜつ)[やぶちゃん注:特に優れていること。秀絶。]、故叚成式[やぶちゃん注:「叚」は「段」の異体字。中・晩唐の詩人にして、怪異記事を多く集録した「酉陽雜俎」の著者として著名。]、謂(いは)く、卽ち、「薝葡花《せんふくげ》」と。楊用修[やぶちゃん注:明の文人楊慎の字(あざな)。]、謂く、卽ち、「楊州瓊花(やうしうけいか)」と。然れども、皆、非なり[やぶちゃん注:調べたところ、現行では、後者の「楊州瓊花」はマツムシソウ目スイカズラ科ガマズミ属ビバーナム・マクロセファラム品種ケイカ Viburnum macrocephalum f. keteleeri に同定されているが、★前者の「薝葡花」の方は、正しくクチナシに同定されてある。]。此の花、閩中(びんちゆう)[やぶちゃん注:古くからの地方名で、福建省中部の三明市(永安市・沙県区)を中心とした地方を指す。ここ(グーグル・マップ・データ)。]に在り、極めて多く、且つ、賤(いや)し。素馨(そけい)[やぶちゃん注:シソ目モクセイ科ソケイ連ソケイ属ソケイ Jasminum grandiflorum 。]と、茉莉と、皆、地を擇(えら)ばずして、生(い)くる者なり。北の方[やぶちゃん注:「方」は送り仮名にある。]、吳楚に至りて、始めて、漸(やうや)く、貴重とするのみ。茉莉は、三吳[やぶちゃん注:三国時代に孫権が長江以南の揚州・荊州・交州に建てた呉王朝(二二二年~二八〇年)。領域は参照した当該ウィキの地図を見られたい。]に在りて、一本、千錢、齊(せい)[やぶちゃん注:呉の後に建国する三国時代の斉(四七九年~五〇二年)。当該ウィキにある地図を見れば、判る通り、現在の中国の南半分に当たる。]に入りては、輒(すなは)ち、三倍の直(あたい)を酬(むく)ふ。而して、閩・廣(かう)[やぶちゃん注:現在の広東省・広西省。]には、家家(いへいへ)、地に植え、籬(まがき)に編(あ)む。木槿と殊(こと)ならず。薔薇(さうび)・玫瑰(まいかい)[やぶちゃん注:バラ目バラ科バラ属 Eurosa 亜属 Cinnamomeae 節混雑種(ハマナス変種)マイカイ Rosa × maikai(= Rosa rugosa var. plena)。ハマナスの八重咲き変種。]・荼蘼(だび)[やぶちゃん注:バラ科トキンイバラ(兜巾茨) Rubus tokinibara 。]・山茶(さんちや)の屬に至りては、皆、以つて、籬(まがき)に編む。以つて、西(にし)・北(きた)の人に語れば、未だ、必ずや、信ぜざるなり。

 蜀の孟𭥢(まうちやう)、僭(せん)して[やぶちゃん注:擬(なぞら)えて。]、宮闕(きうけつ)[やぶちゃん注:宮城(きゅうじょう)。]に擬(ぎ)す。成都より四十里、盡(ことごと)く、木芙蓉[やぶちゃん注:アオイ目アオイ科アオイ亜科フヨウ連フヨウ属フヨウ Hibiscus mutabilis の中文名。]を種(う)ふ[やぶちゃん注:ママ。]。秋の時に至る每(ごと)に、鋪(し)くに、錦繡(きんしう)を以つてして、髙下(かうげ)、相照(あひて)らす。左右(さう)に謂ひて曰はく、「眞(まこと)の錦(にしき)の城(しろ)なり。然(しか)も、木芙蓉は極めて長(ちやう)じ易(やす)く、離披(りひ)[やぶちゃん注:花がいっぱいに開くこと。]散漫して、耐ふべからざるに至り、其の衰(おとろ)ふるに及びてや、「殘花敗葉 委藉狼狽して 蕭索(しやうさく)の狀 與(とも)に比(くら)び爲(な)すこと無し 此れ朝菌(てうきん)・木槿(むくげ)何ぞ異ならんや 而して乃(すなは)ち誇りて以つて麗と爲す 其の敗亡や、亦《また》、宜(よろし)からずや」と。

[やぶちゃん注:「蜀の孟𭥢」「𭥢」は「昶」の異体字。孟昶(九三四年~九六五年:現代仮名遣では「もうちょう」)は十国時代の後蜀(国域は当該ウィキの地図を見よ)の第二代皇帝にして、最後の皇帝。事績は当該ウィキを見られたい。]

 兗州(えんしう)張秋(ちやうしう)の河邊(かはべ)に「掛劔臺(けいけんだい)」有り。云はく、「卽ち、徐の君(くん)の墓、季札所の劔(つるぎ)を掛ける處なり。臺の下に。草、有り、一(いつ)は豎(たて)、一は橫、人の劔に倚(よ)るの狀(かたち)のごとく、之れを食へば、䏻(よ)く[やぶちゃん注:「能」の異体字。]人の心疾(しんしつ)を癒(いや)す[やぶちゃん注:この「癒」は「中國哲學書電子化計劃」のものに従った。]。余、謂(いは)く、『此の草、它所《たしよ》[やぶちゃん注:他(ほか)の場所。]生ぜずして、獨(ひと)り、掛劔臺[やぶちゃん注:この「掛」は「中國哲學書電子化計劃」のものに従った。]にのみ、豈(あ)に、季子が義氣(ぎき)の感ずる所にして、生(は)えるや。人の心の疾(やまひ)を療(りやう)するの說に至らば、亦、頑(かたくな)を廉(やす)きにし、懦(よは)きを立つるの遺意(いい)に過ぎざるのみ。其の偶然たるや、知らず。抑(そもそも)、事を好む者の附會(ふくわい)[やぶちゃん注:この「附」は「中國哲學書電子化計劃」のものに従った。]するや。余、張秋に在(あ)る時に、所謂(いはゆる)「掛劍草」と云ふ者を覓(み)るに、臺の前後には、乃(すなは)ち、有ること、無し。而して、鄰近の民莊(みんさう)、或いは、之れ、有り。水部(すいぶ)[やぶちゃん注:水利事務を司る機関。]の署中(しよちゆう)[やぶちゃん注:詰め所。]に至り、亦、閒(あひだ)に、數莖(すうきく)、有り。此れ、豈に、掛劍の風(ふう)を聞きて、興起(こうき)する者ものか。一笑に爲(な)すべきなり。』と。

[やぶちゃん注:ここに出る逸話は「史記」の「卷三十一」の「吳太伯世家第一」に載るものである。私はずっと昔に読んだ。御存知ない方は、原文は「ウィキソース」の「餘祭」がそれで、その内容の訳は、「Yahoo! JAPAN知恵袋」のohagitodaihukuさんの回答が非常によいので、見られたい。]

 「睡(すい)の草(くさ)」、有り、亦、「却睡(きやくすい)の草(くさ)」、有り。「醉(すゐ)の草」、有り、亦、「醒醉(せいすゐ)の草」、有り。「宵明(しやうめい)の草」、有り、亦、「晝暗(ちうあん)の草」、有り。「夜合(やがう)の草」、有り、亦、「夜舒(やじよ)の草」、有り。物性、相反(あひはん)すること、有此(か)くのごときの者、有り。

   *

「不時《ふじ》の花」花が必要なのに、思いがけず、予定以外の時季・時刻であるために、必要な花がないさまを指す。

「逼(せ)むる」火で、室(むろ)全体の温度を上げ、花が咲き続けるように保つことを言う。

「隆冬《りゆうとう》」「厳冬」に同じ。

「牡丹の花」ユキノシタ目ボタン科ボタン属ボタン Paeonia suffruticosa

「其《その》工力《こうりよく》」以上のシステムを保持するための労力や費用。

「不時の物は、天地の正《せい》に非《あら》ず。」この季節外れに用意されるものは、正常な天地の齎すものではない。

「寘(を)き」置き。保管し。

「墐(ぬりふさ)ぐ」「塞ぐ」。伝統的な日本家屋の土壁で知られるように、外気の侵入防止以外に、壁の割れ防止としての役割を主に持つ。

「發(ひら)く」密閉した室(むろ)を開く。

「梅」本邦と同じ。「卷第八十六 果部 五果類 梅」の私の注を見られたい。

「桂《けい》」「卷第八十二 木部 香木類 桂」で、良安は、項目の和訓に「かつら」と記しているから、「かつら」と読んでいると思う。しかし、これは、絶対に「かつら」と読んではいけない。日中では、全く、違うのである。詳しくは、リンク先の私の注を、必ず、参照されたい。

「梔子《くちなし》」本邦と同じ。「卷第八十四 灌木類 巵子」の私の注を見られたい。

「臘(しはす)」「臘月(らうげつ)」(ろうげつ)は旧暦十二月の異名。「臘」はもともとは、古代の民草が、年の終わりに、動物や鳥などを狩ってきて、先祖に供える祭りの意味であった。その祭祀の日は「臘日」と言い、陰暦十二月八日に当たるので、大切な先祖霊への祭祀を代表して、定められたものである。

「茉莉《まり》」「茉莉」は本邦では「まつり」と読み、ジャスミンの近縁種である「茉莉花(まつりか)」(アラビア・ジャスミンとも呼ぶ)ソケイ属マツリカ Jasminum sambac 、或いはジャスミンの異名でもある。

「存(そだ)つ」「育つ」に同じ。

「閩《びん》」」現在の福建省を中心とした広域の地方旧名。

「廣《くわう》」現在の広東省・広西チワン族自治区。

「薔薇《しやうび》」本邦のバラと同一。

「酴醿《とび》」バラ目バラ科バラ亜科キイチゴ属トキンイバラ(兜巾茨) Rubus tokinibara 

「山茶(さつき)」「さつき」は良安の致命的なルビ誤記。「つばき」が正しい。中国に於いては、現在も「ツバキ」は、主に「山茶」と書き表されている。

「𪾶草《ねむりぐさ》」日中ともに、マメ目マメ科ネムノキ亜科オジギソウ(お辞儀草・含羞草)属オジギソウ Mimosa pudica 本邦の異名でも「ネムリグサ(眠り草)」がある。私は、ネムノキに次いで、このオジギソウの葉と花が好きで、よく観察する。当該ウィキによれば、『葉は偶数羽状複葉で、接触、熱、風、振動といった刺激によって小葉が先端から』一『枚ずつ順番に閉じ、最後に葉全体がやや下向きに垂れ下がる。この一連の運動は、見る見るうちに数秒で行なわれる。この運動は、特定の部位の細胞が膨圧(細胞の液胞中の水やその他の含有物によって細胞壁にかかる力)を失うことによって起こる。このような運動を接触傾性運動(英語版)と呼ぶ』。『また、他のネムノキ類同様に、葉は夜間になると葉を閉じて垂れ下がる』。『これを』、まさに名にし負う『就眠運動という』。『オジギソウが刺激されると』、『茎の特定部位が刺激され、カルシウムイオンを含む化学物質が放出される。この化学物質が葉の付け根の葉枕に到達すると』、〇・一『秒後に葉が運動する』。『カルシウムイオンは液胞から水を排出させ、水は細胞外に拡散する。これによって細胞の圧が失われて収縮し、この異なる部位間での膨圧の差によって葉が閉じ、葉柄が収縮する。このような特徴は、マメ科のネムノキ亜科内で極めて一般的である。刺激は近くの葉にも伝達される。再度、葉が開くには閉じてから』三十『分程度』、『かかる』。『オジギソウは植物なのに、なぜ動くのか』は、十八『世紀より』、『多くの生物学者が研究をしてきていたが、お辞儀をする理由は長い間』、『解明されていなかった』。『埼玉大学と基礎生物学研究所などは、共同研究でオジギソウの遺伝子を組み換え、「触られても動かないオジギソウ」を育成し、普通の「動くオジギソウ」とともにバッタなどに食べさせる実験を行った。すると、お辞儀をするオジギソウと比べて、お辞儀ができないオジギソウは』、二『倍ほど虫にたくさん食べられるということが分かった』。『オジギソウの運動は自らの身を守り、種の保存につなげていると検証された』とある。

「西《せい》・北《ほく》の人」★東洋文庫訳では、『西北の人』と訳されてあるが、私は、ずっと昔、この表現を見て、大いに違和感を持ったのを覚えている。通常、中国で「西人」或いは「西戎」「西域」、「北人」或いは「北狄」であって、「西北人」(せいほくじん・せいほくのひと)という言い方を、まずしないと感じたからであった(無論、方向としての「西北」はある)。而して、今回、前で電子化した「五雜組」で、この違和感が、私の確信犯であったことが、証明出来たと考えるのである。則ち、そこでは、そこでは、

    *

……南方より攜(たづさ)へて、北に入る者、梅(うめ)・桂(けい)の屬、尤(もつと)も臘(らう)を過ぎ難(がた)し。茉莉(まつりくわ)に至りては、則ち、百(ひやく)に一(いつ)も、存すること、無し。

 凡そ、花、六出(りくしゆつ)に咲く者、少(すく)なし。獨り、梔子の花、六出に咲き、其の色・香、亦(また)、皆、殊絕(しゆぜつ)、故叚成式、謂(いは)く、卽ち、「薝葡花《せんふくげ》」と。楊用修、謂く、卽ち、「楊州瓊花(やうしうけいか)」と。然れども、皆、非なり。此の花、閩中(びんちゆう)に在り、極めて多く、且つ、賤(いや)し。素馨(そけい)と、茉莉と、皆、地を擇(えら)ばずして、生(い)くる者なり。北の方、吳楚に至りて、始めて、漸(やうや)く、貴重とするのみ。茉莉は、三吳に在りて、一本、千錢、齊(せい)に入りては、輒(すなは)ち、三倍の直(あたい)を酬(むく)ふ。而して、閩・廣(かう)[やぶちゃん注:現在の広東省・広西省。]には、家家(いへいへ)、地に植え、籬(まがき)に編(あ)む。木槿と殊(こと)ならず。薔薇(さうび)・玫瑰(まいかい)・荼蘼(だび)・山茶(さんちや)の屬に至りては、皆、以つて、籬(まがき)に編む。以つて、西(にし)・北(きた)の人に語れば、未だ、必ずや、信ぜざるなり。

   *

の全体の文脈が、私の違和感を払拭して呉れたからである。異論のある方は、何時でも相手になりましょう!

「却𪾶《めむりざまし》の草」これは実在しない、中国で、伝説上の草である。「百度百科」の「却睡草」を見られたい。そこには、『又の名を「五味草」とも呼ばれる。食べると眠気を覚ます効果がある。』、『伝説中の草で、又の名を「五味草」の知られ、食せば、人をして眠らせない。』出典を二種掲げるのみで、モデル植物も挙がっていない。

「醉草《ゑひぐさ》」「拼音百科」に「醉草」があるが、そこでは『胆科睡菜属』(=リンドウ科ミツガシワ(三槲)属)となっているものの、本邦のウィキの「ミツガシワ科」を見ると、『古くはリンドウ科に含めていたが、分離された。APG分類体系ではキク目に入れている』とあった。但し、何故か、学名が示されていない。しかし、則ち、これは、

キク目 Asteralesミツガシワ科 Menyanthaceaeミツガシワ属ミツガシワ Menyanthes trifoliata

である。ウィキの「ミツガシワ」によれば、『日本(北海道、本州、九州)を含め』、『北半球の主として寒冷地に分布し、湿地や浅い水中に生える』。『地下茎を横に伸ばして広がる。葉は複葉で』、三『小葉からなる』四~五『月に』、『白い花を総状花序に』、『多数』、『つける』。『亜寒帯や高山に多いが、京都市の深泥池』(みどろがいけ)『や』、『東京都練馬区の三宝寺池』(さんぽうじ)『など』、『暖帯の一部にも孤立的に自生している。これらは氷期の生き残り(残存植物)と考えられ、これらを含む水生植物群落は』、『天然記念物に指定されている。北海道岩内郡共和町の町の花』であるとし、最後に、簡単に、『睡菜(スイサイ)と称し』、『苦味健胃薬として用いる』とある。私は、幼少期に練馬の大泉学園に住んでいたため、幼稚園の時、三宝寺池で、不思議な花(白い花弁に、白い細かい毛が生えている。一説に氷河時代の記憶で寒さを防ぐためとも言われる)見たのを、鮮明に覚えている。実は、「百度百科」にも「醉草」あるが、そちらも、やはり、学名がない(頗る不審)。しかし、そこにある別名の「瞑菜」で、「維基百科」を検索すると、「睡菜」の項があり、ここで、目出度くミツガシワの学名が示されてあり、同一種であることが確定される。

 但し、「拼音百科」に「醉草」には、本邦の記載にない、「醉草」の由来が記されてある。このミツガシワは、『独特の香りは、これらの粒子に含まれる強力な駆風作用のある油性化学物質によるものです。この香りを嗅ぐと、酔ったような感覚になり、長時間立っていられないことがあります。』とあり、さらに、「文化的背景」の項に、『古代中国の文献には「醉草」という植物の記述が残されている。「尸子」』(戦国時代の思想家尸佼(しこう)の著。紀元前四世紀頃の成立。元は全二十編であったが、現存は二巻のみ。雑家的思想書とされている。以上は「デジタル大辞泉」に拠った)『には、赤仙州周辺に「毓紅草」という植物が生育し、その実を食べると』三百『年もの』、『昏睡状態に陥ると記されています。』とあり、また、以下で、『李白は、詩「醉草恐夷」の中で「酔草」に言及し、自由で束縛のない精神状態を暗示させている。彼はまた、「醉草」を草書の芸術と関連付けた』と機械翻訳では、記されているが、これは、李白知らずの半可通が書いたトンデモものだ! 実際には、明末の抱甕老人(ほうおうろうじん)と称する蔵書家が『三言二拍』と総称された宋代以来の白話小説群から選んで編した「今古奇觀」の「第八十卷 李謫仙醉草嚇蠻書」の話である。それは、「中國哲學書電子化計劃」のここで、電子化されたものが視認出来る。遙かに、「百度百科」の「醉草」、及び、その複数のリンク先の方が、正確である。しかし、これらを見るに、私には、こうした作品で示されたものが、現在のミツガシワと同種であるとは、思われない。一種の志怪小説紛いのもので、信を置けない、架空の妖草とするべきであろう。

「醒醉《ゑひざまし》の草」酔いを醒ます草というのは、私のような酒狂には、あってほしいものだが、昔からお世話になっている個人サイト「肝冷斎雑記」の「漢文日録」のこちらに、

   《引用開始》

五代・王仁裕の「開元天宝遺事」にいうに、唐・玄宗皇帝のころ、宮中・興慶池の南畔には葉むらさきに茎あかき草が生えていて、

有酔者摘葉嗅之、立醒。

酔う者、葉を摘みてこれを嗅ぐあれば、たちどころに醒む。

酒に酔った者はその草の葉をつみとり、その匂いをかぐと、たちどころに醒めた。

その草を「醒酔草」といい、皇帝も貴妃も宿酔のときにこれを用いたという。

あるいは唐末の李徳裕は「醒酒石」というものを持っており、

酔則踞之。

酔えばすなわちこれに踞(うずく)まる。

酔うと、この石の上に座るのであった。

そうすると酒酔からの回復が早くなったのである。(このこと、「五代史」に出る)

ただ酒酔については醒めるのが早いのがよいのか遅い方がよいのか。難しいところである。

   《引用終了》

とあった。「百度百科」に「醒醉草」があるが、実際の植物種を挙げていない。そもそも、この段落の、対抗性植物の記載は、基本、中国人が古くから好んでいる、陰陽思想に基づく自然のバランスによる均衡哲学に基づくもので、かく、真面目に当該植物を調べている私は、正直阿呆のレベルと言うべきかも知れないなぁ……。

「宵明草《よひあけぐさ》」これは、次の対として、馬鹿正直に書くと、「夜に開花する草」と、「昼に眠る草」となり、わらわらと孰れも実在の植物を、イヤさかに比定したくなるのは、私だけではあるまいが、しかし、「百度百科」の「宵明草」を見ると、それも叶わない。『「宵明草」は晋代の王嘉の「拾遺記」の前漢下に記された伝説に薬草で、その特性は、「晩・夜は蝋燭の如く光り輝き、昼間は薄暗く』、『光は完全に消失し、植物体自体も、それとともに』『消えている」という特徴を持つ。この草は独特な形をしており、一株に七枚の葉があり、葉の先端は内に卷いた形を示し、文学作品では、奇体で幻想的な平原地域に植生するとある。夜間に光ることから、また、時間が経過するとともに光が消えてゆくことから、「銷明草」とも呼ぶ別名がある。」とし、『「拾遺記」によると、『宵明草は背明国から貢献された珍奇な物の一つで、夜に蝋燭のように見えることから、その名が与えられた。時間の経過とともに光が弱まって消えるという周期的性質が明確に記述されている。』とある。而して、先にあった、『葉と葉の先端の形態的特徴により、伝奇的創作に於いて認識し易いイメージを供給している。』とあり、さらに、『地域伝説』として(以下は機械翻訳のママ)、『いくつかの文学作品では、ウォル平原でこの草本を見つけるには、リヴァイアの雪山を越えなければならないとされている。』とあった。最後の「别称来源」には、『「銷明草」という名前は、光が尽きると自ら消えるという性質に由来しており、この愛称は歴史書にも記されている。この命名方法は、古代の人々が自然現象を擬人化して解釈したことを反映している。』とあって、全く、モデル植物は示されていない。因みに、丁度、一年前、『中国の科学研究チームがゲノム編集を駆使し、高輝度夜間自発光植物の研究開発に成功した。』という記事を見たのを思い出した。「人民網日本語版」の『植物も「常夜灯」に? 中国の科学研究チームが植物の発光に成功』を見られたい。……しかし、これは……ファンタジーではないな……マッド・サイエンスの類いだ……

「晝暗《ひるくらし》の草」象徴的に、私の好きな別名「ネムリグサ(眠り草)」を持つ、葉を閉じるマメ目マメ科ネムノキ亜科オジギソウ属オジギソウ Mimosa pudica を挙げたくなるが、「維基百科」の同種のページでは、項目を「含羞草」とし、異名を「如見笑草」・「見笑花」・「愛睏草」・「驚擽草」・「畏擽草」・「喝呼草」・「知羞草」・「怕醜草」・「怕羞草」・「夫妻草」等があるが、「晝暗草」は、ないな……。

「夜合草《よるあひぐさ》」これは、実在する。タデ目タデ科ツルドクダミ(蕺・蕺草・蕺菜)属ツルドクダミ Reynoutria multiflora(英文の当該ウィキを見ると、属名タクソンで変更が多いため、シノニムが実に八つもある。Pleuropterus multiflorusAconogonon hypoleucumBilderdykia multifloraFagopyrum multiflorumFallopia multifloraHelxine multiflorumPleuropterus cordatusPleuropterus multiflorusPolygonum multiflorumFallopia multiflora である。「ブリタニカ国際大百科事典」に拠れば、『多年草。中国原産で』、『古く薬草として日本に渡来したが,各地に野生化している。地下に肥大した塊根があり,茎はつるになり他物に巻きついて茂る。塊根を乾かしたものをカシュウ(何首烏)といい,強壮剤とする。葉の形が先のとがったトランプのスペードの形で,ドクダミ』(全く縁のないコショウ目ドクダミ科ドクダミ属ドクダミ Houttuynia cordata )『に似ていることから』、『この名がある。夏の終りに,葉腋から大きな円錐花序を出し,白い小花を多数つける。花後に結ぶ実は』三『稜形で』、『翼があり』、『細長い』とある。サイト「庭木図鑑 植木ペディア」の「ツルドクダミ」に、『中国を原産とするタデ科ソバカズラ属の多年草。ドクダミの仲間ではないが、葉がドクダミに似て蔓性であるため』、『ツルドクダミと呼ばれるようになった』。『本州~沖縄の山野、道端などで野生化したものが普通に見られるが、いわゆる帰化植物であり、その起源は八代将軍徳川吉宗が長崎に取り寄せ』、享保五(一七二〇)『年に栽培を命じたことにある』。『別名及び漢方としての生薬名を「何首烏(カシュウ)」というが、これはツルドクダミの根を煎じて飲んだ親子三代が、黒髪のまま長生きしたという中国の伝説「何首烏伝」にちなむ』。『学名』の一つの『 Polygonum 』は、『膨らんだ節が多いことを意味し、地下を這う根の一部は細いサツマイモのような塊根になる。これに含まれるアントラキノン誘導体には緩下作用があり、煎じたものは便秘や整腸に効果があるとされる』。『漢方では「交藤」』(コウトウ)『「夜合」』(ヤゴウ)「『とも呼ばれ、上記の伝説にちなんで不老長寿、強壮、発毛、白髪対策に効果があるとして珍重してきたが、現代の日本においても栄養ドリンク(ユンケルなど)やシャンプー、美容液の原料に使われており、度々』、『注目される』とあった。なお、「維基百科」の「何首烏」には、肝毒性の注意喚起が出るので、着目されたい。ちゃんと「夜合」の由来が書かれたものが、ない。まあ、性的なそれに基づくのであろう。

「夜舒《よるひらき》の草」中文サイトでも掛かってこない。お手上げ。対の方が、具体な種が同定されているのだから、あるだろうと思うのだが? 識者の御教授を乞う。

2025/09/23

和漢三才圖會卷第九十二之本 草類 藥品(3) 名義

 

  みやうぎ

  名義

 

以時名者 迎春 半夏 夏枯草 欵冬 忍冬

以人名者 杜仲 王孫 徐長卿 丁公藤 蒲公英

     劉寄奴 何首烏 使君子

以物名者 淫羊藿 糜衘草 鹿跑草

[やぶちゃん字注:「鹿跑草」の「跑」の字は、東洋文庫訳でママ傍注があるので、調べたところ、漢方名「鹿蹄草」が正しいことが判った。訓読では、訂した。

以地名者 常山 高良 天竺 迦南

以形名者 虎掌 狗脊 馬鞭 烏喙 鵝尾 鴨蹠

     鶴蝨 䑕耳 牛膝

[やぶちゃん字注:「牛膝」は、原本では、「膝」の(つくり)が「泰」になっているが、このような漢字は、ない。東洋文庫訳では、『牛膝』となっており、調べたところ、漢方名「牛膝」が正しいことが判った。訓読では、訂した。

以性名者 益母 狼毒 預知子 王不留行 骨碎補

强名之者 没藥 景天 三七 無名異 威靈仙

     沒石子

 

   *

 

  みやうぎ

  名義

[やぶちゃん注:以下、漢方名は、原本に従わず、一列に並べ、漢方名はカタカナで読みを添えた。

 

時《とき》を以《もつ》て、名《なづ》くる者は、「迎春《ワウバイ》」・「半夏《ハンゲ》」・「夏枯草《カゴサウ》」・「欵冬《カントウ》」・「忍冬《ニントウ》」。

人《ひと》を以《もつて》、名くる者は、「杜仲《トチユウ》」・「王孫《ワウソン》」・「徐長卿《ジヨチヤウケイ》」・「丁公藤《テイコウトウ》」・「蒲公英《ホコウエイ》」・「劉寄奴《リユウキド》」・「何首烏《カシユウ》」・「使君子《シクンシ》」。

物を以《もつて》、名くる者は、「淫羊藿《インヤウカク》」・「糜衘草《ビカンサウ》」・「鹿蹄草《ロクテイサウ》」。

[やぶちゃん注:この「物」は、示された漢方名から、「人ではない動物」の意味であるが、実は、植物を動物と誤ったもの(良安ではなく、李時珍である)が混入しているので、注を見られたい。

地を以、名くる者、「常山《ジヤウザン》」・「高良《カウリヤウ》」・「天竺《テンヂク》」・「迦南《カナン》」。

形《かたち》を以、名くる者は、「虎掌《コシヤウ》」・「狗脊《クセキ》」・「馬鞭《バベン》」・「烏喙《ウクワイ》」・「鵝尾《ガビ》」・「鴨蹠《アウシヨ》」・「鶴蝨《カクシツ》」・「䑕耳《ソジ》」・「牛膝《ゴシツ》」。

[やぶちゃん字注:「牛膝」は、原本では、「膝」の(つむり)が「泰」になっているが、このような漢字は、ない。東洋文庫訳では、『牛膝』となっており、調べたところ、漢方名「牛膝」が正しいことが判った。訓読では、訂した。また、この冒頭の部分であるが、東洋文庫訳では、『動物の身体や物の形をかりて名前をつけたものは、』となっている。

性《しやう》を以、名《なづく》る者は、「益母《ヤクモ》」・「狼毒《ラウドク》」・「預知子《ヨチシ》」・「王不留行《ワウフルカウ》」・「骨碎補《コツサイホ》」。

[やぶちゃん注:言わずもがなであるが、冒頭の部分の「性」は、「それぞれの対象薬の持っている特性」の意である。]

强(しい)て之《これ》を名くる者は、「没藥《モツヤク》」・「景天《ケイテン》」・「三七《サンシチ》」・「無名異《ムミヤウイ》」・「威靈仙《イレイセン》」・「沒石子《モシクシ》」。

[やぶちゃん注:最後の「沒石子《モシクシ》」の読みは、先行する「卷第八十三 喬木類 没石子」の標題の読みを当てた。東洋文庫訳でも、『もしくし』とルビしている。しかし、そちらの注で、私が疑問を呈しているので、見られたい。なお、冒頭の「强(しい)て之《これ》を名くる者は」の部分は、東洋文庫訳では、『強いてこじつけて名前をつけたものは、』となっている。]

 

[やぶちゃん注:以下、解説するが、長くなるので、名義由来の根拠部分には、下線を附しておいた。読み難くなるので、段落に合わせて、行空きを施した。

 

「迎春《ワウバイ》」基原は、双子葉植物綱シソ目モクセイ科 Jasmineae 連ソケイ(素馨)属 Primulina 節オウバイ Jasminum nudiflorum の花と葉が、別々な薬効を持つ。「山科植物資料館」公式サイト内の「オウバイ」に拠れば、『日本には寛永年間』(一六二四年~一六四四年)『に渡来したとされています。江戸時代の代表的な園芸書である「花壇地錦抄」』(伊藤伊兵衛(三之丞)著・元禄八(一六九五)年刊)『にも栽培法が書かれていて、現在でも庭木や生け垣として観賞用に植えられているのを見ることができます』。『このように人々の目を楽しませてくれるように日本に移入された植物ではありますが』「中薬大事典」(江蘇新医学院著・一九七七年上海人民出版社刊)『を見ますと、花と葉が別々な薬効を持つ生薬として収載されており、花は内服して解熱・利尿に利用され、葉は内服あるいは外用で、腫毒悪瘡、打撲傷、創傷出血などを治すとされています』。『因みに』、『この植物の属するソケイ属は、旧大陸の熱帯から暖帯にかけて』三百『種近く知られていますが、その中にはジャスミンティー(茉莉花茶)や香料にするマツリカ』 J. sambac 『も含まれています』とあった。この花は、二月の春分前後に黄色の花を開き、花が終ると、直ちに葉を生じ、枝が地に着くと、根を出す。また、春分の頃に分けて栽えるのがよい、とされる。

「半夏《ハンゲ》」前回で既出既注だが、転写すると、単子葉植物綱ヤシ亜綱サトイモ目サトイモ科ハンゲ属カラスビシャク Pinellia ternata のコルク層を除いた塊茎。嘔気や嘔吐によく使われる生薬である。私の「耳囊 卷之七 咳の藥の事」も参照されたい。半夏の名は夏の半ばに花が咲き、その頃に採取することに由来する。

「夏枯草《カゴサウ》」基原は、シソ目シソ科ウツボグサ(靫草・空穂草)属セイヨウウツボグサ亜種ウツボグサ Prunella vulgaris subsp. asiatica の花穂。「養命酒製造株式会社」公式サイト内の「元気通信│生薬通信」の「生薬百選52 夏枯草(カゴソウ)」に、『日本、中国では生薬名を夏枯草(かごそう)と言いますが、これは』七『月から』八『月頃になると』、『写真右下のように花穂だけが枯れたようになることからついた名前です。日本薬局方には「本品はウツボグサ Prunella vulgaris Linne var. lilacina Nakai (Labiatae) の花穂である」と記載されています。成分はトリテルペンサポニンの prunellin などで、日本では主に利尿・消炎剤として用いられてきましたが、当帰・玄参・芍薬などと配合して(夏枯草散』(かごそうさん)『)眼の痛みに用いられてきたようです。また、抗がん作用、ヒトエイズウイルス(HIV)増殖抑制効果の報告もあります』とあった。

「欵冬《カントウ》」「藥品(1)」で既注だが、再掲すると、キク亜綱キク目キク科キク亜科フキ属フキ Petasites japonicus のこと。小学館「日本大百科全書」に、『雌雄異株。本州、四国、九州、沖縄、および朝鮮半島から中国にかけて分布する』。『数少ない日本原産の野菜の一つで、栽培は』十『世紀以前から始まった』とある。基原は、その花蕾を乾燥したもので、一般的に「咳」に使われる漢方薬「麦門冬湯」(ばくもんどうとう)に含まれていることで知られる。この「欵」の漢語は、『誠(まこと)・真心・誠意』、『よろこぶ・歓び楽しむ』、『叩く・門を敲く』、『記す・刻む・彫る』の意があり、言わずもがなであるが、所謂、「蕗の薹」は冬の終り、雪解けを待ちかねたように、頭を出すことから、春の使者とされることに拠る。

「忍冬《ニントウ》」マツムシソウ目スイカズラ科スイカズラ属スイカズラ Lonicera japonica の漢方生薬名「忍冬(にんどう)」「忍冬藤(にんどうとう)」。棒状の蕾を天日で乾燥したもの。利尿・健胃・解熱・浄血・収斂作用がある。同種の葉は、楕円形で対生し、冬でも残っているので、かく呼ぶ。

 

「杜仲《トチユウ》」「卷第八十三 喬木類 杜仲」の本文、及び、私の注を見られたい。

「王孫《ワウソン》」基原は、単子葉植物綱ユリ目シュロソウ(棕櫚草)科ツクバネソウ(衝羽根草)属のツクバネソウ Paris tetraphylla 、及び、クルマバツクバネソウ(車葉衝羽根草) Paris verticillata の根茎で、漢方で鎮痛に用いる。漢方サイトでは、由来を明らかにするものを見出せないが、平凡社「普及版 字通」の「王孫(おう(わう)そん)」に、『貴公子』として『漢』の『淮南王安』の「招隱士」にある、『王孫びて歸らず 春生じて萋萋たり』が語源であろうか。「萋萋たり」は「草木が生い茂るさま」を言う。

「徐長卿《ジヨチヤウケイ》」基原は、リンドウ目キョウチクトウ(夾竹桃)科カモメヅル(鴎蔓)属スズサイコ(鈴柴胡) Vincetoxicum pycnostelma の根・全草で、月経痛の鎮痛・咳止めなどに用いる。「百度百科」の同種の解説の中で、『李時珍によって名付けられた。「徐長卿とは人名である。彼は、この薬を悪病の治療によく用いたので、人々は、その名にちなんで名付けた。」』と記されてある。これは、「本草綱目」の「卷十三」の「草之二【山草類下三十九種】」の「徐長卿」で、「漢籍リポジトリ」のここの、ガイド・ナンバー[039-62a]の、冒頭部の「釋名」の太字部が、それである(一部に手を入れた)。

   *

釋名【鬼督郵本經别仙蹤蘇頌時珍曰徐長卿人名也常以此藥治邪病人遂以名之名醫别錄於有名未用復出石下長卿條云一名徐長卿陶弘景注云此是誤爾方家無用亦不復識今攷二條功療相似按吳普本草云徐長卿一名石下長卿其爲一物甚明但石間生者爲良前人欠審故爾差舛弘景曰鬼督郵之名甚多今俗用徐長卿者其根正如細辛小短扁扁爾氣亦相似今狗脊散用鬼督郵者取其强悍宜腰脚故知是徐長卿而非鬼箭赤箭】

   *

この由来は、taka@鍼灸師氏のサイト「鍼灸cafe」の「【中薬を故事で学ぶ】 徐長卿の故事 〜魏征の機転と『徐長卿』誕生の秘密〜」に非常に詳しい。それに拠れば、徐長卿は初唐の医師で、第二代皇帝太宗である李世民が、毒蛇に咬まれ、他の医師がお手上げであったのを、見事に癒した興味深い故事によることが記されてある。是非、そちらを見られたい。

「丁公藤《テイコウトウ》」基原は、ナス目ヒルガオ科ホルトカズラ(ホルト葛)​​属丁公藤(和名なし)Erycibe obtusifolia 、或いは、光叶丁公藤(和名なし)Erycibe schmidtii の乾燥した茎。「百度百科」の当該漢方薬のページで、やっと探し当てた。その記載の冒頭に拠れば、『麻辣子・包公藤とも呼ばれ、中国では広東省・海南省・雲南省などの省に分布している。一年中、収穫でき、スライスして乾燥させて薬用にする。双子葉植物綱ナス目に属す。僅かに毒性があり、乾燥した場所に保管する必要がある。この薬用物質には、クマリン、クロロゲン酸誘導体、アルカロイドが含まれている。丁公藤を主薬として、さまざまな中国の特許医薬品が開発されている』。『丁公藤は、辛・温で、肝・脾・胃経に入り、風湿を払い、腫れを抑え、痛みを和らげる作用がある。主に、リウマチ痛・半身不随・転倒による腫れや痛みの治療に用いられる。内服又は外用は通常三~六グラムで、酒の形で用いられることが多い。研究によると、加工方法によって、化学成分の含有量や毒性が影響を受けることが示されている。中でも、甘草汁と塩水煎じ液は、クロロゲン酸とスコポレチンの含有量が高く、アラニンアミノトランスフェラーゼやアスパラギン酸アミノトランスフェラーゼなどの肝毒性指標を大幅に低下させることが出来る。強い発汗作用があるため、体力の弱い者は注意して使用する必要があり、妊婦には禁止されている。』とあった。これが、人名であることは、AIの結果にあったので、調べたところが、瓢簞から駒で、「中國哲學書電子化計劃」の「五雜俎」の「卷十一」の「物部三」にあったが、何んとまあ! この部分(「□」は表示不能字)、

   *

迎春也,半夏也,忍冬也,以時名者也;劉寄奴也,徐長卿也,使君子也,王孫也,杜仲也,丁公藤也,蒲公英也,以人名者也;鹿跑草也,淫羊藿也,麋銜草也,以物名者也;高良、常山、天竺、迦南,以地名者也;虎掌、狗脊、馬鞭、烏喙、鵝尾、鴨□、鶴虱、鼠耳,以形名者也;預知子、不留行、骨碎補、益母、狼毒,以性名者也;無名異、沒石子、威靈仙、沒藥景、天三七,則無名而強名之者也。牝鹿銜草,以飴其牡,蜘蛛嚙芋,以磨其腹;物之微者,猶知藥餌,而人反不知也,可乎?

