阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「椎田池の怪」
[やぶちゃん注:底本はここから。段落を成形し、句読点・記号を変更・追加した。]
「椎田池《しひだいけ》の怪《くわい》」 安倍郡慈悲尾村《しひをむら》、椎田池にあり。
「風土記」云《いはく》、
『安倍郡、椎田池、出二美石一。和銅元年戊中、自二三月一至二五月一地底鳴、晝夜百餘度、恰如二地震一、五月望ノ夕、有二黑牛一出二池底一負二一顆之玉一其玉照二四邊一、後以二其牛一献ㇾ京、家路程不ㇾ堪ㇾ暑、至二白須計渡一艷斃死。號二其處一曰二牛瀨一、今猶存焉。云云。』。
「巡村記」云《いはく》、
『椎田の池は、椎之尾【今、「慈悲尾《しいのを》」に作る。】の奧の「奧田か[やぶちゃん注:「が」。]谷」と云所《いふところ》にあり。云云。』。
[やぶちゃん注:最初に漢文部を推定訓読する。一部の読点を句点に代えた。
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安倍郡(あべのこほおり)、椎田池(しひのいけ)、美しき石(いし)を出だす。和銅元年戊(いぬ)の中(うち)、三月より五月に至り、一地底(ち の そこ)、鳴(なり)、晝夜(ちうや)、百餘度(ひやくよたび)、恰(あたか)も地震(なゐ)のごとく、五月望(もち)の夕(ゆふべ)、黑牛(くろうし)、有り、池の底より出で、一顆(いつくわ)の玉(ぎよく)を負ふ。其の玉、四邊(しへん)を照らす。後(のち)、其の牛を以つて、京に献ず。家路(いへぢ)[やぶちゃん注:ここでは「道中」の意。]の程(ほど)、暑さに堪へず[やぶちゃん注:主部(主語)は牛。]、白須計渡に至りて斃死(へいし)す。其の處を「牛瀨」と號し、今、猶ほ、存す。云云(うんぬん)。
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「安倍郡慈悲尾村」前項「法明寺楠」に出た、現在の静岡市葵区慈悲尾(しいのお)。
「椎田池」この名の池は、現在の静岡県にないばかりでなく、江戸時代以前にも認められない。以下に示した「駿河國風土記」にも、ない。しかし、「人文学オープンデータ共同利用センター」の「くずし字データベース検索」で、「鯨」と「椎」の字を見ると、中に「日本古典籍データセット」の「雨月物語」の「鯨」の崩し字と、「物類稱呼」の「椎」の崩し字を比較してみると(ルビで容易に判る)、かなり似ていると感じる。崩し方が乱暴だと、判読を誤る可能性は、非常に高いと私は感ずるのである。更に言えば、「田」は、その崩しのひどい物では、同前で、「比翼連理花迺志滿臺」の「田」の中が、見事に「の」に見えるのである。
「風土記」既出既注の正規の「風土記」ではない、怪しいもの。因みに、国立国会図書館デジタルコレクションの「駿河國新風土記」(第六輯・三階屋仁右衛門道雄著・文政一三(一八三〇)年記・修訂足立鍬太郎訂・昭和九(一九三四)年志豆波多會刊・★謄写版★印刷)のここにある「鯨池」の記載の中に、本篇の怪異への言及がある。活字化する。標題の四角囲みは、[ ]とした。中間部の当該部に下線を附した。
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[鯨池] 𢌞り[やぶちゃん注:「めぐり」。]三十余町[やぶちゃん注:三・二七八キロメートル超え。]水底深くして鯉鮒の類多く又菱[やぶちゃん注:私の古い「大和本草卷之八 草之四 水草類 芰實(ひし) (ヒシ)」、及び、最近の仕儀である「和漢三才圖會卷第九十一 水果類 芰」を参照されたい。]を生する[やぶちゃん注:ママ。「生(しやう)ずる」。]こと夥し村民其實[やぶちゃん注:「み」。]をとりて食料とす里俗の諺に云此池の主[やぶちゃん注:「ぬし」。]は班牛[やぶちゃん注:「まだらうし」。]なり其牛一眼を損して片眼[やぶちゃん注:「かため」。]なりし故にこの池の魚一眼小[やぶちゃん注:「ちさき」。]なりと云道推𭢀ずるに[やぶちゃん注:「𭢀」「按」の通字の意を一つ持つ別字漢語。]風土記本郡[やぶちゃん注:「ほんこほり」。この項は、「安倍郡」「二」のパート内である。旧安倍郡(あべのこほり)は、駿府城を含む現在の、概ね、葵区に相当する。]椎田池の條池底[やぶちゃん注:「いけぞこ」。]より一黒牛の出し[やぶちゃん注:「いでし」。]ことを載[やぶちゃん注:「のす」。]池中に牛の住し[やぶちゃん注:「すみし」。]事疑ふべからず又今もたまさかにこの池の邊[やぶちゃん注:「ほとり」。]にて牛を見るものありと云り[やぶちゃん注:「いへり」。]
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この「鯨池」は「鯨ヶ池」として、安倍川左岸の、ここに現存する。而して、実は、本書では、「神木鳴動」、及び、「桃澤池奇怪」で問題にしている。しかし、現在の「鯨ヶ池」は池の岸を実際に計測してみると、一・一七キロメートルしかない。その先行する二記事で考証してみたところ、恐らく、江戸時代と明治期までは、この池、及び、そこから、南南東位置に沼沢が広く存在した可能性が得られた。
以上から、私は、
この「椎田池」は「鯨の池」=「鯨ヶ池」の誤判読である
と、断定するものである。大方の識者の御叱正を俟つものである。]
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