和漢三才圖會卷第九十二之本 目録 草類 藥品(2) 六陳
りくちん
六陳
狼毒 枳實 橘皮 半夏 麻黃 吳茱萸
陶隱居曰六種皆須陳久者良其餘須精新也
大黃 木賊 荆芥 芫花 槐花
李果曰是等亦宜陳久不獨六陳也
[やぶちゃん字注:「李果」は「李杲」の誤記。東洋文庫訳では、直されてある。訓読文では、訂した。]
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りくちん
六陳
狼毒《らうどく》 枳實《きじつ》 橘皮《きつぴ》
半夏《はんげ》 麻黃《まわう》 吳茱萸《ご》
陶隱居が曰《いはく》、「六種、皆、陳(ふる)く久しき者を須(もち)いて[やぶちゃん注:ママ。]、良し。其《その》餘《よ》は、精-新(あたらし)きを須《もちふ》なり。」≪と≫。
大黃《だいわう》 木賊《もくぞく/とくさ》
荆芥《けいがい》 芫花《げんくわ》
槐花《くわいくわ》
李杲《りかう》が曰く、「是等も亦、陳久《ちんきゆう》、宜《よろ》し。獨り、『六陳《りくちん》』のみならざるなり。」≪と≫。
[やぶちゃん注:以上の訓読は、ブラウザの不具合を考え、一行字数を減じた。
「六陳」「ユンケル」公式サイトの「陳皮」のページの「豆知識」に、『陳皮の陳は「古い」という意味の漢字です。生薬の伝統的な考え方の一つに「六陳」というものがあります。生薬を選ぶときには古く熟成した方が良いものと、新しく鮮度がある方が良いものがあり、「古い方が良い代表的な』六『種類の生薬」が「六陳」です。「六陳」には陳皮のほか、呉茱萸・枳実・半夏・麻黄・狼毒があるとされます。これらの生薬には、強烈で刺激が強い成分が含まれているため有毒ですが、時間の経過により、安全で効き目の高い成分に変化します。ミカンの皮をそのまま食べたら、苦くて気持ち悪くなってしまった』……『そんな経験はありませんか?』 『なお、古ければ良いというわけではなく、陳皮であれば』、一~二『年の熟成が良いとされています。これ以上経つと、薬効成分も減り、効果が失われてしまうのです。ただの「古い皮」ではなく、手間暇かけて一番良い所で選ばれたのが「陳皮」というわけです』とある。
「狼毒」「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイト内の「生薬の玉手箱 | 狼毒(ロウドク)」によれば(非常に詳しく、長いが、有毒物であるので、私のポリシーから、概ね、引いておいた。ピリオド・コンマは句読点に代えた)、キントラノオ目『トウダイグサ』(燈台草)『科(Euphorbiaceae)』トウダイグサ属『の Euphorbia pallasii 』(ヒロハタカトウダイ(広葉高燈台))・『 E. fischeriana 』(ウィキの「タカトウダイ」(高燈台:Euphorbia lasiocaula )では、前者のシノニムとする)・『 E. ebracteolata 』(マルミノウルシ(丸実野漆))『などの根を乾燥したもの』で、『狼毒は』「神農本草經」『の下品に収載され』、「咳逆上氣を主治し、積聚、飲食、寒熱水気を破り、惡瘡、鼠廔、疽蝕、鬼精、蠱毒を治し、飛鳥,走獸を殺す。」『とその効用が記されています。実際にオオカミ対策に使用したかどうかはわかりませんが、狼毒は』「神農本草經」『に記された薬効からはかなりの猛毒薬であったことがうかがえます。その有毒性を利用したとすれば』、『同効の様々な毒草が利用されたことが想像され、そのためか』、『古来』、『異物同名品が多く存在していたようです』。「圖經本草」『に描かれた石州狼毒の図は根頭に茎が叢生していることからは、Stellera 属』(アオイ目ジンチョウゲ科 Thymelaeaceae)『ともEuphorbia属とも受け取れますが、花の形はどちらかと言うとEuphorbia属に似ています』。『明代になると李時珍は「今の人は住々草䕡茹』(そうろじょ:本邦の現行では、トウダイグサ属ノウルシ(野漆) Euphorbia adenochlora:ムクロジ目ウルシ科Anacardiaceae或いはウルシ属 Toxicodendron の真正のウルシ類とは無縁なので注意されたい)『をこれにあてるが、誤りである」といっています。