   *

とあって、良安は、ここから全体を写したことが、判明したわいナ!!!

「蒲公英《ホコウエイ》」本邦では、キク目キク科キクニガナ亜科タンポポ属 Taraxacum に属する多くのタンポポ、及び、外来種であるセイヨウタンポポ Taraxacum officinale を総称して「たんぽぽ」と呼称しており、基原は、ウィキの「タンポポ」によれば、『タンポポ属植物の開花前の根を付けた全草を、掘り上げて水洗いし、長さ』二~三『ミリメートルに刻んで』、『天日干ししたものが生薬になり、蒲公英(ほこうえい)とよんでいる』とし、『花が開く前の根を掘り起こして、水洗いして天日干ししたのが生薬名で蒲公英根(ほこうえいこん)と称している』。『全体、特に根に苦味があり、健胃作用、解熱作用、利尿作用、および胆汁分泌の促進作用があるといわれており、健胃薬として用いられる』とある。しかし、『中国の「蒲公英」は、モウコタンポポ』(蒙古蒲公英: Taraxacum mongolicum ウィキの「モウコタンポポ」には、『モンゴルから中国北部・中部、朝鮮半島に分布しており』、『中国では蒲公英といえば』、『本種を指す』とし、『日本では九州北部に分布している』とある)『である。』としてある。「維基百科」の当該種の方には、そういったことは書かれていないが、「百度百科」の「蒲公英」には、モウコタンポポの学名が記されているので、間違いあるまい。しかし、以上の各種記載でも、これが人名であるとする記載は見当たらない。調べたところ、「ハオ中国語アカデミー」の「博多校ブログ」の「中国文化」にある、「『蒲公英』名前の由来」に、『春先に道端に咲く黄色い草花の名前をご存じですか? 日本ではひらがなで『たんぽぽ』、またはカタカナで『タンポポ』と表され、漢字では『蒲公英』と書きます』。『実は、中国名も同じ漢字で『蒲公英』と書きますが、読み方は『pú gōng yīng (ほこうえい)』となります』。『では、蒲公英の名前の由来についてはご存じですか?』『伝説によると』、『その昔、ある16歳の少女の胸に、細菌感染による強いかゆみと腫れが出ました。 当時の中国は封建社会であり、医療知識もなかったため、その少女の家族は、少女が不道徳な関係を持ったせいだと疑いました』。『深く傷ついた少女は生きる希望を失い、川に飛び込んで自ら命を絶つという悲しい選択をしました。 しかし少女は、』『『蒲』という漁師と『小英』という娘さんに川から助け出され、命を救われました』。『16歳の少女が自ら命を絶つほど追い詰められた理由が何かを聞いた小英さんは、父親の指示に従い、ある黄色い植物を採集しました』。『それを砕いて少女の胸の傷に塗りました。 すると不思議なことに、だんだんと痛みと腫れが消えて、病気が治りました』。『16歳の少女は、この黄色い植物を記念に持ち帰り、植えることにしました。 そして感謝の気持ちを込めてこの植物に、命の恩人たちの名前から『蒲公英』と名づけました。 ちなみに『公』は、目上の人』、『または』、『年配の男性に対する尊敬の呼び方です。』(以下、略)とあった。大いに納得である。原文を捜したい。

「劉寄奴《リユウキド》」「金澤 中屋彦十郎薬局」の「●劉奇奴(リュウキド、りゅうきど)」に、『健康食品』としつつ、『劉奇奴は中国の南部に分布するキク科ヨモギ属の多年草、アルテミシア・アノラマ』(種小名は「アノマラ」の誤り。Artemisia anomala である。現代の中国語では、「奇蒿」で「維基百科」に載る)『の開花期の全草を用いる』。『劉奇奴の名は南朝、宋の初代皇帝である劉裕に由来する』(「奇奴」は彼の幼名)。『ただし』、『劉奇奴の基源植物は一定しておらず』、『南部のを南劉奇奴というのに対し、北部ではゴマノハグサ科のヒキヨモギ』(引蓬:現在は、シソ目ハマウツボ科に移動されており、ヒキヨモギ属ヒキヨモギ Siphonostegia chinensis である)『の果実をつけた全草を北劉奇奴といっている』。『四川省のキク科のタカヨモギ』(セイタカヨモギ(背高蓬)Artemisia selengensis の別名)『も劉奇奴といっている』。『本品はタカヨモギである。おけつ』(瘀血:血液が粘性を持ってしまっている状態を指す)『に利用される。』とあった。「人民网com.」の「唯一用皇帝名字命名的中——刘寄奴」「皇帝の名を冠した唯一の中医薬――劉寄奴」)に、具体的に記されてある。機械翻訳でも、概ね判るので、見られたい。

「何首烏《カシユウ》」「東北大学薬学研究科・薬学部 附属薬用植物園」公式サイト内の「カシュウ(何首烏)」に、基原は、中国原産の『タデ科(Polygonaeae)のツルドクダミ( Polygonum multiflorum Thunb.)の塊根を乾燥したもの』(当該ウィキでは、漢字表記は「蔓蕺草」)。『中国では基原植物が異なる「何首烏[= Cynanchum auriculatum Royle (Asclepiadaceae)]」もある』。『塊茎を乾燥したものは「生何首烏」で、熱で修治したものを「製何首烏」という。』とあった(学名を斜体に代えた)。『宋の時代の』「開寶本草」『に収載され、生何首烏は潤腸、瀉下、消炎作用が主な作用で、製何首烏は肝と腎(肝臓と腎臓ではない)を補益する作用が主である』。『強壮・緩下を目的として民間薬的にも利用される。』とあった。「つゆくさ医院」の「つゆくさONLINE」の「何首烏(カシュウ)」のページに『中国の何(カ)という名前の者が本薬を服し、首から上(頭髪)がカラスのように黒くなったという伝説から名づけられた。』とあった。

「使君子《シクンシ》」基原は、フトモモ目シクンシ科シクンシ属インドシクンシ Combretum indicum の種子で、駆虫薬である。「山科植物資料館」公式サイト内の「植物の話あれこれ 43」の『駆虫生薬として有名な「シクンシ」』に拠れば(学名は私が斜体化した)、『この植物の和名「シクンシ」は、生薬名の「使君子」に由来する。「使君子」の「使君」とは、「四方の国にさしつかわされる天子の使者」のことである。このことから、「使君子」は、「天子からつかわされた使者のような薬」、すなわち「天子が民の無病息災を願って賜った貴重な薬」と考えられ、このような名前がつけられたのだと思う。なお、「使君子」は、この植物の中国名にもなっている。このことから、和名「シクンシ」は、この植物の中国名に由来するとも考えられる。いずれにしても「この植物は、人々に大きな恵みをもたらすありがたい木」という意味で、このような名前がつけられたのだと思う』とあり、『「シクンシ」は、インド南部、ミャンマー~マレー半島、ニューギニア地域原産の常緑木本性つる植物である。この植物の学名(種小名)” indica ”は、「インドの」という意味である。また、この植物は、英名で、”Rangoon creeper”と呼ばれている。「ミャンマー(ビルマ)の旧首都ラングーン(ヤンゴン)のつる植物」という意味である。このような名前からも、「シクンシ」は、インドやミャンマーが原産地であることがうかがえる』とされ、中をカットして、『シクンシ科植物(Combretaceae)では、「シクンシ」のほか、「モモタマナ」が有名である。モモタマナ” Terminalia catappa L.”の果実は、”Indian almond”(インドのアーモンド)とか、”Sea almond “(海のアーモンド)と呼ばれ食用にされる。硬い核の中に脂肪分に富んだ緑色の胚があり、アーモンドの風味がある。これを炒って食べる。果実に含まれている脂肪は、「カタッパ油」と呼ばれ、果実中に5060%含まれている。モモタマナは、マレー半島原産といわれているが、熱帯各地に広く分布している。日本の沖縄や小笠原諸島にも自生している。材は、硬く、建築用材や家具に使われる。果実や樹皮には、タンニンが多く含まれており、染料の原料に用いられる。』ともあった。

 

「淫羊藿《インヤウカク》」これは、基原は、モクレン(木蓮)亜綱キンポウゲ(金鳳花)目メギ(目木)科イカリソウ(錨草)属イカリソウ変種イカリソウ品種イカリソウ Epimedium grandiflorum var. thunbergianum f. violaceum で、れっきとした植物であり、動物では、ない「東邦大学 薬学部付属薬用植物園」公式サイトの「イカリソウ」のページに拠れば、Epimedium grandiflorum var. thunbergianym とされ、『本州東北地方以南の太平洋側、四国の丘陵や山麓に分布する多年草です。草丈は1525cm、根茎は横に這い数本の茎を束生します。春先に根茎から出た根葉は、23出葉です。中の一つの小葉はゆがんだ卵形で、縁には毛があります。45月に咲く紅紫色の花が、錨に似ているのが名前の由来です。4枚の花弁は、先端にいくにつれて細くなる管状で、その先端は内側に曲がっています。萼片は8枚ありますが、開花するとき』、『外側の4枚は落ち、内側の4枚が大きくなり花弁と同じ紅紫色になります。冬期には地上部は枯れます。日本海側に多いトキワイカリソウEpimedium sempervirens 』『は冬期でも葉は枯れません。生薬名の淫羊霍は中国産のホザキイカリソウEpimedium sagittatum に付けられた中国名ですが、日本産の各種も』、『この名前で呼ばれています。古い中国の「本草綱目」(1500)によると、「四川の北部に淫羊と言う動物がいて、一日に百回も交尾する。それは霍と言う草を食うからと言うことだ。そこでこの草を淫羊霍と名付けた」とあるのが生薬名の由来ですが、霍とは、「豆の葉」のことで、イカリソウの葉が豆の葉に似ていることからです。トキワイカリソウを始めシロバナ、キバナ、バイカ、ゲンペイ花などの各地の変種が多数あり、植物分類学的に種を特定するのは困難な場合があります。』とあった。「本草綱目」の当該部は、「漢籍リポジトリ」の「卷十二下」の「草之一【山草類上一十八種】」のガイド・ナンバー[037-25b]の「淫羊藿」の項の「釋名」中だが、厳密には、時珍の記載ではなく、彼が引用した、梁の武帝に抜擢された医師・科学者にして道教の茅山派の開祖でもあった陶弘景(四五六年~五三六年)の以下である(一部に手を入れた)。

   *

剛前【本經弘景曰服之使人好爲隂陽西川[やぶちゃん注:原文の誤記。「四川」が正しい。]北部有淫羊一日百遍合蓋食此藿所致故名淫羊藿】

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「糜衘草《ビカンサウ》」この文字列でネットで検索しても、漢方名で確認出来なかったことから、このこの「衘」の字に疑問が生じた。そこで、中文のデータを調べてみたところ、「維基文庫」の「永樂大典/卷09762」に、「麋銜」の項名と、解説の「一名糜䘖」が見出せた。そこで、この文字で検索を調べたところ、「鍼道五経会」の運営するブログの「第2回 金匱植物同好会に行ってきました!登山口〜往路編」に、写真のキャプションに、『サワギク(薇銜)について説明される濱口先生』というのを見出した。「株式会社メテオ メディカルブックセンター」の「名医別録解説」という書籍の「目次」に、『210 薇銜 ( びかん )』とあるのを発見した。以上から、基原対象植物は、キク目キク科キク亜科サワギク(沢菊)連サワギク属サワギク Nemosenecio nikoensis でよいのであろう。基原部位は調べ得なかったが、ある薬用植物資源の調査論文のリストの中に、同種の和名と学名を確認出来た。私に出来ることはここまで、である。なお、この「糜衘草」の「糜」を用いる中国語の動物を探したところ、「糜鹿」があり、これは、シカ科シカ亜科シフゾウ属シフゾウ Elaphurus davidianus(現行の漢名でも「麋鹿」(音なら「ビロク」)と呼ぶ)がいる。同種の野生種は既に絶滅した。ウィキの「シフゾウ」を参照されたい。但し、これが、当該動物であるかどうかは、判らない。悪しからず。いろいろと、識者の御教授を乞うものである。

「鹿蹄草《ロクテイサウ》」「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | 鹿蹄草(ろくていそう)」に拠れば、基原は、ビワモドキ(枇杷擬)亜綱ツツジ(躑躅)目『イチヤクソウ』(一薬草)『科(Pyrolaceae)のチョウセンイチヤクソウ Pyrola rotundifolia L.P. rotundifolia subsp. chinensis H. Andres、イチヤクソウ P. japonica Klenze ex Alef. などの全草を乾燥したもの。』とあり、以下、『近年日本では民間薬を利用する機会がめっきりと少なくなり、市場での流通も減っています。日本民間薬にはドクダミ、ゲンノショウコ、オオバコなど多数がありますが、その大半は中国からの影響で、特に明代に李時珍が著した』「本草綱目」『の影響が強く認められます』。「本草綱目」『には民間療法も多く掲載され、出版後間もなく日本に持ち込まれ、増刷されて各地に広まりました』。『そうした民間薬の中に「一薬草」があります。原植物はイチヤクソウで、薬名がそのまま和名になった一例です。一つの薬草で様々な病に効くことに由来すると伝わっています』。「本草綱目」『には「鹿蹄草」の名称で掲載されています』。『鹿蹄草は』同書『の草部に収載され、「鹿蹄草という』のは、『葉の形を形容したものだ。よく金瘡を合わせるものだから』、『試剣草と名づけたのだ。また山慈姑にも鹿蹄なる名称があるが』、『これとは異なる」と』、『その名の由来を説明しています。また』、同書『によると』、「軒轅述寶藏論」『に初めて収載され、「鹿蹄は江広地方の平陸及び寺院の荒地に多く生じる。淮北地方には絶えて少ない。川、陝にもある。苗は菫菜に似て』、『葉が頗』(すこぶる)『大きく、背面は紫だ。春紫の花を開き、天茄子のような青い実を結ぶ。」と記されています』同書『の付図および清代の』「植物名實圖考」『の鹿蹄草の図などから』、『ナス科植物のように思われますが、現在の』「中国薬用植物誌」『では』、『鹿蹄草にイチヤクソウ科のチョウセンイチヤクソウ Pyrola rotundifolia L. を充てており、一方』「中葯志」『では鹿銜草(ろくかんそう)の原植物としてチョウセンイチヤクソウを記載し、共に金瘡出血や蛇、犬、虫、などによる咬傷の解毒薬としています。鹿銜草は』「植物名實圖考」『に鹿蹄草とは別項で収載され、その付図は明らかにPyrola属と思われるなど、鹿蹄草と鹿銜草の間に混乱が認められます。我が国では、林羅山が』「本草綱目」『収載の品々に和名をあてた』「多識編」『に「鹿蹄草、今案加乃豆米久佐(かのつめくさ)」とあるのが最初で、その後』、『小野蘭山がイチヤクソウを充てて以来』、『通説となっています』。『日本では』、『「一薬草」は民間的に打撲傷、切り傷、蛇咬傷などに生葉の絞り汁を付けたり、肺結核や膀胱尿道炎に単味で用いられてきました。まさに』「本草綱目」『の影響だと考えられますが、かつての日本市場にはイチヤクソウ以外に異物同名品として』、『形態の類似からイワウチワ科の Shortia 属』(ビワモドキ亜綱イワウメ(岩梅)目イワウメ科イワウチワ(岩団扇)属)『植物に由来するものも市販されていました。なお、現代中国では「鹿蹄草」は利湿、強壮、鎮痛、鎮静、止血薬としてリウマチ、関節炎などの疼痛、驚悸不寧、足膝の無力などに応用されています』とあった。また、サイト「漢方薬のきぐすり.com」の「イチヤクソウ」には、『シカが踏み荒らしそうな林下に生えているので、鹿蹄草の名が与えられた。一薬草(いちやくそう)の名は、この葉をもんでつけると病が治るところからつけられた』とある。因みに、「跡見群芳譜」の「野草譜」の「いちやくそう(一薬草)」を見ると、イチヤクソウ Pyrola japonica の漢名として、『日本鹿蹄草(ニホンロクテイソウ)』とされ、以上の、P. rotundifolia subsp. chinensis(ページの下から三番目)に対して、★「鹿蹄草」の中文名が冠されてある★のを発見した。また、『中国では、同属植物のうち P.rotundifolia subsp. chinensis(鹿蹄草)などの全草を鹿蹄草(ロクテイソウ,lùtícăo)・鹿銜草(ロクカンソウ,lùxiáncăo)と呼び』、『薬用にする』とあって(学名は私が斜体にした)。恐らく、★このページが、邦文記事では、最も完備している★と思われるので、是非、見られたい。なお、前者の引用にある「本草綱目」の訳の原文は、「漢籍リポジトリ」の「卷十六」の「草之五【隰草類下七十三種】」のガイド・ナンバー [045-39b]の以下である。短いので、全文を示しておく(一部に手を入れた)。

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鹿蹄草【綱目】

 釋名小秦王草【綱目】秦王試劍草時珍曰鹿蹄象葉形能合金瘡故名試劍草又山慈姑亦名鹿蹄與此不同

 集解【時珍曰按軒轅述寳藏論云鹿蹄多生江廣平陸及寺院荒處淮北絕少川陜亦有苗似堇菜而葉頗大背紫色春生紫花結靑實如天茄子可制雌黃丹砂】

 氣味【缺】主治金瘡出血𢷬塗卽止又塗一切蛇蟲犬咬毒【時珍】

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「常山《ジヤウザン》」「伝統医薬データベース」の「常山」に拠れば、基原は、ユキノシタ(雪の下)目ユキノシタ科ジョウザンアジサイ(常山紫陽花) Dichroa febrifuga の『小くさぎと言う小木の根を採ったもので、黄色をしたものが良いとされる』とあった(因みに、和名に「アジサイ」とあるが、アジサイは、ミズキ(水木)目アジサイ科アジサイ属 Hydrangea とは、縁も所縁もないので、注意)。「臨床応用」の項に、『マラリアの要薬.解熱,吐痰薬として,各種のマラリア性疾患,胸脇脹満,痰飲積聚して吐けない病状など.』とする。M.Ohtake氏のサイト「四季の山野草」の「ジョウザンアジサイ」のページには、『中国南部、インドネシア、インドなどに分布。名前は中国山西省北部の常山(恒山)にちなむと思われる。漢方では根を常山、若枝を蜀漆(しょくしつ)といい』、『解熱・催吐剤に用いる』とあった。恒山はここ(グーグル・マップ・データ)。

「高良《カウリヤウ》」「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | 良姜(リョウキョウ)」に拠れば、基原は、単子葉植物綱ショウガ目ショウガ科ハナミョウガ属コウリョウキョウ(高良姜)『 Alpinia officinarum Hance 』『の根茎を乾燥したもの』とあり、『良姜は』「名醫別錄」(作者不詳。「神農本草經」の薬三百六十五種に、漢・魏以来の名医が用いた薬三百六十五種を加えた漢方書。全三巻)『の中品に「高良姜」の名で収載され,「大温,暴冷,胃中の冷逆,霍乱腹痛を主治する。」と記されています』。『陶弘景(隠居)は「高良郡に出る。」と云い,李時珍は「陶隠居はこの薑は』、『はじめて産したところが』、『高良郡であったからこの名称があるのだと言っている。按ずるに』、『高良は当近の高州で,漢の時代には高涼県と言われ,−−−その地は山が高くて清く涼しいから地名がそのように呼ばれたというから,高良は高涼と書くのが正しいようである」としています。発音が同じなので「涼」が「良」に変わったものでしょうか。現在の広東省茂名県が治める地域です』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。以下に、『姜の字が示すとおり,原植物はショウガ科植物に由来します。ショウガ科植物由来の生薬には他に,ショウキョウ,ウコン,ガジュツ,ショウズク,シュクシャなどがあり,それらは一般に根茎や種子に芳香と辛味を有します。その中で,良姜とショウガを加熱後乾燥した乾姜は,中医学ではともに散寒薬に分類され,散寒止痛,温中止嘔に働く』、『よく似た薬物とされます。両者はともに脾胃に作用しますが,作用する臓腑に違いがあり,良姜は胃寒による浣腹冷痛,噫気嘔逆に適するのに対し,乾姜は脾寒による腹痛瀉泄に適するとされます』。『良姜が配合される繁用処方としては「安中散」が有名ですが,生姜に比べると使用頻度は格段に少ない生薬です』。『わが国では,江戸時代の』「和語本草綱目」(目録一巻・本篇二十三巻・全十冊・「廣益本草大成」の通用書名を持つ。岡本一抱(いっぽう:近松門左衛門は兄)著。「本草綱目」の内容・要点を平易な和語により解説した実用書。元禄一一(一六九八)年刊)『に「男女が怒って寒を受け,心腹痛あるいは胸先が痛むものに,良姜を酒で7回洗って焙って末にし,香附子を酢で7回洗って焙って末にし,もし寒が甚だしければ,良姜2gに対して香附子1gを,怒りが甚だしければ香附子1gに対して良姜2gを,寒怒が同程度に兼ねるものには各1.5gを米飲に生姜汁1さじ,塩ひとつまみを入れて服する。」と記されています』。「和漢三才圖會」『では,高良姜の項に「今は略して良姜の名になった。」と記され』、「手板發蒙」(蘭学書・大坂屋四郎兵衛著・文政六 (一八二三)年刊)『では,芳草として良薑の名で「本名高良姜クマタケラン』(ショウガ科ハナミョウガ属雑種クマタケラン Alpinia × formosana 当該ウィキによれば、『ゲットウ』(ハナミョウガ属ゲットウ(月桃)Alpinia zerumbet )『とアオノクマタケラン』(ハナミョウガ属アオノクマタケラン(青野熊竹蘭)Alpinia intermedia )『の中間的な形態を示し、両種の雑種と推測されている』とある)『の類である。…唐からのものには2品種,太めと細目があり,大きいものは紅色で味は辛い。細いものは色淡く香気は薄い。」とあります。一色直太郎氏』(大正期の和漢薬研究家)『は,「色相が赤褐色で能く肥ったものが良品で,その両端の切面がゆでだこの切り口のように肥厚してあるものがよろしい。故に良品をたこでといって居ります。」と生薬をゆでだこにたとえて選品を述べています。使用頻度の少ない良姜ですが,本草書への記載は多く,以前はわが国でも使用頻度の高い生薬であったことが窺がえます。なお,一色氏は調製法として,「昔は薄く刻みそれを火にかけ杉箸の先に胡麻油をつけて炒ったものであります。」と述べ,乾姜と同様,一度加熱した方が温める効能が増すようです。』(以下略)とある。

「天竺《テンヂク》」漢方の「天竺黃(テンヂクワウ)」のことか。サイト「家庭の中医学」の「天竺黄」には、基原を(学名は私が斜体にした)、単子葉植物綱イネ目『イネ科(Gramineae)』タケ亜科マダケ属『のハチク Phyllostachys nigra Munro var. henonis Stapf. 』、イネ科タケ亜科マダケ属『マダケ P. bambusoides Sieb.et Zucc. ほか』、『竹類の竹桿の節孔中に病的に生成した塊状物質』由来とし、『薬理作用』に、『清化熱痰・涼心定驚』・『鎮静・去痰作用』とある。また、『産地』を『中国、ベトナム、インドネシア、マレーシア』とする。「天竺」は、インドの古称であるがウィキの「天竺」に拠れば、『中世の日本では、いわゆる「倭寇」の活動や、琉球人たちの貿易活動などを通して』『東南アジアへの知見を得るようになるが、これによって』、『東南アジアも「天竺」と呼ばれる地域に含まれることとなった』とあり、中国でも、こうした広域の指し方も、あっておかしくないと思われる。

「迦南《カナン》」漢方薬としては不詳。識者の御教授を乞う。なお、東洋文庫訳では、割注して、『中央アジア地中海沿岸およびヨルダン流域』とする。

 

「虎掌《コシヤウ》」「家庭の中医学」の「テンナンショウ・・天南星」に拠れば、基原は、単子葉植物綱オモダカ目『サトイモ科(AraceaeArisaema consanguineum Schott. A. amurense Maxim 、マイズルテンナンショウ』(舞鶴天南星)『 A. heterophyllum Blume A. ambignum Engler 、コウライテンナンショウ A. japonicum Blume var. atropureum (Eng.) Kitam. ほか』、『同属植物の塊茎を乾燥したもの。日本産はムサシアブミ A. ringens (Thunb.) Schott. 、マムシグサ A. japonicum Blume などの塊茎を輪切りにして石灰をまぶし、乾燥したものである。生姜を加えて炮製したものを製南星、牛の胆汁で炮製したものを胆南星、薬品による炮製を加えていないものを生南星と呼ぶ。』(学名は私が斜体にした)とあり、「効能」には、『鎮静、鎮痙、去痰、消炎、抗腫瘍作用』とする。「原色和漢薬図鑑」では、『虎掌(葉の形に由来)』とある。

「狗脊《クセキ》」「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | 狗脊(くせき)」に拠れば、大葉植物亜門大葉シダ綱薄嚢シダ亜綱ヘゴ(杪欏)目『タカワラビ』(高蕨)『科(Dicksoniaceae)のタカワラビ Cibotium barometz (L) J. Smith の根茎を輪切りにして乾燥させたもの』とする。以下、『現在』、『日本で使用される漢方生薬にシダ植物に由来するものはありませんが、民間的にはノキシノブやスギナなどのシダ植物が薬用にされてきました。一方、台湾や四川省の薬物市場などでよく見かけるのが』、『金毛狗脊を細工して作った動物の置物です。これを見ていると』、『中国では狗脊の需要が多いことがうかがえます』。『狗脊は中国では古くから薬用に供され』、「神農本草經」『の中品に収載されています。蘇敬は「地上部は貫衆に似て根が細く、多く分岐している。形状が狗の脊骨のようで、肉が青緑色を呈しているので、このように名付けたのだ」と述べ、李時珍は「狗脊に二種ある。一種は根が黒色で狗の脊骨のようなもので、一種は黄金色の毛があって狗の形のようなものだ。いずれも薬用になる。その茎は細く、葉、花は両々相対して生じ、さながら大葉蕨に似ており、貫衆の葉のようでもあるが、葉に歯があって表、裏共に光る。根は太さ拇指ほどで硬い黒鬚がむらがっている」と記し』、「本草綱目拾遺」『にも「即ち蕨である。根の形は狗の脊骨に似ており、毛は狗の毛のようで黄、黒の別がある」とあります。これらのことから当時かなり形態が異なった2種類の狗脊があり、シダ植物であったことがうかがえます。これらの記載から種の特定は難しいですが』、「植物名實圖考」『には』大葉シダ綱ウラボシ(裏星)目『シシガシラ』(獅子頭)『科(Blechnaceae)のコモチシダ Woodwardia 属と考えられる植物が描かれており、李時珍のいう黒狗脊に相当するものと思われます。一方の黄金色の毛があるものは』、『現在市場の金毛狗脊と同一で、タカワラビ科のタカワラビ Cibotium barometz の根茎と考えられます。昨今はこの金毛狗脊が一般的に用いられているようです。』とある。

「馬鞭《バベン》」岡山県倉敷市の「重井薬用植物園」(「しげい」と読む)の「おかやまの植物事典」の「クマツヅラ(クマツヅラ科)」に拠れば、基原は、シソ目クマツヅラ(熊葛)科クマツヅラ属クマツヅラ Verbena officinalis の全草。名は、『69月頃、枝の先に細長い花序をつける。姿が乗馬に用いるムチのようなので』、『中国では「馬鞭草」と呼ぶ』とある。『クマツヅラは、北海道をのぞく』、『日本全国の日当たりのよい原野や路傍に生育する高さ3080㎝ほどになる多年草(あるいは一年草)です。ヨーロッパや中国大陸にも広く分布します』とあり、『本種の和名を漢字で書くと「熊葛」ですが、本種の名が史料に確認されるのは、平安時代中期に編纂された』「和名類聚抄」『が初出のようで、漢名の「馬鞭草」の和名として「久末豆々良」と紹介されているのが初出とされています。漢名の「馬鞭草(ばべんそう)」の名は、細長く伸びた花序の様子を乗馬に用いるムチに例えたものとされ、生薬名ともなっています。「馬鞭草」は植物の形をよく表しており、納得がいきますが、「熊葛」については』、『特に動物のクマを連想させるような特徴は本種にはありません。本種の和名の由来には諸説あり、「馬鞭草」から、「ウマウツツラ(馬打葛)」であるとする説(木村陽二郎 監修,植物文化研究会 編.2005.図説 花と樹の事典.柏書房.p.156)、「その穂状花に米粒のような実が連なってつく」ので、「米ツヅラ」が由来であるとする説(中村浩 著,1998.植物名の由来.東京書籍.p.201)などがあります。』とあった。

「烏喙《ウクワイ》」猛毒植物(全草)として知られるキンポウゲ目キンポウゲ科トリカブト属ハナトリカブト(花鳥兜) Aconitum carmichaelii を基原とする古い漢方生薬名と思われる。同種は「カラトリカブト」(唐鳥兜)の異名がある。当該ウィキによれば、『ハナトリカブトの各部分には非常に強い有毒成分が含まれており、歴史的には、矢に塗る毒として用いられ、塊根を加熱して毒性を減らしたものは「附子(ぶし)」や「烏頭(うず)」として鎮痛や強精などの目的で生薬として用いられてきた』とある。「烏喙」は「カラスの喙(くちばし)」の意で、乾燥させた根の形状に由来するものであろう。

「鵝尾《ガビ》」東洋文庫訳では、『(毒草類鳶尾か)』と割注がある。これは、単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科アヤメ属イチハツ(一初・一八・鳶尾草 Iris tectorum である。「跡見群芳譜 花卉譜(イチハツ)」の解説に、『漢名は』、『その形から』。『漢語別名』の『烏園も、正しくは烏鳶であろう(本草綱目)。ただし、本草綱目は、この草のどこがどのように鳶に似ているのかは、記していない』とあった。なお、鳶は、タカ科の鳥トビ(トンビ) Milvus migrans である。「熊本大学薬学部薬用植物園」の「植物データベース」の「イチハツ」に、「薬用部位」に『根茎』とあり、『食当たり,消化不良などに粉末を水で服用する.便秘には空腹時に同様に服用する.打撲傷や痔には粉末を患部に塗布する』とあった。ただ、多くの方は、同種が有毒植物であることを御存知ないようなので、一言言っておくと、植物サイト「PictureThisの「イチハツ(一初)」の「毒性」を引いておく。『イチハツ(一初)は庭で見られる魅力的なアイリスで、摂取によって子供に対して軽度の毒性リスクをもたらし、園芸家には皮膚接触を通じて影響を与えます。毒性のある部分には根、種子、樹液が含まれ、短期間の皮膚刺激を引き起こし、摂取された場合には腹痛、吐き気、嘔吐といった軽度の症状を引き起こす可能性があります。致死のリスクはありません。活性毒素:ペンタサイクリックテルペノイド』(Pentacyclic Terpenoids)『とイリジン』(=イルジン:illudin)とあった。

「鴨蹠《アウシヨ》」豊橋市の漢方薬局「桃華堂」公式サイト内の「生薬辞典」の「鴨跖草(おうせきそう)」に、基原は、お馴染みの単子葉植物綱ツユクサ目ツユクサ科ツユクサ亜科ツユクサ(露草・鴨跖草・鴨跖)属ツユクサ Commelina communis の全草とし、「効能・効果」に『①清熱解毒』・『②利水』とある。「特徴」の項で、『ツユクサは道端や野原でよく見られる雑草の一種です。朝咲いた花が昼にはしぼむことが朝露を連想させ、「露草」と名付けられたという説があります。古くは「ツキクサ」と呼ばれており、これが転じて「ツユクサ」になったという説もあります』。『ツユクサは「鴨跖草」という字が当てられることもあります。中国では「鴨跖草(おうせきそう)」の方で呼ばれており、名前の由来は正面から見た花の姿が鴨の堅い足の裏に似ていることからです。跖は中国語で足という意味です』。「万葉集」『には「鴨頭草」という表記もあります。万葉人は花の姿を鴨の頭と長い首に見立て、「鴨頭草」という字を当てたのではないかと言われています』。「万葉集」には、『ツユクサを詠った歌が9首存在します。このことから、日本人にとって古くから親しまれていた植物であることがわかります。朝咲いた花が昼にはしぼんでしまうことから儚さの例えとして詠まれたものが多いですが、実際のツユクサの生命力と繁殖力はとても強く、根ごと引っこ抜いても土に種を残し、引っこ抜いたまま放置しておくと』、『また』、『土に根付いてしまうほどで、儚さとは無縁の植物です』。『熱毒を治療する清熱解毒薬(せいねつげどくやく)に分類され、同じような効能を持つ生薬に十薬(じゅうやく)、金銀花(きんぎんか)、連翹(れんぎょう)、蒲公英(ほこうえい)、板藍根(ばんらんこん)、土茯苓(どぶくりょう)、白花蛇舌草(びゃっかじゃぜつそう)があります』。『漢方薬としては使われていませんが、清熱作用や解熱作用があるとされ、民間薬として風邪の解熱剤や喉の腫れに使われていました。虫刺されや腫れに新鮮なものをすり潰して外用としても使われていました』。『水の巡りを改善する効果があり、浮腫や尿量減少、排尿痛などに用いられました。』とあった。因みに、「万葉集」では、「つきくさ」の判読がなされている。

「鶴蝨《カクシツ》」「跡見群芳譜 花卉譜」の「やぶたばこ (藪たばこ)」のページの「漢語別名」に、『鶴蝨(カクシツ,hèshī,実の名)』とあった。   基原は、キク目キク科キク亜科オグルマ(小車)連ガンクビソウ(雁首)属ヤブタバコ(藪煙草) Carpesium abrotanoides の果実である。ウィキの「ヤブタバコ」によれば、『中国では』、『葉を乾燥させたものを』『天名精(てんみょうせい)』『の名で呼び、止血、解毒、腫れ物、打ち身の薬として用いた。痩果は鶴虱の名で呼ばれ、条虫駆除剤として用いられる。また』、『根や種子も薬用とする』とあった。「鶴」は判らないが、「蝨」=「虱」については、全くの別種であるが、「福岡市薬剤師会」公式サイト内の「福岡で観察できる薬草」の「ヤブジラミ」のページに、セリ目セリ科ヤブジラミ属ヤブジラミ Torilis japonica の中国名を『華南鶴虱』とあり、「由来」に『果実の形が』、『しらみを思わせることから、やぶに生育するしらみということによる。』とあるのと、同源であろう。実は、森立之著の「鶴虱攷」という考証書(嘉永二(一八四九)年奥書)を見つけたのだが、私は今、凡そ、それに目を通す精神的余裕を全く持たない。勝手に探して読まれたい。悪しからず。

「䑕耳《ソジ》」この起原は、お馴染みのキク亜科ハハコグサ(母子草)連ハハコグサ属ハハコグサ Pseudognaphalium affine の花がついた全草を採取し、細かく裁断して日干ししたものである。参考にした当該ウィキによれば、『漢名(中国植物名)は鼠麹草(そきくそう)で、葉に軟毛があって、形がネズミの耳に似ていて、黄色い花とその形から麹を連想して名付けたといわれている』とする。また、『鼠麹草(そきくそう)という生薬名があるが』、『伝統的な漢方方剤では使わない。民間療法として、風邪や咳止め、扁桃炎、のどの腫れなどの症状改善に』、『煎じ汁を、うがい薬として用いる用法が知られている』。『また』、『急性腎炎などで尿の出が悪く身体がむくんだときに』、『煎じ汁』を服用すると、『利尿作用でむくみを軽くするといわれている』。『肺を温める薬草で』あるが、『肺に熱があり、痰が黄色で、のどが渇く人には使用禁忌とされる』とあった。

「牛膝《ゴシツ》」「熊本大学薬学部薬用植物園」の「植物データベース」のこちらに拠れば、基原は、例の、実が「ひっつき虫」で知られる、ナデシコ目ヒユ科 Amaranthoideae 亜科イノコヅチ属イノコヅチ変種ヒナタイノコヅチ(日向猪子槌) Achyranthes bidentata var. fauriei の根と全草である。「薬効と用途」に、『根は通経,鎮痛,利尿作用があり,月経不順,産後出血,腰痛や関節痛,リウマチ,神経痛,打撲,小便難渋などに用いる.漢方処方では,折衝飲,芎帰調血飲,牛膝散などに配合される.外陰部の炎症には乾燥した全草の煎液で患部を洗う.路傍の雑草として知られる.』とある。当該ウィキによれば、和名のそれは、『茎の節にある太い膨らみの形が、イノシシの子どもの大きな膝頭と、物を打ちたたく道具である槌に例えられたところから来ている』とあり、別に、『本種または A. bidentata(本種の基本種)の根を、晩秋に地上部が枯れたはじめた頃に採取して、水洗いして天日乾燥させたものが、牛膝(ごしつ)という生薬になる』。『牛膝は、根が太く多肉質のが良品とされている』。『最も良質なのは』、『中国産の川牛漆(せんごしつ)といわれており、日本では、ヒナタイノコズチのうち、太い根をもつ系統を選んで栽培されている』とあるので、「牛膝」も納得がゆく。

