和漢三才圖會卷第九十二之本 草類 藥品(4) 有南北土地之異
有南北土地之異
朝廷進御常有不時之花然皆藏土窖中四周以火逼之
故隆冬時卽有牡丹花計其工力一本至十數金此以
難得爲貴耳其不時之物非天地之正也北方花木過
九月霜降後卽掘坑塹深四尺寘花於其中周以草秸
宻墐之春分後發不然卽槁死矣
南方攜入北地者如梅桂梔子之屬尤難過臘至茉莉則
百無一存矣南方閩廣卽茉莉薔薇酴醿山茶之屬皆
以編籬以語西北之人未必信也
有𪾶草却𪾶之草 醉草醒醉之草 宵明草晝暗之草
夜合草夜舒之草物性相反有如此者
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南北、土地の異(かは)り、有り。
朝廷(みかど)へ進-御(たてまつ)るに、常に、不時《ふじ》の花、有り。然《しか》れども、皆、土窖(あなぐら)の中に藏(をさ)め、四-周(めぐり)に、火を以《もつて》、之を逼(せ)むる。故《ゆゑ》に、隆冬《りゆうとう》の時《とき》に、卽ち、牡丹の花、有り。其《その》工力《こうりよく》を計《はか》るに、一本、十數金《じふすうきん》に至る。此《これ》、得難《うがたき》を以《もつて》、貴《とほとき》と爲《す》るのみ。其《それ》、不時の物は、天地の正《せい》に非《あら》ず。北方の花木《くわぼく》は、九月を過ぎ、霜《しも》、降《ふり》て後《のち》、卽ち、坑-塹(あなほり)を掘(ほ)ること、深さ、四尺。花を其《その》中に寘(を[やぶちゃん注:ママ。])き、周(めぐ)りに草-秸(わら)を以《もつて》、宻《みつ》に、之《これを》、墐(ぬりふさ)ぐ。春分の後《のち》に、發(ひら)く。然らざれば、卽《すなはち》、槁-死(か)れぬ。
南方より攜(たづさ)へて、北≪の≫地に入《い》る者、梅・桂《けい》・梔子《くちなし》の屬、尤《もつとも》、臘(しはす)[やぶちゃん注:師走。陰暦の十二月の別称。]を過ぎ難《がた》し。茉莉《まつりくわ》に至《いたり》ては、則《すなはち》、百《ひやく》に一つも、存(そだ)つこと、無《なし》。南方、閩《びん》・廣《くわう》には、卽ち、茉莉・薔薇《しやうび》・酴醿《とび》・山茶(さつき)の屬、皆、以《もつて》、籬(まがき)に編(あ)み、以《もつて》、西《せい》・北《ほく》の人に語るに、未だ、必ず、信ぜざりなり。
𪾶草《ねむりぐさ》と却𪾶《めむりざまし》の草、醉草《ゑひぐさ》と醒醉《ゑひざまし》の草、宵明草《よひあけぐさ》と晝暗《ひるくらし》の草、夜合草《よるあひぐさ》と夜舒《よるひらき》の草、有り。物性《ぶつしやう》の相-反《あひはん》すること、此《かく》のごとき者、有《あり》。
[やぶちゃん注:以上は、最終段に字空けがあるところから、調べたところ、「五雜組」(複数回既出既注。初回の「柏」の注を見られたい)の「卷十」の「物部二」の一節であることが判った。「中國哲學書電子化計劃」のここの、ガイド・ナンバー「79」から「82」までの、抄録である。但し、そこの電子化文は、表記に問題があるので、それを参考に、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の板本(訓点附き)のページ(ここと、ここと、ここ)で修正を加えて、訓読文(訓点に従えない箇所が多くあるので、結果的に私のオリジナル訓読となっている)で以下に示す。冒頭の尊敬の字空けは再現した。