この草䕡茹は』「本草綱目」『の記文からも明らかに Euphorbia 属のもので,この頃の狼毒の主流はEuphorbia 属であったようです』。『清代の』「植物名實圖考」『には「本草書の狼毒は皆はっきりしない(中略)滇南に土瓜狼毒がある」と記され、また、草䕡茹の項に「滇南では土瓜狼毒と呼ぶ」とあり、このものは Euphorbia prolifera であるとされています。ところが、一時期』、『日本に輸入されていた香港市場の狼毒は』、『これらの植物とは全く異なり、サトイモ科』Araceae『のクワズイモ Alocasia odora の地下部を基源とするものでした。これは』「植物名實圖考」『の狼毒の項に』「紫莖南星を之に充てる」『と記されているサトイモ科の天南星の類( Arisaema 属植物)のものと考えられ、それが次第に飲片』(いんぺん:漢方で煎じ薬用の薬を指す)『の形状がよく似て』、『収量の多いクワズイモに代わったとされています』。『以上の三つの科にまたがる原植物は形態的にはかなり異なります。Euphorbia 属には白い乳液があり、Stellera 属は小さいが』、『きれいな花を咲かせ、クワズイモは他に比べると』、『はるかに大型になる』、『などです。それらに共通する有毒性が』、『この生薬の本質であるとすれば、やはり有害動物対策に使用されたことが考えられます。蒙古では今でも』、『オオカミを駆除するために動物の肉に有毒物質を混ぜて利用すると聞きます。オオカミがいない南方の地では殺鼠剤として使用されていたのでしょうか』。『現在、狼毒は専ら外用薬としてリンパ腫脹や疥癬などに用いられますが、内服薬としては、逐水、去痰、消積などの作用があるとされ、心下が塞がっておこる咳嗽、胸腹部の疼痛などに他薬とともに用いられます』。『実は、狼毒は正倉院の』「種々藥帳」『に記載があり、奈良時代には既に渡来していたようです。現在では稀用生薬ですが、当時は重要な生薬の一つであったものと考えられます。今では現物が失われて原植物が何であったかは定かではありませんが、時代から考えると Stellera 属であったように思われます。鑑真和尚が敢えて日本にもたらす薬物の中に狼毒を選んだと考えると、今となっては窺い知れない何か別の理由があったようにも思われます』とある(先行する「第八十七 山果類 橘」の私の注から転写した)。
「枳實」先行する「卷第八十四 灌木類 枳殻」の中の「枳實」の本文、及び、私の注を参照されたい。
「橘皮」先行する「卷第八十七 山果類 橘」の、本文及び私の「枳実」の注を見られたい。
「半夏」前回で既出既注だが、転写すると、単子葉植物綱ヤシ亜綱サトイモ目サトイモ科ハンゲ属カラスビシャク Pinellia ternata のコルク層を除いた塊茎。嘔気や嘔吐によく使われる生薬である。私の「耳囊 卷之七 咳の藥の事」も参照されたい。
「麻黃」中国では、裸子植物門グネツム綱グネツム目マオウ科マオウ属シナマオウEphedra sinica(「草麻黄」)などの地上茎が、古くから生薬の麻黄として用いられた。日本薬局方では、そのシナマオウ・チュウマオウEphedra intermedia(中麻黄)・モクゾクマオウEphedra equisetina(木賊麻黄:「トクサマオウ」とも読む)を麻黄の基原植物とし、それらの地上茎を用いると定義している(ウィキの「マオウ属」によった)。また、漢方内科「証(あかし)クリニック」公式サイト内の「暮らしと漢方」の「麻黄…エフェドリンのお話」が非常に詳しいので、見られたい。
「吳茱萸」先行する「卷第八十九 味果類 呉茱萸」の本文と私の注を参照されたい。
「陶隱居」六朝時代の梁の医学者・科学者にして道教の茅山派の開祖でもある陶弘景(四五六年~五三六年)の自称。彼の「名醫別錄」(全七巻)は「本草綱目」で頻繁に引かれている。