 

「性《しやう》を以、名《なづく》る者は」東洋文庫訳では、『持っている特性によって名前をつけたものは、』とあり、さらに後注があり、以下の薬について、『益母の効能は婦人病。目を明らかにし精を益す。それで益母という。狼毒は読んで字のごとく毒性が甚だしいから。予知子[やぶちゃん注:「予」はママ。訳本文は正しく『預知子』となっているから、訳者竹島氏の誤記か、誤刻であろう。]はこの子を二個とって衣領(えり)に綴りこんでおくと、毒虫などの危険があると音をたてて予知してくれるという。王不留行はよく陽明の血分に走る性質があり、たとえ王命でもそれを留めることはできないという。骨砕補は折傷を主(つかさど)り、骨砕を補う効があるという。』と記してある。

「益母《ヤクモ》」基原は、シソ目シソ科オドリコソウ(踊子草)亜科メハジキ(目弾き)属メハジキ Leonurus japonicus の地上部位。大阪の「福田龍株式会社」の「生薬・漢方辞典」の「益母草(ヤクモソウ)」がよい。『和名 メハジキ:子供たちが』、『茎を短くちぎり』、『弓なりにまげて上下のまぶたにはさみ、まぶたを閉じる勢いで遠くへ弾き飛ばしたりして遊ぶことから』、『この名前がついたと言われている』とし、『別名 ヤクモソウ(益母草): 母の益になる草の意で、婦人薬として利用されてきた。』とあり、「産地」は『日本(本州以南)、台湾、朝鮮半島、中国など』で、「主な薬効」は『利尿、子宮収縮作用』とし、『月経不順、めまい、下腹痛、生理痛、打撲、痔のほか、利尿作用があるので急性糸球体腎炎にも用いられる』とあった。

「狼毒《ラウドク》」「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | 狼毒(ロウドク)」が非常に詳しい。基原は、『白狼毒は』キントラノオ目 Malpighiales『トウダイグサ科(Euphorbiaceae)の Euphorbia pallasii Turcz. ex Ledeb., E. fischeriana Steud., E. ebracteolata Hayata などの根を乾燥したもの.西北狼毒はジンチョウゲ科(Thymelaeaceae)の Stellera chamaejasme L. の根を乾燥したもの.広狼毒はサトイモ科(Araceae)のクワズイモ Alocasia odora Spach の根茎を輪切りにして乾燥したもの.』とある。以下、非常に興味深い内容なので、特異的に全文を示す。『狼毒は』「神農本草經」『の下品に収載され,「咳逆上気を主治し,積聚,飲食,寒熱水気を破り,悪瘡,鼠廔,疽蝕,鬼精,蠱毒を治し,飛鳥,走獣を殺す」とその効用が記されています.実際にオオカミ対策に使用したかどうかはわかりませんが,狼毒は』同書『に記された薬効からは』、『かなりの猛毒薬であったことがうかがえます.その有毒性を利用したとすれば』、『同効の様々な毒草が利用されたことが想像され,そのためか古来』、『異物同名品が多く存在していたようです.』『産地に関して』「名醫別錄」『には「秦亭の山谷及び奉高に生ず」とあり,陶弘景は「宕昌にも出る」といっています.秦亭は今の隴西で,宕昌とともに甘粛省に位置します.謝宗万氏は甘粛省の蘭州,武都,宕昌などで市販されている狼毒を調査した結果,すべてジンチョウゲ科の Stellera chamaejasme の根であったと報告しています.しかし』、「名醫別錄」『にある』、『もう一つの産地の奉高は現在の山東省にあり,Stellera 属の分布は見られません.植物地理学的に考えると,この地から産するものは現東北地方市場の白狼毒の原植物 Euphorbia pallasii あるいは E. ebracteolata であったろうと考えられます.』「圖經本草」『に描かれた石州狼毒の図は根頭に茎が叢生していることからは,Stellera 属とも Euphorbia 属とも受け取れますが,花の形はどちらかと言うと Euphorbia 属に似ています.』『明代になると』、『李時珍は「今の人は住々』、『草䕡茹をこれにあてるが,誤りである」といっています.この草䕡茹は』「本草綱目」『の記文からも明らかに Euphorbia 属のもので,この頃の狼毒の主流は Euphorbia 属であったようです.清代の』「植物名實圖考」『には「本草書の狼毒は皆はっきりしない(中略)滇南に土瓜狼毒がある」と記され,また,草䕡茹の項に「滇南では土瓜狼毒と呼ぶ」とあり,このものは Euphorbia prolifera であるとされています.ところが,一時期日本に輸入されていた香港市場の狼毒はこれらの植物とは全く異なり,サトイモ科のクワズイモ Alocasia odora の地下部を基源とするものでした.これは』「植物名實圖考』『の狼毒の項に「紫茎南星を之に充てる」と記されているサトイモ科の天南星の類( Arisaema 属植物)のものと考えられ,それが次第に飲片の形状がよく似て収量の多いクワズイモに代わったとされています.』『以上の三つの科にまたがる原植物は形態的にはかなり異なります.Euphorbia 属には白い乳液があり,Stellera 属は小さいが』、『きれいな花を咲かせ,クワズイモは他に比べるとはるかに大型になるなどです.それらに共通する有毒性が』、『この生薬の本質であるとすれば,やはり有害動物対策に使用されたことが考えられます.蒙古では今でもオオカミを駆除するために動物の肉に有毒物質を混ぜて利用すると聞きます.オオカミがいない南方の地では殺鼠剤として使用されていたのでしょうか.』『現在,狼毒は』、『専ら』、『外用薬としてリンパ腫脹や疥癬などに用いられますが,内服薬としては,逐水,去痰,消積などの作用があるとされ,心下が塞がっておこる咳嗽,胸腹部の疼痛などに他薬とともに用いられます.』『実は,狼毒は正倉院の』「種々藥帳」しゅじゅやくちょう:天平勝宝八(七五六)年六月二十一日、光明皇后が六十種の薬物を東大寺大仏に献納した際の目録」『に記載があり,奈良時代には既に渡来していたようです.現在では稀用生薬ですが,当時は重要な生薬の一つであったものと考えられます.今では現物が失われて原植物が何であったかは定かではありませんが,時代から考えると Stellera 属であったように思われます.鑑真和尚が敢えて日本にもたらす薬物の中に狼毒を選んだと考えると,今となっては窺い知れない何か別の理由があったようにも思われます.』とあった。

「預知子《ヨチシ》」この起原は、キンポウゲ目アケビ科Lardizabaloideae亜科Lardizabaleae連アケビ属アケビ Akebia quinata の実。「熊本大学薬学部薬用植物園」の「植物データベース」の「アケビ」に、『果実は鎮痛,消炎作用などがあり胸脇疼痛,月経痛などのほか,乳汁不足,淋病,目の炎症,特に涙腺の炎症などに用いる.』とあった。なお、別に蔓『性の茎は消炎,利尿,清熱,通経作用などがあり,膀胱炎,排尿障害,浮腫,尿道炎,月経不順などに用いる.声がれや難聴にも用いる.漢方処方では竜胆瀉肝湯,五淋散,通導散などに配合される.』とあった。但し、幾つかのネット記載を見たが、「預知子」の意味を解説したものは、なかった。ただ、果実であることから、アケビの有難い「知」的薬効を「預」かっている「子」(さね)というニュアンスと採れば、私は、納得出来る。

「王不留行《ワウフルカウ》」「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | 狼王不留行(オウフルギョウ)」が、やはり、いい。この筆者である神農子氏を、私は、最も信頼しているのである。何故と言えば、まさに、この作業で問題になる、基原生物が歴史的に別種であったり、微妙に変化していることを、子細に考証されておられるところで、である。さて、そこに拠れば、基原は、ナデシコ目『ナデシコ科(Caryophyllaceae)のドウカンソウ』( 道灌草)『 Vaccaria segetalis Garcke (= V. pyramidata Medik.) の種子、あるいは同科の』マンテマ属『ヒメケフシグロ』『 Silene aprica Turcz. ex Fisch. et C.A.Mey. の全草。』とある。以下、やはり、掟破りで全文を引用させて頂く。

   《引用開始》

 生薬には多少の異物同名品があるものですが、今回のテーマの王不留行には実に様々な異物同名品が存在します。異物同名品とは、基源(原動植鉱物の種類、薬用部位、加工調製方法など)が異なっているにも関わらず同じ名称が付けられている品目です。今回の王不留行の原植物は植物分類の「科」をまたぎ、また薬用部位も様々です。

 王不留行は、日本薬局方には収載されていませんが、中華人民共和国薬典(2015年版)ではナデシコ科の Vaccaria segetalis(中国名:麦藍菜、和名:ドウカンソウ)の成熟種子を乾燥したものが規定されています。生薬の形状は球形で直径約2 mm、表面は黒色でやや光沢があります。表面には顆粒状の突起があり質は硬く香りはほとんどありません。異物同名品の中で同じく種子に由来するものとして、マメ科のカスマグサ Vicia tetrasperma、スズメノエンドウ Vicia hirsuta Vicia sativa Vicia angustifolia などがあります。これらはいずれも黒褐色の種子で、Vaccaria segetalis の種子と類似しています。大型の果実に由来するものとして南方ではクワ科のオオイタビ Ficus pumila やノボタン科のノボタン Melastoma candidum などが使用されています。また、台湾ではノボタンやミカンソウ科のヒラミカンコノキ Glochidion rubrum Blume その他の木質の茎が使用されてきました。また、全草に由来するものとしてオトギリソウ科のトモエソウ Hypericum ascyron H. sampsoni 、アオイ科の Sida rhombifolia などがあります。日本でも以前はオオイタビの果実で縦に2分割され種子が除かれたものが使用されていました。『原色和漢薬図鑑』(難波恒雄、1980)にもオオイタビ由来の生薬の写真が掲載されています。これは、当時多くの生薬が香港から輸入されていたことを示しています。以上のように、王不留行には多種多様の異物同名品がありますが、古来の正品に関しては未だに不明です。

 一方、韓国市場の王不留行はナデシコ科のフシグロの仲間の全草です。牧野富太郎博士は漢名の王不留行にヒメケフシグロ Silene aprica (= Melandrium apricum ) をあてています。中国の本草書を見ると薬用部位に関する最も古い記述は『図経本草』に「5月内採茎」とあり、元は全草生薬であったようです。同書には「葉は尖って小さい匙の頭のようだ。また槐葉に似たものもある。四月に黄、紫色の花を開く(中略)河北に生じるものは葉が円く、花は紅色で、この物と少し違う」と記され、Silene属には赤い花や白い花などがあり、牧野博士は良く似た植物の中からヒメケフシグロと比定されたのでしょうか。

 薬効に関しては、初出の『神農本草経』に「主金瘡止血逐痛出刺除風痺内寒」、『名医別録』に「止心煩鼻衂癰疽悪瘡瘻乳婦人難産」とあり、外傷出血や鼻血の止血、棘、悪性の腫れ物、月経不順、難産などの要薬とされてきました。現在に伝わる処方として王不留行散が知られ、その組成は出典によって大きく異なりますが、王不留行を主薬として5〜11種類の生薬からなり、一般に黒焼きが多く用いられます。黒焼きにするのは止血効果を高めるためと考えられます。王不留行散を日本で作る場合には、ヒメケフシグロは日本では希な植物なので、フシグロ Silene firma Siebold et Zucc. の全草で代用されているようです。これも新たな異物同名品ということになります。

 現在中国で使用されているドウカンソウはヨーロッパ原産とされる1年生あるいは2年生の草本植物です。日本には江戸時代に中国から渡来し、江戸の道灌山(どうかんやま)の薬園で栽培されていたことが名称の由来とされることから、当時の中国では既にドウカンソウが使用されていたことが窺えます。茎は直立し高さ3060 cm で円柱形、フシグロに似て節はややふくれ、葉は対生して卵状から線状披針形、花は淡紅色で先が浅く裂した5弁花です。薬用部位は種子ですが、薬効的には古来と同様に使用され、問題は無いようです。多くの異物同名品が存在するのは、本草書の記載内容が曖昧なことと同効生薬の探索に試行錯誤した結果であったのでしょうか。

   《引用終了》

★なお、「マンテマ」(ヨーロッパ原産の一年草で帰化植物。当該ウィキによれば、『日本では』、『江戸時代に観賞用に持ちこまれ』、『後に逸出し』て、『野生化し、本州中部以南の河川敷、市街地、海岸などに見られる外来種となっている』とある)という奇体な和名であるが、東京大学新領域創成科学研究科の作製になる「PLANT LIFE SYSTEM」の「研究紹介」の「3. 植物SRY遺伝子:雄を決定する遺伝子と性染色体」の「3-2. Silene latifolia (ヒロハノマンテマ)」に、『「マンテマ」という不思議な和名の由来は、牧野の植物図鑑には、「海外から渡って来た当時の呼び名のマンテマンの略されたもので、このマンテマンは多分に Agrostemma(ムギセンノウ)という属名が転訛したものではないかと想像する。」と書かれています。因みに、「センノウ」は、嵯峨の仙翁寺にあったナデシコというような意味です。』とあった。数奇な和名なので、特に言い添えておく。

「骨碎補《コツサイホ》」「日本中医学院ブログ」の周氏の記載になる「骨碎補の由来」に(学名は私が斜体化した)、『骨碎補は』シダ植物門シダ綱ウラボシ(裏星)目『ウラボシ科Polypodiaceaeのハカマウラボシ』(袴裏星)『 Drynaria fortune などの根茎を乾燥したもので、骨砕補という名は骨折の治療に効果のあることに由来し、猴姜・胡孫姜・石毛姜などとも呼ばれます。中国の中南・西南及び浙江・福建・台湾省に分布します。性味は苦・温で、肝・腎経に帰経します。補腎・活血・止血・続傷作用があります。腎虚の腰痛・耳鳴・脚弱・久瀉、打撲外傷・切傷・骨折に用いられます。』とあり、次いで、『骨碎補の由来を紹介します。』とされ、『骨碎補は、五代十国後唐明宗皇帝・李嗣源』(九二六年~九三三年)『が命名したものです。その故事を紹介します』。『ある日、皇帝一行は狩に行きました。突然、猛獣』である『金銭豹』(食肉目ネコ科ヒョウ属ヒョウ Panthera pardus )『が出てきて、皇后が吃驚して馬から落ちました、左足(脛骨)が骨折してしましました。民間草医(民間の医者)出身である衛士の一人は、ある草薬(のちに骨碎補と呼ばれるもの)を使い、皇后の骨折した足を治しました。皇帝は大喜び、その衛士に薬草の名を尋ねました。衛士は、「この草薬は、未だ名前がないですので、皇上(皇帝)名付けてください」と言いました。皇帝は、笑いながらこう言いました』。「『骨折の治療に効果があるので、骨碎補にしましょう』」と。『その後、李時珍は、形状から猴姜』(リンク先に乾燥根の画像があり、猿っぽく見える個体がある)『と呼び、ある地方は、胡孫姜・石毛姜とも呼びます。』とあった。

 

「没藥《モツヤク》」ここは、当該ウィキが手っ取り早くはある(しかし、正直、ショボい)ので、まず、引く(注記号はカットした)。『ムクロジ目カンラン科コンミフォラ属(ミルラノキ属)』 Commiphora 『の各種樹木から分泌される、赤褐色の植物性ゴム樹脂のことである。ミルラ(Myrrh)の和名が』「没薬」『になる』。『「ミルラ」も』、『中国で命名された没薬の「没」も』、『「苦味」を意味するヘブライ語のmor、あるいはアラビア語の murr を語源としているとされるほか、ギリシア神話に由来する』(アラビア語の“murr”は調べたところ、音写では「ムッル」で、「没」の拼音は“”で音写は「モォー」であった)『キプロス王キニュラースと』、『その妻ケンクレイスの間に生まれた娘ミュラーは、父であるキニュラースを愛してしまった。道ならぬ恋に苦しんだミュラーは、その後』、『アラビアのサバア王国へ追放される。ミュラーを憐れんだ神々は、ミュラーを一本の木へと姿を変えさせた。これがミルラ(没薬)の木で、ミュラーの流す涙は香り高い樹液となった』。『没薬樹はエジプト、オマーン、イエメン、など主にアラビア半島の紅海沿岸の乾燥した高地に自生し、エチオピア北部、スーダン、南アフリカなどにも自生する』。『起源については、アフリカであることは確実であるとされるが、エジプトに世界最古の没薬使用例がある事から』、『エジプト起源という説もある』。『古くから香として焚いて使用されていた記録が残されている。また、殺菌作用を持つことが知られており、鎮静薬、鎮痛薬としても使用されていた』。『古代エジプトにおいて、日没の際に焚かれていた香であるキフィの調合には没薬が使用されていたと考えられている。また、ミイラ作りに遺体の防腐処理のために使用されていた。ミイラの語源はミルラから来ているという説がある』。『聖書にも没薬の記載が多く見られる』。旧約聖書の「創世記」に続く、二番目の書で、モーセが虐げられていたユダヤ人を率いてエジプトから脱出する物語を中心に描かれている「モーセ五書」の一つである『「出エジプト記」には』、『聖所を清めるための香の調合に没薬が見られる。東方の三博士がイエス・キリストに捧げた』三『つの贈り物の中にも没薬がある。没薬は医師が薬として使用していたことから、これは救世主を象徴しているとされる。また、イエス・キリストの埋葬の場面でも遺体とともに没薬を含む香料が埋葬されたことが記されている』。『東洋においては』、『線香や抹香の調合に粉砕したものが使用されていた』。『近代以降においては』、『主に男性用香水に使用する香料の調合にも使用されている。この用途には』、『粉砕した没薬を水蒸気蒸留したエッセンシャルオイルや溶剤抽出物のレジノイドが使用される』。『この他、歯磨剤やガムベースにも使用される』とある。やはり、「株式会社 ウチダ和漢薬」の「生薬の玉手箱 |モツヤク(没薬)」が、安心して読めるので、引用する。『 Commiphora 属植物は世界に約200種が知られ,アフリカの乾燥地帯,アラビア半島からインドにかけて,またマダガスカルなどに自生しています。本属植物は樹脂を含有することで知られ,属名の Commiphora はギリシャ語の kommi(ゴム)と phoreo(産する)に由来します。没薬は C. abyssinica Engl. C. molmol Engl. など数種から採取されます。黄白色をした樹脂が幹の皮部と髄でつくられ,幹に切傷をつけるか,あるいは』、『自然に流出して凝固したものを採取します。乾燥して黄褐色から赤褐色の堅い塊となった樹脂が没薬です。約半分がゴム質で,他に精油,樹脂,水分などを含みます』。『没薬は,その原植物と産地によって品質が異なり,数種に区別されます。最も品質が良いものは,ヘラボール・ミルラ(ソマリア・ミルラ)と呼ばれ,ソマリアやアラビア半島南部に分布する C. molmol から採集されます。他にアラビア・ミルラやビサボール・ミルラと呼ばれるものがあり,前者はエチオピア,ソマリア,イエメンなどの高地に分布している C. abyssinica C. schimperi Engl. などから,後者はソマリア,エチオピア東部などに分布する C. erythraea var. glabrescens Engl. から採集されます。東南アジアの生薬市場には花没薬と称する生薬が流通することがあり,水に溶解すると赤色になります。これはラックカイガラムシ』(有翅昆虫亜綱半翅(カメムシ)目同翅(ヨコバイ)亜目カイガラムシ上科 Coccoideaラックカイガラムシ科 Kerriidaeのラックカイガラムシ類。説明すると、エンドレスになるので、「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 五倍子 附 百藥煎」の私の注を見られたい)『の分泌物に由来するもので,カンラン科植物に由来する没薬とは異なるものです』。『没薬は香料のほか,古代ギリシャ医学では重要な生薬とされました。ディオスコリデス』(西暦四〇年頃~九〇年頃)『の』「薬物誌」『によると,「薬効は,暖める,粘液の分泌を抑える,催眠,収斂作用などで,豆粒ぐらいの量を服用すれば慢性の咳,脇腹や胸の痛み,下痢,血性下痢などを治療する」,また「ミルラ酒は,咳,胃液過多などの治療によい」とされています。現代の西洋では,ミルラが殺菌,脱臭作用を有することから,ミルラチンキとして風邪による咽などの炎症に塗布剤,含嗽剤とされます』。『中国へも伝わり,』「開寶本草」『に,「味苦,平。無毒。血を破り,痛みを止め,金瘡,杖瘡,諸悪瘡,痔瘻,卒下血,目中の瞖暈痛,膚赤を治す。波斯国に生じ,安息香に似て,その塊は大小一定せず,黒色である」と収載されています』。「本草衍義」『には,「滞った血を通じ,打撲損疼痛を治すには,没薬を酒にといて服用する。血が滞ると気がふさがり,気がふさがると経絡が満急し,経絡が満急するから痛み腫れるのである。打撲して肌肉が腫れるのは,経絡が傷み,気血がめぐらずふさがっているからである」と没薬の効能を中国医学的に詳しく説明しています。また』、「本草綱目」『には,「乳香は血を活かし,没薬は血を散らし,いずれも痛みを止め,腫れを消し,肌を生じる。よってこれらは,いつの場合でも合わせて用いる」とあり,没薬と乳香を併用することが記されています。現代中国では,没薬は駆瘀血,消腫,止痛などの効能がある生薬とされ,打撲傷,心腹の諸痛,癰疽による腫れや痛みなどの治療に用いられています。』とある。

「景天《ケイテン》」検索すると、漢方会社・薬局ばかりで、しかも、「紅景天」(こうけいてん)でしか、挙がってこない。あるサイトでは、「紅景天」は五十種類以上ある、とするので途方に暮れた。取り敢えず、信頼出来ると判断した「金澤 中屋彦十郎薬局」の「●紅景天(こうけいてん)」にある解説を引く(学名が斜体化した)。ユキノシタ(雪の下)目ベンケイソウ(弁慶草)科ムラサキベンケイソウ属『ベンケイソウ科 Rhodiola sacra 及び Rhodiola rosea(ロディオラ・ロゼア)などの根』及び『根茎を用いる。イワベンケイともいう。中国』、『チベット、雲南、四川を中心とする海抜2800m5500mの高山岩石地帯に自生する多年生の高山植物。根を抜いても枯れないことから』、『ベンケイの名があるといわれる』。『多年生の草本で高さは10cm20cmになる。根は太くて強く円錐形、肉質で褐色、根茎部には多数の』ヒゲ『根をもつ。根茎は短く、太くて強く円柱形、瓦状に並んだ多数の鱗片状の葉に覆われている。茎先端の葉腋より数本の花茎を出し、花茎の上下部分はみな肉質の葉がつき、葉身は楕円形、緑はあらい鋸歯状で先端は鋭尖形、基部は楔形で無柄。集散花序を頂生し、花は紅色。袋果をつける』。『チベット高山地帯に自生する紅景天は大きく4種類ある。大花紅景天、茎地紅景天、全弁紅景天、四裂紅景天である』。『チベット医学「四部医典」に収載され現地では千年前より利用されている』。「神農本草經」『には上薬で収載されている。近年の中国では』、『オリンピックの強化選手が高地トレーニングの際に使用した。また、旧ソビエト連邦は宇宙食として使用した』。『近年』、『ノルウェー、スウェーデンなど北欧などに波及し、日本にも伝来してきた。現在、日本の研究機関で盛んに研究が進んでいる』。『成分はフラボン配糖体、テルペン配糖体、芳香族配糖体、青酸配糖体、ミネラル、アミノ酸など』とし、『紅景天酒などにして利用することが多い。』とあった。

「三七《サンシチ》」「株式会社 ウチダ和漢薬」の「生薬の玉手箱 |三七人参(サンシチニンジン)」が、それ。基原は、『ウコギ科(Araliaceae)の Panax notoginseng (Burkill) F. H. Chen ex C. Y. Wu & K. M. Feng. の根。』とある。これは、バラ亜綱セリ目ウコギ科トチバニンジン属サンシチニンジン Panax notoginseng である。『中国雲南省東南部から広西壮族自治区西南部周辺に「三七人参」という人参類生薬が産出します。「田七人参(デンシチニンジン)」や単に「三七」、「田七」などとも称されるもので、原植物は人参と同じウコギ科 Panax 属であり、人参同様に優れた効果が認められています。一方、初収載された本草書は比較的新しい明代の』「本草綱目」(一五九六年に南京で上梓)『で、限られた地域でのみ使用されていたようです』。同書『には「三七」という名称で収載されています。項目名が「三七人参」ではないことや』、『別名にも「人参」が記載されていなことから、当時はまだ原植物が未解明で人参類生薬という認識がなかったことが窺い知れます。「三七」の附図も人参とは明らかに異なり、キク科のサンシチソウ Gynura japonica と考えられる植物が採用されています。著者の李時珍は「彼の地の者は、葉が左に三枚、右に四枚あるから三七と名付けるのだというが、恐らくはそうではあるまい」と述べています。Panax 属植物の葉は掌状複葉であり、小葉の付き方は左右対称です。もし李時珍が「三七」の本当の原植物を見ていれば「恐らくは」ではなく、誤りであることが断定できたはずです。一方で、「味は微し甘く苦く、頗る人参の味に似ている」と』、『味から人参との関連を指摘し、さらに「近頃中国に伝わった一種の草に、春苗が生えて』、『夏』、『三』、『四尺の高さになり、葉は菊艾に似て勁く厚く、岐尖があり、茎には赤い稜角があり、夏、秋に黄色の花を開いて(中略)。これを三七だというのだが、この草は根の太さが牛蒡の根ほどあって南方から来るのとは類似していない」と記し、真の原植物とは異なると考えていたようです。なお、附図は李時珍の弟子が付したものとされます』。『 Panax notoginseng の地上部の形態は人参の原植物 P. ginseng に酷似しています。葉の形状がやや異なり、小葉の枚数は P. ginseng が3〜5枚、一般に5枚であるのに対し、P. notoginseng は3〜7枚で一般に7枚です』。「本草綱目」の人参の項には』「人参讚」(国立国会図書館デジタルコレクションで見つけた。「朝鮮医学史及疾病史」(三木栄著・一九五五年刊・ガリ版刷)の、ここの左ページ四行目に、『人參讚[やぶちゃん注:傍点附き。]は、高麗人の作として現世に遺された詩の一つとして著名なもので、人參の植物學的生態を良く言ひ表してゐる。』とあった)『を引用して「三椏五葉、陽に背き陰に向ふ」と、三つの葉柄に』、『それぞれ小葉が五枚ずつ付いた状態の人参の原植物の形態が引用されています。このことから』、『「三七」とは「三椏七葉」に由来すると考えることもできます。実際、「三七」の名称の根拠については』、『確たる説がなく、別名の「山漆」に由来するという説、播種してから育つまでに三年から七年もかかるから』、『という説などもあるようです。なお』、『「田七」という別名は、かつてその集積地が広西壮族自治区の田陽であったことによるものです』。『「三七人参」の薬効について『本草綱目』では「この薬は近頃始めて世に現れたもので、南方番地の者は戦場で金瘡の要薬として用い、奇効があるという」とし、具体的に「血を止め、血を散じ。痛みを鎮める。金属の刃物、箭(矢)の傷、跌撲、杖瘡の出血の止まぬには、噛み爛(ただら)して塗り、或いは』、『末にして』、『ふれば』、『その血は直ちに止まる。」と、外用して止血、消炎、鎮痛に優れた効果を発揮していたことがわかります。その後』、「本草綱目拾遺」(淸の本草家趙学敏が、一八〇〇年頃に「本草綱目」の誤りを正したもの)『には』、『「昭参」と称する生薬が収載され「即ち人参三七であって昭通府(雲南省昭通県)に参する」と記載されています。この頃には「三七人参」は人参類生薬ということが認識されていたようです。ここでは』「宦遊筆記」(かんゆうひっき:清末の納蘭常安著)『を引用して、「人参は補気第一、三七は補血第一で、味が同じくして』、『功も』、『やはり』、『等しいところから、世間では並称して人参三七という。薬品中で最も珍貴なものとなっている」と記載があり、人参同様に高貴薬という位置づけだったことがわかります。ちなみに』、「本草綱目拾遺」『は広東人参をも「西洋参」として初収載した本草書です』。『現在、中国では「三七」として雲南省の文山などで生産され、全て栽培品です』(以下略)とある。

「無名異《ムミヤウイ》」サイト「イアトリズム」の「知っておきたい『漢方生薬』」の「無名異」のページによれば、基原は、鉱石で、『軟マンガン鉱』とし、「薬理作用」に、『創傷回復、皮膚再生、解毒作用、消腫作用、痔疾改善、止血作用、鎮痛作用、血行改善など』とあった。

「威靈仙《イレイセン》」まことに済まないが、最後にまたまた、「株式会社 ウチダ和漢薬」の「生薬の玉手箱 |威霊仙(イレイセン)」を引かさせて戴く。基原は、キンポウゲ目キンポウゲ科センニンソウ(仙人草)属『 Clematis chinensis Osbeck シナセンニンソウ(キンポウゲ科:Ranunculaceae)の根。』とある。但し、同種は別名で「サキシマボタンヅル(先島牡丹蔓)」の名がある。以下、『威霊仙は医療用漢方薬129処方中では』。『唯一「疎経活血湯」に配合される稀用生薬ですが、古来、関節リウマチなど』、『膝関節が腫れ痛む疾患の特効薬として知られてきました』。『もともと新羅』、『すなわち今の朝鮮半島で使用されていた薬物で、宋代に僧侶によって中国に伝えられたことが』、『崔玄亮』(七六八年~八三三年:中唐の官僚)『の』「海上集驗方」『に詳しく記載されています。中国の本草書に初収載されたのは』「開寶本草」『で、「茎方数葉相対花浅紫」という簡素な植物学的記載に加え、全国的に知られた薬物ではなかったために、地方的に一時期』、『ゴマノハグサ科のクガイソウ』(九蓋草・九階草:但し、現在はタクソン変更があり、シソ目オオバコ科の、クワガタソウ(鍬形草)連クガイソウ属クガイソウ Veronicastrum japonicum である)『の仲間が利用されたようです。それが』、『たまたま』「圖經本草」『に掲載されたがために、長い間』、『クガイソウが正品であると考えられてきましたが、近年になって』、『正品はクレマチス』(=センニンソウ属 Clematis )『の仲間であることが明らかにされました。これは現在の市場品の基源と一致するもので、歴史的には中国でも原産地の朝鮮半島でも主としてClematisが利用されてきました。ただし、原植物の種類は異なり、真の正品は C.patens カザグルマ』(風車)『であり、中国では』。『それによく似た C.florida テッセン』(鉄線)『であったようです。これらの植物は、今でもそうですが、古来』、『観賞用植物として価値があり、また湿地という特殊な環境に生えるため、すぐに資源が枯渇してしまったようです。我が国でもカザグルマはレッドデータブックに収載されています。そうした意味で、今のシナセンニンソウは次善の代用品ということができます。また、朝鮮半島でも、今ではカザグルマが少なくなり、C.terniflora タチセンニンソウ』(立仙人草)、『 C.brachyura イチリンサキセンニンソウ』「跡見群芳譜」の「野草譜」の「せんにんそう(仙人草)」では、『イチリンザキセンニンソウ』 C. brachyura 『朝鮮産』とある。「一輪咲き仙人草」であろう)『などが利用されています。わが国では江戸時代から近縁の C.terniflora var.robusta センニンソウが代用されており、同様の薬効が期待されます』。『一方、クレマチス以外の異物同名品として、先述のクガイソウのほか、ユリ科の Smilax 属植物(ヤマカシュウ』(山何首鳥)『の仲間)、ガガイモ科の』イケマ(生馬・牛皮消)『 Chynanchum 属植物、キク科植物など、根の形が類似する植物が代用されてきましたが、威霊仙としての薬効がなかったものか、現在ではSmilax属以外は利用されていません。Smilax 属由来の威霊仙は』、『現在でも』、『北京をはじめ』、『北方地方で』、『よく利用されているもので、とくに現在の中医学では』、『一般に』、『このものが使用されています。本品は清代になってから使用されるようになったもので、今後の薬効的な評価が必要と思われます』。『これらの異物同名品は根の形状がよく似ていますが、次のようにして鑑別可能です。Clematis 由来の威霊仙は根が折れやすく、断面はややでん粉質です。Smilax 由来のものは硬くて噛んでも壊れません。Chynanchum 由来のものは噛むと白前や白薇に似た特有の香りがあります。キク科由来のものにはでん粉がありません。また、Clematis 由来のものの中では、中国産の C.chinensis では根の外面が灰褐色〜灰黒色で、基部がやや細くて紡錐形になり、太いものでは2mmを越えます。韓国産は根の外面が黒褐色で、径1〜2mmです。中国東北部の C.hexapetala では根が細くて1mm以下で、外面は茶褐色です。日本のセンニンソウは最近では市場性がありませんが、全体に韓国産に似て、やや黒みが少なく、全体にやや大型です。なお、古来の正品と考えられるカザグルマやテッセンでは根の外面が淡色でやや橙色がかっています』。『ところで、カザグルマとテッセンは良く似ていて、巷では混乱しています。見分け方は、長い花柄の中程に2枚の苞葉があるのがテッセンで、カザグル』マ『にはありません。また、花びら(ガク片)の数がテッセンでは6枚、カザグルマでは7〜8枚です。花屋さんで見る「テッセン」の多くはカザグルマの仲間の園芸品種です。ともに、初夏に大形で美しい花を咲かせます。今後は生薬供給を目的とした栽培も期待されます。』とある。神農子さんに、心より御礼申し上げるものである。

「沒石子《モシクシ》」先行する「卷第八十三 喬木類 没石子」の私の注を参照されたい。]

2025/09/17

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「鯨か池龍」

[やぶちゃん注:底本はここ。段落を成形し、句読点・記号を変更・追加した。以下の、標題(「か」はママ)の推定訓読では、「か」に濁点を打ち、助詞「の」を添えた。]

 

 「鯨か池龍《くじらがいけ の りゆう》」 安倍郡《あべのこほり》下村、「鯨か池」にあり。「駿河誌」云《いはく》、

『鯨か池に、九尺の靑龍《せいりゆう》あり。一夏九旬《いちげくじゆん》には、龍燈《りゆうとう》を現《あらは》す。云云《うんぬん》。』。

 今は絕《たえ》たるか、見る者、あるを、聞かず。

 

[やぶちゃん注:「鯨か池」既に「神木鳴動」で既出既注なので、そちらを見られたい。なお、関連して、私自身が古くの池沼の遷移に拘っているので、「桃澤池奇怪」と、最近の「椎田池の怪」も合わせてお読み頂ければ、幸いである。

「九尺」約二・七三メートル。

「一夏九旬」本来は、仏教用語である。「(一)旬」は「十日間」の義。「一夏九十日」の意で、その間の「安居(あんご)」を指す。元来は、インドの僧伽(そうが)に於いて、雨季の間は、行脚托鉢を休んで、専ら、阿蘭若(あらんにゃ:寺院)の内に籠って、座禅修学することを言った。本邦では、雨季の有無に拘わらず、専ら、本邦の暑い時期にプラグマティクな理由で行われ、多くは四月十五日から七月十五日までの九十日を当てる。これを「一夏九旬」と称して、各教団や大寺院では、種々の安居行事がある。安居の開始は「結夏」(けつげ)といい、終了は「解夏」(げげ)というが、解夏の日は多くの供養が行われて、僧侶は満腹するまで食べることが出来る。雨安居(うあんご)・夏安居(げあんご)ともいう(所持する平凡社「世界大百科事典」等の記載を参考にした)。龍と仏教の連環を象徴していて、興味深い。「龍燈」の博物誌は、私のサイト版の、南方熊楠「龍燈に就て」(「南方隨筆」底本正規表現版・全オリジナル注附・一括縦書ルビ化PDF版・2.9MB51頁)がよい。三分割のブログ版(私のブログ・カテゴリ「南方熊楠」から、どうぞ!)もある。]

甲子夜話卷之八 28 西丸の御多門は伏見の御城より移されしこと幷同處さはらずの柱、不ㇾ掃の事

8―28 西丸(にしのまる)の御多門(ごたもん)は、伏見の御城(ごじやう)より移されしこと、幷(ならびに)、同處(どうしよ)、「さはらずの柱(はしら)」、掃(はらは)ずの事

 

 西丸御玄關前の御多門は、もと、伏見の御城の燒餘(やけあまり)を引移(ひきうつ)されしもの也、とぞ。

 故に、御多門の上には、鳥井彥右衞門(とりゐひこゑもん)【元忠。】生害(しやうがい)の蹟あり、と云(いふ)。

 正しく見し人に聞(きく)に、其上の間(ま)の方(かた)は、今、御書院番頭(ごしよゐんばんがしら)の詰處(つめしよ)なり。

 其間の側(そば)の柱に、「さはらずの柱」と唱(となふ)る、あり。此(この)柱、卽(すなはち)、元忠が自害のとき、倚(より)かゝりて腹切(はらき)たる柱ゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、今に其(その)精爽、遺(のこ)りて、人、倚(よ)るときは、變、あり、と傳ふ。