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今 朝廷の進御(しんぎよ)、常に、不時(ふじ)の花、有り。然(しか)して、皆、土窖(どかう)の中に藏(ざう)し、四周(ししう)、火(くわ)を以つて、之れに逼(せま)る。故(ゆゑ)に隆冬(りゆうとう)の時、卽ち、牡丹花(ぼたんくわ)有り。計るに、其の工力(こうりよく)、一本、十數金(じふすうきん)に至る。此れ、得難きを以つて、貴きと爲すのみ。其の實(じつ)は、不時の物は、天地(てんち)の正(せい)に非ざるなり。大率(おほむ)ね、北方の花木(くわぼく)、九月、霜降(しもふり)を過(す)ぎて後(のち)は、卽ち、坑塹(こうざん)[やぶちゃん注:地表に掘られた溝や深い穴。]を掘る。深(ふか)さ、四尺、花を其の中に寘(お)き[やぶちゃん注:入れ置き。]、周(めぐ)らすに、草秸(さうきつ)[やぶちゃん注:稲や麦などから、穂や葉をとり去った藁(わら)。]を以(もつ)てして、密(みつ)に、之れを墐(ぬりふさ)ぐ。春分に、乃(すなは)ち、發(はつ)す。然(しか)らざれば、卽ち、槁死(かうし)す。南方より攜(たづさ)へて、北に入る者、梅(うめ)・桂(けい)[やぶちゃん注:これは「かつら」と訓じてはいけない。「卷第八十二 木部 香木類 桂」の私の注を、必ず、見られたい。]・梔子(くちなし)[やぶちゃん注:双子葉植物綱リンドウ目アカネ科サンタンカ亜科クチナシ連クチナシ属クチナシ品種クチナシ Gardenia jasminoides f. grandiflora (以上は狭義。広義には Gardenia jasminoides )。]の屬、尤(もつと)も臘(らう)を過ぎ難(がた)し。茉莉(まつりくわ)に至りては、則ち、百(ひやく)に一(いつ)も、存すること、無し。
凡そ、花、六出(りくしゆつ)[やぶちゃん注:「雪」の美称。結晶が六弁の花の形に似るところから。]に咲く[やぶちゃん注:送り仮名の二番目を、私が、崩し字として「咲」と掟破りで判読したもの。]者、少(すく)なし。獨り、梔子の花、六出に咲き[やぶちゃん注:前の訓読を勝手に応用した。送り仮名は存在しない。]、其の色・香、亦(また)、皆、殊絕(しゆぜつ)[やぶちゃん注:特に優れていること。秀絶。]、故叚成式[やぶちゃん注:「叚」は「段」の異体字。中・晩唐の詩人にして、怪異記事を多く集録した「酉陽雜俎」の著者として著名。]、謂(いは)く、卽ち、「薝葡花《せんふくげ》」と。楊用修[やぶちゃん注:明の文人楊慎の字(あざな)。]、謂く、卽ち、「楊州瓊花(やうしうけいか)」と。然れども、皆、非なり[やぶちゃん注:調べたところ、現行では、後者の「楊州瓊花」はマツムシソウ目スイカズラ科ガマズミ属ビバーナム・マクロセファラム品種ケイカ Viburnum macrocephalum f. keteleeri に同定されているが、★前者の「薝葡花」の方は、正しくクチナシに同定されてある。]。此の花、閩中(びんちゆう)[やぶちゃん注:古くからの地方名で、福建省中部の三明市(永安市・沙県区)を中心とした地方を指す。ここ(グーグル・マップ・データ)。]に在り、極めて多く、且つ、賤(いや)し。素馨(そけい)[やぶちゃん注:シソ目モクセイ科ソケイ連ソケイ属ソケイ Jasminum grandiflorum 。]と、茉莉と、皆、地を擇(えら)ばずして、生(い)くる者なり。北の方[やぶちゃん注:「方」は送り仮名にある。]、吳楚に至りて、始めて、漸(やうや)く、貴重とするのみ。茉莉は、三吳[やぶちゃん注:三国時代に孫権が長江以南の揚州・荊州・交州に建てた呉王朝(二二二年~二八〇年)。領域は参照した当該ウィキの地図を見られたい。]に在りて、一本、千錢、齊(せい)[やぶちゃん注:呉の後に建国する三国時代の斉(四七九年~五〇二年)。当該ウィキにある地図を見れば、判る通り、現在の中国の南半分に当たる。]に入りては、輒(すなは)ち、三倍の直(あたい)を酬(むく)ふ。而して、閩・廣(かう)[やぶちゃん注:現在の広東省・広西省。]には、家家(いへいへ)、地に植え、籬(まがき)に編(あ)む。