「大黃」タデ目タデ科ダイオウ属 Rheum の根茎の外皮をり去って乾燥したもので、健胃剤・潟下剤とする。「唐大黄」と「朝鮮大黄」との種別がある
「木賊」シダ植物門トクサ綱トクサ目トクサ科トクサ属トクサ Equisetum hyemale (漢字表記:「砥草」・「木賊」)全草を乾燥したもの。「株式会社 ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 | 砥草、木賊(トクサ、モクゾク)」に拠れば、『属名のEquisetumは「馬の毛」を意味しており、スギナやトクサは英語ではホーステイル(Horsetail)とも呼ばれています。古代ギリシャの植物学者ディオスコリデスがミズドクサの水中にある茎に生じる黒い根にちなんでつけた名に由来します。トクサの仲間は古くから薬用としても利用されてきましたが、古来』、『麻黄との混乱が見られる薬物です』(☜)。『「木賊」の名は』「嘉祐本草」(本来は北宋末の一〇九〇年頃に、成都の医師唐慎微が「嘉祐本草」と「圖經本草」を合はせ、それに約六百六十の薬と、多くの医書・本草書からの引用文を加えて作った「經史證類備急本草」の通称。しかし、「證類本草」の語は未刊のまま終わったらしい唐慎微の書に、一一〇八年に艾晟(がいせい)が、それに多少の手を加えたものの刊本である「大觀本草」と、さらに一一一六年に曹孝忠らが、それを校正して刊行した「政和本草」を加えた、内容的に殆んど同一の三書の総称として用いられることの方が多い。以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)『に初見され、「目疾に用いて翳膜を退け、積塊を消し、肝、膽を益し、腸風を療じ、痢を止め、また婦人の水月が断えぬもの、崩中赤白を止める」薬物とされています。掌禹錫は』「嘉祐補註本草」『の中で「木賊は秦、隴、華、成諸郡の水に近い土地に出る。苗は長さ一尺ばかり、叢生するものだ。毎根一幹で花も葉もなく、一寸位ずつに節があって色は青い。冬を凌いで凋まない。四月に採取する」といっており、トクサの形状を記したものと考えられます。また名義については』、『明代の李時珍が「この草は節があって表面が糙澀である。木骨の細工に用い、木を磋』(みが)『き擦れば粗い理が取れて滑らかになる。それ故木の賊というわけだ」と述べています。前漢時代の馬王堆漢墓の埋蔵品の中から「木賊」が見つかっており、古くから薬用とされていたことが推察されます』。『一方、麻黄との混乱も見られ、李時珍は「木賊は中空で節があり、麻黄の茎と似ている。形を同じくし性も麻黄と同じものだ。故にやはり能く汗を発し、肌を解し、火鬱、風湿を升散し、眼目の諸血疾を治す」と述べており、明代には麻黄と混用されていた記載が見られます。「木賊」と「麻黄」の原植物の混乱に関しては『薬史学雑誌』』(二〇〇六年)『に詳細な報告があり』、『それによりますと、麻黄に関する記載の中に「木賊に似ている」とする内容はないが、宋代の』「圖經本草」『に「雄は花がない」との記載がある。マオウ属植物は雌雄異株であり雌花はあまり目立たないが』、『雄花は黄色で目立つことから、この記文は花が咲かないトクサ属植物を指していた可能性が考えられる。また、マオウ属植物の茎には髄があり中実であるのに対して、清代の本草書には「中空である」との記載が多く見られる。同時期の「木賊」の原植物の特徴として「中空」が頻出することからも明らかにトクサ属植物を記したものと判断される』。「本草匯箋」(ほんぞうかいせん)『には「麻黄は中空で細い枝が繁る」との記載から麻黄との混乱はトクサではなくイヌドクサ』(犬木賊)『 Equisetum ramosissimum Desf.であったと考えられ、李時珍の「茎が麻黄に似ている」との記載も茎が太いトクサではなく、細いイヌドクサの方が合致する。また江戸時代の『本草綱目啓蒙』には「舶来の麻黄中にイヌドクサが多く混ざっている」との記載もあり、中国では明代から清代にかけて「麻黄」と「木賊」の原植物の混乱があったため、日本に輸入された麻黄にもイヌドクサが混入していたようです』。