 又、其間の奧の上に、「掃はずの間」と云(いふ)あり。

 廣き處には非(あら)ず。昔より掃(はき)たること、なし。

 其間の中(うち)に、元忠自害のとき、敷(し)たる席(たたみ)、今に、有り。

 又、死せんと爲(せ)しとき、水吞(みづのみ)し石の手水鉢(ちやうずばち)・柄杓(ひしゃく)等も納(をさめ)てあり、と云。

 もし、それ等(ら)の物を動かせば、亦、變を生ず、と傳ふ。夫(それ)ゆゑ、今に、掃除せざる、となり。

 又、番頭(ばんがしら)の詰處(うめしよ)より、二た間(ま)を隔(へだて)て、家賴の詰處あり。此間の外がは、物見牖(ものみまど)のある所、左右の柱に、席(たたみ)より、一尺ばかり上と覺しき所、火箭(ひや)の痕(あと)か、徑(わた)り五寸、深さ三寸餘(あまり)ほども、燒込(やけこみ)たる蹟(あと)、あり。

 伏見城攻(ふしみじやうぜめ)に、火箭を打(うち)たること、記錄には見へざれども、燒痕(やけあと)は、正しく、火箭の中(あた)りたるなるべし、と。

 御家人某の話なり。

 

■やぶちゃんの呟き

 二ヶ月半ほど、ほおっておいたところが、理由は全く判らないが、今月に入って、本カテゴリそのものへのアクセスが一番(281アクセス)になっていたので、お茶濁しに作成した。

 私は城郭に全く興味がないので、伏見城からの移転説については、渡辺功一氏のブログ「大江戸歴史散歩を楽しむ会」の「江戸城西丸の伏見櫓」が参考になるので、リンクさせておく。

「鳥井彥右衞門【元忠。】」一般には「鳥居」であるが、当該ウィキの脚注の「3」に『高野山成慶院の記録『檀那御寄進幷消息』中に「鳥井』(☜)『彦右衛門室馬場美濃守息女之文」記述あり』とあり、ネットでも、「鳥井」一族を「鳥居」とも書くケースを見出せた。小学館「日本大百科全書」によれば、鳥居元忠(天文八(一五三九)年~慶長五(一六〇〇)年)安土桃山時代の武将。通称、彦右衛門。松平氏の家臣鳥居忠吉の子として生まれ、幼少より徳川家康の側近として仕えた。「姉川の戦い」に先駆けしたのをはじめ、各地に転戦して戦功を重ね、「三方ヶ原の戦い」では、負傷して片方の足が不自由になったと伝えられる。天正一〇(一五八二)年、北条氏勝を甲斐に破り、甲斐郡内地方において、領地を与えられ「城持衆」(しろもちしゅう)の一人として一手を預かった。その後は、徳川氏の武将として先手(さきて)を勤め、天正一八(一五九〇)年の「小田原攻め」では、相模の築井(つくい)城(現在の相模原市緑区内)、武蔵の岩槻(いわつき)城(現埼玉県)を攻め下し、功により下総国矢作(やはぎ)(現千葉市)で四万石を与えられた。「関ヶ原の戦い」に際し、伏見城を守ったが、豊臣方の包囲され、落城・戦死した、とある。この最期については、当該ウィキに、やや詳しい。そこに、本篇の絡みでは、『最期の地になった伏見城に残された血染め畳は』、『元忠の忠義を賞賛した家康が』、『江戸城の伏見櫓の階上におき、登城した大名たちの頭上に掲げられた。明治維新による江戸城明け渡しの後、その畳は』、『明治新政府より壬生藩鳥居家に下げ渡され、壬生城内にあり』、『元忠を祭神とする精忠神社』(せいちゅうじんじゃ)『の境内に「畳塚」を築いて埋納された。床板は「血天井」として京都市の養源院』『をはじめ宝泉院、正伝寺、源光庵、瑞雲院、宇治市の興聖寺に今も伝えられている』とある。

2025/09/13

和漢三才圖會卷第九十二之本 草類 藥品(2) 六陳

 

  りくちん

  六陳

 狼毒 枳實 橘皮 半夏 麻黃 吳茱萸

陶隱居曰六種皆須陳久者良其餘須精新也

 大黃 木賊 荆芥 芫花 槐花

李果曰是等亦宜陳久不獨六陳也

[やぶちゃん字注:「李果」は「李杲」の誤記。東洋文庫訳では、直されてある。訓読文では、訂した。

 

   *

 

  りくちん

  六陳

 狼毒《らうどく》 枳實《きじつ》 橘皮《きつぴ》

 半夏《はんげ》  麻黃《まわう》 吳茱萸《ご》

陶隱居が曰《いはく》、「六種、皆、陳(ふる)く久しき者を須(もち)いて[やぶちゃん注:ママ。]、良し。其《その》餘《よ》は、精-新(あたらし)きを須《もちふ》なり。」≪と≫。

 大黃《だいわう》 木賊《もくぞく/とくさ》

 荆芥《けいがい》 芫花《げんくわ》

 槐花《くわいくわ》

李杲《りかう》が曰く、「是等も亦、陳久《ちんきゆう》、宜《よろ》し。獨り、『六陳《りくちん》』のみならざるなり。」≪と≫。

 

[やぶちゃん注:以上の訓読は、ブラウザの不具合を考え、一行字数を減じた。

「六陳」「ユンケル」公式サイトの「陳皮」のページの「豆知識」に、『陳皮の陳は「古い」という意味の漢字です。生薬の伝統的な考え方の一つに「六陳」というものがあります。生薬を選ぶときには古く熟成した方が良いものと、新しく鮮度がある方が良いものがあり、「古い方が良い代表的な』六『種類の生薬」が「六陳」です。「六陳」には陳皮のほか、呉茱萸・枳実・半夏・麻黄・狼毒があるとされます。これらの生薬には、強烈で刺激が強い成分が含まれているため有毒ですが、時間の経過により、安全で効き目の高い成分に変化します。ミカンの皮をそのまま食べたら、苦くて気持ち悪くなってしまった』……『そんな経験はありませんか?』 『なお、古ければ良いというわけではなく、陳皮であれば』、一~二『年の熟成が良いとされています。これ以上経つと、薬効成分も減り、効果が失われてしまうのです。ただの「古い皮」ではなく、手間暇かけて一番良い所で選ばれたのが「陳皮」というわけです』とある。

「狼毒」「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイト内の「生薬の玉手箱 | 狼毒(ロウドク)」によれば(非常に詳しく、長いが、有毒物であるので、私のポリシーから、概ね、引いておいた。ピリオド・コンマは句読点に代えた)、キントラノオ目『トウダイグサ』(燈台草)『科(Euphorbiaceae)』トウダイグサ属『の Euphorbia pallasii 』(ヒロハタカトウダイ(広葉高燈台))・『 E. fischeriana 』(ウィキの「タカトウダイ」(高燈台:Euphorbia lasiocaula )では、前者のシノニムとする)・『 E. ebracteolata 』(マルミノウルシ(丸実野漆))『などの根を乾燥したもの』で、『狼毒は』「神農本草經」『の下品に収載され』、「咳逆上氣を主治し、積聚、飲食、寒熱水気を破り、惡瘡、鼠廔、疽蝕、鬼精、蠱毒を治し、飛鳥,走獸を殺す。」『とその効用が記されています。実際にオオカミ対策に使用したかどうかはわかりませんが、狼毒は』「神農本草經」『に記された薬効からはかなりの猛毒薬であったことがうかがえます。その有毒性を利用したとすれば』、『同効の様々な毒草が利用されたことが想像され、そのためか』、『古来』、『異物同名品が多く存在していたようです』。「圖經本草」『に描かれた石州狼毒の図は根頭に茎が叢生していることからは、Stellera 属』(アオイ目ジンチョウゲ科 Thymelaeaceae)『ともEuphorbia属とも受け取れますが、花の形はどちらかと言うとEuphorbia属に似ています』。『明代になると李時珍は「今の人は住々草䕡茹』(そうろじょ:本邦の現行では、トウダイグサ属ノウルシ(野漆) Euphorbia adenochlora:ムクロジ目ウルシ科Anacardiaceae或いはウルシ属 Toxicodendron の真正のウルシ類とは無縁なので注意されたい)『をこれにあてるが、誤りである」といっています。この草䕡茹は』「本草綱目」『の記文からも明らかに Euphorbia 属のもので,この頃の狼毒の主流はEuphorbia 属であったようです』。『清代の』「植物名實圖考」『には「本草書の狼毒は皆はっきりしない(中略)滇南に土瓜狼毒がある」と記され、また、草䕡茹の項に「滇南では土瓜狼毒と呼ぶ」とあり、このものは Euphorbia prolifera であるとされています。ところが、一時期』、『日本に輸入されていた香港市場の狼毒は』、『これらの植物とは全く異なり、サトイモ科』Araceae『のクワズイモ Alocasia odora の地下部を基源とするものでした。これは』「植物名實圖考」『の狼毒の項に』「紫莖南星を之に充てる」『と記されているサトイモ科の天南星の類( Arisaema 属植物)のものと考えられ、それが次第に飲片』(いんぺん:漢方で煎じ薬用の薬を指す)『の形状がよく似て』、『収量の多いクワズイモに代わったとされています』。『以上の三つの科にまたがる原植物は形態的にはかなり異なります。Euphorbia 属には白い乳液があり、Stellera 属は小さいが』、『きれいな花を咲かせ、クワズイモは他に比べると』、『はるかに大型になる』、『などです。それらに共通する有毒性が』、『この生薬の本質であるとすれば、やはり有害動物対策に使用されたことが考えられます。蒙古では今でも』、『オオカミを駆除するために動物の肉に有毒物質を混ぜて利用すると聞きます。オオカミがいない南方の地では殺鼠剤として使用されていたのでしょうか』。『現在、狼毒は専ら外用薬としてリンパ腫脹や疥癬などに用いられますが、内服薬としては、逐水、去痰、消積などの作用があるとされ、心下が塞がっておこる咳嗽、胸腹部の疼痛などに他薬とともに用いられます』。『実は、狼毒は正倉院の』「種々藥帳」『に記載があり、奈良時代には既に渡来していたようです。現在では稀用生薬ですが、当時は重要な生薬の一つであったものと考えられます。今では現物が失われて原植物が何であったかは定かではありませんが、時代から考えると Stellera 属であったように思われます。鑑真和尚が敢えて日本にもたらす薬物の中に狼毒を選んだと考えると、今となっては窺い知れない何か別の理由があったようにも思われます』とある(先行する「第八十七 山果類 橘」の私の注から転写した)。

「枳實」先行する「卷第八十四 灌木類 枳殻」の中の「枳實」の本文、及び、私の注を参照されたい。

「橘皮」先行する「卷第八十七 山果類 橘」の、本文及び私の「枳実」の注を見られたい。

「半夏」前回で既出既注だが、転写すると、単子葉植物綱ヤシ亜綱サトイモ目サトイモ科ハンゲ属カラスビシャク Pinellia ternata のコルク層を除いた塊茎。嘔気や嘔吐によく使われる生薬である。私の「耳囊 卷之七 咳の藥の事」も参照されたい。

「麻黃」中国では、裸子植物門グネツム綱グネツム目マオウ科マオウ属シナマオウEphedra sinica(「草麻黄」)などの地上茎が、古くから生薬の麻黄として用いられた。日本薬局方では、そのシナマオウ・チュウマオウEphedra intermedia(中麻黄)・モクゾクマオウEphedra equisetina(木賊麻黄:「トクサマオウ」とも読む)を麻黄の基原植物とし、それらの地上茎を用いると定義している(ウィキの「マオウ属」によった)。また、漢方内科「証(あかし)クリニック」公式サイト内の「暮らしと漢方」の「麻黄…エフェドリンのお話」が非常に詳しいので、見られたい。

「吳茱萸」先行する「卷第八十九 味果類 呉茱萸」の本文と私の注を参照されたい。

「陶隱居」六朝時代の梁の医学者・科学者にして道教の茅山派の開祖でもある陶弘景(四五六年~五三六年)の自称。彼の「名醫別錄」(全七巻)は「本草綱目」で頻繁に引かれている。

「大黃」タデ目タデ科ダイオウ属 Rheum の根茎の外皮をり去って乾燥したもので、健胃剤・潟下剤とする。「唐大黄」と「朝鮮大黄」との種別がある

「木賊」シダ植物門トクサ綱トクサ目トクサ科トクサ属トクサ Equisetum hyemale (漢字表記:「砥草」・「木賊」)全草を乾燥したもの。「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 |  砥草、木賊(トクサ、モクゾク)」に拠れば、『属名のEquisetumは「馬の毛」を意味しており、スギナやトクサは英語ではホーステイル(Horsetail)とも呼ばれています。古代ギリシャの植物学者ディオスコリデスがミズドクサの水中にある茎に生じる黒い根にちなんでつけた名に由来します。トクサの仲間は古くから薬用としても利用されてきましたが、古来』、『麻黄との混乱が見られる薬物です』(☜)。『「木賊」の名は』「嘉祐本草」(本来は北宋末の一〇九〇年頃に、成都の医師唐慎微が「嘉祐本草」と「圖經本草」を合はせ、それに約六百六十の薬と、多くの医書・本草書からの引用文を加えて作った「經史證類備急本草」の通称。しかし、「證類本草」の語は未刊のまま終わったらしい唐慎微の書に、一一〇八年に艾晟(がいせい)が、それに多少の手を加えたものの刊本である「大觀本草」と、さらに一一一六年に曹孝忠らが、それを校正して刊行した「政和本草」を加えた、内容的に殆んど同一の三書の総称として用いられることの方が多い。以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)『に初見され、「目疾に用いて翳膜を退け、積塊を消し、肝、膽を益し、腸風を療じ、痢を止め、また婦人の水月が断えぬもの、崩中赤白を止める」薬物とされています。掌禹錫は』「嘉祐補註本草」『の中で「木賊は秦、隴、華、成諸郡の水に近い土地に出る。苗は長さ一尺ばかり、叢生するものだ。毎根一幹で花も葉もなく、一寸位ずつに節があって色は青い。冬を凌いで凋まない。四月に採取する」といっており、トクサの形状を記したものと考えられます。また名義については』、『明代の李時珍が「この草は節があって表面が糙澀である。木骨の細工に用い、木を磋』(みが)『き擦れば粗い理が取れて滑らかになる。それ故木の賊というわけだ」と述べています。前漢時代の馬王堆漢墓の埋蔵品の中から「木賊」が見つかっており、古くから薬用とされていたことが推察されます』。『一方、麻黄との混乱も見られ、李時珍は「木賊は中空で節があり、麻黄の茎と似ている。形を同じくし性も麻黄と同じものだ。故にやはり能く汗を発し、肌を解し、火鬱、風湿を升散し、眼目の諸血疾を治す」と述べており、明代には麻黄と混用されていた記載が見られます。「木賊」と「麻黄」の原植物の混乱に関しては『薬史学雑誌』』(二〇〇六年)『に詳細な報告があり』、『それによりますと、麻黄に関する記載の中に「木賊に似ている」とする内容はないが、宋代の』「圖經本草」『に「雄は花がない」との記載がある。マオウ属植物は雌雄異株であり雌花はあまり目立たないが』、『雄花は黄色で目立つことから、この記文は花が咲かないトクサ属植物を指していた可能性が考えられる。また、マオウ属植物の茎には髄があり中実であるのに対して、清代の本草書には「中空である」との記載が多く見られる。同時期の「木賊」の原植物の特徴として「中空」が頻出することからも明らかにトクサ属植物を記したものと判断される』。「本草匯箋」(ほんぞうかいせん)『には「麻黄は中空で細い枝が繁る」との記載から麻黄との混乱はトクサではなくイヌドクサ』(犬木賊)『 Equisetum ramosissimum Desf.であったと考えられ、李時珍の「茎が麻黄に似ている」との記載も茎が太いトクサではなく、細いイヌドクサの方が合致する。また江戸時代の『本草綱目啓蒙』には「舶来の麻黄中にイヌドクサが多く混ざっている」との記載もあり、中国では明代から清代にかけて「麻黄」と「木賊」の原植物の混乱があったため、日本に輸入された麻黄にもイヌドクサが混入していたようです』。『トクサは高さ』一『メートルにもなる植物で、暗緑色の地上茎は分枝せず』、『直立します。茎の先端に楕円体の胞子嚢穂がつきます。トクサ属植物の茎は表面にある無水』珪『酸のせいで』、『ざらついており、トクサでは』、『それが顕著で』、『以前は研磨材として用いられたため』、『「砥草」の和名がついたとされています。イヌドクサはトクサに似ていますが、やや小型で茎が細く節に枝を生じます』。『木賊の含有成分としてパルストリン、ジメチルスルフォンの他、多数のトリテルペンやフラボノイドなどが報告されていますが、もちろん麻黄に含まれるようなエフェドリン』(ephedrine:充血除去薬(特に気管支拡張剤)、又は、局所麻酔時の低血圧に対処するために使われる交感神経興奮剤)『などのアルカロイドは含有されていません。なお、李時珍が記しているように麻黄と同じ効能があるのかどうかに関する研究はないようです。両者は植物学的に余りにも異なる植物ですから』、『検討の余地はなさそうですが、麻黄の資源問題やエフェドリンのドーピング問題などを考えるとき、李時珍の一文が』、『ふと』、『頭をよぎります』とある。

「荆芥」シソ目シソ科イヌハッカ属ケイガイ Schizonepeta tenuifolia で、花穂が発汗・解熱。鎮痛・止血作用を持つ漢方生剤。

「芫花」アオイ目ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属フジモドキ(藤擬) Daphne genkwa の花蕾。豊橋市の漢方薬局「桃華堂」の「芫花(げんか)」に拠れば、「効能・効果」に『①瀉水除湿』、『②逐痰滌飲』、③殺虫療癬』とあり、『フジモドキは中国・台湾原産の落葉樹であり、日本には江戸時代初期に渡来しました。庭や公園などに植栽され、九州では野生化しています。名前に「藤」とついていますが、フジモドキはジンチョウゲ科の植物であり、マメ科のフジとはまったく別の植物です。花の形も似ておらず、どこがフジ「モドキ」なのかというと、おそらく花の色がフジの花に似ていたためにつけられた名前であると考えられています。「チョウジザクラ」という別名もあり、園芸店ではこちらの名前でよく売られていますが、桜の仲間であるチョウジザクラとはまったく別の植物です。他にも「サツマフジ」という名前もあります』。『花の乱れがなく、苦味の強い、香気の高いものが良品とされています。また、新しいものよりも古いものほどよいとされています』。『瀉下薬の中でも作用が非常に激しく、下痢を起こさせ体内の水分を排出させる峻下逐水薬(しゅんげちくすいやく)に分類され、同じような効能を持つ生薬に甘遂(かんつい)、大戟(たいげき)、牽牛子(けんごし)などがあります。峻下逐水薬作用が非常に激しいため、常用はせず、安易な使用は避けるようにと多くの書物に書かれています』。『甘遂・大戟・芫花の中で薬効は甘遂がもっとも強く、大戟がこれに次ぎ、芫花はやや緩やかです。毒性は芫花がもっとも強く、甘遂・大戟はやや緩やかです』。「神農本草經」『の下品に収載されており、古くから逐水薬として使われていました。毒性の強さから、一般的には炒めたりすることで毒性を軽減してから利用されています。利尿作用があり、腹水・浮腫・尿量減少・便秘などに用いられていました。代表的な漢方薬に甘遂や大黄(だいおう)と一緒に配合された舟車丸(しゅうしゃがん)があります』。『去痰・鎮咳作用があり、呼吸困難・咳嗽・胸脇痛などの症状を改善します。特に甘遂・大戟・芫花の』三『つの峻下逐水薬を併用することで、胸水や腹水の治療に用いられます。代表的な漢方薬に十棗湯(じっそうとう)があります。十棗湯は』三『つの峻下逐水薬を併用することによる消耗を抑え、作用を緩和するために大棗(たいそう)』十『個を服用することからこのような名前がつきました』。『駆虫作用があり、虫積(寄生虫)による腹痛に用いられます。頭部白癬症に単味の粉末を豚脂で調整し外用します』。『生薬の配合で混ぜると』、『毒性が強く出やすい組み合わせを「十八反(じゅうはっぱん)」と言います。芫花もこの中に含まれており、配合禁忌とされている生薬に甘草(かんぞう)があります』。『気力・体力が十分ない人に軽々しく使用してはいけません。妊婦には禁忌です』とあった。

「槐花」バラ亜綱マメ目マメ科マメ亜科エンジュ属エンジュ Styphnolobium japonicumの花、若しくは、花蕾を基原とする。同種に就いては、先行する「卷第八十三 喬木類 槐」を参照されたい。同前のサイトの「槐花」のページに、「効能・効果」に『①涼血止血』、『②清肝降火』とし、『エンジュは古くから日本で植栽されている植物です。学名にjaponicaとあり、学名がついた当時は日本原産であると考えられていたようですが、原産は中国です』。『古くは「えにす」と呼ばれており、これが転化してエンジュになりました。「延寿」に通じることから、日本では』、『めでたい木であるとされています』。『若葉は茹でると食べることができます』。『エンジュに似た植物でイヌエンジュ』(マメ科イヌエンジュ属イヌエンジュ Maackia amurensis )『がありますが、こちらは日本の固有種です。育てやすく長命なため、日本全国の街路樹や庭木などとして植えられています。イヌエンジュにはエンジュのような薬効はないと考えられています』。『エンジュは使用部位で生薬の名前が異なります。花を乾燥させたものを「槐花」、花蕾を乾燥させたものを「槐米(かいべい)」または「槐花米(かいかべい)」、果実を乾燥させたものを「槐角(かいかく)」と言います。現在生薬として使われることが多いのは槐花と槐角です。効能はほぼ同じですが、涼血止血(血液の熱を冷まして止血する働き)は槐花の方が優れ、瀉熱下降(熱を冷まして気を下に降ろす働き)は槐角の方が優れていると言われています』。『生薬を採取してから保存期間が短いものほど良品とされる「八新(はっしん)」の一つです。時間が経つほど気味が抜けやすく、効能が落ちてしまうという特徴があります。八新には他にも薄荷(はっか)、菊花(きくか)、桃花(とうか)、赤小豆(せきしょうず)、蘇葉(そよう)、沢蘭(たくらん)、款冬花(かんとうか)があります』。『出血を止める止血薬(しけつやく)に分類され、同じような効能を持つ生薬に三七(さんしち)、仙鶴草(せんかくそう)、地楡(ちゆ)などがあります』。『涼血止血作用があることから、血便・痔出血・鼻血などに用いられます』。『肝の熱を冷ます効果があることから、肝火上炎(かんかじょうえん:精神的ストレスに熱が加わった状態)による目の充血や頭痛・イライラなどに黄苓(おうごん)や菊花と一緒に用いられます』。『成分としてフラボノイドのルチンが含まれています。ルチンはかつてビタミンPとよばれていたビタミン様物質で、毛細血管の働きを安定・強化させることで高血圧・動脈硬化・脳卒中などの予防効果があると言われています。ルチンを主成分とした健康食品も販売されており、槐花はルチンの抽出原料として使われています。ルチンは他にもソバなどにも含まれています』とある。

「李杲」金・元医学の四大家の一人とされる医師李東垣(一一八〇年~一二五一年)。名は杲(こう)、字(あざな)は明之(めいし)、東垣は号。河北省正定県真定の生で幼時から医薬を好み、張元素に師事、その業をすべて得たという。富家であったので医を職業とはせず、世人は危急の際以外は診てもらえなかったが「神医」と称されたという。病因は外邪によるもの以外に精神的な刺激・飲食の不摂生・生活の不規則・寒暖の不適などによる素因が内傷を引き起こすとして「内傷説」を唱えた。脾と胃を重視し、「脾胃を内傷すると百病が生じる」との「脾胃論」を主張、治療には脾胃を温補する方法を用いたので「温補(補土)派」とよばれた。朱震亨(しゅしんこう)とあわせて李朱医学と称された(小学館「日本大百科全書」に拠る))の「食物本草」で知られるが、これは、明代の汪穎の類題の書と区別するために「李東垣食物本草」とも呼ぶ。]

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「木枯森の奇」

[やぶちゃん注:底本はここ。段落を成形し、句読点・記号を変更・追加した。]

 

 「木枯森《こがらし の もり》の奇《き》」 安倍郡《あべのこほり》羽鳥村《はとりむら》木枯の杜《もり》にあり。「風土記」云《いはく》、

『安弁郡木枯森、廣野姫天皇庚寅十月、府官史生、吏部、奉ㇾ役入山中暴風陣々、樹木顚倒、荒忽如酒醉、于ㇾ時風雨一行、後已至黃昏月淸朗焉、有一大男、居巖頭、其威風如ㇾ生毛髮、暫時難ㇾ對顏眉、史生秦助右、解腰劔當ㇾ之、下ㇾ手不ㇾ覺目眩、四邊無ㇾ物、唯如ㇾ覺醉夢吏部並餘生如ㇾ此、其後不ㇾ知其過蹤。云云。』。

 木枯の森、今猶、存して、八幡宮あり。

 

[やぶちゃん注:まず、やや長いが、この「木枯森」の地名について、非常に興味深い地名伝承を含む解説を見出したので、国立国会図書館デジタルコレクションの「駿河記 上卷」(桑原藤泰著・足立鍬太郎校・出版者/加藤弘造・昭和七(一九三二)年刊:作者は島田宿の素封家桑原藤泰(号は黙斎)の編になる駿河国地誌。文政元(一八一八)年完成。詳しくは、先行する「神戱」の私の注の引用中にある、私が挿入した太字部分に詳しい)の「卷五 安倍郡卷之五」の「〇木魂明神社」の項(ここから)を視認して電子化する。

   *

〇木魂明神社  祭神句々迺馳命(ククノチ)也 本社と相殿神主內野右近

 文明二年並天正元年壬辰祭主內野掃部介等記する棟札あり。

 當社緣起に曰かみつ代此里に原阪氏夫婦のものあり。そが中に一人のかほよき女子をもてり。玆にいつ地とも知れず、年の程二八許なる美童、水干に袴付てよくたち[やぶちゃん注:四文字に右注で『(夜更)』とある。]に女子の閨房に通ひ交りを通しけり。ある夜女子美童にむかひ、御身は何地に住給ひ侍ると尋けるに、さだかなるいらへもなかりしかば、女子ふしぎにたへかねて、恥をしのびて母にかくと告たり。母驚き、そは人間のわざにあらじと、女子に敎へていふ、今より七夜に七におけの麻を績(う)み、其緖に針を付て、彼人のかへるさに袴の腰に結ひ付て見よかしとありけるにぞ、敎の如くある夜半に美童の袴に鍼さしけり。明る日彼千尋の糸にしたがひて尋見けるに、きりくひ[やぶちゃん注:同じく四文字に右注して、『(伐杭)』とある。]本社の【今云白鬚神社の社中くひは後の地名】大杉の木に止りけり。あたりの人々驚きいふ。こは木魂のくせ事にや、あな恐ろしきことにこそと申あへり。父是を聞てかゝるくせことこそ安からねとて、いといきどろし[やぶちゃん注:ママ。](と思ひ)つゝ人夫に仰せて大杉を伐果し、控[やぶちゃん注:右に『(空)』と傍注する。]舟に造なして、女子を乘て、藁科川に流しけり。母は生別の悲しさに川邊に出て嘆きかなしみ止むれど、父のいかりのたゆまねば、止るに力なく、其身も浴盤[やぶちゃん注:行水盥(ぎょうずいだらい)。]に乘じつゝ女子をしたひて同じ流に乘下り、なきこがれて呼さけびてぞ流ける其聲かすかにかすかに聞えしかば、母の悲嘆の悲さにせめてもの形見にもとや思ひけむ。櫛笥[やぶちゃん注:「くしげ」。櫛や化粧の道具を入れておく箱。取てぞ河水に投じける。【櫛笥の止る處寺島の里なり今社あり】時しも山河震ひ動き、疾風疾(猛)雨[やぶちゃん注:前の括弧のそれは、「疾」と誤った正しい字を示したものであろう。]降りしきり、洪水溢れ漲て[やぶちゃん注:「みなぎりて」。]控舟遙に遠く流しに[やぶちゃん注:「ながれしに」。]、一島の元に至り俄然にくつがへりぬ。母の乘たる浴盤同じ流の上の一島の元にくへかつりて[やぶちゃん注:「くへ」は「壞(く)え」の誤りで、「かつり」は「潛(かづ)く」の活用の誤りであろう。「浴盤が、壊れて水の中に潜ってしまい」の意で採る。]水底に沈ける。この二島を校正に呼て一を舟山と云一をこかれし[やぶちゃん注:母が娘を「こがれし」の意であろう。]森といふ。なをはた後の代には木枯の森とは號しけるとなむ。なほ後の代に、彼木を切し跡を木魂明神と齋り[やぶちゃん注:「いつけり」或いは「いはへり」であろう。]、その地をきりぐひと名號[やぶちゃん注:「みやうがう」。]しも皆此本緣[やぶちゃん注:「ほんえん」。「緣起」に同じ。]今に原阪氏の子孫忠左衛門といふものゝ家には麻を植うる事を禁すといふ。又神社邊古木の朽殘れる跡徑り七步許、今猶存す。【此說和州三輪の說にひとし、古たる物語なれば信僞を不ㇾ論こゝに載。〇前半は三輪物語なれども後半は異なりたる地名傳說なり。此文原本の方おもしろし。故につとめて其の面影を存す。】

   *

 以下、漢文部を推定訓読する。

   *

 安弁郡[やぶちゃん注:「安倍郡」の誤り。]木枯森(こがらしのもり)、廣野姫天皇庚寅(かのえとら)十月、府官、史生(ししゃう)、吏部(りぶ)、役を奉りて、山中に入れば、暴風、陣々(ぢんぢん)、樹木、顚倒(てんたう)し、荒忽(くわうこつ)として[やぶちゃん注:空漠として。]、酒に醉(ゑ)ふがごとく、時に、風雨、一行(いつかう)[やぶちゃん注:一たび、行き過ぎること。]、後(のち)、已(やみ)、黃昏(くわうこん)に至り、月、淸朗(せいらう)たり。一(ひとつ)の大男(おほをとこ)、有り、巖頭に居(を)り、其の威風、毛髮、生ずるがごとく、暫時、顏《かほ》・眉《まゆ》、對し難く、史生の秦助右(はたのすけゑ)、腰の劔(つるぎ)を解き、之れを當(あ)つるも、手を下(おろ)すも覺えず、目、眩(くら)む。四邊、物、無く、唯(ただ)、醉(ゑひ)たる夢より覺むるがごとし。吏部、並(ならび)に、餘生《よしやう》、此くのごとし。其の後(のち)、其の過ぎし蹤(あと)、知れず。云云(うんうん)。

   *

「廣野姫天皇庚寅」持統天皇の別名で、この干支は持統天皇六年で、ユリウス暦六九〇年相当。

「史生」官司の四等官の下に置かれた職員。書記官相当で、公文書を作成し、四等官の署名を得ることを主職掌とした。

「吏部」太政官八省の一つである式部省相当の役人。文官の考課・選叙・禄賜等の人事一般を取り扱った。

「安倍郡羽鳥村木枯の杜」現在の静岡市葵区羽鳥に現存する。「静岡市」公式サイト内の「木枯ノ森」に、『安倍川最大の支流「藁科川(わらしながわ)」が安倍川に合流する手前にある川中島で、森はお椀を伏せたような丘を形成し、小さな島は木々に覆われています。「枕草子」のころから、駿河国の歌枕として親しまれてきた場所です。また、本居宣長が撰文を刻んだ石碑「木枯森碑」も森の中に佇んでいます』。『木枯ノ森の中には石段や鳥居などが見受けられ、頂には木枯八幡宮があり』、『八幡神が祀られていましたが、度重なる災害や参拝の困難さから羽鳥八幡神社にご神体は移されました。毎年』九『月頃に、羽鳥八幡神社から八幡様が木枯ノ森へ「本家帰り」する祭りが行われています』。『川の真ん中にあるため周囲には駐車場もなく、木枯ノ森に渡るための橋なども整備されていないため、訪れるには川の中を通らなければなりません。静岡の不思議な秘境スポットです』とある。地図はそちらのものを見るのが、よい。当該ウィキ(そこでは「木枯森」とする)に拠れば、長さ百メートル、高さ十メートル『ほどの小さな丘』とする。平凡社「日本歴史地名大系」では、『現在の羽鳥(はとり)と牧ヶ谷』(まきがや)『を結ぶ藁科(わらしな)川の牧ヶ谷橋付近の中洲に存在する小丘の森。県指定名勝。森の中には木枯神社(八幡神社)が鎮座する。近くを古代の東海道が走っていたことにより、景勝地として古くから歌枕とされ、「能因歌枕」に駿河国の歌枕の一つとして載る。「後撰集」に「こがらしのもりのした草風はやみ人のなげきはおひそひにけり」(読人知らず)、「枕草子」の「森は」の段にも「木枯の森」とある』。但し、『山城国の歌枕ともされ』(「能因歌枕」)、『現京都市右京区の木枯神社付近の森をさすともいわれ、その所在は判然としない』とあった。静岡放送が運営する公式サイト「@Sアットエス」の「藁科川の舟山と木枯森を訪ねる」が詳しい。既出と重複する箇所があるが、全文を引く。動画もあるのでお勧めである。『安倍川と藁科川の合流点にある舟山』(ふなやま)。『ここに、かつて舟山神社と呼ばれる神社がありました』。『この場所は、安倍川が増水すると参拝できなくなったため、明治』二二(一八八九)『年に、舟山神社は安倍川の右岸の神明宮に移されることになりました。藁科川が安倍川に合流する手前には、川の中洲に木々に覆われた小さな島、「木枯森」(こがらしのもり)があります。伝説によると、神である大蛇との間に子供を生んだ娘に父親が怒り、その子どもを川に流してしまいました。娘は子どもを追いかけましたが、この辺りで別れ別れになってしまい』、『嘆き悲しんだ娘が』、『子に焦がれた場所として木枯森と呼ばれるようになったとされています。「木枯森」は、清少納言の「枕草子」にも記され、美しい風景として、数多くの歌に詠まれてきました。森の山頂には八幡神社が祀られ、江戸時代の国学者本居宣長の撰文を刻んだ「木枯森碑」や、駿府の医師であった花野井有年』(はなのいありとし 寛政一一(一七九九)年~慶応元(一八六六)年:江戸後期の医師。江戸・大坂などで漢方・蘭方を学び、文政八(一八二五)年、郷里の駿府で開業、後、皇国医方(日本固有の医術。「和方」とも言う)に転向した。著作に「醫方正傳」・「辛丑(しんちゅう)雜記」等がある。以上は、講談社「デジタル版日本人名大辞典+Plus」に基づく)『の歌碑が建てられました。現在』、『ここに石段や鳥居は残るものの、度重なる災害や参拝の難しさから、羽鳥の八幡神社にご神体が移されました。毎年』九『月頃には』、『羽鳥の八幡神社からご神体を神輿に乗せて木枯森へ戻す祭りが行われます』。『東海道の旅の名所を記した』「東街便覽圖畧」『にも、安倍川と藁科川が描かれ、「舟山や木枯森などが川の中に浮かんだ様子は、非常に面白い。ここから見る富士山の姿は見事である。」と紹介されています』とある。また、サイト「YamaReco」のJA12V氏の投稿記事「地元の珍山_舟山(ふなやま)_安倍川の川中島」には、他では見られない跋渉された詳しい画像が豊富にある。

 さても。冒頭に私が起こした話があってこそ、この話、想像が膨らむというものであろう。

2025/09/12

和漢三才圖會卷第九十二之本 草類 藥品(1)

[やぶちゃん注:漢方名を、逐一、附した結果、膨大な時間がかかり、容量もトンデモないものになってしまった。]

 

 藥品(やくひん)

 凡諸藥多用草故字从艸今金石木土之劑皆爲藥而

[やぶちゃん注:原本では、「今」は「グリフウィキ」の、この異体字だが、表示出来ないので「今」とした。今までは、あまり、見たことがない。]

 草木根梢收採惟宜秋末春初春初則津潤始萠未𠑽

[やぶちゃん字注:「𠑽」は「充」の異体字。]

 枝葉秋末則氣汁下降悉歸本根諺曰賣藥者兩眼用

 藥者一眼服藥者無眼非虛語也毉不能識藥惟聽市

 人市人又不辨究皆委採送之家傳習造作眞僞好惡

[やぶちゃん字注:「究」の字は、原本では、最終画の縦部分に「﹅」が交わっているが、このような異体字はない。恐らく、「究」の異体字「䆒」を誤ったものと思われる。]

 並皆莫測

 鍾乳醋煑令白 細辛水漬使直 黃茋𮔉蒸爲甜

 當歸酒洒取潤 蜈蚣朱足令赤 古壙灰云死龍骨

 以齋苨亂人參 用木通混防已 苜蓿根謂土黃耆

 螵蛸膠于桑枝 藿香采茄葉襍 麝香搗茘枝核攙

[やぶちゃん字注:「攙」の原本の、この漢字は、(つくり)の上下ともに、上から、〔「ク」+「『口』の二個の結合」+「比」〕を重ねたものとなっているが、こんな漢字は存在しない。東洋文庫訳では、この字を「まぜる」と訳していることから、その意を持つ、この字に確定した。

 研石膏和輕粉 以薑黃言鬱金 嫩松梢爲肉蓯蓉

 枇杷蘃代欵冬 草仁𠑽草豆蔲 松脂混騏麟竭

[やぶちゃん字注:「蘃」は「蘂」(しべ)の異体字。]

 西呆代南木香 驢脚脛作虎骨 畨硝和龍腦香

 或半夏煑黃爲玄胡索 或熬廣膠入蕎麵【炒黒】作阿膠

[やぶちゃん注:「麵」は「グリフウィキ」のこの異体字だが、表示出来ないので、かく、した。]