木槿と殊(こと)ならず。薔薇(さうび)・玫瑰(まいかい)[やぶちゃん注:バラ目バラ科バラ属 Eurosa 亜属 Cinnamomeae 節混雑種(ハマナス変種)マイカイ Rosa × maikai(= Rosa rugosa var. plena)。ハマナスの八重咲き変種。]・荼蘼(だび)[やぶちゃん注:バラ科トキンイバラ(兜巾茨) Rubus tokinibara 。]・山茶(さんちや)の屬に至りては、皆、以つて、籬(まがき)に編む。以つて、西(にし)・北(きた)の人に語れば、未だ、必ずや、信ぜざるなり。
蜀の孟𭥢(まうちやう)、僭(せん)して[やぶちゃん注:擬(なぞら)えて。]、宮闕(きうけつ)[やぶちゃん注:宮城(きゅうじょう)。]に擬(ぎ)す。成都より四十里、盡(ことごと)く、木芙蓉[やぶちゃん注:アオイ目アオイ科アオイ亜科フヨウ連フヨウ属フヨウ Hibiscus mutabilis の中文名。]を種(う)ふ[やぶちゃん注:ママ。]。秋の時に至る每(ごと)に、鋪(し)くに、錦繡(きんしう)を以つてして、髙下(かうげ)、相照(あひて)らす。左右(さう)に謂ひて曰はく、「眞(まこと)の錦(にしき)の城(しろ)なり。然(しか)も、木芙蓉は極めて長(ちやう)じ易(やす)く、離披(りひ)[やぶちゃん注:花がいっぱいに開くこと。]散漫して、耐ふべからざるに至り、其の衰(おとろ)ふるに及びてや、「殘花敗葉 委藉狼狽して 蕭索(しやうさく)の狀 與(とも)に比(くら)び爲(な)すこと無し 此れ朝菌(てうきん)・木槿(むくげ)何ぞ異ならんや 而して乃(すなは)ち誇りて以つて麗と爲す 其の敗亡や、亦《また》、宜(よろし)からずや」と。
[やぶちゃん注:「蜀の孟𭥢」「𭥢」は「昶」の異体字。孟昶(九三四年~九六五年:現代仮名遣では「もうちょう」)は十国時代の後蜀(国域は当該ウィキの地図を見よ)の第二代皇帝にして、最後の皇帝。事績は当該ウィキを見られたい。]
兗州(えんしう)張秋(ちやうしう)の河邊(かはべ)に「掛劔臺(けいけんだい)」有り。云はく、「卽ち、徐の君(くん)の墓、季札所の劔(つるぎ)を掛ける處なり。臺の下に。草、有り、一(いつ)は豎(たて)、一は橫、人の劔に倚(よ)るの狀(かたち)のごとく、之れを食へば、䏻(よ)く[やぶちゃん注:「能」の異体字。]人の心疾(しんしつ)を癒(いや)す[やぶちゃん注:この「癒」は「中國哲學書電子化計劃」のものに従った。]。余、謂(いは)く、『此の草、它所《たしよ》[やぶちゃん注:他(ほか)の場所。]生ぜずして、獨(ひと)り、掛劔臺[やぶちゃん注:この「掛」は「中國哲學書電子化計劃」のものに従った。]にのみ、豈(あ)に、季子が義氣(ぎき)の感ずる所にして、生(は)えるや。人の心の疾(やまひ)を療(りやう)するの說に至らば、亦、頑(かたくな)を廉(やす)きにし、懦(よは)きを立つるの遺意(いい)に過ぎざるのみ。其の偶然たるや、知らず。抑(そもそも)、事を好む者の附會(ふくわい)[やぶちゃん注:この「附」は「中國哲學書電子化計劃」のものに従った。]するや。余、張秋に在(あ)る時に、所謂(いはゆる)「掛劍草」と云ふ者を覓(み)るに、臺の前後には、乃(すなは)ち、有ること、無し。而して、鄰近の民莊(みんさう)、或いは、之れ、有り。水部(すいぶ)[やぶちゃん注:水利事務を司る機関。]の署中(しよちゆう)[やぶちゃん注:詰め所。]に至り、亦、閒(あひだ)に、數莖(すうきく)、有り。此れ、豈に、掛劍の風(ふう)を聞きて、興起(こうき)する者ものか。一笑に爲(な)すべきなり。』と。