『トクサは高さ』一『メートルにもなる植物で、暗緑色の地上茎は分枝せず』、『直立します。茎の先端に楕円体の胞子嚢穂がつきます。トクサ属植物の茎は表面にある無水』珪『酸のせいで』、『ざらついており、トクサでは』、『それが顕著で』、『以前は研磨材として用いられたため』、『「砥草」の和名がついたとされています。イヌドクサはトクサに似ていますが、やや小型で茎が細く節に枝を生じます』。『木賊の含有成分としてパルストリン、ジメチルスルフォンの他、多数のトリテルペンやフラボノイドなどが報告されていますが、もちろん麻黄に含まれるようなエフェドリン』(ephedrine:充血除去薬(特に気管支拡張剤)、又は、局所麻酔時の低血圧に対処するために使われる交感神経興奮剤)『などのアルカロイドは含有されていません。なお、李時珍が記しているように麻黄と同じ効能があるのかどうかに関する研究はないようです。両者は植物学的に余りにも異なる植物ですから』、『検討の余地はなさそうですが、麻黄の資源問題やエフェドリンのドーピング問題などを考えるとき、李時珍の一文が』、『ふと』、『頭をよぎります』とある。
「荆芥」シソ目シソ科イヌハッカ属ケイガイ Schizonepeta tenuifolia で、花穂が発汗・解熱。鎮痛・止血作用を持つ漢方生剤。
「芫花」アオイ目ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属フジモドキ(藤擬) Daphne genkwa の花蕾。豊橋市の漢方薬局「桃華堂」の「芫花(げんか)」に拠れば、「効能・効果」に『①瀉水除湿』、『②逐痰滌飲』、③殺虫療癬』とあり、『フジモドキは中国・台湾原産の落葉樹であり、日本には江戸時代初期に渡来しました。庭や公園などに植栽され、九州では野生化しています。名前に「藤」とついていますが、フジモドキはジンチョウゲ科の植物であり、マメ科のフジとはまったく別の植物です。花の形も似ておらず、どこがフジ「モドキ」なのかというと、おそらく花の色がフジの花に似ていたためにつけられた名前であると考えられています。「チョウジザクラ」という別名もあり、園芸店ではこちらの名前でよく売られていますが、桜の仲間であるチョウジザクラとはまったく別の植物です。他にも「サツマフジ」という名前もあります』。『花の乱れがなく、苦味の強い、香気の高いものが良品とされています。また、新しいものよりも古いものほどよいとされています』。『瀉下薬の中でも作用が非常に激しく、下痢を起こさせ体内の水分を排出させる峻下逐水薬(しゅんげちくすいやく)に分類され、同じような効能を持つ生薬に甘遂(かんつい)、大戟(たいげき)、牽牛子(けんごし)などがあります。峻下逐水薬作用が非常に激しいため、常用はせず、安易な使用は避けるようにと多くの書物に書かれています』。『甘遂・大戟・芫花の中で薬効は甘遂がもっとも強く、大戟がこれに次ぎ、芫花はやや緩やかです。毒性は芫花がもっとも強く、甘遂・大戟はやや緩やかです』。「神農本草經」『の下品に収載されており、古くから逐水薬として使われていました。毒性の強さから、一般的には炒めたりすることで毒性を軽減してから利用されています。利尿作用があり、腹水・浮腫・尿量減少・便秘などに用いられていました。代表的な漢方薬に甘遂や大黄(だいおう)と一緒に配合された舟車丸(しゅうしゃがん)があります』。『去痰・鎮咳作用があり、呼吸困難・咳嗽・胸脇痛などの症状を改善します。特に甘遂・大戟・芫花の』三『つの峻下逐水薬を併用することで、胸水や腹水の治療に用いられます。代表的な漢方薬に十棗湯(じっそうとう)があります。十棗湯は』三『つの峻下逐水薬を併用することによる消耗を抑え、作用を緩和するために大棗(たいそう)』十『個を服用することからこのような名前がつきました』。『駆虫作用があり、虫積(寄生虫)による腹痛に用いられます。頭部白癬症に単味の粉末を豚脂で調整し外用します』。『生薬の配合で混ぜると』、『毒性が強く出やすい組み合わせを「十八反(じゅうはっぱん)」と言います。芫花もこの中に含まれており、配合禁忌とされている生薬に甘草(かんぞう)があります』。『気力・体力が十分ない人に軽々しく使用してはいけません。妊婦には禁忌です』とあった。