 或煑雞子及鯖魚枕爲琥珀之類巧詐百般爲忌畏毒

 甚致殺人歸咎用藥【本草綱目本草必讀之說拾要記之】

△按百草黒燒用鍋底墨陳倉米用三年米者雖不中不

 遠以猿尾贋鹿茸以膠飴襍蜂𮔉以黃獨爲何首烏者

 其用藥有何益耶


凡藥品來於中𬜻者 大君命遣識藥人于長崎悉辨正

[やぶちゃん注:「大君」の前の字空けは、尊敬のそれである。訓読では、カットした。]

 之以聽交昜出於日本藥品贋僞者嚴所禁止

 藿香 黃茋 白歛 白芷 白鮮皮 桑寄生

 常山 辰砂 滑石 阿膠 代赭石 爐眼石

右件倭藥不佳所以禁交易

 官桂 大戟 茵陳 續斷 牛黃 白丁香

 熊膽 虎膽 麝香 琥珀 阿仙藥【俗云斧割】 五加皮

右件藥贋僞多有所以禁賣僞藥

 熟地黃 麹半夏 神麯 乾薑

右件藥修製宜隨古法如省略者禁賣

 川烏頭僞名新附子 大風子油僞名雷丸油

 倭當藥僞名胡黃蓮

右件藥自今以後用本名須賣買之

 重目輕粉 平戸人參 熊野小人参

右件藥性功不佳所以禁賣買

 明暦四年法令詳審如之然恐詐送者嘗綿宻之擇求

者毎等閑也蓋藥店肆有言不欲價賤輒可得眞者

 

   *

 

 藥品(やくひん)

 凡《およそ》、諸藥、多くは、草を用ふ。故に、字、「艸」に从《したがふ》。今、金・石・木・土の劑、皆、藥と爲《な》して、草木根梢《さうもくこんしやう》を收-採《をさめと》るに、惟《ただ》、秋の末《すゑ》、春の初に、宜《よろ》し。春の初めには、則《すなはち》、津(しる)[やぶちゃん注:「汁」に同じ。植物体の体液。]、潤《うるほひ》て、始《はじめ》て萠《もえ》、未だ、枝葉に𠑽(み)たらず、秋の末には、則《すなはち》、氣汁《きじる》[やぶちゃん注:全体の体液から生み出されるからこその、全体の「氣汁」なのである。]下降≪し≫、悉《ことごと》く、本《もと》≪の≫根へ歸《き》す。諺《ことわざ》に曰《いふ》、「藥を賣る者は兩眼《ふたつめ》、藥を用《もちふ》る者は一眼《ひとつめ》、藥を服する者≪は≫眼無《めな》し。」と。虛語《きよご》に非《あら》ず。毉《い》、能≪くは≫藥を識《し》らずして、惟《ただ》、市(う)る人に聽(まか)す。市る人も又、辨究《べんきゆう》せずして、皆、採-送《とりおく》るの家に委(まか)す。傳習《でんしふ》・造作《ざうさ》・眞僞・好惡(よしあし)、並《ならび》に、皆、測(はか)ること、莫《な》し[やぶちゃん注:医師寺島良安自身、自戒の意味を込めつつ、ズバリと、述べている。「和漢三才圖會」の電子化を永くやっているが、ここで初めて等身大の良安を感じ、心から尊敬した。]。

[やぶちゃん注:以下、訓読では、一項目を独立させて示し、各個に後注を附す。]

「鍾乳《しようにゆう》」は、醋《す》にて煑て、白《しろ》からしむ。

[やぶちゃん注:これは所謂、鍾乳石を指す。「地層科学研究所」公式サイト内の「地層と健康いろいろ(前編)」に、「鍾乳床(しょうにゅうしょう)」とし、『正倉院に現存する』とあり、『鍾乳石の破片であり、鉱物としては方解石(CaCO3)』(=炭酸カルシウム)『です。用途は止渇薬、利尿薬などです』とある。食酢のような弱酸の薄い溶液でも、表面を溶かすことが出来る。]

「細辛《さいしん》」は、水に漬《つけ》して、直《なほ》からしむ。

[やぶちゃん注:「細辛」は、双子葉植物綱コショウ目ウマノスズクサ(馬の鈴草)科カンアオイ(寒葵)属ウスバサイシン(薄葉細辛)Asarum sieboldii 、又は、オクエゾサイシン(奥蝦夷細辛)変種ケイリンサイシン(鶏林細辛)Asarum heterotropoides var. mandshuricum (後者は中国には分布しない)の根及び根茎を基原とするもので、漢方薬品メーカー「つむら」の公式サイト「Kampo View」の「細辛」に拠れば、『主として、胸部、横隔膜のあたりに病邪のとどまっているもの、水毒(水分の偏在)を治す』とある。]

「黃茋《わうぎ》」は、𮔉にて蒸(む)し、甜(あま)みを爲《な》≪す≫。

[やぶちゃん注:は「黄耆」「黄蓍」とも書く、双子葉植物綱マメ目マメ科ゲンゲ(紫雲英・翹揺)属キバナオウギ(黄花黄耆) Astragalus membranaceus 、及び、ゲンゲ属ナイモウオウギ(黄花黄耆:別名モウコオウギ(蒙古黄耆))Astragalus mongholicus の根から精製される漢方薬。同種は本邦の本州中部以北・北海道・中国・朝鮮半島の亜高山帯から高山帯にかけての草地・砂礫地に分布する。花期は七~八月頃に淡黄色の蝶形花を咲かせ、その根茎から製剤され、「日本薬局方」にも載る。有効成分はフラボノイド・サポニン・γ-アミノ酪酸(ギャバ・GABA)などで、利尿・血圧下降・血管拡張・発汗抑制作用を示し、強壮剤とされる。]

「當歸《たうき》」は、酒にて洒《ひた》して、潤《うるほひ》を取る。

[やぶちゃん注:知られた生薬名。被子植物門双子葉植物綱セリ目セリ科シシウド(猪独活)属トウキ Angelica acutiloba の根。]

「蜈蚣《むかで》」は、足を朱《しゆ》にして、赤《あか》からしむ。

[やぶちゃん注:博物誌は、私の「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蜈蚣(むかで)」を参照。漢方に就いては、「金澤 中屋彦十郎薬局」の「●百足(ひゃくそく、ムカデ)」に、『健康食品』としつつ、「神農本草經」『の下品に収載され、古来害虫の毒、悪血を去り、小児ひきつけ、蛇傷に用いられたりした』。『蜈蚣(ごこう)、天龍、百足虫と呼ばれたりしている。足の赤いムカデを良品とする』。『タイワンオオムカデ、アカズムカデなどがある。現在市場で良品とされるものは、体が長く、よく乾燥し、頭が赤く、背面は黒褐色、腹部が黄色で歩脚は脱落せず、乾いていても靭性に富み、折れがたいものとされている』。『一般には冬至から立春までに捉えたものが良品とされている』。『秋分後』十五『日以降のものは肉質が薄く、乾燥すれば腹面が黒くなり、破損しやすく、品質が劣る』。『「基源」』は『オオムカデ科』(=多足亜門唇脚(ムカデ)綱Chilopoda側気門亜綱 Pleurostigmophoraオオムカデ目 Scolopendromorpha オオムカデ科Scolopendridae『のタイワンムカデ』(タイワンオオムカデ Scolopendra morsitans のことと思われる)『およびアカズムカデ』( Scolopendra multidens )『の乾燥虫体である』。『「産地」』は『殆ど中国全土に産するが』、『主産地は浙江省、河南省、湖北省、安徽省、江蘇省などである』とある。『「成分」』は『蜂毒に似た』二『種の有毒成分が含まれる。その他ヒスタミン様物質と溶血蛋白質とである』とある。しかし、この記載では、「朱」、則ち、赤色の硫化水銀(HgS)で赤く着色しているのだから、以上の引用から見ても、以下に出る、似非物の製造法の記載と考えるべきである。

「古壙灰《こかうばひ》」を「死龍骨《しりゆうこつ》」と云ふ。

[やぶちゃん注:ここは「偽って言う」の意。以下、この特殊な言い方は、しばしば用いられる。

「古壙灰」東洋文庫訳では、『古壙(ふるつか)の灰』とある。

「死龍骨」は「龍骨」そのものが、漢方で、古くからある文字通り、伝説上の「龍の骨」として信じられてあったものであり、大杉製薬株式会社の公式サイトの「竜骨(リュウコツ)」に拠れば、『大型ほ乳動物の化石化した骨で、主として炭酸カルシウムからなる』もので、『鎮静・収斂・止瀉作用などがあり、動悸・不眠・健忘などに用いられる。漢方処方の柴胡加竜骨牡蛎湯・桂枝加竜骨牡蛎湯に配合されている』とあり、その物の写真もあり、「竜骨(リュウコツ)採掘地、陝西省延安市」の記事が続き、『採掘直後の竜骨は水気を含んで重く、土も付着していますが、この後、村の加工場へ搬送され、水洗、天日乾燥された後に出荷されます』。『実際に輸入した品では、表面の土は殆ど除かれており、乾燥も充分。金属の沈着に依るとされる様々な色紋が確認出来ます』。『日本国内で刻加工の後、製造に供します』とある通り、現役の漢方品なのである。私の小学生時代、歴史図鑑だったか、中国の巨大な墳墓の断面図が描かれてあり、その形に龍の絵をダブらせてあったのをはっきりと覚えている。されば、この「古壙灰」の「死龍骨」というのは、古くは、発掘する採集者も、それを売る薬肆者も、騙すつもりというよりは、確信犯的にやっていたものとも思われてくるのである。「死龍骨」というのは、私は当初、「龍骨」の偽物の後ろめたさから「死」を被せたものと思っていたが、今は、その見解を正しいとは思ってない。]。

「齋苨(せいねい)」を以《もつ》て「人參《にんじん》」と亂《みだ》し、

[やぶちゃん注:「齋苨(せいねい)」は、「維基百科」の「薺苨」にある、

キク亜綱キキョウ目キキョウ科ツリガネニンジン(釣鐘人参)属アツバソバナ(厚葉岨菜)Adenophora trachelioides

である。そこには、『中国本土の安徽省・浙江省・山東省・遼寧省・河北省・江蘇省に分布している。標高千メートルまでの高山帯の、主に丘陵地の草原や林縁に生育する。栽培は未だ行われていない』とある。当初、「園遊舎主人のブログ」の「茶花と花材の植物名その10に、『ソバナ(キキョウ科)・・・種名』として、『齋苨=ソバナ』とされ、「生花百競」『明和五』(一七六八)『年』『に記される』とあったのだが、このソバナというのは、

ツリガネニンジン属ソバナ Adenophora remotiflora

であり、同属ではあるが、異種である。そこで、さらに調べたところ、何時もお世話になるKatou氏のサイト「三河の植物観察」の「ツリガネニンジン 釣鐘人参」のページで、氷解した。そこのメインは、よく知られる、

ツリガネニンジン属サイヨウシャジン(細葉沙参)変種ツリガネニンジン Adenophora triphylla var. japonica

であるが、後にある「ツリガネニンジン属の主な種と園芸品種」の「20番目に、あった! 冒頭に、Adenophora trachelioidesMaxim. アツバソバナ 厚葉岨菜』とされ、『中国(安徽省、河北省、江蘇省、遼寧省、内モンゴル、山東省、浙江省)原産。中国名は ji ni。標高』二千四百メートル『以下の山や丘の斜面、草原、森林の縁に生える。』とあるのが、それである。しかし、漢方でどのように使用される(された?)かは、検索では全く出てこないので、ここまで、である。因みに、ウィキの「ツリガネニンジン」には、『日本では沙参というとツリガネニンジンを指すが、中国ではハマボウフウ』(セリ目セリ科ハマボウフウ属ハマボウフウ Glehnia littoralis )『のことをいう』。『これを区別するため、ツリガネニンジンを南沙参、ハマボウフウを北沙参(ほくしゃじん)と呼ぶ』。『昔は朝鮮人参の偽物に用いたといわれるが、朝鮮人参とは薬効は異なり代用にはならない』とはあった。参考までに。ともかくも、識者の御教授を乞うものである。

「木通《もくつう/あけび》」を用ひて、「防已《ばうい》」を混(ま)ぜ、

[やぶちゃん注:「木通」日中ともに、双子葉植物綱キンポウゲ目アケビ科Lardizabaloideae亜科Lardizabaleae連アケビ属アケビ Akebia quinata

「防已」これは、大いに問題がある。本邦では、この漢方薬の基原は、

キンポウゲ目ツヅラフジ科ツヅラフジ属オオツヅラフジ(大葛藤)Sinomenium acutum の蔓性の茎と根茎

である。当該ウィキによれば、『鎮痛作用や利尿作用などを持』ち、『有効成分としてアルカロイドのシノメニン』『などを含む。しかし、作用が強力なので、用法を間違えると』、『中枢神経麻痺などの中毒を起こす』とあるのだが、その後に、『中国では、防已をオオツヅラフジではなくウマノスズクサ科』(コショウ目ウマノスズクサ科 Aristolochiaceae)『の植物としていることがある。このウマノスズクサ科の植物の防已はアリストロキア酸という物質を含み、これが重大な腎障害を引き起こすことがある。このため、中国の健康食品や漢方薬には十分注意する必要がある』とあった。そこで、まず、「維基百科」の Sinomenium acutum 相当を見ると、標題は(以下、「臺灣正體」にしても、漢字の「已」は「己」になっているので、書き変えておいた)

『漢防已』

とあるが、本文は、

『風龍(學名:Sinomenium acutum)也稱漢防已、青風藤、青藤、大青藤、毛青藤,為防已科風龍屬下的一個種。』

で――漢方生薬関連の記載が全くなく、以上で――終わり――なのである。辛うじて、「外部連結」の『青風藤 Qing Feng Teng』『(頁面存檔備份,存於網際網路檔案館) 中藥標本資料庫 (香港浸會大學中醫藥學院)』のリンク先(これは、直後に記されてある通り、私の御用達である“Internet archive”のストックである)で、Sinomenium acutum の簡素な漢方データが見られるばかりである。

 されば、「維基百科」の検索ウィンドウで「防已」(ここは「已」にしないとダメ!)を調べると、『中草藥防巳』と『關木通屬植物廣防己Isotrema fangchi )』の二つの候補が示される。

前者は、中医学の漢方としての立項であるが、その「基原」植物には(ここでは「己」ではなく「巳」なので「已」に代え、学名を斜体にした)

『粉防已 Stephania tetrandra Moore

とあるのである。而して、この「Stephania tetrandra」を「維基百科」で調べると(「己」を「已」に代えた)、

「廣防己」

に突き当たる。そこには、『廣防己(學名: Isotrema fangchi )又名防已、藤防已,』(表字はママ)とあり、機械翻訳を参考にすると、『ウマノスズクサ』(馬の鈴草)『科(Aristolochiaceae)の植物である。中国本土では、貴州省・雲南省・広東省・広西チワン族自治区、及び、ベトナムに分布している。標高五百~千メートルの地域に自生し、主に丘陵地の密林や低木に生育する。人工栽培は、未だ、行われていない。葉は片長楕円形から長楕円形を成し、基部は丸みを帯びているが、稀に浅い心形の基部を持つ。正面から見ると、葉の檐(ひさし)が管状部分を完全に覆い、喉部は白色である』。アリストロキア酸』(Aristolochic acids:芳香族カルボン酸の一つ)『は、もともと、中国漢方草薬として使われており、その成分であるアリストロキア酸には利尿作用があり、減量、肺の浄化、咳止め、産後の強壮剤として使われている。しかし、アリストロキア酸は腎臓への毒性があり、尿路感染症や移行上皮癌』(主に膀胱の尿路粘膜の細胞が癌化するもの)『を引き起こす可能性がある。また、百万核酸塩基当たり百五十の核酸塩基に変異を有する。アリストロキア酸の遺伝子変異能は、知られている発癌性物質の中で最も強力である。少量の摂取でも、将来の癌リスクが大幅に高まるため、中国を含む多くの国で禁止されている』とあった(因みに、日本語の当該種のウィキは存在せず、和名や漢字名を記す記事のネットには見出せなかった)。

   *

 以上から、この一文の「防已」は、オオツヅラフジ Sinomenium acutum ではなく、この全くの別種で、和名のない、Isotrema fangchi であることが判明した。

 而して、これも、本来の生薬である「防已」の根に、「木通」の蔓性の蔓を混ぜて不法に量を増やすことを指している。

「苜蓿《もくしゆく/うまごやし》」≪の≫根を「土黃耆《どわうぎ》」と謂《いふ》。

[やぶちゃん注:「苜蓿」は日中共に、マメ目マメ科マメ亜科ウマゴヤシ(馬肥・苜蓿)属ウマゴヤシ Medicago polymorpha 若しくは、ウマゴヤシ属 Medicago の種名。ヨーロッパ(地中海周辺)原産の牧草。本邦では、江戸時代頃、国外の荷物に挟み込む緩衝材として本邦に渡来した帰化植物である。葉の形はシロツメクサ(クローバー:マメ科シャジクソウ(車軸草)属 Trifolium 亜属 Trifoliastrum 節シロツメクサ Trifolium repens )に似ている。但し、ウマゴヤシ属は中国語で「苜蓿屬」であるが、種は「南苜蓿」である。その根は、中医学では「苜蓿根」と言うが、中文サイト「中醫世家」の「苜蓿根」のページで、別名を「土黃耆」とすることが確認出来る。その「功能主治」には、『清湿热,利尿。治黄疸,尿路结石,夜盲』とあった。]

「螵蛸」(をうふぢがふぐり[やぶちゃん注:ママ。])を桑の枝に膠(つ)け、

[やぶちゃん注:「螵蛸(をうふがふぐり)」歴史的仮名遣は「おほぢがふぐり」が正しい。小学館「日本国語大辞典」に、『(「老人の陰嚢」の意)カマキリの卵のかたまり。秋に木の枝や家の壁などに生みつけられた泡状の分泌物がかたまって黒褐色になったもの。おおじのふぐり。おおじふぐり。』とある。東洋文庫訳では、『螵蛸(おおじがふぐり[やぶちゃん注:ママ。])を桑の枝に膠(にかわ)でつける。』とある。これも、やはり、今までに出ている――贋造――である。私の「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 桑螵蛸」を見られたい。そこで、良安は「本草綱目」を引き(そちらの訓読文を示す)、

   *

「本綱」、桑螵蛸は蟷蜋の子房、桑樹〔の〕枝に生ずる者、藥に入れ用ふ。味、甘・平にして、肝腎命門の藥なり。襍樹〔(ざふき)〕の上に生ずる者を用ふること勿れ。惟だ枝を連ね、斷〔(き)〕り取る者を眞と爲す。僞は亦、膠〔(にかは)〕を以て桑の枝の上に着くるなり。村人、毎〔(つね)〕に灸焦〔(いりこが)し〕、小兒に飼〔(あたへ)〕て云く、「夜尿(よばり)を止む。」と。蓋し、能く五淋を通じ、小便を利す。又、能く遺尿・遺精を治す、と。

△按ずるに、桑螵蛸、山人、之れを取り、熱湯を灌〔(そそぎ)〕て之れを貨〔(う)〕る。藥肆(くすりや)に紙袋の中に収む。温に乘ずれば、蟷蜋の子、孚(かへ)り出ずる者も亦、有り。

   *

とある通りで、私は、

   *

・「襍樹〔(ざふき)〕」雑木。桑の枝のカマキリの卵塊でないと薬方としては、だめ、という辺り、拘りがあって面白い。

   *

と注した。

「藿香《かくかう》」に、茄(なす)の葉を采(とり)て、襍(ま)ぜ、

[やぶちゃん注:「藿香」は、シソ目シソ科ミズトラノオ(水虎の尾)属パチョリ(英語:patchouli)Pogostemon cablin の地上部を基原とするもの。「日本薬学会」公式サイト内の「薬学コラム」の「生薬の花」の「パチョリ」「 Pogostemon cablin (Blanco) Benth. (シソ科)」に拠れば、『漢方医学や中医学では,パチョリの地上部を生薬藿香(カッコウ)として使用し,解熱・鎮吐・健胃作用を目的に藿香正気散(かっこうしょうきさん)や香砂平胃散(こうしゃへいいさん),香砂六君子湯(こうしゃりっくんしとう)などの処方に配合しています。成分としてはパチョリアルコールやメチルチャビコール,シンナムアルデヒド,オイゲノール等を含みます。藿香の基原植物として,パチョリ以外にシソ科のカワミドリ( Agastache rugosa  (Fisch. et C.A.Mey.) Kuntze )が使用されることがあります。カワミドリに由来するものを土藿香,川藿香と呼ぶのに対し,パチョリに由来するものは広藿香と呼びますが,これは東南アジアから導入されたパチョリが中国の広州で栽培されてきたためです。中国の本草書や植物誌の藿香に関する記述の中にはパチョリについて記載したものとカワミドリについて記載したものが両方存在し,古くから基原植物が混乱していたようです。一般に市場に流通するものの多くはパチョリに由来する広藿香であり,第十八改正日本薬局方でも基原植物は Pogostemon cablin 1種のみとなっています』とある。因みに、「維基百科」のパチョリは「廣藿香」となっている。「茄(なす)」は、日中ともに、ナス目ナス科ナス属ナス Solanum melongena 。言わずもがなだが、続いて、贋造膨らましである。]

「麝香《じやかう》」に、茘枝《れいし》の核《さね》を搗《つき》て、攙《まぜ》、

[やぶちゃん注:「攙《まぜ》」には送り仮名がない(私の所収本では、潰れて、見えないので、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の当該画像(左丁一行目最下部)を見たが、明らかになかった)の訓は、私の推定。連用形にしたのは、前後に合わせたもの。これも贋造増量。

「麝香」私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 麝(じやかう) (ジャコウジカ)」を参照されたい。

「茘枝」私の「和漢三才圖會卷第八十八 夷果類 (序)・目録・荔枝」を、どうぞ。]

「石膏」を研(をろ)し[やぶちゃん注:ママ。]て、「輕粉《けいふん》」に和(ま)ぜ、

[やぶちゃん注:「石膏」は漢方では、天然の含水硫酸カルシウムで、組成は、ほぼCaSO₄2H₂Oである。先の「Kampo View」の「石膏」の「薬能」に拠れば、『主として激しい口渇を治す。また、うわごと、苦しみもだえるもの、体全体に熱感のあるものを治す。(薬徴)』とある。

「硏(をろ)し」「をろす」は「下ろす」で、切ったり擦ったりして「削り落とす」の意であるから、歴史的仮名遣は「おろす」でよい。

「輕粉」小学館「日本国語大辞典」に、『水銀、食塩、にがり、赤土をこね合わせ、加熱して得られた昇華物で、本質は塩化第一水銀(甘汞』(かんこう)『)』。本邦では『伊勢地方で』十三『世紀頃から製造された。駆梅、利尿、抗菌作用がある。はらや』・「伊勢おしろい」とも言う(実際に「おしろい」の原料とした。但し、そのために水銀中毒をも起こた)。やはり、増倍贋造である。]

「薑黃《きやうわう》」を以《もつて》、「鬱金《うこん》」と言《いふ》。

[やぶちゃん注:ここでは、「薑黃」と「鬱金」を異なる種として扱っているのであるが、なかなかに悩ましい。何故かと言えば、ネット上でも、また、辞書類でも、「薑黄」を「鬱金」とイコールであとする記載が、有意に見られるからである。それどころか、東洋文庫版でも、後の「巻第九十三」の「芳草類」に、「薑黄」の項が先に、次に「鬱金」の項が出現するのであるが、竹島淳夫氏は、「薑黄」の本文の「本草綱目」引用部の最初に出現する「薑黄」の部分で『薑黄(きょうおう)』の下に割注して、『(ショウガ科ウコン)』とし、次の「鬱金」の項でも、全く同様に、『「鬱金(うこん)」』の下に割注して、『(ショウガ科)』として、両項には、一切の後注もない状態で、放置プレイになっているのである。

 そこで、本邦のウィキで「薑黄」を探ってみると、「キョウオウ」が存在し、そこには、漢字表記を『姜黄、薑黄』としてあるのである。而して、この「薑黃」は、

単子葉植物綱ショウガ目ショウガ科ウコン属キョウオウ Curcuma aromatica 

なのである。一方、「ウコン」のウィキを見ると、漢字表記「鬱金」とあり、

ウコン属ウコン Curcuma longa

なのである。

 されば、それぞれの「維基百科」を見たところが、驚くべきことに、

!★前者の「キョウオウ」相当のそれは――★「鬱金」★の標題!!!

であり、

!◎後者の「ウコン」相当のそれは――――◎「薑黃」◎の標題!!!

であり、『又稱』は『寶鼎香』とあるだけで、「鬱金」は前注と後注のリンクの二箇所を除いて、本文部分には――どこにも――ない――のである。何? 「ウコン属の部分は?」と聴かれるであろうが、

!そのウコン属の箇所には「薑黃屬」とある!

のである! さても、ここまでの確認と、記載をするだけで、昼飯を作って食った前後、実に、延べ一時間半を費やしてしまった。中国語での、この錯綜に就いては、凡そ、解説し得ない。何処かに書かれている人がいるであろうとは思うが、これ以上、私は疲弊し、調べる気にならないのである。悪しからず。

「言」言うまでもないが、これは「偽(いつは)る」の意である。]

 嫩(わか)き松の梢《こづえ》を「肉蓯蓉《にくじゆよう》」と爲《なす》。

[やぶちゃん注:「肉蓯蓉」シソ目ハマウツボ(浜靫)科ホンオニク(本御肉)属ホンオニク Cistanche salsa の肉質茎を乾燥した生薬。中国内陸部から内蒙古・中央アジアの乾燥地に分布する。本邦には植生しない。当該ウィキによれば、『滋養強壮作用を有する生薬として用いられる。ニクジュヨウは黒褐色で甘い香りがする。ニクジュヨウの主な有効成分はフェニルプロパノイド配糖体やモノテルペンである』とある。多分、知らないというお方が多いだろうが、結構、それを用いたものを日本人は飲んでいる。『ニクジュヨウは、薬用酒である養命酒(養命酒製造)、遼伝来福酒(薩州濵田屋』・『プラントテクノロジー』『)、生薬配合の滋養強壮剤であるゼナ(大正製薬)、ナンパオ(田辺三菱製薬)、ユンケル黄帝ゴールド(佐藤製薬)、ユースゲンキング(エスエス製薬)などに配合されている』とあるからである。]

「枇杷《びは》」の蘃《しべ》、「欵冬《かんとう》」に代へ、

[やぶちゃん注:「枇杷」お馴染みの、双子葉植物綱バラ目バラ科ナシ亜科シャリンバイ(車輪梅)属ビワ Rhaphiolepis bibas「和漢三才圖會卷第八十七 山果類 枇杷」を見よ。

「欵冬」キク亜綱キク目キク科キク亜科フキ属フキ Petasites japonicus のこと。小学館「日本大百科全書」に、『雌雄異株。本州、四国、九州、沖縄、および朝鮮半島から中国にかけて分布する』。『数少ない日本原産の野菜の一つで、栽培は』十『世紀以前から始まった』とある。基原は、その花蕾を乾燥したもので、一般的に「咳」に使われる漢方薬「麦門冬湯」(ばくもんどうとう)に含まれていることで知られる。

 但し、この代用にするという記載は、ネットで調べて見たが、見当たらなかった。識者の御教授を乞うものである。]

 草《くさ》の仁《さね》」を「草豆蔲《さうづく》」に𠑽《あ》つ。

[やぶちゃん注:「草仁」東洋文庫訳では『そうにん』とルビするのだが、漢方生剤として見当たらず、原文漢字列を以って検索しても、本草書には見当たらないことから、「ただの何でもない、草豆蔲の種子の塊りに似た、あれこれの雑草の実を偽って使用する」の意で採った。万一、「草仁」を限定することが出来る識者がおられれば、是非、御教授を乞うものである。

「草豆蔲」サイト「伝統医薬データベース」の「草豆蔲(そうずく)」のページその他を参考にすると、基原は、

単子葉植物綱ショウガ目ショウガ科Alpinioideae亜科Alpinieae連ハナミョウガ属アルピニア・カツマダイ(和名なし)Alpiniae katsumadai の種子の塊

とある。リンク先には、「臨床応用」の項に、『芳香性健胃,駆風薬として,消化不良,胃腸の痛み,嘔吐などに応用する.』とあり、「頻用疾患」の項に、『食欲不振, 嘔吐, 下腹痛, 冷え, 悪心, 消化不良』とする。しかし、「備考」の欄に(学名部は斜体になっていないので、私が斜体化した)『Amomum globosum Lour. = Alpinia globosa Horan. とする説もあるが,このものはベトナム産で,中国では近年雲南省に分布がみられている.現在の市場品はこのものではない.しかし,古来本草の草豆蔲の基源の詳細は不明である.』とあった。従って、現行では、この良安の引用(本パート最後を参照)の「草豆蔲」の実態は――不詳――と言わざるを得ない。

 松脂《まつやに》≪を≫、「騏麟竭《きりんけつ》」に混(ま)ぜ、

[やぶちゃん注:「騏麟竭」先行する「卷第八十二 木部 香木類 麒麟竭」の、私の迂遠にして迷走的注を見られたい。現行の信頼出来る漢方記載でも、基原植物が異なる痙攣的記載になっており、最早、過去に遡って、基原植物を特定することは不可能(というより、甚だ異なった複数の対象物を基原としていた、或いは、今も、している)もののようである。

「西呆(《せい/さい》はい)」を「南木香《なんぼくかう》」に代へ、

[やぶちゃん注:これは、何をやってもお手上げに近い。まず、躓くのは、「西呆」だ。草類の名称としては、おかしい。東洋文庫訳では、この「西呆」自体に右で『ママ』を打っているのだが、では、ママにした理由を何処にも注していない。国立国会図書館デジタルコレクションの「國譯本草綱目」第一冊の当該部(右の「七八」ページの八行目)を見ても、『西呆(せいばい)を南木香(なんちくかう)に代へ、』とあって、頭注も何も、ない。そもそも「呆」には「ホウ・ガイ(漢音)/ホ・ガイ(呉音)/ボウ・タイ(慣用音)」しかないのだから、そもそもの良安の振ったルビがおかしいのである。引用元を探そうと思っても、「西呆」が話にならず、先ず、「本草綱目」では見当たらない。

 ただ、いろいろと検索を掛けている中で、ヒントらしきものが、かの「跡見群芳譜」の「外来植物譜」の「もっこう (木香)」の解説の中に見出せた気がしている。以下である。

   《引用開始》

 李時珍『本草綱目』木香に〔以下、{}内は嶋田〕、「木香{モッコウ}は、{木の香とはいうが}草類なり。本との名は蜜香、其の香気 蜜の如きに因む。{ところで、木本である}沈香{ジンコウ}の中に蜜香有るに縁り、遂に訛って{ジンコウを木香}と為すのみ。昔人 之{モッコウ}を靑木香と謂う。後人 馬兜鈴{ウマノスズクサ}の根を呼びて靑木香と為すに因り、乃ち此{モッコウ}を呼びて南木香・廣木香と為し、以て之を別つ。今人 又た一種の薔薇{モッコウバラ}を呼びて木香と為す。愈々真を乱せり」と。

 今日の漢名を雲木香というのは、雲南で栽培されることから。廣木香は、昔インドから廣東経由で輸入したことから。

   《引用終了》

即ち、時珍の時代にあっても、既に、木香はニセ物に関わらず、種を正確に断定出来ない状態にあったことを感じさせるのである。ここまでにして、解明出来るかどうかは判らぬが、後の「卷第九十三」に出る「木香」で考証してみることを約束しておく。

 驢《うさぎむま》の脚《あし》≪の≫脛《はぎ》を、「虎骨《ここつ》」に作り、

[やぶちゃん注:「驢」読みは、私の「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 驢(うさぎむま) (ロバ)」の良安の和訓に従った。

「虎骨」私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 虎(とら) (トラ)」には、『虎骨〔(ここつ)〕【辛、微熱。】 頭及び頸骨を用ふ。色、黃なる者、佳なり【〔毒〕藥の箭〔(や)にて〕射殺すは、藥に入るるべからず。能く人を傷つくる。】初生の小兒、煎〔じて〕湯にして之れに浴すれば、惡鬼を辟(さ)く。瘡疥・驚癇を去り、溫瘧〔(うんぎやく)〕及び犬の咬(か)みたる毒を治す。枕に作すれば、惡夢に魘(をそ[やぶちゃん注:ママ。])はるゝを辟く【又、云ふ、「虎の一身〔の〕筋節〔の〕氣力〔は〕、皆、前足に出づ。故に脛骨を以つて勝れりと爲す」〔と〕。】。』とある。]

「畨硝《ばんしやう》」を、「龍腦香《りゆうなうかう》」に和(ま)ぜ、

[やぶちゃん注:「畨硝」「畨」は「蠻」であるから、「南蛮の硝石」の意。硝酸塩鉱物の一種である硝酸カリウム(KNO3)。サイト「イアトリズム」の「知っておきたい『漢方生薬』」の「硝石」のページによれば、「適応疾患および対象症状」に、『嘔吐、腹痛、下痢、手足の冷え、高熱、便秘、意識障害、筋肉の痙攣、尿路結石、排尿障害、ノドの腫れ、ノドの痛み、むくみ、皮膚化膿症、結膜炎、角膜の混濁、落ち着かないなど』とあり、漢方では立派な薬物ではある。

「龍腦香」双子葉植物綱アオイ目フタバガキ(双葉柿)科リュウノウジュ(龍脳樹)属リュウノウジュ Dryobalanops aromatica の樹幹の空隙に析出される、ボルネオール(borneol:ボルネオショウノウとも呼ばれる二環式モノテルペンで、化学式は C10H18O)を指す。先行する「卷第八十二 木部 香木類 龍腦香」を見られたい。

 或《あるい》は、「半夏《はんげ》」≪を≫煑て、黃《き》にして、「玄胡索《げんごさく》」と爲《なし》、

[やぶちゃん注:「半夏」単子葉植物綱ヤシ亜綱サトイモ目サトイモ科ハンゲ属カラスビシャク(烏柄杓Pinellia ternata のコルク層を除いた塊茎。嘔気や嘔吐によく使われる生薬である。私の「耳囊 卷之七 咳の藥の事」も参照されたい。

「玄胡索」キンポウゲ目ケシ科ケマンソウ(華鬘草)亜科キケマン(黄華鬘)属エンゴサク(延胡索) Corydalis yanhusuo 、及び、東北延胡索 Corydalis ambigua の塊茎を基原とする漢方生薬。日本語のウィキもあるが、対象種の学名(しかも品種である)が不審なので、中文の「維基百科」の「延胡索」に基づいた。そこに異名として「玄胡索」もあるのである。そこに『中国本土の安徽省・山東省・浙江省・江蘇省・湖北省・河北省・河南省桔河市及び信陽市に分布し、主に丘陵地帯の草原で見られ、模式種の原産地は浙江省杭州』とあり、『辛味、苦味、温感を持つ様々なアルカロイドが含まれており、主に血液循環の促進・気の促進・鎮痛・鎮静・催眠効果がある』といったことが書かれてある。

 言うまでもないが、やはり贋物製造である。]

 或は、「廣膠《くわうかう》」を熬《い》りて、「蕎麵《きやうめん》」【炒りて黒≪くせしもの≫。】を入《いれ》、「阿膠《あけう》」に作り、

[やぶちゃん注:贋造物。

「廣膠」現代仮名遣「こうきょう」。書道具店「文房四寶 鑑璞斎」の主人であられる龍尾山人氏のブログ「断箋残墨記」の「膠の試作」の記事に、『上海墨廠の時代まで製墨に使われた「廣膠」は、すなわち黄明膠の異称であり、牛皮を原料とする膠である。』とある。東洋文庫訳では『すきにかわ』とルビする。

「蕎麵」蕎麦、或いは、蕎麦粉。後者であろう。

「阿膠」山東省東阿県で作られる上質の膠(にかわ)を指し、接合剤のほか、漢方薬などにも用いる。東洋文庫訳には割注して『(第一級のにかわ)』とある。本項は漢方薬物であるから、薬物としてのそれであろうとしておく。]

 或は、雞子《けいらん》、及《および》、鯖《さば》の魚枕《うをまくら》を煑《に》て、「琥珀」と爲《する》の類《たぐひ》、巧(たく)み、詐(いつは)ること、百般《ひやくぱん》、忌畏《きい》の毒を爲《な》し、甚《はなはだし》きは、人を殺すに致り、咎《とが》を用藥に歸す【「本草綱目」・「本草必讀」の說、拾《ひろひ》要《えう》して、之《ここ》に記す。】

[やぶちゃん注:やっと、この部分を終わる。この最後は「琥珀」の贋物作りであるが、「人を殺すに致り、咎を用藥に歸す」とあることから、宝石の捏造ではなく、やはり、薬である。ウィキの「琥珀」の「薬用」に、『その他の利用法として、漢方医学で用いられることがあったという』。『南北朝時代の医学者陶弘景は、著書』「名醫別錄」『の中で、琥珀の効能について』「一に去驚定神、二に活血散淤、三に利尿通淋」『(精神を安定させ、滞る血液を流し、排尿障害を改善するとの意)と著している』。また、現在でも『ポーランドのグダンスク地方では琥珀を酒に浸し、琥珀を取り出して飲んでいる』とある。

「鯖の魚枕」東洋文庫訳では、「魚枕」に『かしらぼね』とルビする。暫く、これに従う。

「本草必讀」東洋文庫の巻末の「書名注」に、『「本草綱目必読」か。清の林起竜撰』とある。なお、別に「本草綱目類纂必讀」という同じく清の何鎮撰のものもある。この二種の本は中文でもネット上には見当たらないので、確認出来ない。]