[やぶちゃん注:ここに出る逸話は「史記」の「卷三十一」の「吳太伯世家第一」に載るものである。私はずっと昔に読んだ。御存知ない方は、原文は「ウィキソース」の「餘祭」がそれで、その内容の訳は、「Yahoo! JAPAN知恵袋」のohagitodaihukuさんの回答が非常によいので、見られたい。]
「睡(すい)の草(くさ)」、有り、亦、「却睡(きやくすい)の草(くさ)」、有り。「醉(すゐ)の草」、有り、亦、「醒醉(せいすゐ)の草」、有り。「宵明(しやうめい)の草」、有り、亦、「晝暗(ちうあん)の草」、有り。「夜合(やがう)の草」、有り、亦、「夜舒(やじよ)の草」、有り。物性、相反(あひはん)すること、有此(か)くのごときの者、有り。
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「不時《ふじ》の花」花が必要なのに、思いがけず、予定以外の時季・時刻であるために、必要な花がないさまを指す。
「逼(せ)むる」火で、室(むろ)全体の温度を上げ、花が咲き続けるように保つことを言う。
「隆冬《りゆうとう》」「厳冬」に同じ。
「牡丹の花」ユキノシタ目ボタン科ボタン属ボタン Paeonia suffruticosa。
「其《その》工力《こうりよく》」以上のシステムを保持するための労力や費用。
「不時の物は、天地の正《せい》に非《あら》ず。」この季節外れに用意されるものは、正常な天地の齎すものではない。
「寘(を)き」置き。保管し。
「墐(ぬりふさ)ぐ」「塞ぐ」。伝統的な日本家屋の土壁で知られるように、外気の侵入防止以外に、壁の割れ防止としての役割を主に持つ。
「發(ひら)く」密閉した室(むろ)を開く。
「梅」本邦と同じ。「卷第八十六 果部 五果類 梅」の私の注を見られたい。
「桂《けい》」「卷第八十二 木部 香木類 桂」で、良安は、項目の和訓に「かつら」と記しているから、「かつら」と読んでいると思う。しかし、これは、絶対に「かつら」と読んではいけない。日中では、全く、違うのである。詳しくは、リンク先の私の注を、必ず、参照されたい。
「梔子《くちなし》」本邦と同じ。「卷第八十四 灌木類 巵子」の私の注を見られたい。
「臘(しはす)」「臘月(らうげつ)」(ろうげつ)は旧暦十二月の異名。「臘」はもともとは、古代の民草が、年の終わりに、動物や鳥などを狩ってきて、先祖に供える祭りの意味であった。その祭祀の日は「臘日」と言い、陰暦十二月八日に当たるので、大切な先祖霊への祭祀を代表して、定められたものである。
「茉莉《まり》」「茉莉」は本邦では「まつり」と読み、ジャスミンの近縁種である「茉莉花(まつりか)」(アラビア・ジャスミンとも呼ぶ)ソケイ属マツリカ Jasminum sambac 、或いはジャスミンの異名でもある。
「存(そだ)つ」「育つ」に同じ。
「閩《びん》」」現在の福建省を中心とした広域の地方旧名。
「廣《くわう》」現在の広東省・広西チワン族自治区。
「薔薇《しやうび》」本邦のバラと同一。
「酴醿《とび》」バラ目バラ科バラ亜科キイチゴ属トキンイバラ(兜巾茨) Rubus tokinibara 。
「山茶(さつき)」「さつき」は良安の致命的なルビ誤記。「つばき」が正しい。中国に於いては、現在も「ツバキ」は、主に「山茶」と書き表されている。
「𪾶草《ねむりぐさ》」日中ともに、マメ目マメ科ネムノキ亜科オジギソウ(お辞儀草・含羞草)属オジギソウ Mimosa pudica 。本邦の異名でも「ネムリグサ(眠り草)」がある。私は、ネムノキに次いで、このオジギソウの葉と花が好きで、よく観察する。当該ウィキによれば、『葉は偶数羽状複葉で、接触、熱、風、振動といった刺激によって小葉が先端から』一『枚ずつ順番に閉じ、最後に葉全体がやや下向きに垂れ下がる。この一連の運動は、見る見るうちに数秒で行なわれる。