「槐花」バラ亜綱マメ目マメ科マメ亜科エンジュ属エンジュ Styphnolobium japonicumの花、若しくは、花蕾を基原とする。同種に就いては、先行する「卷第八十三 喬木類 槐」を参照されたい。同前のサイトの「槐花」のページに、「効能・効果」に『①涼血止血』、『②清肝降火』とし、『エンジュは古くから日本で植栽されている植物です。学名にjaponicaとあり、学名がついた当時は日本原産であると考えられていたようですが、原産は中国です』。『古くは「えにす」と呼ばれており、これが転化してエンジュになりました。「延寿」に通じることから、日本では』、『めでたい木であるとされています』。『若葉は茹でると食べることができます』。『エンジュに似た植物でイヌエンジュ』(マメ科イヌエンジュ属イヌエンジュ Maackia amurensis )『がありますが、こちらは日本の固有種です。育てやすく長命なため、日本全国の街路樹や庭木などとして植えられています。イヌエンジュにはエンジュのような薬効はないと考えられています』。『エンジュは使用部位で生薬の名前が異なります。花を乾燥させたものを「槐花」、花蕾を乾燥させたものを「槐米(かいべい)」または「槐花米(かいかべい)」、果実を乾燥させたものを「槐角(かいかく)」と言います。現在生薬として使われることが多いのは槐花と槐角です。効能はほぼ同じですが、涼血止血(血液の熱を冷まして止血する働き)は槐花の方が優れ、瀉熱下降(熱を冷まして気を下に降ろす働き)は槐角の方が優れていると言われています』。『生薬を採取してから保存期間が短いものほど良品とされる「八新(はっしん)」の一つです。時間が経つほど気味が抜けやすく、効能が落ちてしまうという特徴があります。八新には他にも薄荷(はっか)、菊花(きくか)、桃花(とうか)、赤小豆(せきしょうず)、蘇葉(そよう)、沢蘭(たくらん)、款冬花(かんとうか)があります』。『出血を止める止血薬(しけつやく)に分類され、同じような効能を持つ生薬に三七(さんしち)、仙鶴草(せんかくそう)、地楡(ちゆ)などがあります』。『涼血止血作用があることから、血便・痔出血・鼻血などに用いられます』。『肝の熱を冷ます効果があることから、肝火上炎(かんかじょうえん:精神的ストレスに熱が加わった状態)による目の充血や頭痛・イライラなどに黄苓(おうごん)や菊花と一緒に用いられます』。『成分としてフラボノイドのルチンが含まれています。ルチンはかつてビタミンPとよばれていたビタミン様物質で、毛細血管の働きを安定・強化させることで高血圧・動脈硬化・脳卒中などの予防効果があると言われています。ルチンを主成分とした健康食品も販売されており、槐花はルチンの抽出原料として使われています。ルチンは他にもソバなどにも含まれています』とある。
「李杲」金・元医学の四大家の一人とされる医師李東垣(一一八〇年~一二五一年)。名は杲(こう)、字(あざな)は明之(めいし)、東垣は号。河北省正定県真定の生で幼時から医薬を好み、張元素に師事、その業をすべて得たという。富家であったので医を職業とはせず、世人は危急の際以外は診てもらえなかったが「神医」と称されたという。病因は外邪によるもの以外に精神的な刺激・飲食の不摂生・生活の不規則・寒暖の不適などによる素因が内傷を引き起こすとして「内傷説」を唱えた。脾と胃を重視し、「脾胃を内傷すると百病が生じる」との「脾胃論」を主張、治療には脾胃を温補する方法を用いたので「温補(補土)派」とよばれた。朱震亨(しゅしんこう)とあわせて李朱医学と称された(小学館「日本大百科全書」に拠る))の「食物本草」で知られるが、これは、明代の汪穎の類題の書と区別するために「李東垣食物本草」とも呼ぶ。]
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