△按ずるに、「百草の黒燒《くろやき》」に、鍋の底の墨を用ひ、「陳倉米《ちんさうべい》」を、「三年米」に用ひるは、中(《あ》た)らずと雖も、遠からず。「猿の尾」を以《もつ》て、「鹿茸《ろくじよう》」に贋(に)せ、「膠飴(ぢわうせん)」を以《もつて》、「蜂𮔉」に襍(ま)ぜ、「黃獨(けいも)」を以て、「何首烏《かしゆう》」と爲《す》るは、其《その》用藥、何の益、有らんや。

[やぶちゃん注:「陳倉米」これは、読者の大方は、読み間違える人が多いと思われるので、特に詳しく示す。後の「卷第百三」の「穀類」の筆頭にある「粳(うるのこめ)」の「陳倉米(ちんさうべい)」を、国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版で当該部を見られたい。そちらで訓読して示す。歴史的仮名遣の誤りはママ。一部をブラウザの不具合を考えて改行してある。

   *

陳倉米(しんさうべい)

           陣廩米

           老米《らうまい》

           火米《くわまい》

            俗、云《いふ》、

           「大比禰古女(をほ《ひねこめ》)」。

[やぶちゃん注:「陣廩米」は「陳廩米《ちんりんまい》」の良安の誤字。]

「本綱」曰はく、『久しく倉に入れて、陳(ふる)く、赤き者、「陳倉米」と名《なづ》く。火≪に≫蒸(む)して治成《をさめな》す者、有り、火に燒き治成≪す≫者、有り、故に「火米《くわまい》」と名く。北人《ほくじん》は、多《おほく》、粟を用ふ。南人は、多≪く≫、粳《うるち》、及《および》、秈《とうぼし》[やぶちゃん注:インディカ米の中で粘り気の少ない米を指す。「占城米(チャンパまい)」と呼ばれ、宋代に盛んに栽培された。]を用ふ。年、久《ひさし》き者は、性、凉《りやう》にして、氣《き》を下《くだ》し、煩渇《はんかつ》[やぶちゃん注:激しく口の渇く症状。]を除き、胃を調へ、洩《えい》[やぶちゃん注:下痢。]を止め、霍亂《かくらん》・大≪なる≫渇(かわき)を治す。』≪と≫。

△按ずるに、陳倉米は、十年以上の者を用ふ。疫痢・禁口痢、及《おいび》、嘔吐を止むる。薬中に入れ、用ふ。然《しかれ》ども、倉米は、四、五月の濕熱に値《あひ》て、多くは、蛀-蠹(むしい)りて、孔《あな》を穿《うが》つ。俗、「宇登(うと)」と稱す。凡そ、陳-臭(ふるくさ)き米を、「《こう》」【「粠《こう》」に同じ。】と曰《いふ》。官庫に貯《たくは》へて兵粮の爲(ため)とする者は、黄柏汁《わうばくじる》に浸《ひた》して、蒸して、之≪を≫治《をさ》む。數百年を經ても亦、新《しん》なるがごとし。凡《およそ》、新米は、飯と爲《なす》≪とも≫殖(ふ)へず、其《その》味、厚美《かうび》なり。病人、之を食《くひ》て、消化、遲し。惟《ただ》、粥《かゆ》に爲《なす》に堪《たへ》たり。陳米(ひね《まい》)の飯は、多《おほく》、殖《ふへ》≪れども≫、味、淡《あは》し。病人、食《くひ》ても亦、化《くわ》し易し。

   *

而して、お判り戴けるだろう、「陳倉米」は「三年」ぽっちでは、「陳倉米」ではないのである。


凡《およそ》、藥品、中𬜻より來《きた》る者、大君《たいくん》[やぶちゃん注:ここは、徳川家将軍を指す。]、命じて、藥を識《し》る人を長崎に遣《つかは》して、悉《ことごと》く、之を、辨正《べんせい》して[やぶちゃん注:分別・検査をし。]、以《もつて》、交昜《かうえき》を聽《ちやう》し玉《たま》ふ[やぶちゃん注:「玉」は送り仮名にある。]。日本より出《いづ》る藥品、贋僞(にせ、いつは)る者、嚴しく、禁止せらる。[やぶちゃん注:ここに、東洋文庫訳では、割注で、『(次は幕府より出された禁令である。)』とある。

 以下、ブラウザの不具合を考えて、一行字数を減らした。]

 藿香《かくかう》 黃茋《わうし》 白歛《びやくれん》

 白芷《びやくし》 白鮮皮《はくせんぴ》

 桑寄生《さうきせい》  常山《じやうざん》

 辰砂《しんしや》 滑石《かつせき》 阿膠《あきやう》

 代赭石《たいしやせき》 爐眼石《ろがんせき》

右、件《くだん》の倭藥、佳ならず、所-以(ことゆへに[やぶちゃん注:「へ」はママ。])交易を禁ず。

[やぶちゃん注:「藿香」シソ目シソ科ミズトラノオ属パチョリ Pogostemon cablin の地上部を基原とするもの。「日本薬学会」公式サイト内の「薬学コラム」の「生薬の花」の「パチョリ」「 Pogostemon cablin (Blanco) Benth. (シソ科)」に拠れば、『漢方医学や中医学では,パチョリの地上部を生薬藿香(カッコウ)として使用し,解熱・鎮吐・健胃作用を目的に藿香正気散(かっこうしょうきさん)や香砂平胃散(こうしゃへいいさん),香砂六君子湯(こうしゃりっくんしとう)などの処方に配合しています。成分としてはパチョリアルコールやメチルチャビコール,シンナムアルデヒド,オイゲノール等を含みます。藿香の基原植物として,パチョリ以外にシソ科のカワミドリ( Agastache rugosa  (Fisch. et C.A.Mey.) Kuntze )が使用されることがあります。カワミドリに由来するものを土藿香,川藿香と呼ぶのに対し,パチョリに由来するものは広藿香と呼びますが,これは東南アジアから導入されたパチョリが中国の広州で栽培されてきたためです。中国の本草書や植物誌の藿香に関する記述の中にはパチョリについて記載したものと』、『カワミドリについて記載したものが両方存在し,古くから基原植物が混乱していたようです。一般に市場に流通するものの多くはパチョリに由来する広藿香であり,第十八改正日本薬局方でも基原植物は Pogostemon cablin 1種のみとなっています』とある。仮に「かはみどり」と読んでいるとすれば、薄荷の匂いのするシソ目シソ科カワミドリ属カワミドリAgastache rugosa がある。当該ウィキによれば、『葉や茎は漢方に用いられる』。『乾燥した葉に芳香があり、生薬名に藿香(かっこう)を当てているが、これは誤りで、日本では排香草ともいう』。『かぜ薬などの漢方薬として、茎、葉、根を乾燥させたものを用いる』。『民間では』、六~七月に、『茎の上部だけを切り取り、水洗いしたあとに吊るして陰干ししたものを、解熱薬として、また健胃薬として用いられる』とある。

「黃茋」これは、「黃芪(わうぎ)」とも書く。マメ目マメ科ゲンゲ属キバナオウギ Astragalus membranaceus の根を基原とする生薬。当該ウィキによれば、『止汗、強壮、利尿作用、血圧降下等の作用がある』とある。

「白歛」双子葉植物綱ブドウ目ブドウ科ノブドウ属カガミグサ Ampelopsis japonica の根。漢方では解熱作用があり、腫瘍・子供の癲癇・月経痛に効果があるとする。

「白芷」セリ目セリ科シシウド属ヨロイグサ(漢名:ビャクシ) Angelica dahurica の根。当該ウィキ(漢名「ビャクシ」を標題としている)によれば、『薬効成分はフロクマリン誘導体及び精油。消炎・鎮痛・排膿・肉芽形成作用がある。皮膚の痒みをとる。日本薬局方にも記載』。『血管拡張と消炎の作用から、肌を潤しむくみを取るとして、古来中国の宮廷の女性達により美容用とされていた。また鎮痛、鎮静の効果のため、五積散などの漢方処方に配合される』とある。なお、『中国産は』、『その変種のカラビャクシの根』とあった。そちらの学名は、Angelica dahurica var. pai-chi である。

「白鮮皮」ムクロジ目ミカン科ハクセン属ハクセン Dictamnus albus の根皮を基原とする生薬で、当該ウィキによれば、『唐以降の書物に見られ』、『解毒や痒み止めなどに用いられていたが、現在は』殆んど『用いられない。ヨーロッパでは、皮膚病の薬や堕胎薬として用いられていた』とある。

「桑寄生」先行する「卷第八十五 寓木類 桑寄生」を見られたい。多数の基原植物がある。そちらの注で詳細に掲げてある。

「常山」「山科植物資料館」公式サイト内の「ジョウザン」によれば、ユキノシタ科ジョウザン属ジョウザン Dichroa febrifuga の根を基原とする。そこに、『ジョウザンは中国、ヒマラヤから東南アジアにかけて広く分布する落葉低木です。和名は中国名「常山 chang shan」の音読みです。「常山アジサイ」という流通名でも知られています。かつての学名はジョウザン属』Dichroa febrifugaLour.で、アジサイ属とは区別されていました。従来のアジサイ属の果実が蒴果(果実が乾燥し、熟すと袋が裂けて中の種子が飛び出すタイプの果実)であるところ、ジョウザン属の果実は液果(果肉の細胞が水分を含み液質になる果実)であることが大きな違いでした。しかし』、二〇一五『年にDe Smetらによってアジサイ科の系統関係が遺伝情報に基づいて整理され、アジサイ属に含まれることになりました』とある(他の漢方記事では、ジョウザン属の旧学名で出ているものがあるので、注意されたい)。『断面が黄色で、中国では薬用とされます。マラリアの治療に使われ、特に解熱に効果があるとされます。学名の種形容語、febrifugaも「解熱」という意味です』とあった。

「辰砂」水銀と硫黄とからなる鉱物。深紅色又は褐赤色で、塊状・粒状で産出する。水銀製造の原料、また、赤色顔料の主要材料とされる。漢方では、消炎・鎮静薬などに用いる。「丹砂」「朱砂」とも呼ぶ。

「滑石」珪酸塩鉱物の一種で、フィロケイ酸塩鉱物(Phyllosilicates)に分類される鉱物、或いは、この鉱物を主成分とする岩石の名称。世界的には「タルク(talc:英語)」のほか、「ステアタイト」(Steatite:凍石)・「ソープストーン」(Soapstone:石鹸石)・「フレンチ・チョーク」(French chalk)・「ラバ」(Lava:原義は「溶岩」。本鉱石は変成岩である)とも呼ばれる。Mg3Si4O10OH2。水酸化マグネシウムとケイ酸塩からなる鉱物で、粘土鉱物の一種(当該ウィキ他に拠った)。利尿・清熱・消炎作用を持ち、むくみ・排尿困難・膀胱炎・夏の口渇・下痢・皮膚の湿疹などに用いられる。

「阿膠」(あきょう)は、本来は、山東省東阿県で作られる上質の膠(にかわ)を指し、接合剤のほか、漢方薬などにも用いる。

「代赭石」酸化鉄(Ⅲ)(酸化第二鉄,Fe2O3)を主成分とする赤鉄鉱Hematiteの塊り。「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | タイシャセキ(代赭石)」に拠れば、『代赭石には補血,止血,収斂の効があるとされます.配合される代表的な処方として,代赭石とともに旋覆花(センプクカ,オグルマの小頭花),大棗,甘草,人参,半夏,および生姜が加えられる旋覆花代赭石湯が知られています.虚証で胃のあたりがつかえて下らない状態が慢性化したものに用いられ,多くは胃に関連する疾患(胃酸過多,胃拡張など)に応用されます.代赭石は日本薬局方に収載されておらず,また,国内年間消費量も800 kg程度と決して多くはありませんが,鉱物性生薬は植物に由来する生薬とは異なり栽培などの手段が取れない有限資源であり,将来にわたり資源を安定して供給する方法を検討する必要があります』。『代赭石は』「神農本草經」『の下品に収載されており,その後,数々の本草書に名を連ね,当然ながら日本の本草書にも散見されます』。「本草正譌」(ほんぞうせいか:山岡君山著・安永五(一七七六)年刊)の代赭石の項には』、「濃州赤坂山ニ出ルハ漢渡(かんわたり)ト同ジ」『との記載があります.濃州赤坂山とは現在の岐阜県大垣市金生山のことで,江戸時代から良質な石灰岩の産地として知られています.掘り出した石灰岩は,東海道本線支線(美濃赤坂―大垣)を経由して運びだし,セメント等に加工されているようです.一方で,古くは金生山において赤鉄鉱を産出していたことも知られています.金生山赤鉄鉱研究会によると,国内で製鉄が行われるようになったとされる6世紀以前から,金生山において製鉄が行われていたとのことです.薬用利用のきっかけが何であったにせよ,鉄の原料さえも薬として利用してしまう先人の知恵には,頭が下がる思いです.』とある。

「爐眼石」サイト「イアトリズム」の「知っておきたい『漢方生薬』」の「炉眼石」のページによれば、「基原炮製(この生薬の原材料と加工法)」に『水亜鉛土』とし、「適応疾患および対象症状」に、『眼瞼炎、翼状片、結膜炎、角膜の混濁、眼の充血、眼の痛み、慢性皮膚潰瘍、湿疹など』とあった。

 以下も、ブラウザの不具合を考えて、一行字数を減らした。]

 官桂《くわんけい》   大戟《たいげき》

 茵陳《いんちん》    續斷《ぞくだん》

 菊花《きくか》     牛黃《ごわう》

 白丁香《はくちやうか》 熊膽《くまのい》

 虎膽《とらのい》    麝香

 琥珀

 阿仙藥【俗、云ふ、「斧割《よきわり》」。】

 五加皮《ごかひ》

[やぶちゃん注:「官桂」ここでは、本邦産なので、双子葉植物綱クスノキ目クスノキ科ニッケイ属ニッケイ Cinnamomum sieboldii の樹皮を指す。「卷第八十二 木部 香木類 肉桂」本「本草綱目」引用本文に『「官桂《くわんけい》」と稱する者は、乃《すなはち》、上等≪にして≫、官に供≪する≫の「桂」なり。』以下で、詳しく書かれているので、見られたい。

「大戟」本邦では、キントラノオ目トウダイグサ科トウダイグサ属タカトウダイ(高燈台) Euphorbia lasiocaula の根を指す。但し、「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | 大戟(タイゲキ)」に拠れば、基原は『紅大戟はアカネ科(Rubiaceae)の Knoxia valerianoides Thorel ex Pit. の根を乾燥したもの。京大戟はトウダイグサ科(Euphorbiaceae)の Euphorbia pekinensis Rupr. の根を乾燥したもの』とあり、『イワタイゲキやセンダイタイゲキなどトウダイグサ科の植物には「タイゲキ」と名づけられた種が多くあります。これはトウダイグサ科に由来する生薬「大戟(タイゲキ)」に由来していますが、「大戟」の原植物はトウダイグサ科だけではありません。現在、中国には複数の科の植物に由来する「大戟」が流通しています。主なものに「紅大戟」と称されるアカネ科植物に由来する生薬と、「京大戟」と称されるトウダイグサ科植物に由来する生薬が挙げられます。前者は「紅芽大戟」や「紅牙大戟」などとも称されています。中華人民共和国薬典では両生薬をそれぞれ別項目として収載しています』。『大戟は』「神農本草經」『の下品に収載され』、「本草綱目」『には「その根が辛く苦く、人の咽喉を鋭く刺戟するから名付けたものだ」と記載されています。さらに『大戟は平澤に甚だ多く生える。直径で高さ二〜三尺、中が空で折れば白漿が出る。葉は細く狭く、柳葉のようで円くはない。その梢には葉が密に集って上に着く』とあります』。』(十世紀後半の宋の「日華子本草」『には「苗は甘遂に似て高く大きく、葉に白汁があり、花は黄色だ」とあります。甘遂もトウダイグサ科に由来する生薬ですが、大戟の原植物に関する記載もトウダイグサ科植物の特徴を示しています。効能面からも』「本草綱目」『に「甚だ峻烈に下痢をするもので、よく人体を傷う。弱い患者が服すれば吐血することがあるから注意を要する」と記載があります。これらの記載からも大戟の正品はトウダイグサ科植物に由来することが示唆されます。これが現在の「京大戟」に対応すると考えられます』。『他の一種の「紅大戟」は、中国南部の福建、広東、広西、雲南などで生産されています。原植物のアカネ科』シソノミグサ連シソノミグサ属『Knoxia valerianoidesは低山の斜面の草原で半日陰の場所に生育しています。多年生の草本で高さ0.31.0メートル、葉は長さ210センチ、幅0.53.0センチで対生しています。夏に淡紫紅色の花をつけ、花冠は筒状漏斗型で長さ2.03.0センチ、先端は4裂します。花後、種子を2個結実させます。秋に収穫した根は沸騰水に通したのち乾燥させます。形状はやや紡錘形で希に分枝があり、やや湾曲しています。長さは310センチ、直径は0.61.2センチです。外面は赤褐色を呈し、断面は周囲が赤褐色で内部は黄褐色です。質は堅く、匂いは薄く、味は甘くやや辛いとされています』とあり、さらに、『「京大戟」は中国の江蘇、湖北、山西などで生産されています。原植物の』『 Euphorbia pekinensis は道端や山の斜面、荒れ地や比較的日が当たらない湿った樹林に生育しています。多年生の草本で高さ 3080 センチ、全草に白色の乳液を含みます。ほぼ無柄の葉が互生して付きます。葉は長さ36センチ、幅6312ミリで全縁、下面は白い粉で覆われています。4月から5月にかけてトウダイグサ科に特徴的である杯状の集散花序の花をつけます。雌花、雄花には花被がなく、腎臓形の包葉がつきます。6月から7月に三稜状の球形のさく果を結実させ、卵円形の種子をつけます。秋に収穫した根は洗浄後、日干し乾燥させます。形状は不揃いな長い円錐形で時々分枝があり、やや湾曲しています。長さは1020センチ、直径は1.54.0センチです。外面は灰褐色を呈し、断面は類白色から淡黄色で繊維性を呈します。質は堅く、匂いは薄く、味はやや苦くて渋いとされています』。『「大戟」の効能に、水腫実証の腹水、浮腫、尿量減少、便秘、脈が実などの症候に甘遂、芫花、牽牛子などと使用すると記載されています。大戟は臓腑の水湿を泄し、甘遂は経隧の水湿を行かせ、うまく用いると奇効を収めることができるとされています。しかし前述のとおり「大戟」には少なくとも2種類以上の異物同名生薬が存在しています。アカネ科とトウダイグサ科のように明らかに含有成分が異なる分類群ですから、使用時は原植物に充分注意しなければなりません』とあった。

「茵陳」ネット検索では、「茵陳蒿」(いんちんこう)で掛かる。「大峰堂薬品工業株式会社」公式サイトの「生薬辞典」の「茵蔯蒿(いんちんこう)」では、基原をキク亜綱キク目キク科ヨモギ属カワラヨモギ(河原蓬・河原艾)Artemisia capillaris 『の頭花。地上部を乾燥させてから花穂と茎を分離させる』とし、「主な薬効」に『消炎、利胆、解熱、利尿作用』とある。

「續斷」「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | 続断(ゾクダン)」では、「基原」として『中国産は』 Dipsacus asperoidesC.Y Cheng et T.M.Ai(マツムシソウ科 Dipsacaceae)の根を乾燥したもの』としており、最後に『続断の原植物は未だに混乱し,明らかにはされていません。一般に,本生薬のように,薬効が生薬名となったものには異物同名品が多いようです』と記されてある。

「菊花」漢方薬品メーカー「つむら」の公式サイト「Kampo View」の「菊花」に拠れば、「基原」で、キク目キク科『シマカンギク』(島寒菊) Chrysanthemum indicum Linné 又はキク』 Chrysanthemum morifoliumRamatuelleCompositae)の頭花』とし、「薬能」には、『眼疾患を治す。目のカスミを取り去り、洗眼にも用いる。(一本堂薬選)』とある。

「牛黃」牛の体内結石、及び、悪性・良性の腫瘍や変性物質等である。私の「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 牛黃(ごわう・うしのたま) (ウシの結石など)」の私の注を参照されたい。

「白丁香」「雀白屎(じやくはくし:「雀の白い糞」のこと)」とも呼ぶ。腹部の腫瘤・虫歯・目の混濁などの治療に用いられる。漢方では鳥の糞が、しばしば登場する。例えば鶏の白い糞は「鶏屎白」と称し、糞の白い部分を日干しした後、白酒(パイチュウ)を加えながらとろ火であぶって乾燥し、それをすって粉末にする(一般に雄鶏のものがよいとされる)。これは「黃帝內經素門」にも「鶏矢」として出る古方で、鼓脹積聚・黄疸・淋病をし、利水・泄熱・去風・解毒作用を持つとされる。本邦で「鶯の糞」が美顔料として親しまれていることを考えれば、奇異でも何でもない。

「熊膽」或いは「くまのい」。「熊の胆」。ツキノワグマの胆嚢。私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 熊(くま) (ツキノワグマ・ヒグマ)」を参照されたい。

「虎膽」私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 虎(とら) (トラ)」を見よ。

「麝香」既出既注。

「琥珀」既出既注。

「阿仙藥【俗、云ふ、「斧割《よきわり》」。】」「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 阿仙藥」私の注を見られたい。一言では、言い難いものなればこそ。

「五加皮」]私の『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十四 灌木類 五加』を見られたい。同前なれば。

右の件の藥、贋《にせ》・僞り多《おほく》有り。所以《ゆゑ》に、僞藥《ぎやく》を賣《うる》ことを禁ず。

[やぶちゃん注:以下、やはり、ブラウザの不具合を考えて、一行字数を減らした。]

 熟地黃《じゆくじわう》 麹半夏《きくはんげ》

 神麯《しんきく/しんぎく》 乾薑《かんきやう》

[やぶちゃん注:「熟地黃」キク亜綱ゴマノハグサ目ゴマノハグサ科アカヤジオウ(赤矢地黄)属アカヤジオウ Rehmannia glutinosa の根を陰干しした生薬を「生地黃(しやうぢわう)」と称するのに対して、この「熟地黃」は、生地黄を酒と一緒に蒸して作った生薬。但し、酒が含まれるため、性は、寒が殺がれて、温に近くなる。

「麹半夏」ネットでは「半夏麹」(はんげきく)なら、ある。サイト「イアトリズム」の「知っておきたい『漢方生薬』」の「半夏麹」のページによれば、「基原」は、『外皮を除いたサトイモ科ハンゲ属カラスビシャク』(単子葉植物綱オモダカ目サトイモ科ハンゲ属カラスビシャク Pinellia ternata )『の塊茎粉・小麦粉・生姜汁の発酵塊』とあり、「適応疾患および対象症状」は『せき、多痰、呼吸困難、胸苦しさ、めまい、動悸、不眠、悪心、嘔吐、頭痛、身体のしびれ、顔面神経麻痺、半身不随、心窩部のつかえ、便秘など』とある。

「神麯」サイト「漢方薬のきぐすり.com」の「神麴」が、それ(「麴」は「こうじ」を表わし、「麹」とは異なる同義の漢字である)。『シンギク(神麴)は、小麦粉または米の麩(ふすま)にセキショウズ(アズキ)、キョウニン(アンズまたはホンアンズの果実の仁)、セイコウ(カワラニンジン』(キク科ヨモギ属 Artemisia carvifolia )『の全草)』、キク亜科オナモミ属『ソウジシ(オナモミ』 Xanthium strumarium subsp. sibiricum『の果実)、タデ(ヤナギタデ』(ナデシコ目タデ科 Polygonoideae亜科PersicarieaePersicariinae亜連イヌタデ属ヤナギタデ Persicaria hydropiper )『の全草)などを混合し、発酵させたものです』とあり、『漢方的には、健脾、消化、止瀉の効能があり、消化不良や食欲不振、腹部膨満感、下痢などの症状に用いられます』とあった。

「乾薑」単子葉植物綱ショウガ目ショウガ科ショウガ属ショウガ Zingiber officinale の根。

 最後に。東洋文庫訳では、後注があり、以上の「熟地黃」から「乾薑」のそれぞれを、以下のように簡便に注してある。

   《引用開始》

熟地黄は補腎・補血薬。地黄と酒と縮砂仁の粉末をよくまぜ、こしきに入れ、これを瓦鍋で蒸す。それを晒(さら)し乾す。九度、蒸しと晒しを繰り返して作る。麹半夏は嗽痰薬。半夏を粉末にし、薑汁・白礬(ばん)湯で餅にし、楮(こうぞ)の葉に包み、黄衣が生えるのを待って日に乾したもの。神麯は消化薬。白麪[やぶちゃん注:「はくめん」。精製された小麦粉。]・赤小豆・杏仁などに青蒿(こう)・蒼耳[やぶちゃん注:「おもなみ」。キク目キク科キク亜科オナモミ(葈耳・巻耳)属オナモミ亜種オナモミ Xanthium strumarium subsp. sibiricum 再来月の同窓会に呼ばれた柏陽の、私が始めて持った担任の子らよ! 君らが、校庭の掃除の時、みんなで、みっちり、私の背中にその実をつけた、あの「ひっつき虫」の草体名だよ!♡!]の汁を加えて作る。乾薑は胃腸冷痛の薬。良い薑を採り、流水でよく洗い、皮を刮(は)ぎ日に晒して作る。白浄結実のものが良く、それで白薑ともいう。

   《引用終了》

 以下、各項、独立させた。]

右、件の藥、修製、宜しく古法に隨ふべし。如《も》し、省略する者、賣《うる》を禁ず。

「川烏頭《せんうづ》」を、僞《いつはり》て、「新附子《しんぶし》」と名《なづ》け、

「大風子」の油《あぶら》を、僞て、「雷丸《らいぎわん》の油」と名け、

倭の「當藥《たうやく》」を、僞て、「胡黃蓮《こわうれん》」と名く。

[やぶちゃん注:「川烏頭」「烏頭」は猛毒で知られるモクレン亜綱キンポウゲ(金鳳花)目キンポウゲ科トリカブト(鳥兜・草鳥頭)属 Aconitum を指す。種にもよるが、致命的な毒性を持ち、狩猟や薬用に利用されてきた歴史がある。この「川烏頭」は四川省の栽培品名とされる。

「「鳥頭《うず》」前掲のトリカブト属 Aconitum のトリカブト類の若い根。猛毒で、殺虫・鎮痛・麻酔などの薬用に用いられる。「そううず」「いぶす」とも言う。

「新附子」の「附子」は「烏頭」に同じ。

「大風子」大風子油(だいふうしゆ)のこと。当該ウィキによれば、キントラノオ目『アカリア科(旧イイギリ科)ダイフウシノキ属』 Hydnocarpus 『の植物の種子から作った油脂』で、『古くからハンセン病の治療に使われたが、グルコスルホンナトリウムなどスルフォン剤系のハンセン病に対する有効性が発見されてから、使われなくなった』とあり、『日本においては江戸時代以降』、「本草綱目」『などに書かれていたので、使用されていた。エルヴィン・フォン・ベルツ、土肥慶蔵、遠山郁三、中條資俊などは』、『ある程度の』ハンセン病への『効果を認めていた』とある。]

右、件の藥、自今《じこん》[やぶちゃん注:これより。]以後、本名《ほんみやう》を用《もちひ》て、須らく、之≪れを≫賣買すべし。

[やぶちゃん注:以下、三つとも独立させる。]

 重目《おもめ》の輕粉《けいふん/おしろひ》

 平戸の人參《にんじん》

 熊野の小人参《せうにんじん》

[やぶちゃん注:「重目の輕粉」「輕粉」は既注。ここは、正規の「輕粉」に比して、異様に重さがあるものを(水銀は本来、重い物であるが、それが、度を越している状態を指す)水銀ではない別なものを混入していることが疑われるのである。

「平戸の人參」不詳。識者の御教示を乞う。

「熊野の小人参」同前。

右、件の藥、性・功、佳《か》ならず。所以《ゆ》へに[やぶちゃん注:ママ。]、賣買を禁ず。

 明暦四年の法令、詳-審(つまびら)かなること、之(かく)のごとし。然《しかれども》、恐らくは、詐《いつは》り送る者は、嘗(もと)より、之を、綿宻《めんみつ》に擇-求《えらみもとむ》る者は、毎《つね》に等閑(なをざり[やぶちゃん注:ママ。])なることを。蓋し、藥--肆(くすりや)に言へること、有り。「不欲價(あたい[やぶちゃん注:ママ。])賤(やす)からんことを欲《ほつ》せざれば、輒《すなは》ち、眞《まこと》なる者を得《う》べし。」と。

[やぶちゃん注:「明暦四年」一六五八年。徳川家綱の治世。

 以上の最終段落の東洋文庫訳を、以下に引用して、おしまいとする。

   《引用開始》

 明暦四年(一六五八)の法令はこのように詳審[やぶちゃん注:「しょうしん」。くわしいこと。細かいところにまでゆきとどくこと。また、そのさま。]をきわめている。けれども恐らく詐(いつわ)るのは綿密に作っているであろうし、買い求める側はあまり厳重に弁別しようとはしないであろう。ところで薬店では次のようにいう。値の賤(やす)いものを求めようとさえしなければ真物[やぶちゃん注:「まもの」。「本物」に同じ。]を手に入れるごとができる、と。

   《引用終了》]

2025/09/08

和漢三才圖會卷第九十二之本 目録 草類

[やぶちゃん注:原本では、大標題は以下の通り、「和漢三才圖會卷第九十二之本目録」とあるが、以下の内容であることから、「目録」を分離した。要は以下、続く「山草類【上卷】」(「卷第九十二」の「本」)・「山草類【下卷】」(「卷第九十二」の「末」)・「芳草類」(「卷第九十三」)・「濕草類」(「卷第九十四」の「本」)・第二の「濕草類」(「卷第九十四」の「末」)・「毒草類」(「卷第九十五」)・「蔓草類」(「卷第九十六」)・「水草」・「苔類」(「卷第九十七」。これは、既にサイト版『「和漢三才圖會」卷第九十七 水草部 藻類 苔類』で電子化注済みである)・「石草類」(「卷第九十八」)・「葷草類」(「卷第九十九」)の総論に当たるもので、「草類」という短い総論が始めにあり、続いて、長大な「藥品」の部が続くという体裁を採っている。今までの植物部では、こうした仕儀は行われていないので、特異点と言える。

 而して、その後に「山草類」の「目録」があって、各個項目に入るようになっている。私は、別の複数の電子化注テクストを扱っていることと、「藥品」が、各個項目で蜿蜒とあるため、纏めて電子化注すると、甚だ読み難くなるため、各個を分離して示すこととする。なお、以下、「山草類」の前までのパートには、挿絵は、一切、ない。

 なお、実際には「目録」は、この「草類」と「藥品」が終わった後に、出現する。しかし、標題が、かく、なってしまっているので、ここのみ、それを附し、以降では、外すこととする。

 

和漢三才圖會卷第九十二之本目録

   草類

△按凡草始生曰苗【音妙和訓奈倍】萠出曰芽【音牙和訓女】枝葉豊盛

 曰茂【音懋和訓之介流】花下柎曰萼【音諤俗云花乃倍太】𭇥實曰繩【音孕俗云

[やぶちゃん注:「𭇥」は「含」の俗字。]

 花乃止知】周禮注曰芟其繩則實不成又綴實底曰蔕【瓜蔕柿蔕】

[やぶちゃん注:「芟」原本では、「艾」の左(はらい)の起点に、「﹅」が打たれてあるのだが、こんな漢字は、ない。]

 應劭曰木實曰果草實曰蓏【音裸】又有核曰果無核曰蓏

[やぶちゃん字注:「蓏」は、字の彫りが不全であるが、原本(「漢籍リポジトリ」の「前漢書」の「食貨志」の「註」)を確認し、この字体で示した。]

時珍曰天造地化而草木生焉剛交于柔而成根荄柔交

于剛而成枝幹葉蕚屬陽𬜻實屬隂由是草中有木木中

有草得氣之粹者爲良得氣之戾者爲毒故有五形【金木水火

土】五氣【香臭臊腥膻】五色【青赤黃白黒】五味【酸苦甘辛鹹】五性【寒熱温凉平】五用【升降浮沉中】神農嘗而辨之黃帝述而著之

書物に著わした、と。

[やぶちゃん字注:「嘗」は、原本では、「グリフウィキ」のこれであるが、表示出来ないので、かく、した。「述」も、原本では、「グリフウィキ」のこれであるが、同前で、かく、した。]

 神農本草經一百六十四種漢魏唐宋良毉代有增益

[やぶちゃん字注:「毉」は「醫」の異体字。]

 除穀菜外凡得草屬之可供醫藥者六百一十種分類

 曰山曰芳曰濕曰毒曰蔓曰水曰石曰苔

 本草綱目所載亦如有名未用之類省之而不出

 三才圖會農政全書畫譜所載者兼本朝所見者出之

 然未攷其功能者唯記形狀而已

 

   *

 

和漢三才圖會卷第九十二之本 目録

   草類

△按ずるに、凡そ、草、始《はじめ》て生(は)へる[やぶちゃん注:ママ。]を、「苗(なへ)」【音「妙《メウ》」。和訓「奈倍《なへ》」。】と曰《いふ》。萠(も)へ[やぶちゃん注:ママ。]出《いづ》るを、「芽(め)」【音「牙《ガ》」。和訓「女《め》」。】と曰《いふ》。枝・葉、豊《ゆたかに》盛《さかん》なるを、「茂(しげ)る」【音「懋《ボウ》」[やぶちゃん注:「茂」の漢音は「ボウ」である。一般に用いられる「モ」は呉音。]。和訓「之介流《しげる》」。】と曰《いふ》。花の下の柎《フ》[やぶちゃん注:呉音・漢音共に「フ」。]「萼(へた)」【音「諤《ガク》」。俗に云ふ、「花乃倍太《はなのへた》」。】と曰《いふ》。實《み》を𭇥《ふく》むを、「繩(とち)」【音「孕《ヨウ》」[やぶちゃん注:呉音・漢音共に「ヨウ」。]。俗に云ふ、「花の止知(とち)」。】と曰《いふ》。「周禮《しゆらい》」の注に曰《いはく》、『其の繩《ヨウ》を芟(か)る時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、實、成らず』と云《いへ》り[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]。又、實の底を綴《つづ》るをも、「蔕《へた》」【瓜《うり》の蔕、柹《かき》の蔕≪など≫。】と曰《いふ》。應劭《おうせう》が曰く、『木の實を「果(このみ)」と曰《いひ》、草の實を「蓏(くさのみ)」【音「裸」。】と曰《いひ》、又、核(さね)有るを、「果」と曰《いひ》、核、無《なき》を「蓏《ラ》」と曰ふ。』≪と≫。

時珍の≪「本草綱目」に≫曰く、『天造《てんざう》、地化《ちくわ》して、草木、生ず。剛《がう》、柔《じう》に交《まじは》りて、根荄《こんがい》[やぶちゃん注:草木の根。なお、この語は転じて、「物事の根本・基礎」の意がある。]を成し、柔、剛に交りて、枝・幹を成す。葉・蕚《へた》は、陽に屬し、𬜻・實は、隂に屬す。是《これ》に由《より》て、草の中に、木、有り、木の中に、草、有り、氣の粹(すゐ)なる者を得て、良《りやう》と爲《なす》。氣《き》の戾(もと)の者を得て、毒と爲る。故に、五形【金・木・水・火・土。】・五氣【香・臭・臊《さう》[やぶちゃん注:油臭さ。]・腥《せい》[やぶちゃん注:生臭さ。]・膻《せん》[やぶちゃん注:肉ような生臭さ。しかし、前の「腥」との違いが、今一、判らぬ。]。】・五色《ごしき》【青・赤・黃・白・黒。】・五味【酸・苦・甘・辛、鹹《かん》。】・五性《ごせい》【寒・熱・温・凉・平。】・五用【升《しやう》・降・浮・沉《ちん》・中《ちゆう》。】、有り[やぶちゃん注:原本では、返り点「一」は「五形」の下にあるが、これは、誤りであるので、従わなかった。後注を参照されたい。]。神農、嘗(な)めて、之≪を≫辨《べん》し[やぶちゃん注:弁別し。]、黃帝、述《のべ》て、之を著はす。』≪と≫。

「神農本草經」、一百六十四種、漢・魏・唐・宋の良毉《りやうい》、代々[やぶちゃん注:原本では踊り字「〱」が送り仮名にある。]、增益《ざうえき》すること、有り。穀・菜を除《のぞい》て、外《ほか》≪に≫、凡そ、草≪の≫屬の醫藥に供《きやう》すべき者、六百一十種≪を≫、得、類《るゐ》を分《わかち》、曰《いは》く、「山《さん》」、曰く、「芳《はう》」、曰く、「濕《しつ》」、曰く、「毒」、曰く、「蔓《まん》」、曰く、「水《すい》」、曰く、「石《せき》」、曰く、「苔《たい》」≪とせり≫。

[やぶちゃん注:以上の一段落は、恰も、良安が書いたかのように見えるが、実際には「本草綱目」のパッチワークである。後注参照。

「本草綱目」に載する所も亦、名、有《ある》≪も≫、未だ、用《もちひ》ざるの類《るゐ》のごとき≪は≫、之≪を≫省(はぶ)きて、出《いだ》さず。

 ≪以下、次なる「藥品」には、≫「三才圖會」・「農政全書」・「畫譜」に載する所の者と、兼《かね》て本朝《ほんちやう》に見る所の者、之《これ》≪を≫、出《いだ》す。然れども、未だ、其≪の≫功能を攷《かんが》へざる者≪は≫、唯《ただ》、形狀《けいじやう》を記すのみ。