この運動は、特定の部位の細胞が膨圧(細胞の液胞中の水やその他の含有物によって細胞壁にかかる力)を失うことによって起こる。このような運動を接触傾性運動(英語版)と呼ぶ』。『また、他のネムノキ類同様に、葉は夜間になると葉を閉じて垂れ下がる』。『これを』、まさに名にし負う『就眠運動という』。『オジギソウが刺激されると』、『茎の特定部位が刺激され、カルシウムイオンを含む化学物質が放出される。この化学物質が葉の付け根の葉枕に到達すると』、〇・一『秒後に葉が運動する』。『カルシウムイオンは液胞から水を排出させ、水は細胞外に拡散する。これによって細胞の圧が失われて収縮し、この異なる部位間での膨圧の差によって葉が閉じ、葉柄が収縮する。このような特徴は、マメ科のネムノキ亜科内で極めて一般的である。刺激は近くの葉にも伝達される。再度、葉が開くには閉じてから』三十『分程度』、『かかる』。『オジギソウは植物なのに、なぜ動くのか』は、十八『世紀より』、『多くの生物学者が研究をしてきていたが、お辞儀をする理由は長い間』、『解明されていなかった』。『埼玉大学と基礎生物学研究所などは、共同研究でオジギソウの遺伝子を組み換え、「触られても動かないオジギソウ」を育成し、普通の「動くオジギソウ」とともにバッタなどに食べさせる実験を行った。すると、お辞儀をするオジギソウと比べて、お辞儀ができないオジギソウは』、二『倍ほど虫にたくさん食べられるということが分かった』。『オジギソウの運動は自らの身を守り、種の保存につなげていると検証された』とある。
「西《せい》・北《ほく》の人」★東洋文庫訳では、『西北の人』と訳されてあるが、私は、ずっと昔、この表現を見て、大いに違和感を持ったのを覚えている。通常、中国で「西人」或いは「西戎」「西域」、「北人」或いは「北狄」であって、「西北人」(せいほくじん・せいほくのひと)という言い方を、まずしないと感じたからであった(無論、方向としての「西北」はある)。而して、今回、前で電子化した「五雜組」で、この違和感が、私の確信犯であったことが、証明出来たと考えるのである。則ち、そこでは、そこでは、
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……南方より攜(たづさ)へて、北に入る者、梅(うめ)・桂(けい)の屬、尤(もつと)も臘(らう)を過ぎ難(がた)し。茉莉(まつりくわ)に至りては、則ち、百(ひやく)に一(いつ)も、存すること、無し。
凡そ、花、六出(りくしゆつ)に咲く者、少(すく)なし。獨り、梔子の花、六出に咲き、其の色・香、亦(また)、皆、殊絕(しゆぜつ)、故叚成式、謂(いは)く、卽ち、「薝葡花《せんふくげ》」と。楊用修、謂く、卽ち、「楊州瓊花(やうしうけいか)」と。然れども、皆、非なり。此の花、閩中(びんちゆう)に在り、極めて多く、且つ、賤(いや)し。素馨(そけい)と、茉莉と、皆、地を擇(えら)ばずして、生(い)くる者なり。北の方、吳楚に至りて、始めて、漸(やうや)く、貴重とするのみ。茉莉は、三吳に在りて、一本、千錢、齊(せい)に入りては、輒(すなは)ち、三倍の直(あたい)を酬(むく)ふ。而して、閩・廣(かう)[やぶちゃん注:現在の広東省・広西省。]には、家家(いへいへ)、地に植え、籬(まがき)に編(あ)む。木槿と殊(こと)ならず。薔薇(さうび)・玫瑰(まいかい)・荼蘼(だび)・山茶(さんちや)の屬に至りては、皆、以つて、籬(まがき)に編む。以つて、西(にし)・北(きた)の人に語れば、未だ、必ずや、信ぜざるなり。
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の全体の文脈が、私の違和感を払拭して呉れたからである。異論のある方は、何時でも相手になりましょう!
「却𪾶《めむりざまし》の草」これは実在しない、中国で、伝説上の草である。「百度百科」の「却睡草」を見られたい。そこには、『又の名を「五味草」とも呼ばれる。食べると眠気を覚ます効果がある。』、『伝説中の草で、又の名を「五味草」の知られ、食せば、人をして眠らせない。』出典を二種掲げるのみで、モデル植物も挙がっていない。
「醉草《ゑひぐさ》」「拼音百科」に「醉草」があるが、そこでは『龙胆科睡菜属』(=リンドウ科ミツガシワ(三槲)属)となっているものの、本邦のウィキの「ミツガシワ科」を見ると、『古くはリンドウ科に含めていたが、分離された。APG分類体系ではキク目に入れている』とあった。但し、何故か、学名が示されていない。しかし、則ち、これは、
キク目 Asteralesミツガシワ科 Menyanthaceaeミツガシワ属ミツガシワ Menyanthes trifoliata
である。ウィキの「ミツガシワ」によれば、『日本(北海道、本州、九州)を含め』、『北半球の主として寒冷地に分布し、湿地や浅い水中に生える』。『地下茎を横に伸ばして広がる。葉は複葉で』、三『小葉からなる』四~五『月に』、『白い花を総状花序に』、『多数』、『つける』。『亜寒帯や高山に多いが、京都市の深泥池』(みどろがいけ)『や』、『東京都練馬区の三宝寺池』(さんぽうじ)『など』、『暖帯の一部にも孤立的に自生している。これらは氷期の生き残り(残存植物)と考えられ、これらを含む水生植物群落は』、『天然記念物に指定されている。北海道岩内郡共和町の町の花』であるとし、最後に、簡単に、『睡菜(スイサイ)と称し』、『苦味健胃薬として用いる』とある。私は、幼少期に練馬の大泉学園に住んでいたため、幼稚園の時、三宝寺池で、不思議な花(白い花弁に、白い細かい毛が生えている。一説に氷河時代の記憶で寒さを防ぐためとも言われる)見たのを、鮮明に覚えている。実は、「百度百科」にも「醉草」あるが、そちらも、やはり、学名がない(頗る不審)。しかし、そこにある別名の「瞑菜」で、「維基百科」を検索すると、「睡菜」の項があり、ここで、目出度くミツガシワの学名が示されてあり、同一種であることが確定される。
但し、「拼音百科」に「醉草」には、本邦の記載にない、「醉草」の由来が記されてある。このミツガシワは、『独特の香りは、これらの粒子に含まれる強力な駆風作用のある油性化学物質によるものです。この香りを嗅ぐと、酔ったような感覚になり、長時間立っていられないことがあります。』とあり、さらに、「文化的背景」の項に、『古代中国の文献には「醉草」という植物の記述が残されている。「尸子」』(戦国時代の思想家尸佼(しこう)の著。紀元前四世紀頃の成立。元は全二十編であったが、現存は二巻のみ。雑家的思想書とされている。以上は「デジタル大辞泉」に拠った)『には、赤仙州周辺に「毓紅草」という植物が生育し、その実を食べると』三百『年もの』、『昏睡状態に陥ると記されています。』とあり、また、以下で、『李白は、詩「醉草恐夷」の中で「酔草」に言及し、自由で束縛のない精神状態を暗示させている。彼はまた、「醉草」を草書の芸術と関連付けた』と機械翻訳では、記されているが、これは、李白知らずの半可通が書いたトンデモものだ! 実際には、明末の抱甕老人(ほうおうろうじん)と称する蔵書家が『三言二拍』と総称された宋代以来の白話小説群から選んで編した「今古奇觀」の「第八十卷 李謫仙醉草嚇蠻書」の話である。それは、「中國哲學書電子化計劃」のここで、電子化されたものが視認出来る。遙かに、「百度百科」の「醉草」、及び、その複数のリンク先の方が、正確である。しかし、これらを見るに、私には、こうした作品で示されたものが、現在のミツガシワと同種であるとは、思われない。一種の志怪小説紛いのもので、信を置けない、架空の妖草とするべきであろう。