 

[やぶちゃん注:「實を𭇥むを、「繩(とち)」【音「孕」。俗に云ふ、「花の止知(とち)」。】」「廣漢和辭典」で「繩」を見ると、最後の方に『🈔みのる。⇒孕。〔通訓〕。〔周禮、秋官、薙氏〕秋繩リテ而芟ㇾ之。〔注〕含ムヲㇾ實ㇾ繩。』とある。この後にもルビ付きで出るように、「芟」は「刈る・取り除く」の意である。しかし、ここで良安が附した「とち」というのが、判らない。当初は、「栃・橡」で「トチの実」、或いは、「団栗(どんぐり)」の意から、それを「實」に連用したものかと思ったが、如何なる辞書を見ても、それを広義の「實」に転用する意味が見当たらない。一つ、ふと思ったのは、『これ、歴史的仮名遣が違うが、「とぢ」→「閉じ」ではないか?』という説である。「花が受粉して花を閉じて(枯れて)、子房に実が出来る」という意味ではないかという仮説である。大方の御叱正を俟つ。

「周禮」小学館「日本国語大辞典」に、『(「しゅ」「らい」はそれぞれ「周」「礼」の呉音)』とし、『中国の経書』で、儒家で聖典とされる「十三経經」『の一つ。六編、』三百六十『官』からなる礼書である。『周公旦の撰と伝え』るものの、前漢の学者『劉歆』(りゅうきん)の『偽作説もある。もと「周官」といったが、唐の賈公彦』(かこうげん)『の疏で』、『はじめて』「周禮」『と称するようになった。天地春夏秋冬にかたどって』、『官制を立て』、『天命の具現者である王の国家統一による理想国家の行政組織の細目規定を詳説』し、「儀禮」(ぎらい)・「禮記」(らいき)とともに「三禮」(さんらい)と呼ばれる』ものである。

「應劭」(原題仮名遣「おうしょう」:生没年未詳)は後漢末の学者。字は仲遠。河南南頓の人。葉博学多識で、後漢末の混乱期にあって、制度・典礼・故事などが忘れられるのを惧れて「漢官」「禮儀故事」を著わし、また、事物の名称を正そうとして「風俗通義」を書いた(以上の主文は小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

『時珍≪の「本草綱目」に≫曰く、『天造《てんざう》、地化《ちくわ》して、草木、生ず。……』』既に割注した通り、ここから二段落に亙っての部分は、実際には、「本草綱目」のパッチワークで、「漢籍リポジトリ」の「卷十二目錄」の冒頭の「草部」が、そこである。以下、少し手を入れて示す。

   *

 本草綱目卷十二目錄

  草部

李時珍曰天造地化而草木生焉剛交于柔而成根荄柔交于剛而成枝幹葉萼屬陽華實屬隂由是草巾有木木中有草得氣之粹者爲良得氣之戾者爲毒故有五形焉【金木水火土】五氣焉【香臭臊腥膻】五色焉【靑赤黃白黑】五味焉【酸苦甘辛鹹】五性焉【寒熱溫涼平】五用焉【升降浮沉中】炎農嘗而辨之軒岐述而著之漢魏唐宋明賢良醫代有增益但三品雖存淄澠交混諸條重出涇渭不分不察其精審其善惡何以權七方衡十劑而寄死生耶于是翦繁去複繩繆補遺析族區類振綱分目除穀菜外凡得草屬之可供醫藥者六百一十種分爲十類曰山曰芳曰隰曰毒曰蔓曰水曰石曰苔曰雜曰有名未用【舊本草部上中下三品共四百四十七種今倂入三十一種移二十三種入菜部三種入穀部四種入果部二種入木部自木部移倂十四種蔓草二十九種菜部移倂一十三種果部移倂四種外類有名未用共二百四十七種

   *

内容的に難しいので、訓読せず、国立国会図書館デジタルコレクションの「頭註國譯本草綱目 第四册」(鈴木真海訳・白井光太郎他校注・一九七三年春陽堂書店刊)の当該部分(ここと、ここ)を引用させて貰う。一部の本文の割注相当箇所がポイント落ちになっているが、同ポイントとした。頭注があるが、必要と判断したもののみを、適切な箇所に【 】で挿入した。

   《引用開始》

    本草綱目草昌目鍛第十二巻

 李時珍曰く、天の創造と地の化育とに由つて草、木なるものがここに生ずるのであつて、剛が柔に交りて根と荄(かい[やぶちゃん注:ママ。])【荄ハ草根ヲ云フ。】との質が成立し、柔が剛に交りて枝と幹との質が成立し、また葉と蕚【蕚ハ花瓣ノ外部ニアリ、數片輪生スルモノ。】とは陽の性に屬し、華と宵とは陰の性に屬するものである。これ等の關係がそのものに現るる差異、程度に従つて、自ら草の中にも木に近いものもあり、木の中にも草に近いものもあるのだが、そのいづれを問はず、そのものの本來の特質の中心たるべき天然に禀(う)くる氣の最も純粹中正なものが良となり、その氣の純粹中正ならざるものが毒となるのである。而してそれ等良、毒の特異はそのものの有する如何なる條件に據つて現れてゐるかといへば、それは五形――金、木、水、火、土――となつて現れてゐる。五氣――香(かう)、臭(しう)、臊(さう)、腥(せい)、膻(せん)――となつて現れてゐる。五色――靑、赤、黃、白、黑――となつて現れてゐる。五性――寒、熱、溫、涼、平――となつて現れてゐる。五用――升、降、浮、沈、中――となつて現れてゐるのである。炎帝神農氏は實驗の基礎に立つて之を識別した。黃帝、岐伯はその基礎に據つて理論的に推究し宣揚した。更に漢、魏、唐、宋の各時代に排出した博識明哲の良醫大家がそれぞれの識見と實驗とを之に加へたので、斯学の内容はますます開展し增大されて來たのである。けれどもそれだけに神農當時に設けた三品の區分は僅に[やぶちゃん注:「わづかに」。]形骸を遺すだけとなつて、品級は淄澠(しじよう)【淄ハ淄水、山東省萊蕪縣ニ源ヲ發シテ淸水泊ニ注グ。澠水ハ山東省臨淄縣ノ西北麻大湖ニ入リ、更ニ淸水泊ニ通シテ終ニ海ニ入ル。二水味異ナレドモ合スレバ則チ辨ジ難シトイフ。】交混し[やぶちゃん注:頭注がやたら長いが、中国で「淄澠を辨ず」で「しばしばものの良し悪しを見分けることが難しいこと」指すフレーズである。]、記載の諸條項が重複するやうになつたために、事實は涇渭分たざる【涇ハ涇水、渭ハ渭水、水部甘露蜜、金部金、諸鐵器ノ註ヲ見ヨ。涇ハ濁リ、渭ハ淸ム。以テ淸濁ノ喩トス。[やぶちゃん注:別に新字の補注があり、『涇水は甘粛省に発し東南に流れて陝西省で渭水に注ぐ。渭水甘粛省に発し東流して陝西省を横断し黄河に注ぐ』とある。]】の有樣となつてゐるのである。しかし苟も[やぶちゃん注:「いやしくも」。]そのものの事實に就いての精微を詳察し、善惡を審悉[やぶちゃん注:「しんしつ」。詳しく知ること。]にすることあらずんば、いかで七方、十劑の調制を的正にして、貴重なる生命を托することが出來やうぞ。この意味から、ここに繁冗なるものは剪(けづ)り、重複せるものは除き、誤謬の點は正し、遺漏せるものは補ひ、族と類とを明に[やぶちゃん注:「あきらかに」。]區別して綱と目とを整然と配列し、穀と菜とに屬するものは除外して、凡そ草に屬するものにして醫藥に供し得るもの者六百十種を擧げ、これを山草、芳草、隰草、毒草、蔓草、水草、石草、苔草、雜草、有名未用の十類に別けて記述することとした。舊本【舊本ハ證類本草ヲ指ス。[やぶちゃん注:「證類本草」は宋代の本草書。四川省の名医であった唐慎微が、その時代までに出版されていた本草書や医方書を合併・引用して纏めた。正式名は「經史證類備急本草」で、完成年代は一一〇〇年頃と推定されている。]】には草部上、中、下三品共四百四十七種あるが、今はその三十一種をそれぞれの條下に併入して、二十三種は菜部に移入し、三種は穀部に四種は果部に、二種は木部に入れ、また木部から十四種をこの部に併入し、蔓草の二十九種中に菜部から十三種を併入し、果部から四種を併入し、外類、有名未用共二百四十七種とした【此處ニ註スル移入併入ノ數而ヲ合計スルモ、草部六百十種ノ數ニ合セズ。頗ル疑フベシ。】。

   《引用終了》

以上の訳で、私は概ね、意味不明の箇所は片付いた。一つ、「五行」の並べ方が、一般に知られる「木・火・土・金・水」でないのに躓いたが、「維基百科」の「五行」を見ると、「春秋左傳」の「襄公二十七年」中の「杜預注」の「五材」の並びが、「金・木・水・火・土」なり、とあったので、よく判らんが、この順で意味があるんだろうな。あんまり興味がないので、これ以上はツッコまないことにする。識者の御教授を俟つ。

「神農本草經」漢代に書かれた最古の本草書。

「三才圖會」明の類書。明の一六〇九年に刊行された王圻(おうき)とその次男王思義によって編纂された。全百六巻。

「農政全書」明代の暦数学者でダ・ヴィンチばりの碩学徐光啓が編纂した農業書。当該ウィキによれば、『農業のみでなく、製糸・棉業・水利などについても扱っている。当時の明は、イエズス会の宣教師が来訪するなど、西洋世界との交流が盛んになっていたほか、スペイン商人の仲介でアメリカ大陸の物産も流入していた。こうしたことを反映して、農政全書ではアメリカ大陸から伝来したサツマイモについて詳細な記述があるほか、西洋(インド洋の西、オスマン帝国)の技術を踏まえた水利についての言及もなされている。徐光啓の死後の崇禎』十二『年』(一六三九年)『に刊行された』とある。光啓は一六〇三年にポルトガルの宣教師によって洗礼を受け、キリスト教徒(洗礼名パウルス(Paulus))となっている。

「畫譜」東洋文庫の巻末の「書名注」によれば、『七巻。撰者不詳。内容は『唐六如画譜』『五言唐詩画譜』『六言唐詩画譜』『七言唐詩画譜』『木本花譜』『草木花譜』『扇譜』それぞれ各一巻より成っている』とあった。]

2025/09/06

おおつき香代子さんへ

あなたが小学生の時、住んでおられた私の家の下の方にあったアパートが、今日、すっかりなくなってしまいました…………。

……私は、実は、あなたのことが、好きでした……高校二年生の時、小学生の高学年の頃、貰った年賀状の住所を探して……神谷町を捜したのを、思い出しました……高校の学校誌に、それを、小説にして、載せて貰いました……それも、遠い思い出になってしまいました……お元気ですか? 香代子さん…………

2025/09/03

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「椎田池の怪」

[やぶちゃん注:底本はここから。段落を成形し、句読点・記号を変更・追加した。]

 

 「椎田池《しひだいけ》の怪《くわい》」 安倍郡慈悲尾村《しひをむら》、椎田池にあり。

 「風土記」云《いはく》、

『安倍郡、椎田池、出美石。和銅元年戊中、自三月五月地底鳴、晝夜百餘度、恰如地震、五月望夕、有黑牛池底一顆之玉其玉照四邊一、後以其牛献ㇾ京、家路程不ㇾ堪ㇾ暑、至白須計渡艷斃死。號其處牛瀨、今猶存焉。云云。』。

 「巡村記」云《いはく》、

『椎田の池は、椎之尾【今、「慈悲尾《しいのを》」に作る。】の奧の「奧田か[やぶちゃん注:「が」。]谷」と云所《いふところ》にあり。云云。』。

 

[やぶちゃん注:最初に漢文部を推定訓読する。一部の読点を句点に代えた。

   *

安倍郡(あべのこほおり)、椎田池(しひのいけ)、美しき石(いし)を出だす。和銅元年戊(いぬ)の中(うち)、三月より五月に至り、地底(ち の そこ)、鳴(なり)、晝夜(ちうや)、百餘度(ひやくよたび)、恰(あたか)も地震(なゐ)のごとく、五月望(もち)の夕(ゆふべ)、黑牛(くろうし)、有り、池の底より出で、一顆(いつくわ)の玉(ぎよく)を負ふ。其の玉、四邊(しへん)を照らす。後(のち)、其の牛を以つて、京に献ず。家路(いへぢ)[やぶちゃん注:ここでは「道中」の意。]の程(ほど)、暑さに堪へず[やぶちゃん注:主部(主語)は牛。]、白須計渡に至りて斃死(へいし)す。其の處を「牛瀨」と號し、今、猶ほ、存す。云云(うんぬん)。

   *

 

「安倍郡慈悲尾村」前項「法明寺楠」に出た、現在の静岡市葵区慈悲尾(しいのお)。

「椎田池」この名の池は、現在の静岡県にないばかりでなく、江戸時代以前にも認められない。以下に示した「駿河國風土記」にも、ない。しかし、「人文学オープンデータ共同利用センター」の「くずし字データベース検索」で、「鯨」と「椎」の字を見ると、中に「日本古典籍データセット」の「雨月物語」の「鯨」の崩し字と、「物類稱呼」の「椎」の崩し字を比較してみると(ルビで容易に判る)、かなり似ていると感じる。崩し方が乱暴だと、判読を誤る可能性は、非常に高いと私は感ずるのである。更に言えば、「田」は、その崩しのひどい物では、同前で、「比翼連理花迺志滿臺」の「田」の中が、見事に「の」に見えるのである。

「風土記」既出既注の正規の「風土記」ではない、怪しいもの。因みに、国立国会図書館デジタルコレクションの「駿河國新風土記」(第六輯・三階屋仁右衛門道雄著・文政一三(一八三〇)年記・修訂足立鍬太郎訂・昭和九(一九三四)年志豆波多會刊・★謄写版★印刷)のここにある「鯨池」の記載の中に、本篇の怪異への言及がある。活字化する。標題の四角囲みは、[ ]とした。中間部の当該部に下線を附した。

   *

[鯨池] 𢌞り[やぶちゃん注:「めぐり」。]三十余町[やぶちゃん注:三・二七八キロメートル超え。]水底深くして鯉鮒の類多く又菱[やぶちゃん注:私の古い「大和本草卷之八 草之四 水草類 芰實(ひし) (ヒシ)」、及び、最近の仕儀である「和漢三才圖會卷第九十一 水果類 芰」を参照されたい。]を生する[やぶちゃん注:ママ。「生(しやう)ずる」。]こと夥し村民其實[やぶちゃん注:「み」。]をとりて食料とす里俗の諺に云此池の主[やぶちゃん注:「ぬし」。]は班牛[やぶちゃん注:「まだらうし」。]なり其牛一眼を損して片眼[やぶちゃん注:「かため」。]なりし故にこの池の魚一眼小[やぶちゃん注:「ちさき」。]なりと云道推𭢀ずるに[やぶちゃん注:「𭢀」「按」の通字の意を一つ持つ別字漢語。]風土記本郡[やぶちゃん注:「ほんこほり」。この項は、「安倍郡」「二」のパート内である。旧安倍郡(あべのこほり)は、駿府城を含む現在の、概ね、葵区に相当する。]椎田池の條池底[やぶちゃん注:「いけぞこ」。]より一黒牛の出し[やぶちゃん注:「いでし」。]ことを載[やぶちゃん注:「のす」。]池中に牛の住し[やぶちゃん注:「すみし」。]事疑ふべからず又今もたまさかにこの池の邊[やぶちゃん注:「ほとり」。]にて牛を見るものありと云り[やぶちゃん注:「いへり」。]

   *

この「鯨池」は「鯨ヶ池」として、安倍川左岸の、ここに現存する。而して、実は、本書では、「神木鳴動」、及び、「桃澤池奇怪」で問題にしている。しかし、現在の「鯨ヶ池」は池の岸を実際に計測してみると、一・一七キロメートルしかない。その先行する二記事で考証してみたところ、恐らく、江戸時代と明治期までは、この池、及び、そこから、南南東位置に沼沢が広く存在した可能性が得られた。

 以上から、私は、

この「椎田池」は「鯨の池」=「鯨ヶ池」の誤判読である

と、断定するものである。大方の識者の御叱正を俟つものである。

2025/09/02

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「法明寺楠」

[やぶちゃん注:底本はここ。かなり長いので、段落を成形し、句読点・記号を変更・追加した。]

 

 「法明寺楠《ほふみやうじの くす》」 安倍郡《あべのこほり》足窪村《あしくぼむら》、高福山法明寺《こうふくさんほふみやうじ》【曹洞。寺領九石二斗餘。慈悲尾《しいのを》增善寺《ざうぜんじ》末。】にあり。

 寺傳云《いはく》、

『往昔、養老年中、當村に大楠あり。每夜、光《ひかり》を放つ事、甚《はなはだ》し。同七年、行基僧正、東遊《とういう》の時、此奇瑞を聞き、卽《すなはち》、伐《きり》て、觀音七體を彫刻す。今の本尊は其一《ひとつ》也。云云《うんぬん》。』。『後歲《こうさい》、當寺、囘祿《くわいろく》の時、此像、自《おのづか》ら、煙の中を拔出《ぬけいで》、遙《はるか》に飛《とび》て、草間《くさ の あひだ》に、あり。故《ゆゑ》に、災《わざはひ》を免《まぬか》る、云云。』。

 里人云《いふ》、

「往昔《わうじやく》、天平年中、聖武天皇、御腦危窮《ごなうききゆう》の事あり。帝《みかど》、詔《みことのり》して、此《この》災根《さいこん》を占《うらな》はしむ。博士某《はかせ なにがし》、考《かんがへ》、奏《さう》して、云《いはく》、

『東國に千歲《せんざい》の老楠《らうくす》あり。其木、既に、命《いのち》、極り、朽滅《きゆうめつ》の期《き》、至る。彼《かの》木、元より佛體に刻《きざま》れて、永く、此土《つち》に止《とどま》まらんを、願ふ。故に、今、むなしく朽亡《きゆうばう》せん事を悲《かなし》み歎《なげき》て、此災《わざはひ》をなせる也。早く、高僧に仰《おほ》せて、彼《かの》木を以て、佛像を造り、祈誓《きせい》あらしめば、玉體《ぎよくたい》、速《すみやか》に安寧《あんねい》ならん。』

と。

 卽《すなはち》、七道《しちだう》の諸國に令《りやう》して、彼木を尋《たづね》しむ。

 時に、駿河の國司、

「當國、足窪村《あしくぼむら》の山中に、高さ三十三尋《ひろ》、徑《わたり》十餘間《けん》の大楠ある。」

由《よし》を奏《さう》す。

 依《より》て、僧行基に仰《おほ》せて、往《ゆき》て、其木を見せしめ玉《たま》ふ。

 行基、遠路《ゑんろ》の勞《らう》を厭《いと》はず、日《ひ》あらずして、爰《ここ》に來《きた》り、此木を伐て、七體《しちたい》の觀音を刻《きざ》み、七か寺に安置して、修法勤行《しゆはふごんぎやう》する事、凡《およそ》一七日《ひとなぬか》、御腦、忽《たちまち》、平愈す。

 是より、行基、此所《このところ》に、一寺を建立して、定額《ぢやうがく》の數《かず》に加ふ。

 今の高福山法明寺、是《これ》也。

 其後《そののち》、此楠の實《み》、生長して大木となる。

 中頃、當山、囘祿の時、燒失す。

 後《のち》、又、實生《じつせい》あり。

 今猶《いまなほ》、半《なかば》、朽《くち》て、觀音堂の左の傍《かたはら》に存《そん》せり。

 近年、巡《めぐ》りに、垣《かき》を結び、かたく、枝葉を削り取る事を禁制す。

 彼《かの》七體安置の寺院は、當寺、及び、慈悲尾《しいのを》增善寺、瑞祥山建穗寺《ずいしやうざんたきようじ[やぶちゃん注:この寺の読み方の歴史的仮名遣は正しいかどうかは不明。現代仮名遣では「たきょうじ」と読む。]》、普陀洛山久能寺《ふだらくさんくのうじ》、布袋山平澤寺《ほていさんへいたくじ》、鷲峯山靈山寺《しゆうぼうざんれいざんじ》、大窪山德願寺《だいあさんとくぐわんじ》の七所也。云云。」。「纔《わづか》一本の精靈《しやうりやう》、佛體に刻《きざま》れん事を欲《ほつ》して、大膽(に)も玉體に近付《ちかづき》、一天の君《きみ》をなやまし奉る、奇怪と云べし。」

 又、云《いふ》、

「當村、法明寺門前に、往昔、一《いち》大楠あり。里人《さとびと》、

『此木を伐らん。』

とて、斧を當《あつ》るに、血、出《いづ》る事、夥《おびただ》し。時に、行基菩薩、東遊して、爰《ここ》に來り玉ふ。故に、此事を告ぐ。

 行基、卽《すなはち》、此木を伐《きら》せて、觀音七體を刻み、近邊《きんぺん》の山々に建《たて》らる。

 當寺の本尊、則《すなはち》、其一體也。今、門前にある所の楠は、其株よりの蘖《ひこばへ》也《なり》。云云。」。

 

[やぶちゃん注:「安倍郡足窪村、高福山法明寺」静岡市葵区足久保奥組(あしくぼおくぐみ)のここ(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)に現存する。個人ブログ「神が宿るところ」の「高福山 法明寺(駿河七観音・その1)」に、『寺伝によれば、養老』七(七二三)年、『行基菩薩の開創。元は密教寺院だった(天台宗説と真言宗説がある。)が、次第に寺勢が衰え、貞享』四(一六八七)年『に曹洞宗の「増善寺」』十八『世の雪厳薫積』(せつがんくんせき)『和尚によって再興され、「増善寺」の末寺となった』。『伝説によれば、天平年間』(七二九~七四九年)、『聖武天皇が病気となり、その病因を陰陽博士に占わせたところ、東国に千歳の楠(クスノキ)があり、寿命を迎えている。仏像として刻まれて永くこの世に止まりたいとの希望があり、天皇を悩ませているのだという。折から、駿河国の国司から、足窪村の山中に高さ約』五十メートル、『直径約』二十メートル『もの大楠があるとの報告があった。そこで、行基に命じて』、七『体の観音像を刻ませ』、七『ヵ寺に安置して修法勤行させたところ、天皇の病気は快癒したという。この大楠は、毎夜光を放っていたとか、伐られる際に血を流したともいうが、そこに一寺を建立したのが』、『現在の「法明寺」であるという。「法明寺」など』、七『体の観音像を安置した寺を「駿河七観音」と称する(以前は「安倍七観音」ということが多かったが、旧安倍郡だけでなく、旧有度郡、旧庵原郡の寺院も含むため、最近は「駿河七観音」ということが多いようだ。)』。『当寺の観音像は、当寺が火災に遭ったとき、自ら堂を脱け出し、草むらに逃れたという伝説がある』とある。グーグル・マップのサイド・パネルに、平成一二(二〇〇〇)年に建立された「楠和讃」の碑はあるが、本篇末尾にある株の蘖の門前の楠らしきものは、残念ながら、見当たらないようである。

「慈悲尾增善寺」静岡市葵区慈悲尾(しいのお)のここに現存する。公式サイトの「沿革」に、『静岡市葵区慈悲尾にある増善寺は地蔵菩薩を御本尊とし今川氏親公の菩提寺として知られる曹洞宗の古刹です。増善寺は駿河七観音や駿河三十三観音霊場の札所であり、かつては真言宗の慈悲寺(じひじ)が置かれていました。増善寺の歴史は古く、今から』一三〇〇『年ほど前の』養老七(七二三)『年に行基が夢のお告げにて』、『刻まれた千手観世音菩薩を安置し、真言宗として慈悲寺を発足しました。これが駿河七観音の霊場であり、現在も観音堂にお祀りしております。そして』、『文明』一二(一四八〇)年に『辰応性寅禅師が荒廃していた慈悲寺を曹洞宗として再興しました』。『また』、『今川時代には今川義元公の父である今川氏親公の菩提寺として厚い保護を受けました』とある。

「行基僧正」(天智天皇七(六六八)年~天平二一(七四九)年)は法相宗の僧。彼は難民救済・民間布教・土木事業などを進めたが、朝廷から下される僧の資格を得ずに行ったために弾圧された。しかし、後に民衆の支持を背景に、東大寺大仏建立への協力を要請され、大僧正の位を受けた。

「囘祿」本来は古代中国に火の神の名。転じて、火災に遭うこと・炎上することを言う。

「七道」東海・東山(とうさん)・北陸・山陰・山陽・南海・西海道の総称。「東山道」は「とうせんどう」とも読み、近江・美濃・飛騨・信濃・上野・下野・陸奥・出羽の八ヶ国。但し、当初、定制がなく、大宝(七〇一)元年に至って、近江・美濃・飛騨・信濃・上野・武蔵・下野とされ、後、陸奥・出羽を加え、宝亀二(七七一)年には武蔵を東海道に組み入れて、八か国が固定した経緯がある。

「高さ三十三尋《ひろ》」本来の中国の「尋」(ジン)は身体尺の“Arm span”で、大人が両腕を一杯に広げた長さであった。本邦でも、それであったが、現行での換算では、一尋を五尺とするのであるが、私は、古くの一般人を考えると、五尺換算(約一・五メートル)するのが正しいと考えているので、四十九・五メートルとしたい。

「徑《わたり》十餘間《けん》」一間は一・八一八メートル。「餘」は軽めに採って三割掛けで、直径十八・二メートル。本邦の巨木神話伝説じゃあるまいし、これでも、デカ過ぎ。

「一七日《ひとなぬか》」七日。

「定額」「定額僧」。古代律令制に於いて、寺院などに定められた一定数の僧侶、あるいはその僧侶自身を指す。定額僧の数は常に維持されることが望まれ、欠員が生じた場合には、これを補うことが許され。さらに、その地位を維持するために、朝廷から、供米(きょうまい)を与え、その財政を助けた。

「瑞祥山建穗寺」静岡市葵区建穂(たきょうじ)のここに現存する真言宗の寺院。

「普陀洛山久能寺」複数回既出既注の、現在の久能山東照宮

「布袋山平澤寺」現在の駿河区平沢(ひらさわ)にある布袋山自在院平澤寺。ここ。行基開基。

「鷲峯山靈山寺」現在の清水区大内(おおうち)にある真言宗寺院。ここ

「大窪山德願寺」現在の駿河区向敷地(むこうしきじ)にある曹洞宗寺院。ここ

2025年9月3日追記:たまたま、例の「駿河風土記」(既出既注の正規の「風土記」ではない、怪しいもの)を別な理由で見ていたところ、国立国会図書館デジタルコレクションの「駿河國新風土記」(第六輯・三階屋仁右衛門道雄著・文政一三(一八三〇)年記・修訂足立鍬太郎訂・昭和九(一九三四)年志豆波多會刊・★謄写版★印刷)のここにある「增善寺」の記載を見つけたので、活字化しておく。標題の四角囲みは、[ ]とした。その主文部分は前項「法明寺楠」の一件中に記された内容である。中間部の当該部に下線を附した。

   *

[増善寺] 慈悲山増善寺は曹洞宗遠江國髙尾村石雲院御朱印寺領拾貳石寺傳に云當山者白鳳二十一年【道雄云白鳳は十四年にて十五朱鳥[やぶちゃん注:「しゆてう/あかみとり」。ユリウス暦六八六年。天武天皇の治世だが、この年の九月九日に崩御した。翌年以降、七〇一年の大宝が制定されるまでは、元号が定められることはなかった。]元年なれば二十一年は十一年にや】法師草創にして後四十二年過て養老七年[やぶちゃん注:七二三年。元正天皇の治世。]行基駿河に來り足久保法明寺に於て七軀の觀音の像を刻當山は其第二刻なりといへり復星霜を積て荒廃せしを文明十一年辰應和尚當寺を再建す今川氏親明應年中[やぶちゃん注:一四九二年~一五〇一年。]伽藍諸堂建立すと云々氏親朝臣の開基にして増善寺殿と稱して其肖像を安置す此像は氏親在[やぶちゃん注:「世」の異体字。]に福島掃部助に命じて作らしめ永應年間[やぶちゃん注:一六五二年~一六五五年。徳川家綱の治世。]孫今川左少将義喬朝臣[やぶちゃん注:不詳。]再修すること背に朱を以て書之上にいふ行基の所刻の觀音は山上に堂ありて其所に堂ありて其所に安置す除地五斗大門之[やぶちゃん注:「の」。]傍に仁王門あり觀音に登るの道なり古[やぶちゃん注:「いにしへ」。]の寺は今の所より八町余山奥の谷間にて塔中十二坊ありて菩提院と呼し[やぶちゃん注:「よびし」。]と云傳ふ谷間所々礎石存する所あり開山辰應は洞上聯燈錄に傳あり曰

駿州増善寺辰應正寅禪師尾州吉田氏十三歳歿濃州開元院月泉禪師祝髮出遊謁石雲宗之禪師一日室中擧大力量人話示衆師在傍忽失笑之曰大力量人因甚凭擡足不起師嘘一聲之打趂出他日入門之厲聲一喝師頓脱黏縛遂蒙印可焉後出世永平補石雲駿州今川氏創増善寺聘爲開山復至武州前澤居𭷁禪院永正八年九月趺坐書偈而終壽七十一臘六十出居廊※明巖宜二人

[やぶちゃん注:「※」「宗」「宋」でもない。「(うかんむり)の下は「ホ」に近い。なお、この開山の伝は、概ね判るが、訓読されたい方は、どうぞ、御勝手に。私は、引用すると言った関係上、電子化しただけで、この僧に興味も起こらない。悪しからず。]

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(二)昆布の說について

本未明、午前二時から、

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(二)昆布の說(その2)

を電子化注して公開したのだが、続けてやろうとしたところ、これは、「鰑の說」よりも逸早く、図版十枚を先に電子化注しないと、ダメであることが判明した。また、時間がかかります。

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(二)昆布の說(その2)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回は、ここから。]

 

抑(そもそも)昆布ハ北緯三十八度以北の海(かい)に產するものにして、東南の方(はう)に多く、西北の方に少(すくな)し。其產地によりて種類一《いつ》ならず。隨(したがつ)て、形狀、長短、厚薄(かうはく、濃淡[やぶちゃん注:このルビの下には、明らかに文字と見えるものが、確認出来る。私は「など」と判読した。異常な打ち方乍ら、文脈からも、極めて自然ではある。])、性質ともに同からず。又、その名稱も頗る多く、今、

其種類を左(さ)に擧(あ)ぐ。

[やぶちゃん注:「北緯三十八度」ウィキの「北緯38度線」によれば、「通過する地域一覧」の「日本」は、『佐渡島』『— 新潟県』及び『— 新潟県』・『— 山形県』・『— 宮城県』とする。附属する「geohack - 日本」の「ウィキメディア地図」を見られたい。言わずもがなであるが、朝鮮の軍事境界線と一致する。中国は、黄海の湾奥部が含まれるだけである。なお、コンブ属マコンブ(真昆布) Saccharina japonica synonym Laminaria saccharina )に限った論文であるが、神谷徳成・和田明・長谷川一幸氏らによる論文「マコンブの生息域と水温変動との関係について」PDF・調べたが、どうしても掲載誌が確認出来なかった)には、『分布域は北海道の室蘭から東北地方三陸沿岸までの太平洋および津軽海峡一帯に広く分布する。北海道では室蘭地球岬付近から噴火湾、渡島半島東部沿岸を経て津軽海峡西口の白神岬付近、および松前小島まで分布し、青森県では日本海沿岸小泊下前から、陸奥湾内を除く津軽、下北両半島および太平洋沿岸八戸地方までの各地まで分布し、岩手県では宮古湾以北沿岸に多く、なお宮城県女川まで点在する。またどの地帯も入り江や湾入した比較的波の穏やかな場所で透明度の高い海域の低潮線付近から水深2030m付近までの岩盤、転石上に生育する。浅所に生育するものは体長1.53m、深所のものは時には10mにも達する。』とあり、而して、『マコンブは10℃以下の低水温には強く、20℃以上の高水温には弱いという性質があるということがわかった。また、マコンブの生息限界水温は23℃以下であると言えることから、水温からマコンブの生息域を推測できるのではないかと考えられた。』とする。そして、末尾に『マコンブは10℃以下の低水温には強く、20℃以上の高水温には弱いという性質があるということがわかった。また、マコンブの生息限界水温は23℃以下であると言えることから、水温からマコンブの生息域を推測できるのではないかと考えられた。』とある。最後の「まとめ」を引く、『本研究では、マコンブの生息域と水温との関係について調査した。マコンブの生息域は主に北海道南部・津軽海峡・太平洋沿岸北部であり、この生息海域の最高水温は8月でも23℃以下であることがわかった。この水温分布は胞子体世代の文献から得た生息可能水温範囲内に含まれていることと一致した。また13月の日本沿岸域の海水温より、マコンブ生息域では10℃以下になっていることが明らかになり、この水温分布は配偶体世代の最適水温内であった。このように、マコンブ生息域は胞子体世代では生息可能水温範囲内であること、配偶体世代では最適水温内であることが必要条件であることが確認された』。『また太平洋側沿岸には生息しているが日本海側沿岸にはコンブは生息していない要因としては日本海側の8月の水温が23℃以上となっていることから、これは水温の影響を受け』、『生息していないものと推察された。』とある。

 なお、一言、言っておくと、他のコンブ類には、日本海側に分布する、マコンブ変種リシリコンブ(利尻昆布) Saccharina japonica var. ochotensis・マコンブ変種ホソメコンブ(細目昆布) Saccharina japonica var. religiosa 等がある。

さても……しかし……以上を読みながら、危急的問題が感じられた。昨今の地球温暖化に伴う日本近海の海水温の有意な上昇である。二〇二〇年三月のものだが、「日本經濟新聞社」公式サイト内の記事「温暖化で近海コンブ消滅も 2090年代、主要な11種」には、

   《引用開始》

北海道大の研究グループが、地球温暖化に伴う海水温上昇のため、ナガコンブやマコンブなど日本近海の天然コンブのうち主要な11種が2090年代までに消滅する可能性があると発表した。コンブは日本人の食生活に欠かせない食材で、関係する生物も多く、影響が懸念される。

北大北方生物圏フィールド科学センターの仲岡雅裕教授らのグループが、40年代と90年代のそれぞれの生息分布を予測。コンブは水温が上がると枯れるため、海水温の変化に応じて想定した。

温暖化が現状のまま進めば北海道周辺の海水温は1980年代と比較して2090年代には最大10度ほど上昇。90年代までにコンブの分布域が025%にまで減少する見通しを示した。

また、温暖化が緩やかに進行する場合でも、40年代までにナガコンブ[やぶちゃん注:ナガコンブ(長昆布=「浜中昆布」) Saccharina longissima ]など4種が日本の海域から消失する恐れがあるとはじき出した。

日本昆布協会(大阪市)によると、すでに市場供給量は年々減少傾向で、19年度の推計値は約13千トン。同協会が記録を取りまとめ始めた1989年度がピークの約38千トンで、30年で3分の1程度に減少したとみられる。国内で食用にされるコンブの大部分が北海道産とされる。

コンブ加工販売業「こんぶ土居」(大阪市)によると、同社は良質のだしが取れる函館市白口浜の天然マコンブを料亭などに卸しているが、5年前から仕入れ価格は約2倍に上昇した。土居純一社長は「天然だけでは成り立たなくなってきているので養殖も扱っているが、質が落ちる」と嘆く。

北大研究グループによると、つくだ煮に利用されるなど日本の食文化に重要な役割を果たしているナガコンブへの影響が早々に懸念される。須藤健二学術研究員は「ナガコンブは柔らかくて食べやすいため、おでんにも広く利用される。コンビニのおでんのコンブが値上がりしたり、場合によっては消えたりするかもしれない」と指摘する。

コンブが生い茂る藻場はウニやエゾアワビなど魚介類の宝庫で、それを目当てにラッコなど海洋動物も集まる。沿岸や岩礁の生態系に詳しい東北大の吾妻行雄教授によると、コンブに依存して生活するエゾバフンウニやキタムラサキウニも沿岸海域から消滅する可能性がある。

現在は比較的水温が高い場所を好み、本州や九州に多く生息する海藻のホンダワラが分布域を拡大させるとみられる。吾妻教授は「高価なウニの漁獲が減り、漁業者は大きな打撃を受ける」と話した

   《引用終了》

この記事を読んで、暗澹たる鬱に落ちた……。

2025/09/01

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「陰摩羅鬼」

[やぶちゃん注:底本はここ。段落を成形し、句読点・記号を変更・追加した。]

 

 「陰摩羅鬼《おんもらき》」 安倍郡《あべのこほり》、安倍川原《あべがははら》の渡頭《ととう》、刑罪塲《けいざいば》にあり。里人云《いふ》、

「陰雨《いんう》寂寞《じやくまく/せきばく》たる夜《よ》、安倍川の御仕置塲《おしおきば》に於《おい》て、奇火《きくわ》を見る者、あり。其色、靑くして、人の彳《たたずむ》に似たり。又、所々の古戰塲《こせんじやう》、及《および》、墳墓の舊地より、此《この》火《くわ》を顯《けん》ずる事、あり。號《なづけ》て、

『幽靈火《ゆうれいび》』と云《いふ》。是《これ》、人血《じけつ》の土中《どちゆう》に凝《こり》て、永く消滅せざるが、なす處《ところ》にして、

『陰摩羅鬼』

と云《いふ》。此陰火《いんくわ》、成《なる》べし。云云。」。

 