「醒醉《ゑひざまし》の草」酔いを醒ます草というのは、私のような酒狂には、あってほしいものだが、昔からお世話になっている個人サイト「肝冷斎雑記」の「漢文日録」のこちらに、
《引用開始》
五代・王仁裕の「開元天宝遺事」にいうに、唐・玄宗皇帝のころ、宮中・興慶池の南畔には葉むらさきに茎あかき草が生えていて、
有酔者摘葉嗅之、立醒。
酔う者、葉を摘みてこれを嗅ぐあれば、たちどころに醒む。
酒に酔った者はその草の葉をつみとり、その匂いをかぐと、たちどころに醒めた。
その草を「醒酔草」といい、皇帝も貴妃も宿酔のときにこれを用いたという。
あるいは唐末の李徳裕は「醒酒石」というものを持っており、
酔則踞之。
酔えばすなわちこれに踞(うずく)まる。
酔うと、この石の上に座るのであった。
そうすると酒酔からの回復が早くなったのである。(このこと、「五代史」に出る)
ただ酒酔については醒めるのが早いのがよいのか遅い方がよいのか。難しいところである。
《引用終了》
とあった。「百度百科」に「醒醉草」があるが、実際の植物種を挙げていない。そもそも、この段落の、対抗性植物の記載は、基本、中国人が古くから好んでいる、陰陽思想に基づく自然のバランスによる均衡哲学に基づくもので、かく、真面目に当該植物を調べている私は、正直阿呆のレベルと言うべきかも知れないなぁ……。
「宵明草《よひあけぐさ》」これは、次の対として、馬鹿正直に書くと、「夜に開花する草」と、「昼に眠る草」となり、わらわらと孰れも実在の植物を、イヤさかに比定したくなるのは、私だけではあるまいが、しかし、「百度百科」の「宵明草」を見ると、それも叶わない。『「宵明草」は晋代の王嘉の「拾遺記」の前漢下に記された伝説に薬草で、その特性は、「晩・夜は蝋燭の如く光り輝き、昼間は薄暗く』、『光は完全に消失し、植物体自体も、それとともに』『消えている」という特徴を持つ。この草は独特な形をしており、一株に七枚の葉があり、葉の先端は内に卷いた形を示し、文学作品では、奇体で幻想的な平原地域に植生するとある。夜間に光ることから、また、時間が経過するとともに光が消えてゆくことから、「銷明草」とも呼ぶ別名がある。」とし、『「拾遺記」によると、『宵明草は背明国から貢献された珍奇な物の一つで、夜に蝋燭のように見えることから、その名が与えられた。時間の経過とともに光が弱まって消えるという周期的性質が明確に記述されている。』とある。而して、先にあった、『葉と葉の先端の形態的特徴により、伝奇的創作に於いて認識し易いイメージを供給している。』とあり、さらに、『地域伝説』として(以下は機械翻訳のママ)、『いくつかの文学作品では、ウォル平原でこの草本を見つけるには、リヴァイアの雪山を越えなければならないとされている。』とあった。最後の「别称来源」には、『「銷明草」という名前は、光が尽きると自ら消えるという性質に由来しており、この愛称は歴史書にも記されている。この命名方法は、古代の人々が自然現象を擬人化して解釈したことを反映している。』とあって、全く、モデル植物は示されていない。因みに、丁度、一年前、『中国の科学研究チームがゲノム編集を駆使し、高輝度夜間自発光植物の研究開発に成功した。』という記事を見たのを思い出した。「人民網日本語版」の『植物も「常夜灯」に? 中国の科学研究チームが植物の発光に成功』を見られたい。……しかし、これは……ファンタジーではないな……マッド・サイエンスの類いだ……