[やぶちゃん注:「陰摩羅鬼」私の「太平百物語卷五 四十二 西の京陰魔羅鬼の事」の私の注を見られたい。

「安倍川原の渡頭、刑罪塲」しまむー氏のサイト「街道の行く先へ」の「安倍川の渡し」に、地図と渡しのルート位置が記されてある。刑場は一般に、川原によく配され、街道道中の者への見せしめとされた。駿府城から執行人が来る関係上、安倍川の左岸にあったものと推定してよいであろう。]

阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「狸施灸治」

[やぶちゃん注:底本はここ。段落を成形し、句読点・記号を変更・追加した。]

 

 「狸施灸治《たぬき きうぢを ほどこす》」 安倍郡《あべのこほり》府中硏屋町《とぎやちやう》にあり。傳云《つたへいふ》、

『文化五年、當町に、旅僧、一宿す。二人の伴僧あり。

 翌日、彌勒町《みろくちやう》に往き、爰《ここ》に、二日、逗留して、

「夢想の灸。」

と號して、普《あまね》く、人に施し、謝《しや》は錢十二文を限《かぎり》とす。

「是より、西宿《にしじゆく》に行《ゆく》べし。」

とて、安倍川を越し、左渡《さわたり》に至る。

 時に、橫合《よこあひ》より、猛《たけ》き犬、一匹、走りて、轎夫《きやうふ/かごかき》の足もとに來《きた》る。時に、此僧、深く恐怖《おそれおぢ》たる形樣《かたちざま》して、駕《かご》より轉び落ち、

「あ。」

と叫《さけん》で、狸となり、向敷地村《むかうしきぢむら》、大窪山德願寺《だいあさんとくぐわんじ》【曹洞。】山《やま》に逃入《にげいり》たり。

 伴僧も、いつの程《ほど》にか、逃《にげ》たりけん、かひくれ、見えず成《なり》ぬ。

 此《この》灸を受《うけ》たる者、或《あるい》は聾《おし》、或は吃人《きつじん/どもり》と成《なり》て、病《やまひ》、愈《いえ》たる者、更になし。云云《うんぬん》。」。

 

[やぶちゃん注:「府中硏屋町」現存する。静岡県静岡市葵区研屋町。ここ(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。

「文化五年」一八〇八年。徳川家斉の治世。

「彌勒町」現在の葵区弥勒であろう。程んどが、安倍川の左岸である。

「西宿」不詳。漠然と、「府中から安倍川を渡った西の方の宿駅」の意ででもあろう。

「左渡」安倍川の左岸の静岡市駿河区丸子地区に「佐渡」(さわたり)のポイントとして現存する。

「轎夫」「轎」は、元は中国・朝鮮で用いられた、乗る部分の左右両外側中部に「担い棒」を装着した一種の駕籠(かご)であるが、ここは江戸時代の駕籠舁きと考えてよい。

「向敷地村」現存する。駿河区向敷地(むこうじき)。平凡社「日本歴史地名大系」の「向敷地村 むこうしきじむら」によれば、旧の『静岡市』『有渡郡』(うどぐん)・『庵原郡』(いはらぐん)『地区向敷地村』。現在は駿河区向敷地。『安倍(あべ)郡に所属。安倍川の右岸、同川に藁科(わらしな)川が合流する地点の南に位置し、南と東は手越(てごし)村。村名は安倍川対岸の有渡郡敷地(しきじ)村に対する』、『向こうの意味によるという(修訂駿河国新風土記)。向鋪地とも書くが(享保一六』(一七三一)『年』の『駿府代官所村高帳)、元禄一六』(一七〇三)年『の駿府巡見帳(静岡市立図書館蔵)などのように』「敷地村」『と書いて当村のことをさす史料もある。昔は藁科川が当村の中を流れていたが、天正』から『慶長(一五七三―一六一五)頃に金(かな)山(現曹洞宗東林寺の東の山)から猿郷(さるごう)に堤防が造られ、金山の東を流れるようになったという(駿河記)』とある。

「大窪山德願寺」向敷地のここ(グーグル・マップ・データ航空写真)に現存する。この寺の後背が「德願寺山」(とくがんじやま)である。標高三五二メートル。歌川広重筆の「東海道五十三次」の壱九番「府中」(ウィキの「徳願寺山」の画像)に描かれている。

   *

 ……しかし、この話、……療治を受けた者が、皆、病いとなったとあって、甚だ、後味が悪い……私の「怪奇談集」中の妖狸話でも、頗る最後の結末がヒド過ぎる。極めて不快の特異点である……]

和漢三才圖會卷第九十一 水果類 慈姑 / 卷第九十一~了

 

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をもたか    籍姑°白地栗

しろくわゐ   水萍°阿鳬茈

慈姑

        苗名剪刀草

        箭搭草°槎丫草

ツウ タウ     燕尾草

[やぶちゃん字注:「をもたか」はママ。「阿鳬茈」本項の「本草綱目」の引用は「漢籍リポジトリ」の「卷三十三」の「果之五【蓏類九種内附一種】」の「慈姑」([081-34a]以下)のパッチワークであるが、そこの「釋名」の異名([081-34b]以下)を見てみると、三つ目に『河鳧茈【圖經】』とあるのが判る。従って、この「阿」は良安の誤字であることが判明する。そこで、訓読文では特異的に訂正した。

 

本綱慈姑生水田中人亦種之三月生苗青莖中空其外

有稜葉如燕尾前尖後岐每叢十餘莖內抽出一兩莖上

分枝開小白花四辨蕋深黃色霜後葉枯根乃練結大者

如杏小者如栗色白而瑩滑冬及春初掘取以爲果須灰

湯煮熟去皮食乃不麻澀戟人咽也嫩莖亦可煠食一根

[やぶちゃん注:「煠」「蓮」にも出たが、「煠」は原文では、「つくり」の上に「云」があるのだが、このような漢字はない。但し、引用元の「本草綱目」を、「漢籍リポジトリ」の卷三十三」の「果之五【蓏類九種内附一種】」の「慈姑」で確認したところ(ガイド・ナンバー[081-35a]の二行目)、この字体の字が画像で組まれてあった。しかし、この字には良安が『ユテヽ』(茹でて)と振っているので、特異的に、「煠」(その意を持つ場合の音:サフ(ソウ)/ゼフ(ジョウ))で訂した。

歳生十二子如慈姑之乳諸子故以名之

福州別有一種小異三月開花四時采根食

 又有山慈姑者【與此不同見山草部】

根【苦甘微寒】 治百毒產後血悶攻心欲死【妊婦不可食】

 以生薑同煑食佳【多食發腸風痔漏崩中帶下瘡癤】

△按慈姑其苗俗名於毛太加其根名白久和井開單葉

 小白花 近頃有千葉者花大如指頭團白以爲珍其

[やぶちゃん注:「近頃」の「頃」の(へん)は「土」となっているが、誤刻と断じて訂した。]

 紅者亦希有之栽盆中賞其花

一種有小而如獨頭蘭根者煮食之味更佳攝州吹田村

 多出之所謂福州之小慈姑此類矣凡慈姑煠復用醬

[やぶちゃん注:「煠」は同前。]

 油煮食味似栗不須灰湯亦可

 

   *

 

をもだか    籍姑《せきこ》°白地栗《はくちりつ》

しろくわゐ   水萍《すいひやう》°河鳬茈《かふし》

慈姑

        苗《なへ》を「剪刀草《せんたうさう》」

        と名づく。

        箭搭草《せんたうさう》°

        槎丫草《さあさう》

ツウ タウ     燕尾草《えんびさう》

[やぶちゃん注:「をもたか」はママ。]

 

「本綱」に曰はく、『慈姑《くわゐ》は、水田の中に生ず。人、亦、之≪を≫種ふ。三月、苗を生ず。青≪き≫莖、中空《ちゆうくう》にして、其≪の≫外《そと》に、稜《りやう/かど》、有り。葉、燕(つばめ)の尾のごとく、前《さ》き、尖《とが》り、後《しり》へ、岐(また)あり。每叢《まいさう》[やぶちゃん注:それぞれの一つの叢(むら)毎に。]、十餘莖《じふよくき》の內《うち》、抽出《ぬきんでて》して、一《いち》、兩《りやう》莖を上に、枝《えだ》を分《わけ》て、小《ちさ》き白花を開く。四辨、蕋《しべ》、深黃色。霜の後《のち》、葉、枯《か》る。根、乃《すなは》ち、練結《れんけつ》す[やぶちゃん注:一続きになるように繋ぎ合わせること。「連結」に同じ。]。大なる者、杏《あんず》のごとく、小き者は、栗《、くり》のごとく、色、白《しろく》して、瑩滑《えいかつ》なり[やぶちゃん注:つやが、あって、なめらかなこと]。冬、及《および》、春の初めに、掘取《ほりとり》て、以《もつて》、果《くわ》と爲《なす》。須《よろしく》、灰湯(あく《ゆ》)をもつてすべし。煮熟《にじゆく》し、皮を去《さり》て、食へば、乃《すなはち》、麻澀《まじふ》[やぶちゃん注:]、人の咽《のんど》を戟《げき》せざるなり[やぶちゃん注:東洋文庫訳では、『咽喉(のど)が刺激されてえぐく、しびれたようになることは』、『ない』とある。]。嫩《わかき》莖も亦、煠(ゆで)て[やぶちゃん注:原本では『ユデヽ』。]食ふ。一根、歳《とし》に、十二の子《こ》を生ず。慈姑《じこ》[やぶちゃん注:慈悲深い夫の母。]の、諸子《しよし》に乳《ちち》するがごとくなる故《ゆゑ》≪を≫以つて、之≪れに≫名づく。』≪と≫。

『福州(ふくちう[やぶちゃん注:ママ。現在の福建省。])に、別に、一種、有り。小《すこし》く、異(《こと》な)り。三月、花を開≪き≫、四時、根を采《とり》て、食《くふ》。』≪と≫。

『又、「山慈姑《さんじこ》」と云《いふ》者、有り。【此《これ》とは同じからず。「山草部」を見よ。】。』≪と≫。

『根【苦、甘。微寒。】』『百毒、產後≪の≫血悶《けつもん》≪に於いて≫心《しん》を攻め、死なんと欲《ほつ》するを、治す【妊婦、食ふべからず。】。』≪と≫。

『生薑《しやうが》を以つて、同《おなじ》く、煑て食ふに佳し【多食は、腸風[やぶちゃん注:腸炎。]・痔漏《じらう》・崩中《はうちゆう》[やぶちゃん注:子宮出血。]・帶下《こしけ》・瘡癤《さうせつ》[やぶちゃん注:化膿性毛囊炎。]を發す。】。』≪と≫。

△按ずるに、慈姑《くわゐ》、其《その》苗を、俗、「於毛太加《おもだか》」と名≪なづく≫。其の根を、「白久和井《しろくわゐ》」と名《なづ》く。單-葉《ひとへ》の小≪さき≫白花を開く。

 近頃、千-葉《やへ》の者、有り。花の大いさ、指の頭のごとく、團《まろ》く、白《しろく》、以《もつ》て、珍と爲《なす》、其《その》紅《くれなゐ》なる者も亦、希《まれ》に、之《これ》、有り。盆中に栽《うゑ》て、其花を賞す。

一種、有小《しやう》≪に≫して、「獨頭蘭(ほくり)」の根のごとくなる者、煮て、之≪を≫食ふ。味、更に佳し。攝州、吹田村(すいたむら)、多《おほく》、之≪を≫出《いだ》す。所謂《いはゆ》る、福州(ホクチウ[やぶちゃん注:ママ。現在の福建省の省都である福州市(グーグル・マップ・データ)。現行の音写は「フッチュ」。])の「小慈姑《しやうじこ》」、此の類《るゐ》か。凡そ、慈姑《くわゐ》、煠(ゆで)て、復《また》、醬油を用《もちひ》て、煮て、食ふ。味、栗に似たり。灰湯《あくゆ》を須《もち》ひずして、亦、可《よ》し。

 

[やぶちゃん注:本項は、良安の評言が、現代の植物学から見て、極めて致命的な大きな誤りを犯していることは、既に前項の「和漢三才圖會卷第第九十一 水果類 烏芋」で、少しく述べておいた。而して、ここでは、特異的に、引用元の「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の卷三十三」の「果之五【蓏類九種内附一種】」の「慈姑」(ガイド・ナンバー[081-34a]の七行目から)を、まず、全文引用する(一部の漢字その他に手を入れた。また、私が問題のある内容と判断した箇所に下線を引いて、ナンバーを打った)。

   *

慈姑【日華】  校正【原混烏芋下今分出仍併入圖經外類剪刀草】

 釋名藉姑【别錄】水萍【别錄】河鳧茈【圖經】白地栗【同上】苗名剪刀草【圖經】箭搭草【救荒】槎丫草【蘇恭】燕尾草【大明根時珍曰慈姑一歲生十二子如慈姑之乳諸子故以名之作茨菰者非矣河鳧茈白地栗所以别烏芋之鳧茈地栗也剪刀箭搭槎丫燕尾並象葉形也】

 集解别錄曰藉姑三月三日采根暴乾弘景曰藉姑生水田中葉有椏狀如澤瀉其根黃似芋子而小煮之可啖恭曰慈姑生水中葉似錍箭之簇澤瀉之類也頌曰剪刀草生江湖及汴洛近水河溝沙磧中葉如剪刀形莖幹似嫰蒲又似三稜苗甚軟其色深靑綠每叢十餘莖內抽出一兩莖上分枝開小白花四瓣蕋深黃色根大者如杏小者如栗色白而瑩滑五六七月采葉正二月采根卽慈姑也煮熟味甘甜時人以作果子福州别有一種小異三月開花四時采根功亦相似時珍曰慈姑生淺水中人亦種之三月生苖靑莖中空其外有稜葉如燕尾前尖後岐霜後葉枯根乃練結冬及春初掘以爲果須灰湯煮熟去皮食乃不麻澀㦸人咽也嫰莖亦可食又取汁可制粉霜雌黃又有山慈姑名同實異見草部根氣味苦甘微寒無毒大明曰冷有毒多食發虛熱及腸風痔漏崩中帶下瘡癤以生姜同煮佳懷孕人不可食詵曰吳人常食之令人發脚氣癱緩風損齒失顏色皮肉乾燥卒食之使人乾嘔也

主治百毒產後血悶攻心欲死產難胞衣不出擣汁服一升又下石淋【大明】

 葉主治諸惡瘡腫小兒遊瘤丹毒擣爛塗之卽便消退甚佳【蘇頌】治蛇蟲咬擣爛封之【大明】調蚌粉塗瘙疿【時珍】

   *

原文では、判り難いので、★国立国会図書館デジタルコレクションの「頭註國譯本草綱目 第九册」(鈴木真海訳・白井光太郎他校注・一九七五年春陽堂書店刊)の当該部分(「七七」ページから、次の次の「八〇」ページの一行目まで)の訳を示す。戦後の版であるが、本文は先行する基礎とした旧版に則り、頭注を除いて、歴史的仮名遣で旧字である。字下げ部分は引き上げ、字空けも再現していない。四角囲みは[ ]、割注は【 】とした。人名や一部の書名には傍点「◦」があるが、下線に代えた。学名が斜体になっていないのはママ。また、頭注があるが、適切と判断した箇所に挿入した。図があるが、ここではカットする。

   《引用開始》

慈 姑(日華)和名 くわゐ

         学名 Sagittaria sagttifolia, L. var. suinensis, Makino.

         科名 おもだか科(澤瀉科)

[校正]もとは烏芋の條下に混入してあつたが、本書には分離して記載し、同時に圖經外類の剪刀草を併せ入れた。

[釋名]藉姑【别錄】水萍【别錄】河鳧茈【圖經】白地栗【同上】苗を剪刀草と名ける。【圖經】箭搭草【救荒】槎丫草【蘇恭】燕尾草【大明】時珍曰く、慈姑(じこ)は一根毎歲十二子を生じ、慈姑の諸子を乳する如きだからそれを名としたので、茨菰と書くのは正しくない。河鳬茈、白地栗といふは、烏芋を鳬茈、地栗というと區別するためである。箭刀、箭搭(せんたふ)、槎丫(さあ)、燕尾はいづれも葉の形の形容である。

[集解]别錄に曰く、藉姑は三月三日に根を採つて暴乾する。

弘景曰く、藉姑は水田中に生じ、葉に椏があり、形狀は澤瀉のやうで、その根は、黄で芋子に似て小さい。煮て啖(く)へる。

 曰く、慈姑は水中に生じ、葉は錍箭(ひせん)[やぶちゃん注:弓矢の金属製の鏃(やじり)のことであろう。]の簇(ぞく)に似てゐる。澤瀉の類である。

 曰く、剪刀草は、(1)江湖、及ぴ汴洛(べんらく)の水に近き處、河溝、砂磧(しやせき)の中に生ずる[やぶちゃん注:「(1)」の頭注。『江湖は揚子江中下流域の水系をいう。汴は河南省開封。洛は洛陽。(考定者)』。]。葉は剪刀のやうな形で、莖、幹は嫩(わか)い蒲に似てゐる。また三稜の苗のやうで、甚だ軟い。その色は深靑綠で、毎叢に十餘莖あり、內から一二莖が抽き出て上に枝が分れ、小さい白花を開き、四瓣で蕊は深黃色である。根は大なるは杏ほど、小なるは栗ほどで、色は白くして瑩滑(えいくわつ)である。五六七月に葉を採り、正二月に根を採る。卽ち慈姑である。煮熟すると味が甘甜(かんてん)なもので、世間ではこれを果子に作る 福州(2)にある別の一種は少し異ひ、三月に花を開き、四季共に根を採る。功はやはり相似たものだ[やぶちゃん注:「(2)」の頭注。『福州の旧治は福建省閩侯県。(考定者)』。]。

 時珍曰く、慈姑は淺水中に生じ、一般にもやはり栽培する。三月に苗が生え、莖は靑く、中が空で、その外面には稜がある。葉は燕尾のやうで、前が尖つて後が岐(わか)れ、霜後に葉が枯れる。根は連結したもので、冬、及び春初に掘り、それを果にする。灰湯で煮熟して皮を去つて食へば麻澀せず、人の咽を刺戟しない。嫩莖(とんけい)もやはり煠(に)て食へるものだ。又、取つた汁は粉霜、雌黃を制し得る。又、山慈姑といふのがあるが、名は同じだが實は異ふ。草部に記載してある。

(3)[氣味]【苦く甘し、微寒にして毒なし】大明曰く、冷にして毒あり。多食すれば虛熱、及び腸風、痔漏、崩中、帶下、瘡癤(さうせつ)を發する。生姜(しやうきやう)と共に煮るが佳し。妊婦は食つてはならない。

 曰く、吳地方では常にこれを食ふ。人をして脚氣、癱緩風(なんくわんふう)[やぶちゃん注:身体の各所に起こる軽度の麻痺。]を發し、齒を損じ、顏色を失ひ、皮肉乾燥せしめる。卒(にはか)に食へば、人をして乾嘔せしめる[やぶちゃん注:「(3)」の頭注。『成分 根茎にglucose, fructose, saccharose, raffinose, stachyose などの糖と多量のデンプンを含む。“Chemotaxonomie der Pflanzen”Ⅱ, 49(秦)』とある。「秦」は校定者の一人である薬学博士秦清之氏を指す。]。

[主治]【百毒、產後の血悶で攻心して死せんとするもの、難產、胞衣不出には、擣汁一升を服す。又、石淋を下す】(大明)

[主治]【諸惡瘡腫、小兒の遊瘤[やぶちゃん注:オデキ・疣、皮膚の下に生ずる良性腫瘍であるアテローム(Atheroma:私は非常に出来易い体質で、二十代の初めに真皮層まで食い込んで、手術で除去した経験がある)を指す。]、丹毒には、擣爛[やぶちゃん注:「つきただ」。]らして塗る。直ちに消退して甚だ佳し】(蘇頌)蛇蟲(4)を治するには、擣爛らして封ずる(大明)【蚌粉(はうふん)[やぶちゃん注:淡水二枚貝の殻を粉末にしたもの。]を調へて瘙疿(さうひ)[やぶちゃん注:湿疹・発疹や、それらの熱を持ったものと思われる。]に塗る】(時珍)[やぶちゃん注:「(4)」の頭注。『「蛇虫を」は「蛇虫の咬傷を」に正す。(考定者)』。]。

   *

以上を見るに、「本草綱目」の記載は、「澤瀉」に似ていて、その類であることが、一貫して語られてあり、しかも、前項で述べた通り、「本草綱目」は「澤瀉」を立項していないことから、現行の分類学と違和感が全く認められないと言ってよい。

 ところが、良安の評言部では、

「慈姑(くわい)の苗(なえ)を、俗に、「於毛太加(おもだか)」と名づく。」と言い、「その根を、『白久和井(しろくわい)』名づく。」とし、「単葉(ひとえ)の小さな白い花を開く」とするのである。

 しかし、本邦で言う「於毛太加(おもだか)」は、漢字表記「沢瀉・澤瀉・面高」で、

単子葉植物綱オモダカ亜綱             オモダカ目オモダカ科オモダカ属オモダカ Sagittaria trifolia であり、

 本邦で言う「慈姑(くわい)」は、正しく、

オモダカ属オモダカ品種クワイ Sagittaria trifolia L. 'Caerulea'

である。

ところが、良安の言う「白久和井(しろくわい)」というのは、

単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ科ハリイ属シログワイ Eleocharis dulcis

であり、全くの明後日の別種なのである。今回は、前とは別の、英文の“Wikimedia Commons”の“Search media”の“Eleocharis dulcis”の画像をリンクする。そこには、如何にもなシュンと伸びた稲っぽい葉、その先の、ややむっくりした穂先、而して、開花した花は、確かに白いが(グーグル画像検索「稲の花」よりも「花」らしくないと私は思う)、ショボショボとちょろちょろと糸状に出たもので、これを自信を持って「白い花」と言上げする気は、私には、ない。しかも、「オモダカの白い花」(グーグル画像検索“Sagittaria trifolia flower”)を知っているなら、「これ! ゼンゼン!! チャウでぇ!!!」と呆れかえること、請け合いであろう。

 さて、まずは、立項されていない正統のウィキ「オモダカ」を引く(注記号はカットした。太字・下線は私が附した)。『オモダカ(沢瀉・澤瀉・面高、学名: Sagittaria trifolia L.)は、オモダカ科オモダカ属の水生植物である。ハナグワイ、サンカクグサ、イモグサ、オトゲナシなど多くの別名がある。オモダカの語源は』、『はっきりとはしておらず、人の顔に似た葉を高く伸ばしている様子を指して「面高」とされたとも、中国語で湿地を意味する涵澤(オムダク)からとられたとも言われる』。『アジアと東ヨーロッパの温帯域から熱帯域に広く分布し、日本でも各地で見られる。水田や湿地、ため池などに自生する』。『春に、種子と塊茎から発芽する。発生初期は線形の葉をつけるが、生長が進むと矢尻形をした葉をつける。葉の長さは最大で』六十センチメートル『ほどになるが、葉の形態は種内変異に富む。花は単性花で、雌雄同株、白い花弁を』三『枚つける。楕円形の種子には翼をもつ。また種子のほかに、地中に伸ばした地下茎の先に塊茎をつけ、それによって繁殖する。染色体数は2n=22』。

以下、「類似種」の項。『同じオモダカ属のアギナシ』(オモダカ属アギナシ Sagittaria aginashi )『とよく似ているが、アギナシは根元に粒状の球芽(むかご)を多数形成する一方で』、『地下には走出枝を出さないが、オモダカは走出枝を出し、球芽をつけることはないため、草体を引き抜けば』、『区別できる。そのほか、アギナシの花は葉より高い位置につくという傾向や、オモダカでは矢尻型の葉の先が尖るのに対して』、『アギナシでは先が丸みを帯びるという点も異なるが、花の位置や葉の形態には変異が大きく』、『決め手とはなりがたい。また、アギナシは「顎無し」の名の通り、矢尻型でないヘラ状の葉をつけることも多いが、同様の葉はオモダカでも見られるため、ヘラ状の葉の有無では区別できない』。

以下、「人間との関係」。『日本では昔から愛されている花で、平安時代には蒔絵の紋様にも描かれた。源平の武士たちの武具や衣服にもよく登場する』。『オモダカは観賞用に栽培されることもあるが、通常』、『利用されることは少ない。前述のように』、『種子のほかに塊茎でも繁殖するため、難防除性の水田雑草として扱われることもある。ただし、オモダカの栽培変種であるクワイは、塊茎が肥大化して食用となるため』、『栽培され、おせち料理などに利用される。クワイはその外形から「芽が出る」ことを連想させるため、縁起物として扱われる。日本では、オモダカの葉や花を図案化した沢瀉紋(おもだかもん)という種類の家紋がある』とあった。

 次に、本項のメインであるウィキの「クワイ」を引く(同前)。『クワイ(慈姑、学名:Sagittaria trifolia L. 'Caerulea')とは、オモダカ科オモダカ属の水生多年草である、オモダカの栽培品種である。別名として、田草、燕尾草(えんびそう)、クワエが知られる。日本では食用に栽培されてきた歴史が古く、また葉の形が独特なため、地域により様々な呼び方がされている』。『和名の「クワイ」の語源には諸説が有り、定かではない。以下のような説が知られる』。

■『葉の形状が鍬に似ているため、「鍬の刃の形をした植物のいも」から「くわいも」となり、転訛した。新井白石の』「東雅」『にて紹介されている説』。

■『水中植物のイモから、川芋』/『河芋(かわいも)となり、転訛した』。

■『食用になるイグサ』(イネ目イグサ科イグサ属イグサ Juncus decipiens :藺草・井草・イ草。但し、正式和名は、ただ「イ」である)『の意から「くわれい」となり、転訛した。大槻文彦の』「大言海」『にて紹介されている説』。

■『若い栗の味に似ているから「クワイグリ」となり、転訛した』。

なお、『漢語表記の「慈姑」は』「本草綱目」『などで確認ができ』、『以下のような説が存在する』。

◆『種芋の周囲に出た地下茎の先端に芋のつく状態が「慈悲深いしゅうとめが乳を与えている」のに似ていることから』前項の「烏芋」の引用部を参照)

◆一『年に』一つの『根から』十二『の芋が出来るクワイの姿が「慈しみ深い(慈愛)母 (姑)が子供たちを養育する姿」に似ていることから』(同前)

但し、『標記の「慈姑」と日本語読みの「クワイ」との間の語源的関係性は、確認されていない。なお、 日本現存最古の薬物辞典である』「本草和名」や「和名類聚鈔」『では「久和井」や』「久和爲」『の表記で紹介されている』。ただ』、「和名類聚鈔」『では、クワイとクログワイとが混合して紹介されている』。

   *

「和名類聚鈔」「卷十七」の「菓蓏部第二十六」「芋類第二百二十四」」の以下である。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年版の当該部を参考に訓読して見ると、

   *

澤寫(ナマヰ) 「本草」に云はく、『澤寫、一名、「芒芋」。』【和名、「奈萬井」。】≪と≫。

烏芋(クワヰ)    蘇敬が「本草注」に云はく、『烏芋は』【和名、「久和井」。】『水中に生ず。澤寫の類なり。』≪と≫。

   *

因みに、前の「澤寫」は、イグサとオモダカが分類上、明確に分離する前のものなのかも知れない。以下、引用に戻る。

   *

以下、「分布」の項。

『クワイはアジアを始め、ヨーロッパ、アメリカなど、世界中の温帯から熱帯に広く分布する。野生種のオモダカは東南アジア原産とされているが、栽培品種のクワイは中国で作られた。このため、クワイの原産地は、中国とされている。なお、野菜として栽培されている地域は、中国と日本に限られる。日本では、江戸時代から盛んに栽培されていた』。

『単子葉の多年生の水生植物で、草丈は』一・一〇~一・二五『メートル』『程度に成長する。葉は、長さ』三十センチメートル『の切り欠きが無い矢尻形で、葉身の内部は海綿状の組織になっている。匍匐茎は茎の各節から発生し、長さ』六十~八十センチメートル『まで伸びる。匍匐茎にも節が見られ、そこから二次匍匐茎が』二~三『本』、『発生する。匍匐茎の先端部には塊茎が着生し、原種のオモダカに比べて、より大きな塊茎がつく。塊茎は青味を帯びて水平に節輪が見られ、薄い鱗片に包まれて、先端部に長さ』五~六センチメートル『の頂芽がつく。雌雄異花。円錐花序を出して、白い花弁の有る花がつく。花後は』、『ほとんど結実しない』。『クワイの栽培は、水田で行われる。クワイの発芽は、植え付けが行われる』七『月上旬頃で、発芽温度は』摂氏十三度『から』十五度『以上である。クワイの生育経過は、発芽から葉数増加期の栄養生長期(』七~八『月)と、匍匐茎発生から塊茎肥大期までの生殖生長期(』八『月下旬』~十一『月中旬)に分けられる。栄養生長期における生育適温は』二十度『から』三十度『であるが、葉数の増加する速度は温度に影響され、高温条件で促進される。生殖生長期における匍匐茎の発生は、本葉が』十四~十五『枚』、『展開した後で行われ、その後茎葉の展開ごとに匍匐茎が』一『本発生する。匍匐茎の伸長が終わると』、二『枚の苞に包まれて塊茎を形成するが、昼間の時間が短くなり』、十五度『くらいの低温に遭うと、肥大が開始される。茎葉は霜に遭うと』、『枯死するものの、水面下では塊茎の肥大が晩秋まで行われる』。

以下、「種類」の項。

『クワイの栽培品種は、青藍色の青クワイ、淡青色の白クワイ、小粒の吹田クワイの』三『種類が有り、いずれも水田で栽培される。植物学者の牧野富太郎は、渡来系とは別に日本で栽培品種化されたオモダカの変種として学名を与えている』。

□『青クワイ』:『日本で栽培されている主流の品種で、草丈はやや低く、葉は中葉で緑色。塊茎は偏球形で外皮が青色を帯びる。青クワイのうち、塊茎の底が平らな系統を「新田クワイ」、やや腰高で円球系の系統を「京クワイ」と区別する。ほくほくとした食感が特徴である』。

□『白クワイ』『中国で多く栽培される品種で、日本ではほとんど見られない。草丈は高く、葉は大型で淡緑色。塊茎は白色を帯び、円球形で、青クワイに比べて肉質がかたく、シャリシャリとした食感が特徴である。味は淡泊で苦味が強い。中華料理の材料に利用される』。この「白クワイ」は、前掲した正式和名の「シロクワイ」と同一である。従って、基本定義であるオモダカの変種とは全く異なるイネ科のものであるしかし、ウィキには別に「シログワイ」があるのだが、この短い「白クワイ」の記述との関係性が全く示されておらず、非常に問題がある。さらに、そちらのウィキには、『中華料理で俗に黒慈姑(くろぐわい)と言われるものは、和名を

オオクログワイ(別名: シナクログワイ、学名: E. dulcis var. tuberosa

といい、シログワイの栽培品種である』と、またまた、別種が紹介されているのである。この悩ましい紛らわしい和名といい、別種起源といい、痙攣的状態をなんとかしないといかんのではあるまいか?!?

□『吹田クワイ』『クワイの野生種のオモダカに最も近い品種で、塊茎は小型であるが肉質が緻密で苦味が少なく、食味が良いとされる。オモダカの』一『系統とも言われている』。

以下、「歴史」の項。『クワイが日本に渡来した時期は不明であるが』、八『世紀の奈良時代には、日本にも存在していたと考えられている。江戸時代に生産と利用が盛んになり、主産地は京都、大阪、江戸周辺と考えられているが、その実態については、あまり解明されていない。江戸時代中期の天明の大飢饉には、救荒作物としての役割を果たしている』。『明治時代は、京都、大阪、埼玉、東京、茨城、千葉が、日本における主な生産地だった。昭和の太平洋戦争中は戦時下の統制品の』一『つになり、クワイ栽培は抑制された。戦後は栽培が復活したものの、都市化が進展して都市部での水田の減少に伴い、戦前よりも栽培面積は縮小した』一九七〇『年から』、『日本で開始された稲作転換政策により、転換作物としてクワイの作付面積が、日本では一時的に増えたが、その後は少しずつ減少を続けている』。『生育期間中の圃場を冠水状態にすることが重要で、水利の便が良いことが栽培に必要な条件である。土壌は泥炭土、細粒グライ土』(gley soil:常に地下水面が地表近くにある低湿な沖積地の土壌)『の半湿田が適しており、黒ボク土』(我々が小さな頃から馴染みの「くろつち」と呼んでいる火山灰土と腐植で構成された土壌)『や砂質土では』、『収量が落ちる。気象条件は、全期間を通して温暖であること、塊茎肥大期に』一『日の気温の差が大きいほど、充実した良い塊茎ができる。日本では、関東南部以南が栽培適地である』。『クワイの植え付けは、前年に収穫して冷蔵保存しておいた塊根を使うが、植え付け』一『週間前に冷蔵庫から取り出し、直射日光には当てず、乾燥しないように外気に慣らす。クワイ畑は』四『月に耕して』、六『月下旬から』七『月の植え付けの』二『週間前に水を張り、代かきをして水田のようにしてから塊根が植え込まれる』。二『週間後には、オモダカに似た葉が出て』、七『月下旬頃から』九『月にかけて、茎葉が旺盛に生長する。この生長期の間に、追肥と、茎葉を適度に間引く「葉かき」、地下茎を一部切断する「根回し」を行うことにより、根茎が充実して大きさも揃うようになる。また』、『水の管理も重要で、植え付け直後と秋期は水深』五センチメートル『の浅水、生長期の夏場は』六~九センチメートル『のやや浅水で、水を切らさないように管理が行われる。晩秋に気温が低下して葉が霜枯れするようになると、塊根の肥大が止まって収穫期を迎える』。『収穫方法はレンコンと同様で、動力ポンプを使った水圧で、水面下の泥の中の根茎を掘り起こして、水面に出てきた根茎を茎から切り離し、芽を傷付けないようにして収穫する。もしくは、水を落として地上部は刈り取り、収穫まで一旦は圃場を冠水状態にして、収穫する際に水を完全に落としてから根茎を掘り採る方法が行われる。翌年に植え付けるために確保する種球は、地下穴に貯蔵する室(むろ)貯蔵、または冷蔵庫貯蔵によって行われる』。『病虫害は、生育中期に発生する赤枯病や葉枯病』、九『月以降のアブラムシなどが知られており、収量に大きく影響する。植え付け直後は、カルガモによる食害を受ける場合も有る』。『連作障害は少ないが、赤枯病が発生した圃場での連作は忌避される』。『日本における主要な生産地は、広島県と埼玉県の』二『県で市場の』八『割以上を占める。生産量日本一は広島県福山市で、昭和初期にイグサの後作として広まり』、一九五五『年頃に特産品として定着した。需要が多い正月に合わせて栽培されるため』、十一『月下旬から』十二『月にかけて出荷のピークを迎える。作型の分化は、ほとんど見られず、一部で植え付け時期を早めた早熟栽培(』九~十『月出荷)が行われている』(以下、他の産地が示されるが、カットする)。

以下、「利用」の項。『欧米では観賞用が主である。日本と中国では塊茎を食用とし、特に日本では「芽(目)が出る」につながる縁起の良い食物と評され、煮物にしておせち料理などで食べられる習慣があるため、世界でも日本で最も普及している』。『食材としての旬は』十一『月から』四『月にかけてで、芽がきれいな形に伸びて、全体にツヤが有る物が、市場価値の高い良品とされる。芽が出た姿を活かして、芽は先端を斜めに切って残し、塊茎は底の部分を薄く切って整えたら皮をむいて水に曝し、アクを抜いてから調理する。シュウ酸』(蓚酸:oxalic acidHOOCCOOH:ご存知とは思うが、ホウレンソウに多量に含まれている。シュウ酸を過剰に摂取すると、血液中でカルシウムと結合し、結石などを生ずることがあることから、本邦では、「毒物及び劇物取締法」によって「劇物」(「毒物」ではない)に指定されている)『を含むので特有の苦味が感じられるため、これを除くために米のとぎ汁で』、『一度』、『茹でこぼすのがよい。クリやユリ根に似たほのかな甘味とほろ苦さが感じられ、含め煮にして』、『ほっくりとした食感を楽しむのが一般的である。他に、揚げ物、鍋物にも使う。加工品としては、クワイチップスや、クワイ焼酎が知られる』。『栄養素は炭水化物が多く、可食部』百『グラム』『当たりの熱量は約』百二十五『キロカロリー』『と、野菜類の中では最も高く、サツマイモに匹敵する。炭水化物の他にカリウム、葉酸、カテキンなどを含む。特に、体内の余分なナトリウムを排出する働きがあるカリウムが』百グラム『中に』六百『ミリグラム』『と極めて高い。リン』『と亜鉛』『も比較的豊富である』。『ビタミン類では、ビタミンB1とナイアシン(ビタミンB3)、葉酸(ビタミンB9)などのビタミンB群が多い。野菜としてはタンパク質の含有量が少ない点が特徴である。強い灰汁はポリフェノール類で、抗酸化作用が期待できる』。『埼玉県は広島県に次ぐ日本の都府県で』二『位の収穫量を上げてきた。しかし、宅地開発などが進み、近年は収穫量が減少方向にある。埼玉県内最大の生産地である越谷市では、地元の研究会がクワイを使った地ビールを世界で初めて作るなど、クワイの普及活動に努めている。越谷市商店会連合会ではクワイを使った「縁起コロッケ」のご当地グルメ化を図っている』。『一方で、日本の都府県で最多の収穫量を上げてきた広島県福山市では、スナック菓子の「くわいっこ」や、くわい焼酎「福山そだち」が売られている』。『また大阪府吹田市では、吹田くわいを使った、くわい焼酎「芽吹」が売られている』とある。]

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