「晝暗《ひるくらし》の草」象徴的に、私の好きな別名「ネムリグサ(眠り草)」を持つ、葉を閉じるマメ目マメ科ネムノキ亜科オジギソウ属オジギソウ Mimosa pudica を挙げたくなるが、「維基百科」の同種のページでは、項目を「含羞草」とし、異名を「如見笑草」・「見笑花」・「愛睏草」・「驚擽草」・「畏擽草」・「喝呼草」・「知羞草」・「怕醜草」・「怕羞草」・「夫妻草」等があるが、「晝暗草」は、ないな……。
「夜合草《よるあひぐさ》」これは、実在する。タデ目タデ科ツルドクダミ(蕺・蕺草・蕺菜)属ツルドクダミ Reynoutria multiflora(英文の当該ウィキを見ると、属名タクソンで変更が多いため、シノニムが実に八つもある。Pleuropterus multiflorus・Aconogonon hypoleucum・Bilderdykia multiflora・Fagopyrum multiflorum・Fallopia multiflora・Helxine multiflorum・Pleuropterus cordatus・Pleuropterus multiflorus・Polygonum multiflorum・Fallopia multiflora )である。「ブリタニカ国際大百科事典」に拠れば、『多年草。中国原産で』、『古く薬草として日本に渡来したが,各地に野生化している。地下に肥大した塊根があり,茎はつるになり他物に巻きついて茂る。塊根を乾かしたものをカシュウ(何首烏)といい,強壮剤とする。葉の形が先のとがったトランプのスペードの形で,ドクダミ』(全く縁のないコショウ目ドクダミ科ドクダミ属ドクダミ Houttuynia cordata )『に似ていることから』、『この名がある。夏の終りに,葉腋から大きな円錐花序を出し,白い小花を多数つける。花後に結ぶ実は』三『稜形で』、『翼があり』、『細長い』とある。サイト「庭木図鑑 植木ペディア」の「ツルドクダミ」に、『中国を原産とするタデ科ソバカズラ属の多年草。ドクダミの仲間ではないが、葉がドクダミに似て蔓性であるため』、『ツルドクダミと呼ばれるようになった』。『本州~沖縄の山野、道端などで野生化したものが普通に見られるが、いわゆる帰化植物であり、その起源は八代将軍徳川吉宗が長崎に取り寄せ』、享保五(一七二〇)『年に栽培を命じたことにある』。『別名及び漢方としての生薬名を「何首烏(カシュウ)」というが、これはツルドクダミの根を煎じて飲んだ親子三代が、黒髪のまま長生きしたという中国の伝説「何首烏伝」にちなむ』。『学名』の一つの『 Polygonum 』は、『膨らんだ節が多いことを意味し、地下を這う根の一部は細いサツマイモのような塊根になる。これに含まれるアントラキノン誘導体には緩下作用があり、煎じたものは便秘や整腸に効果があるとされる』。『漢方では「交藤」』(コウトウ)『「夜合」』(ヤゴウ)「『とも呼ばれ、上記の伝説にちなんで不老長寿、強壮、発毛、白髪対策に効果があるとして珍重してきたが、現代の日本においても栄養ドリンク(ユンケルなど)やシャンプー、美容液の原料に使われており、度々』、『注目される』とあった。なお、「維基百科」の「何首烏」には、肝毒性の注意喚起が出るので、着目されたい。ちゃんと「夜合」の由来が書かれたものが、ない。まあ、性的なそれに基づくのであろう。
「夜舒《よるひらき》の草」中文サイトでも掛かってこない。お手上げ。対の方が、具体な種が同定されているのだから、あるだろうと思うのだが? 識者の御教授を乞う。]
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